平成27年第 1回 3月定例会 平成27年第1回
神石高原町議会定例議会会議録(第2号)1. 招集年月日 平成27年3月12日1. 招集の場所
神石高原町議会議場1. 開 議 3月12日 午前10時00分宣告(第2日)1. 応招 議員 1番 赤 木 俊 二 2番 横 山 素 子 4番 横 尾 正 文 5番 橋 本 輝 久 6番 久保田 龍 泉 7番 小 川 清 治 8番 寄 定 秀 幸 9番 丸 山 達 夫 10番 木野山 孝 志 11番 村 上 克 朗 12番 片 山 元八郎 13番 松 本 彰 夫 14番 藤 田 晃 己1. 不応招議員 な し1. 出席 議員 応招議員に同じ1. 欠席 議員 な し1. 地方自治法第121条の規定により説明のため出席した者の職氏名 町長 牧 野 雄 光 副町長 垰 本 昌 則 教育長 馬屋原 健 治 会計管理者 片 岡 富美江
まちづくり推進課長 住民課長 新 田 政 史 入 江 嘉 則 建設課長 国 重 修 示 産業課長 柏 床 亦 之 福祉課長 米 山 文 子 保健課長 榊 原 良 彰
環境衛生課長 横 山 邦 正
学校教育課長 石 田 金 寛 生涯学習課長 山 本 尚 良
総務課長補佐 森 重 純 也1. 本会議に職務のため出席した者の職氏名 事務局長 藤 井 義 弘 書記 平 田 美 穂1. 議事日程 内容は別紙日程書のとおり 午前10時00分 開議
○議長(藤田) 全員出席でございます。 ただいまから平成27年第1回
神石高原町議会定例会を再開いたします。 直ちに本日の会議を開きます。(説明員を報告) ~~~~~~~~~~~~~~~
○議長(藤田) 日程第1,一般質問を行います。 質問に入る前に,私より許可並びにお願いをしておきます。 申し上げるまでもなく,一般質問は大所高所から政策を建設的に議論する場であります。質問する議員も,また答弁する執行者もこのことを十分踏まえ,簡明な質疑,答弁を活発に行っていただくようお願いしておきます。簡潔明瞭な質問と明快な答弁を求めるため,本定例会における一般質問は一問一答方式により行います。質問時間は,質疑及び答弁を含め1議員1時間を限度といたします。 通告が9名よりありました。通告順にこれを許可します。
◆12番(片山) おはようございます。
トップバッターをやりますと,町長が私がトーンを上げると声がかすれてきてあとの8人に対応できないというふうにおっしゃいますので,できるだけ,大所高所というのはいいんですけれどもが,簡潔なというわけにはいかないんで,今日は質問演説を行いたいと思います。 まず最初に,この平成27年度
町長施政方針,10年前はこれ予算大綱ということだったわけですけれどもが,役所というのはなかなか前例,慣例を重視するということで改めるということがないんです。しかし,今回初めてこれが施政方針,大変いいということで私は喜んでおります。それでは,始めていきたいと思います。 この施政方針の11ページでございますが,町長はこのように述べておられます。 戦後70年の節目となる今年,
戦傷病没者追悼式を行い,戦傷病者やご遺族へ心から哀悼の意をささげ,平和への願いを新たにしたいと思います。 私は,大変な感銘を受けました。町長とはもう長いつき合いになりましてお伺いしたこともありますけれどもが,町長は靖国神社へも数回参拝され,合併初年度には議員18名とともに参拝をされました。私は,上京の折には都合がつく限り正式参拝をいたしております。 昨年11月25日,私にとっては2回目となる,
皇居勤労奉仕団42名とともに正式参拝を靖国神社にいたしました。この
皇居勤労奉仕団というのは,私,平成18年が初参加でございまして,全て自己負担で4泊5日,奉仕団員が同じホテルに宿泊しまして,皇居へ参りまして草取りをしたり,落ち葉を集めたりということですが,非常に期待しておることが何かというと,皇居を3日間清掃作業をやります。その中で,いつかわかりませんけれどもが,天皇皇后両陛下からご会釈を賜るということがございます。また,東宮御所に参りますと,雅子妃殿下にはまだお目にかかったことはないんですが,皇太子殿下からご会釈を賜っております。 私は,この
八幡神社のすぐ隣にある
神石護国神社というお宮がありますが,春秋のこの礼祭に5月3日,11月3日には必ず参拝をいたしております。先人の尊い犠牲の上に今日の平和な日本がある。
戦傷病没者追悼式は,厳粛かつ盛大に挙行されるよう強く望むものであります。 今年の2月22日に亀井代議士の新年互礼会がございまして,ほとんどの議員も参加したわけでございますが,亀井代議士が言われたことに,安倍総理は右ばねがきき過ぎておって極めて危険であると。集団的自衛権の閣議決定,自衛隊の後方支援等々,戦前の大物政治家,私が覚えとるので鳩山一郎,三木武吉,斎藤隆夫,この3名の代議士を見習いたまえというようなことを言われたわけです。私が,あれっ鳩山一郎,ははあこの前クリミアへ行って大変な騒ぎを起こしたあのおじい様かと思ったんですけどもが,三木武吉は当然知っとります。しかし,
斎藤隆夫代議士というのは私初めて聞いたわけです。 この人の偉大さを知ったのが,昨年の12月4日に,
NHKプレミアムで放映された「英雄達の選択」を見たのがきっかけでございます。それまでは,この斎藤代議士のことは全く知らなかったわけです。以来,この斎藤代議士,
斎藤隆夫自身が自分の一生を振り返った「回顧70年」,ここへ持ってきとるんですが,この「回顧70年」という本と,それからもう一つ,この
斎藤隆夫代議士の研究者の第一人者である松本健一という人が書かれた「評伝 斎藤隆夫 孤高の
パトリオット」という書物を買い求めまして学習をいたしました。 この斎藤代議士というのは,有名な2・26事件の熱冷めやらぬ昭和11年5月,議会での粛軍演説,難しい字なんですけれどもが,粛清の粛という字に軍ですね,粛軍演説で喝采を浴びた民政党の議員であります。この
斎藤隆夫代議士は,4年後に
支那事変処理についての質問演説を問題視され,除名処分を受けました。陸軍を中心とする革新派が台頭する中,現状維持を訴えてやまなかった保守政治家の自伝,解説は伊藤隆さんという人がこの最後に書いておられるわけですけれどもが。私は,先般2月27日にこの斎藤代議士の生まれ故郷であります兵庫県の豊岡市出石,出る石と書いて出石,そばが有名なとこです,にある
斎藤隆夫記念館を訪問いたしました。この記念館の中にある静思堂,静かに思う堂,も見学しました。この松本健一という人が書かれた「評伝 斎藤隆夫 孤高の
パトリオット」の解説の中にこういうふうに書いております。玄関にわずかな展示があり心肝如鐵と書かれた額が目に入った。直線的でいかにも毅然とした4文字だ。天城隆という揮毫はなくとも,なるほどこれは紛れもなく斎藤の筆に違いないと感じるのだった。斎藤の古い小さな背広が壁にかかっていた。ネズミの殿様の寸法がこれでよくわかるが,奇妙なことに左胸のポケットと対をなす形で右胸にも縫い目がある。背広を裏返して仕立て直したため,ポケットの跡が右側に残ったというのだ。それだけ質素な生活だったということだろうが,背広が語っていたのはその質素さより,裏返しで平然と済ませた
衆議院議員斎藤隆夫の心の強さだと。私は
斎藤隆夫記念館の管理者,女の方の神職の方でしたけどもが,背広を見せていただきまして今の読み上げたような説明を受けて感動でございました。 今の政治家はどうでありましょう。公職選挙法の抜け道を理由に企業献金,個人献金,与・野党の幹部議員も受けております。平成27年度の予算の審議ほったらかしで,あら探しに終始しております。何たる醜態かと,私は思います。
亀井静香代議士は,
国民新党解党後の
選挙ポスターで「真正保守」と書かれていたように記憶しております。2月22日の新年互礼会で参加された議員,町民の方に聞いたんです,亀井代議士の考えは極めて真っ当だと,戦争好き人間は危険だと。私は,この町民の考えと反対に,亀井代議士は若いころ,自民党の青嵐会に所属されとって右ばねだったと記憶しとるんですが,いつから亀井代議士は左ばねになられたのかなあという感想を持ちました。それはともかく,亀井代議士が言われた
斎藤隆夫代議士に自分を見せられているのかと,自分をこう重ね合わせておられるんじゃないかという感じを持ちました。と申しますのが,亀井代議士の当選回数は13回,斎藤代議士の当選回数は14回,
斎藤代議士衆議院議員勤続25年表彰,亀井代議士の勤続年数は30年以上。何よりも斎藤代議士は,孤高の
パトリオットと言われたそうでございます。 この孤高の
パトリオットとは,朝日新聞の論説主幹,若宮啓文氏は次のような解釈をしております。
パトリオットとは何なのか,
ナショナリストとどう違うのか。松本健一がそれを直截に説明していないのは,言わずもがなと考えたのだろうと。だとすれば,蛇足になるかもしれないが,一般に
パトリオットというのは愛国者,
ナショナリストとは民族主義者と訳される。なるほど,多民族国家の米国では
パトリオットはとなえられても,
ナショナリストと呼ばれる者はいないと。 それでは,せっかくでございますので,この斎藤代議士はどんな方だったかというので,私はちゃんとついたてを持ってきて,肖像写真を掲げようと思っとったんです。ところが,それが拒否されたんで,皆さんに見ていただきますが,この方が斎藤代議士でございます。それで,粛軍演説の一部を,この本の中に書いておられますけれどもが,どういうことかというと, 「粛軍に関する質問演説。」5月1日より21日間の予定を持って第69(特別)議会が招集せられ,本日より本会議開かれ,首相,外相,蔵相,陸相の演説に引き続いての例のごとく各派代表の質問演説が開始せられた。 今回の議会は反乱事件直後の議会であるから,該事件に関し国民の総意を反映せしむべく,徹底せる質問をなすことが議員一般の希望であった。私がこの問題を提げて質問演説をなすや否やについては,裏面において種々の策動が行われたようであるが,多数議員の希望はぜひとも私を起たしむべく,幹部会および議員総会の問題となって現われたから,何人もこの勢いを阻止することは出来ずして,遂に私は翌7日わが党の代表者として第3位に登壇することになった。 私の演説の骨子は,前段において革新政治の内容と外交および国防について論及し,後段において反乱事件の原因と軍部当局の態度を論難して,粛軍の大義を闡明し,併せて該事件に対する国民的感情を披瀝したものであった。特に粛軍問題については一言一句十分に洗練して,いずれの方面よりの攻撃に対しても予め防御の注意を怠らなかったつもりである。 3時3分に登壇し,4時28分に降壇,演説時間はまさに1時間25分であったが,私はまだ47分ぐらいあります,その間満場は粛然として一言の私語を聞かず,要所要所に急霰拍手を送るのみであった。無事に演説を済ませて降壇したる時には,各派の議員より握手を求めて衷心より感謝の意を表せられたのは意想外であったが,さらに意想外であったのは,私の演説が全国民に与えたる影響である。 翌日都下の大新聞はいずれも第1面全部にそれぞれ大文字の標題を掲げ,私の演説中の粛軍に関する速記を満載して,議会未曽有の歴史的大演説であると激賞した。試みにその中の主なるものを挙ぐれば,
東京朝日新聞標題「衆議院の大論戦展開,事件根絶に一刀両断,軍当局の決断を望む,斎藤隆夫氏の熱弁」。
東京日日新聞標題「斎藤氏熱火の大論陣,国民の総意を代表し今事件の心臓を衝く,軍部に一大英断要望」。
読売新聞標題「軍民一致の大感激,儼たる議会の威信,一刀両断の処置を執れ,肺腑を突く斎藤氏の舌鋒,陸相又率直に答弁」というふうに続いていくわけでございます,1時間25分。 それでは,町長にご答弁いただきたいと思うんですが,戦後,終戦70年の年に当たりますけれどもが,施政方針で述べられた思いについてもう少し詳しくお答えいただきたいと思います。
◎町長(牧野) おはようございます。今日から一般質問でございます。よろしくお願い申し上げます。 この本
会議一般質問冒頭に,片山議員から
斎藤隆夫先生の大演説を披露していただきました。我々も,斎藤隆夫という人は大正末期から昭和の政治家であったというぐらいのことで余り存じ上げておりませんが,詳しく述べていただきました。まさに,片山議員のは本町議会を代表する大演説であったように,私は感銘深くしております。いろいろと言われましたが,整然と理論は整っておると思いました。 亀井先生のことに触れれば,私も途中で変わられたということもあろうと思いますけど,それは個人のなんですから,当然であれば当然。一貫を貫くということは,いいことではあるけど方法論としては難しいもんだというふうに思いますが,その辺のところもきれいに言われておりまして,大変立派な演説であり,我々も昭和の歴史,軍国主義がどんどんと力をつけていったときにこれを一刀両断にされた演説,それがもう少し周囲の者がそれに賛同しておれば,あの悲惨な大戦争にはならなかったんじゃないかと思いますが,そういったところが,一つは昭和史の断片かと思います。それが,前段で申し上げましたのは,片山議員の演説,歴史演説と言ってもいいと思いますが,歴史的な演説を聞いた感想でございます。 それでは,質問の戦後70年をどう考えるかということですが,戦後70年というのを私は今年広島でつくづく感じたことは,広島は70年前には原爆で壊滅,廃墟の状態,都市であったわけですが,70年たって,あの広島の復興した姿を見るにつけ70年前にこの都市が廃墟だったんだろうかと。私は原爆の後,広島を訪ねたことはありませんから,あとといって10年近くたってからですから,そういった思いがしておりますが。それと,引きかえて70年,広島はあれだけ復興をなさる。神石高原はどうだったかということを考えたときに,まさに格差の問題。被災には神石は遭ってないが,神石高原町というのは広島のような復興というか,開発,今のような姿には神石はなってない。こういうことを考えたときに,何とも言いがたい思いがしております。 それは,ちょっと別の問題でございますが,戦没者の戦傷病没者,またはそれらの追悼式を厳粛にかつ盛大にということをお問いでございますが,この70周年というのは本当を言えば,正直に申し上げれば,私が発案したものではありませんので,前回平成17年10月20日に,私の就任してから間もなくでございますが,10年の節目で神石郡の戦没者の追悼式を行っておりまして,それに10年がちょうど重なった,70年の節目に重なったということでございますから,そういったことで70年の大きな節目に対して,前回よりは少し盛大に真心を込めて,70年というのは,歴史が忘れられる,忘却される時期にもなりますが,そこを改めて戦後の70年というのは,戦前の70年前が先ほど申し上げましたように,広島の原爆で広島市が廃墟したと,そういった思いと重ね合わせて70年の追悼式を行いたいというふうに思っておりまして,前回よりは少し盛大にできるかなと,予算的には少しの額でございますが,そうした気持ちとか心が,そういうふうな思いで70年の追悼式を厳粛に行いたいというふうに思っております。 以上でございます。
◆12番(片山) 次に,教育長にお尋ねしたいと思います。 2月11日は建国記念の日でございました。この日に,愛知県のほうの中学校の校長さんが朝会の場で生徒に講和をされたんです,建国記念の日の。そのインターネットでブログを発信されたんですが,それ削除ということになったんですが,そのことをどうお考えになるかということを聞きます。 10年前に,この議場で川崎勝則元教育長と教育問題を私は論じて以来,学校現場,県の教育行政の幹部を歴任されて,初代の三和中学校の校長を4年間務められた,馬屋原教育長。この4月からは,名実ともに教育委員会の最高責任者となられるわけでございますが,その教育長の見解をお伺いすることができることに,ひとしお感慨深いものがございます。 それでは,お手元に配付しております,一宮市内の中学校長がどんな話を生徒にされたのかという校長の講和を読み上げたいと思います。 2月9日に,だから前々日ぐらいですか,校長室ということでブログに発信されとるんですが,2月11日は建国記念日です。そこで,今日は日本のルーツ,日本の起源についてお話をしたいと思います。 日本の建国は,今から2,675年前の紀元前660年2月11日,初代,神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓,大仙古墳で有名な16代仁徳天皇が,ある日高台に登って遠くをごらんになられました。すると,人々の家からは食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気づいたのです。仁徳天皇は,民のかまどより煙が立ちのぼらないのは貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから地方はなおひどいことであろうと仰せられ,3年間,税を免除されました。税金です。税を免除したために朝廷の収入はなくなり,宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず,カヤぶき屋根が破れ雨漏りがして,星の光が屋根のすき間から見えるというありさまでした。3年がたって,仁徳天皇が同じ高台に出られて遠くをごらんになると,今度は人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをごらんになり,そのとき仁徳天皇がこのように言われたということです。「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」そして,一緒におられた皇后に,私は豊かになった,喜ばしいことだとおっしゃったということです。皇后はそれを聞いて,陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき,屋根が破れているのに,どうして豊かになったと言えるのですか。すると,国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから,私も豊かということだと言われ,天皇は引き続き,さらに3年間,税を取ることをお許しにならず,6年が経過してやっと税を課して,税金を取るようになって,宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに,進んで宮殿の修理を始め,瞬く間に立派な宮殿ができ上がったといいます。 この話は神話であり,作り話であるという説もあります。しかし,こうした神話こそがその国の国柄を示しているとも言えるのです。こうした天皇と国民の関係性は,何も仁徳天皇に限ったことではありません。 敗戦直後の1945年,昭和20年8月15日ですが,9月27日,124代昭和天皇,今上天皇陛下のお父様ですが,
アメリカ占領軍の
最高司令官ダグラス・
マッカーサー元帥と会見をしました。その会見で,昭和天皇はこのように
マッカーサーに話したのです。今回の戦争の責任は全て自分にあるのであるから,東郷や重光らを罰せず,私を罰してほしい。ただし,このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出るおそれがあるから,ぜひ食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので,その費用の一部に充ててほしいと述べたのでした。それで,天皇陛下が多くの国王のように命乞いに来たのだろうと考えていた
マッカーサー元帥は,この言葉を聞いてやおら立ち上がり,陛下の前に進み抱きつかんばかりにして陛下の手を握り,私は初めて神のごとき帝王を見たと述べて,陛下のお帰りの際は
マッカーサーみずからが出口まで見送りの礼をとったのです。 このように,
初代神武天皇以来,2,675年にわたり,我が国は日本国の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。日本は,さきの太平洋戦争で建国以来初めて負けました。しかし,だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また,革命で日本人同士が殺し合って民主主義をつくったわけでもありません。古代の昔から日本という国は,天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな
民主主義精神に富んだ国家であったのです。皆さんは,世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち,世界や世界の人々に貢献できるよう,一生懸命勉強に励んでほしいと思いますと,こういう話をされたわけでございます。 ところが,この講話に対して,一宮市の教育委員から口頭で注意がありまして,校長は自主的にこの校長の講話,先ほど読み上げましたけどもが,そのブログを削除したんです。校長の上司である教育委員会には逆らえないんです。 私にも苦い思い出がございます。平成10年,当時の文部省が異例とも言える是正指導を広島県と福山市に行ったわけでございます。教育委員会に呼ばれまして,この運動団体との確認書を重視しまして,日の丸の掲揚は認める。しかし,君が代はやめてくれと。私は,強硬に君が代の実施を主張しましたが,メロディーを流すというところで涙をのんだというか,当然のことができなかったという思いがございます。 それで,今回の一宮市の校長さんが口頭で教育委員会から注意を受けまして,保護者からの苦情は寄せられていないが,偏向教育だという匿名の手紙が1通届いただけだそうでございます。 私は,建国記念の日に広島の国際会議場で祝典が行われまして,来賓として参加しました。松井広島市長,それから県は副知事が来られました。衆参の国会議員,県会議員,市町村長等,多数参列されておりました。一般の市民が1,500名で会場満席でございました。そして,記念公演は明治天皇のやしゃごに当たる竹田恒泰,「たかじんのそこまで言って委員会」に出演をしていますけれどもが,なかなかおもしろい話をされました。 一宮市の教育委員会は,この校長講話というのが,私は,
学習指導要領の違反ではなくて忠実に準拠しとると思っとるわけです。それを断定的な書き方だと言って,この校長を指導したということですけれどもが。私は古事記を読んだことなかったんですが,三浦佑之という人が訳と注釈を加えた古事記「口語訳の古事記の神代編」,それから竹田恒泰という人が書かれた「現代語天皇の物語古事記」を現在熟読中でございます。そして,この竹田恒泰という人が,2月25日で広島で研究会をやっとんです。私参加しまして,聞きましたけれどもが,決してこの校長が言っとる講話というのは誤りではなくって,一宮市の教育委員会の指導が誤りと,私は思うんですが,教育長の見解をお伺いいたします。
◎教育長(馬屋原) おはようございます。私は
一般質問答弁,今回初めてでございます。どうぞよろしくお願いいたします。 ただいま片山議員さんのほうからご質問がありました一宮市の教育委員会の指導のことでございますが,お答えをしたいと思っております。 この件は,他市の事例でございまして,詳細な事実も把握をしておりませんので,一宮市教育委員会の指導の是非につきましては,
町教育委員会としてのコメントは差し控えさせていただきたいと思います。 また,さまざまな,現在,祝日が制定をされているわけでございますけれども,国民の祝日に関心を持ち,その意義を児童・生徒に考えさせるということは大切であるというふうに考えております。 なお,国に誇りを持つように教育をするということにつきましては,
学習指導要領に基づきまして適切に指導することが必要であるというふうに考えております。今回ご指摘の校長講話につきましては,神話や伝承について取り上げ関心を深めさせること,また我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情を育てることにつきましては,
学習指導要領に記述されているところでございます。
◆12番(片山) 25分を残しとるんですが,以上で私の質問演説を終了いたします。
○議長(藤田) 以上で片山議員の一般質問を終了します。 ここで休憩とします。 再開は10時45分とします。(午前10時40分)
○議長(藤田) 再開します。(午前10時45分)
◆6番(久保田) それでは,2番目ということで質問いたしたいと思います。 まず,地方創生についてからお伺いをしたいと思います。 地方創生法,まち・ひと・しごと創生法が施行されまして,各地方自治体は地方創生の総合戦略を策定するように求められています。急激な人口減少に歯どめをかけるため,東京一極集中を是正し,それぞれの地域で住みよい環境を確保し,将来にわたって活力ある日本社会を維持していくことが課題となっております。そういった中,地方自治体における人口の現状と将来の展望を提示する地方人口ビジョンを策定し,これを踏まえて今後5カ年の目標や施策の基本方針を示すことになっていますが,これの具体的な施策についてお伺いをいたします。 まず,施政方針では「挑戦のまち神石高原町」のスローガンのもと,地方創生元年予算と位置づけ各種事業に取り組むとありますが,多くの事業が地方創生とうたってあります。地方創生の26年度補正予算,27年度予算において町長として何を重点として取り組まれるのか,お伺いをいたします。
◎町長(牧野) 久保田議員の質問の第1点目でございますが,地方創生についての質問でございます。この質問については,以下多くの議員の皆さんから出ておりますので,ここで国の考えだのあるいは町長の考えについて一気に申し上げたいと思います。 国が示した地方創生の主な目的としては,人口減少に歯どめをかけ東京圏への人口の過度の集中を是正し,国民が出産や育児に前向きになれるよう制度の整備,地方における社会インフラの維持,そして雇用の創出等に,国と地方自治体の連携等が基本理念でございます。そういったことを受けまして,我々としてもこの地方創生というのは,過疎地帯の過疎層ができてから相当年数がたっとりますが,依然として中山間地域というのは衰退傾向にあります。何がどうすればという,そういう処方箋はなかなか見出せないわけですが,地方創生を一つのチャンスと捉えて,我々も果敢に挑戦していきたいというふうに思っております。 安倍総理はさきの施政方針演説で,日本を取り戻す,困難な道のり,戦後以来の大改革と,今後の日本の進路について力強く訴えておられます。さらに,改革に挑んだ岡倉天心の言葉を用い,変化こそが唯一の永遠であるとも言われております。まさに挑戦と変化,改革の取り組みから日本を取り戻すと言われております。安倍首相の思いと同様に,私自身施政方針の中で,「挑戦のまち神石高原町」をスローガンとし,町の誰もがさまざまなことを挑戦することのできるまちづくりを目指すと思います。今後の本町のまちづくりにおいて,挑戦,変化,改革は重要なキーワードだと考えております。何事も恐れず変化,改革に向かって挑戦する,挑戦することが可能なまちづくりをつくっていく,そのことを基本的に置きながら,持続可能な新たな農村社会を構築することを進めてまいります。 以上が答弁といたします。
◆6番(久保田) 先般,施政方針等の町長の演説がございましたけれども,その中で重点事業につきまして,いろいろとたくさんの事業が書いてございました。この中で,先日も資料が配付されたわけでございますけれども,地方の安定した雇用の創出を図るとかございますけれども,一つ私が残念に思ったのは,重点事業の中でトマト団地の開発でございますけれども,これが27年度予算におきまして,事業予算がないんです。説明では,臨時職員の方の予算が55万円ですか,予算ついとっただけでございまして,トマト団地の構想につきましては平成28年から用地取得という計画になっておりまして,事業費を上げるのは難しいと思うんですが,しかしそれまでに係るいろんな経費が上がってないんで,もう今年はこのまま前へ進まんのんかなと思ってみたりもしょうるんですが,先般の説明では県知事のほうがどうのこうの言うような産業課長の話もあったんですが,それはそれといたしまして,このトマト団地の見通しについて,地方創生の一応これは大くくりの中で質問させていただくんですが,トマト団地の見通しについてお聞かせいただければというふうに思います。
◎町長(牧野) 不安に思われたと思いますが,先ほどちょっと議員も触れておられましたが,県のほうの姿勢が少し不透明なとこがありまして,年末を控えてのことであって,年始もう既に予算編成に入るという段階でございましたので,一応トマト団地の整備については,町長としては,私としてはやりたいという思いは強く持っております。それが,今後の地方創生の一つの柱にもなると思います。予算を計上していないのは,そういった県の姿勢といいますか,そういったものを踏まえて,これから県との協議を本格的にしていきたいというふうに思っておりまして,その結果どうということですが,全て当初予算には計上しておりませんが,必要な額については,この1年間通して補正で対応したいというふうに思っておりまして,これは予算対の施政方針で申し上げるところだったんですが,タイムリーに質問されて大変助かったという気もしてます。 以上です。
◆6番(久保田) 今回の地方版の総合戦略につきましては,今後のまちづくりの基本になるものだと理解をしております。資料では,地方版の総合戦略で議論を行い,今後5年間の事業計画を策定されるというふうにありますけれども,新町の建設計画あるいは長期計画でございますが,また過疎計画との整合性につきましてはどうなるんでしょうか。また,これはハード事業あるいはソフト事業,何でも使えるんでしょうか。
◎町長(牧野) 長期総合計画の新たな計画策定の段階に入っておりますので,そういったとこではきちっと整合性がとれるように整理していきたいというふうに思っております。 (久保田議員「ハード,ソフト全て」の声あり)
◎
まちづくり推進課長(入江) 長期計画,過疎計画とは当然整合性をとっていきます。長期計画も27年度で見直しを行いますので,この地方版の総合戦略と合わせて計画づくりを行っていきたいと,前段のです,をやっていきたいと思います。 ソフト,ハードの事業の件でございますけれども,基本的に今回の補正予算,3月補正で消費喚起型,先行型出てますけれども,これはハード事業は対応できないということですけれども,新たに地方版総合戦略で交付金が出てくると思いますけれども,その部分についてはまだ未確認というか,確定してません。今のところ,ソフト事業がメインで,それに伴うハードについては,各省庁が地方再生の事業をつくっていくというふうに聞いてます。いろんな縦割りで事業が出てくると思いますので,それと合わせてハード事業のほうを活用していくというふうに今のところは考えております。
◆6番(久保田) 先般26年度の補正予算の事業説明がございましたが,これは27年度へ繰り越しと,そして27年度予算と一体で事業を推進されると思いますけれども,この補正予算事業はこれから取りまとめられます総合戦略で議論されて,そこへ策定して,そこへ組み入れて事業をされるんでしょうか。
◎
まちづくり推進課長(入江) 先般3月補正で議決をいただきました先行型,消費喚起型については本戦略の計画の中に盛り込んでいきます。
◆6番(久保田) 地方版の総合戦略の立ち上げ時期と,総合戦略の策定のスケジュールをお伺いをいたします。