みやき町議会 2006-09-13 2006-09-13 平成18年第3回定例会(第4日) 本文
そういうふうなことで、市村先生におかれましては、いろんな遺品があろうかというふうに思っております。私も市村先生が書かれました2冊の本をもらっておりますが、そういった本もあるわけです。
そういうふうなことで、市村先生におかれましては、いろんな遺品があろうかというふうに思っております。私も市村先生が書かれました2冊の本をもらっておりますが、そういった本もあるわけです。
演歌歌手でありました故村田英雄氏の業績や遺品などを展示していますが、数多くの方にご来場いただき、1年目にして2万7,000人を超える入場者となっているところでございます。 以上申し上げました中で最も効果のあったものといいますと、やはり村田英雄記念館の開館ではないかと思います。これまで町民中心であった商店街に1年間で約3万人もの方が訪れるようになりました。
そうした意味におきまして、地域のご紹介、アピールをいたしますと、ここからですね、東京女子医大創設者の吉岡荒太先生、これは田野出身ですけども、また慶應義塾大学の塾長でありました林毅陸先生など、郷土の偉人としまして、その遺品が今も文化会館の方に展示されているわけでございます。それが私たち郷土の誇りでありますし、歴史的な人的な無形の資産、宝でもあると言えます。増田敬太郎さんもいらっしゃいます。
いずれの構想につきましても、あくまで黒澤明監督の名前、ネームバリューを使用するだけであり、市と黒澤プロダクションとの契約に抵触するような黒澤明監督の遺品を常設展示し、監督の偉業をたたえるメモリアル的な施設ではないという内容を得、市といたしましては、記念館建設を進める上で問題や課題等を生じる構想ではないと判断いたしたところでございます。 以上でございます。 ○議長(黒川通信) 市民病院事務長。
内容は、あそこの中身での遺品が本当同じ物ばっかりだからとかですね、交代できていないと。やっぱり久米助役さん、私と一緒に連雲港にも行ったし、それから職員交流もしましたよね。職員交流で連雲港から来よるわけですよ。本気になってやろうと思えば、連雲港市から遺品を持ってきて交換はできるのが、そのために連雲港市との職員の交流はやったと思うんですね。
しからば同様に、物を燃やすという概念から見たときに、私は火葬場の焼却炉というものも、この火葬場の焼却炉という斎場という厳粛な場所でございますから、触れにくい部分であることは百も承知しておりますが、そのことをお許しいただいてお尋ねするわけでございますが、絶えず常温から燃焼し、時間をかけて高温に至るという物理的現象、そして同時に処理される多種多様な遺品があるだろうと想定したときに、ここではダイオキシン等
最後に、日本の自然、農業、食べ物、環境と食農教育の膨大なデータベースがございますが、本当にWTO失敗すると世紀の変わり目に遺品となるような可能性が生じてまいります。日本農業の将来は私は家族農業にあるべきと思いますが、教育委員会におかれましては、総合学習の中で有料ではありますが、この食農教育のデータベースを活用して21世紀への明かりをつないでいただくことを期待して、質問を終わります。
平和展の計画概要については、まずことしも昨年大変感動を受けたカンボジアの戦火の中で消息を絶たれました一ノ瀬泰造氏の写真展、また、その貴重な遺品の展示ができないものか、現在、御遺族の方に交渉をしているところであります。そして、立命館大学の国際平和ミュージアムの協力を得まして、現代の戦争と子供たちに関する写真パネル展コーナーを今回初めて設ける予定でございます。
次に、活用をどのように考えているかでありますが、寄贈を受けました物件は、建物と山口画伯の絵画や生前に使われていた生活用具の遺品などがあります。現在のところ、山口画伯の絵画や遺品につきましては、市立図書館において平成10年5月に「山口亮一画伯とその家族展」、11年3月に「山口亮一画伯を知りつくす展覧会」などの企画展を開催し、また歴史民俗館の旧古賀銀行においても絵画を常設展示しております。
まず初めに、北部丘陵新都市開発についての「人と自然・技術・文化のふれあう人間交流都市」を目指して事業がなされた事業地帯より多くの弥生時代の遺跡が発掘され、埋蔵品からして、吉野ケ里遺跡と比較してもその価値観は類を見ないほどの遺品が出土したことは、考古学に関心をお持ちの市民であれば、保存活用することに最も関心の的であると存じます。
また、開催内容につきましては、長崎原爆資料館や広島平和記念資料館から原爆遺品や写真、パネルなどを提供していただき、これらの資料を中心に展示いたしたところであります。 展示につきましては、毎回特徴を持たせ開催しております。例えば、「女性が綴る戦争体験記・苦難のみち」の展示や被爆体験講話、劇、平和コンサートの開催、作文、感想文、平和の折り鶴など募集展示を行いました。
活用方法についてはまだ内部で検討中でございますが、仮に山口亮一画伯の遺品、絵等の常設展示をした場合は、盗難等の予防のためのもろもろの備品が必要になってまいります。
、後半には「今後は山口画伯の市所蔵品展を常設展として、期間を決めてパレットや筆などの遺品を拝借し、有名な絵詞(えことば)の原画なども並べて特別展を計画したいと思っています。この館はいわゆる博物館ではありませんが、歴史的な企画展も年一、二回は開いていきたい。来年は佐賀の七腎人展を考えています。また市民の方々には、この空間をいろいろなことに使ってほしいと思っています。」
それと同じように佐賀市にも空襲があったということや、戦時中の暮らしを伝える遺品や資料など佐賀市民とのかかわりをもっと大きく位置づけることを必要と考えます。戦後50年のときの平和フェスタではこうした資料が約40点市民から寄せられていますが、その後は昨年が佐賀新聞報道分で40点、ことしは4名の市民から9点にとどまっています。
◎教育長(櫻木末光) 久保泉工業団地造成に伴う発掘調査、埋蔵文化財の出土についての、その遺品の展示についてということでございますが、宮本議員さん先ほど御説明がございましたように、平成3年5月からここは発掘調査に着手しまして、平成6年11月末で約16万平米の遺跡の発掘調査を行いました。
今回は第1回目の平成4年8月の市役所市民ホール、第2回目の平成5年8月の佐賀玉屋特設会場に次ぐもので、市当局並びに佐賀市教育委員会を初め、長崎市の財団法人長崎平和推進協会や佐賀市地域婦人連絡協議会等の協力もあって、長崎の原爆遺品や写真パネルコーナーや、語り部さんを招いての被爆体験講話と映画上映コーナー、さらには、佐賀市地域婦人連絡協議会編集の女性がつづる戦争体験記苦難の道の展示コーナー等文字どおり「
鳥栖市の平和運動のシンボルとして、この戦争をくぐり抜けてきたピアノを核に、戦争にまつわる歴史的文書、あるいは写真、鳥栖市内に残っているそれぞれの遺品と申しますか、当時を語るものをこの際、市が責任をもって集め、保管、展示をしていくことが必要ではないかと思うからです。いかがでしょうか、お尋ねをいたします。 最後でございます。老人保健福祉計画について。
今回は広島にスポットを当てまして、広島の原爆遺品35点、また、写真、ポスター20点、広島市民の描いた原爆の絵50点の資料を、広島平和記念資料館と広島平和文化センターから借り受けまして、展示いたしたところでございます。また、佐賀市地域婦人連絡協議会が編集された、女性がつづる戦争体験記「苦難のみち」も同時に展示いたしました。
また、各種文化遺品についても、市民の目に触れる場がないのが残念です。立派な博物館に入れられればいいんでしょうけれども、当面、そういったことはまだ先の話になるかと思います。先ほど、市民全体の盛り上がりということでしたけれども、市当局の意欲の盛り上がりも期待したいというふうに思います。
内容といたしましては、新聞社の方から昭和19年から20年の市民生活の記事、また原爆遺品等、それから戦争遺品等の展示をいたしたところでございます。平成5年度には第2回の平和展を開催を計画いたしております。今回は8月15日から20日までの6日間を、佐賀玉屋新館6階の特別会場を借り上げまして、展示資料といたしましては、広島平和記念資料館及び広島平和文化センターから取り寄せるよう計画いたしております。