那須塩原市議会 2024-06-28 06月28日-07号
私は那須塩原全体でありますが、それぞれの地域から御支援賜っている政治家ということでございます。地域の皆さんのお声を、しっかりと執行部に対しても言う、そうしたことは私も理解はしておりますし、また、執行部だけでは見えないところも多々あるかと思います。役所には言いづらい、市長には言いづらい、だからちょっと言ってくれないか、そうしたお声もある。
私は那須塩原全体でありますが、それぞれの地域から御支援賜っている政治家ということでございます。地域の皆さんのお声を、しっかりと執行部に対しても言う、そうしたことは私も理解はしておりますし、また、執行部だけでは見えないところも多々あるかと思います。役所には言いづらい、市長には言いづらい、だからちょっと言ってくれないか、そうしたお声もある。
ちょっと全国のいろんな自治体に関わっている方、政治家、みんながびっくりしたと思うのですが、まずこの市は、このレポートについてどのようにお考えなのかお伺いをいたします。 また、(2)として、増田レポートが公表された翌年の平成27年に策定された大田原市人口ビジョンでは令和8年の人口推計を7万2,400人としていますが、本年4月1日の人口では45年ぶりに7万人を割り込んだとあります。
市長の政治家としての一丁目一番地と言える政策ではないかと思われ、議事録を通し、何としても中活を実現したいとの強い思いがひしひしと伝わってまいりました。それでは、前振りはこれぐらいにして、本題に入ります。 平成28年3月に策定された中心市街地総合再生基本計画も令和7年3月で10年が経過いたします。そこで、改めてではありますが、(1)、中心市街地の活性化についての考えを伺います。
私も政治家ですし、市議会の皆さんも政治家で、やっぱりその地域、地元をしょっておられるということで、私個人としてはすごい理解しますし、逆にちょっと板挟みになっちゃっている部分はあるんだろうなという、「おまえ、ちゃんと美知太郎に言ったのか」とか恐らく言われているところもあると思うので仕方がないのかなという部分はありますし、私が御迷惑をかけている部分もありますので、そこは申し訳ないと思っております。
これは鈴木議員のときの質問にもございましたけれども、やはり議員さん大先輩ですけれども、公人ですからやっぱりちょっと誤解を生むような発言を、やはり調査なくして発言なしと我々政治家は言われますので、ちょっとやはりそれはあまり誤解を生じないような御発言をされたほうが、よろしいのとかいったらあれかもしれませんけれども、一応私としてもちょっとまずちゃんときちんと説明をさせてほしいと思っております。
いていたんですが、財政の話になった瞬間、風向きが変わったなと思って、議員がお金の話をした瞬間に、これはと思いながら聞いておりましたけれども、本当に那須塩原市議会は大変教育に御理解があるので、いつも教育長頑張れみたいな感じで、こちら市長、副市長はいつもちょっと気まずいなという立場で聞いてはおるんですけれども、本当に教育は、私も迷うというか、私自身が民間教育ですけれども学習塾などにおりましたので、ちょっと政治家
平成3年に市議会議員に初当選された相馬市長の政治家としての生活は、まさに少子化対策との戦いでもあったわけでして、もしかしたらこの無力感にさいなまれて給食費の公費補助の一律廃止という予算を提出されたのかもしれませんが、諦めず打てる手は全部打つ、総力を挙げて少子化対策に取り組んでいただきたいと思います。
ほとんどがいわゆる政治家であったり、高級官僚であったり、財閥企業の重役ですね。あと大学教授であったり、銀行の頭取であったり、いわゆる社会的に重要な地位を占める人がごろごろいるというか。当然その女のお子さんも嫁ぎ先はそういう方でしょうから、そういった門閥、閨閥というんですか、物すごいネットワークというか、いわゆる華麗なる一族なんですよね。
人柄が信頼できる方と答えましたが、実はプラスアルファとして、政治家としての決断力、実行力があると確信していたからであります。 12月15日の髙瀨議員の一般質問の中で、市長の市政に対する基本方針についてのやり取りがありました。その中で、市長はこんなすばらしい発言をされました。私はこの発言を聞いて非常に感動を覚えました。市長、覚えておりますか。それはこんな発言です。
政治家として、市長にもやはり同じことをお伺いしたいんですが、市長はこのことに関していかがお考えかお伺いいたします。 ○議長(山形紀弘議員) 答弁を求めます。 市長。
をするとか、あるいは戦地に残された人たち、満州に置き去りにされてきた一般市民、女性なんかもそうですし、中国残留孤児なんていうのもありましたし、やっぱり何か本当の意味でまだあのときの戦争の総括って行われていないんじゃないかと僕は思っていまして、単に何か戦争はよくないとか軍隊は持たないようにしようとかそういう話じゃなくて、盧溝橋事件とかそういったところから始まった満州事変から、ずるずると軍がしてきた戦争を政治家
くしくも、私も今年政治家になって10年目なんですけれども、議員を10年、20年続けるというのは、並大抵のことではないと思います。多くの方の支援があって続けられる。私も皆様もそれぞれ多くの方々の負託をいただいて、責任をしょってこの場に来ておるわけであります。特に、市議会議員の場合は候補者が非常に多いと。
常々私もそのような政治家でありたいと願っております。 また、4年前を思い起こしました。市長の昨日の御挨拶伺った中で、私も市長と同じ日にくしくも議員として歩みを始めております。そういった中で、今議長席にお座りの山形議長が、当時2番の席にお座りで、私1番ということで、質問する際も緊張した中にもいろいろとアドバイスをいただきました。
我々政治家だって自己保身していますよ。 本当は、何とも、「もしかしたら、コロナウイルス、大丈夫なんじゃないか」って思っている人もいるかもしれない。
市長は慶應義塾大学の文学部を卒業ということで、そして、その後、政治家になられて、政治家というと、やはり言葉という部分をすごく大切にされてきているのかなというふうに考えているんですけれども、この国語教育、国語力の向上というものに対しての市長の考えも一言お聞かせいただければと思いますが、いかがでしょうか。 ○議長(松田寛人議員) 答弁を求めます。 市長。
私も3年前、政治家を目指すときに、その信条を「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」として、自身の言動が、この信条からはずれていないか、常に意識しながら、これまで仕事をしてまいりました。 このトルストイの格言が、平和宣言で読まれたことは、私にとって特別なものを感じました。 また、この1年間、総務常任委員会委員長として、広島平和記念式典派遣事業に携わらせていただきました。
泉市長が、これ公に出ている情報ですけれども、何で今、政治家やっているのかというと、要は社会に対する恨みだと言うんです。すごいなと思ったんですよ。 何でかというと、何かちょっとうろ覚えですけれども、家族、兄弟か何か障害者がいて、すごく自分の育った社会が冷淡だったと、やっぱりその社会に対する恨みがあると言っていて、恨みだったか、憎しみだったか忘れちゃったんだけれども、すごいなと思いました。
それで、今、本当に戦争を知らない人たちがどんどん政治家の中でも増えていますけれども、増えてきているということで、戦争体験の風化ということが言われています。 そういう意味では、その戦争体験を語り継いでいくというのは、やっぱり平和行政の中での大きな一つなのだろうというふうに思うのですね。
結構重要で、特にオーナー企業、創業者がつくった企業は結構、何か御先祖様がそこだからとか、結構地縁で工場を建てる人がいまして、那須塩原も私が知っているのは2か所ぐらい、この間行った、部長が行ったところもそうなんですけれども、今言っていたところもそこは何か創業者の会長さんがここの地域に何か御縁があるとかで、結構何かそういった人的な要素というのはばかにできないなというのを感じていまして、今まで結構私個人で、政治家
行政だけだと責任問題になっちゃうので、そこで私自身が個人的な責任を負うと、政治家として責任を負うというスタンスで、恐らくこうなりそうですとか、このように考えていますとか、私はこう思うとか、やっぱり自分の考えていることをできる限り、もちろんなかなか余計なことを言うなとか、いろいろな意見ありましたけれども、なるべく何を考えているのかとか、どうなりそうだというのも、かなり当時はまめにやっていた気がしますね