川越町議会 2015-12-08 平成27年第4回定例会(第1日12月 8日)
これまではマンホールトイレといいますと道路上にある下水マンホールに直接仮設トイレを設置をして使用するタイプが一般的でございましたけれども、このタイプですと、災害復旧に伴う作業等の妨げとなるばかりではなく、余震時の避難にも支障を来すことが考えられます。また、災害の規模にもよりますが、災害時に下水道管が健全な状態で使用できるかどうかわからない部分もあろうかと思われます。
これまではマンホールトイレといいますと道路上にある下水マンホールに直接仮設トイレを設置をして使用するタイプが一般的でございましたけれども、このタイプですと、災害復旧に伴う作業等の妨げとなるばかりではなく、余震時の避難にも支障を来すことが考えられます。また、災害の規模にもよりますが、災害時に下水道管が健全な状態で使用できるかどうかわからない部分もあろうかと思われます。
地震発生に際しましては,余震の可能性や,自宅や周辺の被害状況,あるいは家族の安否などを確認してから,避難行動を始めることが肝要でございます。そうしている間に,収容避難所となる学校に市の担当職員が配置されていく状況も考えられます。また,地震からの避難場所といたしましては,校舎内ではなく,体育館に避難していただくことになっております。
逆に言うたら揺れて緩くなりますから,もし仮に建ってたとしても余震が来たらもう絶対潰れる可能性がある。だからそういうことを考えて,僕はこのいのちの鐘については,非常に目玉かもわからないですけども,再考を要するプロジェクトじゃないかなと思っています。 ○池上委員長 防災危機管理担当理事。 ○中西防災危機管理担当理事 貴重な御意見ありがとうございます。
津市地域防災計画の中での応急危険度判定にかかわる見出しの文章ですが、「南海トラフ地震などにより被災した宅地建物は、その後の余震などで人命に危険を及ぼす2次災害のおそれがあるため、危険度判定士を派遣して応急的に危険度判定を行い、その危険性を住民などに周知することにより2次災害を防止し、市民の生命の保護を図ります」とうたわれております。
しかし、その後、何度となく大地震に匹敵する余震が発生します。過去の例からもかなり発生しております。阪神大震災では、残っていた建物が余震で倒壊したというのをテレビでも見ました。避難先の建築物が安全かどうかを判定するという応急危険度判定が必要となります。応急危険度判定は、平成7年の阪神・淡路大震災の後、全国的に実施する体制が定まったとなっています。
このため被災地に人的,物的支援が入らずに,また余震などの情報不足から不適切な災害対応につながったというふうに言われています。情報が秘密にされ,政府に統制されることは何ら国民のためにならないどころか,むしろ国民を苦しめるものだと思います。 私は佐佐木信綱を学び,生徒に教えてきました。佐佐木信綱は,ここでもポスターを張っていただいてあるように第1回文化勲章受章者で,鈴鹿の石薬師出身の歌人です。
地震,余震の揺れの中で,電車の中のように,市民が携帯電話をのぞき込むでしょうか。家族は,家は,道路は,今からどうしようか,どこが安全なのか,その混乱の中に津波の可能性の情報が必要なわけです。地震の際には,車をとめてキーをつけたままにして避難するように言われていますが,冷静にキーをつけたまま避難してくれるでしょうか。
避難をしても、地震というのは余震というものがあるわけでございますから、例えば6強の地震が亀山で起こる、そういうときに余震があるわけです。この余震はいつ来るかわからないんですが、例えば4とか5なんですね。そうすると、避難をされて例えば非構造部材が、最初の地震でボルトとかいろんなものが緩んで、例えば天井が落ちたりとか照明器具が落ちたりすると大きな2次災害になるということでございます。
また,津波浸水予測区域外につきましては,津波浸水予測区域内からの避難先として,大きな地震動による建物の倒壊や火災,余震による落下物等からの身の安全を守るためのオープンスペースである避難地と,住居を失われた方や帰宅困難者の方々のための収容避難所に限定して,その所在地を掲載いたしております。御理解いただきますよう,よろしくお願い申し上げます。
また、最近も先月25日の栃木県北部を震源とするマグニチュード6.2、最大震度5強を観測したいわゆる地下直下型地震の発生や、東日本大震災の余震と考えられる震度4前後の地震も含め、全国的な規模で地震大国日本と言われる状況を顕著にしている状況であります。
これらの学習や体験で学んだ知識が実際の行動に結びつくように、避難をしている途中に余震が起こった想定や、停電により校内放送が使えない想定など、起こり得る状況にできるだけ近い形で訓練を行っています。さらに、近隣の学校、園との合同避難訓練が行われたり、地区主催の防災訓練に参加する子供たちがふえたりして、地域防災への意識も高まってきております。
先週の火曜日に、この質問を通告をさせていただいたところでございますけれども、3日後の7日には震度5弱の、東日本大震災の余震と見解が示されましたけれども、東日本で震源地も本当に近いところでの地震が発生をいたしました。そしてまた、けさは朝9時過ぎですね、福島で震度3という、そういった地震も起きました。
余震の程度については、軽い揺れから中ぐらいの揺れが1週間ほど続き、その後は8月まで1日七、八回の余震が続いていたとされますということですから、2カ月ぐらいずっと余震が続いたということですね。
そこからは歩くしかなく、途中雪が降り始め、余震が続く中必死に歩きました。もう少しで職場というところで、がけ崩れがあり通れず、戻って別な道を行きました。ただただ必死でした。 やっと学校に着いたときは5時半でした。到着したとき、学校には避難者がいて、対応に混乱していました。私は食事のことが気がかりでした。
東北地方の福島沖周辺の余震はここ数年間の間、続くと言われている。近年の地殻変動の結果を見ると、千葉県沖から東京湾にかけて以前より地殻変動が起き、活発化しつつある。近年に地震が起こる可能性が大いにあり、また、静岡県沖の東京湾と同じ種類の兆候が見られる。十分注意せられたい。 それからまた、これは、こういう川越町じゃなくて日本でも一番早くこの対策を取り組んだ県のことを言います。
送水管が破裂で断水が16日間、余震で4月16日まで断水。電話不通9日間続いたそうであります。 随分、歓迎を受けました。ちょっと写真をずっと適当に見といてください。 ここでは、本当に歓迎されました。相手から議長、副議長、総務の常任委員長、事務局長、滝口町長、総務課課長、総務課参事兼危機管理官、8人がずらっと並んでくれまして、ほとんど町長が説明をしていただきました。
特に、宮城県亘理町に隣接し、海岸から10キロ余り山側に入った柴田町では、人口も当町に近く、3万8,264人、3月11日の地震は震度5強、4月7日の余震も震度5強という町であります。菰野町の東海沖の3連動地震における予測震度は5強から6弱です。この点も柴田町と少し似ているのかなと思いながら説明を聞いておりました。
それで、私は歴史地震、「安政伊賀上野地震の顕著前震及び顕著余震」という書物を県立図書館でお借りしたわけなんですけれど、この辻東京大学地震研究所准教授が研究なさっております。安政の伊賀地震で、本震で液状化が、本震は6月15日発生しております。その6月13日の余震の折、上野城南西部の隅にありました藩校、崇廣堂のあたりで液状化があった。
とりわけ屋内運動場に関しては、避難所に設定されているということで、当然地震の一瞬的な対応だけでなくて、恒久的に避難所というふうに立ちかわった段階で、今回の東日本大震災もしかりですが、本震があって、その後余震、しかも6クラス、あるいは5クラスというのが本当に頻度高く発生をして、その都度そういう非構造部材に関する、中にはその後余震の中で脱落するとか、本震で弱った部分に対してさらに追撃を加えられて落下するとかという
朝のマッチングと言われるボランティアのニーズと派遣希望の突合をする打ち合わせ作業では、時期的に公共交通機関を使い現地に入るため、活動場所までボランティアを送る車が不足していること、海岸部で活動しましたが、携帯ラジオを持たされ、車は内陸に向け、余震による津波警報、注意報発令時には速やかに内陸へ移動することなどの細かい指示を受けました。 また、ボランティアセンター開設当初資機材が不足した。