多治見市議会 2002-12-17 12月17日-05号
昭和14年には津田左右吉博士とその出版社社長 岩波茂雄が起訴されるなど天皇制、戦争、ファシズムと邪魔になる思想、言論は、敗戦まで、弾圧、統制が完璧に行われました。
昭和14年には津田左右吉博士とその出版社社長 岩波茂雄が起訴されるなど天皇制、戦争、ファシズムと邪魔になる思想、言論は、敗戦まで、弾圧、統制が完璧に行われました。
去る11月30日、各務原市の福祉大会で、中部学院大学学長の岡本医学博士は、『人生100年夢プラン──安心して老後を過ごすには』というテーマで講演をされました。内容は、「医学、保健、福祉などが技術を含めて急速に進む中で、日本の高齢化はさらに進む。
なお関常務につきましては、これはリニア開発本部長でございますので、さらにまた工学博士という肩書もございます。大変誠実な方でございまして、東京へ陳情に行かれた方も、陳情の際の話し方なんかからも、大変誠実な方だということを、皆さん方印象を受けられたと思っております。 それから11月の11日に商工会議所を訪問いたしました。
これは例えば、特許等あるいは博士号等を持っておられる方が持っておられる技術、それがまだ製品化されていないものを製品化させるための一つの拠点にもするという側面も持っておるわけでありますから、ご質問の趣旨にも合う部分が大きいのではないかと考えます。
白川英樹博士教育講演会について申し上げます。 去る8月3日、高山短期大学記念講堂において開催した名誉市民白川英樹博士の「自然に学ぶ楽しさ」と題した教育講演会を、市内全中学校の3年生と小中学校の教職員約970名の参加をいただき、白川博士から科学者の道を選ばれた動機や高山における少年時代の自然観察の様子などについて御講演をいただきました。
これは大学院の博士課程を対象とし、10に分けた研究分野それぞれに第三者の評価によって重点的に予算を配分し、世界最高水準の教育研究拠点を創造するというものです。21世紀に日本が先進国であり続けるためには、技術立国を目指すことが必要です。そのためには大学の研究機能を十分発揮させ、活用するシステムをつくること、さらに産業と連携する仕組みをつくり出すことが必要です。
ノーベル賞をおもらいになった野依博士が受賞後のインタビューで、私は新聞で拝見したんですが、全ページ、子どもたちに少年期にできるだけ野原や緑、水と接せよと。それがその後のその子どもたちの成長に大きくプラスになるという趣旨の談話を発表されています。ちょっと気になりまして、その前のノーベル賞受賞者の白川博士のインタビューでしたか、何か雑誌の記事も同様の趣旨のことが書いてあります。
所信表明でトインビー博士の言葉を引用しておられましたが、かの博士はこんなことも言っております。『20世紀において、人類はテクノロジーに酔いしれてきた。しかし、それは環境を毒し、人類の自滅を招くものである』と警告しております。そして、『今必要なのは、新しいヒューマニズム、人間の心のルネッサンス』が重要な人類のテーマというのです。
一国一都市の栄枯盛衰はつきもの、衰退は外敵や突発的出来事、あるいは自然の摂理によっては起きない、アーノルド・トインビー博士の言葉を引用され、みずからの内なるうつろなるものによって生じることが歴史の教訓である、再生への推力は明快な目標、そして一体感、日本的なモラルとモラール、この日本文明の再復興こそ大事である。
学校側の考え方としては、既に大学院、そして博士課程3年間も実施をしていくということで、既に行われておるわけでありますけれども、地権者に対しては何の回答もしてない。
ああしたところで博士号を持った方がその技術を開発するために、商品化するためにレンタルのラボラトリーでその第一歩を歩まれるということは、これまた極めて意義深いことでありますから、そういう意味におきましてクロスオーバーセンターの果たす役割というのは、特にR&Dというような状況の中では、そういう場所におきましては私は大変大事なものであると、このように考えております。
「アインシュタイン博士の印象深い写真がある。相手をからかうように、丸く見開いた目。べーっと大きく出した舌。Tシャツなどにもデザインされた有名なカットである。 常に穏やかで理知的だった博士にしては珍しい。しつこくつきまとう報道カメラマンに舌を出したそうだ。ふざけたしぐさとはいえ、よほどマスコミに対して耐えがたいものがあったのだろうか。 博士ほど捏造された記事で攻撃をされた科学者もいない。
ちなみに、この技術の開発研究者は、東京大学、東京農業大学名誉教授の杉二郎博士と承っております。FFCとは特殊な鉄分であります水溶性二量体鉄塩、フェロス・フェリック・クロダイドのことであるそうでございますが、それは生命を誕生させた太古の海水の中に溶け込んでいたと言われており、それを現代の科学で再現してつくったものだということでございます。
岐阜県森林科学研究所林産研究部主任専門研究員の薬学博士・坂井氏が、過日、西尾議長の案内で大崎地内のシデコブシを遺伝子段階での研究のため葉っぱを採取され、幹の太さにびっくりして、恵那市内でのシデコブシの多さ、太さから、日本のシデコブシのもとは恵那市ではないかと、こんなふうに言われたということであります。この太いシデコブシは、頭の高さで周りが1メートル10センチと96センチの1株2本の巨木であります。
将来の頭脳をたたえるには、私は例えばそういった賞をとった少年に少年博士号とか科学館学士号とか称号を贈り、科学館入場の無料パスであるとか、科学館へ来るためのバスの無料券とか、栄誉を満足させるようなものが賞として考えられないか。 以上、6点について教育長にお尋ねをいたします。 続きまして、仮称・福祉保証協会の創設について。
恵那峡の名づけの親、地理博士の志賀重昴氏が、「恵那渓」と呼ばれた地域を「恵那峡」と命名されたと聞いております。 その後、東京日日新聞、現在の毎日新聞が、「新日本八景」ということで恵那峡を文人、知識人に見せ、新しい日本八景を全国に発信しました。当時、北原白秋、若山牧水等々の方々が恵那の文化を全国に知らしめられたと聞いております。恵那の景色、恵那の食文化、接待等、芸妓衆の活躍があったかと思います。
信じられないので、私は2月14日、名古屋工業大学の教授で工学博士の富永晃宏先生に2時間にわたりお目にかかってきました。多治見市が私に提出した資料、全部集めるとこのぐらいになりますけれども、その中でも特に下水処理場であの晩何があったのか。水位がどうだったのか。土岐川の水位がどうだった。内水位がどうだった。水門の開度がどうだった。それがすべてこの一覧表でわかるようになっております。
その中で、植物学の研究を志して、郷里の高知を出発した牧野富太郎博士は、船で神戸に向かいましたが、その船上で見た六甲山の印象を「初めは雪が積もっているかと思った」と。そして、花崗岩のはげ山から日の光に反射して白く見えている。白い雪のように見えたに違いないと。
また、昨年は、白川英樹博士のノーベル化学賞受賞と、オリンピックで山下まゆみ選手の銅メダル受賞等々、世界に高山の名をとどろかせたのであります。 高山市への観光客の入り込みを見ますと、平成10年は295万人、平成11年、269万人、平成12年、268万人でありました。
白川秀樹博士名誉市民推挙の伝達について申し上げます。 12月議会におきまして議決をいただきました白川秀樹博士の名誉市民推挙につきましては、去る2月25日、横浜市の御自宅にお伺いいたしまして、推挙状、名誉市民章、記念品をお届けし、推挙の伝達をいたしてまいりました。 叙勲褒章受章祝賀会について申し上げます。