神石高原町議会 2008-09-16 09月16日-05号
最近ちまたでは,町長の歴史を汚さないような神石牛の再生を目指して,振興の拠点になるようにしたいという思いに逆行しているのではないかと思える風評が飛び交っております。現実はどうなのか,また将来的な展望はどうかお尋ねをしたいと思います。 それと加えて,町長の答弁では,時期を見ての答弁をいただいておりますが,記念碑は確実に準備ができ,10月末には除幕式とか聞いております。
最近ちまたでは,町長の歴史を汚さないような神石牛の再生を目指して,振興の拠点になるようにしたいという思いに逆行しているのではないかと思える風評が飛び交っております。現実はどうなのか,また将来的な展望はどうかお尋ねをしたいと思います。 それと加えて,町長の答弁では,時期を見ての答弁をいただいておりますが,記念碑は確実に準備ができ,10月末には除幕式とか聞いております。
◎産業課長(前原) ご質問の趣旨は、神石牛としてそういう名前で販売した場合に違約金の対象になるかどうかという意味にとらえてよろしゅうございますか。 (片山議員「そうです」の声あり) 広島県としましては、広島県の統一ブランドとして広島牛というものの生産振興を図るということになっております。
こういう和牛の、広島牛の、強いて言えば神石牛の生産基地として君臨したこの跡地利用ですから、それの歴史を汚さないような、和牛の、神石牛の再生を目指して、そういう振興の拠点になるようにしていきたいというように思っております。
と申しますのが、先ほど来、豊萬号の話が出ておりますが、大正天皇の霊柩車を引いた非常に温和な性格の神石牛ということで全国に名をはせとるわけでありまして、広島牛というのはこれは比婆牛等を包含してブランド性がもうないわけです。だから、前々から私は神石牛というブランド名の復活をお願いをしておったわけでございますが、今回出てきた条例では神石高原町というのは3年前に発足した新しい町ですよと。
それと、神石牛の地域再構築のプロジェクトを立ち上げて、神石郡和牛の里づくりが検討されておるわけですが、繁殖を進め、子牛の飼育拡大へ努めるため、神石牛の和牛の改良組合と協議していると答弁されておるわけですが、その後の状況についてお伺いをしたいと思います。
広島県も県内の和牛を広島牛としていますが、神石牛、比婆牛など地域のブランド化として売り出すよう見習うべきではないかと思います。 取り組みの中では、異業種の難しさもあると言われています。会社の説明では、知恵は行政やJAに出してもらって、その支援が大きいと話され、信頼関係が強いと感じました。しかし、その根底にあるのは、会社の決断、方針、やる気が源であると感じました。
やはり消費者は、比婆牛であり、神石牛であり、そういったものを求めているというふうな話もありますので、そこら辺のこともですね、今、公社も含めて販売という側面からいろいろと検討しているところでございます。なかなか成果が出るのに時間がかかるかもわかりませんが、一生懸命がんばっておりますので、ご理解をいただきたいと思います。 ○八谷文策議長 はい、農林振興課長。
この施設内にあります記念館には、大正天皇のひつぎを引いた豊万号の衣装を初め、神石牛の改良の変遷、沿革などの資料、写真など、多くの貴重なものが保存をされています。先日、改良センターで伺いましたが、これらの資料の保存や今後の扱いがはっきりと決まっていないとのことであります。いずれにしても、現在のままでは公表もされず、だれが管理するかもしれない状況になるおそれがあります。
さらに、1株250円で株主を募った金額が1万2千円の資本金を基礎としてそういう会社をつくって、畜産のもとといいますか、神石牛としてのもとの産業がこの地に築いたということでございまして、その後に広島県は、神石牛の生産増加と資質の改良を企画して、明治26年ごろに畜牛の組合に補助金を検討しても出すというふうなことがされて、大正7年に県立の飼畜場の建設がされております。
文書で提出されてるということで安心しましたが、地域ブランドということで、例えば神石牛をブランドとしてよみがえらせるということは、広島和牛というふうに言われますけどが、やはり神石は神石牛だと思うんです。そういった規制を取り払うといいますか神石牛というのをブランド化するということも考えていただきたいと思うんですが、その点についてはどうでしょうか。
将来像としては、神石高原和牛の里再構築、これを図る中で、かつての神石牛の黄金期、大正から昭和のそういう再来を望み、繁殖牛を主体にそういうものを施設として全国からの購買、または肥育素牛の安定供給の基地として建設を目指したいというふうに思っておりますし、もう一つはあそこの風景が牧歌的な風景でもありますので、観光資源の開発も検討していけばいいというふうにも思っております。
私としてはこの跡地利用を、あの改良センターというのは大体100年近くこの神石牛の技術試験場として立派に機能したわけでございますので、神石牛の発祥の一つの原点として和牛のこれからの飼育等々の拠点施設として残していきたいというふうに思っておりまして、県の方にも既にそのようなお願いもしとりますし、県の方としても神石高原和牛の里再構築プロジェクト推進本部というのも立ち上げていただきまして、それらによっていろいろと
それから、特産品の取り扱いでございますけども、現在町内の特産品、数多くありますけれども、コンニャク、豆腐、トマト、そしてピオーネ、プルーン、クリ、しょうゆ、みそ、ハーブソルト、神石牛、ユズみそなど、こういうものにつきましては、各調理場で工夫をして、そして地産地消につながるようということで、指導もしながら利用をいたしております。
それから、その跡地をどういうふうにそれじゃあ町として利用するかということについては、いろいろな生産団体等々の協議する中で、神石高原和牛の里再構築プロジェクトとして、あの施設を、どういいますか、広島和牛の、いわゆる神石牛の生産拠点施設としたいというふうに県の方にも申し上げておりまして、肥育でなしに繁殖を主体にするということとしております。
そこへ私も出県したときには、大概寄って、いろいろ状況を聞いておりますし、県のこの統合に伴う予算、補助制度というもんもお願いしておりますが、私が今青写真として描いておりますのは、先ほどもありましたように、大きな農業団体、農協等に、全農等に経営をゆだねて、そこで町内の人を雇用していただく、これも一つの手だてかなと思いますが、どんなものを目指すかといいますと、私は、あの改良センターというのは、神石牛の歴史
この78回という数字にあらわされているように、この地方は昔から畜産が盛んであり、神石牛の産地として名声高く栄えてきたところでございます。 しかし、神石牛のブランドも県や経済連の指導によりまして、神石産の広島牛と名前を変えつつありまして、この神石牛は忘れ去られようとしておりますけれども、畜産の産地として地域の産業としてこれらはこれからも守っていかなくてはならないというふうに私は思っております。
それから、給食の献立についてでございますが、地元食材を利用した献立の利用ということで、これにつきましても一部学校におきましては、神石牛を使ったもの、それからトマトを使ったチキンライスというふうなものの取り組みを行っております。