526件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

勝山市議会 2018-03-06 平成30年 3月定例会(第2号 3月 6日)

また、勝山市は白山信仰拠点白山平泉寺、ゆめおーれ勝山など、繊維産業中心とした近代化産業遺産群スキージャム勝山など、多くの観光資源に恵まれております。観光まちづくり会社では、これらの観光資源を生かした着地型旅行商品開発を行い、各種データ等の継続的な収集・分析を図っているところでございます。  

敦賀市議会 2018-02-22 平成30年第1回定例会(第1号) 本文 2018-02-22

今年度、本市日本遺産に認定された北前船寄港地船主集落鉄道遺産を含めた近代化遺産など、テーマにゆかりのある自治体関係団体との連携を通じた観光振興に取り組んでまいりました。  こうした中、今月14日には、日本記者クラブにおいて日本遺産認定11自治体北前船ブランドによる地域間交流拡大に向けた取り組みについて発表を行ったところです。  

勝山市議会 2017-12-07 平成29年12月定例会(第3号12月 7日)

実現すれば、博物館2館が連携いたしまして、より充実した恐竜博物館を核に、白山平泉寺スキージャム勝山越前大仏勝山城博物館及び旧市街地文化財近代化産業遺産など、勝山市が誇る多彩な観光資源特産品をいかに生かして、勝山市が観光の力をつけていくかが、この5年間の一番の課題であります。  勝山観光素材は、どれも超がつくほど一流のものばかりであります。

勝山市議会 2017-09-14 平成29年 9月定例会(第3号 9月14日)

具体的には、現在突出した観光資源であります恐竜博物館と、さらには白山平泉寺、旧市街地文化財近代化産業遺産などの観光資源を線で結び、中心市街地を含む周遊観光ルートを確立させるとともに、地元の食を観光ルートに織り込み、地域飲食店との連携、あるいは地元特産品を活用した土産物の新規開発、売り込みなど観光産業化地域経済活性化を図り、観光消費額を増加させることで市全体の事業者の底上げを目指すものでございます

福井市議会 2017-09-13 09月13日-04号

次に,文化財保護法前身である古社寺保存法を制定するなど,近代日本美術を牽引した岡倉天心の銅像につきましては,毎年11月に中央公園顕彰祭が行われており,さらに4年に1回は天心サミットとして持ち回りで福井,茨城,新潟,神奈川の各県の顕彰会が集まり開催されていることから,引き続き中央公園に設置いたします。 

敦賀市議会 2017-09-13 平成29年第3回定例会(第2号) 本文 2017-09-13

交流拠点用地に整備する転車台や、また、今動いているSLを購入して蒸気機関を取り外して水素で動くように整備し動かすものという話もいろいろと聞いておりますので、そう推測しますけれども、敦賀市にとってもこれは本当にすばらしい事業だとは思うものの、何か一つ懸念がありまして、一つは、金ケ崎周辺整備計画との整合性、それから近代復元建物で構成するムゼウム、赤レンガ倉庫等スマートステーション等建物がマッチするかどうかということでありますけれども

福井市議会 2017-06-14 06月14日-04号

長らく日本を支配してきた武士の時代から,1868年には天皇を頂点とする新しい政権が誕生し,明治維新とともに日本近代化が開始されました。それと同時に,西欧諸国をモデルとした近代的な教育システムが導入され,短期間のうちに急速な発展を遂げることとなりました。1920年ごろまでには,近代的な教育システムはほぼ完成するに至ったと言えます。

大野市議会 2017-06-12 06月12日-一般質問-02号

その次に、発電ですね、近代化の流れの中で、発電。 その中で、河川法が変わったことによって、河川環境の維持ということがあったんですけども、水循環を考えたときに河川から浸透する地下水、これをやはり私、大野みたいに生活用水として使っている。 枯渇したら、そこに市民生活が壊れてしまうんやというようなこと。 それから地下水が非常に大事である。 

福井市議会 2017-06-12 06月12日-02号

また,歴史上の人物では,幕末から明治維新にかけて松平春嶽橋本左内など,近代日本歴史を築いた多くの偉人から学んだ哲学が受け継がれ,勤勉で粘り強い人間性地域風土が培われてきました。さらに,歴史遺産では,本市には全国でも6カ所しかない特別史跡特別名勝重要文化財三重指定を受けている一乗谷朝倉氏遺跡があり,別格の観光拠点として位置づけております。 

越前市議会 2017-02-27 02月28日-04号

しかし、幕末黒船ショック欧米列強化学技術力に圧倒され明治以降は富国強兵のもと近代化、工業化の急な坂道を駆け上がってきた。戦後の日本はひたすら経済成長を追求し、世界有数の国内総生産を誇る人口1億2,000万人を超える経済大国成長した。つまり簡単に言うと、これまでの日本経済拡大成長で豊かさを実現し、ふえた税収で全ての問題を解決できるという発想だったと言えます。