西宮市議会 2020-12-04 令和 2年12月(第10回)定例会−12月04日-03号
くしくも30年前というのは、当時、市長は八木米次さんでありまして、生涯学習につきましては、市民の多様化、高度化する学習需要に適切に対応するためにその振興に努めるとして、生涯学習市民意識調査を15歳以上の市民8,000名を対象に現在実施中というふうに、これは当時ですね、30年前、されていたみたいです。
くしくも30年前というのは、当時、市長は八木米次さんでありまして、生涯学習につきましては、市民の多様化、高度化する学習需要に適切に対応するためにその振興に努めるとして、生涯学習市民意識調査を15歳以上の市民8,000名を対象に現在実施中というふうに、これは当時ですね、30年前、されていたみたいです。
今村市長の前には12人の市長が在任しておりますが、最も長期は第5代の辰馬夘一郎市長の13年、第7代の辰馬龍雄市長と第9代の八木米次市長の12年、最短は第4代の中松亀太郎市長の3年で、平均7.4年であります。選挙というハードルがありますが、今村市長は、西宮市のリーダーをどの程度の期間務められる心づもりであるのか、お尋ねいたします。
この菊池さんの後を継ぎ、昭和43年──1968年に、私の父、八木米次、当時市議会議長ですが、第3代会長に選ばれました。その後、昭和55年──1980年、市長に就任させていただきましたが、このとき、他の役職はほとんど辞退したのですが、原水禁西宮の会長だけはやめませんでした。
一方、県の保健医療計画が昭和62年に策定され、本市では、昭和63年、八木米次市長の時代に市の保健医療計画を策定し、取り組まれておられました。その計画の中では、既に、医療と福祉と保健の連携、現在取り組まれている地域包括ケアシステムに近い内容など、まさに30年先を見据えた内容が掲載されており、大変驚きました。
(「米次さん」と呼ぶ者あり) ◎議事調査課長 手元に資料がございませんのですが、八木米次議長がいわゆる重任されているのではないかと思われます。ちょっときちんと確認しまして、また御報告したいと思いますが、そのような事例はあるのではないかと思います。 ◆大石伸雄 委員 それは知っているんですが、その申し合わせができる前なのか後なのか。――大事なとこですよ。
八木米次市長時代でございました。総合福祉センターが建設され、それ以後、福祉の西宮と呼ばれる西宮になってきました。また、公有水面調査特別副委員長を拝命し、始まった西宮浜埋立地区に船で長靴を履いて調査させていただき、また、都市計画審議会委員並びに交通問題審議会委員として、176号線の拡幅問題、ナシオンの建設等々、長靴を履いて現地視察した思い出もございます。
当時の貝原知事、八木米次市長、それから道路公社の澤さんという方の名前が入っておりますけれども、この当時の契約書は、もう死んでしまったんですか、このことをお聞きします。新たに契約書がまかれたんですか、南伸事業で33年までというのは。その33年3月まで償還期限を延ばすということにされた根拠、協議の内容や契約書はどこにあるのか、生きているのか、お答えいただきたいと思います。
40年間ぐらい住んどるんですけども、本当にそのときのJRがないときとか、176をバスで宝塚へ通うあの経験も踏まえて、ずっとしてきた人間としては、やっぱり改善をすべきではないかなというふうに思いますし、特にあの駅をつくったときのことを思い出しますと、東山台の開発をするということになったときに、それはすなわち駅がなかったらあのような大規模な開発はできない、こういうことで、当時の八木米次市長、そして馬場順三
以前、都市開発の再開発事業をやっておる職員、幹部職員が全部西宮市外の居住者で、当時、八木米次市長に、せめて駅前再開発事業をされる幹部職員の皆さんは西宮居住の人を選んでくださいと。あのとき、まだ櫨塚町に独身寮がありましたので、若い職員さんだけが西宮居住でした。やっぱりそういうことで、それも大変だと思いますので、ぜひとも集めるように、いろいろ研究していただきたい、2年目でございますので。
元市長であった当時の西宮市議会議員であった八木米次氏の御尽力によるところが大きく、奥市長が友好協力関係の締結をされました。 飛行機が飛ぶ現在でも、ブラジルにはニューヨーク経由で24時間、サンパウロからアリアンサまで陸路600キロ、大型バスで片道9時間の走行ということで、往復でもかれこれ1週間の日程が必要です。
で、当時は八木米次市長の時代であります。63年10月31日付で公団に対して西宮市の協議の結果を回答している文書があります。この中にはこういうふうに書いてあるんですね。「協議のありました標記斜行エレベーターについて、本市において種々検討した結果、本市における道路交通サービスのあり方および道路施設の管理実態から、本市が、これを設置および管理することは、困難な状況にあります」と明確に述べてはるんですね。
2点目は、当選した当時の市長は八木米次市長でしたが、続く馬場順三前市長と山田知現市長の誕生に、先輩・同僚議員を初め、多くの各界、市民有志の方々とともに苦労したことも大きな思い出です。市の財政難が続きますが、山田市長を先頭に、全職員一丸となって乗り越えていかれることを切に期待いたします。 3点目は、忘れようとしても忘れられない阪神・淡路大震災です。
この提出者の中には、八木米次議員、元市長ですね。東内三男議員、長岡初男議員、森豊議員、そして我が党の若原敏孝議員、そうそうたるメンバーが提出者に名前を連ねております。あなたは、私たちの先輩議員で構成する西宮市議会や、あなたと考え方を同じくする先輩の保守系の議員も北朝鮮へ送り返した犯罪者、こういうことを言うのでしょうか、お答えください。 9点目です。
当時の市長は八木米次市長でした。当時の八木市長は、「甲子園浜浄化センターについては、建設用地27.4ヘクタールのうち13.2ヘクタールについて、処理施設が建設されるまでの間、暫定利用の考え方をとりまとめます」と述べています。以来、本年、平成14年度行政方針に至るまで、平成3年、4年、5年、6年、9年、10年、11、12、13、14年度と実に11回、ほぼ同じ内容の記載がなされています。
思い起こせば、馬場市長様には、8年前、英断を持って、父八木米次の愛の市政のバトンを引き継いでいただきました。苦しい選挙戦を勝ち抜かれ、初登庁もつかの間、父の葬儀、市民葬があり、それから1年余り、ようやくその役職にもなじまれたころ、あの一瞬の激震、その後、今日に至るまでの復旧、復興、語り尽くせない多くの出来事がございましたが、本当にお世話になりました。
第4回目は、昭和61年、八木米次市長のときですが、このときは、競輪事業収益は売上金の減少で配分金は当初予算で2億8,700万円でありますが、これは、兵庫県市町競輪事務組合における積立金留保等をしっかり行ったことがうたわれております。つまり、将来に向けて内部積立金を積極的に行おうという、この姿勢は、競輪事業が既に曲がり角に来ていることを示唆したものでございます。
奥五一市長がこの地を整備し、八木米次市長が春日灯籠を贈り、西宮の友好のシンボルともなっているものでありますが、6,000平方メートルにも及ぶ広大な土地にぽつんと灯籠だけが立っているその光景は、本来温かみが感じられるべき友好という言葉にはどうもそぐわない気がいたします。そうした印象を持つのは決して私一人だけではないと思うのであります。
市議会議員として、また市長として、通算41年余りの長きにわたり、西宮市政の発展に御尽力されました八木米次前市長の安らかなる御冥福を、この機会をおかりしまして、心からお祈り申し上げたいと思います。 ことしも残すところあと1週間で暮れようとしておりますが、議員各位におかれましては、健康には一層御留意の上、御家族ともどもお元気で新しい年を迎えられますよう心から祈念申し上げる次第でございます。
補正の内容としましては、この11月20日に甲子園口3丁目17番街区において発生した火災により罹災された中小商業者に対し緊急融資事業等を行うための経費を5,611万6,000円、あわせて、去る12月5日に逝去された八木米次前市長の市民葬を行うための経費645万9,000円を追加するものであります。
社会党・市民連合を代表いたしまして新市長の所信表明に対する代表質問を行いたいと思いますが、その前に、御逝去されました八木米次前市長に対しまして、衷心より哀悼の意を表したいと思います。 また、はえある第10代西宮市長に御就任されました馬場順三新市長に対しまして、改めて慶祝の意と敬意を表したいと思います。