胎内市議会 2006-12-06 12月06日-02号
東京オリンピックを秋に控えた新潟国体の最終日の翌日の出来事であったのであります。当時国体の開催中であれば大惨事を免れなかったと、皆当時胸をなでおろしたものであります。 地震、雷、火事、おやじと昔から地震は怖いものの筆頭に挙げられていたでのありますが、今日ではかなりの部分で防げると私は考えております。元来胎内市の住宅地の大部分は、地盤がかなりしっかりしております。
東京オリンピックを秋に控えた新潟国体の最終日の翌日の出来事であったのであります。当時国体の開催中であれば大惨事を免れなかったと、皆当時胸をなでおろしたものであります。 地震、雷、火事、おやじと昔から地震は怖いものの筆頭に挙げられていたでのありますが、今日ではかなりの部分で防げると私は考えております。元来胎内市の住宅地の大部分は、地盤がかなりしっかりしております。
◎金山 スポーツ振興課長 今国体開催気運醸成事業の講演会というふうにおっしゃいましたが、先ほど加藤教育部長の説明の中にも二、三事例が挙がっておりまして、講演会だけではなくて、この国体開催気運醸成事業の中には、例えば長岡市の開催種目でありますバレーボールにつきましては、はつらつママさんバレーボールということで、河西選手とか大林選手、中田選手等々、オリンピックで活躍した選手を講師に招いて実技の講習会をやったり
ですから、いわゆるおっしゃるとおり、30年代、40年代の 東京オリンピックは39年ですが、塚田十一郎さんが知事さんになったあたりからそろそろ米が余ってきたんです。その各10年というのは本当に農家にとってはいい時代だった、今振り返って。特に食糧管理法、これはもうだめになりましたが、田村議員少し述べられましたが、これはもう全量買い上げなんです。
オリンピックの強化指定選手に全国で12名のうち6名を輩出しており、BMX競技選手のメッカと言っても決して過言ではない地と言ってもいいのではないでしょうか。以上のことを踏まえながら質問に入ります。
学習意欲の喚起、この面では各学校に任されているところもありますけれども、指導センターとしましては、この前、夏休み中に小学生おもしろ算数デー、あるいは中学数学オリンピックというふうなのをやりまして、それぞれ90人くらいの児童・生徒が集まりまして、ほかの学校の子供たちと一緒の雰囲気を味わって学習をして、非常に緊張してよかったというふうな反省を子供から聞いております。
それが昭和30年代中ころの国民所得倍増計画に始まり、東京オリンピック、日本列島改造と続く経済の成長により、消費は美徳、ごみの量が文化生活のバロメーターと浮かれ、大量生産、大量消費、大量廃棄というライフスタイルとなりました。今そのツケともいうべきごみの減量と地球環境問題にどこの自治体もきゅうきゅうとしていると言っても過言でないかと思います。
かつて日本の農業は、順風満帆な時期もありましたが、昭和39年に東京オリンピックが開催され、莫大な経済効果をもたらし、日本経済の発展の原動力になったと思っております。その反面、昭和40年代に入り、農業政策に大きな転換期が訪れようとしておりました。各地域では県営による圃場整備、生産組織の確立、高性能な大型機械の導入等々多額の補助金をいただいて、農業意欲も沸いていた時期もありました。
活躍が期待された日本代表は、残念ながら予選の3試合を戦ったのみで敗退してしまいましたが、世界的に見ますと、テレビなどを通じて観戦する人の数はオリンピックのそれをはるかにしのぐ数なのだそうであります。
スポーツの普及という点から見た場合、前者はよりすぐられた存在ではあるものの、さきの冬季オリンピックのカーリングでもわかるように、その活躍によっては社会や人々に与える力は大きく、スポーツをより広く普及させる原動力となるものであります。また、後者はスポーツ人口の普及による底辺の拡大によって社会基盤、つまりスポーツ施設や組織の発展に大きく寄与するものと私は考えております。
そして、アイススケートリンクにおいては、オリンピックのカーリングブームとフィギアスケート人気により入館者がかなり増加いたしました。しかしながら、レジャープールにおいては、通年では少子化や子供の遊びの多様化などで年々減少傾向が全般的に続いています。そのようなことから、今後は中高年齢の健康づくりのメニュー提案を積極的に進め、利用増を図りたいと考えております。目標達成率は97.8%でありました。
このたび10年後のオリンピックに東京に対抗して福岡市が手を挙げておりますが、福岡市は東南アジアの拠点都市を目指しているとその意気込みを述べておりました。数年前に建設企業常任委員会で博多港を視察したことがありましたが、そのときの福岡市の職員の方に既にそのような気概を感じたことを記憶しております。
作品の中でも、東京オリンピックの一連のポスターはあまりに有名です。日本のグラフィックデザインの草分けでもあり、私のような少しでもデザインをかじった者にとっては神のような方でもあります。残念ながら亀倉氏とはお会いしたことがないのですが、今から20年ほど前、私が東京でイラストレーターをしていたころ、こんなことがありました。
また、スキーのまち妙高ジュニア育成事業など、オリンピック選手を多数輩出した妙高市のスポーツの競争力強化が図られているものと考えます。
戦前のベルリンオリンピックに日本代表の第1号として参加された上越市の曽根道貫先生、また曽根先生と覇を競われ、手首のけがのため代表になれなかったんですが、戦後、国体、インターハイで8連勝を含む16回の優勝の金字塔を建てられた高田高校の加藤信治先生、幾多の好選手、指導者を育成された直江津高校の横山マツ先生、現在国際体操連盟の副会長として世界の体操界のリーダーとして活躍されている板倉区出身の滝沢康二先生、
あるいはオリンピックの終わったイタリアで3カ国、そして加瀬さん最後の手づくりの3尺玉、加瀬さんに対する感謝のスターマイン、日本の花火の代表選手、その間にメッセージ花火を、市民から100周年を祝うメッセージをいただいて、かなり変化に富んだ構成を考えております。 そして、2日、3日に入れたらどうか。
◆14番(阿部周夫君) ぜひ早急にですね、そのときめき新潟国体のためにですね、行政と、あと団体、またその下部組織が一体となって、トリノオリンピックじゃないですけども、世界に羽ばたける選手の育成を期待いたしております。
この2点につきまして、今後どうだこうだということはないわけでございますが、今ご答弁をいただきまして、スムーズに新年度の予算が執行されることを願っている一人でございますが、質問はこのくらいにしておきますけれども、最後に市長はこの間新年度予算説明の中で、後段トリノオリンピックのことがございまして、開会式のときに平和と情熱というようなことを申されておりました。
つい先日までトリノオリンピック大会が開かれて、日本は残念ですが、メダル1個しか望むことができませんでした。しかし、連日手に汗を握るような、祈るような日々が続いており、地球の裏側に近いような国の出来事がすぐそこにあるように錯覚さえ感じられる世の中であります。
御承知のように、トリノ・オリンピックでの妙高市にかかわる選手の活躍を見て、子供たちも多くの感動を覚えたことと思います。市では、国際舞台で活躍できるトップアスリートの育成を目指し、新年度において新たに妙高ブランドの一つである、スキーのまち妙高ジュニア育成事業を展開し、高度な技術指導や強化合宿を行ってまいります。
御案内のとおり妙高市は、県内で初めて財団法人地域活性化センターが全国展開している、スポーツ拠点づくり推進事業のJOCジュニアオリンピックカップスキー大会で認定を受けました。これは、妙高ブランドとして誇れる事業であり、喜ばしいことであります。