高崎市議会 2022-06-22 令和 4年 6月 定例会(第3回)−06月22日-05号
昭和50年3月に杉野女子大学家政学部を卒業後、同年4月から平方学園明和高等学校に家庭科教諭として1年間勤務された後、昭和51年5月に市川会計事務所、現在の税理士法人IKJに勤務し、平成29年3月に退職されております。人権擁護委員といたしましては、平成22年10月から4期12年間にわたり務めていただいておりまして、令和3年には法務大臣表彰を受けられております。
昭和50年3月に杉野女子大学家政学部を卒業後、同年4月から平方学園明和高等学校に家庭科教諭として1年間勤務された後、昭和51年5月に市川会計事務所、現在の税理士法人IKJに勤務し、平成29年3月に退職されております。人権擁護委員といたしましては、平成22年10月から4期12年間にわたり務めていただいておりまして、令和3年には法務大臣表彰を受けられております。
まず、条例第7条第1号中「(昭和33年法律第192号)」の文言を削除いたします。この文言は、同条例第3条1項1号で既に表示されており、不要であるため削除するものです。 次に、附則第20項中「前2項」を「前3項」に改め、同項を第21項に繰り下げます。そして、第20項を新設し、新型コロナウイルス感染症の影響による減免を規定いたします。
離職に至らなかった人も、雇用形態が変わった、降格した、昇進を辞退したなど、雇用や収入に影響があった女性は推計75万人、さきの調査に関わった昭和大学医学博士の有馬牧子先生は、ずっと仕事を頑張ってきたこの年代がこれだけ辞めていくということは、企業や社会の更年期への認識がこれまで薄かったのだと思う。更年期に合わせた評価制度、研修、休暇などを考えることが大事だと分析されました。
昭和59年、知久平翁の立像は、旧尾島町役場の東側にあった旧社会福祉センターの玄関前に、知久平翁生誕100年に建立されました。知久平翁には、尾島町名誉町民推挙式が挙行され、尾島名誉町民推挙状と名誉町民章が遺族の中島源太郎衆議院議員に贈られました。引き続いて、社会福祉センター玄関前に建立された頌徳像の除幕式が行われました。
この判例について農業委員会事務局から説明させていただきますと、この解説は新日本法規から出版されている「農地法の実務解説」という解説本によるもので、昭和35年8月1日の大阪高等裁判所の判例や昭和59年8月22日の東京高等裁判所の判例等を基に、直ちに耕作が可能となる休耕地や不耕作地等については農地に当たるということを解説しているものです。
ひとり暮らし高齢者調査、通称6・1調査でございますが、こちらは高齢者福祉施策の基礎資料とすることを目的に群馬県が昭和45年から継続的に実施してきた調査で、毎年6月1日を基準日として70歳以上の独り暮らし高齢者の実態を把握するもので、民生委員さんの御協力により実施している調査でございます。
私は、この際ここの議場にいる年代層は、誰も第2次世界大戦、昭和20年以後の生まれだから、戦争を知らないと思いますけれども、私なんかも、市長も知らないと思います。こんな国の危機、渋川市の危機、人間の命のことを考えると、こんないい絶好のチャンスだから、この間も1階ロビーで、渋川市の空襲、学童疎開の写真展がありました。
本市では、第2次世界大戦後の1950年、昭和25年に市議会に工場誘致調査委員会が設置され、その2年後の1952年には戦後の混乱で停滞していた市内産業振興に向けて、産業の育成と工場誘致を目的とした高崎市工場設置奨励条例が議決され、その後沖電気工業高崎工場、東洋酸素高崎工場の誘致に成功し、昭和30年代の高度経済成長期では工業団地の造成が進められました。
昭和53年3月に東京農業大学第二高等学校を卒業後、同年4月に高崎市職員として採用され、商工観光部長などを務められた後、平成30年6月9日より副市長に就任しております。これまでの4年間、副市長として培われた実績と経験を生かし、高崎市のさらなる発展のため大いに活躍していただけるものと確信しておりますので、よろしく御審議の上、選任につきまして御同意賜りますようお願い申し上げます。
選挙管理委員に中澤隆氏、昭和22年7月3日生まれ、渋川市八木原961番地2、桑原昇氏、昭和29年7月7日生まれ、渋川市白井768番地2、齊藤基夫氏、昭和23年9月24日生まれ、渋川市赤城町勝保沢54番地、森田春男氏、昭和24年2月23日生まれ、渋川市北橘町上箱田1018番地3、以上の4人を指名いたしたいと思います。 お諮りいたします。
昭和52年3月に武蔵大学経済学部を卒業後、同年4月に中学校の教諭として勤務をされ、平成27年3月に退職されるまでの間、金古小学校校長、豊岡小学校校長などを歴任されております。教員を退職後は、平成29年4月から2年間、高崎市教育センター適応指導教室の指導員として、不登校となった児童・生徒に対する相談支援に応じられ、令和元年7月から人権擁護委員を務められております。
そんな中で、第四保育所、これは昭和47年4月に建設をされています。ちょうど50年を迎える施設になっています。また、第五保育所についても昭和50年4月に建設されて、47年が経過する施設になっております。両方とも多分老朽化が大分進んでいる施設になってきていると思います。
(教育部長島田志野登壇) ◎教育部長(島田志野) 豊秋公民館でございますが、市内の公民館の中で最も築年数が古い施設で、昭和55年3月の建築から今年41年が経過しているということは承知をしております。このため、時代の流れとともに公民館に対する利用者のニーズ、また必要な機能等が変化している中で、これに対応することが必要ではないかと考えておるところです。
◎文化課長(小峰好恵君) 村上鬼城記念館は、昭和3年に鬼城の旧居が建てられまして、これまでその子孫が所有し、運営してまいりましたが、郷土が生んだ俳人が過ごした建物を次代に引き継ぎ、また同館の永続的保存と安定的運営を図るため、本市が取得し、運営するものでございます。 ◆委員(中島輝男君) 分かりました。 それで、市で管理するということで、職員の配置というのは何人ぐらいでお考えですか。
昭和52年4月に建築してございます。築45年が経過してございます。 ◆委員(高藤幸偉) 車庫詰所等整備事業で第16分団第1部車庫詰所解体工事とのことですが、新しい車庫詰所は完成しているのですか、これから完成に向かっているのか、引っ越し予定、また解体予定について決まっていたら教えてください。
現在の大島団地の概要でございますが、昭和54年から昭和55年に建設いたしまして、5階建て、全6棟、計150戸の団地規模となっております。大規模改修工事の工事規模、全体計画でございますが、2棟ごと3期の工事に分けまして、令和4年度から令和8年度までの5か年で実施する予定でございます。
この制限税率は、昭和31年の都市計画税創設時におきましては0.2%とされておりました。その後、全国的な財政需要の増大に対応いたしまして、昭和53年に0.3%に税率の緩和の改定がされたものでございます。本市におきましては、旧太田市、旧尾島町、旧新田町におきまして、合併前から0.2%での課税を行っておりまして、それぞれ昭和53年の制限税率改定時においても据え置いたままとされたということでございます。
これらの古墳からは、王の儀式を知ることのできる埴輪群像や副葬品などが出土しており、古墳県群馬を代表する古墳群として昭和60年に国史跡に指定され、今日では市内屈指の古墳公園として、地元の人間だけではなく、市内や県外からも来訪される方々もおりまして、全国的にも認知度の高いものと感じております。 そこでまず初めに、この古墳群の整備の経過と、整備によってどのような成果が上がったのか、お尋ねいたします。
現在の労使会館は、勤労者福祉の推進を図る施設として昭和55年に建設され、約40年が経過しており、会館全体の老朽化が著しく、さらに耐震補強が必要との判断がされております。あわせて、近隣にあります高崎市中央体育館も老朽化や耐震不足などにより平成30年12月に閉館しましたが、市内中心部で市民が気軽に利用できる体育館の建設が望まれているところでございます。
私は昭和49年生まれの、いわゆる団塊ジュニアと言われる世代ですが、市長とは親と子ほどの年齢差になります。一世代違うというわけですが、私がパソコンやスマートフォン、そしてタブレットといったデジタル機器に本格的に接したのは大学卒業後の、年齢で言うと20代から30代にかけてのことでありました。