宝塚市議会 2022-09-28 令和 4年第 3回定例会-09月28日-02号
4、山本園芸センターの北・南側の里帰りボタンについて。 6月の市議会で、草ぼうぼうで放置状態でありあまりにも恥ずかしいと指摘いたしました。草刈りをされた後、9月16日に再度確認してきましたが、ほとんど枯れてなくなっており、あまりにもみすぼらしいです。どうされますか。 5、JR武田尾駅のエレベーター設置に向け、市としての取組について。
4、山本園芸センターの北・南側の里帰りボタンについて。 6月の市議会で、草ぼうぼうで放置状態でありあまりにも恥ずかしいと指摘いたしました。草刈りをされた後、9月16日に再度確認してきましたが、ほとんど枯れてなくなっており、あまりにもみすぼらしいです。どうされますか。 5、JR武田尾駅のエレベーター設置に向け、市としての取組について。
質問項目の4、宝塚市立長谷牡丹園の現況と里帰りボタンの補植について。 まだコロナ禍ですが、4月1日から新たな指定管理者により管理運営がスタートし、3年ぶりになりますけれども、宝塚市立長谷牡丹園が開園されました。3月中頃から、すなわち新しい指定管理者による管理運営がスタートする前から、牡丹園の現況課題が幾つか明らかになってまいりました。
そして、全国各地から帰ってきたボタンは長谷の牡丹園で里帰りボタンとして美しく咲いています。 今や松江の由志園がボタンの出荷が一番ということになっておりますけれども、もともとは木接太夫の接ぎ木ボタンのふるさとは宝塚が発祥の地であることを忘れてはなりません。
やっぱりボタンの花、里帰りボタンとして各地から宝塚に帰ってくる、木接太夫の元となっているボタンですので、しっかりとやっていただきたいと思います。そして、どんどんにぎわいづくりのためにも、牡丹園、発展していっていただけたらなと思います。 あと2分しかありませんけれども、農業次世代人材投資事業補助金ということで、資料の116ページ、そして明細書の199ページです。
宝塚の山本地域からは日本全国に接ぎ木されたボタンが普及し、長谷牡丹園には全国のボタン園から里帰りボタンとして宝塚市に帰ってくるのです。 「立てばシャクヤク座ればボタン」と称されるボタンです。本来なら、宝塚市として歴史のあるボタンも宝塚市花として恥ずかしくない十分な品格を備えている花です。
もしそうして新しい方が、やってくださるという方が出てきた場合なんですけれども、今もなんですが、大根島のほうにかなりの量を買い付けに行っているかなと思うんですが、そうではなくて、しっかりと現場で、里帰りボタンって日本中からボタンが宝塚に帰ってきて、里帰りボタンと言われているのですから、そのふるさとである牡丹園でしっかりと生産もきっちりできるような業者を選定していただけたらうれしいなと思うんですけれども
皆さん、須賀川にしても九州にしても各地から、あの立派な由志園を持たれている島根からも、ボタンは、帰ってくるときは里帰りボタンという名前で宝塚市に帰ってまいります。そんな大事な牡丹園ですので、何とか存続をしていただけるようにお願いをしたいし、どうなっていくのかなということを少しお聞きをさせていただけますでしょうか。 ○岩佐 委員長 福永産業文化部長。
それは宝塚でつくったことによって、ボタンの花がたくさん咲くようになって、それを販売できるようになって日本全国にいったわけですから、須賀川から、宝塚市に里帰りボタンとして帰ってきた、そのボタンのことについて、西谷のほうからもよくあれ何とかしてくれよと、この市役所のここのお庭のボタンのことで言われました。
それが今、市役所の庭にもあるように里帰りボタンとして宝塚に帰ってきているんですが、いつも枯れそうになって心配なので、また手入れしてほしいなと思いますけれども、そういうふうに、やっぱり日本全国に発信してきたボタンのところが一番、木接太夫にとって大きな仕事だったのであろうなということを思っています。
もちろん里帰りボタンなんかも来ていますので、ああ宝塚が発信したんかなとは思うけれども、それって接ぎ木のことでの発信をされての里帰りだったんだなということで非常に感銘を受けた思いがあります。この方の功績についてはすばらしいものがあると思うので、何らかのことをやはりするべきだろうなということを感じます。
流通面では扱っている業者さんもいらっしゃいますけれども、ボタンを生産しているというのはもう山本地域でもほとんどないという状況で、長谷牡丹園の近くの圃場で、須賀川とかそれから松江からの里帰りボタンはある一定、圃場で管理をしているというような状況でございます。 ○大川 委員長 大河内委員。
こちらから見ていましても、非常にダリア園のほうはどんどんと進んでいらっしゃるというか、お花の種類も多いことですのでね、南部のほうにもどんどんダリアのあれ、発信されるというのが非常に感じるし、私たちも行きますけれども、ボタンのほうの広がりが、もともと木接太夫のこともあって、宝塚市のもともとの何かやっぱりゆえんの花であるゆえに、里帰りボタンなどということもあると思うんですけれども、広がりを感じられないんですが
それからさっき質問のあれが飛ばしちゃったので申しわけないんですけれども、里帰りボタンですか、これは長谷にも南部のほうにも両方あるんですけれども、毎年これを継続しているので大体そうだとは思うんですけれども、これはボタンの育成のみの事業なんですか。 ○北野 委員長 柴課長。 ◎柴 農政課長 里帰りボタンの育成のみではございませんで、一応、山本地域のほうでは観賞会というのを行っております。
これを受け、1996年度よりボタンにゆかりのある全国13カ所の地域から、里帰りボタンや文化交流を目的としたボタンの提供をいただきました。 これを契機として、花卉農業の振興と西谷地域の活性化を図るため、2001年4月に宝塚市立長谷牡丹園を開園しました。
里帰りボタン、花卉園芸、宝塚市のそういう植木産業、大切なところなんですけれども、この事業の委託料の内容をお聞かせいただいていいですか。 ○石倉 委員長 柴課長。 ◎柴 農政課長 花き展示会の事業の内容でございます。
◆江原 委員 オープニングのときも私行かせていただいたし、里帰りボタンということで各地からあれしていただいて、確かにオープニングしたわけですけど、これ西谷全体として、やはり観光施設、民間の観光農園その他は地元の方が中心に頑張っていただいて、ある意味では市として最初につくった観光施設やね。その後、夢プラザもつくりましたけどね。
今日では、福島県の須賀川市より里帰りボタン、また西谷の長谷にも島根県の大根島より里帰りボタンの牡丹園が開園されると聞いております。小浜の宿場町は、海の玄関口の堺とともに、陸の玄関口として、小浜の宿場町があります。江戸時代には、有馬街道、西宮街道、伏見街道の3街道が交わる宿場町として栄えました。また、豊臣秀吉が有馬温泉に行くための宿場町としても有名であります。
平成9年8月には全体構想の作成を行い、同年9月に島根県八束町から、里帰りボタン50種200本の贈呈を受け、門前の田に仮植しております。しかし、平成10年7月に全体構想に対して地域全体の合意が得られず、全体構想や組織の見直しが必要となり、同年9月に、新たに集落の有志で長谷牡丹園園芸組合が組織され、再出発をいたしております。
次に、里帰りボタンについて、計上されている予算で維持管理ができるのかといった懸念が委員から示され、市の考えをただした上で、地元と協議をしてぜひ成功させ、将来的には三田市の永沢寺のショウブ園に匹敵する施設とすることを求めました。 次に、市長車と議長車を同時に更新する予算が計上されていることについて、走行距離や利用頻度が違うのになぜ同時に更新するのか。