一、不必要な
肉体的接触──触れたりあるいはたたいたりすること。
二、容姿に関するそれとない歓迎されない批評、冗談、意見及び意図的な言葉による侮蔑。
三、色情あらわな侮辱的な誘いかけを行うこと。
四、ポルノ的な写真などを職場で使用すること。
五、性的な行為を要求すること。
六、肉体的な攻撃。
というふうに列挙されております。
ともあれ、女性であるがゆえに受ける
嫌がらせは今に始まったことではなく、これだけ男女平等が叫ばれています今日でさえ、さも当然のように起こっています。悲しいことですが、どこにでもある普遍的な出来事であります。このことは、男性は強くて攻撃的、女性は弱くて受け身的という性規範、こういう社会的な観念を植えつけられているということにほかなりません。
セクハラを受けても、「あなたが派手だから」とか、「すきがあったから」とか、「そんなところに一人でいたから」とか、通常女の人でさえ原因をその人のせいにしようとします。だれかに訴えようとすると、「あなたの恥よ」とか、「職場にいづらくなるわよ」とか、そしてあげくは、「そのくらい我慢しなくちゃ」と。ある女性の方がどこに相談しようもなく
家庭裁判所に持ち込んだら、女性の調停員の方が、「言われているうちが花よ」と言われ、さして問題にされなかったといいます。よしんば訴え出られても、事件が明るみに出ると被害者の方が陰湿な
嫌がらせや脅迫を受ける始末です。事実、私も今回の出来事が報道されて以来、ほとんど毎日のように
嫌がらせや誹謗、脅迫の電話がかかってきました。
去る十一月行われました「
セクハラを考える
シンポジウム」の開催前夜と当日の朝には、「
シンポジウムに参加すれば命はないものと思え」と、悪質きわまりない脅迫の電話もありました。
嫌がらせを受けた本人にどうしてこんな攻撃をかけるのでしょうか。弱い立場の女性が
嫌がらせを受け、そのことが表面に出ると誹謗や脅迫が相次ぐ、こんなことがあっていいのでしょうか。これは何か間違っています。こうした性差別について
田尻市長さんはどのような御見解をお持ちか、率直な御意見をお聞きしたく存じます。よろしくお願いいたします。
〔市長
田尻靖幹君 登壇〕
◎市長(
田尻靖幹君)
北口議員にお答えをいたしたいと思います。
その前に、去る四月の
統一選挙におきまして歴史と伝統に輝く我が
熊本市議会に籍を置かれまして、まことにおめでたく、心から敬意を表する次第でございます。
ただいまお尋ねの件でございますが、
北口議員御案内のとおりに、隣国の中国には「女性は天の半分を支えている」という言葉がございます。女性と男性が互いに信頼し責任も義務も、ともに社会を支え合うと、これが私は社会の基本であるというふうに考えております。男女平等は両性が互いに尊重し合い一人一人を人間として大事にすることが基本でありまして、
日本国憲法には法のもとの平等ということが明記されているわけでございます。しかしながら今
北口議員仰せのように、まだまだ我が国の現在の社会におきましてはまことに平等でない分野が見られるわけでございまして、私はこのようなことが二十一世紀を目指す我が国、そしてまた我が
ふるさとにとってまことに不幸なことであると、このように考えて、この問題につきましては特に全力を挙げて取り組んでいきたいと、就任以来この五年間全力を挙げて取り組ませていただいたわけでございます。そして人生にとって最も大事な文化、教育、あるいは福祉、健康、こういう大事な問題を男性と女性が一体となって、お互いに理解しながら、新しい時代、そしてまた新
熊本構想が目指します人間性あふれるいわゆる
ヒューマンシティーの実現に努力していきたいと、かように考えている次第でございます。
私は昭和六十一年の十二月に二十五代目の市政を担当いたしたわけでありますが、翌年の六十二年の四月には
婦人生活課を新設いたしました。当時はまだ全国的にもこの
婦人生活課は珍しい時代でもございました。そこで私は、特に今
北口議員御指摘のような問題につきまして、いわゆる解決の視点、あるいはまた男女平等の視点と、こういうことを市役所の中で、その部門を通じて推進していかなければならないとかたく決意をいたしまして、あわせて
女子職員の登用に全力を挙げたわけでございまして、今日特に女性にとって非常に身近な水の問題等につきましては、既に
担当部長として
大変活躍をしておられるわけでございます。
次にまた
各界各層から成る有識者による
女性問題懇話会を開催いたしまして、市制百周年記念の事業といたしまして、この百年の歴史を男性と女性がともに支えてきたと、そういうことを考えますときに、ぜひとも
総合婦人会館を建設したいと議会にお諮りをいたしたわけであります。議会におきましても満場一致この問題に合意をいただきまして、ともどもに協力しながら今日
総合婦人会館・
カルチャーセンターの建設を見たわけでございまして、この点につきましては
議員各位に対しまして心からの感謝を申し上げます。この
総合婦人会館は非常に多くの市民の皆様方に利用されているところであります。開設一年半の今日でありますけれども、その利用者は既に二十八万人を超えておりまして、男性が四割、女性が六割と。このような実情を考えますときに、男性と女性が一体となった社会をつくっていこうと、そういう
共同社会建設への胎動が今ようやく始まっているということを私は深く認識をいたしているところでございます。太陽のもとは明るく母のそばは温かい、こういう言葉がございますが、私は今後女性の方々と一体となりまして温かい人間性あふれる我が
ふるさとの建設に全力を挙げてまいりたいと、かように考える次第であります。
〔六番
北口和皇君 登壇〕
◆六番(
北口和皇君) どうもありがとうございます。
セクハラが決して個人的な特異な出来事ではなく、多くの女性が経験している社会的な問題であることを明らかにするために、三日、市役所を初め県庁、農協、
民間企業数十社で働く女性一千五百人を対象に、私が直接手渡して
セクハラアンケートをいたしました。回収一千二百枚、
アンケートは現在集計中ですが、これまでまとめました結果を簡単に御報告申し上げたいと思います。
「
性的嫌がらせを受けたことがありますか」という質問には九割以上の人が「はい」と答えています。その内容としまして、女なんか口出すな、女の出しゃばる場ではない、女に仕事は任せられない、そういうようなことを言われたり、そういう態度をされた。しつこくデートや飲食などに誘われたことがある。おしり、胸、背中など体をさわられたり抱きつかれたことがある。
性的関係を含むつき合いを強要されたことがある。出張の際、お酒の席で無理やり隣に座らせられたり、お酌をさせられたり、たばこの火をつけさせられたことがあるなど、日常的に
嫌がらせが行われていることをうかがわせています。またびっくりしたことに、上司から送っていってあげると言われて乱暴され妊娠、中絶を経験したという告白もありました。「そのときあなたの心や体はどういう変化がありましたか」という質問には、職場に行くのが嫌になったとか、食欲不振とか、
ノイローゼぎみになったという回答が多く、同じ女性として身につまされる思いがしました。「
性的嫌がらせを受けたとき、どんなことが女性にとって必要だと思いますか」という質問に対し、
一、公的な
相談窓口が拡充されること、八八%。
二、
性的嫌がらせに対し
社会的認識が広がること、九二%。
やはり女性は言っていく場所がないということを改めて痛感いたしました。そうした人たちに対する救済や的確な処置を図るためにも、そして
セクハラ防止のためにも、
相談窓口か対策室を設置すべきだと存じますが、いかがなものでしょうか。
私は先般、この
一般質問のため
東京都庁に出向きました折、そうした相談と対策を
東京都庁内の
労働経済局労生部労働組合課という部署が
セクシュアル・ハラスメントとして担当しておられました。七人の弁護士がスタンバイしておられました。
都議会議員三井まり子さんのお話を三時間ほど伺いまして、
セクシュアル・ハラスメント相談窓口の担当であります
金子係長の説明も受けてきました。資料をいただいてまいったのですが、その資料、平成二年六月十九日発行の「平成元
年度労働相談に見る
女性相談の傾向について」の中で、
セクハラ相談の特徴として次のような項目がございました。
相談総数は年間三百七十三件、内容としましては、望まない
性的行動を仕掛けられた、または望まない性的な誘いを受けるといった、いわゆる強姦及び
強姦まがいの相談といった直接的なものが三百二十四件の八六・九%、そして結果は、自己退職した、退職せざるを得なくなったといった極めて深刻なケースが多いと指摘されております。さらに、加害者として自分の勤め先の上司が二百八十一件七九・八%で圧倒的です。資料はその他、形態、結果、
具体的事例など、かなり綿密に記されており、その切実さがひしと伝わってまいります。
福岡市役所にも行ってまいりましたが、福岡市が出資した
財団法人福岡市
女性センター(
通称アミカス)では
女性相談室が設けられており、
女性弁護士が
女性問題全般にわたって相談に乗っております。日曜日も開設されており、相談員が五名対応していらっしゃいました。熊本でもこのような積極的な
取り組みが必要ではないかと存じますが、いかがでございましょうか。
幸い熊本には
総合婦人会館という立派な施設があって、図書室も設けられております。女性の
意識高揚のためかなり御尽力していらっしゃいます。この
センター内に、女性のもしかのときに、
金銭的心配はなくして駆け込める専門家を常駐した
相談窓口づくり、いわゆる
セクハラ一一〇番をぜひ熊本市にも設置していただきたいと願うものです。全女性の
アンケートに込められた切なる願いを代弁させていただいております。
田尻市長、お耳に届きましたでしょうか。願いを込めて御所見を伺いたく思います。
〔市長
田尻靖幹君 登壇〕
◎市長(
田尻靖幹君)
北口議員にお答えをいたしたいと思います。
ただいま
セクハラの問題につきましては、東京都あるいはまた福岡市の実例をお挙げになっての御見解でございましたが、先ほど申し上げましたように、
総合婦人会館におきましても既に御案内のとおりの相談室をつくっておりまして、いろいろ多くの方の御相談を受けているわけでございまして、その成果は見るべきものがあるというふうに私は判断をいたしております。そのほか本庁内に
市民相談課、あるいはまた市民局の
障害福祉課などにもその窓口を置いておりまして、女性の方々の生き方あるいはまた女性問題の解決のための相談、
人権相談、
福祉相談、それぞれの分野に応じまして広く市民の皆様の御相談に応じているところであります。
特に、
社会福祉事業団の
母子福祉センターにおきましては
平成元年十一月から、もう二年前でありますけれども、専門の女性の弁護士の方においでいただきまして、常設でありますけれども、
母子福祉の問題を含めまして広く女性問題の御相談に応じておりまして、大変な成果を上げているわけでございます。今後、私どもはただいまの御趣旨に従いまして総合的に、窓口がそれぞれ連携をとりながら、しかも専門的な知識を持つ相談員の配置を含めまして
相談窓口の設置を検討してまいりたいと、かように考える次第であります。
〔六番
北口和皇君 登壇〕
◆六番(
北口和皇君) 前向きな姿勢で取り組んでいただけるというありがたいお言葉をちょうだいいたしました。しかしながら、
市民相談窓口におきましての
セクハラの相談というのはまだ一件もないということでございます。ぜひとも女性のためのそういった
窓口づくりというのをここでお願いいたして、次に移りたいと思います。よろしくお願いいたします。
「
元始女性は太陽であった」と言ったのは
平塚雷鳥です。古代、女であることがかなり有利で女権が強かったと言います。一万年から四千年前の
縄文時代、女性をかたどった土偶がたくさんつくられています。これは生命という人類の根源の祈りを造形したもので、母なるものの象徴でした。つまり生命を産み育て、豊かな食糧や水を与える
豊穣多産の象徴であったのです。
狩猟時代から
農耕時代へと時が変わりますと、
金属文化が伝承し、
政治権力が波及し始めます。
日本国内には小さな国がたくさんでき内乱が相次ぎました。それを静めたのが
耶馬台国の卑弥呼です。卑弥呼は国と国を統合し女王として統治しました。卑弥呼の死後、後を継いだのが壱与という女性です。この二人の女王の百年間、国内は安定し、平和が続いたのですが、その後再び男性が王権を握ると、また国内は混乱に陥ってしまいます。このころの婚姻は
夫婦別居が原則でした。
五百九十二年(
推古元年)、推古天皇という女帝があらわれます。以来、
奈良時代の聖徳天皇までの百七十二年間に七代もの女帝が天皇の座につくという女帝の時代を迎えました。
平安時代は王朝貴族の時代です。御存じのように紫式部、和泉式部、小野小町などを輩出し、女流文学が花開いた時代でもあります。結婚の形態は、この
平安時代から次の
鎌倉中期まで
婿取り婚に変わっていきます。夫は妻の家に住みつくことになるのです。女性の権利は、財産権はもちろんのこと家督権も認められ、平安期までは地頭職をも継いだ女性がいるという記録が残っています。
このように平安期までの女性は権利も守られ、家督権もあり、
社会的地位も結構高いものでした。ところが
鎌倉時代になると様相が一変します。武士の台頭によって力関係の社会となります。それに伴って婚姻は
嫁入り婚となり、女性は家にいることが義務づけられ自由を束縛されていきます。特に、需教思想を重んじる
江戸時代には
幕藩体制の
封建社会となり女性の地位は極端に低くなります。女性は女らしくておとなしく、けなげで夫のため身を尽くすことが美徳とされ、未婚のうちは父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う、いわゆる三従道を強いられました。明治二十二年に発布された
大日本帝国憲法では──女性とは無関係なところで制定されましたので、女性の権利は女性であることを理由として認められませんでした。これが一連の
女性解放運動に対する国家の回答でありました。女性は、家の存続のためにすべてを犠牲とすることが女の鏡とたたえられたのです。
こうした制度化された社会に反旗を翻したのが
平塚雷鳥であり、山川菊栄であり、
市川房枝でありました。
市川房枝は、自分の母が女ゆえに耐え忍ぶ姿に心を痛め、
女性解放、
権利獲得のために立ち上がりました。熊本でもこの時期、女学校を設立した竹崎順子、
海老名みやこ、
徳冨愛子、嘉悦孝子、戸次久など数多くの
女性運動家を見、大宅壮一をして肥後の猛婦とたたえられました。しかし、こうした血の叫びのような運動も、日本の国家が崩壊寸前となった太平洋戦争が終結するまでは日の目を見ることはできませんでした。戦後、日本は新しい
民主憲法のもと自由と平等が叫ばれ、やっと男女平等、
人権尊重が保障されました。
でも、それから四十数年、本当に男女は平等になったのでしょうか。人権は尊重されているのでしょうか。
売春禁止法は名前だけで、あの手この手の性産業が幅をきかし、
男性雑誌には女性の裸体があふれ、いまだ女性は性の道具として扱われております。先ほど冒頭でも申し上げましたように、これでは、形の上では保障されていても観念の上ではまだまだ性差別は、女性の
人権無視はなくなっていない証拠であります。つまり男性方にまだ封建的な男性優位の観念を引きずっていないかということです。だとしたらもうここらあたりで意識の改革をしてほしいのです。
私がただいま長々と
日本女性の歴史をさかのぼってみましたのは、そもそも女性はそんなに弱い立場ではなかった、いやむしろとうとい存在であった、生命を産み育てるという女性の存在がどんなに神格的でとうといものであったか、そしてそのことを敬うことが生命体の一つである人間として当然であること。歴史はそれを証明しました。
縄文時代から数えて一万二千年、その間女性が虐げられたのは鎌倉以降、それも
封建社会が確立された江戸から明治を経て新
憲法発布までおよそ三百五十年間だけです。一万二千年の中のたった三百五十年。気の遠くなるような長い歴史から見ればほんの一瞬ではありませんか。このほんの一瞬で培われた男性の女性への偏見が、高度化した現代の社会にもいまだに根づいていること自体が理不尽であります。
明治期の
女性運動家たちは、自由が束縛された女性の解放と
人権獲得のために立ち上がりました。そして今私
たち平成の女性は、
男女平等社会の建設と、その根底で邪魔する性差別の観念を払拭するために立ち上がらなければなりません。しかしその実を結集するには行政側の御理解と御協力が必要不可欠であることは申すまでもございません。
ヒューマンシティーくまもとを掲げ、
人間性回復を重要視した政策を目指しておられます
田尻市長には日ごろから尊敬の念を抱いておりますが、特にこの幾多の女性史問題にどう対処されていく御所存か、御所見とその施策を逐次承っていきたいと存じます。女性の
地位向上のためにどのような方策を講じておられるのか、その辺から御披露いただければ幸いです。
また、昭和六十二年第二回定例会において当時の
企画広報部長は、
婦人行政の今後の
取り組みについて、例えば熊本市
女性プランみたいなものを将来的には策定し、平等、発展、平和を具体化するための施策を推進していきたいと述べられました。そしてその課題として、女性の地位の向上に向けての情報の提供と意識の啓発、市民の
意識実態調査、さらには
男女共同参加型の
社会的機運をつくり出すための
啓発広報活動などを続けたい、そのためには一定の準備期間をもらいたいと行政側の方針を述べられております。それから既に三年半、その後どう活動されどうなったのか、
企画調整局長さんにその一つずつを御報告いただきたいと存じます。
〔企画調整部長 徳田勝比古君 登壇〕
◎企画調整部長(徳田勝比古君) 女性行政につきましての、特に女性の
地位向上に対して今後どのような施策を展開するのかということであろうと思います。
まず、現在私どもといたしましては、二十一世紀に向けての
男女共同参加社会の実現を目指しまして熊本市
女性プランの素案を現在つくっております。まだ素案の段階ではございますが、その内容につきましては、自立、協力し、ともに支え合える
男女共同参加社会を築くというのが目的になっているわけでございます。さらに、その素案の中には、まず目標の第一といたしまして
男女共同参加社会を目指す意識づくりということを掲げております。その課題が幾つかございますが、特に課題の第四には、性と生命とそして心の教育という課題を掲げております。この中で特に性に関します問題につきましては、性の商品化、性犯罪、
性的嫌がらせなど新たな社会問題として出てきた問題につきまして、社会情勢の変化過程におきましてともに心身の成長過程に応じた性的知識を身につけ、人間尊重の精神と健全な異性観を育成するため、学校、家庭、社会、あらゆる場を通じまして性に関する指導、充実を図ることが大切であると、このようにいたしております。さらに、社会的な条件整備という目標を目標の三に掲げております。特にその中では女性を取り巻くいろいろな御相談の充実につきましても掲げておるところでございます。特に、六十三年の三月に
各界各層有識者から成る熊本市
女性問題懇話会を設置いたしたわけでございますが、これにつきまして一年余の時間がございましたが、平成二年の一月に二十一世紀
男女共同参加社会の実現を目指してという答申をいただいたわけでございます。その懇話会にもいろいろ御意見をちょうだいし、今まとめをいたしておるところでございます。スケジュール的には、今年度中にはそのまとめをしたいというふうに考えているところでございます。
また、三年半前でございますか、当時の
企画広報部長が、いろいろな啓発についての時間が欲しいという、御質問であったかと思いますが、これにつきましては先ほど市長が御答弁申し上げました六十二年の四月に
婦人生活課という組織を設置いたしたわけでございますが、それから十月には女性に関する市民意識の調査を実施いたしました。そして同年十一月には自主グループ登録制度というものを設けまして、現在では百七のグループが登録をされております。その中で婦人問題の討議あるいはいろいろな連携を図っておるところでございます。
さらに、啓発の点を申し上げますと、六十三年の一月にはくまもと女性フォーラム’88を開催し、また
平成元年の二月にはその二回目としてくまもと女性フォーラム’91を開催いたしております。またこの年には女性に関する生活実態調査も実施をいたしております。さらに、平成二年の十月には、本市の呼びかけによりまして全国十四の都市の女性行政の担当者の方々お集まりいただきまして、第一回の女性問題全国都市会議を開催させていただきました。これも
総合婦人会館・
カルチャーセンターで催したものでございます。また、平成三年の三月には第三回目のくまもと女性フォーラム’91を開催いたしております。そういったことで女性の啓発をやってきたわけでございますが、今後の問題といたしまして啓発だけを取り上げてみますと、まずは意識の改革ということが必要であろうというふうに考えております。特にその施設的な面から申し上げますと、現在市内に公民館が十六カ所あるわけでございますが、こういったところは関係部局と協議をしながら、地域講座の中でも啓発を進めてみたいと思っておりますし、さらに企業向けの研修といたしましては、そういった啓発の資料をつくりまして市内の各企業に御協力を願いたい旨の文書なども添えまして啓発を進めてみたいというふうに考えておるところでございます。これまでの経過あるいは施策の内容、啓発の事業につきまして、以上でございます。
〔六番
北口和皇君 登壇〕
◆六番(
北口和皇君) 今までに随分御努力なさっていただいたことは十分認めさせていただきます。しかしながら
アンケートの結果として、やはり普遍的に九割以上の女性がこうした
嫌がらせを受けたという結果が出ている以上、やはり意識がまだまだそういう状態であるという結果でございます。今後ともますます御努力いただきますことをお願いいたしておきます。
このたびの台風十九号で大きな被害を受けられた農家の皆様に心よりお見舞い申し上げます。旧四町を視察させていただきましたが、余りの被害の大きさに驚き、共済組合などにお願いいたしたところでございます。人間にとって一番大事な食を賄う農家の衰退は私たちの
ふるさとをなくすことです。農業は未来永劫守り育てていかなければならないものです。そのためには後継者の育成と確保が大事な問題ですが、その後継者の育成と確保、ここに嫁不足という深刻な問題に直面しています。
セクハラアンケートの中に「農家の娘ですが、自分の母親を見ていると農家には嫁ぎたくない。」と答えています。その理由として、人一倍働かされる上に男尊女卑が強く残っている。その上、嫁・姑の関係が大変というわけです。確かに農村に行くほど封建性の風習が強く残っています。旧四町の合併により熊本市の農家もおのずと増加したことになりますが、一人一人の意識の問題とはいえこうした因襲がはびこっている限り農家の存続も危ぶまれます。行政においてこのような農家の現状にどう対処されるのか御所見をお願いいたします。産業局長、お願いいたします。
〔産業局長 竈 啓一郎君 登壇〕
◎産業局長(竈啓一郎君) 今回の台風被害の状況というものを引用いただきまして、今後継者、特に若い後継者がこういった被害状況の中で、いわゆる将来に対します営農意欲と言いますか、そういったものまで非常に心配されている農政の現状というものを私どもも肌身で感じているわけでございますが、その中で後継者の花嫁対策、ただいま
アンケートの調査結果の中でも触れられましたように、農家出身の女性が、日ごろ苦労されております母親の姿を見まして農家に嫁ぎたくないと、また親の立場からいたしましても、娘は農家に嫁がせたくないということは農家意識の実態であるというふうに私どもも認識しているわけでございます。
また、さきに県が実施いたしました農家婦人の農家に対します意識調査といいますか、その中で、労働が過重であると、あるいは自由になる時間とお金が欲しいと、さらに、生活環境の改善など多くの問題が提起されているわけであります。しかしながらこういった中におきましても、昨年実施されました農林業センサスを見てまいりますと、農業就業人口のうち五四%は女性でございまして、農業の担い手となっている状況でございます。
本市におきましてはこれまでも人づくりを農政の重要課題として位置づけまして、中堅農業者、農家婦人、後継者、それぞれに経営技術あるいは生活改善等の各種研修を実施してきたところでございますが、特に後継者の花嫁対策といたしましては結婚祝い金制度、それから県、市町村、農業団体三者が一緒になりましてつくっております後継者育成基金というのがございまして、その中で結婚相談員の設置、熊本市には五名配置をいただいているわけでございますが、このような対策を講じてきているところでございます。これはまだ年度途中でございますけれども、本年度の後継者の結婚祝い金の支給状況を申し上げますと三十六組を数えているわけでございまして、これは他町村に比べますとはるかに多い数字と言うことができるわけでございます。
しかしながら基本的には、先ほど先生御指摘いただきましたように、家族がお互いに思いやりの気持ちといいますか、これを持って、男性と女性がともに理解し合うということ、そのためには生活改善とか、あるいは農作業などの問題につきまして夫婦がともに考えるという息の長い農家意識の高揚というものが必要であろうというふうに考えているわけでございます。
今後本市といたしましても、ともに農業を考えるという場づくり、あるいは環境づくり、さらに魅力ある産業としての農業振興に努めまして、後継者対策あるいは花嫁対策、さらによりよい家庭生活というものを、農村家庭の確立というものについて努力してまいりたいというふうに考えております。
〔六番
北口和皇君 登壇〕
◆六番(
北口和皇君) 私のところには嫁不足に関してかなりの陳情が参っております。本当に大変な問題だとひしと感じております。お二方お見えになったときには、娘さん方がいらっしゃいますので、「どうですか、お互いやったり取ったりと」と言いますと、「いや、うちの娘は百姓は嫌て言います」これが本当に実情でございます。来られた方に、奥さんを大事にされないからこういう結果になるんですよというようなお話しをさせてもらうんですけれども、今後ともこういった陳情というのは続くでありましょうから、産業局長さん、これからも、お願いに上がるとは思いますけれども、どうかよいお知恵をおかしくださいませ。ありがとうございました。
性差別の問題は大人の世界だけではありません。いわゆるスクール
セクハラです。またしても
アンケートの結果の報告ですが、十年前に担任の先生に暴行されたという二十二歳の女性の告白でした。逆算すると十二歳、小学校の六年生です。中学、高校でも頻繁に見られるという報告がいろいろな
シンポジウムの席上でなされました。御本人の告白というのもそうした集まりの中で私自身伺ったことがございます。それは私たち大人の影響であり、責任であり、肝に銘じて反省しなくてはなりません。人格形成の大事な時期に深い心の傷を負った子供が一生抱えていきかねない重要な問題です。
教育長にお尋ねします。こういった教育現場の実態をいかほど把握していらっしゃいますか。重ねてお伺いいたします。多くの研究は、子供が社会化する過程で伝統的な男女のタイプを内面化していると示唆されています。諸悪の根源は元から絶たなきゃだめ、つまり子供のときから誤った観念を絶つべきだと思うのです。これは正しい性教育を行うこととともに重大かつ早急な課題かと存じます。そのためには、単に道徳論だけにとどまらず、女性の歴史や人権の重要性を学習の中で積極的に取り組むことが必要ではないでしょうか。たとえ県に先駆けてでも、市立の関係の学校にでも一つ独立した教科として取り組んではいかがかと思いますが、教育長さんの御見解を承りたいと存じます。よろしくお願いいたします。
〔教育長 谷口弘毅君 登壇〕
◎教育長(谷口弘毅君) 学校でのスクール
セクハラの実態を把握しているかというような御質問であったかと思います。
学校では新学習指導要領の中でも、特に性についてのあり方、あるいは教育的な意義が取り上げられているところでございます。これらのことからいたしましても、性に関する正しい知識を与え、正しい判断で行動することができる子供たちの育成と、教職員の男女平等の意識の高揚が今日の教育の急務の一つでございます。しかしながら、ただいま
北口議員お尋ねの学校におけるこういった児童・生徒に対する問題等々につきましては、教育委員会といたしましては実態を必ずしも詳細には把握いたしておりません。今後報告を求めるなどいたしまして今後の指導に十分生かしてまいりたい。そしてまた教職員にも男女平等の意識の高揚等について研修会を行うなど、その徹底を今後図っていかなければならないと思っておるところでございます。
それからもう一点は、子供のころから学校で教育の中にそういった教科を取り入れていく必要があるのではないかというようなお尋ねであったと思います。
学校教育におきましては、性差別の問題は、これはまさに
基本的人権にかかわる重要な教育課題としてとらえなければなりませんし、そしてまた性差を越えて児童・生徒一人一人の特性や資質に合った豊かな教育を目指す必要があると思っております。そういったことからいたしましても、幼稚園、小学校、中学校、高等学校での一貫した性に関する教育の充実と推進、そしてまたすべての教育活動を通じての男女平等教育の推進、男女がお互いに性を尊重し合い一人の人間として大事にされる人間尊重の精神と健全な異性観の育成、こういったようなことを学校の中で十分取り入れまして現在やっているところでございますが、今後とも積極的にそういったことで努力をしてまいる所存でございます。
〔六番
北口和皇君 登壇〕
◆六番(
北口和皇君) 今教育長のお話の中に、積極的に現場の状況の把握をやっていきたいとおっしゃっていただきましたので、本当にありがたく思います。そういった愛育会ですとか、いろいろお母さん方の会がたくさんありまして、そこでそういうような状況説明などがあっております。そうしましたときには御参加していただくためにお願いいたしたいと思いますので、どうか現状を把握していただきたいと、ここでお願いしておきます。よろしくお願いいたします。
男女共同参加の社会実現のためには、女性の物の見方、考え方、感性を大いに取り入れるべきことは今さら申すまでもありません。そのためには、たとえ男性と全く同じ職員数と役職者数がおられましても何の不思議もないはずです。さきごろ東京渋谷で、「アファーマティ・アクションってなあに」というちょっと耳なれない
シンポジウムが開かれました。全国婦人新聞でこのことを知り──アファーマティブアクションというのは積極的平等施策だそうです。
男女雇用均等法が施行されて五年余り、罰則なしの努力義務規定、コース別雇用の導入などで、一向に差別が解消されていない均等法を見直そうとするものです。席上パネリストとして参加した東京都の三井まり子都議は、先ごろ訪問されたノルウェーのアファーマティブアクションクオーターシステム──男女一方の性が必ず四〇%になるようにする運動だそうです。このことについて報告されました。
それによりますと、閣僚、議員、政党の党主に至るまで多くの女性がその地位を占めているそうです。サミーという地方の議会では、三分の一が女性、さらに、
統一選挙に向けた女性選挙キャンペーンでは、投票用紙の比例代表制の候補者名簿に既に男女の名が交互に並んでいるにもかかわらず、その一番目に女性をと訴えていたとおっしゃっております。どうしてここまで男女平等が進んだのか。これはいろんな要素がありますが、男女平等のすさまじい運動があったことがまず挙げられますと三井議員は述べられております。
私は熊本市の女性の役職者数が少ないような気がしてなりません。女性の
地位向上を目指すならもっと積極的に登用すべきだと思います。このように申すなら、執行部の方から、人材がいない、適任者がいないといったような声が聞こえてきそうですが、これだけの女性の職員数です。それでは納得できるはずがありません。仮に人材がいないとすれば、それは今日までに人材育成がなされていなかったということになります。人は完全な人はいません。少々未熟であっても、力がいま一つ足りなくても、その地位につき一生懸命努力すれば自然とそれなりの実力と風格は身につくものです。皆さんどなたもが身に覚えがあられるのではないでしょうか。人が環境をつくるのもしかりですが、環境が人をつくるのもまたしかりです。どうぞ女性職員の役職員登用を奮われるよう強く希望いたします。
日本の新国内事業計画では、審議会に占める女性の割合を五年以内に一五%にすると明記されました。熊本市の女性の審議員にしましても、女性役職者にしても、いま少しこの配慮を繰り返しお願いいたします。また、審議会や委員会の女性委員の数と今後の登用の御予定もあわせてお聞かせください。お願いいたします。
〔市長公室長 出田四郎君 登壇〕
◎市長公室長(出田四郎君)
北口議員にお答え申し上げます。
現在熊本市におきましては、全職員六千四百五十五名のおよそ四分の一を占める一千六百八十七名の女性職員が勤務いたしております。その中で女性の役付職員は女性職員全体の八・六%を占め、部長級が二名、課長級が四名、課長補佐級二十五名、係長級百十四名で、合計百四十五名となっておりまして、それぞれの職場において活躍しているところでございます。この役職への登用率でございますが、九州の各市と比較いたしてみますと、宮崎市の八・七%に次いで第二位という状況でございます。今後も積極的に女性登用を図るとともに、女性職員がその能力をさらに発揮できるような職場環境づくりに努めてまいりたいと考えております。
〔企画調整部長 徳田勝比古君 登壇〕
◎企画調整部長(徳田勝比古君) 審議会や委員会への女性の登用率につきましての御質問でございますが、現在熊本市では審議会等の女性委員、平成三年の五月一日現在で、全委員数一千八百四十二人中二百四十一人、登用比率一三・一%でございます。これは六十三年八月では八・二%でございました。それが現在一三・一%ということで確実に増加をいたしております。
なお、先ほど申し上げましたが、女性の登用につきましては、
女性プランの素案の中でも、西暦二〇〇〇年には目標を三〇%ということにいたしております。これに向けまして努力をしてまいりたいというふうに考えております。具体的には、女性委員のいない審議会の、あるいは委員会の解消に努めますとともに、現在審議会、委員会等の登用時におきます女性委員並びに地域活動のリーダー、女性リーダーですが、こういった方を女性人材リストと、こういう形でつくりまして各登用に役立てたいと、こういうようなことを考えておるところでございます。
〔六番
北口和皇君 登壇〕
◆六番(
北口和皇君) 九州では宮崎に次ぐ第二番目ということでうれしいことだと思います。しかしながら九州で一番になって、熊本は非常に市長が積極的だから、あそこは本当に女性の活動が活発だと言われるまでになってほしいと私は願っております。よろしくお願いいたします。
神様は確かにこの地球上に男と女をおつくりになりました。しかし、この性の違いをどうとらえ性差をどのように規範化し、文化や道徳や制度につくり上げていくかは時代の特質でもあります。先ほど歴史をさかのぼってみましたように、女性を男性よりも上位に置く規範を持った時代もあったし、逆の時代も長く続いています。近代社会の成立とともに結びついている、男は仕事、女は家庭という性別役割や、女性には厳しい貞操を、男性には放縦な性衝動や性行動を認める性の規範の中に私たちは生きております。その中で、女性たちが性差別によって敏感になり、撤廃への活動を展開しているのです。それは単に被害者意識であったり不公平感だけではありません。女性の隷属や抑圧を敷石にして成り立ってきた近代社会そのものが、今新たな歴史の岐路に立っていると言っても過言ではないでしょう。「現代の婦人問題」の著者金子千恵子さんは、その歴史的転換へのかぎを握る一つの要素はフェミニズムであると述べています。
田尻市長さんはフェミニストとしてつとに有名な方でございます。幼いときにお父様を亡くされ、御母堂様のお手でお育てられ、その御母堂の御苦労のお姿を見てこられたからこそ女性に対する御理解も深いものと私は存じております。事実、市長に御就任されて以来、
総合婦人会館の建設を初め百以上のサークルをおつくりになって、啓蒙活動を広められたり、女性役職者も積極的に登用されたり、目を見張るものがあります。したがって、この歴史的な転換を図られる方こそ
田尻市長さんをおいてほかにないと信ずるものであります。そのためには、熊本市が全国に先駆けた女性問題の先進都市として、女性の人権を尊重し、性差別の解消に心底お
取り組みになり、女性の
地位向上と真の
男女共同参加の社会づくりをより積極的に展開していただきたいと存じます。
セクシュアルハラスメントは、つまるところ弱い者いじめ、ひいては社会的に弱い身障者や高齢者いじめと同源でございます。新しい時代をつくるというのは一つの創造であります。ノーベル賞の江崎玲於奈博士は、創造の育成とは主観の尊厳から始めなければならない、創造性の尊重と弱者への配慮を政治に望みたいとおっしゃっています。私はこの言葉を
田尻市長さんにお贈りいたしたいと思います。そして、
田尻市長の今後に期待しながら、
アンケートに快く御協力いただきました市民各位の皆様にお礼申し上げ、私の質問を終わらせていただきます。
少しお時間は早いようですが、──よろしゅうございますでしょうか。長い間の御清聴まことにありがとうございました。お世話さまになりました。(拍手)
──────────────────
○議長(
嶋田幾雄君) この際、議事の都合により休憩いたします。
午後二時に再開いたします。
午前十一時十八分 休憩
───────────
午後 二時 三分 再開
○議長(
嶋田幾雄君) 休憩前に引き続き会議を開きます。
──────────────────
○議長(
嶋田幾雄君) 質問を続行いたします。加藤静穂君。
〔二十一番 加藤静穂君 登壇 拍手〕
◆二十一番(加藤静穂君) 自由民主党の加藤静穂でございます。登壇の機会を与えていただき、先輩並びに同僚
議員各位に厚く御礼を申し上げます。また本会議での初めての質問でございますので要領を得ない場合もあろうかと存じますが、執行部の簡明なる答弁をお願いいたします。
御承知のように熊本市は、本年二月一日旧飽託郡四町との歴史的な合併を実現し、それを機会に新
熊本構想を策定、二十一世紀における活力に満ちた九州の一大雄都への第一歩を力強く踏み出したところであります。
田尻市長は、新
熊本構想に基づく計画的な町づくりの展開、すなわち市民のニーズに即応した質の高い行政サービスの提供に加え、大都市としての活力づくり、風格づくりを主とする意欲的な予算を編成されるなど、鋭意その具体化に取り組んでおられるところであります。
このような中、
田尻市長は、新聞等で拝見しますと土曜日、日曜日もなく年中無休で、熊本市主催行事にはもちろんのこと、各種団体の行事やコンベンション等に、多忙なスケジュールの中で積極的な出席をされておりますのがうかがえるのであります。
また、去る九月二十七日の台風十九号襲来の際には、出張中にもかかわらず急遽帰庁され、直ちに災害対策本部を設置し、各局長に対し必要な指示を陣頭指揮されるとともに、翌土曜日、日曜日は閉庁日を返上されて出勤、みずから九州電力熊本支店へ赴き、市民生活に欠かせない電気の一日も早い復旧を陳情されるなどスピーディーな対応をされたと聞いております。
今回の台風十九号は、本市では観測史上最も強い風を記録し猛威を振るったのであります。災害救助法の適用を受けたその被害は、建物の全壊七十九戸、半壊六百七十八戸、屋根がわら等の一部損壊はおびただしい数に上りました。また特に農林水産業の被害額は九十億円を上回るなど、これまでに例を見ない風災害となったのであります。ここに被災者の皆様に対し、心からお見舞いを申し上げますとともに、皆様の一日も早い復興を念じてやまない次第でございます。
同時にまた、先ほど述べましたように、
田尻市長の市民に対する思いを見ますとき、六十三万市民の代表としての市長の行動力に改めて尊敬の念を覚えますとともにお礼を申し上げたいと存じます。大変御多忙な日程の中、
田尻市長におかれましては今後とも健康に留意されますとともに、新熊本市づくりに市議会と手を携えて御活躍されますよう衷心より祈念申し上げる次第であります。
さて、質問に入らせていただきますが、質問通告を若干変更して質問をいたします。私は旧飽託郡四町の町政に携わったことのある四人の議員のしんがりを賜っての本日の登壇であります。
早いもので合併後十カ月たちましたが、振り返ってみて、全国にも例を見ない四町との同時合併という歴史に残る大合併をなし遂げられました
田尻市長の御英断と卓越した手腕に対し、今さらながらに敬服いたすとともに、改めて深く感謝申し上げる次第であります。
去る三月議会では新基本構想が議決され、それに基づいて基本計画の策定が着々と進められております。新、旧の熊本市民のかたい結束のもと、一丸となって二十一世紀へ向け新しい
ふるさと熊本をつくっていかなければならないとの思いでいっぱいでございます。御承知のように新構想では、市民主体の都市づくり、すなわち市民の創意とエネルギーを結集した都市づくりを進めることを基本姿勢にされているということでありますが、どのような計画がつくられるのか、旧北部町住民の一人として、否旧飽託郡四町住民のすべてが大いに期待をいたしているところであります。
そこでお尋ねですが、今後旧飽託郡四町地域の町づくりを基本的にどう進められるのか。特に旧北部町地域は合併によって六十三万都市熊本の北の玄関となったわけであります。この地域を名実ともに本市の北の玄関にふさわしい地域とするためどのように整備していかれるのか、
田尻市長の基本的な考えをお伺いしたいと存じます。
また基本計画の策定は素案の段階に至っておりますが、これまでにない新しい試みもなされているやにお聞きしております。そこで今回の計画の特徴を含め素案の骨子はどうなっているのか。さらには基本計画の策定スケジュールもあわせて企画調整部長のお答えをお願いいたします。
〔市長
田尻靖幹君 登壇〕
◎市長(
田尻靖幹君) 加藤議員にお答えをいたしたいと思います。
その前に、去る四月の
統一選挙におきまして、歴史と伝統に輝く
熊本市議会に見事議席を得られました加藤議員に対しまして心から敬意を表しますとともに、今後ともさらに市勢発展のためにともどもに力の限り奮闘していきたいと、私自身決意を新たにいたしているところでございます。また、ただいまは身に余るお言葉をちょうだいいたしまして感激でいっぱいでございます。
さて、北部地域の整備につきまして、特に基本計画の策定に当たりましてどのような考えでいるかと、このようなお尋ねでございます。
まず私は基本的に、去る二月一日の旧飽託四町合併、特に四町の市民の皆様が本当に熊本市と合併してよかったと、そのような実感を持っていただけるということがまさに今回の合併の基本的な考え方であると、このような考え方に立って今後の政策を進めてまいりたいというふうに考えております。
合併以来十カ月、北部地域の市民の皆様、特にお年寄り、女性の方々、あるいはまた旧役場に職員としてお勤めになっておられました職員各位、ともにたびたびお会いをいたしました。とにも北部地域の発展につきまして、お互いにひざを交え将来についてお話をする機会をいただいたわけでございまして、皆様方の目の輝きを私は感じているところであります。
後ほど具体的には
担当部長から御報告申し上げますけれども、私は旧北部地域はまさに熊本市の北の玄関口であるとこのように位置づけているわけでございまして、特に旧北部地域は九州の一大動脈であります国道三号線が貫いていると、これはまさにすばらしいすぐれた交通条件であります。そしてまた、この国道沿いに展開いたします生産・流通機能、商業・サービス機能、あるいはまた畑地、水田の肥沃で広大な農地、こういうまことにバランスのとれた町でありまして、今後旧北部町の発展は、私どもにとりましても極めて魅力ある市政の一つの活性化の原点であるというふうに考える次第でございます。
具体的に申し上げますならば、この地域には二本の国道が通っておりまして、今後さらにバイパス等を含めまして道路の整備に全力を挙げて取り組んでまいりたいと、かように考える次第でございます。
さらに、先ほど申し上げましたように施設園芸、酪農、この一層の振興を図りながら、特に北部地域の全国的に有名なスイカとか果樹の園芸等につきましては、さらに私ども農林部一体となって取り組ませていただきたいと、かように考える次第でありまして、今後、土地区画整理事業、あるいは生活道路の整備によって良好な住宅地も予想されるところでございます。そしてさらに、私どもはこのような周辺の環境に十分配慮しながら、ただいま市議会でいろいろと御検討いただいております全国に類のない新しいタイプの食品工業団地の建設構想、この構想をさらに進めていきたい。そして私どもの念願としております生産・流通機能の高度化を図っていきたいとかように考える次第でございまして、今後議員の御指摘のように、今回の合併によりまして北部町地域がまさに六十三万都市熊本の北の玄関となりまして、さらに本市の魅力を発揮していただく、そういう整備、開発を進めていかなければならないと考えている次第でございます。
〔企画調整部長 徳田勝比古君 登壇〕
◎企画調整部長(徳田勝比古君) 私の方から二点についてお答えを申し上げます。まずは今回の基本計画の素案の骨子についてでございますが、現在全体の構成といたしましては大きく五つのパートに分かれているわけでございます。
まずは第一に目標年次、将来人口などに示します計画の前提でございます。第二に都市空間の整備及び重点施策の二つから成ります二十一世紀に向けた主要な施策でございます。第三に分野ごとに具体的な事業名や整備目標、事業量を示します分野別の計画でございます。第四に市域を中央、東西南北の五地区に分けまして地域別の計画というものを考えております。最後に市民主体の町づくりなど計画の推進体制を考えておるところでございます。
次に、これまでの計画につきましてはとかく総合計画というようなことで、どうしても重点がわかりにくいという面があったわけでございます。また、地域的な将来的なイメージ、そういったものもつかみにくいという御意見がございました。そこでこのような点を配慮いたしまして、今回の基本計画では新しい手法、構成、そういったところに意を用いまして、まずは三月に議決いただきました新
熊本構想にも、都市圏の広域的な構成など六項目にわたりまして都市空間の将来構図を掲げておりますが、この具体的な整備計画を示しております。また、都市像の実現と
ヒューマンシティー建設に向けて主要な課題と重点施策について、特に水や緑の環境施策を初め交通体系の整備、長寿社会への対応、人づくりについてなど九項目についてのプロジェクトを進めることにいたしております。これによりまして今後本市がどのような重点施策を展開していくのか、あるいは二十一世紀初頭における本市の姿をイメージいただけるものと考えておるところでございます。
次に地区別の計画では、それぞれの地区の現状と課題、それからその整備方針、さらには産業振興の施策、事業などを示したいと考えております。そのことによりましてそれぞれの地区の将来の姿をイメージいたしますと同時に、基本計画を市民の皆様方に密着した身近なものにしたいと、このように考えておるところでございます。大きくはこの二点が今回の基本計画の特徴であろうかと存じます。
次、二点目の策定のスケジュールにつきましては、基本構想に基づきます都市像に沿いまして、具体的には五つの部会から成ります基本計画策定会議を現在までにそれぞれ三回開催いたしております。そのほか各委員の方々から個別に御意見を伺いまして、現在はその御意見を反映いたすべく素案を事務局の方で取りまとめの作業をしている段階でございます。議会終了後にも第四回目の各部会の開催を予定いたしております。
いずれにいたしましても、今後各委員の御意見、議会の御意見あたりも十分拝聴いたしながら、完成の時期は年末から年明けになろうかと考えておりますが、なるべく早い時期に策定をしたいとこのように考えております。今後ともよろしくお願いいたします。
〔二十一番 加藤静穂君 登壇〕
◆二十一番(加藤静穂君)
田尻市長の熱意あふれる御答弁、まことにありがとうございました。北部地域が六十三万都市熊本の北の玄関口にふさわしい顔を持つことは、地域はもちろん本市全体の発展に欠くことのできないことであろうと存ずる次第でございます。
それでは北部地域の整備について具体的なお尋ねをいたしたいと思います。
まず第一点は道路整備についてでございます。
御承知のとおり北部地域には本市を南北に貫く大動脈であります国道三号線、また熊本鈴麦線などの主要県道、さらには幹線市道が通っており、まさに熊本市の北の玄関口と言える地域であります。一方では国道三号熊本北バイパスなどの都市計画道路の整備も計画されております。しかし最近の北部地域の交通渋滞の状況から見てみますと、植木町など周辺地域を含めた広域的な視点からの道路整備の必要性を痛感しているところであります。
そこで、北バイパス等の都市計画道路の整備を促進し、また幹線ネットワークを形づくる市道などを整備することによって、熊本広域都市圏北部地域の交通の要衝となるよう道路網の整備が急がれます。本日は道路の中でも地域住民の日常生活に密着し、また地域の生産流通活動を支える役割を担う市道や農道等に絞ってお尋ねいたします。
まず、市道鹿子木硯川線の整備についてであります。
先ほど申しましたように、北部地域は、国道三号線と主要県道熊本鈴麦線の二本の基幹道路が南北にほぼ並行して走っております。ところがこの二本の道路を結ぶ本格的な道路がありません。また、西地区から北部総合支所や農協、北部中学校などへ通う重要な役割の幹線道路でありながら現在まで未整備となっております。そこで期待されるのが鹿子木硯川線の道路拡幅の整備でありますが、既に合併前の
平成元年度から事業に着手されておりますが、その進捗状況はいかがでしょうか。今後具体的にどう整備を進めていかれるのか、建設局長にお聞かせ願いたいと思います。
次に、北部坪井地区農道整備事業についてお尋ねいたします。
この事業は北部地域を南北に流れる坪井川にほぼ沿って農道を整備されるわけでありますが、栄橋、通称大鳥居橋上流域については補助採択となり本年度より事業を進められるようでございます。また栄橋下流は北部浄化
センター付近まで全体計画では整備されるやに聞き及んでおります。
そこでお尋ねですが、北部坪井地区農道整備事業に今後どのように取り組んでいかれる計画か、お伺いいたします。
次に、これは県事業でございますが、お願いをしたいと思います。
実は西山の丘陵地帯を抜けて下硯川町に至る県道小天下硯川というただいま整備中の道路がございますが、JR鹿児島本線の西側一帯の住民生活や生産活動に欠くことのできない道路の一つであります。ところが、せっかくのこの道路が下硯川町のJR鹿児島本線の手前からストップしたままになっております。すなわち、あとわずかなところで基幹道路である県道熊本鈴麦線や国道三号線につながらないのであります。これではこの道路の機能は全く麻痺されたも同然でございます。JR鹿児島本線は北部地域を南北に貫いており、東と西に地域を分断し、何かにつけ不都合を生じさせているのも事実であり、この場合も交通のネックになっていると言えます。この県道の改良に関連して、この地点は市立西里小学校の児童の通学路ともなっており、子供たちは毎日大変危険な状態で通学しているのであります。このことについては北部町時代から再三県当局に申し入れをしてありますが、いまだ実現されておりません。県事業ではありますが、JRの下をくぐって県道熊本鈴麦線と結ばれ、さらに下硯川小天線の現在整備済みの道路と結節されるようその早期実現を市当局から県へ働きかけていただきますよう要望を申し上げます。
以上の問題について関係局長の答弁をお願いいたします。
〔建設局長 木下實也君 登壇〕
◎建設局長(木下實也君) 建設局から道路整備についてお答えをいたします。
市道鹿子木硯川線の道路改良につきましては加藤議員ただいまお説のとおりでございまして、合併前の
平成元年から着手され、その後も鋭意事業を進めているところでございます。改良計画の概要は、御承知のとおり全体の延長が一千百四十メートルで、幅員が九・五メートルとなっております。
平成元年から着工いたしまして平成二年までの二カ年で四百二十メートルが完了しまして、進捗率は三七%でございます。本路線は一般国道三号と主要地方道熊本鈴麦線にタッチしている地域の主要道路でございます。したがいまして、残り延長七百二十メートルの区間につきましては一部JR鹿児島本線との交差部の改良に多少時間はかかると思いますが、関係機関と協議を行いまして、さらに地元の皆様の御協力をいただき早期完成を図りたいと、このように思うわけでございます。
〔産業局長 竈 啓一郎君 登壇〕
◎産業局長(竈啓一郎君) 北部坪井地区農道整備事業についてお答え申し上げたいと存じます。
本農道につきましては、先ほどお触れになりましたように坪井川に沿った旧北部町楠野より鶴羽田一帯の主要な農道網の一本であるわけでございますが、現況は砂利道で幅員も非常に狭いわけでございまして、農道の改良舗装を実施いたしまして、農作物の荷傷み防止と地域の農業生産性の向上を図るということで、市施行の農道整備事業といたしまして全長約三千八百メートルでございますが、国の方に補助事業として採択するように要請していたものでございます。そのうち約一千七百メートルにつきまして、平成三年度より五カ年事業といたしましてこの採択を受けまして実施の準備をしているわけでございますが、平成三年度におきましてはこの採択分についての測量、設計を行い基本計画を樹立いたしまして、事業実施につきましては平成四年からということになろうかと思います。
なお、残りの延長二千百メートルでございますが、この分につきましても地元の御協力をいただきながら、国に引き続き事業採択を要望いたしまして、全体の早期完成に努めてまいりたいというふうに考えております。
〔二十一番 加藤静穂君 登壇〕
◆二十一番(加藤静穂君) 道路の整備は、今後の北部地域の発展のため最も重要でかつ喫緊の課題の一つでございます。本日お尋ねをいたしました市道や農道等の整備はもちろん、都市計画道路の整備も含め執行部の積極的な
取り組みを重ねてお願いいたして、引き続き北部地域における上水道の整備についてお尋ねをいたします。
本年八月十九日の新聞紙上で、トリクロロエチレンの汚染によって飛田水源二号井戸が取水停止に追い込まれたとの報道がなされ、多くの市民に大きな衝撃を与えたのであります。なかんずく北部地域の住民は大変な危機感を抱いたのであります。水道局の方では、飛田水源二号井戸の取水停止に伴って、当面は一号井戸からの取水で対応し、需要に対応し切れなくなったときのために、徳王配水池からいつでも配水可能なように直ちに配管に着手され既に完了しております。このことは、合併前の小さな財源と乏しい技術しか持ち合わせていなかった北部町であれば、住民、行政ともに右往左往の状態で、このように迅速に対応することはできなかったかもしれないと考えられ、改めて執行部当局にお礼を申し上げるものであります。
さて、飛田水源の汚染問題でございますが、汚染された二号井戸は閉鎖されましたが、二号井戸からわずか百数十メートルしか離れていない一号井戸に、汚染された二号井戸の地下水が流れ込まないか心配されるところであります。
そこでお尋ねですが、当然その後も厳重な水質検査が続けられているとは思いますけれども、二号井戸閉鎖後の飛田水源の水質はどのように変化をしているでしょうか。一号及び二号の水質検査の結果をお聞かせいただきたいと存じます。
また北部地域の水需要への対応の問題でございますが、先ほど申し上げましたように、現在では徳王配水池から配水できる体制が整っております。しかし、この措置で真夏や年末等の水需要のピーク時に十分対応できるのでありましょうか。加えて北部地域は近年人口が急増しつつあります。この人口増に伴う水需要の増加に対応できるか、そのあたりの将来の見通しについてはいかがでしょうか。
さらにもう一点、石綿管の問題についてお尋ねをいたします。
お聞きするところによりますと、旧熊本市域の石綿管につきましては平成二年度までにすべて布設がえが完了し、有効給水率が約七六%から八六%へと布設がえによって一〇%向上し、漏水防止に大変な効果があらわれていると聞いております。旧飽託郡四町地域には約二十八キロメートルの石綿管がございます。北部地域だけでも約十九キロメートルあるわけでございます。北部に関しましては、合併前の昭和六十三年度から布設がえが進められているところでありますが、かけがえのない地下水を大切に使うためには、漏水は可能な限り防止すべきことは申し上げるまでもございません。
そこでお尋ねでございますが、旧飽託地域に残された石綿管の布設がえを今後どのように進められるか、以上水道事業管理者よりお答えをお願いいたします。
次に、食品工業団地の今後の
取り組みにつきまして質問いたします。食品工業団地につきましては、今まで本議会でも質問がなされたところでありますが、北部地域出身の議員として、今後この
取り組みについてお尋ねをしたいと存じます。
旧北部町地区は、幹線道路である国道三号線を中心に東西に位置した地域であり、三号線の沿線を核として東部地域については今後とも発展していくと考えておりますが、鉄道、河川に遮られた西部地域につきましては農業を主体とした地域であり、特に開発が進んでいない状況にあります。しかし、この地域は国道三号線に近接し、JRの駅もあって交通至便なところでございます。また西側に金峰山系、さらには河内町地区の港、ミカン園、五百羅漢などの観光地を控えており、今後の開発の可能性を大いに秘めた地域であると考えております。
今回構想されております食品工業団地は、生産、販売、遊が一体となったアメニティーの高い工業団地で、町づくりの観点を重視した環境との調和、魅力ある就労環境の提供、生活者の立場や工場見学コースなどの観光的視点、地域農業との連携などを基本的な理念としている新しいタイプの工業団地であり、旧北部町地区を候補地の一つとして検討されていると伺っております。旧北部町地区のバランスある発展を考えますと、このような食品工業団地を、開発の可能性を秘めた西部地域にぜひ実現し、この方面の開発の核としていただきたいと思っております。
そこで、この食品工業団地が現在どのような形で検討されており、今後どのように取り組んでいかれるかについて中小企業局長にお伺いをいたします。
〔水道事業管理者 境 三子夫君 登壇〕
◎水道事業管理者(境三子夫君) 加藤議員の北部地域の飛田水源汚染並びに上水道の整備についての御質問にお答え申し上げます。
まず最初に、さきの飛田水源の汚染問題につきましては、議員の皆様を初め北部地域の住民の皆様に大変御心配と御迷惑をおかけしましたこと、深くおわび申し上げる次第でございます。
前回の市議会でも申し上げましたとおりに、トリクロロエチレンによる汚染によりまして九月十三日に飛田水源の二号井を、基準には達しませんでしたけれども、それ以下でございましたが、やむなく停止したところでございます。したがいまして、現在は残る一号井と他の配水区からの水で運用しているところでございますが、議員御指摘のとおりに現在くみ上げておる一号井は、問題の二号井から距離にして百五十メートル程度しか離れていなかったために、二号井同様の汚染がされるのではないかということで大変縣念をしておったところでございます。そういうことから現在くみ上げております一号井の検査につきましては、国の基準では年に一回となっておりますけれども、月に三回、十日に一回でございますが、一号井の井戸水の検査をし、また停止しております二号井につきましても月に一回の検査体制を強化して監視を続けているところでございます。
なお、検査の結果でございますが、幸いにも一号井──今現在くみ上げておる井戸につきましては検出できません。問題が全くありません。停止しました二号井につきましては九月十二日の検査で〇・〇二六ミリグラム、これは基準が〇・〇三でございますので、若干基準よりも下がっていたところでございます。さらに最近の十二月二日の検査では〇・〇〇二ミリグラムと、これは基準の十五分の一に下がったところでございます。徐々に低下しておりまして、安心をしておるところでございます。今後も検査体制につきましては万全の体制で臨みたいというふうに考えております。
次に、飛田地区の夏場のピーク時の配水でございますが、二号井の取水を停止した時点におきまして、徳王の配水池に加圧ポンプ一台の増設並びに送水管の布設工事を直ちに発注いたしまして、十一月四日にすべての工事を完了したところでございます。これによりまして一番水需要の多い夏場のピーク時にも十分対応できる体制を整えたところでございます。また他の配水区につきましても若干の余裕がございますので、ピーク時における十分な配水ができる体制を整えておるところでございます。
〔議長退席、副議長着席〕
また人口が急増した場合の対応策でございますが、現在の北部地区の水道事業につきましては、旧北部町で策定されました事業計画をもとに推進中でございますが、これは平成八年度を目標年次として計画一日最大給水量九千百六十トン、計画給水人口二万人と想定されておるところでございますが、昨年の実績を見ました場合に、給水量が七千三百トン、給水人口一万八千八百人でございまして、まだ余裕があるようでございます。しかしながら議員御指摘のとおりに、合併に伴う住宅建設等の急増が見られます。それに伴う水需要の増加が十分考えられるわけでございまして、当面は先ほど申しました旧北部町の事業推進を図りながら、将来に対しましては合併後の旧四町を含め、全市域を一本化する基本計画を策定したいというふうに考えておりますので、今後、
議員各位の御支援、御指導をよろしくお願い申し上げる次第でございます。
最後に、石綿セメント管につきましては合併後直ちに詳細な調査をいたしたところ、北部地区で十九キロメートル、河内地区におきまして九キロメートル、合計二十八キロメートルに石綿管布設がなされておるところでございます。幸いに、熊本地区は御案内のとおりに平成二年度までにすべて布設がえが済んだところでございますが、この北部、河内地区につきましても、漏水防止並びに健康上の観点から、石綿セメント管の布設がえについては今後積極的に取り組んでまいりたいというふうに考えております。
〔中小企業局長 木村和臣君 登壇〕
◎中小企業局長(木村和臣君) 加藤議員にお答えを申し上げます。
食品工業団地の今後の
取り組みについてでございますが、食品工業団地につきましては、現在構想の基本理念に基づきまして、用排水路あるいは交通アクセスなどの解決すべき諸問題について基本計画策定事業の中で取り組んでおるところでございます。来年度につきましては、この食品工業団地が、生産と販売と遊が一体となったアメニティーの高い開放的な工業団地として、地域とどう調和させるか、地域に与える各種の影響及び効果について予測を行う環境調査を実施したいというふうに考えております。この環境調査は水質あるいは騒音、自然景観、交通量等の環境に与える影響の調査を行う予定であります。また候補地周辺を含めた地域での周辺産業に与える経済的波及効果などを予測して、一方では地元代表者への説明あるいは地権者への説明を開始いたしまして、食品工業団地の早期実現に取り組んでいきたいというふうに考えております。今後とも、この推進につきましては市議会の御理解と御支援をよろしくお願いを申し上げたいと思います。
〔二十一番 加藤静穂君 登壇〕
◆二十一番(加藤静穂君) 御答弁ありがとうございました。上水道の問題、また食品工業団地の問題と、いずれも北部地区の発展に重要な問題でございます。どうか積極的な
取り組みをよろしくお願いいたします。
それでは次に、農業問題について質問をいたしたいと存じます。
関税及び貿易に関する一般協定、いわゆるガットのウルグアイ・ラウンドがいよいよ大詰めを迎えております。そして、その焦点の一つとなっているのが農産物問題、中でも我が国の米の自由化であります。アメリカを初め外国の圧力は強まり、政府は我が国の米は守るとの立場をとってはおりますが、部分開放や関税化等、柔軟に対応すべきとの声も日増しに大きくなっております。私にはどうしても貿易摩擦の解消のために米が取引に使われているように思えてならないのであります。
ところで、米が自由化されるとどうなるのか、日本の米は生き残れるのか、農家は生き残れるのでしょうか。自由化反対論者の東京大学森島教授によりますと、こうであります。自由化されると真っ先に入ってくると予想されるのがカリフォルニア米であるが、その価格は日本の米の約二分の一、品質も中の上である。ちなみに九州各県の米はこのカリフォルニア米との競争にことごとく破れ、生産量は現在の半分以下に落ち込むと予想されており、我が国全体の生産量も現在の九百九十三万トンから三百二十八万トンへと激減し、自給率も三〇%と、先進国のどこにも見られないような低い水準となる。一方、戦後我が国は営農規模の拡大を目指してきたが、農家の土地への執着などでほとんど拡大していない。すなわち価格の面で国際競争力を持つのは無理であるとのことであります。米の自由化はまことに大変な事態を招きかねないのであります。
このように我が国の米を取り巻く環境は年を追うごとに厳しさを増しておりますが、何としてでも米を、農業を守り育てていかなければなりません。思い返せば、さきの大戦の末期から、戦後のあの未曾有の混乱期に人々を飢えから救ったのは我が国の農業にほかならなかったのであります。もっと農業の大切さを一人一人が見直すべきでありましょう。
そこで一点目のお尋ねですが、ウルグアイ・ラウンドの問題を考えますと、やはり農業の足腰を強くしなければならないと痛感する次第であります。また、近年産地間競争が増す中で、消費者の米のブランド志向が強まっております。先日の宮城県のひとめぼれの売り出しの際に見られましたあの騒動がそれを端的にあらわしております。このように厳しい状況の中、熊本の米を守り、他産地との競争に打ちかっていくための営農指導、さらには農業基盤整備など諸施策に今後どう取り組んでいかれるのか、産業局長にお尋ねをいたします。
〔産業局長 竈 啓一郎君 登壇〕
◎産業局長(竈啓一郎君) 最近の農業を取り巻きます情勢、まことに厳しいことはただいま先生が御指摘いただいたとおりでございまして、私どもそのような中で、まず熊本の米を守るためにどういったことをしているかということについてお答え申し上げたいと思いますが、それは第一に、市場性の高いうまい米、いわゆる上質米の品種の導入、その普及を図るということがまず第一点ではなかろうかと思います。第二点には、もみのまま保存いたしまして、味が落ちないよう出荷の時期に合わせたもみすり、精米をやること。あるいは省力化、低コスト化を図りますための大規模もみ乾燥調整施設の整備を行うこと。それから第三に、農業従事者の方も高齢化が目立つわけでございまして、また機械化営農に対応いたしますためにも農作業の受委託の促進、あるいは生産の組織化、農地の集団化を図る。それから第四に、地元消費と大消費地に向けましての消費宣伝活動を強力に推進する。この四つを柱といたしまして、既に各種施策の展開を図っているところでございます。
また米を初めといたします農産物全般でございますが、国の内外の競争にかち得るためには、例えば北部のスイカとか飽田の長ナスとか、こういった全国に誇れる産地銘柄の確立を図る必要がございます。現在、これらにつきましては作物別に指導指針をつくって、それに基づいて指導を行っているところでございますが、これらを総合的に体系化いたしまして新しい営農指導指針を作成いたしまして、今後なお一層努力をしていきたいというふうに考えているわけでございます。
また農業基盤の整備につきましても、今後私ども地元の期待にこたえるべく、さらに積極的に努力をしてまいりたいというふうに考えております。
〔二十一番 加藤静穂君 登壇〕
◆二十一番(加藤静穂君) 御答弁ありがとうございました。本市の農業は合併によりまして大幅に拡大をいたしました。また、くどいようですが大変厳しい環境の中にございます。基盤整備の問題では、農家の負担を少しでも軽くするため、国や県への働きかけはもちろんでございますけれども、市独自の一層の補助金や融資の利子補給など積極的に取り組んでいただきますように要望を申し上げ、執行部のさらなる努力を期待する次第であります。
次に、文化財の保護についてお尋ねをいたします。
文化財は、私どもの先人たちが長い歴史と自然や風土の中で営々とはぐくんできた有形、無形の文化的所産、いわゆる有形文化財、無形文化財や、生活の移り変わりの理解に役立つ風俗習慣、民俗芸能などの民俗文化財、また史跡名勝、動植物などの記念物と多岐にわたっておりますが、いずれも芸術、学術上の価値はもちろんのこと、我々の心を、生活を大変豊かなものにしてくれております。これらの文化財を後世に守り伝えることは我々の責務であることは論をまたないでありましょう。
そこで、合併による旧飽託郡四町指定の文化財についてお尋ねをしたいと存じます。
旧四町指定の文化財は、旧天明町に銭太鼓踊りなど三件、旧飽田町に無田口の獅子舞など三件、旧河内町には、小ミカン古木や野出春日神社大神楽など実に五十四件、さらに旧北部町には御馬下の角小屋や瑞巌寺跡など二十二件、合計で八十二件にも上っております。これらの町指定文化財は、現在、文化財保護委員会で調査、審議が進められていると聞き及んでおります。熊本市の基準に適合するものは市指定文化財となるとのことであります。
そこでお尋ねですが、文化財保護委員会の調査、審議の進捗状況はどうか。また市文化財指定の見込みはいかがでしょうか。さらに、私は市指定がなされなかった文化財の扱いが大変問題と思っております。市の指定を受けられなかったとはいえ旧四町の先人たちがはぐくんできた貴重な文化財であり、その地域の文化が消し去られることになりはしないかと危惧するものであります。市指定がなされなかった町指定の文化財をどうされるおつもりかお尋ねをいたします。
次に、釜尾古墳の整備についてお尋ねいたします。
釜尾町の同免にございます釜尾古墳は、直径十八メートル、高さ六メートル、石室には各所に双脚輪状文や円文、三角文が赤、青、白の三色で描かれた全国的にも珍しい装飾古墳で、国指定の史跡となっております。大正八年の調査では、甲胄やくだ玉、太刀、馬具なども出土しており、このたびの合併により熊本市へ編入された唯一の国指定文化財であります。大変貴重な文化財であり、また観光資源でもあろうかと思いますが、周辺には駐車場すらないありさまでございます。文化財保護のため、さらには観光開発の面からも周辺地域を含めた古墳の整備が望まれるところでございます。また、合併したこの機会にさらなる整備をお願い申し上げたいと存じますが、いかがなものでしょうか。
御馬下の角小屋についてお尋ねいたします。
御馬下の角小屋は、豊前街道を往来する島津家や細川家などの大名が休憩所として使用していたお茶屋の跡であり、建物内部は大名などが使った御成の間、次の間、御用人の間などの部分と、店、茶の間などの町屋としての部分から成っており、現在のものは文化五年に建てられたものであると聞いております。旧北部町指定の文化財でありますが、必ずや市指定となるものと期待をいたしているところでございます。
そこでお尋ねですが、角小屋は、デンマーク式海軍体操の創始者として名高い堀内豊秋大佐の生家として知られ、また堀内家は御馬下に元禄年間以来続いた旧家でもあり、文化、文政期から昭和に至るまでの古文書や道具類などが数多く残されております。また、合併前から角小屋の敷地内で資料館の整備が進められ、建物はこのほど完成を見ておりますが、角小屋及びこの資料館を今後どう整備されるのか。さらには資料館の公開の時期はいかがでしょうか。お尋ねいたします。
なお、角小屋は国道三号線に面しておりますが、とかく見過ごされがちであります。ここで表通りに面して入り口をつくるなどの利用者の便宜を図るといいと思いますが、いかがでしょうか。
以上、教育長の御答弁をお願いいたします。
〔教育長 谷口弘毅君 登壇〕
◎教育長(谷口弘毅君) 文化財の保護についてお尋ねでございます。
合併前の旧四町の町指定文化財はただいま加藤議員お述べのとおりに八十二件でございます。内訳は有形文化財が五十一件、無形民俗文化財が十五件、記念物が十六件でございます。これらの文化財が市指定の文化財として適合するかどうかについて、ただいま市の文化財保護委員会の委員の先生方に依頼いたしておりまして、専門的な角度から調査検討を行っていただいているところでございます。
その状況でございますが、ことしいっぱいに調査研究を終了していただき、文化財保護委員会での全体的な討議を経まして、年度末に教育委員会への答申という手順で進めておるところでございます。現在の状況は約四分の三以上の調査を終了しておりますが、現況ではこの指定につきましてはおおむね順調の模様でございます。しかしながら中には所在不明のもの、あるいは消滅して現存しないもの、また形状がそのものと疑わしいもの、特定できないもの等もかなりの数ございます。これらにつきましてはさらに精密な調査研究を行う予定にいたしているところでございます。
ともあれ各地域に大切にはぐくまれました文化財でございますので、市指定文化財との整合性も十分検討しながら、どうしても指定に達しない文化財につきましては、文化財保護委員会の先生方に諮りながら、準指定あるいは指定候補などのランクを設けまして、現水準以下の取り扱いにはならないよう配慮してまいりたいと思っておるところでございます。
次に釜尾古墳の整備でございます。
釜尾古墳は議員御案内のとおりに、小島町にございます千金甲古墳とともに国指定の装飾古墳として全国的に有名な古墳でございます。その整備につきましては、昭和四十二年に前国学院教授でございまして、先ごろお亡くなりになりましたが、乙益重隆先生を中心に墳丘だけが整備されておりまして、当時としては最良と思われますコンクリートでドーム状に墳丘を整備する工法で施工されておるところでございます。しかしながらこの工法では石室内部の乾燥が著しいために、装飾紋様の保存にも若干影響を与えておるようでございます。したがいまして、文化庁や学識経験者の意見を聞きながらその対策を講じてまいりたいと思っておるところでございます。
また一方周辺の環境整備につきましても、駐車場や案内板、説明板の設置など関係各課とも今後十分打ち合わせをいたしまして進めてまいりたいと思っておるところでございます。
次に御馬下の角小屋について申し上げたいと思います。
議員先ほどお述べになりましたとおりに、豊前街道を小倉から江戸へ向かった参勤交代の細川家や島津家が、熊本城下を出発し最初に休憩をとったところでございますし、またデンマーク式体操で有名な堀内大佐生誕の地でもございます。この御馬下の角小屋は旧北部町時代に堀内家から寄贈を受けまして、今ある姿に復元されて旧町での指定文化財として、それからずっと一般に公開をされて現在に至っておるところでございます。現調査では市指定の文化財になることはほぼ確実なようでございます。
お尋ねの角小屋に隣接いたしました蔵づくりの資料館の件でございますが、この資料館の整備につきましては、角小屋と一体として整備していきたいと思っておるところでございます。整備に当たりましては、歴史・民俗学や建築・街道に精通の大学教授の先生を初め、有識者から成りますところの角小屋検討委員会を設置いたしまして計画を進めておるところでございます。その基本的な考え方といたしましては、この地が昔造り酒屋や質屋などを営んでいた豪商のやかたであること、それから堀内豊秋氏の生まれ育った家であること、また豊前街道に面し参勤交代の殿様の休憩所であったことなどを踏まえまして計画を進めることにいたしておりますが、現在はこれらに係ります資料の整理や文献の調査等をお願いいたしておるところでございます。蔵づくりの資料館につきましては、例えば街道資料館といったような豊前街道を中心に肥後を中心とした四街道、また全国の街道なども紹介するとともに、里程木や道標などの案内や街道にちなんだ人々の暮らしなどを展示することにいたしておるところでございます。ことしじゅうに計画をまとめまして、平成四年度整備に着手し、秋には公開の予定でございます。
次に、角小屋が大変目につきにくいということでの御提案でございますが、御案内のとおりに角小屋は旧街道の関係で家としての玄関は南側にございます。そして一般入場門は東側、国道の反対側にございまして、訪れる方に御迷惑をおかけいたしておるところでございます。角小屋の存在をより多くの方に知っていただくために、さらに案内板等十分に充実させますとともに、国道沿いに新たに入場門を設置することなどにつきましてただいま検討をいたしているところでございます。