四日市市議会 2022-08-08 令和4年8月定例月議会(第8日) 本文
私は昭和56年に、生まれ育った四日市市の市役所の職員として入庁し、市民と共に市政を担ってまいりました。それはとても幸せなことだったというふうに感じております。 平成24年に福祉部長を拝命し、その翌年の機構改革でこども未来部が設立され、初のこども未来部長として、5年間様々な施策に関わってまいりました。
私は昭和56年に、生まれ育った四日市市の市役所の職員として入庁し、市民と共に市政を担ってまいりました。それはとても幸せなことだったというふうに感じております。 平成24年に福祉部長を拝命し、その翌年の機構改革でこども未来部が設立され、初のこども未来部長として、5年間様々な施策に関わってまいりました。
昭和53年に現在地に新築移転したわけですけれども、当初、1日当たりの外来患者数989人でございましたが、昨年度ですと1618人ということで、約1.6倍になっている状況でございます。こういったことから、院内の待合スペースにも余裕がなくなってきておりまして、時間によりましては混雑する箇所も見られます。
伊勢湾や東京湾などの人口、産業の集中等により汚濁が著しい広域的な閉鎖性海域の水質汚濁を防止するために、昭和53年に水質汚濁防止法が改正されまして、水質総量削減制度が導入されました。
本市の花火大会は、昭和61年から現在に至るまで霞ヶ浦地区において開催がされまして、過去には、ナイアガラ、仕掛花火といった今では見られない種類の花火が打ち上げられるなど、長きにわたって市民の皆様に親しまれてきました。
昨日9月26日は、本市四日市で114名の犠牲者を出した、昭和三大台風の一つの伊勢湾台風の献花式が殉難者慰霊という形で執り行われました。そして、東海地域を中心に5000名以上の犠牲者を出した昭和最大の台風ということで、昭和三大台風の一つに数えられております。
施設整備では、昭和53年の移転新築以降、未改修のままである老朽化した配管、配線類をはじめとする機械、電気設備のインフラ更新等に合わせて、薬局、中央検査室、中央放射線室の3部門の改修及び入退院支援部門を設置する施設整備事業について改修工事の実施設計を行いました。
今は、昭和ではありませんので、例えば所有者の反対が出てきたときに、市の伝統文化行事開催にこういう支障が出てくるんではないかというふうに懸念をしております。 実際にこれ反対が出てきても、開催は可能だと考えていらっしゃいますか。 ○議長(世古明君) 産業観光部長。
学校給食は、明治22年、現在の山形県鶴岡市の寺にあった私立小学校で貧しい家庭の子供に無償でおにぎりなどを支給したのが始まりとされており、全国の小学校で完全給食が始まった昭和27年からは70年となりました。 給食の味は大人になってからの味覚や思考を左右するとも言われ、日本人の味覚と食生活を語る上で避けて通れないとも言われています。
これ、ちょっと調べてみたら、昭和45年と比べてみると1.5倍から1.8倍ぐらい、すごい需要が伸びておるという中で、米を作ってももうからないのであれば、本来なら、私はやっぱり思い切って転作していくということも必要じゃないかなとは思うんですが、作物の転換って、非常に難しいとは思うんですけど、こういうことに対して、市としてどのように考えてみえるのかということで、よろしくお願いします。
次に、2)博物館の新たな活用方法についてでございますが、博物館は市民の方々の寄贈を基に、三重県下初の市立美術館として昭和46年に開館いたしました桑名市立文化美術館がその前身でございます。その後、増改築を経て、昭和60年に桑名市博物館として再スタートをいたしました。近年では本多忠勝や村正の展覧会を開催し、県外から多くの来館者にお越しいただくなど、地域文化を発信する施設としても注目を受けております。
そして、昭和34年の伊勢湾台風の被害を伝承する記念碑などについても、桑名市をはじめ、数多く建立されており、我々に自然災害の恐ろしさを警告し続けてくれています。 こうした災害記録などを将来のために伝承していく取組は有意義で、とても大切だと認識しています。
東海地震の地震期では、1854年の安政東海地震の発生から現在まで160年以上にわたり大規模地震が発生していないことから、巨大地震はいつ来てもおかしくない時期に来ておりますが、昭和53年に施行された大規模地震対策特別措置法では、マグニチュード8クラスの大規模地震については、想定震源域周辺に観測網を展開することにより、前兆となる地殻変動を地震発生前に検知できる可能性があるとする当時の科学的知見を踏まえ、
東海地震の地震期では、1854年の安政東海地震の発生から現在まで160年以上にわたり大規模地震が発生していないことから、巨大地震はいつ来てもおかしくない時期に来ておりますが、昭和53年に施行された大規模地震対策特別措置法では、マグニチュード8クラスの大規模地震については、想定震源域周辺に観測網を展開することにより、前兆となる地殻変動を地震発生前に検知できる可能性があるとする当時の科学的知見を踏まえ、
ガイドラインにおきましては、3階以上の鉄筋コンクリート造、または、鉄骨鉄筋コンクリート造を基本としまして、かつ、昭和56年に施行されました新耐震設計基準対応後に建設された建物などといった構造的要件や、海岸線から4km以内、かつ、海抜5m以下の地域に所在する建物といった位置的要件を定めております。
リニア中央新幹線ですが、この事業は、国家プロジェクトとして昭和48年に基本計画が策定されました。その後、平成23年には、全国新幹線鉄道整備法に基づく整備計画が決定され、その中で、国土交通省からJR東海が建設主体として指名され、平成26年から整備が進められております。
4.四日市大学の経緯について 1) 本市では、昭和53年度に、市内桜財産区の一部38haを国土庁の学園計画地ライブラリーに 登録し、昭和56年度の国土庁による学園都市・地区基本計画策定調査以降、専門的・学術 的な観点から、大学設置にかかる調査検討を実施してきた。 2) その中で、理工系学部と文科系学部の双方を擁する、いわゆる総合大学の設置を想定した 調査検討をしてきた経緯がある。
私は、昭和59年に菰野町職員に採用していただきまして、38年間、勤めさせていただきました。その間、委員会あるいは本会議におきまして、私自身としては、真摯に行政課題に取り組ませていただいたつもりではございますが、至らぬ点も多々あったというふうに感じておるところでございます。 そんな中ですね、温かく御指導いただきましたことに関しまして、改めて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
加藤眞毅氏におかれましては、昭和60年に桑名市役所に入庁され、議会事務局次長、議会事務局長などを歴任され、現在は、統括監兼市長公室長兼桑名市教育委員会統括監として市政運営を担ってこられました。行政各般に精通されるとともに、品行方正にして清廉潔白で、教育行政に関しましても識見を有しておられますことから、本市教育長として最適任者であると存じます。よろしく御同意賜りますようお願い申し上げます。
昭和62年に分割民営化になるまでですね、「おまえは赤字の国鉄の息子やからジュース買うな」とか、例えば昔ちょっとしたこうメーカーのついたジャージを着ていると、「そんないいもん着るな」って、よくいじめられました。本当、小さいころは本当に言われましたよ。
古くから多くの観光客が訪れる湯の山温泉ですが、昭和と令和との状況で大きく異なること、その1つは、移動手段ではないでしょうか。御在所ロープウエイが完成した昭和34年、1959年のころは、自家用車というのもなかなか量産が始まっていなかったようなころです。現在、自家用車の普及率は約80%となっており、多くの方が通常の移動手段として、車を選択しています。