しかし、だからといって、もうこれが行政の限界なのでしょうか。これまでの
地域防災計画で行政の役割としていたことを、今回できなかったから、住民の自助、共助に任せるというのは、飛躍、ごまかしがあると感じます。なぜ、市の対応が不十分だったのか、解明が必要です。
私
たち日本共産党市議団は、区役所を中心とした市職員の
マンパワーが、にせ行政改革の人減らし、外部委託、
非常勤職員化の中で、そぎ落とされてしまった結果だと指摘しています。
一九七八年の宮城県沖地震の際、市の人口は六十四万五千人、職員は八千四百七十三人でした。政令市に移行した当時は、人口八十八万三千人、職員一万七百五人、そして、今回の震災時は、人口百四万六千人に職員九千四百六十二人です。人口一万人当たりの職員の数は、百三十一人、百二十一人、そして九十人へと、四十人も少なくなりました。当時の人口比率に合わせるには、あと四千人職員がいて、やっとその水準です。
これが不十分な対応の原因ならば、まさに行革で市民の安全をそぎ落としてきたことになるのではありませんか。市長、お答えください。
とりわけ問題となったのは、市職員の日ごろからの
地域住民とのかかわり合いが少なく、薄くなっていたことです。住民に身近な部署がどんどん委託に出され、非正規雇用化し、公が住民に対して責任を持つ部分を減らしてきました。農業や商工業の分野で市民と一緒に取り組むべき経済課が区役所からなくなってしまったとか、地元との日常的な協力、相談の窓口となっていた各地の支所が縮小、廃止されてきました。こういう問題の反省を奥山市長は全くしないのですか、伺います。
また、今後、想定される規模の災害が起きたときに、どのような体制があれば市の役割が果たせるのかを、真剣に検討することが必要です。行政の限界などと軽々しく言いますが、住民は限界だなんて言うことはできません。何とかしなければならない、自分たちを含め、目の前で起きている事態に対応しようと、必死に取り組んできました。
災害時に、市民の生命と安全のためにしっかりと対応できる職員として、必要な人材を質も量も確保することが求められています。
民間事業所の力は、防災のために維持されるわけではありません。町内会など
自主的組織も、高齢化の進展の中で、その力は今後も万全とはいきません。行政こそ、五十年、百年と、防災力を目的意識的に維持、拡充する主体のはずです。民間や地域の力もかりながら、必要な体制がどうしたらとれるのか。
市長は、こうした二つの側面からの検討を十分行わないで、安易に行政の限界を口にしているのではないでしょうか、伺います。
もう一つは、行政の限界論の裏返しとして、住民の
自己責任論が持ち込まれていることです。もちろん、それぞれの地域の防災力を高めることが大切だと、多くの市民が感じています。しかし、それを公助と区別して自助、共助と呼び、あたかも公的な責任はないものと描くことにトリックがあります。
それぞれの地域によって、住民の年齢構成も町内会などの団体の様子も違うことは明らかです。自助といっても、それぞれの家庭によって実情はさまざまです。自助、共助の強調が、十分やれなかったらそれはあなたたち自身の責任だという論理にしてはなりません。いかがでしょうか。
私は、各地域ごとのいわゆる
コミュニティー防災を自助、共助に色分けするのではなく、市が地区の
防災計画づくりから日常の
防災訓練、地域の変化に合わせた見直しまで、地域に密着して活動していくものという位置づけこそ求められていると考えます。
コミュニティー防災をつくり上げ、維持するという、行政の役割と責任を明確にするべきです。いかがでしょうか。
このような問題意識を持って中間案を見ると、見直したとされている部分も、中途半端だったり、かえって後退となったりすることがわかります。とりわけ、地域における取り組みにあらわれています。
私たちは、地域ごとによく話し合い、検討もして、地域の実情に合った避難所をつくる準備をすることを初め、断水の際の給水のポイントや、
災害情報、救援情報など、センターをどこに置くか、お年寄りや障害を持った方など要援護者への支援のセンターはどうするかなど、
中学校区ごとに
地区防災計画をつくっていくこと、
防災訓練で実効性や課題を確かめ、定期的に住民参加で
計画見直しを続けていくことが大切だと考えます。自助、共助だ、公助だと線を引くのではなく、市は全ての地区でこういった取り組みができるよう、地域と一緒に努力すべきです。区に数人の
地域連携職員を置いたくらいでは、到底できません。本格的な取り組みを求めます。お答えください。
災害発生時、夜間や休日など
指定避難所の開設の準備を行う
指定動員職員について、今回の見直し案では書かれていません。鍵の管理は、学校など
施設管理者と
地域住民に任せるとしか書いてありません。
指定動員職員はその地域に居住する方を選ぶのでしょうから、役割を引き続き果たすとともに鍵等の管理も行い、日常からの協議や訓練に職務として参加できるようにすべきです。いかがでしょうか。
防災や大災害からの復旧・復興について、各地の教訓を学ぶたびに、地域の自治力が大変大きな意味を持つと痛感します。奥山市長が言う
災害救助法での役割を、県から
基礎自治体へという方向も、その一つだと認識しています。百五万都市となった仙台市域では、さらに区役所や総合支所などの強化が必要です。私たちは、さきに述べたように、
中学校区ごとの
地区防災計画まで進むべきだと考えます。
二〇一〇年に、私は、仙台市でも地域自治区を条例で制定することを提案しました。
中学校区程度の広さと住民人口のもとで、
自治協議会を設置し、地域にかかわる重要事項の市長提案の審議、
地域課題解決のための方策をみずから考え、市長へ建議する権限を持たせるものです。市長が市民力、市民との協働を掲げるなら、市長の都合に合わせて市民が働くのではなく、権限を持って市長に対して必要な意見を言う市民の自治力こそ育てるべきです。
地区防災計画をこのような精神で
地域住民と協力してつくり上げることを求めます。市長、お答えください。
地域の
避難施設の見直しでは、小中学校だけだった
指定避難所に加えて、地域の意見を聞きながら、
市民センターなどを
補助避難所、また、集会所などをがんばる
避難施設として活用するとされています。ところが、初めから、
補助避難所には市の職員は配置しない、がんばる避難所には災害初期には物資支援は行わないなど、後ろ向きに定義しています。職員の巡回や、
指定避難所から物資を運ぶことで対応できる地区と、そうではない地区があるでしょう。必要なところには、がんばる
避難施設も物資支援の計画に含めるべきです。地区の実情に合わせた運用の検討が行えるようにすべきですが、いかがでしょうか。
グループ化も、センター的な機能を持つ
指定避難所を設けるということは、よいことだと考えますが、どうしてそれがグループ内のほかの
指定避難所には職員を配置しない話になってしまうのでしょうか。前向きに検討しているようでも、住民からは市の後ろ向きの姿勢ばかり見えてしまいます。住民が頑張ろうとしたら、それだけ市のかかわりが後退するのであれば、将来の地区のためには、今余り出しゃばらないほうがよいと、住民参加が後退してしまいます。
グループ化は、地区全体の
被災者支援を総合的に進めるためのものであり、市の役割を少なくするためのものではないはずですが、いかがでしょうか。
今回の避難所の見直しでも、いわゆる
福祉避難所について、地区の要援護者を収容する道筋がつけられていません。私たちは、さきの復興会議でこの問題を取り上げ、提案しています。一つは、小学校の体育館などでは避難できない人々、高齢者や妊婦、障害を持った方などが避難できる
避難施設を
中学校区ごとに設けることです。今回、
補助避難所とされている
市民センターなどを想定しています。もう一つは、そこに市の職員、
包括支援センター、
民生児童委員などで災害時要援護者の支援を行うセンターを置くことです。地区内の要援護者の避難状況を把握するとともに、より手当ての必要な被災者を、市が協定を結んでいる
高齢者施設などの
福祉避難所につなぐ役割を果たします。この提案を受けとめ、地区における要
援護者対策を、市も責任を持って進めることを求めますが、いかがでしょうか。
大震災の直前に仙台市の
防災行政無線がデジタル化され、全ての
指定避難所に無線機が配備されたことは、ぎりぎりのタイミングでした。しかし、停電による電池切れや通信方法の訓練の不足などで、その役割や機能を十分果たしたとは言えませんでした。私は、非常時の
各区災害対策本部と各避難所の情報連絡が
地域防災計画の
実効性保障の命綱だと以前から繰り返し提案してきました。避難所の
太陽光発電、
蓄電システムの導入で、電池切れはなくなると思います。運用方法も、経験を踏まえて改善し、日ごろの訓練などで徹底すべきです。
具体的には、大規模な災害で開設される避難所が多くなるほど、行政として必要な指示、伝えるべき情報は
区災害対策本部から一斉通信で定時に行うこと、各避難所からの情報集約は区災対本部がキー局となって
ロールコール方式で行うことが必要です。
避難所運用マニュアル、
防災訓練での具体化を求めます。お答えください。
先日、十二月七日十七時十八分に発生した地震と、
津波警報発令は、改めて幾つかの課題を明らかにしています。
市内での震度は四と、非常招集のレベルにはなりませんでしたが、
津波警報が出たことで、津波災害の
警戒対象部局が警戒態勢をとりました。避難勧告の発令、
津波情報伝達システム、
防災メール、
緊急情報エリアメール、宮城野区、若林区、太白区の
避難所開設指示など、おおむね混乱なく行えたとの報告です。開設された避難所は二十四カ所、避難者は合計約二千三百名でした。
津波避難ビルも、三カ所で約三百名が避難されました。
中野栄小学校には、近くのアウトレットモールからも避難誘導され、総勢六百二十六名が避難しました。また、より遠くへ避難するため、避難所のある
地域住民以外の避難者が多くなることがわかります。津波の場合、このような
指定避難所には
派遣職員数をふやし、急いで態勢が整えられるよう、あらかじめの計画が必要です。
居住地区ごとに、津波の際、主に避難する離れた避難所を決めておくことも検討すべきです。
今回の
津波警報が出てから、どのような避難行動がとられたのか、調査が求められます。有効な
避難施設がまだ未整備なので、車での避難者が多くを占め、主要な道路が大渋滞となりました。徒歩での避難が基本だとされていても車で避難をするその背景は、
避難施設の問題だけではないと考えます。ある農家の方は、
津波警報を聞いてから、震災後千四百万円で買ったばかりのトラクターなど農機具を高い場所に移動させてから、やっと車で避難したと聞きました。三月十一日、この震災で大きな被害を受けた人々が、農機具や車が流されてしまうことを恐れて、逃げて命を守ることよりも優先させてしまうのは、大切な財産をなくして補償されずに、今、苦しんでいるからです。車や農機具への補償を初め、震災、津波で失った財産の補償がきちんとなされるという社会にすべきです。
私は、今回の震災、津波での被災者への救済を、被災する前の生活を取り戻すまで国や自治体が責任を持って取り組まなければ、将来の防災にも禍根を残すと改めて痛感をしています。市長の御認識は、いかがでしょうか。
もう一つの主題、仙台市
地域防災計画に
原子力災害対策編を新たに設けることについて伺います。
私は、震災、
福島原子力発電所事故直後から、仙台市の放射線問題での対応が後手後手になっていることを指摘し、具体的な対応策の提案を重ねてきました。
原子力施設の地元とされていた自治体でも、重大な
原子力災害が想定されておらず、対策も全く不十分でした。仙台は、そもそも
原子力事故に対する計画は持っていませんでした。国の基準では、原発から五十キロメートル離れている仙台市は持つ必要がなかったからです。この誤りを繰り返すわけにはいきません。国がどう言おうとも、仙台市民の命と健康を守るために、必要な計画と準備を行わなければなりません。今回の
原子力災害対策編を策定するという決断は、こういう決意のあらわれと理解してよろしいのでしょうか、市長に伺います。
さて、仙台市
防災会議に、藤本副市長を部会長に
原子力防災部会を設けました。さらに作業部会を設けて、先日、第二回の会合が行われています。会議を傍聴して疑問に感じている問題について、お聞きします。
防災計画の基礎となる災害等の想定について、
原子力施設からの直接の放射線による被曝は、五十キロメートルの距離ではない、施設から放出された
放射性物質を含んだ大気、プルームによる影響も、国の拡散予測では避難すべき基準を三十キロメートル圏外では超えないため、至急の避難を要する可能性は高いとは言えないとしています。避難する場合の計画は、考えない方針のようです。
国の拡散予測というのは、十月末に
原子力安全規制庁が発表したもので、直後から連日のように誤りが発見されて訂正が重ねられたものです。また、拡散予測と言いながら、
原子力発電所の場所での風向、風力などの年間の分布確率をもとにしており、実は、どの方向が一番危ないかを示しているだけにすぎません。仙台への影響を考えるならば、女川原発から真っすぐ仙台に東北東の風が吹いているとき、途中で雨が降っておらず、大気も安定していて、プルームは広がらず、ずどんと仙台にやってくる最悪の想定の場合について、被曝量を計算すべきです。この場合の数時間の仙台市域の
空間放射線量と、吸い込んだことによる内部被曝の量は、どの程度なのか、伺います。
また、そのとき、市域で雨が降り、多くの
放射性物質が地表に降下したとすると、七日間で累計の被曝量は百ミリシーベルトに達しないのか、お聞きします。
私は、至急に避難を要する場合も、可能性は高くないかもしれないが、ある、その計画も検討する必要があると考えます。仙台市民が避難をする計画はつくれるのでしょうか。山形県に向かって西に逃げる道路は、
山形自動車道、国道四十八号くらいで、百万都市の避難には輸送容量が小さ過ぎます。
また、ほかの地域から大量の避難者を仙台市が受け入れる場合も、避難の期間は、除染など手だてをとったとしても、相当の期間になることが予想されます。住民の生活が原発事故によって破壊され、もとの生活を取り戻すことがほぼ不可能とも言える災害となります。
原子力災害は、地震や台風と違って人災です。そういう意味では、一番の備えは、
原子力事故が起きないように、原発をとめ、廃炉に向かうことであることは明らかです。
市長は、
原子力防災対策に膨大な経費がかかること、その経費は国及び電力会社が負担すべきものであること、その対策をもってしても、住民の安全を十分には守れないものであることを、
地域防災計画の
原子力災害対策編の検討の中で認識すべきです。そして、一日でも早く、原発の再稼働反対、原発即時ゼロの立場を、仙台市長として表明すべきです。改めて、伺います。
原子力防災部会作業部会では、委員の方から、五十キロメートル以上離れていても、ヨウ素剤の服用など、希ガスに含まれる
放射性ヨウ素の影響を軽減する対策を求める意見が強く出されました。それには、事故の情報が市民に伝わる早さも求められます。風速五メートルで真っすぐプルームが仙台にやってくる場合、
放射性物質の放出から約三時間で到達します。風速十メートルなら一時間半です。あらかじめヨウ素剤の配布が各家庭、学校などにされていて、指示があれば服用することが徹底されている必要があります。その上で、仙台市が独自に市域に
モニタリングポストを設置し監視するだけでなく、
原発サイト周辺の
モニタリングデータも常時監視し、異常があれば直ちに指示を発する仕組みをつくるべきです。その際、放出された
放射性物質の核種情報を待たず判断しなければなりません。
国は、地域を限定し、ヨウ素剤の配布などの費用を低く抑えようとすることが考えられます。判断基準を国に任せず、市できちんと評価し、必要な措置を国に求めるべきです。いかがでしょうか。
大震災、原発事故後の国民は、財界が求める方向へ、新自由主義的な弱肉強食の世の中へ進んできた日本の政治の転換が必要だと感じています。地方自治体が、住民の命を守り、福祉の増進を目指す本来の立場に立ち戻ってこそ、災害への備えを強めることができます。行革推進、原発容認の奥山市長の姿勢を転換して、市民の安全・安心を最優先にすることを求めて、私の一般質問、第一問とします。
御清聴ありがとうございました。(拍手)
5: ◯市長(
奥山恵美子)ただいまの
花木則彰議員の御質問にお答えを申し上げます。
まず、今回の
地域防災計画中間案に関する行政の役割と責任について、お答えを申し上げます。
このたびの
東日本大震災の対応につきましては、
避難所運営を初めとして多くの課題を残したと同時に、自然の脅威から生命を守るために逃げるということなど、人命を最優先とした減災の視点の重要性も再認識させられたところでございます。
このような中、人や地域のつながりが命を守り、日ごろからの活動が災害時の対応力を高めることを学び、こうした教訓を踏まえた上で、この後は、事前の備えにより、行政とともに
地域コミュニティーの防災力を高め、いざというときに命と希望をつなぎ、被害が抑えられることが重要と考えております。
今回お示しをしました
地域防災計画中間案では、このような認識のもと、市や防災機関における取り組みだけではなく、市民お一人お一人、
地域団体の方々、NPO、企業などが、市民力、地域力を生かし、自助、共助、公助の協働による
災害対策を基本理念に据えたものでございまして、行政はもとより、さまざまな主体がともに力を合わせ、確実に生命を守ることのできる揺るぎない計画としてまいりたいと考えてございます。
続きまして、
原子力災害対策編の策定及び原発の再稼働に関する考えについてのお尋ねがございました。
地域防災計画の
原子力災害対策編の策定につきましては、本市が
原子力発電所からおおむね五十キロメートルの範囲に位置しておりますことや、今回の
福島原発事故の影響が広範囲に及びました経験を踏まえ、市民の皆様の安全・安心を確保する観点から、策定することといたしたものでございます。
なお、
災害対策を進める上では相応の費用も発生いたしますので、国へも費用の負担を求めているところでございますが、市民の皆様の安全・安心を第一に、対策を進めてまいりたいと考えております。
また、原発の再稼働に対する考え方につきましては、昨日の議会でも御答弁を申し上げたところでありますが、私といたしましても、将来的には
原子力発電への依存を低減させていくべきものと考えておりますが、そこに至ります過程におきましては、市民の皆様の安全・安心の確保を最重要の事項に置きつつ、市民生活や社会活動、経済への影響やこれらの課題への対応を踏まえながら、総合的に判断をしていくべきものと考えておるものでございます。
そのほかの御質問につきましては、藤本副市長及び関係の局長から御答弁を申し上げます。
以上でございます。
6: ◯副市長(藤本章)災害時における
人員体制等に関する御質問にお答えをいたします。
厳しさを増しております
行財政環境のもと、それぞれの時代の社会情勢に応じまして、行政に求められるさまざまなニーズに的確に応えるためには、漫然とした市政運営であってはならず、人件費を含む財政負担の縮減や組織の
簡素効率化を進め、
行財政運営の基盤強化を図ることが常に求められているところでございます。
とりわけ、今日喫緊の最重要課題でございます大震災からの復興を着実に推進していくためには、むしろこれまで以上の取り組みが重要であると認識いたしているところでございます。
職員数につきましては、これまで、ITの導入による業務の効率化、事務事業のあり方や民間部門との役割分担の見直しなどの不断の取り組みによりまして、全体としての削減を行いながら、必要な部門に適正に職員を配置してきたところでございます。
しかしながら、このたびの大震災におきましては、想定をはるかに上回る多数の方が避難をされ、かつ、長期間に及んだことによりまして、あらかじめ
地域防災計画において定めておりました、組織ごとの役割分担では対応し切れなかったという大きな反省点もございます。
地域防災計画中間案におきましては、大
規模災害発生時における職員体制を見直し、通常業務の優先度を見きわめ、
マンパワーを災害対応に集中的に振り向けるための
業務継続計画を策定することといたしており、庁内各部局が有機的に連携をし、災害時にも適切に対応できる、全庁的な体制の充実強化に努めてまいりたいと存じます。
東日本大震災におきましては、一人一人の市民の皆様、
地域団体などの皆様の平時からの備えや取り組みが震災の被害を抑える、あるいは国内外のNPO、企業など、多様な主体の
マンパワー、ノウハウなどが復興に向けた大きな力となっているところでございまして、震災後、地域の
防災訓練など、さまざまな場面で、
地域団体の皆様から自助、共助の重要性について直接お話をされるなど、そうした取り組みが共有をされているところでございます。
私どもといたしましては、行政の限界と、こういうくくりで説明をいたすということではなくて、やはり完全な防災には限度があると、こういったところの一つの大きな反省に立って、今回、見直しを進めているところでございます。市民の皆様と行政や防災関係機関とが広範な連携、協働を行うことが重要でございまして、仙台のまち全体で、さらなる防災力を高めてまいりたいと、こういう基本的なスタンスに立って、年度内策定を目途に、今回の
地域防災計画の見直しを進めてまいりたいと存じます。
以上でございます。
7: ◯危機管理監(佐藤孝好)私からは、
原子力災害対策のうち、放射線量の予測と安定ヨウ素剤に関する御質問にお答えいたします。
国の
原子力災害対策指針は、今回の
福島原発事故を教訓に見直しが図られたものと認識しておりますけれども、その指針によれば、本市は
原子力災害対策を重点的に実施すべき区域には該当しておりませんこと、また、原子力規制委員会から示された女川原発の拡散予測では、仙台市へ向かう方向として七日間の累積の被曝量が百ミリシーベルトに達する地域は、石巻市の石巻港付近となっております。こうしたことを踏まえますと、本市においては至急の避難を要する事態にまではならないものと考えております。
次に、安定ヨウ素剤服用に関する御質問でございます。
今回の福島原発の事故を踏まえれば、
原子力発電所での事故が発生した場合には、本市においても安定ヨウ素剤の服用が必要となる可能性があるものと認識しております。そうしたことから、原子力部会におきまして、情報収集の多重化やモニタリング体制の整備とあわせ、検討することといたしております。
安定ヨウ素剤につきましては、劇薬に指定され、副作用もありますことから、現在、投与の判断基準等について原子力規制委員会が検討を進めておりますので、これらの結果も踏まえながら検討してまいりますとともに、必要なことにつきましては国に要望してまいりたいと存じます。
以上でございます。
8: ◯復興事業局長(山田文雄)私からは、被災された方への救済に関するお尋ねにお答えいたします。
今回の震災に伴い、多くの市民の皆様が、住居や農機具、自家用車など、従来、生活の基盤としてきた重要な財産を失われました。
本市は、復興に当たりまして、集団移転や宅地被害対策、復興公営住宅整備などによるお住まいの再建に加え、被災された方の生活の再建を重視し、取り組んでまいったところでございます。しかしながら、この間の国の対応でも明らかなように、個人の資産形成に資する事業や公的支出につきましては、一定の限界があることも事実でございます。
本市といたしましては、農業器具等の貸し付けを初め、被災者の方々の暮らしを支える雇用の場の確保や、就業支援などの事業を加速するよう努めますとともに、国におきましてこのような取り組みに責任を持って財源を確保するよう、働きかけてまいる考えでございます。
以上でございます。
9: ◯消防局長(高橋文雄)
地域防災計画中間案における行政と住民の役割、地域との連携などに関する御質問にお答えをいたします。
初めに、防災力を高めるための住民の方々の役割についてでございます。
このたびの
地域防災計画の中間案につきましては、自助、共助の項目を新たに設け、それぞれの主体が行うべき役割を明確化しているところでございますが、これは、本市全体として防災力を向上させるために必要な役割分担、取り組みの方向性をお示ししているものでございます。
今後、市民の皆様の御理解と御協力を得ながら、中間案で基本理念として掲げました市民一人一人、
地域団体、NPO、企業などと行政との連携、協働による百万市民の総合力による防災を実現してまいりたいと存じます。
次に、地域の防災についてでございます。
中間案では、防災力向上のために地域が主体となって行うべき事項を記載しているところでございますが、あわせて、市の取り組むべき事項を記載し、行政が地域と協働しながら地域防災力の向上に取り組む姿勢をきちんとお示ししております。
今後とも、これまでと同様、計画上でも実行上でも、市と地域が連携してきた本市の強みを発揮し、取り組んでまいる所存でございます。
次に、地域支援への取り組みについてでございます。
このたびの震災では、避難所の運営を初め、地域に直結する課題が明らかになったところであり、関係局区による組織横断的な対応を基本として、検討を進めてきたところでございます。
地域への支援につきましても、関係局区がそれぞれの課題を認識し、
防災訓練や災害図上訓練、防災マップづくり、さらには地域防災リーダーの養成などに取り組んできたところであり、今後とも、地域に即した取り組みを心がけながら、地域防災を支援してまいりたいと存じます。
次に、指定動員についてでございます。
指定動員職員は、平日夜間、休日において、市内で震度六弱以上の地震が発生したときに
指定避難所に参集する職員であり、
避難所運営が円滑に行われるよう、
指定動員職員も、事前協議や訓練の場に可能な限り参加できるよう、努めてきたところでございます。
避難所の鍵の管理につきましては、
施設管理者とともに近所にお住まいの複数の住民の方にお願いしているところであり、
指定動員職員へもしっかりと情報共有を図ってまいる所存でございます。
次に、
地区防災計画についてでございます。
本市は、これまで、地域の方々とのお話し合いを重ね、消防団や町内会を初めとする地域のさまざまな団体との結びつきを強めながら、地域防災への取り組みを進めてまいりました。
今後、地域ごとに、実情に合わせた形での
避難所運営に関する話し合いや、運営マニュアルの地域版が作成されるよう支援してまいりますが、これまでどおり、地域の方々との協働を基本に据えまして、さらに地域の防災、減災が推進されるよう努めてまいりたいと存じます。
次に、地区の実情に合わせた避難所等の運用についてでございます。
御指摘の物資支援につきましては、
避難所運営が長期化した際に、がんばる
避難施設で必要な数量分も含めて
指定避難所へ配送することを考えており、今後、その際の連絡手法等について、地域に合った方法を定めてまいります。
また、市職員の巡回については、
避難施設の状況を踏まえつつ、避難所担当職員、また保健師等の専門職員の巡回など、中間案の考え方に沿って実情に合った対応が可能となるよう、災害時対応業務の検討を進めてまいりたいと存じます。
次に、避難所、
避難施設の
グループ化についてでございます。
東日本大震災の際には、市内において、連合町内会等が中心となって地域の
災害対策本部を設置し、地域の避難所、
避難施設の運営や
被災者支援等を一体的に行った事例がございました。
地域の方々が、このような形でそれぞれの地域の実情に合わせた対応を行っていただくことは、行政のみでは困難なきめ細かい活動が行えること、また複数の
避難施設を一体的に運営することにより、円滑な
避難所運営や避難者の特性に合った支援を行うことが可能となるなど、地域にとっても大変有効なものであると考えております。
こうしたことから、今回、
避難施設の
グループ化を進めることとしたところであり、今後、地域との事前協議の際に、先行事例の御紹介を行うことなどを通じ、地域の実情に合った防災体制づくりにつなげてまいりたいと存じます。
次に、災害時要援護者への支援についてでございます。
災害時要援護者への支援に当たりましては、災害時要援護者避難支援プランに基づき、地域での活動が促進されるよう、現在、取り組んでいるところでございます。
本市が一律に要援護者支援センターを各地域に設置することにつきましては、在宅の要援護者の定期的な安否確認等に相応の
マンパワーを要する実情を考えますと、困難であると認識しております。
しかしながら、区の保健福祉センターの保健師につきましては、こうした災害時要援護者がいる避難所を巡回しながら、要援護者の健康相談を行い、
福祉避難所や医療機関とのつなぎ役となり得ることから、今後、各地域での
避難所運営体制の
グループ化等の体制構築を行う中で、
福祉避難所等との連携につきましても、関係部局とともに取り組んでまいりたいと存じます。
最後に、防災行政用無線の運用についてでございます。
さきの
東日本大震災では、長期にわたる停電によるバッテリー切れや使用方法の習熟不足といった課題があり、十分にその機能を果たせなかった無線装置もありました。
こうしたことから、震災以降、全ての
指定避難所に発電機を配置したほか、防災行政用無線の取り扱い習熟と効果的な運用を図るため、各区役所と
指定避難所間における一斉通信やグループ通信等による定期的な通話試験を行っているところでございます。
今後は、
ロールコール方式の概念を取り入れたグループ通信を平時の通話試験に取り入れるとともに、
防災訓練に際しては、情報伝達収集手段の一つとして、その運用訓練を実施するなど、確実に運用が図られるよう努めてまいりたいと考えております。
以上でございます。
10: ◯四十四番(
花木則彰)二点、再質問をいたします。
私は、先ほどの質問全体を通してですけれども、大震災の経験を踏まえた
地域防災計画の見直しに当たって、人減らし、あるいは非正規化、委託化、区役所の縮小、そして本庁への集約化という、これまで奥山市長が進めてきた、我々は、にせ行革と呼びますけれども、これを改めなければいけないんじゃないかと。ふだんから地域に密着した行政というスタイルに転換することが、この防災にとってもどうしても必要なんじゃないかということで、各課題について質疑をしています。
その答えというのは、それぞれ縦線で分かれて、いろんなお答えがありましたけれども、防災力を強めると、特に行政としての役割を本当に果たせるような形で行政の側がどう変わるのかということについてのお答えは、全くないといいますか、ばらばらな感じが非常にします。震災復興を口実に、さらに、にせ行革を進めるということと、市民の命を守る防災の行政責任を果たすということ、これを、どう両立をさせるのか。そのことについてはっきりとお答えいただきたいと思います。
また、原発の問題では、原発の停止、廃炉についての市長答弁、相変わらずでした。これは、原発容認の御意見の典型じゃないかと思います。こういう認識で答弁される首長というのは、非常に今珍しくなっているなと思っているんですが、福島第一原発事故でさまざまな被害を負いながら、東京電力や政府の責任も十分とられないで苦しんでいる仙台市民の立場に立っているとは言えないと思います。
女川
原子力発電所を初め、今、停止している原発ですね。この再稼働について、市長はあってもよいというお考えなのかどうか、再度質問いたします。
11: ◯市長(
奥山恵美子)原発の再びの稼働の点につきましては、先ほど御答弁を申し上げましたとおり、私といたしましては、やはり安全性に関するきちんとした国からの見解が示されるべきで、まず、今、その段階にも至っていないということについては、議員も御承知のとおりと存じます。
そしてまた、このエネルギーの問題というのは社会生活のさまざまな面に広範な影響を及ぼすという認識を持っているわけでございまして、もちろん市民の皆様の生命の安全が第一であるということについては、繰り返しこの議会でも御答弁をさせていただいているということでございまして、私は、そのような観点に立ちまして、私としての考え方を先ほど申し述べさせていただいたものでございます。
12: ◯副市長(藤本章)行革と、今回の地震を踏まえた地域に密着した体制の構築についての御質問にお答えをいたします。
若干、行革の問題と今回の大震災を踏まえて地域にどう寄り添った施策を展開するかという部分は、関連性はあるんですけれども、本市としましては、もともと既に行革に取り組んでまいりましたのは、昭和五十年代から取り組んできておりまして、既に当時、保育士を増員しなければいけないという時代から行革に取り組みながら対応してきたということでございまして、これまでの部分につきましては、決してにせ行革というふうな認識では私どもはおらないところでございます。
とりわけ、今回、平成二十二年度に策定しました行革プラン二〇一〇という中で見ましたときに、本来でいきますと平成二十四年度当初に、総体として二百名程度の減員を見込んでおったところでございますけれども、今回の復興事業局を設置するというようなことで、ある意味思い切った形で二百名近い人員を充てることができたと。こういったことは、やはりこれまでの蓄積の一つの形として思い切った人員を充てることが可能になったと、こういうふうに理解をいたしております。
あともう一点、地域とのかかわりにつきましては、非常に今回の大震災を経験しますと大きな課題でございまして、それは私どもも本当に真剣に考えなければいけないという中で、これまでの
地域防災計画を見ましたときに、とりわけ避難所の問題につきましては、ある程度区役所を中心にという中で対応しておったわけでありますけれども、それが大変、通常業務との兼ね合いで持ちこたえない状態が続いたと。しかも長期間であったという状況でございまして、この部分は明らかに大いに反省をしておるところであります。
例えば、ライフラインにかかわるような業務を所管している部局については、なかなか人的なパワーは出せないでしょうけれども、そうではない全市的な業務体制を見直した中で、
マンパワーを全市的な確保を行った中で、市を挙げて
避難所運営を行うというふうに、方針をある意味転換をいたしたいというふうに考えておりまして、今なお、どの業務を継続するかということも含めて、検討でございまして、その中で、地域に寄り添った形で対応できるよう、最大限努力してまいりたいと存じます。
以上でございます。
13: ◯四十四番(
花木則彰)まず、原発ですけれども、結局、国が見解を示すのを待っていますということになります。また、エネルギーの影響についても、市長がどれだけ考えるのかわかりませんけれども、そういうことでしょう。国に考えてもらって、それに、判断に従うという中身にしかなっていないんです。
先ほどの避難が必要かどうかという判断についても、危機管理監の説明は、結局国が考えて検討した結果を受けて、そのとおりするということで、前回の誤りから一歩も出ていないんですよ。結局、国任せなんです。これではだめです。
自治体の長として、市民の安全を守るために、みずから考えて判断をして、今、行動しなければならないといった点から見ると、これは五十キロにある女川原発、誰かが考えて、じゃあエネルギーに影響がないようなやり方があったら、それはとめてもいいけれども、そうじゃなければ動かしてもしようがないというのは、これは首長としては、本当に今珍しいといいますか、そういう態度でいいのか、もう一度お聞きしておきます。
あと、行革の関係ですけれども、藤本副市長、いろいろ業務計画、継続計画でやるんだと。そこが方針の転換なんだと言っているんですけれども、三・一一の大震災を経験した後の方針の転換としては、余りにも小さい方針の転換ですね。
やはり、言われているような昭和五十年代からやってきた行革が、今回の震災で一体どういう不十分性を生み出したのか。あるいは今の体系から、本当に市民の命に、その安全に責任を持つ行政になるためには、どういう体制を市としてとらなきゃいけないのかという、先ほど質問しましたけれども、そういう根本的なところでもっとしっかり検討して、やはり切りかえるべきは切りかえるということが必要だと思います。
ちょっと質問に対する答弁としては小さ過ぎるなと思いましたので、これについても、もう一度お願いします。
14: ◯市長(
奥山恵美子)
原子力発電のさまざまな技術的な知見、また、エネルギー問題に関する将来の動向に関する分析、その他につきまして、これは地方自治体の首長として、個人として右である、左である、やめるである、やめないであると、いろんなことを口頭で申し上げることは、それは可能であろうかというようなお話でございますけれども、しかしながら、国としてしっかりとした責任を果たすべき分野というのは、これはあるわけでございまして、そうした分野について、いたずらに、これは私どもができますと、できないことをできますと言うことはできないわけでございまして、私は、そうした国としてしっかりやるべきことをやっていただくような、そのための今回の一つの選挙も行われているというふうな認識もございまして、そうした政府が行うべき判断について、私もしっかりとこれを見きわめながら、仙台市民の皆様の安全を第一にした考えをまとめてまいりたいと、このように考えてございます。
15: ◯副市長(藤本章)決して、職員体制の見直しについて、小さいというふうには認識はしておりません。区役所行政を特に見ましたときに、平成元年に移行した際に、ある意味で、身近なことは区役所でと、こういうのは一つのスローガンで対応してきたわけでありまして、それはそれなりに、権限といいますか、そこに区役所があるという意味では、大変便利な形でまずスタートをさせましょうというふうにスタートしたというふうに理解をいたしております。その後、最初の御質問にもありましたような農業関係でありますとか経済関係については、ある種、本庁に集約をしてきたという経過はございます。
その中で、さらに今回、税務部門について本庁に集約をしたということを見ましたとき、区役所行政はこれからどうあるべきかということになりましたときには、まさに大震災を経験した中で、地域に寄り添った区政の推進をどうすべきかというのを、私どもも、ある意味で大胆に考えていかなきゃいけないというふうに認識しているところでございまして、その中で、
市民センターが区の施設という位置づけにもなってまいりましたし、そういったところを活用しながら、本当に
地域住民の皆様に寄り添った区政の推進に向けて検討を進めたいと、こういうふうに考えております。
16: ◯議長(佐藤正昭)次に、大槻正俊君に発言を許します。
〔四十三番 大槻正俊登壇〕(拍手)
17: ◯四十三番(大槻正俊)議長のお許しをいただきましたので、一般質問を行います。社民党仙台市議団の大槻正俊です。
来年四月から六月にかけて、単独開催としては二度目となる仙台・宮城デスティネーションキャンペーンを開催します。現在、さまざまな準備を進められています。前回は、初めてのことも多い中で、本格的な観光体制を築き上げて成功をおさめました。
四十三万五千五百八十八人から二十一万七千八百五十八人に、るーぷる仙台の平成二十二年度と平成二十三年度の乗車人数です。震災後の観光客がいかに落ち込んでいるかを示す数字です。ことし四月から六月にかけて行われたプレDCでは、宮城県内の観光客数は、懸命に取り組まれたものの、大震災前の二〇一〇年度同期を一三・九%下回り、全地域で震災前水準に戻りませんでした。
それだけに、原発による風評被害などもあり、震災後落ち込んでしまった観光客の数をこの機会に回復させるため、仙台の、そして東北の地域経済を少しでも活性化させるため、本腰を入れて成功させていかなければなりません。取り組みを補強する視点から、以下、提言をしながら伺ってまいります。
第一点目は、観光交通などの受け入れ環境整備についてであります。
近年、バス旅行が活発に行われております。大型バスでまとまって観光客がやってまいります。受け入れ体制は、米沢市の上杉城史苑や会津若松市の鶴ケ城公園など、多くのところで体制が整っております。
仙台市の場合、観光案内をする方々の悩みがあります。牛タンをゆっくり食べたい、まとまった土産があるところで買い物をしたいとよく言われる。バスは駐車場所を求めてさまようか、遠くに駐車場所を求めている。大型バスが駐車して食事、買い物が一体でできるようにしてほしい、こうしたことをたびたび言われているということです。
今回のコンベンション施設建設との関連の中で、青葉山公園構想の中で求められているものを最大限意識して、実現していくべきであります。しかしながら、その方向に進まないという場合は、広く市内の努力されている店舗での回遊型での食事、土産物を求めてもらうということであれば、中心部でのバスの降車、乗車場所をしっかりと確保すべきであります。
また、仙台商業跡地を観光客向けのパークアンドライドの拠点、コンベンション施設駐車場として活用するというのであれば、女性トイレを多く配備したトイレ施設の充実、観光情報提供場所の確保をしっかりと行うことを求めます。
その上で、本市観光交通の柱とも言える、るーぷる仙台についてお尋ねいたします。
地下鉄東西線の開通、仙台城石垣修理の完成後に、路線など本格的な検討を行うべきでありますが、ここでは当面の課題について申し上げます。
前回のDC期間の特別企画として大崎八幡宮方面特別運行が実施され、平成二十二年四月から恒常化運行されております。乗車人数も年度を通しての運行がなされた平成十二年度の約二十一万人から、平成二十二年度は実に約四十三万人と順調に伸びてきたことは、喜ばしい限りであります。
仙台駅前を出発して仙台駅前に戻る一周の所要時間が一時間十五分で、全て瑞鳳殿方面への右回りのコースであります。このため、始発の仙台駅前九時のバスに乗車した場合、大崎八幡宮前は九時四十九分着となっております、大抵この前にどこかを見てくる方も多いわけです。そのため、大崎八幡宮の見学者は、午後の後半か夕方が多くなります。やむなく午前中、直接タクシーでいらっしゃる方も多くおります。一日数本でも、逆回りコースを設定するなどの工夫が必要です。お考えを伺います。
運行間隔は、現在、平日が三十分間隔、土日祝日と八月の全期間が二十分間隔であります。DC期間中及び再来年以降も含めたゴールデンウイークは、十五分間隔にするなどの検討も必要です。お考えを伺います。
第二点目は、観光ボランティアの方々とも連携した、仙台市内の観光コースづくりです。
前回の取り組みの中で、関係されている方々の懸命な努力により、観光ボランティアの方々の組織とレベルが飛躍的に向上しました。これは、ボランティアの方々の並々ならぬ努力の積み重ねがあってこそであります。あるグループを例にとれば、会員から毎月五百円の会費を徴収しています。支援なしで自前で研修会を行って、研さんを積まれております。せめて、より専門的な分野、講師料が高額となる分野は、仙台市や観光コンベンション協会などで研修会を行い、参加を呼びかけていくべきであります。また、互いの情報交換への協力、新情報の提供、活動の積極的な紹介など、支援を行っていくべきであります。
現在は、小旅行、課題を持っての旅行、グループ旅行が、大きな比重を持っております。こうした現状を受け、長崎市では、長崎さるくの取り組みとして、数多くの歴史などの地域資源を生かしたコースづくりを行い、個人旅行客を伸ばしております。坂本龍馬が歩いたコースはもちろんのこと、長崎における会津藩ゆかりコースまであります。
仙台でも、前回を踏まえ、地域資源をさらに掘り起こして、多様な各種コースをつくっていくべきです。伊達家四代以降の大年寺山コース、支倉常長ゆかりコース、祈りのまち仙台三十三観音の中の市内コース、仙台七福神コース、横町文化めぐりコース、そして津波コースなどいろいろと考えられます。
観光ボランティアや歴史ボランティアの皆さんの提言、意見を聞きながら、その協力のもと、興味と関心を持たれる新たなコースづくりを検討すべきです。現段階の準備状況も含めて、お考えをお伺いいたします。
第三点目は、広域連携の取り組みであります。
前回は、広域観光圏が次々とでき上がり、協力し合っての観光の形ができてきました。より新たな要素を加えて、前回にはなかったルートづくりを提言します。
一つは、米沢ルートです。米沢市は、伊達政宗公が当時の最大領土を拡大した拠点の地で、二十四歳まで本拠地とされました。伊達家ゆかりの舘山城跡や桃源院、慶福寺など、さらに仙台に移転してくる資福寺跡など、伊達家関係のたくさんの史跡があります。しかしながら、主に上杉家の歴史が語られ、伊達家の歴史が埋もれてきましたが、米沢市も最近、光を当てようとしておられます。特に居城と思われる舘山城は、現在盛んに発掘が行われ、歴史が明らかになろうとしています。私も、舘山城保存会の方の案内で二度登ってまいりましたが、全ての街道の様子が見渡せる、川を防衛線にした要衝で、戦国時代ならではの守りのかたい山城です。仙台城をも連想しました。
二つは、白石ルートです。政宗公を支えた片倉小十郎、喜多の足跡があります。愛姫の父、田村清顕の墓標もあります。加えて、伊達家、片倉家への信頼から真田幸村から託された遺児が、五人も白石で養育されており、子孫も伊達家家臣として続いてきており、歴史ファンなら興味深いものがあります。白石城は、全国的にも木造で復元された城は掛川城、白河小峰城と白石城しかないだけに、価値も高まっています。
三つ目は、ふるさとルートです。伊達家の発祥の地、地力をつけた地である福島県伊達市、伊達郡であります。政宗公の初陣祈願や三春からの愛姫受け取りをした場所である梁川八幡神社や本拠地梁川城、一番最初の輪王寺跡を初め、たくさんの足跡があります。
四つ目は、会津ルートです。来年のNHK大河ドラマは、新島八重の生涯を描いた、八重の桜であります。江戸時代から明治時代にかけての東北も描かれています。白虎隊でただ一人生き残って歴史の証言者となった飯沼貞吉は、その後の生涯を仙台で暮らしています。仙台藩は、奥羽列藩同盟の盟主でもありました。会津と仙台の観光連携をより強めるべきです。
五つ目は、平泉ルートの強化です。世界遺産だから連携を深めようというのではありません。我が会派は、以前から平泉視察を行い、連携の強化を提言してきました。平泉は、藤原氏が滅亡して以来寂れておりましたが、水沢から南が仙台領となり、仙台藩の庇護のもとに地域の方々の努力で歴史が保たれてきて、今日、世界遺産となっております。初代政宗公の中尊寺表参道、月見坂の杉並木整備、白山社能楽堂の寄進、四代綱村公、五代吉村公の毛越寺保護の厳命があります。寺院であるにもかかわらず、中尊寺本堂表門への伊達兵部邸の門、毛越寺に田村、一関藩の門の移築は、目を引くところであります。
ようやくこうしたことの理解が広まり、世界遺産指定を機につくられた平泉遺産文化センターには、スペースを割いて仙台藩と平泉のかかわりについて展示がされております。また、仙台市出身の荒木飛呂彦さんも、震災後、平泉に絵を寄せられるなどしています。仙台藩ゆかりの平泉ルートを、改めて設定することです。
また、桃山文化の薫る寺社めぐりという視点でのルートづくりもあります。仙台周辺には、華麗な桃山建築、またはその遺風を伝える神社が残されております。伊達家は、昔から京都とのつき合いが深かった家柄です。政宗公は、三十四歳のとき、一六〇〇年に、仙台の地に城とまちをつくり始めました。仙台において、仙台城を初め、まちの守りとなる神社の建築に桃山様式を取り入れ、都の文化を移植したいという気概からだったと思っています。現存する桃山様式の神社では日本で一番古い国宝大崎八幡宮、陸奥国分寺薬師堂、白山神社、鹽竈神社、瑞巌寺などがあります。
桃山文化は、一五九〇年に豊臣秀吉が天下統一を果たし、戦乱がほぼ終息した時代に花開きましたが、徳川政権に移行する過程で、京都、大坂では、豊臣家の滅亡とともにほとんどなくなってしまいました。
最近、観光宣伝の中にこのことが紹介されるようになりつつあります。さらに大きく宣伝を強めていくべきであります。これからは、団塊の世代の方々が第一線を退き、生涯学習などに目を向けてくる時期です。観光バスや観光タクシーなどと連携、連動した広域的な視点でのコースづくりの取り組みを行うことです。
以上、新たなルートづくりについて、御所見をお聞かせください。
第四点目は、被災地を理解してもらう取り組みです。
大震災を乗り越え、交流人口の拡大、観光に生かしていく取り組みについて伺います。震災の記録を長く伝えるためのメモリアル保存、展示について、現在までの取り組み、考え方をお示しください。
岩手県では、県を挙げて、大震災の被害実態を全国の皆さんに理解していただき、教訓にしてもらい、みずからの復興にも生かそうと、被災地バスツアーを積極的に取り入れています。全国の皆さんに、被災地が今何に困っているかなどの正確な情報発信が必要です。地震が頻発する中で、被災地のことを真剣に理解してもらえるように、私たちも積極的に取り組んでいくべきであります。
仙台市内でも、大震災の被災地を案内し教訓や復興状況を伝える語り部タクシーの運行が、十月から行われています。宮城復興支援センターの養成講座を受講し、認定証を受けています。こうした取り組みを強化することですが、お考えを伺います。
また、せんだいメディアテークなどで、大震災の教訓展、文化財レスキュー活動展などを開催して、全国の皆さんにも発信する活動を行っていくべきです。お考えをお聞かせください。
第五点目は、教育旅行の誘致についてであります。
気仙沼市では、震災後でもたくましく観光計画をつくってまちおこしをしようとしており、大きな打撃を受けたにもかかわらず、改めて地域資源を掘り起こす委員会までつくって取り組んでおります。そうした中で、仙台市への要望として、これまで大島などに仙台から六校に来てもらっていたが、ぜひ、教育旅行に来てほしいと、観光課長から要望されました。
会津若松市では、震災後、修学旅行などが激減したので、復活を目指して、一番近い政令市である新潟市の全ての小中学校を訪問して、教育旅行のお願いをしています。山形県最上町でも、つながりを生かして、積極的に誘致に取り組んでおりました。
確かに、少子化の影響で、教育旅行の宿泊者数は減っております。しかしながら、高校生以下の世代に仙台に訪れてもらうことを積極的に取り組むべきであります。我がまち仙台に好感と愛着を持ってもらうことにより、近い将来の観光客として、より多くの方々を連れてきてもらえることにつなげていくべきです。青少年対象のコースの設定を積極的に行うべきであり、その中では、大震災の被災地を訪ねることも入れていくことです。
また、大震災の影響により、市内の児童生徒による市内での教育旅行が増加しているということであります。自分たちのまちを見詰める、再発見する、いい機会であります。
仙台市内への、教育旅行で訪れる青少年の拡大に向けてのお考えを伺います。
第六点目は、食による観光PRであります。
この間、横手焼きそばの取り組み、岩手DCの中での奥州市の水沢商人まつりと同時開催の奥州はっとフェスタなどに伺ってきました。奥州市の場合、二十六回を数える商人まつりに合わせ、まちおこしとして三年前からは、はっとフェスタが開催されるようになりました。
食を通じたまちおこしは、各地で行われるようになり、広がりを見せてきました。DC期間中に、被災地支援フェスタとして、食の紹介と地産の取り組みを強めるべきです。海産物を使った三陸沿岸のおいしいものフェスタ、東北各地のはっとフェスタ、東北山菜食フェスタなどの取り組みを、市民の広場を中心に行っていくことであります。お考えを伺います。
第七点目は、長期的視点での作並温泉の振興策です。
瀬見温泉と作並温泉が同じような規模であることから、山形県最上町を視察して、最上町の観光課長、最上町観光協会会長、瀬見温泉旅館組合組合長から多くのお話を伺ってまいりました。
最上町では、定住人口が激減し、一九八〇年に一万三千百九十人であった人口が一万人を割ってしまっていることから、百万人交流促進条例を制定し、百万人交流のまちプロジェクトに取り組んでおります。最上町に関心を持ってもらう人を全国から友好会員として登録してもらい、百万人つくろうという取り組みであります。積極的に交流支援人口を拡大していこうということです。
大震災後は、町から補助を出して、被災者に各旅館に分宿してもらいました。主に岩手県の被災者を受け入れました。特に大船渡市に合併した三陸町とは姉妹都市であったことから、この方々には、二泊六食六千円の助成を七千人分、町で負担するなどの取り組みも行いました。こうした取り組みで、震災前よりも、瀬見温泉、赤倉温泉など最上町の旅館への宿泊客は震災前よりも二割ふえました。さまざまなつながりを求め、震災後、教育旅行もふやそうとしました。仙台市からは二泊三日で富沢中学校が参加し、一日目は町内の農家での民泊農業体験も行っています。
瀬見温泉旅館組合では、料理の九割は地場のものを、説明を入れて使っており、徹底した地産地消に取り組んでいます。知名度がないので、かつ温泉施設でも勝負できないので、料理で勝負するとしております。朝食バイキングには、町が生産日本一を目指している、出荷に至らない規格外のアスパラガスをたくさん食べてもらおうとしています。日本酒も、温泉地内にある造り酒屋のものだけを表示して出しています。
加盟旅館全体の繁栄を目指して、例えば富沢中学校の例を挙げれば、各旅館に分宿して、統一献立で対応しています。旅館に格差があるので、格差のあるところはジュース一本をつけたそうです。
温泉組合の施設を利用して、日曜朝市を行っています。近所の主婦の方々の生産物の持ち寄りと運営で行っておりますが、手数料は取らずに還元しています。共同浴場も温泉組合で存続させています。散策コースなど、義経、弁慶とのかかわりの歴史資源を生かしています。
こうして、地域の皆さんとのきずなを大切にしながら、瀬見温泉を存続させようとしております。
作並温泉も、百万人のファンづくり、地域とのきずなづくり、交流電化発祥の地としての作並駅との連携などによる奮闘を期待するものであります。さらには、秋保温泉とともに、自然散策コースの整備が必要です。瀬見温泉の百万人の交流者づくり、被災者の受け入れ、徹底した地産地消、地元者による朝市運営、教育旅行の分宿、地域とのつながりづくりなど、学ぶことは多くあります。今後の作並温泉の振興策に生かしていくことを求めます。御所見をお伺いいたします。
以上、さまざまな提案をしてまいりましたが、冒頭申し上げましたように、今回のDCが、仙台そして東北の観光の再生、早期の復興に向けた起爆剤となるよう、前回のDCにも増して、関係者と一体となった取り組みが必要と考えます。
最後に、来年のDCに向けた市長の御所見をお伺いして、質問を終わらせていただきます。
御清聴いただきまして、ありがとうございました。(拍手)
18: ◯市長(
奥山恵美子)ただいまの大槻正俊議員の御質問にお答えを申し上げます。
来年春の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに向けた取り組みについてのお尋ねでございます。
震災から一年九カ月が経過をし、被災地の復興、そして大きく傷つきました観光も含めた地域経済の回復を図る中にあっては、裾野の広い観光産業を立て直し、その効果を経済全体に波及させていくことが重要であり、今回のキャンペーンは、その大きなきっかけの一つとなり得るものと考えております。
また、国内外から訪れる方々には、震災の記憶や教訓、多くの御支援に対する感謝をお伝えするとともに、復興の過程でつくり出した、新しい価値や地域の魅力を発信していくことも、大切な視点であると考えております。
来年は、慶長使節出帆四百年という節目の年でもございます。例えば、伊達ゆかりの地との連携をさらに深めるなど、伊達の歴史と文化に改めてスポットライトを当て、本市の観光の魅力をさらに高めてまいる考えでございます。
今後、ただいま頂戴いたしました御提案も踏まえながら、キャンペーン期間中の集客促進に向けて取り組むとともに、中長期的な視野を持ち、新しい観光資源の創出や、市民、事業者が一体となったおもてなし体制の確立、周辺市町村はもとより東北各地との広域的なネットワークなど、観光の総合力をしっかりと培ってまいる所存でございます。
このほかの御質問につきましては、関係の局長から御答弁を申し上げます。
以上でございます。
19: ◯復興事業局長(山田文雄)私からは、被災地を理解していただくための取り組みに関連しまして、震災メモリアルの保存や展示に関するお尋ねにお答えいたします。
東日本大震災の記憶と復興の姿を後世に継承し発信することは、被災を体験した我々世代の責務であり、復興計画に震災メモリアルプロジェクトを掲げたところでございます。
これまで、せんだいメディアテークにおきまして、市民による復興の記録に関する取り組みを支援したほか、現在作成中の発災後一年間の行政対応に係る記録誌など、各部局において、震災関連の記録を取りまとめております。
今後、海岸公園へのモニュメント整備や、津波遺構の保存、震災の記憶を後世に伝えるメモリアルの保存、展示のあり方などにつきまして、幅広く検討してまいりたいと考えております。
以上でございます。
20: ◯経済局長(高橋裕)仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに関する数点の御質問にお答えをいたします。
まず、観光交通などの受け入れ環境整備、仙台市内の観光づくりと広域観光についてでございます。
ただいま市長からもお答えいたしましたように、本市の大きな魅力である伊達の文化や歴史に改めて光を当て、観光の取り組みのあらゆる面で伊達色を強調しまして、本市観光の個性、魅力をさらに際立たせてまいりたいというふうに考えてございます。