鹿児島県議会 2015-12-11 2015-12-11 平成27年総務委員会 本文
147 ◯久保生活・文化課長 種子島の広田遺跡につきましては、私どもが聞いているところでは、昭和三十年当時に台風で、南種子町の広田地区で発見された遺跡のようでして、その発掘調査された、弥生時代から古墳時代にかけての非常に数少ない埋葬遺跡だということです。
147 ◯久保生活・文化課長 種子島の広田遺跡につきましては、私どもが聞いているところでは、昭和三十年当時に台風で、南種子町の広田地区で発見された遺跡のようでして、その発掘調査された、弥生時代から古墳時代にかけての非常に数少ない埋葬遺跡だということです。
九州最大規模の方形周溝墓は、当時貴重であった水銀朱で石棺の内側が真っ赤に塗られ、埋葬された二人の幼児の人骨とともに、碧玉製管玉六個、めのう製なつめ玉一個、足元には刀子と言われる刀が置かれていました。さらに、多くの竪穴式住居跡とともに、玉つくり工房の存在が明らかとなり、水晶や石英、碧玉など実に一万五千点以上を数えるチップが発見されています。
一方、墓地需要については、従来、遺骨は墓地へ埋葬されるものと見込んでおりましたが、自宅に置いておきたいと考える方が相当いらっしゃることが分かりました。
「日本軍は少なくとも5,000人を射殺し、その大半は埋葬の手間を省くため川岸で実行された」駐華ドイツ大使館の報告第113号に添付、などとしています。 当時の兵士たちは虐殺を書きとめています。砲兵伍長として参戦していた永井仁左右さんは、「城壁の隅に多数押し込め鉄条網を張り機関銃で射殺し、なおまた石油をかけて焼殺した隊もあった」と、このように回想録で述べておられます。
貝塚の廃棄域には墓域も含まれ、ここから縄文時代前期としては全国最多となる91体の埋葬人骨が出土しました。このほか、木製品や骨角器など残りにくい有機質の遺物が非常に良好な状態で出土いたしました。
次に、発災後一番必要となるのが、被害者の遺体検案・安置所と仮埋葬の候補地でしょう。岩手、宮城両県でお話を聞いた際にも、とりわけ仮埋葬地の確保に御苦労されたとのお話でした。高知市は現状でも火葬場が不足しており、発災後は確実に仮埋葬地が必要になると思います。
この遺跡は1961年に、当時中学1年生であった竹口義照さんが発見し、当初、1万2,000年前と言われていたのが、その後の調査で1万4,500年前までさかのぼるおびただしい出土品が発掘され、人骨28体、そばに埋葬された犬としては日本最古の犬が丁重に葬られ、土器、石器など世界的にも注目されるものですが、その多くが県外に持ち去られたままになっています。
また、寺戸大塚古墳は先月の11月21日に、「ほとんどの副葬品が埋葬された当時のまま出土し、当時の葬送儀礼を考える上で貴重な事例」として国の文化審議会が史跡に指定するように答申されました。これら前期古墳群の系譜は、大和政権成立と社会構造を考える上で重要な位置を占めていると言われておりますし、中期から後期前半には前方後円墳と考えられる古墳が、丘陵裾部から低位段丘上につくられました。
都は、これまで国に対し、一刻も早い遺骨収集帰還に向け、具体的な情報がある埋葬箇所について、速やかに調査、探索、収容を進めることや、関係省庁等の協力を得ながら、遺骨収集帰還に向けた手だてを尽くすことを提案要求してまいりました。 今後、国は、滑走路地区や外周道路の外側等、これまで調査が不十分であった地域の調査を進めていくとしており、都は引き続き、遺骨収集の促進を国に対し働きかけてまいります。
また、孫文先生が埋葬されている中山陵では、途中の廟に刻印されている博愛、天下為公--天下は公のために--の文字が目に飛び込んでまいりました。政治家の端くれといたしまして、百年を過ぎた今でも光芒を放つ戒めとして胸に突き刺さりました。多くの南京市民が訪れておられ、その精神的支柱としての存在の大きさをかいま見た思いであります。
また、歴代城主が亡くなれば、現在の愛知県幸田町の本光寺の松平墓所に必ず埋葬するという、極めてまれな埋葬がなされております。 第2代の忠雄公の墓の修復のためと記録保存のために発掘調査が行われております。その中に、多くの宝物に混じって、1599年という年号を書いたギヤマンのコップが見つかっております。このことは、やはりオランダ貿易の監視役としての証拠であろうかというふうに思うわけであります。
○(薬務衛生課長) 委員のおっしゃるとおり東日本大震災におきましては、犠牲者を他県へ搬送しての火葬、それから仮埋葬してから火葬をするといった対応で非常に混乱がございました。
1,避難所及び応急仮設住宅の供与,2,炊き出しその他による食品の給与及び飲料水の供給,3,被服,寝具その他の生活必需品の給与または貸与,4,医療及び助産,5,被災者の救出,6,被災した住宅の応急修理,7,生業に必要な資金,器具または資料の給与または貸与,8,学用品の給与,9,埋葬,10,前各号に規定するもののほか,政令で定めるものと規定されており,種類として10項目あります。
〔警察本部長砂川俊哉君登壇〕 ◎警察本部長(砂川俊哉君) 初めに、災害時の身元確認関係についてですが、県の地域防災計画におきましては、遺体等の捜索・処理・埋葬計画の中で実施主体である市町村が所轄警察署及び関係機関に連絡し、遺体の身元確認を行うものとするとされておりまして、歯科医師会はここでいう関係機関に位置づけております。
しかしながら移転候補地が決まった際には、墓地埋葬等に関する法律等がございまして、移転先での周辺の同意が必要になってくることがございまして、現実としては困難を極めている状況でございます。 それから、事例でございますけれど、大規模な河川改修に伴い移転をしておりますが、近年では、春日川の激特事業でございますけれど、これは由良町での川久保墓地を移転してございます。
一般質問でも触れましたが、私の地元の小竹貝塚の埋葬人骨の調査について、埋蔵文化財センター等でお話を聞いてまいりました。実は、小竹の埋葬人骨が、今、国の博物館のほうで調査しているんですが、来年度返ってくる。これはなぜかというと、この調査が新幹線予算で行われているということなんです。教育委員会では、平成26年度までしか予算がついていないので、富山県に一旦返ってくるということをお聞きしました。
現在、県では墓地、埋葬等に関する法律に基づき管理型の行政が行われていますが、これからは支援型の行政も必要であると思います。今後、集落墓地の管理状況の調査や対策の必要性について検討を進めるべきと考えますが、所見を伺います。 質問の3点目は、若干、野田議員とも重なる部分がございます。観光行政についてであります。 最近、新聞で気になる記事を読みました。
◆大沢幸一 議員 もう時間が詰まってまいりましたけども、実は、自治研という小冊子の中に葉上太郎という地方自治ジャーナリストが寄稿した「仮埋葬。泥から抱きかかえて遺体を掘り起こした」という記事に遭遇いたしました。これを読んでいるうちに想像をはるかに超えたすさまじい事実を思い知らされたところでございます。
宝暦治水につきましては、黎明館において、木曽川治水をテーマに平田靱負の像や佩刀を初め、幕府の工事命令書や藩士の埋葬証文等の資料を常設展示し、難工事に立ち向かった先人たちの偉業と功績に対し、多くの人々の理解と認識が深まるよう努めているところでございます。
小竹貝塚と埋葬人骨の価値を県内外に広く発信するものとして、新幹線開業も見据え、首都圏からも多くの方が訪れる展示施設の整備を進めてはどうかと考えます。 来年度富山県に戻ってくる小竹貝塚の埋葬人骨について、その保管及び活用について準備、検討を始めるべきと考えますが、教育長の御所見をお伺いします。 最後になります。