広島市議会 2014-02-13 平成26年第 1回 2月定例会-02月13日-01号
また,飲酒運転事故による被害者の等身大パネルや遺品等を展示した「生命(いのち)のメッセージ展」を区役所で開催し,飲酒運転の根絶に向けて市民意識の醸成を図ります。 ③ 災害に強く安心して生活できるまちづくりについては,地域における災害に強い組織体制の整備を図るため,若者・女性の加入促進や地域とのつながりの強化など,消防団が抱える諸課題に対処し,活性化を図っていくための計画を策定します。
また,飲酒運転事故による被害者の等身大パネルや遺品等を展示した「生命(いのち)のメッセージ展」を区役所で開催し,飲酒運転の根絶に向けて市民意識の醸成を図ります。 ③ 災害に強く安心して生活できるまちづくりについては,地域における災害に強い組織体制の整備を図るため,若者・女性の加入促進や地域とのつながりの強化など,消防団が抱える諸課題に対処し,活性化を図っていくための計画を策定します。
人形を含めた現行の展示を被爆資料等を中心とした展示にリニューアルすることは,被爆者の遺品などの被爆資料や,遺体ややけどを負った人たちの写真などの資料を中心とした展示にしていくということであり,これまで以上に,原爆被害の実相や,今なお続く放射線被害,被爆者や遺族の苦しみ,悲しみを伝えていくことを重視していこうというものです。
平和記念資料館では,原爆犠牲者が身につけていた衣服や携行品等の遺品,原爆の威力により融解した瓦や瓶などの被爆資料,被爆前後に記された日記や罹災証明書等の文書類など約2万1000点を収蔵しております。 これらの資料は,国境や世代を超えた全ての人々に,原爆の非人道性と原爆被害の甚大さ,凄惨さを伝え,多くの人々に悲惨な被爆体験や平和への思いを共有してもらう上で大変貴重な資料でございます。
そこは戦闘から68年が経過しても,なお多くのざんごうが残り,金属探知機により砲弾片や銃弾,遺品を多数発見しました。しかし,遺骨は金属探知機には反応しませんので,見つけることはできませんでした。個人としての調査はこれが限界です。福山市として,国にレイテ島における遺骨収容に積極的に取り組むよう要望されてはいかがでしょうか,市長の考えをお聞かせください。
こうした考え方に基づき,本市ではこれまで世代や地域の枠を超えて広く被爆体験が伝わっていくよう,被爆体験証言の実施や被爆者証言ビデオの制作,被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真・資料の収集,平和記念資料館の運営,さらには国内外での原爆展の開催など,多様な手法により被爆の実相を伝えて被爆体験を継承していくよう努めてきております。
収蔵品の中には、展示していただけると思って、貴重な遺品を寄附された方もおられると思います。戦争博物館ではないので、遺書、遺品ばかり展示することはできませんが、場所を変えてでも何らかで日の目を当てることが必要であると思われます。市の考えをお尋ねします。 4番目、民間委託についてのうち、1、ごみ収集事業についてお尋ねします。
収蔵品の中には、展示していただけると思って、貴重な遺品を寄附された方もおられると思います。戦争博物館ではないので、遺書、遺品ばかり展示することはできませんが、場所を変えてでも何らかで日の目を当てることが必要であると思われます。市の考えをお尋ねします。 4番目、民間委託についてのうち、1、ごみ収集事業についてお尋ねします。
言葉で説明されるまでもなく,山積みにされた遺品を目の当たりにして,どのような惨劇が繰り広げられたのか,自分なりに理解をすることができました。 広島市でも,平和を願って多くの折りヅルが国内外から送られてきます。その物理的な量,存在そのものによって,平和を願う市民の気持ちの多さ,大きさを体感することができます。
そしてその訴え方は,遺品を山積みすることで,大量虐殺の真実を伝えようとするものでした。私自身,10年たった今でも鮮明に覚えているアウシュビッツの展示です。あの展示は,戦争の悲惨さや平和のとうとさを今でも無言で世界の人々に訴え続けていると思います。 その視察から帰国後,平和を願う思いで折られた折りヅルの再生と展示について,会派を代表して,鈩谷議員が質問をしました。
特に、9月2日には原爆資料館を訪れ、被爆地の惨状を描いた絵や数々の遺品などの被爆資料を目にされるとともに、被爆者からの証言に耳を傾けられ、被爆の実情に直接触れられました。記者会見の席で河野議長から、会議で核軍縮や核兵器の廃絶に向けた強い発言があったことや、核兵器のない世界を目指すという会議前の目標が、会議終了後には、核兵器のない平和な世界を作ろうという決意に変わったということが発表されました。
遺品や死傷、こういうのを示すのが平和博物館です。軍事の方は武器やら兵器ですよ。民間人や戦死者、これを大事にするのが平和博物館で、軍事の方は軍人、これが主です。非人道的な行為、これが平和博物館。軍事の方は勇敢な愛国的戦闘行為、自己犠牲的行為。これから見ても、大和ミュージアムは軍事博物館の色が非常に濃いんです、この尺度に照らしてみても。
遺品や死傷、こういうのを示すのが平和博物館です。軍事の方は武器やら兵器ですよ。民間人や戦死者、これを大事にするのが平和博物館で、軍事の方は軍人、これが主です。非人道的な行為、これが平和博物館。軍事の方は勇敢な愛国的戦闘行為、自己犠牲的行為。これから見ても、大和ミュージアムは軍事博物館の色が非常に濃いんです、この尺度に照らしてみても。
幸いにも、尾道は戦火を免れ、歴史的な社寺を初めとし、建造物、書籍、遺品・遺跡など芸術作品がたくさん残っており、我々の日々の生活に歴史・文化が息づいております。 郷土史に造詣の深かった故財間先生、また入船先生ら、多くの先輩、研究者たちの成果を大学に終結して、「尾道学」として後世に残していき、そこから尾道の「世界遺産」への道は近づくのではないでしょうか。 ここで2つの事例を紹介したいと思います。
このような中,平和記念資料館では,建物疎開作業に従事していた動員学徒の被害状況を広く知っていただくため,常設展示で多くの遺品を紹介するとともに,地域別の被害状況をパネルで展示しております。
しかし、彼らは、艦艇とともに海の底に深く沈んだため、何の遺品、遺骨もありません。私も全国各地の方の中で、高齢者の方から、「私の主人の第2の故郷は呉です。船とともに戦死したため、家には何もない。字だけ書いた墓があるだけです」とか「私の父親の墓参りのために呉を訪れることがあります。なぜなら、私の父が乗っていた船、沈んだ船の石碑が呉の海軍墓地にあり、これが唯一のあかしですから」といった声を聞きました。
しかし、彼らは、艦艇とともに海の底に深く沈んだため、何の遺品、遺骨もありません。私も全国各地の方の中で、高齢者の方から、「私の主人の第2の故郷は呉です。船とともに戦死したため、家には何もない。字だけ書いた墓があるだけです」とか「私の父親の墓参りのために呉を訪れることがあります。なぜなら、私の父が乗っていた船、沈んだ船の石碑が呉の海軍墓地にあり、これが唯一のあかしですから」といった声を聞きました。
つまり、尾道市立美術館は国際芸術文化都市にふさわしい美術展を開催し、一方で絵のまち尾道四季展や市美展などの公募展や、地域の作品発表、プラス尾道のポテンシャルともなっている遺跡、遺品を扱う考古、歴史、民俗といった博物館的な業務も行わなければならないのです。
そして、その年の、一昨年でございますが、呉市で約2カ月にわたって引き揚げられた遺品等と海底に沈んでおる「大和」の模様を展示をしたわけでございますが、若い人たちも含めて、今まで戦艦「大和」のことを全く知らなかったと、本当にこんな悲劇があったのかと、もっと知りたいという答えが随分寄せられました。
そして、その年の、一昨年でございますが、呉市で約2カ月にわたって引き揚げられた遺品等と海底に沈んでおる「大和」の模様を展示をしたわけでございますが、若い人たちも含めて、今まで戦艦「大和」のことを全く知らなかったと、本当にこんな悲劇があったのかと、もっと知りたいという答えが随分寄せられました。
なお、昨年秋に、潜水調査で引き揚げられました遺品等を含めまして、企画展示「戦艦大和展」を開催いたしましたけれども、その際1万人を超える参観者がございまして、アンケートをいたしましたところ、多くの感想が寄せられております。10代、20代の非常に若い人たちからも、「初めて知ってよかった。