2626件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

新潟県議会 1977-10-03 10月03日-一般質問-03号

私は、この新生産調整日本農業の一層の縮小、合理化をねらったものであり、これに従うことはできないと思っております。知事は、生産調整に応ずることは、結果して食管を守る最も緊要な道だというふうに再三発言をされております。これは根本を見失っておるのではないかというふうに私はあなたに申し上げたいと思います。 いま、日本農業がなぜこのように大きく後退をさせられたか。

宮城県議会 1977-09-01 10月04日-02号

ところが、九月十七日の日本農業新聞が伝えるところによると、高橋農政部長がこの問題について次のように語つていると報道しているんです。「我が県だけが取り組まないわけにはいかない。無論県内各地で反発を招くことは予想している」と述べながら「いまは過剰米についてある程度農家に浸透しているので実施も可能だと思う。過去の経験もあるので米を守つていく立場から集団転作をすすめていきたい」と語つたというのであります。

宮城県議会 1977-07-01 07月18日-04号

第二点は、これと関連して、過般農林大臣農協四連の加藤会長、そして山本知事が、それぞれこの米価の問題についても、かなり突つ込んだ意見が交わされておつたことが、日本農業新聞等に掲載されておつたようでありますが、これらの問題について、どのような一体発言農林大臣が、責任ある農林大臣として、知事あるいは農協四連の代表に発言をなさつたのか、あわせてお伺いいたします。 

東京都議会 1976-12-17 1976-12-17 昭和51年_第4回定例会(第20号) 本文

わが党は、日本農業再建のため、これらの農業団体の態度を強く支持するものであります。  都もまた、今日の事態の深刻さを率直に受けとめ、財政危機の中でも、政府農業切り捨て政策から都市農業を守るため、これまでの税対策価格対策を初めとして、あらゆる施策を充実させてきましたが、今後一層の努力を期待するものであります。  

新潟県議会 1976-12-15 12月15日-一般質問-03号

紀元2000年の食糧危機説は、私だけでなくすでに幾多の人々が取り上げたところでありますが、それはそれなりに意義のあることで、日本農業わけても本県農政を論議する場合に、不問に付するわけにはいかない問題であります。自民党単独政権が30年続いたが、その体質からして、大企業優先政策重視であることに不思議はないけれども、農村自民党の票田だと誇示されてきたことに、異議を持ち続けた一人であります。

新潟県議会 1975-12-09 12月09日-一般質問-02号

もはや、政府の役人の小手先の作業で、それらに引っ張り回されない本県の持つ特質を高く掲げて、日本農業の立て直しを新潟県が先頭に立ってやる意思はございませんか、伺いまして、質問を終わります。(拍手)   〔知事健男君登壇〕 ◎知事(君健男君) 今成議員にお答えいたします。 三菱化成の弗素被害の問題でありますが、これは長い間いろいろ検討し、対策をしてきておる問題でございます。

宮城県議会 1975-12-01 12月12日-04号

政府財界重工業優先の政治でございまして、食糧国産品よりも安い外国食糧、いわゆる海外依存政策が続けられてきたわけでございまして、日本農業は言つてみれば犠牲にされ後退の一途をたどつてまいりました。しかしながら耕作農民はそれらにも耐えて国や県の施策に協力し、今日まで至つたわけでありますけれども、特にことしは記録的な好天候、稲作が豊作でございます。

新潟県議会 1975-09-30 09月30日-一般質問-03号

戦後30年間、幾多激動を重ねてきた変転の世相中に、常に日本経済復興役割りを果たしてきた日本農業を顧みたとき、まず第一に言われることは、かつてわれわれの一度も味わったことのない敗戦という冷厳な事実であります。食うに食なく、住むに家なしの悲惨の時代においても、わが日本民族は艱難辛苦を重ね、祖国日本平和国家文化国家再建のためにあらゆる努力をされたのであります。 

新潟県議会 1975-09-29 09月29日-一般質問-02号

日本農業において米というものは一つの信仰にまでなって、日本国民主食であります。日本農業の中核であります。そういうものを、事もあろうに、官僚の一方的な、約束違反だというようなことで、知事までがその手先になって青刈りの手伝いをするなどということは、日ごろ知事の言っておるところの積極農政と一体どういうかかわりがあるのだ、この点についてまず私は強く知事に指摘をしておきたいと思います。 

新潟県議会 1975-02-24 02月24日-一般質問-02号

日本農業MSA協定に始まって、二十数年かかって現在の破壊的状態になったと言えます。工業製品の増大のため、農村から人を都市に集中させて、村落を崩壊させた。その製品を輸出するため、その見返りとして外国から食糧を入れる、あるいは国際分業の名のもとに、現在ではカロリー計算で6割以上も海外食糧がわれわれの胃袋に入っておるということになっております。

宮城県議会 1975-02-01 03月04日-06号

私はこのような状況の中において、日本農業のこれからの宮城県の位置づけとしての、食糧基地構想についての、これからの知事の見解を伺いたいと思うのであります。 細部につきましては、委員会の審議に委ねることといたしまして、二、三の提言を申し上げたいと思うのであります。