明石市議会 2008-02-28 平成20年 3月定例会 (第1日 2月28日)
さらに城下町のころから明石の顔として、活気やにぎわい、文化や伝統をはぐくんできた魚の棚や、柿本人麻呂や松尾芭蕉など、万葉の時代から多くの歌人、文人の心をとらえてきた風光明媚な明石海峡の風景など、明石のまちには先人たちが大切に守りはぐくんできた、個性的で魅力あふれる財産が数限りなくあります。 そして、何よりも明石には昔から市民力、参画と協働の精神が根づいております。
さらに城下町のころから明石の顔として、活気やにぎわい、文化や伝統をはぐくんできた魚の棚や、柿本人麻呂や松尾芭蕉など、万葉の時代から多くの歌人、文人の心をとらえてきた風光明媚な明石海峡の風景など、明石のまちには先人たちが大切に守りはぐくんできた、個性的で魅力あふれる財産が数限りなくあります。 そして、何よりも明石には昔から市民力、参画と協働の精神が根づいております。
小野市が生んだ偉大な歌人上田三四二氏の功績をたたえ、小野市制施行35周年の記念事業として、平成2年上田三四二記念が制定されて以来、本年で第18回目の短歌フォーラムを迎えました。 第1回は、全国各地から寄せられた短歌は1,170首でありましたが、第18回の本年は、全国各都道府県はもとより、海外からも多くの投稿をいただき、その数5,430首となってまいりました。
今、私たちの目の前に広がります明石海峡大橋の美しい景色は、その昔、柿本人麻呂を初め万葉の歌人にも歌われるなど、古くから多くの旅人の心をいやし、当然私たち明石市民に潤いと安らぎをもたらす郷土の最も大切な資産でもあります。
この明石海峡の美しい景色は、柿本人麻呂を初め万葉の歌人にも歌われるなど、古くから多くの旅人の心をいやし、また私たち明石市民に潤いと安らぎをもたらす郷土の最も大切な資産でもあります。その明石海峡に世界一のつり橋が建設され、一層の景観美を誇ることとなり、また新たな交流の展開が期待されることから、市の第4次長期総合計画の目指す都市像として、海峡交流都市が掲げられたものと私どもは理解いたしております。
この和歌の路なんですけども、万葉、平安の時代から多くの歌人によってうたわれてきた絵島、松帆の浦などの景勝地、海岸線に点在しておりまして、これらの景勝地を線で結んで、伝統と魅力を掘り起こすことによって、多くの観光客の人たちがまちの中を散策できるような環境を整え、地域としての交流をふやしていこうというふうに聞いていたんですけど、なかなかそんなふうにはいくんかなと思うんですけども、まず今の計画でありますけども
稲美町でもやはり特別表彰された第一人者だと思っていますけど、あの先生の跡を継がれて、その会員の皆さんがそれだけの勉強なり、それからあそこには大伴家持とか柿本人麻呂、そういう歌人の歌が往々にしてありますね。
また、さきの27日には、小野市出身の歌人、上田三四二氏の業績をたたえるとともに、郷土の文化振興を図るために、「上田三四二記念小野市短歌フォーラム」が、うるおい交流館エクラで開催されました。17回目を迎えた今年は、アメリカやタイなど海外を含む全国から4,194首の多くの応募をいただきました。 当日は受賞された皆さんも出席され、表彰式や入選作の選評なども行われました。
2点目の文化についてのご質問でありますが、本市は柿本人麻呂など多くの歌人に歌われ、源氏物語の舞台となった万葉のロマン漂うまちであり、明石城を初めとする史跡や宮本武蔵などの歴史上の人物にゆかりのある豊かな歴史と文化に彩られたまちであります。また、伝統的な芸能や行事、片やで吹奏楽を初めとする音楽活動など、さまざまな文化が根づいたまちでもあります。
最後に、いにしえの歌人が、山上憶良という歌人でありますが、「しろがねもこがねもたまもなにせむにまされるたからこにしかめやも」と、こういううたがございます。これは説明するまでもなく、皆さん、よくご理解できる内容でなかろうかなと、このように思います。 以上で、私の質問を終わります。 ○議長(松本英志) 以上で、富田 豊の質問は終わりました。 次の質問は、1番、戸田雄士君であります。
また、このほかにも、和泉式部の夫で平安時代中期の歌人として知られた平井保昌、源氏の祖で摂津守としてこの付近を治めた源満仲、近世では百間樋をつくったとされる豊臣秀吉や中山寺を再興した豊臣秀頼など、歴史上の人物が数多く上げられます。また、近代では、宝塚文化の創始者ともいえる小林一三氏や、漫画家手塚治虫氏、建築家村野藤吾氏、さらには初代仮市長で女流俳人として有名な岡田幾氏などが上げられます。
また、国文学者、歌人としても万葉集の研究、著作活動、講演などを通じ、広く文化の向上のために活躍され、101歳となられた現在も、文化の向上と充実に情熱が注がれております。 以上で、補足説明を終わります。 ○議長(木村圭二) 以上で、当局の提案理由の説明は終わりました。 これより、議案第30号に対する質疑に入ります。 発言を許します。 ご発言はございませんか。
市所有の(仮称)伊織公園には、加古川市文化連盟のバックアップで、歌人クラブの方々が歌聖柿本人麻呂の和歌「稲日野の、行き過ぎかてに思えれば、心恋しき加古の島見ゆ」の歌碑が建てられ、今日、除幕式がありました。また、加古川市の地域住民によって、高砂市で20年の活動実績のある宮本武蔵・伊織顕彰会加古川支部を創設されました。
そこには柿本人麻呂の歌碑が歌人クラブ、文化連盟の協力で建てられる予定です。行政や町内会、市民の方々ともどもに、いにしえをしのび、現在に安らぎ、未来を展望するすばらしい空間創出が可能であると考えます。国に環境事業の予算もありますし、県民局も市から要望を挙げてもらえば積極的に協力しますと心構えておられます。その一帯には保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校あり、その中心地ともなっているところです。
今、この街道沿いには龍野町一丁目から六丁目までの民家が面し、中でも龍野町一丁目の歌人でお亡くなりになりましたが、初井しず枝先生のお宅の屋敷を初め龍野町二丁目、三丁目、四丁目、五丁目、六丁目には20数軒の商家、町屋、旅館などが点在しております。また、この船場川線沿いの小利木町、材木町にも都市景観重要建築物も含めて古い町並みが残っております。
遠くは万葉の歌人 山上憶良が「しろがねも こがねもたまもなにせむに まされるたから こにしかめやも」と子を思う親の心をうたっており、私の好きな句の1つですが、この万葉の時代から子を思う親心は今も変わってはいないと思います。 その時代から今日まで、我が国は海に囲まれた国のため、独自の文化が急速に培われていったものの、その反面、同じ民族の中で戦い、そして差別が行われてきた悲しい歴史を背負っています。
歌人、上田三四二氏の功績をたたえ、平成2年1月に第1回目を開催致しました上田三四二賞も、今回で12回目を数えます。 第1回目では1,170首でありましたが、応募数も年々増加致しまして、今回では学生の部を含めまして、全国から4,534首の投稿がありました。実に約4倍増であります。
郷土の歌人、上田三四二先生の功績を讃え、小野市では、平成元年度から短歌発表会「上田三四二賞」の全国公募を行い、昨年、第10回目の発表会を実施したところです。 ご承知のとおり、短歌の歴史は古く、万葉集に代表される古典文学として親しまれており、上田三四二賞も10年間に投稿された方は延べ約2万1千人と数多く、また上位入賞者も50人にのぼると聞いております。
そのような視点から、新たに、歌人上田三四二書籍整理保存事業に取り組み、残された貴重な資料等を広く展示したいと考えております。 また、文化財を活用した、歴史文化発信の拠点づくりとして取り組んでまいりました史跡広渡廃寺跡公園は本年度完成いたします。 市史編纂事業では、本年は第5巻「史料編Ⅱ」(近世)の刊行を予定しております。
小野市立図書館独自の特色づくりと工夫につきましては、まず、初めに、文化・芸術面では、歌人 上田三四二に関連の資料コーナーの「短歌・上田三四二コーナー」を設置致します。 また、2つ目には、屋外で読書を楽しめる屋外読書スペース。 3つ目には、ビデオ、映画、ハイビジョン放送などを鑑賞できる視聴覚ホール。
そのかたわらアララギ派の歌人といたしましても名をなされ、昭和天皇について8年間にわたって宮中御歌会初めの詠進歌の選者をお務めになられたわけでございます。そのほか文学界においても大きい業績をあげられた方であります。そして昭和天皇と1日違いで亡くなられたと、こういうようないきさつがございます。そこで平成元年に氏の功績を讃えて、短歌「上田三四二賞」を制定し、今日に至っておるわけでございます。