習志野市議会 2019-03-04 03月04日-06号
「団塊の世代」という言葉の生みの親、堺屋太一氏が2月8日に逝去されました。御冥福をお祈りいたします。 その著書を読んだ方も多いでしょうから、経歴につきましては詳細は省きますが、通産官僚として大阪万博を成功に導き、小説や社会評論で近未来を予測した、ある種のエポックメーカーでした。
「団塊の世代」という言葉の生みの親、堺屋太一氏が2月8日に逝去されました。御冥福をお祈りいたします。 その著書を読んだ方も多いでしょうから、経歴につきましては詳細は省きますが、通産官僚として大阪万博を成功に導き、小説や社会評論で近未来を予測した、ある種のエポックメーカーでした。
「団塊の世代」という言葉の生みの親、堺屋太一氏が2月8日に逝去されました。御冥福をお祈りいたします。 その著書を読んだ方も多いでしょうから、経歴につきましては詳細は省きますが、通産官僚として大阪万博を成功に導き、小説や社会評論で近未来を予測した、ある種のエポックメーカーでした。
それから、新自由主義経済の明暗と柏市についてですけど、この本は堺屋太一さんが1991年11月に出された本です。ここの中で、日本が世界で一番天国に近い国だと。なぜ天国に近いかというと、まず豊かである。それから、富も平等であるということをおっしゃっています。ところが、今は日本は正規雇用と非正規雇用の賃金格差が先進国で一番大きい。
長い間何の問題もなかったんですけれども、バブルの絶頂期のころに堺屋太一さんが、国民学校令の制度のままでは日本は来るべき脱工業化社会になって経済国際競争力によって負けるよと言いました。言い出しました。それは、そのとおりに今、日本なりつつある。要は、画一的な教育制度で教育された学生たちは、脱工業化社会に必要な自由な発想ができないというわけですね。
こう見ますと、議員の皆さんは、我々と同じように団塊の世代が大分多いなと、そう思って見ておりましたが、団塊の世代というのは、確か堺屋太一さんが言った言葉であって、ちょうど我々の世代を指しているのではないかなと、そう思っております。 我々の世代がちょうど育ったころというのは、戦後の例のどさくさ紛れで、やはり生活が困窮していた時代じゃないかなと思います。
前定例会でも申し上げましたが、我々みんなの党と大阪維新の会は、後見人の堺屋太一氏を初め、特別顧問など政策スタッフも多く兼任しており、必然的に主義、主張もほぼ共通しております。 まずは、公務員改革の職員基本条例についてであります。
大阪市では、新市長が誕生し、私たちみんなの党の政策ブレーンでもあります大阪市特別顧問の元経済企画庁長官で、作家の堺屋太一氏が提唱する意外性を売りにした10大名物づくりとして、夢のある施策案が提示されました。歳入の確保策の中心は言うまでもなく税収の確保策であります。
当然減税と福祉を両立させることは言うまでもありませんが、7年前ですか、経済企画庁長官を歴任された作家の堺屋太一さんはですね、「救国12の提言」という本の中で、これからの自治体は減税で競争すべきだということが書いてありました。この視点に立ってですね、やはり考えていただく必要があると思いますけども、これは今後の議論ということにしたいと思います。
それで、何でこんな問題が起きてるのかといったら、これはね、通産省出身の堺屋太一が団塊の世代という小説の中で、団塊の世代って知ってらっしゃるでしょう。戦地から帰ってきて、昭和21年、22年、23年、産めよふやせよ。ベビーブームはばーんと爆発したの。そして今、その卒業する方々が2年前に、千葉市役所でもそうですよ。
通産省を卒業した堺屋太一が団塊の世代という小説を書いているんですけれども、その団塊の世代で、こう言っているんだよね。数字をきちっとつかんでいるんだよね。子供をたくさん産んだ戦後の昭和21年、22年、23年、戦地から帰ってきた人たちが、とにかく産めよ、励めよということで、子供をいっぱいつくった、育児ブームというかね。それが3年後に、この3年後ですから、2012年から急激にまたふえてくる。
この間堺屋太一さんのお話聞いたことがあるのですが、今は日本は資源物として海外からいろいろ輸入していますよね、例えば鉄鉱石とか石炭とか石油とか。でも、逆にこういうことがだんだんカルテルなんかが結ばれて値段が高くなる。これを加工して日本は豊かな生活を今まで送れてきたわけですが、そういう事態がだんだんなくなってくるのではないか。
そして、堺屋太一氏が日本の国の今の経済背景について、今の好景気は浦島景気と呼んでいます。それもそろそろ終焉に近づいていると言われております。浦島太郎は龍宮城で乙姫様と楽しく過ごした。でも、景気がいいのは東京という龍宮城の中だけで、地方経済は冷えきっていると。龍宮城から帰ってきて玉手箱をあけますと、日本の組織は急速に劣化が進んでいると言われております。
団塊の世代という言葉の命名者であります堺屋太一氏によれば、2007年から始まる10年間は発想を転換して、黄金の10年と呼んでおります。今までの貴重な経験、意欲、健康を維持しながら、今までやりたかった同好の志を一にする新たな事柄にトライをして、地域社会に貢献する、できる、そんな元気な団塊世代がつくられるのではないかと。これがすなわち黄金の10年であると言われております。
戦後のベビーブームで生まれた世代を団塊の世代というのは、堺屋太一氏の命名によるものですが、この団塊の世代は人口の大きな山をつくり、さまざまな分野で大きな影響を与えてきました。団塊の世代は、2007年から順次60歳を迎えます。厚生労働省の2004年の高年齢者就業実態調査によりますと、60歳前半男性では年齢に関係なくいつまでも働きたいという回答が全体の33.3%、3分の1です。
団塊の世代とは、作家で元経済企画庁長官であった堺屋太一氏が命名した用語として有名ですが、定義としては、第2次世界大戦後のベビーブーム時である昭和22年から24年に生まれた世代とされています。この団塊世代と言われる人たちは、約700万人いるとされており、平成19年から数年間で一斉に定年退職を迎えることになります。
作家の堺屋太一さんは、戦後とは豊かさを得て誇りを失った60年だったと言っております。2007年からは、団塊の世代が60歳代に入ります。
そもそも団塊の世代とは、戦後間もない1947年から1949年の間に生まれた世代の方々で、この人口の塊、エネルギーのことを言いますが、これは元経済企画庁長官で作家堺屋太一氏が命名したことは御承知のことと思います。そこでとかくマイナスイメージが先行する高齢化社会ですが、その第一歩、団塊の世代の定年退職という問題を少しでも前向きにとらえていく議論が必要であるように思います。
◆9番(磯貝清君) 昭和22年から24年ごろに生まれた現在56歳から58歳の方を称して、作家の堺屋太一が団塊の世代ということを言ったそうでございますが、好むと好まざるとにかかわらず、今後、あと10年もしますと大変な高齢化というか、第1号被保険者がふえるわけでありまして、長期的なフレームに立って介護予防運動というものを本格的に、ある意味では市の方向性の中でも重点的にやっていく必要があるだろう。
「団塊の世代」という言葉は、経済官僚で小説家、経済評論家として活躍し、小渕、森内閣では経済企画庁長官を務めた堺屋太一氏が30年前の代表作のタイトルとして広めた言葉であります。この団塊の世代の退職というか、引退というか、そういう現実を労働力不足と年金の破綻でとらえる見方と、反対に、かつてない活気にあふれる60代が日本経済の復興の原動力になるという予測もあるわけであります。
2007年問題というのがございまして、昭和21年、22年、23年生まれが団塊の世代と言われまして、これは堺屋太一さんがつけた名前だそうでございますけれども、ちょうどその団塊の世代が企業の戦士として社会に出て、リタイアするわけでございますけれども、どのような形で社会で自立していくかですけど、まちづくり計画にして、その方たちが社会に参加できるということはなかなか目に見えておりません。