75件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

長崎市議会 2002-08-26 2002-08-26 長崎市:平成14年議会運営委員会 本文

ICC設置国際法史上の重要な意義は、これまでの国際司法裁判所が領土問題など国家間の紛争を裁く裁判所であったのに対し、ICCは個人の戦争犯罪等を問う初めての権威をもった国際法廷であることであります。いまだに国家間の戦争紛争、そして民族・人種・宗教等を理由とした紛争が絶えない中で、戦争犯罪大量虐殺、そして人道に反する犯罪と称されるものが幾つか指摘されております。

長崎市議会 2002-03-13 2002-03-13 長崎市:平成14年厚生委員会 本文

それから、いま一つ、これは、私、イメージとしてちょっと出てこないからお聞きするんですが、96年の国際司法裁判所の、いわゆる勧告的意見ですか、これをどう今後の反核運動に生かしていくのかということみたいですが、生かし方はこういうふうにするんですよ、というのは若干書いてはあるんですが、いま一つぴんとこないもんですから、新しい事業として、こういう形で活用してるんだと、したいんだというところがあれば、ちょっとお

長崎市議会 2001-12-07 2001-12-07 長崎市:平成13年第5回定例会(3日目) 本文

また、過去のハーグにおける国際司法裁判所における市長発言も、日本政府姿勢とは異なって、平和感覚にすぐれていたからこそ、世界的に評価をされ、平和市長としての名声を高らしめたのではなかったかと、私は評価をしているわけです。まさに、これらの発言は、国の方針とは異なるけれども、卓見だったと思っております。  

長崎市議会 2001-07-30 2001-07-30 長崎市:平成13年各派代表者会 本文

また、NGOブース展示コーナーを設けたり、国際司法裁判所の元判事であるウイラマントリー氏を迎えての市民対話集会開催するなど、市民に密着した国際会議となるよう努力いした。最終日となる8月9日の閉会式において6日間の会議の集大成となるヒロシマ・ナガサキアピールを採択するが、21世紀を見据え、かつ国際的な影響力を発揮し得るアピールにしたいと考えている。  

長崎市議会 2001-06-11 2001-06-11 長崎市:平成13年第2回定例会(4日目) 本文

伊藤市長は、1995年11月7日、国際司法裁判所における陳述で、以下のように述べています。「裁判官の皆様、最後にあえて再び申し上げます。長崎市民の半世紀に及ぶ核兵器廃絶への悲痛な訴えと世界平和への願いをご理解ください。長崎市民の悲惨極まりない体験と筆舌に尽くしがたい苦しみは、決して繰り返されてはなりません。

諫早市議会 2001-03-02 平成13年第1回(3月)定例会(第2日目)  本文

核兵器をめぐる世界の動きは、一九九六年七月、国際司法裁判所核兵器使用威嚇は、一般的には国際法違反すると勧告が出されています。一方、一九九九年五月、オランダハーグ開催されましたNGO(非政府組織)主催の世界平和市民会議の総会において、世界各国の議会は、日本平和憲法第九条の戦争禁止を採決すべきと決議がなされ、世界各国から評価を受けています。  

長崎市議会 2000-12-07 2000-12-07 長崎市:平成12年第4回定例会(2日目) 本文

中でも、被爆50周年の節目の年に就任をし、同年11月には、オランダハーグ国際司法裁判所法廷陳述する機会をいただいたことを初めといたしまして、本年の「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」の開催に至るまで、一貫して国の内外平和都市ナガサキの存在をアピールしてまいりました。  

長崎市議会 2000-09-11 2000-09-11 長崎市:平成12年第3回定例会(2日目) 本文

5年前の1995年11月、国際司法裁判所において核兵器違法性を問う審理が開かれたことは、皆様も既にご承知のとおりでございます。このICJにおける審理は、世界法廷運動として一市民を初めとする草の根活動により実現したものであり、いわゆるNGOの力が核兵器廃絶に大きな影響を与えた点において、その活動重要性が注目される契機となったものであります。

長崎市議会 2000-06-12 2000-06-12 長崎市:平成12年第2回定例会(4日目) 本文

ただ、オランダ国立戦争資料館展覧会をめぐる消極姿勢はいただけませんが、就任以来5カ年余の平和行政評価について、幾つか拾ってみますと、まずは平成7年6月の国連軍縮長崎会議開催に続き、同年11月、ハーグ国際司法裁判所における原爆犯罪性の訴え、そして平成10年11月には、第2回国連軍縮長崎会議の誘致と成功、また、平成11年8月9日の長崎平和宣言においては、日本政府に対し、(1) 北東アジア非核地帯

長崎市議会 2000-03-08 2000-03-08 長崎市:平成12年第1回定例会(3日目) 本文

艦船入港の問題やこのたびの国際司法裁判所での陳述において、我が国政府との考え方の相違が明らかになったように、平和行政を進めるに当たっては、国策を預かる国と地方自治体との立場相違から意見の違いが出てくることはやむを得ない面もあると考えております。しかしながら、平和構築のためには、主張すべきことは毅然として主張することが大切である」云々と、その胸のうちをお話しいただきました。

長崎市議会 1999-12-15 1999-12-15 長崎市:平成11年厚生委員会 本文

しかし、例えば伊藤市長は1995年の11月に国際司法裁判所核兵器使用が、現行国際法違反するというふうな陳述をしたりですとか、やっぱり市民が、例えば戦争原爆を受けて大変な状況にあったと、そういう状況をかんがみて、被爆地市長として核兵器使用現行国際法には違反をするんだというふうに述べられたと思うんです。やはりそこには被爆地市長という立場があったと思うんです。

長崎市議会 1999-09-10 1999-09-10 長崎市:平成11年第4回定例会(3日目) 本文

市長は、国際司法裁判所における「原爆国際法違反発言や、ことしの長崎平和宣言では「核保有国核抑止論時代錯誤である」と断定し、世界の国々の指導者に対しては、核兵器廃絶宣言を今世紀中に行うよう強く求め、民族宗教、文化の違いを互いに尊重し、認め合い、武力に頼らず平和を築くこと、対話によって信頼を培うことの大切さを訴えられました。  

長崎市議会 1999-03-08 1999-03-08 長崎市:平成11年第1回定例会(3日目) 本文

市長は、市長就任の直後に、例えば長崎に落ちた原爆国際法違反であったと、そういうことを国際司法裁判所証言をしました。このときも、政府は、市当局に対して一地方自治体の長が国際法違反という問題を軽々しく口にすべきではないと、こういうふうに政府は圧力をかけてきた経過があります。

長崎市議会 1999-03-05 1999-03-05 長崎市:平成11年第1回定例会(2日目) 本文

しかし、そうした反面、平和問題については、核廃絶を目指して市長みずからがハーグ国際司法裁判所に行かれて証言をされ、国連訪問国連軍縮長崎大会など平和都市長崎市長として果たしてきた役割は高く評価してよいと思うし、そうした意味からも、私が所属している民主党は、2期目を担う市長として推薦をいたしましたので、勝利へ向けて頑張っていただきたいということを申し述べて質問に入ります。  

長崎市議会 1998-12-02 1998-12-02 長崎市:平成10年第7回定例会(1日目) 本文

また、全体会議では、1996年7月に国際司法裁判所が出しました「核兵器による威嚇使用は、一般的に国際法違反する」との勧告的意見に基づき、「今こそ、すべての核兵器を近い将来にこの地上からなくすことをまず表明すべきである。そして、遅滞なく、核不拡散、核軍縮などのあらゆる措置を講じ、核兵器全面禁止に向けた道筋を歩むべきである」と訴えました。  

長崎市議会 1998-07-09 1998-07-09 長崎市:平成10年各派代表者会 本文

一昨年の国際司法裁判所による核兵器使用違法性についての勧告的意見の発表以来、核兵器廃絶を求める声が世界的に高まり、核兵器廃絶に向けての具体的な提言や声明が相次いで出されました。しかしながら、このような国際世論を踏みにじるかのように、去る5月、インドとパキスタンは二度にわたり地下核実験を実施しました。