糸満市議会 2022-09-21 09月21日-06号
ア、不発弾は住民が持ってきたものか、国が行った戦争で投下されたものなのか。イ、不発弾探査時の樹木の伐採や撤去を所有者に行わせることについて市の見解を伺う。 件名6、三和校区の3小学校、1中学校の危険箇所について。三和中学校、真壁小学校、喜屋武小学校、米須小学校に訪問し学校運営やPTA、部活動関係者から、学校の整備上の危険箇所や問題等の情報交換を行った。本市においての対応を伺う。
ア、不発弾は住民が持ってきたものか、国が行った戦争で投下されたものなのか。イ、不発弾探査時の樹木の伐採や撤去を所有者に行わせることについて市の見解を伺う。 件名6、三和校区の3小学校、1中学校の危険箇所について。三和中学校、真壁小学校、喜屋武小学校、米須小学校に訪問し学校運営やPTA、部活動関係者から、学校の整備上の危険箇所や問題等の情報交換を行った。本市においての対応を伺う。
一貫しているのは、国民主権と戦争反対です。戦前戦争に反対する国民は、刑務所に入れられました。それでも戦争に反対してきました。小説家の小林多喜二や、二十歳過ぎで獄中で死亡するに至った伊藤千代子という党員がいました。私たちはずっと戦争に反対しています。ですから私も、私たち日本共産党は保守であると思っています。かたくなに自分たちの信念を保ち続けているということです。
ウクライナ戦争もありました。今非常に深刻となっているのが円安、こういう社会状況、経済状況が悪い中で事業を進めていくというのはなかなか大変なんですね。これを私たちは見ないといけないんですね。だからそういう状況の中で事業を進めていくというふうなことがいかに行政にとっても困難なのか。私たち議会もきちんとそういうときだからこそチェック機能を果たさないといけないというのは当然のことでありますけれども。
本員は沖縄県を代表する知事がそういうことでいいのか、ウクライナの戦争で約1万人以上、ロシアの兵士も合わせたら3万、4万人ときかないはずです。また、小さな乳飲み子の子供がテレビに出て、亡くなって、その子供を抱えているお母さん。そういう大勢の方々が犠牲になっている。亡くなっている。学校も攻撃された。保育園も攻撃された。毎日、毎日ニュースを見て、何を感じているのか。小さい子供たちでも分かっているのです。
もう一つは、最後の質疑になりますけれども、結局この抗議決議の知事の発言というものは、ウクライナ戦争に対する評価のことについて言っているのかについて確認したいと思います。 ○議長(金城寛) 休憩いたします。
皆さんもこの77年がたった戦争という部分を自分たちでそれぞれの解釈があると思うのですが、それを後世にしっかり伝えて、平和な世の中をつくっていきたいと思っております。 それでは質問事項1.市長の政治姿勢について。 質問の要旨(1)三期目をむかえての市長の意気込みをお聞かせください。 ○小浜守勝議長 桑江市長。 ◎桑江朝千夫沖縄市長 おはようございます。
戦後77年を迎え、戦争体験者が減少していく中、多くの貴い命が奪われた沖縄戦を風化させることなく、戦争の悲惨さや平和の大切さを継承し、平和な社会を創造していくには、継続して市民の平和意識の高揚を図ることが重要であると考え、毎年、平和パネル展を開催しております。 そのほかの慰霊の日事業としましては、中央公民館にて6月6日から7月1日まで、慰霊の日パネル展を開催しております。
戦争は、自力で避難できない子供、障害者、高齢者、経済的貧困の難民にもなれない人々が犠牲になり、将来的被害を被ります。心理的被害、PTSD、精神障害、支援の必要な人を大量に生み出します。戦争が終わっても、将来にわたって苦しみと困難をもたらし、人間の尊厳を否定するものです。私は……すみません。休憩お願いします。
そして、米軍の戦争歴史の碑にありったけの地獄を集めたと刻まれております。 過去の大戦で身も心も傷つき、家族や親戚、そして愛する人を亡くされた方々は、二度と戦争という悲惨な歴史を繰り返してはならない、また戦争につながる基地は要らないと、戦後77年たった今でも声を上げ続け、戦争を知らない若者の世代に平和の大切さを語り継いでおります。
復帰50周年、5月15日の沖縄タイムスの記事で、辺野古では新基地建設が進み、戦争の足音が聞こえてくると。16歳のときに沖縄戦を体験しているので、戦争は二度とあってはならないと。どうしたら平和の島になるか若い人たちは考えてほしいと言っております。申し上げたいことは、前政権は防衛省による説明会には一度も出席をしませんでした。
6月23日の慰霊の日を前にして、77年前の沖縄戦と太平洋戦争で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。沖縄は50年前、日本復帰を実現しました。1951年9月8日に署名され、1952年4月28日公布されたサンフランシスコ講和条約によって沖縄は日本本土から切り離されました。日本本土にあった海兵隊など沖縄に移転配備され、銃剣とブルドーザーで米軍基地が拡張され沖縄に集中しました。
かつての戦争が本土を守るために沖縄を犠牲にしたように、また同じ事を平気で考えている政府自民党、本当にしなければならないのは戦争を起こさない台湾有事をつくらない外交努力であってミサイル配備ではないはずです。平和とは何でしょう。慰霊の日は何のためにあるのでしょう。かつて4人に1人が犠牲になったあの戦争、私たちは忘れてもいいのでしょうか。
3番目に、太平洋戦争後、日本は1952年にサンフランシスコ平和条約の下で独立を回復したが、沖縄はその後もアメリカに支配され、日本に復帰したのは1972年5月15日であった。ちょうど50周年の節目を迎えます。国内のアメリカ軍基地の専用施設の約70.3%は沖縄県に占めます。宜野座村もその一つで軍用地が51%、提供施設である。
私たちはこの沖縄戦終えんの地、この糸満市で今の世界の状況、そして日本の政治における平和と戦争の問題をきちんと受け止めていかなければならないと思います。私は常々思うのですが、このロシアによるウクライナ侵攻、私たちのこの国でも、戦前戦中、日本帝国主義と言われました。明治憲法下でいわゆる軍国主義の下で、中国をはじめとする侵略戦争を行い多大な犠牲を侵略戦争によって失いました。
祖父母、父母の語る沖縄戦の恐ろしさと、実際に目にするベトナム戦争の醜さを重ね、露骨な米軍支配の差別と占領意識に身を震わせながら、大人たちの多種多様な抵抗と迎合の姿を目にして復帰を迎えました。当時、永遠の戦争放棄と人権が尊重される平和憲法の下で生活することが沖縄の人々の願う復帰でした。しかし、50年たった今も沖縄の現状は変わりません。
やっぱり戦争は絶対悪だということを忘れさせないために、非核平和宣言の碑の建立をお願いしたい思いますが、いかがでしょうか。 ○議長(港川實登君) 総務財政課長、宮田健次君。 ◎総務財政課長(宮田健次君) 先ほどの村長からの答弁のとおり、本年度予算化しておりますので、建立につきましてデザインとか、そういった文言とかを含めまして、今後検討していくこととしております。 以上です。
このロシア軍によるウクライナ侵略で教訓にすべきことは、「力対力」による抑止力の考えでは戦争を防ぐことができないことである。ASEAN加盟国シンガポールのリー首相は5月下旬に東京で行った講演会において「ヨーロッパの経験を研究し、教訓を学ばなければならない。
それから海外ではロシア軍によるウクライナ侵攻で、戦争をしております。小麦の一大生産地であります両国がそういう状態にありますので、世界的な食糧危機、小麦の争奪戦が起こり、価格も1.5倍と高騰しております。また気候変動でインドでは記録的な熱波、それにより野生動物が大量死するという状況が起こりましたし、またアメリカ、フランス、ブラジルなどで干ばつに見舞われるというような状況がございます。
戦争も暴力もない社会を築いていくことを誓いたい。平和な世界と幸せな人生が送れる社会を日常の中で創造していくことがいかに大事なことかを改めて痛感させられる日々が続いています。自他共の幸福を願い、他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならないことを心に刻みたい。それでは子どもの笑顔輝く名護を目指して一般質問に入りたいと思います。質問の事項1 脱炭素社会の実現に向けて。
市長、私はロシアのことではなくて、地元の市長としてロシアの戦争、紛争を見て、真っ先に基地が標的にされるということを見て、市長として地元に新たな基地が造られることを鑑みてどのように考えているかをお伺いしているんです。よろしくお願いします。 ○大城秀樹議長 渡具知武豊市長。