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  1. 茨城県議会 2008-07-24
    平成20年環境商工常任委員会  本文 開催日: 2008-07-24


    取得元: 茨城県議会公式サイト
    最終取得日: 2023-06-12
    ↓ 最初のヒットへ(全 0 ヒット) 1                 午前10時30分開議 ◯森田委員長 それでは,ただいまから,環境商工委員会を開会いたします。      ─────────────────────────────── 2 ◯森田委員長 初めに,本日の委員会記録署名委員を指名いたします。  今委員と葉梨委員にお願いいたします。      ─────────────────────────────── 3 ◯森田委員長 本日の執行部の出席説明者は,部長,次長のほか,議題に関係する課長に限って出席を求めておりますので,あらかじめ御了承お願いいたします。  それでは,これより議事に入ります。  本委員会の閉会中における審査テーマは,「地球温暖化対策の推進について」及び「地域商業活動の支援について」であります。  午前と午後,お一人ずつ参考人の先生をお招きして,意見聴取を予定しております。  意見聴取の進め方といたしましては,初めに参考人から御意見をいただき,その後,参考人との意見交換を行いたいと思いますので,どうぞよろしくお願いをいたします。  生活環境部関係は,「地球温暖化対策の推進について」,茨城大学教授で,学長特別補佐であります三村信男先生から御意見を伺いたいと思います。  三村先生におかれましては,地球温暖化環境政策海岸工学等研究テーマとして活動され,また,国連の気候変動に関する政府間パネルに専門家として参加されるなど,国際的にも御活躍中でございます。  また,昨年は,県議会土木委員会におきましても参考人として御意見をいただくなど,日ごろから御指導,御支援をいただいているところでございます。  詳細のプロフィールにつきましては,お手元に資料をお配りしてありますので,ごらんおき願います。  三村先生には,大変お忙しい中,本委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日は,「地球温暖化の影響と対策の考え方」について御意見をお伺いいたします。  それでは,三村先生,どうぞよろしくお願いいたします。 4 ◯三村参考人 御紹介いただきました茨城大学の三村でございます。よろしくお願いいたします。  きょうは,こういう非常に貴重な場を与えていただきまして,大変ありがとうございます。
     テーマは,「地球温暖化の影響と対策の考え方」ということなのですが,具体的にそれを県政の中でどういうふうに生かして,どういうことをやったらいいかという話につきましては,議員の先生方に十分考えていただくということで,私は,これまでいろいろ経験してきたこととか,今わかっている科学的な事実,そういうのを御紹介することによって今後の御参考にしていただければというふうに思っておりますので,よろしくお願いいたします。  ちょっと張り切りすぎたのかもしれないのですが,資料を60枚ぐらいつくってきて,1時間のうちに話をうまくまとめるようにしたいと思うのですが,大きく言いますと,影響というのがいろいろなところでいろいろ言われていて,もう十分わかっているよということかもしれませんが,どんなことがわかっているのかということのまとめと,それから,では,それに対してどういう対策の考え方をしたらいいのか,その2つのことについてきょうは御報告をしたいと思います。  お手元に資料があるのですが,この資料を見ながらでもいいのですが,スライドも準備してきましたので,スライドを使ってやらせていただいてよろしいでしょうか。  まず最初は,急速に変化する国際的な動きということなのですが,これは繰り返すまでもなく,先日,洞爺湖サミットがございました。しかし,私自身は1990年ぐらいからIPCCの活動とかそういうのに参加しているものですから,もう20年ぐらいやっていまして,2007年というのがターニングポイントだったなと非常に強く思います。  というのは,1992年に地球サミット温暖化防止条約ができたのですけれども,その後,京都議定書ができた何だと言われながらもなかなか世界的にはそういうようなことに向かわなかったのです。ところが,去年の3月に,EUの首脳会議と書いてありますが,これは閣僚理事会なのですが,そこで2020年までに温室効果ガスの排出量を20%削減するという数量目標を決定しまして,それが世界の動向を非常に強く引っ張るきっかけになりました。  その後,順次,後で御紹介しますが,IPCCの報告書が出たり,あるいは国連の安全保障理事会で討議が行われたりとか,安倍前総理大臣がクールアース50というのを発表されたり,それで,6月のハイリゲンダムサミットで,ドイツの総理大臣がその日本の提案を受ける形で,2050年までに温室効果ガス50%削減を真剣に検討するということを首脳の合意にまで持ち上げたわけです。それ以降は,12月のCOP13で話があり,それから,福田ビジョンを6月に発表して,サミットが行われるということなわけです。  世界的には,一たん高く掲げた温暖化対策の目標を下げるということはできないぐらい非常に大きな流れになっている。ただ,後でも出てきますけれども,当面のターゲットは,来年12月のCOP15で京都議定書以降の次期枠組みの合意を目指すという,ここがターゲットですので,今のこういう動きも,全部,来年12月のCOP15までにどういうことが合意できるかということがポイントだということを覚えておいてください。  2番目に,IPCCのことを簡単に御報告したいと思うのですが。そういういろいろな国際交渉とか何かで,必ずIPCCの報告書でこう言われているとか,IPCCでこういうことを指摘したからみたいなことで,全部そういうのが根拠にされるわけです。それは何なのかということなのですが,IPCCは,1988年に,国連機関であります世界気象機関というのと,それから,国連環境計画という2つの組織によって設立されました。これは気候変動問題に関する科学的な知見をまとめる,評価するというのが担当なのです。これまで,1990年,1995年,2001年,2007年と4回報告書を出しまして,今回の報告書というのが非常に政治的な影響力が大きかったというわけです。  どの報告書も,3つの作業部会というのがありまして,第1作業部会気候変動の自然科学的な根拠というわけですから,理学部の先生が地球のことをずっと研究するとか,モデルをつくって予測するとか,そういうことが書いてあります。この影響,適応策,脆弱性というのが,では,どういう影響が出るのかということを地球全体とか地域ごとに分析する。第3ワーキンググループが緩和策というので,これは対策をしたらどれぐらい減らせるかとか,幾らかかるかとか,そういうことが書いてあるわけです。  この3つの報告書はそれぞれ英語でぎっしり書いてあって,1,000ページぐらいあって,僕は最初から最後まで通して読んだ人はいないのではないかと思うのです。それぐらい中身の大変なもので,それが忙しい各国の政策担当者の方が読まれないだろうということで,二,三十ページずつぐらいのサマリーというのがついていまして,それが皆さんに広く読まれている。そういうことになっています。  次の絵ですが,IPCCはどういうところに位置するかというと,実際の研究は,観測についても国際研究プログラムについても,それから,各国でも非常に熱心にやっておりまして,毎日のように論文がいろいろ出されているわけです。それをIPCCは数万編の論文を読んだと言われているのですが,それを全部読んで,それでまとめて,こういうことが今わかっていますということをまとめた上で国際交渉に提出する。ですから,IPCC自体が研究するのではなくて,科学的知識をまとめるような立場だということです。  どんな人がそれをやっているかということなのですけれども,私自身は第2作業部会というのに参加しまして,20章あるのですが,各章ごとに10名前後の人が著者として指名されるわけです。それは各国政府から推薦された1万人以上の研究者の中から,ビューローという全体のコントロールをする人たちが指名をしてまとめていく。途上国と先進国のバランスとか専門分野バランスをとって決めるということですから。  これは私が担当した小島嶼,小さな島国に対する影響の章なのですが,私とバルバドスのレオナルド・ナースというのが2人でまとめ役をやりまして,地中海のマルタの研究所の所長さん,それから,トリニダードドバコ,それから,オーストラリアの地理学会の会長さんとか,フィジーとか,何とかいろいろいて,そういう人がまとまって,年に1回か2回集まって,1週間ぐらい缶詰にされて,いろいろな研究者や各国から出てくる意見について議論しては原稿を書き直していく。4回書き直しまして,4年間かかりました。毎回,書いた原稿は各国政府と3,000人以上の専門家が読んで意見を出す。こういうプロセスになって,最後にまとめるということです。  去年の11月に最後の総会があったのですが,IPCC政府間パネルですから,政府の代表が来て,この報告書を承認すると言わなければいけないわけです。文章を書いた人たちは前に並んで,自分が書いたところになると質問がなくなるまで答え続けるというわけです。さっき言った全体のサマリー二,三十ページのものを,承認をとるのに4日間が予定されていたのですけれども,4日間で終わらなくて,5日目の朝になって承認されるというようなことが起こりました。  これは,普通,科学の世界ではそんなことは絶対に起こらないので,政府間パネルだからそういうように政府が承認するわけですけれども,それは両面ありまして,こういうところで承認された文書は,科学の文書であると同時に,各国自身の文書になるわけです。ですから,いろいろな国際交渉などの土台になるという面があります。ですから,非常に珍しい文書ということです。全部の政府が,自分たちがこれを受け入れるとして合意した文書ということです。  科学の部分の結論は,温暖化は既に起きていて,特に20世紀の後半以降の温暖化の原因は人間活動から排出される温室効果ガスによるということを非常に高い確率で認めるというふうに書いたことです。  将来のことについては,全球平均気温は2100年までに1.8度から4.0度上昇する。これがそのグラフなのですが,実は,世界で23個ぐらい,気候モデルというので優秀なモデルがありまして,そのモデルを全部使って同じ条件で計算してもらったのです。それでやると,ここが2000年でして,2100年なのですが,比較的持続可能な方向で経済成長が推移するとこの線に行って1.8度になる。化石燃料をどんどん使って高エネルギー消費の社会が続くとこういうふうにたどっていく。このもっと上なのですが,ここの4度まで行く。ところが,地球平均で4度というやつになるモデルの中には,高いやつでは6.4度上昇するというようなものを出しているものもあるというわけです。  地球平均で4度とか6.4度になるとどうなるかというと,これは地球全体の地図の分布なのですが,比較的赤道付近では気象温が小さくて,北極とか大陸の内部で高くなるのです。北極海では年平均気温が10度上がるということなのです。ですから氷がどんどん解けてくる。  それから,後で言いますけれども,今から20年ぐらいはどのルートをたどっても気温の上昇速度は余り変わらない。つまり,今まで出した炭酸ガスの効果が今から先20年ぐらいを決めているというようなことも一つの特徴です。  いろいろなところでお話をしていると,地球には氷河期と間氷期があったりとか,いろいろな自然現象があるのだから,人間が出した炭酸ガスだけが悪いのではないのではないか,もっとほかにも要因があるのではないかということなのですが,IPCCは一応そういうことも全部検討した上で話をしていまして,こっち側の赤いのが温暖化要因,こっちの青いのが寒冷化要因で,日本語になっていなくて申しわけないのですが,今の温暖化は,炭酸ガスの寄与の割合がこれぐらいだとすると,メタンとかそのほかの温室効果ガスの割合はこれぐらい。太陽がこれなのですけれども,太陽活動が変化して強化したことによる要因はこれぐらい。つまり,20世紀の後半以降の温暖化は,太陽活動がいろいろあるではないかといろいろあるのですけれども,その効果は炭酸ガスの効果の10分の1ぐらいということです。  それから,こっちにブルーで冷やす効果もあるのかということなのですが,これは亜硫酸ガスとかそういうようなものをどんどん大気中に出すと地球を冷やす効果がありまして,昔は,中国の上で計算すると,地球全体は赤いのだけれども中国の上だけ青いとか,そういうようなことがあったのですが,中国もどんどん環境対策をやっているものですから,こういう効果は徐々に小さくなっていくというふうに考えられています。  ちょっと科学の方の結論をいろいろ言っていると長くなるので,影響の方に行きたいのですが,そういうことで,水資源とか生態系とか食料生産,沿岸防災,人の健康というものに対して非常にいろいろな影響が及ぶというように予測されていまして,特に今回の特色は,4つの最も危険な地域を特定したことです。一つは北極圏,それから,アフリカのサブサハラ地域,これは,水がなくて,今でも農業などは困っている。それから,小さな島国,それから,アジアのメガデルタ,アジアのメガデルタは,人口が今から2100年までに倍ぐらいになる。現在,37億人ぐらいいるのですけれども,アジアの人口が倍ぐらいになる。そういう人たちの多くが危険な低平地に住むことになるということです。  何度ぐらい上がったら危険なのかということなのですが,おおよその言い方ですが,世界の平均気温が1990年レベルから1から3度上がった場合には,悪影響とともに,シベリアで農業ができるようになるといったようないい影響も起こり得ると。だけれども,2度から3度を超えて上昇した場合にはすべての地域で経済に悪影響が発生するということです。これは非常に大ざっぱな言い方なのですが,後でまたちょっとこれに触れます。  温暖化はどういうふうに進行化しているかというので見てみると,過去100年というのは1900年から2000年ぐらいまでです。この辺についていいますと,気温上昇は100年間で0.74度,海面の上昇は17センチメートル,ところが,最近の10年間ぐらいは年平均で3.2ミリメートルずつ海面が上がっているのです。ということは,100年で32センチメートルぐらい上がる。加速しているということです。それから,北半球の氷の面積はこういうふうに減っているというわけです。  これは具体例なのですが,先ほど森田委員長ともいろいろお話をさせていただいたのですが,北極海でして,こう北極点がありまして,この赤いのが1979年の氷の張っていた面積で,2004年にはこの白いところまで減ってしまったというわけです。ところが,去年はものすごい暑い夏で,これどころではなくて,これぐらい減ったとかいう,どんどん減っているような方向に動いています。  何が起きているかというと,これは朝日新聞の人といろいろ相談しているときにもらった写真なのですが,こっち側が北極海でして,北極海にずっと砂の島があったのです。それが,氷が張っているときには,風が吹いても波が起きないものですから,まあ持っていた。ところが,氷が解けてしまうと,風が吹くと波が起こるものですから,どんどん侵食が起きて,村の道路がぱたっとここで切れるみたいな感じでここまで侵食された。端っこ側を見ると,家が海に転がり落ちるような状態になっているというわけです。  これは,2003年にモスクワで開かれた会議のときに映された資料を自分でカメラに撮ってきたものですが,ロシア政府はもうそういうことをよく知っていまして,永久凍土の上に家を建てて,永久凍土は凍っているときにはものすごいかたくて強い基礎なのだそうです。ですけれども,それが解けると,建物にひびが入って,みんな住めなくなるので空き家にした。  それから,北極海にある油田からずっとパイプラインで運んでいるのですけれども,パイプラインの土台も沈下してそれが曲がっているとか,そういうことが2000年ころにはロシア政府がはっきりわかるぐらいに起きていたということです。  これは北極圏という話で,将来予測でも北極圏が危ないというのだけれども,北極圏ではそういう現象がもうどんどん進んでいるということです。  あと,小島嶼の事例を一つだけお見せしようと思うのですが,これは,よく最近言われるツバルというところで,国土が23平方キロメートルとも26平方キロメートル,非常に小さい国です。人口が1万人強です。こういう島が9つぐらいあってできている島国なのですが,これは環礁という島でして,普通は真ん中に島があって,その周りに珊瑚礁ができている。これはなくて,周りの珊瑚礁だけの島です。全体はこんな感じで,上からぱっと見ると,南国の楽園で,すごいいいところだなと,本当にいいところなのですけれども,ひもみたいにできていて,中は,水深が深いところでも50メートルぐらいの内海で,ここから下はどーんと2,000メートルぐらい下がっていまして,海の中に富士山が立っていて,表面だけ2メートルぐらい出ているみたいな,ものすごい珍しいところです。  ここが首都のフナフティというところで,滑走路がありますけれども,ここに4,000人ぐらい住んでいるのです。  そのひもの上にこんなふうに人が住んでいまして,ここは南緯8度なものですから,2年に一遍ぐらい台風が来るのです。聞いてみまして,台風が来たときにはどうなるのと言ったら,波が横切るのですとかと言って,それでもすごくいいところでして,住んでいる人はものすごい満足しているようなことを言っていましたけれども,すごい島です。  自然以外何もないところなのですけれども,どんどん島の侵食とかそういうのが進んでいまして,ヤシの並木道が侵食されてどんどん海に投げ出される。そのために,護岸の方法がないものですから,彼ら自身が重いものをとにかく何でもいいから前に置いて防ぐというようなことをやっていました。  島の水資源は,薄い島の下に淡水レンズという地下水があるのですが,それも潮水がまじって使えなくなって,ついに最後の井戸がかれたというのを彼は言っているわけです。幸い雨が多いものですから,直径2メートルぐらいのでっかいコンクリートのタンクをそれぞれの家がつくっていて,それで飲み水を得ている。  ここは地図がない島でして,我々も簡易な測量装置を持っていったので,自分たちではかったのですが,こういうふうなところを切ったわけです。そうすると,内海側から2メートルぐらいの高さまで丘があって,こういうところに人が住んでいて,さっきの滑走路は平均水面上50センチメートル,こっち側に小高い山があるのですが,これは台風のときに珊瑚の石が積み重なる石の山で,全然人が住むことができない。これは珊瑚礁でできていて,石灰岩でできていて,ポーラスといいますが,穴が全部あいているものですから,水が下からわいてくるのです。ですから,海面が高くなると,上から水が来るのではなくて下から洪水が起こると言っていました。これはその様子で,干潮のときには水はないのですが,満潮になると水が来て,もっと高い満潮になると人の腰ぐらいまで来るというようなこともあります。  世界中そういういろいろな影響が起きてきているということで,今までは,どっちかというと,ツバルとかバングラデシュとか,そういう途上国で影響が大きいだろうと言われていたのですが,つい最近,我々も加わって研究をやってきた報告書を2つ出しました。一つは研究報告書,もう一つは環境省が組織した温暖化影響適応研究会の報告書です。  日本で何が起こるかということをかなり詳しく出したので,それを簡単に御紹介したいと思います。  一つは,水資源への影響なのですけれども,これは,今後,二,三十年の間に雨の降り方が強くなるということを示していまして,この赤いところが特に雨がたくさん降るようになるところということです。そのために,洪水とか,特に斜面災害,土砂崩れのようなことがいろいろなところで起こるということです。  それと同時に,雪が少なくなるということですから,日本海側とか東北の雪による水資源が少なくなって,春先の農業用水などは不足する可能性がある。それから,南九州とかそういうところでは逆に渇水の可能性がある。  実は,温暖化すると何が雨の関係で起こるかというと,全体としては雨の量はふえる。集中豪雨がふえる。そのために,逆に雨の降らない無降雨季というのは長くなる。集中豪雨がふえて干ばつがふえるというのだから,悪いのは両方起こるのかみたいな話なのですが,一般的にはそういう傾向になるというふうに言われています。それが確かに日本でもそういうふうになるということです。  それから,森林では,いろいろ報道されましたから御存じのとおり,ブナの生息適地というのがどんどんなくなって,2100年ぐらいまでには白神山地も含めてブナの生息適地でなくなる。これはすぐにブナが枯れるということを意味していなくて,聞いてみたら,ブナというのは200年ぐらい寿命があるのだそうです。だから,生息適地から外れたブナは,寿命が来たら枯れてしまって,その後に新しいものが生えないという形で死滅していく。そうしたら北の方に移動できるのではないかと僕は聞いたのですが,温暖化の北上速度というのは,北海道では大体100年間で50キロメートルから100キロメートルぐらいなのだそうです。ブナが移動できる速度が10キロメートル以下だ。だから,生息適地はふえても,ブナとしては追いつけないというようなことです。  それから,農業ですけれども,この赤いのが米の収量がふえるところで,ブルーのところが減るところということです。これを見ますと,これは2100年ぐらいですけれども,生息適地が北の方に移動していく,ずれていくということです。茨城はボーダーぐらい。今の九州ではもう既にその影響が起きていて,10年前には1等米が80%だったそうです。ところが,今はもうとてもそんなふうにいっていなくて,二,三十%ぐらいしか1等米にならないというので,九州の農政局の人たちは,田植えの時期をずらしたりとか,にこまるとかいう温度に対して非常に強い品種に変えたりとか,そういうことを勧めていると言っていました。  それから,沿岸域は,低いところが水没するというのですけれども,これは,実は,これまでにないことをやったのですが,というのは,全部の既存のある護岸とか堤防を入れた計算を国土交通省の人にやってもらったのですけれども,このブルーのところは,低いのだけれども,台風が来たり海面上昇が起きても沈まないところです。どうしてかというと,今,台風に直撃されていますから,結構強く守っているのです。ところが,瀬戸内海は,一たん四国山地を越えると,台風は今まで弱くなっていたものですから,案外守っていない。だから,赤いところは,今後,はんらんが強くなると予測されるところというようなことです。同じようなことが東京湾とか伊勢湾,大阪湾でも考えられるということです。  それから,あと,健康なのですが,これは,将来のことではなくて今でも起こりつつあるような気がしているのですが,今回の研究でわかったことは,人間の死亡率には,一番低くなる温度というのがあって,北海道では二十二,三度なのです。東京では二十五,六度,沖縄では29度とか,要するに,今の生活している人が今の暑さになれてきているわけです。これが暖かくなるものだから,至適温度から外れていく方向に動いて,死亡率が数倍ふえる。  それから,もう一つは,ことしも随分報道されていますけれども,去年は熱中症で運ばれた人が例年の2倍ぐらいだったのです。つまり,熱中症の危険度などが非常に高くなっていて,特徴的なのは,家の中におられた方も熱中症になっている。それで,65歳以上の方の熱中症で緊急搬送された割合というのははね上がっておりまして,だから,こういうデータは今までほとんど出してもらえなかったのですけれども,いろいろやって,7政令指定都市と東京都だけのデータで見てもそういう傾向は非常にはっきりしたということで,直接人間の健康被害につながる可能性があるということです。  この研究の特色は,こういうふうに各県ごとにデータが出ていまして,茨城だけ取り出すと,茨城は何が起こるかというのも見えないこともないのですが,そこまでやると反響も非常に大きいし,それから,本当に正確なのかと言われたら,そこまでの自信がなかなかというところもあったので,日本全体の地図にしてあるのですけれども,具体的に各地域分布というのを出したということと,それから,これがそうなのですが,1990年から,0度,1度,2度,3度,4度,5度,そういうふうに日本の平均気温が上がったときにどれぐらいの影響の総量になるかということを示したものなのです。これはもうちょっとわかりやすい図に将来したいと思っているのですが,こっち側に100と書いてあるのは,現在のブナ林の面積を100%とするということなのです。この青い線はブナ林の生息地なのですが,減る割合なのですが,ずーっと上がって,4.8度ぐらいになると90%ぐらいブナ林の生息地がなくなってしまう。だから,温度が上がるについてどれぐらいの変化が起こるかということを示した。  米の収量は2度ぐらいまでは増加するのです。これは炭酸ガスがふえるということによって増加する。だけれども,ずっと減っていて,2.6度を超えると日本全体で減収になる。仮に日本全体で米の収量がふえても,南では米ができなくなって,北海道で非常にふえるというように地域の格差が出てくるわけですけれども,それにしても日本全体の平均収量は上がる。だけれども,2.6度を超えるとずっと減っていく。こういうことがいろいろな分野でわかるようになりました。ですから,日本にとって何度ぐらいが危険な温度かというのがこういうので徐々に判断できるようになるということです。  先ほど,委員長に,去年,土木委員会で発表させていただいたということも御紹介いただきましたが,実は,今,お示ししましたように,茨城は,水の問題,農業の問題,防災の問題,非常に関係があるのです。ですから,そういう点でもぜひ将来考えなければいけない問題なのではないかなと思っております。  防災の問題だけを簡単に言いますと,一昨年,非常に大きな高潮が来て,鹿島で船が3隻座礁するとかと起きたわけですけれども,これを見ますと,高潮の高さが80年ぐらいは154センチメートルとか何かだったのですが,ずっと上がってきて,2000年代に入って,今世紀に入って,2メートルとか226センチメートルとかふえているのです。あのときは何が起きたかというと,台風でなくて,こっち側にずっと低気圧が通りまして,銚子で高潮が起きて,大洗で起きて,大船渡で起きて,八戸で起きて,釧路で起きて,こういうふうに低気圧が通るにつれてずっと海の高まりが太平洋岸に沿って進んでいった。そのおかげで茨城県の沿岸でいろいろな被害が生じたというわけです。はんらんが生じたりとか,高波が打ち上げたりとか,海岸の護岸が崩れてしまったりとか,1年間で60億円ぐらいの被害が出たということなのです。  これは非常に特徴的なので持ってきたのですが,これは高萩の北の方の海岸なのですが,自然の砂浜のように見えるのですが,これは実は非常にうまくコントロールができていた海岸で,この下に陸地を守る護岸があったのだけれども,その上に砂がついて自然の砂浜のように見えたのです。ところが,その上の砂が全部とられて,護岸があらわれて,さらにその下が侵食されて護岸が壊れたというものすごい被害が生じまして,3日間の高潮で9年分の土砂がとられるというようなことが起きました。そんなことが続けざまに起きたら,毎年,何億円投入しなければいけないのかみたいな話になるわけです。これが何年に一遍起こるかというような精度の予測はまだできないのですけれども,そういう危険性があるということです。同じようなことを,水資源についても農業についても,各県それぞれ考えなければいけないということではないかと思います。  では,茨城の中で,さっきのはんらんのように,そういう危険性はないのかということですが,これは我々の方の研究室でやりましたら,高波の箱が高くなると浸水するところがふえてくる。まことに申しわけないのですが,市町村ごとにも計算がしてありまして,日立ですと,今委員のところで,申しわけないのですが,結構高波が高くなってくると少し浸水する面積もふえるとか,そういうようなことも出てきているということです。しかも,海面が上がってないときには十分守られているのだけれども,海面が80センチメートルぐらい上がっただけでその面積が相当広くなるとか,そういうこともわかってくるということです。  さて,影響については,このように世界的にも今あらわれつつあるし,それから,我が国に対する影響もあらわれている。それから,将来予測についてもいろいろな形で浮き彫りになってきたということなのですが,では,どうしたらいいのかということなのですが,最初にちょっと結論めいたことを申し上げますと,今の温暖化対策の議論というのは,炭酸ガスの排出量を何%削減するのか。2050年に50%削減,2030年には20%削減,いや,それでは弱いから30%だ。大きな数を言う方が勇ましいというか,そういうような風潮があるのですが,私はもうちょっと冷静になって,温暖化対策の目標というのは何なのかということをちゃんと考えて,その目標に合った対策をとるということを世界的にも考えた方がいいのではないかというふうに思います。  温暖化対策の目標は,このUNFCCCというのは国連気候変動枠組み条約というのですけれども,これがいわゆる温暖化防止条約です。それの第2条に,危険とならない水準において大気中の温室効果ガス濃度を安定化させると書いてあるわけです。つまり,地球全体,人類にとって危険とならないような水準で温暖化を安定化させるというのが目標と書いてあるのです。僕は,この目標は非常に重要な目標で,それのさらに補足条件として,生態系や食料確保,それから,経済成長に影響が及ばないような期間においてこの安定化を達成するということが書いてあるのです。もうちょっとそれを拡張して言うと,生態系や食料確保,防災,水資源,経済成長などの観点から見た危険な水準以下に温暖化を押さえ込むというのが目標だ。  そうすると,炭酸ガスの排出削減を大幅に早期にやって,即座に温暖化の進行をとめることができればそれにこしたことはないわけですけれども,御存じのとおりのいろいろな状況でそれは難しい。そうすると,炭酸ガスを排出削減するというものと,それから,悪影響が将来予測される,それに対して対策を先手を打って立てておいて,悪影響の方を押さえ込む。その緩和策と適応策と呼ばれるそれのベストミックスといいますか,両方が必要ではないか。緩和策は,長期対策と書いてありますけれども,それは,先ほど図のときにお示したとおりで,炭酸ガスは平均すると大気中に70年存在するのです。ということは,今起きている温暖化は過去に出したやつで起きていると言ってもいい。今からとる対策は,20年,30年後ぐらいから徐々に効果が出てくるようなものなのです。やってもすぐにいろいろな方の理解をしてもらいにくいような対策になります。  だけれども,では,今から効果が出てくる20年,30年をどうやってしのぐかというと,それは悪影響に対して対策をとる以外にないわけです。緩和策は長期的な対策で,主要排出国すべての参加と,それから,世界全体が長期的に炭酸ガスを出さないようにするということで低炭素社会を目指す。そういう世界全体の動きの動向にかかっていると思うのです。  適応策の方ですけれども,国連を構成している170何カ国の途上国というほとんどにとってみれば,彼らは自分たちはほとんど炭酸ガスを出していないわけです。ですから,温暖化対策といったら,悪影響をどうやって防ぐかという話になる。適応策が主な対策ということになります。ですから,世界規模では,この2つのバランスをどういうふうにとるかというのが非常に重要だというふうに思います。  世界全体の二酸化炭素の排出量は,これはちょっと古いですけれども,アメリカ,中国というのが二大双璧で,ロシア,日本,インド,それからEUというふうになっております。大体20カ国ぐらいで排出の80%ぐらいを持っているというふうに言われています。  問題は,もうそろそろですけれども,先進国と途上国全体からの排出量の逆転が起こると言われていて,今後は途上国のこの伸びをどうやって抑えるかというのが非常に重要になるという事態になっています。ところが,今の京都議定書の枠組みでは途上国は参加していないわけです。先進国と経済移行国と言われる旧ソ連,東欧諸国しか枠がはめられてないということですので,今から,次の枠組みでは必ずこの途上国の部分の参加が必要ということです。  では,それに対して,どれぐらいのレベルを目標にして,何をやるべきかということなのですが,これは世界全体の図なのですが,先ほど,私がちょっとお見せしたのは日本版のやつの世界全体版なのですが,これから先,1度,2度,3度,気温が上がっていったとしたらどういうリスクがあるか。例えば,これは模式図なのですが,飢餓のリスクというのはこういうふうに上がる。それから,マラリアのリスクというのはこういうふうに上がる。ところが,水不足のリスクは,最初はそうでもないのだけれども,2度前後でぼんとはね上がる。そうするとこの2度のところが危険な水準なのではないか。ちょうど経済的な被害も,2度から3度を超えると全部のところで負になると言われているわけですから,だから,2度以下にとめなければいけないのではないか。これが実はEUの根拠になっているのです。  IPCCの報告にもう一度戻らせていただきますと,IPCCは最終的にこういう図を出したのです。ちょっとこれも見にくい図で申しわけないのですが,こちら側が大気中の炭酸ガスの濃度で,縦軸が気温の上昇です。そうすると,さっき言ったように,2度から3度の範囲に抑えなければいけないということは,産業革命以降だと,現在までもう0.5度ぐらい上がっていますから,2.5度から3.5度のブルーの範囲に将来の気温上昇が落ちつくようなところをターゲットにしなければいけない。例えば,450ppmぐらいに炭酸ガスの濃度をとどめると,このグリーンのところ,ちょっと下目に行くわけです。500ppmぐらいにするとこの黄色のところに行って,ぴったりぐらい。550ppmにするとオレンジのところに行って,ちょっと上めに来る。650ppmとか700ppmなどに行くと赤くなって,だんだんだんだん破滅で,最後は世の中真っ黒みたいな,何でこういう色を使ったのかというのは,彼ら自身の意図があるような気もしますけれども,そういうようなことなのです。そうすると,例えば,黄色とかせいぜいオレンジぐらいをターゲットにしなければいけない。  そういうふうに将来の安定を目指すとすると,どういう炭酸ガスの出し方が許されるのかというのがこっちのグラフなのです。これは,今までこういうふうに伸びてきて,現在,炭素の量にして70億トンから80億トンぐらい出していると言われているのですが,今後,途上国の経済成長をそのまま許すとこういうふうに伸びるというのです。成り行き,何にも規制しないとこうなります。これを黄色にしようとすると,今から10年ぐらいの間に頂点を打って,ぐっと下げて,それで2050年には半減しなければいけない。これがクールアース50の半減の根拠なのです。  図だけではわからないと思って,同じものが表にもなっていまして,それを持ってきたのですが,このIというのはグリーン,IIというのは黄色,IIIというのはオレンジです。IIというのにすると,将来の大気中の濃度は490ppmから535ppm,ちなみに,現在は380ppmというぐらいなのですけれども,それぐらいで安定化させなくてはいけなくて,そのときには,2050年にはマイナス60%からマイナス30%ぐらい,世界全体からの排出量を削減しておかなくてはいけない。これは,だから,マイナス50%ということです。それは,将来,2.4度から2.8度の気温上昇で安定化することになって,海面上昇は50センチメートルから1.7メートルくらいの範囲になるという話なのです。  実は,この表を見ながら国際交渉をみんなしていまして,EUの人はIにしろと言っているわけです。クールアース50の目標はちょうどIとIIの中間ぐらいです。いろいろな議論があって,産業界の人たちは,とてもIなどというのはできない。私もIはなかなか難しいかなと実は思っているのですが,IVとか,それぐらいにしないと,途上国の経済成長,今後のエネルギーの上昇というのも含めて,なかなか難しいのではないか。ところが,2050年に50%ということを掲げられて,今の世界の相場観からすると,もうIIぐらいで行くというしかないということなのです。これが全体の話です。  IPCCでは,Iで行けとかIIで行けとか書いてなくて,これで行ったらこういう結果になりますよという結果だけを示しているのです。ですから,IPCCが主張するようにIでなければいけないという論調はあり得ない。IPCCはそういう指南役ではないですから,成果をまとめるだけのものです。  日本でもクールアース50をやりました。  それから,我が国でも,昨年以降,一斉にこの問題で立ち上がりました。私が知っているだけでも,学術会議,総合科学技術会議,官邸,外務省,環境省,経済産業省,国土交通省,あらゆる省庁で一斉にやり始めたのですけれども,それはいいのですが,今みたいな話ですから,ターゲットを緩和策と適応策とそれぞれちゃんと定めて,国全体として,一つの方針,バランスを持ってやってもらわないと,各省がてんでんばらばらにやるというのはちょっとまずいのではないかなというふうに個人的には思っています。  それをやるときに非常に重要なのは,何でEUはできて日本はなかなか難しいというふうに言われているのかというのですが,やり方でして,現在から将来を予測して対策を考えるか,未来をターゲットを決めて現在にバックキャストするか,その違いなのです。これは日本のエネルギー見通しなどでやられたものなのですけれども,2000年ぐらいから日本が今持っている技術を総動員して減らしていって,どういうパスをたどるかというものを2030年ぐらいをターゲットにとると,大体こういう図になるのです。確かに下の方に下がっていく。1人当たりの炭酸ガスの排出量は下がっていくのだけれども,とても半分などというルートには乗らないわけです。  これに対して,ドイツとかイギリスが今法律をつくっていますけれども,それは2050年に半減するという目標を決めて,そのためには現在からどういうふうに落としていくかということを考えているわけです。そうすると,ものすごいカーブで落とすわけですけれども,その最初の段階は確かにこのルートに乗って今動いているのです。そういう考え方をする必要がある。  それから,では,日本の中でそれがどのようにして可能かというのは,ついこの間,国立環境研究所を中心にした研究チームが報告書を出しまして,2050年に炭酸ガスを世界全体で50%削減するためには先進国は70%削減ぐらいにしなければいけない。めちゃくちゃな削減率だと。それができるのかどうかということです。これがその考え方なのですけれども,日本は2050年には人口は70%ぐらいまで減少している。だけれども,1人当たりのGDP,つまり,生活の豊かさや生活の質は落とさないということで,2.7倍ぐらいにするということです。では,どうやってどこを減らすのかというと,産業のあり方を変える。それから,エネルギー効率を変える。それから,エネルギーの大もとを化石燃料から転換する。それを掛け合わせて,30%の消費で済むようにしようというわけです。  炭酸ガスの排出量で見ると,エネルギーサービス量,つまり,生活の質は2000年と同じ,一人一人が豊かな生活,あるいは生活の質を確保するというのは同じにしましょう。これを切り詰めるという話はないということです。  では,どこで減らすかというと,エネルギー需要部門,つまり,交通とか,あるいは住宅とか,工場とか,ものづくりとか,そういうところで省エネを進めることによって70%のうちの40%を相当します。それから,エネルギー転換部門は,エネルギーをつくり出す方で,原子力とか再生可能エネルギーなどを使って30%減らす。つまり,70%というとものすごく大変な目標みたいに見えるのだけれども,エネルギーを使う方で60%,0.6の省エネにする。それから,エネルギーの転換部門,エネルギーの供給部門の方で0.5の省エネにする。こっちが0.5,0.6ですかね。0.6掛ける0.5で0.3というような需要,供給両方でやりましょうという話なのです。  具体的にそんなことができるのかということなのですが,彼らは一応いろいろやってあって,炭酸ガスの排出量を現状から30%に減らす上で,産業部門,それから,民生──我々の生活部門,運輸部門,エネルギー転換部門,それぞれでどういう施策を導入すればそれができますというようなことが書いてあります。ここで一々施策の中身をご説明しているととても時間がないので,これは14ページの右上にその図があるのですが,もし御興味があれば,後日,この報告書はそんなに分厚いものではないので,お送りすることも可能です。  例えば,簡単なものを拾ってみますと,民生部門などで即座に効果があると言われているのは住宅なのです。高断熱住宅。経済産業省が試算しても環境省が試算しても,どこが試算しても一番即座に効果があるのは建築の高断熱化だと。考えてみたら,今建て直す家というのは大体四,五十年住むわけです。ということは,今建っている家が2050年の炭酸ガスの削減を決めるということですから,住宅問題というのは非常に重要だと思います。  それから,運輸の部分では,これは茨城のすごく大きな課題だと思うのですけれども,茨城県は平地率が高くて,いろいろなところにのべっと広がって土地利用をしているわけです。土地利用の集約,コンパクトシティとか言われる言葉もあるのですが,なるべく機能を集約して,その中を公共交通でつなぐ。県土の利便性を高めて,交通網をしっかりさせるという政策というのは非常に重要だと思うのです。いろいろな地域の競争力を図る上でも非常に重要です。  そのときに,同時に,どういうふうにして自動車に非常に高く依存している地域交通の仕組みを公共交通とかそういうものに転換していくかというのは,これも茨城県の非常に大きな課題であるのではないかなというふうに思います。  あと,エネルギー転換部門で,エネルギー源の分散を図るとか再生資源化をするというのは,県民の課題というよりも,発電会社とか産業の方の課題ということだと思います。  これも英語で申しわけないのですが,同じような試算を国際エネルギー機関がことしの2カ月ほど前に出しまして,2005年でこうなっているのを,2010年ぐらいでピークアウトして,落として5にする。2050年には半減する。そういう目標を達成するためにはどういう技術が必要かというのがここに書いてあるのですが,このままの状態から半減するならいいのですけれども,本来ならば,何もしなければ,どんどんどんどんエネルギー需要が伸びて,620億トンぐらい出すことになる。それを140億トンに減らす。この落差を何によって埋めるかというのですけれども,簡単に言うと,ここでも考え方は同じで,半分はエネルギーをつくるところで減らす。半分は使うところで減らすという考え方になっています。非常に特徴的なのは,CCSと書いてあるのですけれども,これが20%を占めている。CCSというのは何かというと,炭酸ガスの捕捉,隔離です。つまり,炭酸ガスを発電所から集めて,固めて,それで地中に埋めるというやつです。これを導入しないことにはどうしようもない。  原子力が将来の非常に大きな役目を果たすと言われているのですけれども,これは全体の必要量の中の6%ぐらいしか担えないというのです。この6%でも,実は,約1,000基の原子力発電所を新たにつくる必要があると言われていて,年間30基ぐらいなのです。それが本当にできるかどうか。そうなると,世界で1,000基ですから,言ってみればイランやイラクにも原子力発電所ができることになる。それはまた別のリスクを呼び込むことになる可能性があるということです。  それから,こちらのEnd useの方は,いろいろ省エネをやりますということです。  これは,今,原子力発電所を1,000基と私が申し上げたのは,これをやりなさいとIEAが言っているのではなくて,将来のここまで伸びる見通しをここに落とすためにはどういう技術的な方策があるかの一例を示すというのがこの図なので,これがそのままできるかどうかということではないのですけれども,技術的なフィジビリティを並べてみるとこれぐらいになりますということです。ですから,この前のこの環境研の見通しにしても,このIEAの見通しにしても,今,世界中でそういう長期見通しの研究が始まっているということです。  最後でございますが,今のようなお話を聞いていただいて,私が何点かキーポイントとしてまとめたいことは以下のようなことです。  一つは,温暖化対策は二正面作戦と最近言っているのですが,それは,先ほど言いましたように,炭酸ガスの排出削減,ここのパーセンテージにだけ議論を絞るのではなくて,もっと幅広いいろいろな議論をすべきだ。緩和策と,それから,危険が非常に将来予測されるところについては先手を打って適応策を考えていく。その両方の備えが必要だ。  2番目は,緩和策については,近・中・長期目標をというのをそれぞれきちんと見分ける必要があるということです。長期目標は,今,安定化までなのですけれども,当面は2050年の50%削減,その先の気候安定化というのが長期目標になるわけです。これは,どうやったって社会全体の低炭素化というのを進めない限りはそうならない。何かいっときの努力ではなくて,そういうエネルギー源や,あるいは製造,それから,生活,運輸全体のシステムを低炭素化するという以外にはそうならないと思うのです。  そういう先の方の見通し,先ほど,環境研の見通しや,あるいはIEAの見通しを申し上げましたけれども,そういうようなものに向かって,中期目標は2013年以降の国際枠組み,これは,恐らく第2約束期間というのは2020年とか,あるいは2025年とか,そういう時期になるでしょうから,中間段階です。それまでに何パーセント減らすか。そのためにどうやるか。ここでは恐らく緩和策と適応策の分担が問題になると思います。途上国は,我々のところに適応策をどれぐらいやってくれるのかみたいな話になると思うので,緩和策の何パーセント削減という話と,適応策にどれぐらいやるかという話です。  それから,直近の対策としては,何しろ2012年までの間に京都議定書の目標を達成しなければいけない。これは経済産業省の方に聞いても,環境省の人に聞いても,両方ともものすごい難しいと言っています。ですけれども,これを達成しないと,日本の今後のこういう議論の中でのリーダーシップとか,そういうものに非常に大きな影響が出てくる。これをどうやってやる。非常に難しいのですけれども,遠い将来の構想を考えつつ次の枠組みを考えて,でも,そのためには京都議定書の達成をしなければいけない。  それから,3番目は,温暖化の議論の中では余り言われていないのですけれども,私は非常に重要だと思っていまして,グローバルとローカルをどういうふうにうまくすり合わせるかということで,つまり,気候の安定化とか炭酸ガスの排出とか削減というのはグローバルな目標なわけです。つまり,日本で出しても,中国で出しても,ヨーロッパで出しても,炭酸ガスを出すのはどこでもみんな同じような効果を持ちます。ですから,世界全体のリスクを避けたり持続可能性を確保するためにはこれが必要と。だけれども,影響はローカルで,影響の大きさはそれぞれ違うわけです。  同時に,対策をとるときに,茨城には茨城のそのほかのいろいろな重要課題があるのだと思うのです。そうすると,茨城だけではないですけれども,どこの国でもみんなそうですけれども,我々の国にはこんなに重要な課題があるのに何でこっちの対策をやらなければいけないのかという議論にすぐなってしまうのです。ですから,気候対策というのを,地域の活性化や,あるいは地域の持続可能性,サステイナビリティ政策の中にどういうふうにうまく組み込んでいくかというふうにやらないと,気候の方をやるのか,それとも活性化をやるのかみたいな対決軸にしてしまったら両方ともうまくいかないというか,そういうような形になると思うのです。それが地域の中では非常に問われているような気がします。  それから,4番目は,これはまた世界の話に戻るのですが,食料とかエネルギー,資源問題というのがものすごく浮上していて,私はこれも同じような構造になっていると思うのです。食料危機というのは,よく御存じのとおり,中国,インドなどの需要増大とか,干ばつとか,バイオエネルギーへの注目,それから,投機などの影響がある。そうすると,バイオエネルギーとか,そういう問題,あるいは食べるものとの競合を防ぐためには,木質系のバイオなど,要するに,動物が食べられないものをエネルギー源にするということが必要だと思うのです。それは,言ってみれば他の産業が育成するチャンスになる。そういうような,ほかの問題はまた別の問題というのではなくて,それともあわせてどういうふうに解決するかという見方が必要なのではないかと思います。  先ほどもちょっとお話をしたのですが,つい二,三日前に,日経新聞に,太陽電池で,シャープが1位でなくて,Qセルズというドイツの会社が1位になったと書いてあるのですが,これは数年前に数人で始めた会社なのです。ドイツでは,太陽光のパネルを屋根につけると,そこで発電した電気を電力会社が高い値段で買わなければいけないというような仕掛けになっているので,ものすごい後押しになっているわけです。ですから,そういう経済の方の努力と,それから,政策による後押しと,そこのところをどういうふうに組み合わせるかなということだと思います。  それから,5番目に,茨城県の適応策の話なのですけれども,実は,気候モデルがまたさらに進歩しておりまして,現在,やっている研究の中では,全球で20キロぐらいで2030年ぐらいに何が起こるかを正確に予測しようというぐらいのターゲットになっているのです。あと一,二年でその結果が出ると思います。ですから,そうすると,各県ごとに何が起こるかということがかなりはっきりしてくるので,そういうようなものの利用をしながら,将来の防災とか,農業とか,健康とか,水資源とか,そういうものを考えていく必要があるのではないか。  それから,後で申し上げますが,政策・経済活動と県民運動というのは,県民の方の意識はすごく高まっていて,いろいろなところで話をする機会があるのですが,では,我々は何をしたらいいのかと言われて私もすごい困るわけです。だから,茨城県全体では何をターゲットにしてどういうふうにしよう。その中で県民はこの部分を分担してください。そういう目標を示してエネルギーを誘導するみたいなことが必要なのではないか。  この6つぐらい申し上げましたが,キーワードは,政策の統合化,要するに,一つの政策をやるときに,地域活性化のための政策,あるいは交通対策の政策などという個別の政策ではなくて,ある政策が,別の面でも,気候変動のためにもいい効果を持っているとか,そういうような複合的な効果のある政策を出していただくというのが今後はすごく重要なのではないかなというように思います。  ちょっと宣伝なのですが,我々の大学で,東大などと一緒になってサステイナビリティ学に関する研究をやっていまして,来年からそういう面での大学院教育をやるようなことも計画しております。問題は,地域サステナというので,我々は茨城の中でぜひ温暖化問題の対応と地域の発展というのを一緒にやりたいと思って地域サステナという集まりを去年から始めたのですが,ほとんど宣伝しないのに,毎回,五,六十人の皆さんが来られるのです。いろいろな方がいろいろな経験を発表されて,すごい勢いなのです。ですから,そういうような地域の盛り上がりというのは,意識の盛り上がりというのは相当高いというふうに思います。  最後ですけれども,昨年から,大学と茨城県に御協力いただきまして,茨城産業会議3者の連携講演会を行っております。ことしも,10月2日に,三の丸ホテルで,内閣参与で,前の外務省の地球環境問題担当大使で,今度のサミットで福田総理大臣の個人的なアドバイザーを務められた西村六善という方がおられるのですが,この方が行って話をするよとおっしゃってくださったので,そういう方とか,地域の温暖化対策で東大の花木先生とか,それから,我々の新エネルギーを研究されている梶谷教授とかで会合を持ちたいと思いますので,またお時間があれば皆様にも御参加していただければと思います。  若干時間を超えてしまいましたが,どうも御清聴ありがとうございました。 5 ◯森田委員長 三村先生,ありがとうございました。  資料を豊富に,大変わかりやすく御説明いただきまして,ありがとうございました。  ここからは意見交換の時間とさせていただきます。  ただいまの先生のお話について,委員の方で,何か意見,あるいは質問等がありましたらお願いをしたいと思います。いかがでしょう。  今委員。
    6 ◯今委員 大変普段聞けないようなお話をありがとうございました。去年,先生のお話を土木委員会の方でお聞きしたのですが,またさらに三村先生のお話を大分詳しく聞けたのですけれども,ありがとうございます。  CCSの話が出てきましたけれども,私もこの間も御質問したのですけれども,封じ込めの話もありますけれども,大気中に放出する研究というのはどこかでやられているのかなと。それは全然可能性がないのかなというところなのですけれども,宇宙というのは広いので,あそこにどんどんCO2を出してやれば,そういう技術を研究した方がいいのかなと前から私も思っていたのですけれども,何かそういう研究をどこかでやられているのか。ここには,先ほどのこれを見るとCCSの話しか出てこないもので,そういう技術というのはどこかでだれかが研究されているのかなというところなのですが,まず,そこを一つお願いしたいのですけれども。 7 ◯三村参考人 炭酸ガスをまとめて宇宙に出すというようなことは私は余り聞いたことがなくて,そういう研究がされていないことはないのではないかと思うのですが,具体的にされているかどうかということ自体わかりません。  それから,そういうふうに出すためには輸送手段が必要ですよね。だから,きっとコストの問題とか何かを考えているのではないでしょうか。このCCSも,結局,導入できるかどうかというのは,何によるかというと,コストによるのです。  CCSというのは,では,鹿島で発電所がありますと,そこでとったらどの発電所でもできるのですねと。そんなことなくて,入れる場所が必要なのです。今,地中と海洋と2つ考えられていて,海洋の方は,環境影響というのがはっきりしないからというので,まだ世界的にはゴーサインが出ていない。地中の方は,石炭とか石油を掘った穴に入れるということで,原油が出てくるところのそばの国は入れられる。今,日本で実際に実証プラントをやっているのは,新潟に天然ガスを掘った穴があるので,そういうところでやっているのです。日本のCCSのポテンシャルは余り高くなくて,中国とかロシアとか,そういう国があるということです。  ですから,CCSをやるということはどういうことかというと,言ってみれば,そういう国に資金援助とかそういうのをして,そういう国でどんどん減らす技術援助をしてやることによって,日本がその分の分担をとるとか,そういう話になると思います。海洋に入れることができれば,日本近海の海洋に入れるということになると思います。  それらもみんな結局はコストの問題だと言われていて,今はまだコストがつり合わないそうです。しかし,原油価格とかそういうのがどんどん高くなっていったり,コストが上がると,CCSがターゲットに入ってくる。宇宙に出すときには,恐らくロケットとかそういうので運ぶのだと思うので,そのコストは相当なのではないでしょうか。ちょっと直感的な話で申しわけないのですけれども。 8 ◯今委員 あと,もう一つですけれども,対応策といいますか,先ほどお話に出ましたけれども,例えば,人間がどの程度まで対応できていけるか。何年かかかると,何年かたつと,多少気温が上がっても対応していけるのかどうか。自然界というのはそういうところが往々にしてあるので,そういう研究もされているのかなと思ったのですけれども。 9 ◯三村参考人 温暖化に負けない強い体をつくる研究がどの程度あるのか,すみません,それも余り考えたことはなくて,研究チームの中にお医者さんの人たちもたくさんおられるので,今度,聞いておきたいと思います。 10 ◯今委員 あと,先ほど,米の話がありましたけれども,当然,品種改良などもされているのではないかなと思うのです。九州では余りとれなくなってきて,では,暖かくてもとれるようなものをつくろうというような研究も,そういう部門はもう今あるのですか。 11 ◯三村参考人 それはあります。米の品種改良というのはいろいろな方法でやられていて,先ほど言いましたけれども,既に実用化されているのがにこまるとかいうもので,高温に強いお米なのだそうです。そういうのを九州ではもう植え始めている。では,農業の専門家の方に聞いたら,そういうふうに暑い方に強いやつばかりを植えると,遅霜とか,急に冷害が来ることもある。そうすると壊滅的な打撃を受けるのではないかということで議論をしたことがあるのですが,そのにこまるというのは,高温耐性があるというのではなくて,温度の変化に対して感受性が鈍い。つまり,高くても低くてもまあまあ何とかみたいなものらしいのです。まず,だからそういうのがある。  それから,ちょっと余計な話ですけれども,アフリカでネリカ米というのがあって,アフリカは食料危機になっているというので,アフリカでもどんどん育てられるような米をつくろうというので,アフリカに農業研究所を日本が援助してつくって,日本の研究者も協力して,ネリカ──ニューライス何とかアフリカとかいうのですか,そういうような品種をつくったのだそうです。それが非常にアフリカに合っていて,それをつくっている国では農家が安定した収入を得られるようになったとか。ですから,温暖化の話とちょっと違うのですけれども,そういう別の水が少ないとか,その風土に合ったような米をつくっていくという動きは世界中でいろいろやっていると思います。 12 ◯今委員 先ほど,最後に,キーワードの中に出てきたのですけれども,要するに,いろいろな最先端で研究しているところ,それから,あと,政府の関係ですね。政策・経済活動と県民運動という話もあったのですけれども,先月ですか,私も,エネルギー庁がやった個人個人は何をしたらいいのだというフォーラムに行ってきたのですけれども,ここら辺が一番難しいのではないかなと思うのです。  例えば,この間もテレビでやっていたのですけれども,一生懸命リサイクル,分別収集して,プラスティックを出した。そうしたら全然使われてなかった。産業廃棄物でやられていた。一生懸命やっていた主婦などは,何だという話もありまして,そこまで行政がちゃんとチェックしていなかったというのが大きな問題だと思うのですけれども,そういう最先端と一般の方に対してのコーディネーションといいますか,そこら辺をどうしていくべきかという話と,あと,本当に一生懸命やっている話と,2つの効果ですね。確かに,コーベネフィットというのはそこらだと思うのですけれども,本当にやっている方がどれだけの利益があってというところが一番問題かなと思うのですけれども,行政サイドとすれば,どこまでそれをきちっとやっていくべきかなというところが,私もいろいろな場で皆さんに発言していて,可能かどうかというところが私も非常に悩みの多いところなのですけれども,そこら辺,先生はどういうふうにお考えでしょうか。 13 ◯三村参考人 同じようなことをずっと長い間感じていまして,こういうような仕事をしていて,温暖化でこんなに危なくなりますよとか,こういう影響が出ますみたいなことを随分いろいろなところで話をするのです。そうすると,その後,必ず手が挙がって言われるのは,では,私はどうしたらいいのですかと言われるのです。地球の問題でこんなことが起こります。それがずっとおりてきて,では私はと,この距離はものすごい遠い感じがします。  最近考えているのは,2つあって,一つは,そういう行動をしたら,それが地球全体の問題に対してどの程度寄与できるのかということをもっとわかりやすく示すということです。昔はなかったのですが,今は,例えば,アイドリングストップすると炭酸ガスの削減が何キログラムできますとかいろいろありますよね。それを,何キログラムというものから,例えば,その話をするときに,日本全体の目標としては,今,何億トン出していて,それを何千万トン削減したいと思っていて,それに対して一人一人がやるとこれぐらい寄与できますとかいうように全体の中に位置づけてあげる。つまり,自分が努力することが全体の中のどの部分に寄与できるのかというような説明の仕方をするというのが非常に重要なのではないか。それが一つです。  もう一つは,さっきと同じように,やっていることの見える化ということで,この間,地域サステナの集まりをやったときに,いろいろな方にいろいろ言われて,私たちがやっていることはどれだけ役に立っているのか見せてほしいというのです。大学がそれをやってほしいとか言われて,そういうようなことがすぐには我々もできないものですから,非常に熱のこもった議論をそういう方とやったのですけれども,例えば,よくあるのは,太陽光発電のパネルを置かれた方というのは,今,幾ら発電されているというのは出るのです。それを見ると,どんどんどんどん発電している方で何ワットつくっているというのが見えるものだから,これは省エネしなければというので,そういう人はどんどん電気も消すようになるとかいう話なのです。  それから,一人の人は,省エネナビというような装置を電源のところにつけて,そうすると,去年の同じ日と比べて幾ら減ったかというのが出るのだそうです。そうすると,去年に比べてちょっとふえたから何とかしようとか,そういうのがどんどんどんどん目で見えることによって努力をするようになる。  彼が言っていたのは,1年のサイクルの間には必ず減るからいいのだけれども,2年目,3年目になると,いろいろ努力をしているものだから,だんだん減ったという実績が出てこなくなるのだそうです。逆にふえてしまったりする。そういうのを見ることによって,よし,では次は何とかしようというふうにまた新しいところを考える。ですから,自分がやっている努力の全体の中での位置づけを知らせるということと,自分がやっていることの成果をその場で見えるようにするというのが僕は非常に重要なのではないかなと思います。 14 ◯今委員 私もそう思って,例えば,個人個人がやったらこれだけ減るよという,県の方でもつくっているのですけれども,それをもう少しはっきりわかるような方法に変えていったらいいのではないかということで,要するに,今おっしゃられた見える化,自分がどれだけ貢献しているかということをもっとやっている方にわかってもらう。そういうような方式を考えていくべきではないかなというふうに思っているのですけれども。私も頑張っているつもりなのですが,なかなか成果として見えないところもあるのですが,頑張っていきたいと思います。  ありがとうございました。 15 ◯森田委員長 舘委員。 16 ◯舘委員 大変わかりやすい説明でありがとうございました。  一つ,質問というか,お伺いしたいことがございまして,例えば,二酸化炭素の排出量でもアメリカは非常に多い国でございますが,サミットの状況を見ても,リーダーシップを発揮しなければならない国のはずでありますし,また,いろいろな映画なども含めて,いろいろなそれを題材にした映画がいろいろな形でヒットをしておりまして,逆に言うと,日本,私らなどからすると,これだけ有名になるのは,そういったものから頭に入ってきたという感覚がするのですけれども,実は,そういう中で,アメリカで,あれだけのものが,映画などでもヒットされていて,これだけ地球規模で話題になっている中で,なぜリーダーシップが発揮できないのかなという,いろいろな事情があるのだと思うのですけれども,私もいろいろ報道で聞いている部分と,逆に,先生から見た要因というものをぜひとも参考までに教えていただければなと思うのです。 17 ◯三村参考人 私もそういうアメリカ政府の動きについて詳しくあれしているわけでなくて,いろいろなところで人から聞いたとか,経験したということについてだけ申し上げたいと思うのですけれども,まず,ブッシュ政権の間は,彼が最初にそういうふうに言って,京都議定書からも離脱した段階で,そんなに大きな変化は期待できないというのが一致した見方のようです。要するに,言ってみれば,ブッシュさんの考え方とかブッシュ政権の中枢のところの考え方が,最後,彼がやめるまで一応継続する。  ただ,今回のサミットで,彼は一応2050年に50%削減という目標について,世界全体の目標にするということを合意した文書に参加したわけです。だから,そういう意味では,若干姿勢が変わるというようなことを示したのではないか。  ただ,御存じのとおり,次はマケインさんになろうと,あるいはオバマさんになろうと,非常に大きな削減目標を掲げると言っていますから,政権が変わることによってアメリカの政府の考え方というのは非常に大きく変わると思います。  それから,この間,アメリカの人に話を聞いて驚いたのは,政府はそうなのだけれども,各州とか産業界の動きというのは必ずしも政府の動きと一緒ではないよと言われて,カリフォルニアから来た人は,シュワルツネッガーというのは共和党の知事なのだけれども,この問題についてはカリフォルニアは非常に熱心で,一生懸命やらなければいけないというのが非常に強いというようなことを言っていました。それから,東部の州でもそうです。  それから,アメリカのGEとかそういうような大きな会社も含めて,気候変動に対して,地球を守る同盟というのはつくっていて,大企業の方がそういう運動に対して積極的で,逆に,そうでなければアメリカの消費者から受け入れられない。そういう状態になっている。ですから,今のブッシュ政権のスタンスがアメリカの全部の状態を代表しているかというと,そんなことはなくて,底流では非常に大きな変化がある。  もう一つ重要なことは,マケインさんにしてもオバマさんにしても,次はキャップ・アンド・トレードというのを導入すると言っているのです。キャップ・アンド・トレードというのは排出権取引で,国内の企業などに排出量を割り当てて,それをトレードして,全体で減らすという目標に貢献する。そうすると,EUでは既に10兆円ぐらいの規模の排出量取引市場ができ上がっていて,アメリカで次の政権がそれを入れるということになると,早晩,それは世界中で起こることになると思うのです。  そのときに日本がどういう考え方でそれに対してやっていくのかというのは非常に重要で,私の個人的な感じでは,排出量取引を入れないということはもうあり得ないのではないかなと思うのです。世界の動きはそうなっていますから。ですから,そのときに,不公平な,キャップ・アンド・トレードですから,最初のキャップがものすごい問題なのです。要するに,ここをぎゅっと抑えられてしまうとすごい苦しいことになるわけです。現在の排出量に基づいて排出量を分配する,キャップを決めるということになると,一生懸命省エネしてきた人と今まで余りやらなかった人でいくと,現在の排出量ベースですから,省エネしなかった人の方がたくさん許されるということになるわけです。ものすごい不公平な配分なのです。ですから,そういうような公平性があって,しかも世界で実際に有効な制度をどうやってつくっていくかというところに早く議論を持っていった方がいいのではないかなというように僕は思っているのです。  アメリカのことは必ずしも十分よくわかりません。 18 ◯舘委員 逆に,国民的な意識でいうと,日本などよりアメリカの国民の方が意識的には高い部分があるわけですか。 19 ◯三村参考人 そうですね。 20 ◯舘委員 また,国内の方に向かって質問させてもらいたいと思うのですが,最近の動きを見ると,随分報道とかでは,福田総理も一生懸命やっているのかなという気はしているのですけれども,言葉と行動が余り見えてこない部分もありまして,京都議定書の部分もとても到達できないのではないかなと言われているのですけれども,逆に言うと,本気でやる気があるのかなという,議員としてみると,やらなければならないと僕らも思うのですけれども,一国民として見た場合に,日本政府は本気でやる気があるのかなと。本気でやる気があったら,例えば,茨城県などで進めている白熱灯などにしても,全部廃止してしまうとか,思い切った政策,簡単な部分でもそんなものもあるでしょうし,ハイブリッドだったら自動車税もゼロにしてしまうとか,思い切って政策も出すべきなのかなと思って,そういう部分が全く見えてこないで,国民に対する運動の啓発とか,そういうものが優先してしまっているような気がしているのですけれども,果たしてこういう動きがずっと続くのかなと。そういう動きが続く中で,ただ騒いで,口だけで,政策的にはきちんとした,罰則といったら変ですけれども,罰則も含めて,なくしてしまう。例えば,エアコンなどにしても,安いエアコンは非常に電力が高いけれども,高いエアコンは非常に電力消費も低い。非常に矛盾しているわけです。今は景気が悪いからというと,僕らが買いに行くとすると,お金がなければ安いやつを買ってしまう。そういうものをなくしてしまうとか,思い切った抜本的な部分というのをやるという雰囲気が全然見えてこないのですが,その辺,逆にどのようにお考えなのでしょうか。 21 ◯三村参考人 だんだん私の専門分野から,これも個人的な感想ということでお許しください。  洞爺湖サミットまでは,僕の感じでは,福田総理大臣とかその周辺はサミットをうまくまとめるということに全力を挙げていたような気がします。最初にちょっと申し上げましたけれども,今の交渉の話では,とにかく2013年以降の次期枠組みをどうつくるかというところが最大の焦点,それの決着は来年の12月のコペンハーゲンのCOP15というのでやるわけです。  実は,ここ二,三年,外務省の人とずっといろいろ議論してきているのですけれども,クールアース50を出したとき,去年の5月,あのときは日本政府が国際的に初めて明確なメッセージを発した瞬間,非常に珍しい瞬間だと私も思いました。あんなにクリアな,しかもかなり高い目標を言うとはちょっと私は思ってなくて,すごいなと思ったのです。それがまた世界を引っ張ったと。  ところが,国内的には,その目標を世界で実現するように動くというふうにはなかなか言えなくて,COP13,12月にバリ島であったときに,日本はマスコミでものすごいたたかれたわけです。ですけれども,政府と外務省のスタンスは,とにかく中国,インド,アメリカが全員入る枠組みをつくるというのに徹して,その目標は一応達成したのです。つまり,それらの国々が入った協議の場を設定するということに成功したわけです。ですから,あのときの評価は,外務省の交渉担当者の評価はマスコミの評価と真反対で,我々がターゲットにしたことが実現できた。それは必ずしも自分たちが高い数値目標を掲げることとは別に,今はその段階ではない。そういう枠組みをつくるということをやって,やっとそこまで到達したのだというような話だったです。それができたので,ダボスの会議のときに福田さんが福田ビジョンのもとになるような高い目標を言うことができた。そういう流れだそうです。  ですから,そうやってダボスで準備して,6月の福田ビジョンを準備して,7月の洞爺湖サミットになったということですから,見ていると,官邸周辺というのは,洞爺湖サミットで,アメリカも含めて,2050年,50%削減という目標を共有するというところにすごくフォーカスしたのだと思うのです。ですから,そっちの方はそれで話はわかったと。  では,その間,実際の京都議定書の目標達成計画とか国内の動きはどうかというと,それは舘委員おっしゃるとおり,はっきりしたそういう意味でのメッセージは弱かったというように思います。  ですから,国際的な枠組みをつくるというのと,それを担保するような今の仕組みをつくっていくという,それを,今後,具体的に進めていくというのは今からの段階なのではないでしょうか。  時間の関係で説明しなかったのですが,最後の16ページに,付録で,洞爺湖サミットの成果と課題というのを書いておきました。先ほど,森田委員長に何点ぐらいですかとか言われて,40点ぐらいですかねとか言って,ものすごい評価が低いですねとか言われたのですけれども,それはどうしてかというと,ここに書いてあるのを後で読んでいただきたいと思うのですが,2050年の長期目標を設定するという点では,アメリカも含めて合意したので,その点ではできた。だけれども,それを具体化するための方策だとか総合的な構想という点ではまだ十分議論できてなかったので,それは今後の課題になった。それはしようがないところもあって,来年の12月に妥結するような案を,今,カードを切るわけにいかないので,今,切れませんと最初から言っていましたから,そういうようなことだと思います。 22 ◯森田委員長 ほかにございませんか。せっかくの機会ですので。よろしいですか。  きょう,先生のお話の中で,効果的な対策という中で,キーポイントとして,緩和策と適応策ということで,これまで,私ども委員会も,また執行部の皆さんから聞いても,緩和策の話が大部分でして,適応策の話は余りなかったのかなというように今振り返っているわけなのです。  きょう,先生のお話にありましたけれども,現在,県レベルの打つ手といいますか,対応策として,先手を打ってできることがあるというお話がございました。特に防災ですとか,農業を中心とする産業,あるいは健康の問題等,いろいろな分野にわたります。そう考えますと,確かにこの問題は,政策の統合化ですとか,部局横断型といいますか,この部だけでは対応できないようなことがたくさんあると思うのです。効果的に展開するために,本当にプロジェクトで,部局横断で,今後,いろいろこういったものを考えていただいたらいいのかなというふうに改めて感じました。  それでは,そのほか御意見もないようでございますので,本日,お話しいただきましたことを参考にして,我々も,今後,委員会の審査に役立たせていただきたく思っております。  先生,きょうは本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。  ここで暫時休憩といたします。  開始時間,再開は午後1時といたします。                 午後0時4分休憩      ───────────────────────────────                  午後1時開議 23 ◯森田委員長 それでは,休憩前に引き続き委員会を再開いたします。  これより議事に入り,商工労働部関係の意見聴取を行います。  商工労働部関係は,「地域商業活動の支援について」,秩父市みやのかわ商店街振興組合理事長の島田憲一様をお招きしておりますので,御紹介いたします。  島田様は,みやのかわ商店街振興組合理事長のほか,秩父商工会議所副会頭,秩父市商店連盟会長などにつかれております。理事長を務められておりますみやのかわ商店街振興組合では,高齢者などのための買い物代行サービスやナイトバザール等の各種イベントの開催,電線の地中化やシャッターの美装化といった環境整備事業を展開され,経済産業省のがんばる商店街77選に選定されるほか,地域づくり団体総務大臣表彰を受賞されるなど,大変御活躍中でございます。  詳細のプロフィールにつきましては,お手元の資料をごらんおき願います。  島田様には,本日,大変お忙しい中,本委員会に御出席いただきまして,まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  島田様からは,「秩父市みやのかわ商店街の取り組み」について御意見をお伺いいたします。  それでは,どうぞよろしくお願いいたします。 24 ◯島田参考人 皆さん,こんにちは。  ただいまご紹介いただきましたように,埼玉県は秩父市からやってまいりました島田と申します。どうかよろしくお願いをいたします。  私もこういう議会の参考人というのは初めてでございまして,何か取り調べを受けるのではないかというような雰囲気で,バックに人を背負ってしゃべるというのは初めてでございますので,ちょっと普段とやりづらさはあるのですが,私なりにいろいろなところのポイントだけはお話をさせていただきたいというふうに思っています。  秩父市は,そこのお手元にあるように,人口約7万人,秩父郡市の圏域で11万5,000人の商圏でございます。広さは,秩父郡市によると,埼玉県の4分の1あるという広いところでございまして,埼玉県でも,隣の町とか村ではなく,市に行くのに約1時間かかる。こういう立地条件で,近くに大きな都市は一つもありません。そんなような状況ですから,人口的には,11万5,000人を相手にして我々は商業活動をしているというようなところでございます。  本題に入る前に,きょうのテーマにたまたま合うと思って,ちょっと一つだけおもしろいニュースが入ってきたので御紹介します。  それはちょうど2カ月ほど前になるのですが,秩父市のお菓子屋さんの人たちが,モンドセレクションという,簡単に言うと食品のオリンピックみたいなものなのですが,そのモンドセレクションで金・銀・銅賞をとったというニュースが入ってまいりました。これはどういうことかというと,うちの商店連盟の中に加盟しているお菓子屋さん,特に若手中心に約12軒のお菓子屋さんが,3年半ほど前にお菓子な郷(くに)協議会というのを結成して,何しろ秩父の名産品,ブランドを何とか見つけて我々のお菓子の中で取り入れたいという活動を始めました。  たまたま,先ほど,茨城県も南限,北限という話があったのですが,秩父市も割合南限,北限のものが多くて,カエデの木が26種類,北限,南限すべて秩父には生えているという話を聞きまして,カエデかと思ったときに,ある人間が,もしかするとカエデの樹液がとれるのではないかという話があったのです。カエデの樹液はイコール何かというと,メープルシロップなのです。カナダで有名なメープルシロップです。カエデの樹液をとることをすぐ秩父の農林振興センターの方に相談をして,こういうふうにとるとか,産学連携を使って始めたわけなのですが,本場のカナダに行ってこようということで,彼らは自費でケベック州まで行って,カエデの樹液のとり方とかそういうのを教わってきて,また逆に向こうから招いて勉強したりしました。  実質,カエデから樹液をとることに成功しまして,それをメープルシロップにしました。彼らは当初から夢を語っていたときに,モンドセレクションというのに一度でいいから挑戦してみたいという話をしていたのを,ことしの1月,そのうちの6軒のお菓子屋さんが,そのカエデの樹液,簡単に言えば秩父でとれたメープルシロップを使ったお菓子を出品をいたしました。  5月に連絡がまいりまして,その6軒のお店が,金賞が2軒,銀賞が3軒,銅賞1軒ということですべて入賞した。あれだけ狭い地域の中でモンドセレクションに6軒も入賞したということは日本でも初めてのことでございますし,世界的にその味が認められたということで大変大きなニュースとなっています。それ以来,ずっと,簡単に言えば,もう間に合わないぐらいの忙しさでいるのですが,残念ながらまだ年間1トン半しかメープルシロップがとれませんので,2カ月ほどでおしまいだというような状況です。ですから,大手のデパートやコンビニからも一斉に置いてくれという話も来ているのですが,それは全部お断りしている状況です。  もう一つ,皆さんにお話をしたいのは,彼らがこの3年間やってきて,カエデの樹液に目をつけただけでなくて,お菓子屋さんが先頭でこの3年間で6,000本のカエデを植林している。私はここをすごく評価をしていまして,これから先,今あるものでなくて,10年後に1トン半あるものが何十トンととれるようにするためには,今,カエデを植林しなくてはいけない。  御存じかと思うのですが,秩父市は芝桜でここ10年間売り出していまして,4月,5月の連休で大体100万人の人たちが秩父に来ます。春は芝桜,秋はカエデ,簡単に言えばモミジですから,イコールカエデの樹液からスタートしたことが,植林することによって,将来的にはモミジのすばらしい紅葉の見られる秩父市になっていくのではないかというようなこともあって,今,非常にそこら辺が農商工連携で注目を浴びて,今,農林省の方からもいろいろな指定を受けて,ますます開発に拍車がかかっているというような状況です。  そういう意味からすると,商業を考えたときに,自分のまちのブランドをつくるとか,それから,売れるものをつくっていくということは,どうしても自分の手元にあるものを利用するというのが一番重要だと私は思っていますので,ぜひ皆さんのまちでも,きっと何か,だれもカエデなど気がつかなくて,たまたまあった。それと同じようなことがあるのではないかなというふうに思っています。  話をもとに戻しますと,うちの商店街,今から23年ほど前からナイトバザールというイベントを始めました。現在はこういうふうな形で,それこそ行ってみたい商店街ランキングで全国で5位になったり,77選に選ばれたということはあるのですが,正直言って,最初からそんな商店街ではなくて,今から20年以上前のうちの商店街はだれ一人視察に来るような人はいない。うちの商店街に来てみてもらうとわかるのですが,アーケードで,例えば,駅前にだーっとあるような商店街ではなくて,どこの田舎にもあるように,商店が連なっているのではなくて,ぽつんぽつんと,点々としているような商店街です。  まして,そういう商店街がどんなきっかけでこういうふうな活発な商店街になったかというと,これの一番の原因は,埼玉県の方の当時の商業支援課から経営指導を2年間指定を受けて,勉強するという勉強会の指定を受けたことに始まります。当時,20名ちょっとの若手のメンバーが集められて,月に1回の勉強会を2年間続けるということになりました。正直申し上げて,この勉強会が非常に活発だったかというと,全然逆でありまして,全然活発でなかった。簡単に言うと,最初の一,二回は十七,八人出ていましたけれども,半年後には10名を切るような状況,1年後には二,三名しか出ないような状況の勉強会だったのです。  1年半ほど経過をしたときに,我々だけで集まったときにこういう話が出たのです。指定を受けて,一生懸命勉強したのはいいけれども,余り活発でなかった。このまま何もしないで終わったら,行政の方から見ると,何てひどい商店街を指名してしまったのかなというふうに正直思っているだろうと。でも,我々としても,せっかく勉強会をつくってもらったのだから,何かを結果としてやろうではないかという話に我々だけでなったわけです。  そこで,多分,皆さんがぶつかる壁があるのです。では,その何かという何を始めていいのかがわからない。そこでみんなで議論をしたときに,たまたま偶然だったのですが,ふっとしたことに気がつきました。それはどういうことかといったら,自分の住んでいるみやのかわ商店街を将来どうするかということが全員がばらばらだったのです。  うちの商店街,みやのかわというのは,秩父神社の左側にあるので宮側町という名前なのですが,簡単に言うと,うちの商店街を将来どうしようと,例えば,あるメンバーに聞くと,うちの商店街には江戸時代からやっている店が何軒かある。できればレトロなまちをつくりたい,こういう話をするわけです。ところが,その隣のやつに聞いたら,当時,悪法と言われたリゾート法の時代ですから,リゾート法の指定を受けていましたから,もうこれからは秩父リゾートだと。駅前に近いのだから,モダンな町並みのそんな商店街を目指すべきだというわけです。その隣のやつに聞くと,これからは車が置けなかったら商店街はやっていけない。共同ビル化でも何でもして駐車場のスペースを確保すべきだというわけです。その隣のやつに聞くと,うちの商店街の裏には秩父神社の森があるのです。この森の緑を生かして,環境を保護するような,そんなモール化した商店街を目指すべきだ。小さな地区に住んでいる一人一人の人間の考え方がこれぐらい違っているということに気がつきまして,では,いっそのこと,みやのかわの将来構想づくりを始めようということになりました。  きょう,構想の話をするわけではないのですが,将来構想については,約半年かけて,週に1回づつ集まって我々はつくりました。できたときはうれしくて大々的な発表会をやったり,実は模型もつくって,きょうもいらっしゃるように,いろいろな議員の方々とか,いろいろな行政の出先機関に,こんなまちを将来つくってください,こんなお願いをする行動をいたしました。  今,考えても笑ってしまうように,モノレールまでついた新交通システムまである夢のような構想だったのですが,その構想をつくろうということで始めたときに,あるメンバーがこういうことを言い始めたのです。計画だけつくってどうするんだよ。計画なんて──こういうところで言っては申しわけないのですが,行政だって,5カ年計画,10カ年計画などしょっちゅうつくっていたって,計画だけつくって実際に実行されていないではないか。うちの商店街だって,計画だけつくって,それでおしまいにする気か。本当の活性化というのは,普段から汗かいて,みんなで何かに取り組むことなのではないかということを言い出したメンバーがいました。  ではそれもやろうではないかということになって,では何をやる。一番簡単なのはイベントだという話になったのです。では,一つはそういう構想づくり,もう一つはイベントをやっていこうと。この2つの柱でうちらはやることにたまたまなったのです。  どんなイベントをやろうかということでみんなで議論しました。当然,商店街ですから大売り出しという話が出たのですが,それは今までもやっている。大したことない。秩父神社があるから,では,朝市をやろう。朝市はおもしろいかもしれない。でも,朝市というのは,朝早く起きて,商店がみんな開けてないよなという話になって,これも余りうまくない。それでは,いっそのこと夜市をやったらどうだという話になりました。  これは,理由から言うと,ちょうど20代,30代のメンバーですから,一番元気な時間が夜なのです。いつでも酒飲んだり騒いだりしていますから,その夜に着目をした。夜市をやろう。夜市というイベントならいいかもしれない。理由は,積極的な意見のほかにもこういう意見もあったのです。夜市ならやっても損はないだろう。従業員などみんな帰してしまえ。この日だけは家族従業員でやろう。そうすれば人件費はかからない。それだったら損はないな。こういうような話が出た。  よく考えたら,我々の商店街はみんな自宅とお店が大分変わり始めている。親の働く姿を子供に見せるチャンスというのはほとんどないな。だから,月に1回ぐらい,親と一緒に店で子供と仕事をしてもいいのではないか。こんなような話が出てきたり,前向き前向きの話になってきました。  では,夜市という話になったときに,若いメンバーが,せめて横文字にしてくださいと言われて,ナイトバザールという言葉がその場で出てきた。ナイトバザールというイベントと将来構想づくりを始めた。  結果的なことを先に言うと,ナイトバザールをずっと続けることによって,将来構想で我々がつくった計画,要するに,ハードなまちづくりに手がつくようになっていったのです。それは5年後からだったのですが,その間の活動が評価されて,行政や市民がみんな応援してくれるようになったということも事実です。  ナイトバザールについてなのですが,こういうことを一番先に決めました。連続6回やろうということを決めたのです。今までは,イベントをやって,1回やっては評価をする。1回やっては,だめだったな,よかったなという話をする。そうではなくて,6回連続やってからこの後どうするかということを考えよう。だから,6回目まではあとどうするなどということを言わずに続けよう。  お金の問題については,大型店も小さいところも全部一緒,全部割り勘でやろう。できるだけ倹約をして割り勘でやろう。だから,お金のことは割り勘ということで決めよう。この2点を決めました。それでナイトバザールの計画づくりが始まったのです。  これはうちの商店街の特徴なのですが,いまだに続いているのは,お任せ主義と私は言っているのですが,簡単に言うと,このチラシづくりはだれさん頼みますよと言ったら,その人に全部任せてしまうのです。ですから,うちの商店街というか,だれか一人がずっといろいろなコーディネートをしているのではなくて,チラシをつくるやつはチラシをつくるやつ,それから,企画を練るやつは企画を練るやつとか,そういうのが全部お任せ主義になって,最初からスタートしました。  1回目のナイトバザールをやるときに,あるメンバーがこういうことを言ったのです。どんなナイトバザールをやろうか。そうしたら,一生に一度でいいから,銀座や新宿の歩行者天国みたいに,あれだけ人がいる中で商売してみたいやなと言ったのです。秩父の町は秩父夜祭りのときだけはすごい人なのです。ところが,うちの商店街のほとんどの店の前は露天商でふさがれてしまっています。ということは,我々が本当で商売できる状況ではないのです。そうでなくて商売をやるために人集めをしたい。これを夢として実現してみようという話になりました。  1回目のときに,では,人集めだけ考えてみようということでいろいろなアイデアを出しました。一つ出てきたのは,これは非常に当たり前のことなのですが,商店街ですから福引をやろう。ただし,今までは買い物をした人にやらせる福引だったけれども,今度の福引は違うのだ。商店街に来てくれた人にはみんなにさせてやろうという考え方をしました。それから,買い物に来させようという考え方も捨てて,まず商店街に遊びに来ていただこう。ですから,キャッチフレーズは「あそびにおいでよ」ということで,遊びに来ていただくことを念頭に置いていろいろな企画を練りました。  基本的には福引,これは,当時はまだほとんどやってなかったのですが,スタンプラリーだけで,買い物をしなくても,3軒お店を回ってくれさえすれば,それも外れのない福引をさせてやるということで,今でもその福引は列になって,それこそ50メートル,100メートル当たり前の列になって福引を楽しんでもらっています。外れても,最低,例えば,ここは水戸ですから,一番使っているのですが,外れでも納豆がもらえるような,当時から大体1個の仕入れで50円から60円ですから,例えば,1,000人に出したって5万円ですから,そんなに出費ではないだろうということで納豆を使うことが多かったのですけれども,そんなような形で福引。  ただ,福引だけで人が集まるかなと。集まらないなと。そこで出たアイデアは,チラシに1,000円のただ券をつけてしまおうという話になっています。チラシに100円の券などつけたって,秩父郡市でそんなに夜集まりっこないだろうと。いっそのこと1,000円つけたら絶対来るのではないかという話になったのです。1,000円をこういうチラシにつけることを決めてやろうとしたら,初めて我々のおやじたちの世代が出てきまして,「おめえたち,一体何考えているんだ。1,000円つけるんだぞ」と言うから,「はい」,「チラシ何枚まく」というから,「3万4,000枚まきます」,「おまえ,3,400万円ただでまく気か。そんなことを考えるのは商人ではない」というようなことを言われたりいろいろしたのですが,では,それはだめだと。仕方なく,次に考えたのは,500円の券をつけようということになったのですが,これも否定をされまして,最終的にお願いをして,710円以上お買い上げの方に500円のサービスをするという券をつけようと。710円というのは,ただナイトをもじっているだけなのですが,710円以上お買い上げの方に500円のサービスをするという券をつけて,そのうちの250円はお店で負担してください。250円については,今回は,我々お店や,それから,会社に一切手をつけず,自分たちの自腹で負担いたしますという約束をして,この券を一回限りということでつけました。  初めてのナイトバザールを始めるときに,周りからは,ちょうど10月から始めたのですけれども,何で10月からやるんだということを言われました。連続6回といったら,10月,11月,12月,1月,2月,3月なのです。秩父は寒いところですから,12月からは既に氷点下です。何でそんな条件の悪いところで始めるのだということをよく言われました。ただ,我々とすると,思いついてやる気があるときに始めなかったら,きっと半年後はそんな気はなくなってしまっているだろう。何しろやってみるのだという勢いでやりました。  10月の第1回のナイトバザール,時間は夜7時から11時まで,これは,当時,テレビで「セブンイレブンいい気分」のコマーシャルが流れていたので,当然,7時から11時という時間帯を選びました。それから,お店を1軒ずつ回って,夜,店を開けてください。どうしても開けてくれない家は軒下の電気だけはつけてくださいというお願いをして歩きました。最終的に94軒のお店が参加をしてくれることになりました。いっぱいあるなと思うかもしれませんが,これは飲食店とか,簡単に言うとスナックやそういうのも入れての数ですけれども,全部94軒参加をしてくれた。  その日を迎えました。始まりの7時ごろはほとんど人が出てこなかったのです。でも,それから約1時間の間に異変が起こったと私は言うのですが,どこからともなく人がぞろぞろぞろぞろ出てくるのです。これは何でかというと,あの券のおかげなのか,福引なのか,夜の企画だったのか,全くわかりません。ただ人が出てきたのです。当時,うちの商店街は狭い歩道だったのですが,8時ごろは,それこそ地元の消防団で私などもやっていましたから,すぐ来て交通整理などを始めるぐらい人が出てきてしまったのです。福引にも列になったりいろいろしました。あの券も大いに使われて,つまり,夢が実現してしまったのです。  今でもそうなのですが,ナイトバザールはその日のうちにすべて片づけまでやりますから,夜11時までやって,片づけをして,それで売り上げを計算して,全員で売り上げの発表会をやろうということで,うちのお店は,きょう,25万円売ったとか,うちは40万円も売れたぜとか,うちは8万円しか売れなかったとか,こういう話を随分いたしました。  反省会は──反省会といったって飲み会ですから,最後は朝方の5時までやっていたのですが,翌日になったら,近所の人たちに何を言われたかというと,「きのうの人はすごかったね。ただ,あの券があったからね」と言われました。何かそれを言われると悔しかったのです。ただ,毎月イベントをやるということは反省している場が実はないのです。終わると,1週間以内に次の企画を立てて,チラシづくりを始めて,すぐつくらないと,毎月やっていくというのは大変なのです。  ですから,そんなことを言っているうちに第2回目のナイトバザールがすぐ来てしまう。ではどうしようという話になったときに,出たアイデアが,もうあの券は使えない。では,何かやらなくてはということで,ミニイベントの始まりなのですが,実は,秩父神社の周りに夜馬車を走らせたいというアイデアが出てきました。神社の周りを馬のひずめをぱかぽことさせながら回るというのは非常にいいイメージだなという話から,よし,夜馬車をやろうと。秩父の郡内には長瀞というところがありまして,そこには馬車がありました。ですから,そこへ行って交渉をして,夜馬車を走らせてくれないかと。御者がいいと言ってくれたので,2つの夜馬車を走らせたのですが,2回目の企画は,その夜馬車とじゃんけん大会と福引,この3つで勝負をいたしました。  もう一つ,大きく変わったところがあります。よく鶏の卵が先か鶏が先かという議論がありますが,人が出てきたら,共同チラシの中でよくこのように協力しますよね。この枠に普通名前しか入れない人が多いのですけれども,人が出ることがわかったら,店内1割引とか,店頭何とかの特価品とか,2回目でもう既にこういう言葉を入れるようなお店が出てきたのです。それで,2回目の企画の中には,先ほど言った夜馬車,じゃんけん大会,福引,そして,その中で何軒かですけれども,店内で特売を始めた。こういう状況になりました。
     11月のナイトバザール,1回目に人が出たというのが話題になってましたから,2回目も1回目以上にものすごい人でにぎわいました。夜馬車についても,夜11時過ぎても,子供たちが並んで,乗るんだ乗るんだと言って本当に最後の列を切ることが大変だったのを覚えています。当然,そういう形ですから,売り出しを始めた店が売れたのです。そういうような状況で2回目も大成功に乗り切りました。  ただ,人が余りにも出すぎて,これは危険だという話になって,我々の商店街は国道299号なのですが,ここを歩行者天国にしてもらいたいというお願いを警察署長のところに行ってしました。残念ながら笑われて帰ってきました。「一商店街のイベントで国道をとめる。そんなことは全国的に例がない。絶対だめだ」ということで一蹴されました。しかしながら,我々はそれであきらめずに,当然,きょうは県議さんもいますけれども,当時の代議士の先生,県議の先生,それから,市長さんや,それから,警察関係の安全協会や,それから,防犯協会の会長さんとか,あらゆる会長さんところにお願いをして,署長に頼んでくれ,署長に頼んでくれというのをやりました。みんなまじめに署長さんの方に電話していただいたのです。  もう昔の話ですから言ってしまいますけれども,後で秩父警察はこれで大変いじめられたのですが,当時の署長が,余りにも頼まれたものだから,簡単に言うと,秩父で,夜7時から11時ではろくに車も通らないからいいかというようなことを捨てぜりふで吐いてオーケーしてくれました。歩行者天国で,幸い迂回路はあったということは皆さんにつけ加えておきますが,それで,12月,うちの商店街を初めて歩行者天国にすることに成功しました。  当然,今度は道がイベントに使われるわけですから,12月,さあ,何をやろうかということで考えたときに,ちょうどクリスマスの1週間前,うちの商店街に秩父市民をできるだけたくさん集めて大クリスマスパーティをやろうと。そこで本物の雪を降らしてやろうというアイデアを出したのです。本物の雪というのは,うちは西武の事業所がありまして,当然,西武線で行っていますから,狭山とか軽井沢にスノーマシンがあるはずだからそれを貸していただきたいというお願いに行きました。しかし,費用は全部持つかと言われて,費用を聞いたら,とてもできる金額ではなくて,残念ながらあきらめました。仕方なく,大クリスマスパーティは全員がサンタの格好をしてやったのです。  それから,もう一つ,ミニイベントとして氷上我慢大会というのをやりました。これはどういうのかというと,うちも金物屋ですからたらいを売っていました。うちの商店街にあるスーパーの冷凍庫に行って,これぐらいの氷を20個ほどつくりました。それを路上に並べて,素足でその上に立ってどれぐらい耐えられるかという氷上我慢大会というのをやったのです。自転車を1台景品に出してやったら,子供たちがものすごく並んで,ヨーイドンで20人乗せたのです。5分たったらおりると思ったら,一人もおりなかったのです。これはすごいなと思って見ていて,10分たちました。おりたのは二,三人でした。15分たったときには我々が青ざめて,もうおりろと言ったら,二,三人なのですが,足がくっついておりられなくなっている子もいたりして,水かけておろしたのを覚えていますけれども,それでやめればよかったのですが,次に並んでいる子がいたりして何度かやってしまったのです。最終的に勝負がつかなくて,じゃんけん大会やって景品はくれたのですが,おかげで,そのときに,子供たちが,2日後に,我々が知っているだけでも学校を40人以上休まれました。みんな軽い凍傷にかかってしまって,一斉に商店街に対して,危険なイベントはするのではないというおしかりを市民の方から受けることになりました。  ところが,これが逆効果でありまして,話題性には非常に富んでいたのです。3回目,たかが3カ月なのですが,みやのかわの商店街の連中がおもしろいことを始めたぞという話が出てきたのです。市民の話題になったこと,それから,マスコミがとらえ始めました。秩父のみやのかわという商店街で夜市を始めてどうのこうのという記事が載ったり,それから,3回目で生まれて初めて外部の商店街が視察にまいりました。今までうちの商店街など視察に来た人は一人もいなかったのですが,3回目で,1時間ほど行くとある熊谷の商店街で鎌倉町の皆さんというのが来て,秩父の商店街でおもしろいことを始めたというのを聞いたのだけれども見に来たということで見に来られました。  そんな調子で非常に話題になっていった。ですから,これが6回続いたときには全部そういう調子で乗り切ってしまったのです。  後で話そうと思ったのですが,大体230何回やっていますから,1回目から100回目ぐらいまでは3時間か4時間の中で1週間分ぐらいの売り上げをいろいろなお店が達成するようになってきました。それぐらい物が売れたということです。ところが,100回目から200回目の間には,大型店がどんどん出てきたり,100円ショップがいっぱいできてきたり,少しぐらいの安い物では市民が驚かなくなってきたということもあります。ということで,売り上げは当然落ちてきました。ただ,落ちてきたといったとしても,それが半分になるということではなかったです。今でもそういう厳しい状況です。昔ほどの売り上げは出ません。  ただ,毎月やらなくてはということで,いろいろなことを考えなくてはならないのです。うちのナイトバザールの一番の特徴は,これだけははっきり言いますが,絶対に同じことをしないのです。どういうことかといったら,先ほど言った氷上我慢大会とか夜馬車とかいろいろな話をしたのですが,我々は毎回すべてのイベントを取りかえます。取りかえるだけでなくて,過去やったものは一度もやりません。既に我々はそういうミニイベントを800以上考えています。  どうしてこれが成功した大きな理由かというのはよくわかってきたのですが,結局,商工会議所だとか行政がやるイベントというのはほとんど前年踏襲なのです。前年度どおりやっていれば問題がない。つまり,そういうことでやると前年度の場面が参加する人に見えているのです。よく言うのですが,納涼大会をやろうと。1回目は大体どこでも成功するのです。1回目成功したから2回目やろうと。前年度と全く同じことをやるのです。それが3年か4年すると年に1回のイベントでももうマンネリ化がくるのです。そういうようなことと違って,うちは原則としては絶対同じことをしないということでいろいろなイベントを考えています。  そんなことがどうしてできるのだというのですが,もう既に800以上考えていることは事実です。例えば,こういうチラシ1枚とっても,工夫次第では幾らでもイベントはできます。例えば,このチラシを,大人10秒,子供15秒以内にできるだけ遠くに投げた人が勝ちというような,ただ紙を投げるゲームをやるだけでも市民は喜んで参加する。あんなくだらないことをやっていらぁと思っても,おれならこういうふうにやると思い始めるのです。そういうことをやると参加してくる。ですから,本当にそういうお金をかけないイベントをいっぱいやっています。  それから,例えばの話,私は空き缶をよく例に出すのですけれども,空き缶がここにある。これを何とかイベントに使えないかと思ったときに,空き缶だよなと言ったのでは失格であって,空き缶を積んでも,集めても,転がしても,け飛ばしても,投げても,全部イベントになるのです。要するに,空き缶1個でも10個ぐらいのイベントというのは想像できていくわけです。そういうふうな工夫を毎回やっている。  原則としてというのは,例外のイベントがあります。これはどういうことかというと,ちょうど6月にぶつかるときに,いよいよ雨に降られたらどうしようかという意見が出てきました。そのときに,あるメンバーがこういう発言をしたのです。雨が降ったときだけやるイベントを考えようという話をしたのです。  それはおもしろいなという話になって,それでどんなことをやったかといったら,我々でお金集めをして,10万円のお金をつくって,知り合いの中古車屋に行って,10万円しか予算はない。実はまちづくりとか商店街の活性化で使うのだけれども,できるだけ高い車を売ってくれないかという交渉をしました。その中古屋いわく約40万円ぐらいの車とやったので,軽を1台売ってもらいました。その車を全員でワックスがけをしたり,騒いで商店街に飾りました。この車,みのやかわ商店街に,ナイトバザールの日ですけれども,夜7時から9時までの間に1ミリ以上の雨が降ったら710円でお売りしますということをやりました。降らなければ持ち越せるのです。1年目は,6月,降らない,7月,降らない,8月,降らないという状況で,市民にいい加減にしろと言われて,9月に,では抽選で売りますということをやったのですが,3年目のことなのですが,同じことをやったということで,7月に雨が降ったのです。そうしたら,雨が降ったら一斉に人が出てくるのです。そのときもいろいろなところで記事になったのですが,逆転の発想で,雨をも味方にしたという形でよく紹介をされました。  3年目からはこれが新車になりました。これは,あるディーラーさんとメーカーさんが,非常におもしろい企画だということで車の提供を申し出てくれたのです。だから,毎年,1回,新車を710円で売ってきたのです。これも発想した,始めた結果なのです。要するに,雨が降ったらイベントと我々は言っているのですが,そんなようなことをして,実はナイトバザールをずっと続けてきています。  既にもう230何回目を迎えているのですが,1年半ほど前に,これを毎月やっていたのを年間5回にしました。これはめげたとかそういうことではなくて,どんなに内容を変えてきても,どうしても多少マンネリ化も出てきていたり,いろいろなことなのです。何かおもしろい方法はないだろうかということで,テーマを決めることにしました。4月,6月,8月,10月,12月と年間5回ということで今やっています。  4月は何をやるかというと,ちょうど芝桜でいっぱい人が泊まっているものですから,観光をテーマに,今,ナイトバザールやっています。6月は,市民が参加したいという話がいっぱい来ていましたので,市民に企画をさせた「市民」というのをテーマに,今,6月のナイトバザールをやっています。8月のナイトバザールは,すべてうちの商店街のおかみさん会,簡単に言うと,女性部がすべて運営,企画をする女性をテーマにしたナイトバザールを展開します。これは来月やることになっています。それから,10月は,若者をテーマに,すべて青年部にお任せをして,青年部だけが自分たちの考えですべてをやる。こういうナイトバザールをやっています。12月は,当然,歳末大売り出しですから,商店街全体で取り組むということで,年間5回,今,テーマを持ってやっています。  そういうような状況でナイトバザールは続いているのですが,先ほど言ったように,ナイトバザールの特徴は,絶えず,どんなことをしたらおもしろいかということと,それから,もう一つは,失敗したイベントがあっても全然怖くないのは,継続しているということなのです。外から視察に来られた方は,あんなことやったら,あれはおもしろくないのではないのというような話をされても,やっている方からすると,1個失敗してももう翌月なのです。ですから,それほど負担に思ってないし,新しいメンバーが入ってきても,お任せ主義ですから,では,何かイベントを考えてくれ,こんなことをやったらおもしろいのではないかといったら,全部その人間が勝手に考えてやりますので,失敗すると,本人が一番わかっていますから,成功したときだけは鼻高々で自慢をしたりします。  ナイトバザールを1カ月置きにしたというちょうど1年半ほど前,もう約2年たちますか,ナイトバザールの話から別な話に移るのですが,たまたまこういうことがありました。ある障害者を私が車に乗せて送ることになったのです。そのとき,その障害者は知っている障害者だったのですが,割合突っ張っているやつだったのですけれども,珍しく弱音を吐いたのです。  どういうことを言ったかといったら,地元では私は憲ちゃん憲ちゃんですから,憲ちゃん,実はさ,おれは本当にすげぇ情けねえことがいっぱいあるんだよ。自分の体が思うようにならない。これは悔しいけど,本当に情けねえと思うことがある。それはどういうことかといったら,実は,女房がいないとおれは飯も食えねえんだというわけです。だって,奥さんいつもいてくれるじゃないか。でも,女房が出かけたいと言えば,どうぞ行ってこい行ってこいと言う。でも,女房が出かけた後,おれは昼飯食うときにどうしょうかと思う。そういうときに何をやるかというといったら,タクシーを呼んで,事情を話して,タクシーの運転手さんに家の中まで来てもらって,それで連れてってもらって車に乗る。200メートル先のコンビニに行く。200メートル先のコンビニに行って,またおろしてもらって,やっとの思いで弁当1個を買う。そしてまた同じように乗せてもらって自宅へ帰る。そしてやっと食える。こういうのってどうにかならないだろうかなというような話をされました。  そのときに,私からすると,簡単だよ,そんなことは。商店街にとって,1人,2人でやっている商店だったら,半径500メートルぐらいのところだったら絶対無料で配達するから頼んでみろと言ってみたのです。そうしたら,逆に言われました。ただだから頼みづらい。普段からお得意さんだったら,弁当1個すぐ持ってこいと言えるけれども,たまに頼むのに弁当1個届けろというのは言いづらい。かえってお金払って届けてもらった方がよっぽど気が楽だ。そうでなくったってタクシー使うんだから。こういう話をしたわけです。  なるほどなと思ったときに,では,商店街で窓口を一つに絞って買い物代行を始めたらどうだろうかという提案をそこでしました。それも有料でと。そういうふうにしてくれたら助かるということを言われたものですから,では,買い物代行をやろうということで,商店街に帰ってスタッフに相談をしました。そうしたら,スタッフの皆さんも,ナイトバザールはちょうど5回になって少し手が抜けたところだったから,おもしろいからやってみるかと。ただ,1年間,本気で取り組んでだめだったらその先のことを考える。だから,1年は夢中でやってみようということで買い物代行を始めることにしました。  買い物代行を始めるということをPR始めたり調査を始めたのです。いろいろな老人ホームに行きました。行って,老人の方だとか,また,障害者の施設へ行って,障害者の方に,買い物代行というのをみやのかわ商店街は始めたい。どうだろうか。どういうふうにしたらいいかいろいろ意見をくださいと言って回ったのです。非常に評判がよくて,それをやってもらうと助かる助かるといったら,1カ月ほどしたときに,ある施設へ行ったら,あるヘルパーさんがこういうことを言われたのです。島田さん,何か勘違いしていませんか。みやのかわさん,勘違いしていませんかと言われました。どういうことかといったら,お年寄りや障害者がしてもらいたいことは,買い物を代行して買ってきてもらうことではないのですよと言われました。一番したいのは買い物なのですよということを言われました。買い物ということは,自分で色を選んだり,物を見たり,いろいろして買うという買い物という行為を一番したいのだと言われたのです。なるほどなと思いました。その場ですぐ出てきたのが,では,いっそのこと,こういう施設に商店街ごと持ってきましょうかという話をしました。それが出張商店街の最初の発想であります。  出張商店街ということで,商店街ごとこういうところへ来て自由に買い物を楽しんでもらうようなことを毎月一,二回やっていったらどうだろうかという話も出ました。名前を「楽楽屋」という,楽しい楽しいという意味で「楽楽屋」とつけたのですが,出張商店街「楽楽屋」と買い物代行,この2本立てでやっていこうということを決めました。それでスタートしたわけです。  これもちょっと偶然だったのですが,買い物代行を8月から始めると言ったら,テレビ番組でいうと,「ガイアの夜明け」というテレビがあるのですが,あそこが取材の申し込みに来ました。まだこれから始めるんだから,おれたち,そんなこと言われてもと言ったのですが,ともかく撮らせてもらいたい。担当がうちの専務理事をやった相澤君というのを担当にしたのですが,彼は二度とテレビには出ないと言っていますけれども,朝8時から夜9時までマイクをつけられっぱなしで,トイレへ行くときも外してくれねえなどといって,1カ月間,密着取材されたので,最後は本当に困っていましたけれども,でも,マスコミに追いかけられるので何とか成功させなくってはと思ったことも事実なのです。だから,我々も必死にPRしたのです。ですから,買い物代行は,1カ月の間に,問い合わせ自体は1日10件以上入るようになってきました。それに対応するように商店街でやるようになりました。  それから,出張商店街についても,最初は一つの施設で始めたことなのですが,そのことが話題になって,幾つもの施設から,うちにも来てほしい,うちにも来てほしいという話が来ました。よく商店街の方々がみやのかわに来ていろいろな質問を受けるときに言うのですが,多分,どこの町ででも,デイサービスセンターだとかそういうところに商店街を出張させて買い物させると本当に群がるように買います。昔の商店街を思い出すようにものすごいものです。ただ,買いすぎてしまって,ヘルパーさんに減らされるというようなことはあるのですけれども,ともかくそれぐらい買い物をしたがっていることは事実です。今では出張商店街はいろいろな施設で3日に一遍ぐらい実行しています。これはほうっておくと,申し込みが多くて,一月毎日やるようなことになってしまうのですが,我々はとてもそこまでは手が足りませんので,大体1カ月の間に10日間,出張商店街をやります。  このやり方は,これに参加をしたいという商店街が,簡単に言うと,パンのトレーみたいなものに自分のうちの商品を自由に入れて,それを持ち寄って販売するだけです。施設側からすれば,事前に持ってきてもらいたいものが全部ファクスが入ります。これを同じように商店街のこれに参加するメンバーにファクスします。そうすると,そういう商品をみんなでそろえて持っていく。だから,同じ商品を出しても値段が違うのです。そこがおもしろいということです。  そんなようなことを今やっています。実質,売り上げというのは,1回の出張商店街で2万円から10万円ぐらいまでの間を行ったり来たりしています。だから,決して何十万円も売れるという世界ではないです。ただ,何もしないでお店にいるよりはるかにいいとは思っています。  それから,もう一つは,商売のチャンスというのは,与えられると,いつの間にかその施設にうちの商店街のやつらが食器を卸していたり,トイレットペーパーやそういうものも全部納めるようになっていたり,取り引きを始めているのです。それから,そこで知り合ったおばあちゃんが,例えば,こういうベストの色違いないと言ったら,では,おばあちゃん,後で持っていってやるよと家を聞いて持っていったり,そういうお得意さんづくりに非常に役に立っているということもあります。  それから,さっき言った出張商店街ではなくて,買い物代行御用聞きと名前をつけているのですが,中には,ちょっと来てくれということで,今,御用聞きを始めて,残念ながら,1回だけこういうことがありました。御用聞きをいつも頼んでくれているおばあちゃんから連絡がないものだから心配になって行ったら,亡くなられていたということがひとり暮らしであったり,そういうものの発見にはなったのですが,残念ながら,その前に気づいてやることはできなかった。こんなようなことでやっています。  そうこうして,それが順調に進んでいるところで,埼玉県の県庁の福祉部と秩父市の福祉部の方からボランティア派遣をやってくれないかという話が来ました。大型店が絶対まねできないところで,商店街が持っている一番いいところというのは一体何だろうと思ったら,これはコミュニティーを持っているということなのです。人を知っているということなのです。皆さんも県議会議員の方だからわかると思うのですが,商店街のおやじなどというのは大体地域で町会の役員をやっている。祭りはさせられる。それから,若いうちはPTAだ,育成会だ,それから,子供のサッカーの面倒を見る。それから,例えばの話,ちょっと大きくなれば,青年会議所だとかロータリーに入れさせるとか,あらゆるところに関係していますので,人を知っているということに関しては商店街は非常に強いのです。ですから,そういう人を知っているところを何とか利用できないかということで,ボランティア派遣をそれと融合させようと思って引き受けることにしました。  最初,これはボランティア貯蓄センターという名前で,これの窓口をみやのかわ商店街でやってくれないかということで来ました。これはどういうことかといったら,高齢者が高齢者を助ける。具体的に言うと,今,秩父郡市で11万5,000人の人口がいる。そこに高齢者が約3万人いるのです。4人に1人以上になっていますから。そのうち5,000人が大体介護認定を受けているのです。そうすると,逆に言うと,2万5,000人も元気な年寄りがいるということだったのです。その2万5,000人の元気なお年寄りが,5,000人の介護認定を受けているような人たちとかその予備軍の方々に,協力し合って,シニアボランティアとしてボランティア活動をするという世界ができないだろうか。その窓口を地域を一番知っている商店街でしてくれないかという持ちかけがあったのです。  結局,最終的には,ボランティア貯蓄センターというのは非常に行政的な名前なので,では,思い切ってということで,ボランティアバンクおたすけ隊という形で名前をつけました。これがそれのチラシになっています。このボランティアバンクおたすけ隊を始めたものですから,買い物代行についてはこのおたすけ隊が全部やることにしました。出張商店街は今までの商店街のメンバーでやっています。  ボランティアバンクについては,現在,103名のボランティアが登録しています。最高齢者が76歳のお年寄りなのですが,この方は非常に活発で,毎月,大体30時間から40時間,ボランティア活動として派遣をしています。行って帰ってくると,おれより若かったぜとか,おれより元気だったなどということもあるのですけれども,そういうボランティア派遣に応じてくれています。  これのシステムというのは,行ったボランティアが,頼む方からすると,1時間800円のチケットを買って払います。例えば,1時間ボランティアしたりすると,1時間当たり800円のチケットをもらってボランティアが帰ってきます。これを時間を貯蓄します。ですから,おれはもう10時間貯蓄しているとか,20時間貯蓄していると。そのボランティアがもし何かのときに自分の家族に使いたい場合は,そのままの時間を使うことができる。ただ,費用弁償がほしい,何かにかえたいといったときにやるのは,商店街で使っている商品券と取りかえます。1時間当たり500円の金額のあれで,商店街の商品券で費用弁償をしているというようなやり方になっています。  幸いなことに,これは行政と商店街が一緒になって宣伝してやっていますので,今現在,1日15件ぐらいの問い合わせが来ます。でも,実質,ボランティア派遣に結びつくのはそのうちの3分の1,約五,六件です。残りはどうするかといったら,これはボランティア派遣するよりプロの人を回したほうがいいとか,これはどこどこ商店さんに行ってもらったほうがいいとか,そういうことになっています。それから,残り5件ぐらいのうち幾つかはシルバー人材センターの方を紹介したりとか。それから,もう一つは,電話を受けること自体がボランティアになってしまっています。うちの事務局で一番困っているのは,お年寄りから電話があって依頼があると,お年寄りが電話を切らないで,30分,1時間,話をするのです。だから,話し相手という部分ではもう電話で調達しているような,これはお金にはならないのですが,そういうような状況になっています。  要するに,そういう高齢者の共助の世界をつくるという意味では新しい試みで,これ自体がちょうど去年の8月からスタートしていますので,間もなく1周年を迎えるのですが,幸い,ボランティアだけは,今言ったように100人を超えて,8月7日に今度は検証大会をやるということになって,いろいろなボランティアに参加していただいて,自分の経験談を発表してもらう会をやることになっています。  ボランティアバンクもそうなのですが,もう一つ,ここにチラシとして,「ほっとすぽっと秩父館」というこういうチラシがあると思います。これは,地域の資源を何とか活用したいということで,ここも老人のひとり暮らしの家だったのです。昔,旅館だったのです。商人宿という旅館だった跡がうちの商店街に1戸残っていました。ここに目をつけて,そこのおばあちゃんのところに行って,実は商店街の拠点をつくりたいので,どうしてもこれを貸してくれないだろうかというお願いをしたら,そこのおばあちゃんが,町のために役に立ってくれるのだったらいいよということを言ってくれました。そういう意味からして,これを借りることができました。  もともと秩父館という名前の宿屋だったのです。これを整備しまして,何しろ商店街の人たちが用がなくても平気で寄れる,そんなたまり場にしたい。それから,もう一つは,観光客が休むところが少ないというのが秩父ではよく言われていたので,自由に来て休んでいただける空間をつくりたい。そんなことでやりました。  いざやって,これを改装してみたら,床をはがしたら,井戸は出てくるわ,でかい2間もある神棚が出てくるわ,一度来てもらえばすごいびっくりすると思うのですが,いろいろなものが出てきたりして,今では秩父のちょっとした名物の場所になっていますし,ここはレンタルボックスというか,ショップをやっていますので,大体70人ぐらいの人たちがレンタルボックスを使って商売をしていたり,そんなようなことで使っています。ボランティアバンクおたすけ隊の事務局もこの建物の中にあります。  そういうことでやっているので,実は自然と居場所になるのです。お年寄りたちが訪ねてくると,ここでしばらくの間休んで話をして帰りますから,そういう意味では,お年寄りの居場所としてやっていますし,ここに初めて地元野菜を置いてみました。現在,野菜が一番売り上げがいいです。大したスペースではないのです。本当にここから向こうぐらいまでの場所に置いてあるだけなのですが,1日平均2万円前後の売り上げなのですが,野菜が非常によく売れる。それも近所のお年寄りが本当に毎日というように,1日必要な分だけを買いに来るような状況になっています。  そういう意味では,こういう町の中にある古い建物をちょっとしたアイデアで利用することによって,集客施設として非常におもしろいものだと。これを1個をつくったら,実は芝桜で100万人来るといっても,芝桜の丘に来るのであって,今まではその人たちが街中を回遊してくれないのです。ところが,ことし,これをつくって宣伝をしたら,結構の数の人が,大体1日300人以上来ていましたから,商店街を歩くのです。そうしたら,今度は商店街で早速お土産品を前に出して売り始めたお店とか,そういうのが出てきたりということで,集客施設がいかに街中に大切かということを,この秩父館をつくったことによって痛感をさせられたというわけであります。  それから,先ほど,ナイトバザールのときにお話で漏れてしまったのですが,将来構想については,大きな環境整備としてこの20年間で3回やっています。1回目のときは約6,000万円のお金をかけて,街路灯整備から始まって,道路に名前を,何とか横町とかそういうのを全部つけて,道路名看板をつくったり,小さな歴史を,商店街にあるいわれを書いた看板をつくったりとか,そんなことをやっていました。  そのときこんなことがありました。ここは自分の町ではないから言ってしまいますけれども,小さなパン屋さんがありまして,そのパン屋さんのおやじは何を言っても協力してくれないのです。店はどんどん閉めてしまうわ,いろいろした。ただ,6,000万円の事業をやるときに,3分の1は地元負担ですから,2,000万円,金を集めなければならなかったのです。寄附集めを我々でやりました。そのときに,そのパン屋さんに,でも,だめだろうなと思って行ったら,ぽんと100万円寄附してくれました。これはびっくりしたのです。そのとき言った言葉が,おめえたち,よくやってるもんなと言ってくれてぽんと出してくれたのです。だから,見てくれているんだなということは痛感いたしました。  1週間,寄附集めをして,3,000万円以上お金が集まって,その後の環境整備にずっと結びついていくようになりました。当然,電線類の地中化もずっと行政にお願いし続けてましたので,秩父で一番早く電線類の地中化もうちのみやのかわ商店街が実行することができたり,そういうことも進んでいます。  先ほど言ったように,ナイトバザールを続けている結果,いろいろなことで行政とのつき合いというのが非常にふえたり,市民が応援してくれたりという,これを続けていると自然といろいろな情報が来て,これを使って将来構想のここの部分をやらないかいというような話になったので,結果から言うと,ナイトバザールというイベントが手段で,我々の目的だった将来構想というつくった将来の町が,ナイトバザールを続けていることによって達成していくということを実感したのです。ですから,よく言うのですが,イベントというのはあくまで目的でなくて,手段だったということが非常によくわかりました。そういう状況で続いていることも事実です。  それから,きょう,お持ちしたのですが,先ほど商品券と言ったのですが,これがうちの商店街というか,みやのかわだけでなくて,秩父市全体の商品券です。和同開珎と書いてあります。これが1,000円で使えます。これが,10年前に地域振興券をつくったときに全国でいろいろな商品券が話題になったと思うのですが,あのときに思いついたのです。お金だってお札とコインがあるのに,どうしてみんな紙でしか商品券を考えないのだろうと思いました。いっそのことコインでつくったらどうだということを言って,ただ,そのときは実行できなかったのです。ところが,その後,翌年,埼玉県の方がプレミアムつきの商品券に補助金を出すというのがあって,印刷費等については県が補助するという項目がありました。印刷費等と書いてあったものですから,これをつくるのも一緒だろうということで,へ理屈でつくってしまいました。  それを売り出したときには,3億円売り出したのですが,2時間ですべて売り切れました。これがスタートで,日本発のコイン型商品券ということで,その後,埼玉県では川越さんがすぐ訪ねてきて,川越には小判がもっと合うでしょうという話をしたら,小判をつくって,川越では小判が商品券として使われています。日本全国でも,例えば,札幌へ行くと,クラークコインだとか,札幌の中に,タヌキ大明神と書いたコインをつくったり,いろいろなことをやっています。  偶然なのですが,ことしはたまたま和同開珎ができて1300年目なのです。この間,これが記念コインとして発売をいたしました。初めてこれを金メッキでつくって,1個2,000円です。こういうふうにして出すと余り使われないのです。そういう退蔵益というのが出てきまして,この運営にすごく役に立っています。現在,ほうっておいても大体年間2億円ぐらいこれが売れます。  それから,行政の方も協力してくれて,例えば,敬老祝い金,これも全部秩父市ではこの商品券で支給をしてくれています。お金で渡すとすぐ銀行に行ってしますのですが,これで渡すと使わざるを得ないものですから,一斉にお年寄りがお小遣いくれたりいろいろするものですから,これが一斉に出回るというようなこともわかっていますし,これは来年の3月31日までの期限つきで出した商品券ですから,これは返ってこないやつはすべて我々の利益となってしまいます。そういうので運営費を全部出してしまっている。こういうような状況でやっています。ですから,商品券も,コインにしただけで,多少利益も得るわ,消費者の囲い込みができたということも事実なのです。  こういうものの発想というのが,さっき言った,ナイトバザールで絶対同じことをしないという発想から来ていることですし,先ほども2万5,000人の元気なお年寄りに目をつけるとか,逆さ逆さのことにすぐ目をつけるということもやっています。スイカ割りも夏やるよりは冬やった方がおもしろいとか,そういう季節を反対にしたりとか,それから,一番怒られたのは,選挙の予想クイズをやって,投票日の前日やったときには,すぐ選挙管理委員会に呼ばれて,えらい大目玉を食ったことがあったりとか,多少そういう乱暴なこともやっています。  そのほかに,うちの商店街は,例えば,古い映画館の跡地があって,その中を借り受けて,特に石原裕次郎世代の映画会を催して,年に2回ほど集客をしているということとか,それから,お葬式でよく言うセレモニー会館があると思うのですが,うちは商店街でセレモニー事業部というのを持っていまして,うちの商店街や近所の人でお亡くなりになると,ぜひ商店街を使って葬儀をあげてください。うちのみやのかわの公会堂を使ってお通夜から葬儀まで全部やって,1回の葬儀があると大体13店舗ぐらいのところに注文が行きます。ですから,セレモニーをやっている事業者もいるのですが,商店街全体でセレモニーをしてあげるということもやっています。  それから,いろいろ偶然だと思うのですが,犯罪とかそういうことに関しては,昨年,防犯カメラをうちの商店街に80台つけています。これも,正直言うと,県の方で防犯カメラの補助金をつくったのだけれども,使い手が余りないという情報が来まして,それでは,すぐうちで使おうと言って使いました。そうしたら,実質問題として,前年度対比で60%ぐらい犯罪が減りました。秩父警察署でもこれはびっくりしているのですが,カメラがついているという意識だけで犯罪がこんなに減るものなのかというのを,そんなに犯罪がしょっちゅうある商店街ではないのですが,トータル的にはそんなようなこともやっています。  そういうふうにいろいろな事業を展開しながらやっているおかげで,幸いなことに,うちの商店街は空き店舗は今のところないですし,いろいろなことはできています。  ただ,ここで,こういう席ですから,一番言いたいことは,補助金をやるから何かやれという事業はほとんど失敗します。私の経験からいっても,補助金があるから何かしようと思ったら,補助金が切れた時点ですべて終わりになってしまいます。それだったら,うちのナイトバザールもそうなのだけれども,ここで頑張ってイベントをやっているやつがいる。こういうところに応援をしてやることがそのイベントを本当に育ててくれると思うのです。だから,そういうようなことを,どちらかというと,始めるときに渡す補助金よりも育てるときに渡す補助金を考えられると,私は商店街の再生はできるのではないかということと,商店街の中にもまだまだやる気のある商店はあります。悪いところをみんな表現ばかりするのです。その中でもきちっと商売しているやつがいるのです。そういう人たちにもう一度チャンスを与えてあげること,つまり,商店が違う事業展開をしたり,空き店舗対策を何か来て始める人ばかり考えるのではなくて,そうではなくて,商店が店を広げたいとか,それから,違うジャンルの仕事をしたいという既存のそこにある商店がやるときに何か応援をしてあげるようなことを考えると私はいいと思っています。ですから,だめな商店もあることは事実ですけれども,やる気のある商店はまだまだたくさんあるはずですから,そういうところと協議してやっていくといいのではないかというふうに思います。  ちょうど時間となりましたので,以上で,説明について終わりにさせていただきます。  ありがとうございました。 25 ◯森田委員長 どうもありがとうございました。  島田参考人には,実際にみやのかわ商店街で取り組んでおられる事例をもとに,大変わかりやすく御説明いただきました。  ここからは意見交換の時間とさせていただきますので,ただいまの島田様のお話について,委員の方で,何か御質問,あるいは御意見等がありましたらお願いをいたします。  白田委員。 26 ◯白田委員 どうもお疲れさまです。  ただいま,説明を聞いておりまして,すごいなと思っておりまして,次から次と,時には時局に合ったものをしたり,あるいはいろいろな形で入れたりということで,すばらしい取り組みをやっているなと。本当に元気な町であって,さすが総務大臣賞をもらった町だというように痛感しました。  実は,私のところも城下町でありまして,西暦800年ごろから栄えた町でありまして,しかしながら,歴史が長く続く中で,今はその当時ありました鉄道はなくなり,あるいはいろいろな形で商売やっている方がなくなってしまいました。これは,その当時の人が,列車は煙が来るから要らないとか,あるいは,自分たちが今いるお医者さんたち,結構数多くいましたから,大きい病院は要らないということで外へやってしまいました。だんだん廃れていって,最後には電車も通らなくなり,非常に寂しい町となってしまいました。  話が長くなってしまいますけれども,若い人たちが,あるきっかけで,大学の教授と四,五人で,役所の方もおりましたけれども,真壁の町には古い建物がたくさんとあるいうことで登録文化財の申請をいたしました。それで,申請をし始めてもう10何年たちまして,現在は104棟が登録文化財ということで,全国でも二,三番目ということで多くなってきて,ここ五,六年,ひな祭りということで,これは1カ月間開催をしておりまして,最初は五,六万人でしたけれども,そのうちどんどんどんどんふやしまして,ここ二,三年は10万人を超えるぐらい,この1カ月間のうちに,毎日,大体平日は五,六千人,もう少し多いかもしれないです。土日は,多分,2万人以上は来ているのではないかと思いますけれども,道は歩行者天国みたいになって満載であります。  そういうことで,よくなってきまして,幾らかでもいい方向に向いておりまして,先ほど,島田さんのお話と似ているところは,菓子組合がいろいろと頑張りまして,子供たちにいろいろな菓子を創作してもらいまして,それをつくったり,あるいはまんじゅうの券を,ミステリーツアーとかそういうことで,今,いろいろなツアーがありますね。そういうところにただ券を出しまして,帰りは必ず1回寄ってもらうと。そういったことを,十五,六軒ですけれども,そういうことで頑張ってやっていただきまして,いろいろな方たちの手によって何とか今まで来ました。  そして,今,一番の悩みは,島田さんのところではちょうど秩父館ができていい方向に向かっているということでありまして,そういった中で,どうしてもこういった休める場所,ほとんどの方が,うちの場合は,年が大体定年を迎えたという方が多くて,こういうところが足りないなということで,これはそういう対応もすばらしいなとお話を聞いておりました。  そういう中で,実は,問題点といたしましては,おひな祭りの期間中は,大体180軒ぐらいの各家庭が私どもの町は店内に飾ります。だれが来ても見てもいいですよと。古いやつもあれば,つい5年か10年前のやつもあるということで,いろいろな人に見ていただく。その時々のいろいろなやつを見ていただく。50歳の人が,今から45年前のおひな様を見て喜んでいる。そういったことでたくさん来ているのですが,まず,お店で持っている人は,みんな義理がたくて,おもてなしの心で与えれば,相手も必ず幾らかは返してくれる。5人来れば,三,四人は,何らかの形で500円でも1,000円でも買ってくれる。こういうことでずっと来まして,大体商売やっている方はいいのですが,登録文化財に飾ったり,あるいは普通の店を閉めてしまって,一般の家が飾って,その人たちはそういうことをしても恩恵がないわけです。これを何とかしなくてはいけない。  というのは,私は,商工会に,おかげでこれだけ来てみんな助かっていますということで回っていこうということで回らせていますけれども,みやのかわの方でも,格差があったり,そういった形で協力して,恩恵がない人に対して,長い間これだけ続けてきたか,どういった形でやっているのかという点が1点。  どこの町も同じだと思うのですが,人が集まると,当然,駐車場の確保が難しい。駐車場の位置によっては,お店の人気が,人通りが違ってしまうもので,そういった点をどのような展開をしているのか,これが第2点目です。  もう1点お聞きしたいのは,島田さんのところでも小売業者が118名と書いてありますけれども,そういう中で,やめてしまったり,あるいはイベントのときだけ参加する人,私は,住んでいる人が金もうけするのは,幾らもうけてもいいと思っているのです。でも,そのときのためだけに,店舗を借りて,外からがーっと来て,200万円とか300万円だとか売り上げて,はいさようならで帰ってしまう。そういった例があるかどうか,そういったときの対応はどのようにしているか,この3点についてお聞かせ願えればありがたいのですが。 27 ◯島田参考人 では,まず,第1点目に,恩恵を受けないところ,うちの商店街の中でも普通の家もあるのです。そうすると,歩行者天国にしたりしていろいろ迷惑をかけています。ただ,幸いなことといったら何なのですが,今まで一度もクレームはないです。ただ,年に1回,逆に電気など借りにいったりいろいろしますので,商店街の方で,何か記念品みたいな,先ほど言った商品券を持ってお礼に伺うということを年に1回はやっています。幸い,20何年間やっていて,今までクレームというのが一つもないということも事実で,うちの商店街というか,うちの町会と言った方がいいですね。自治会です。宮側町という自治会があって,いろいろな祭りとかそういうのは秩父市は非常に盛んですから,それをやるのに,商店街はみんな寄附を普段から割合率先してやっているから,町内会の役員会などでも,うちは商店街の町だからという意識が強いので,そういうことも,逆に普通の家の方も,商店の方で金を出してくるからこういうことができるのだというふうに思っているのかもしれませんが,特にクレームはないです。  それから,もう一つ,一緒に駐車場もそうなのです。駐車場は,近くにある秩父神社の境内だけは,その日,駐車場にしているのですが,それ以外はないのです。一番多いときは2万人,3万人という人出があるのに,車をどうしているのだといったら,みんないろいろなところに勝手にとめてくるのです。幸いなことにその日だけは警察も余り駐車違反はやらないのです。これは偶然なのかもしれませんけれども。だから,車を家の前にとめられて,すぐどけろというクレームとかそういうのが今までも本当に少ない。ということは,きょうはナイトバザールなのだから,二,三時間は我慢しようやというふうに,多分,近所の人が思ってくれていると思っているのです。だから,それがそういう形できていることも事実です。  ただ,今,そちらの町の古い文化財で一般の家というのは,これは非常につらい部分があったりいろいろすると思うのです。ただ,家によっては,長野県に小布施ってありますよね。小布施町は,今,ガーデニングで結構売っていますよね。ガーデニングを見せたいという人は,普通の家を開放して,今,ガーデニングをぐるっと使っていっぱい回遊してもらっているというような事実もあるので,そういう家を登録文化財にしているから,どうしても人に見せていただきたいというお願いは絶えずしたり,お礼というか,言葉でのお礼はいつでもしていなくてはいけないかなという気はしています。  それから,先ほど,出店者という話があったじゃないですか。うちらは,職種がダブらない限りは出店者をすべて認めているのです。普段,どちらかというと,お店が連なっているというより,飛び飛びにありますから,そういう間を出店者で埋めていっています。ただ,出店された方々に,ナイトバザールを続けるのに資金集めも要るわけです。お店が寄附するというか,広告代で出しているだけでは賄えない部分で,どういうふうにしているかというと,我々は,年に1回,チャンスカードというのを発行しているのです。このチャンスカードというのはどういうことかというと,お買い物で1,000円やるごとに1枚差し上げる。チャンスカードは50円なのですが,宝くじと同じで,いろいろなものが当たるようになっているのです。これが,今,大体6万枚ぐらい出ているのです。そうすると,300万円ぐらいの売り上げになるのですが,そのチャンスカードも,みやのかわ商店街以外に来る方々にもおつき合いいただいているのです。つまり,出店されるときに,出店料は,電球を使ったりするので,1回1,000円取っているのです。1,000円だけなのです。ただ,年に1回,このチャンスカードのときは,売り上げに相応したおつき合いをいただきたいということで,それを,例えば,何百枚とか買っていただいています。でも,買って,それを利用しなくても,当たると自分のところへ戻ってきますから,余り文句は出ないのですが,そういう形のおつき合いはさせていただいている。  だから,確かに,言われたとおり,お店を持っている人が一番売れるのはいいのですが,一番最初から我々が言い続けているのは,ナイトバザールというイベントをやって,人集めは我々がやりますよと。ただ,どんなに人が出ても売れないお店というのはあるのです。結局,お客をつかまえて売るのはあくまで個店の努力でしかないのだから,売ること自体は個店でやってください。これは最初からずっと言い続けています。それで,ナイトバザール実施要項というのを毎回出すのです。こういう1枚紙で,今回の企画はこういう企画をやります。そこにも必ず書いておくのです。あくまで売るのは個店の努力です。個店で頑張ってくださいということを書き続けていることは事実です。  ですから,確かに,その日だけ出店してきて,たくさん売って帰るというお店もあることも事実なのです。でも,逆に,そういうところは,今言ったチャンスカードをたくさん買ってくれたりとか,こっちが助けられるときもある。変な話だけれども,雨が降ってどうしようもないときだってあるわけです。さっさと早く店を閉めてしまうお店もあるのです。でも,そういう出店者というのは,そういうときは雨の中にテントを張ってでも頑張ってやっているというようなこともあるので,要するに,やる気があれば売れるのだなというのを率先して我々の前で見本で示してくれているのかなというような感覚ではいます。  ただ,損得で言われると,私の返事とすると,そんなようなことしか返事できないと思います。 28 ◯森田委員長 ほかにいかがですか。  今委員。 29 ◯今委員 島田さん,どうもありがとうございました。  この地図の上で,島田さんのお店はどこなのですか。何屋さんですか。 30 ◯島田参考人 私のお店は金物屋です。そこに清水金物とありますね。清水は,うちは屋号なので,島田と違うので,清水金物というのがうちの会社でございます。それから,その横にありすと書いてある。これは女房のお店です。これもちょっとつけ加えるのですが,うちの女房は東京から来ていて,秩父には私の入りたいような店は1軒もないと言いやがったのです。そのときに,では,おめえが自分でつくってみろ,おら口出せねえと言って,場所だけ提供してつくらせたのがこのありすという店で,自分で毎週1回,いろいろなところへ仕入れに行って,好きなものを持ってきて売っています。  ただ,おもしろいのは,先に条件を一つだけつけたのですが,さっき,おひな様という話があったのですが,うちの商店街で言っているのは,商店主が自分が趣味のものを店の一角に必ず飾ってくれと頼んだのです。その趣味を見て,話題づくり,100人に1人でもいいから同じ趣味があれば,何,サッカーやっているのかとかそういうのがあって,私はフクロウの置物を集めていて,それを言ってしまった手前,自分のお店にフクロウの置物を置いといたのです。そのうち,幾つか仕入れができるようになって,最終的には,このありすという店はフクロウの置物だけは売ってくれと。今,絶えず200種類以上のフクロウの置物を売っています。それをホームページに載せていたら,テレビショッピングが目をつけて,フクロウの置物だけで,例えばの話,テレビショッピングに出ると1,000万円ぐらい1時間もかからず売れてしまうのです。そういうつながりもできてくることも事実なのです。だから,地元では両方うちでやっているように思われているけれども,私は一切口を出さない,女房だけのお店なのです。 31 ◯今委員 全国各地でシャッター通りと言いますけれども,今,お話を聞いていると,そんなシャッター通りはすべてなくなるような雰囲気なのですけれども,このアイデアというのは出すのはどなたなのですか。多分,うまくいっているのは,理事長さんのキャラクターで,ほかの人が非常にリラックスしてアイデアを出せるのかなというような気もしますけれども,そういう話と,あと,何名ぐらいおるのでしょうか。メンバーの方と青年会と婦人会の人数などは。 32 ◯島田参考人 実際,ナイトバザールを運営しているのは約10名です。今言うお任せ主義という話があるじゃないですか。アイデアを出すのが得意なやつが3人ぐらいいます。私みたいにいろいろな発想する。おもしろがって発想するやつが三,四人います。 33 ◯今委員 年代的には。 34 ◯島田参考人 年代的には大体私たちと同じくらいです。これも言っておくのですが,ナイトバザールというのは我々が若いとき始めたことなのです。これは我々で完結するとはっきり宣言してしまっているのです。今の若い連中にナイトバザールをやれといったら,やつらは絶対嫌がりますよ。こんな負担の大きいことは。でも,年に1回だからやりたいというだけであって,今の若い連中には違うことを始めさせているのです。どちらかというとこの秩父館は女性が中心なのです。それから,おたすけ隊,出張商店街は,若い連中が,青年部が中心に今やっているのです。これは彼らが育てていくものであって,ナイトバザールを押しつけたら絶対嫌がると思っていますから,これは我々で完結すると。こういう形になっています。  もう一つ,私はいろいろなところへ行って,講演でも言うのですけれども,どこの商店街も,商店街の理事長とかいろいろやると,会を運営するのでくたびれてしまうのです。だから,何かやろうと,理事会にみんな出てくれ出てくれとか,集めたり会議したりするのでくたびれてしまうのです。うちの商店街の違いは,さっき言ったように,集まれるやつが集まって,勝手に決めてやることに文句をつけないというのをルールでやっているわけですから,本当に自分の発想したことはすぐ実現できる。  今まで私もこういうふうにやってきてみて,自分で自信をも持って言えるのは,10人人間がいると,一生懸命やるのはいいとこ2人なのです。幾ら言ってもやらないのが大体2人いるのです。残り6人はどうするかというと,一生懸命やっているやつが汗をかいていると,おつき合いでついてくるのです。だから,うちの商店街も,本当のことを言うと,一握りの人間で引っ張っているのです。でも,おつき合いで,七,八割の商店はついてきてくれているのです。それがいい結果を招く。だから,どちらかというと,一握りの人間をつくることができれば,私はいろいろなことがうまく回ると思っています。だから,最後は人とよく言うのですけれども,それで,そんなことやったってというやつをできるだけ排除することなのです。  これも長年やったからかもしれないけれども,最初のきっかけを何できょうはあれだけ詳しくしゃべったかというと,やった結果,1,000円の券をくっつけるといった発想で,いろいろあったけれども,やってしまったからなのです。結果,人が出たからということもあるのですけれども,だから,何でもいいから,やって成功させるということが一番自信につながると思うのです。さっき言ったように,勉強会が活発でなくても,やったから何かしなくてはと思ったので,それがうまくいったという,そこから僕みたいな発想をどんどんするようになってきた。  シャッター通りについては,私も,行くと,ここの町どうしたのというような半分ぐらい閉まっているようなところも実質ありますよね。ただ,先ほど言ったように,そういう中でも,本当のこと言うと,やる気のある商店が何軒かだけでも月に1回集まって,集積した場所で何かをやるというようなことを考えたら,私はそれなりの名物ができてくるのかなと。やる気のない人をやる気にさせるというのはものすごい大変ですから,少しでもやる気の残っているやつと一緒にやっていくということが一番いいかなと。それから,得意なことは得意な人にやらせる。だから,さっき言ったように,チラシなど,チラシづくりが好きなやつというのはもう決まっていて,では,この2人でステ看づくりはおまえたちがやってくれとか。  さっき言ったように,おもしろいのは,さっき,紙を投げる話をしたじゃないですか。紙を投げるゲームをやろうというのはみんなで決まるのです。でも,その場に行って,どういうやり方をやるかというのは,そこに行った人間がその場で考えてやり方を決める。それにクレームをつけるんだったら,では,おめえがやった方がいいではないかということになってしまうので,本当に任せる。こういうふうにやった方がいいなと腹の中で思っても任せる。継続するということはそれができるのです。毎月やっていたから。年に1回のことだと,全部任せきるというのは非常に難しいと思うのだけれども,毎月やっていたりしょっちゅうやっているとそれができることも事実です。 35 ◯今委員 そうすると,最初に10名の企画の中には,青年会の方も婦人会の方も入っていなくて,お互いに任せてしまう。 36 ◯島田参考人 そうです。だから,来月のナイトバザールは,女性部,おかみさん会の方に予算も何もすべては渡してしまって,好きに使ってやってくれと言って,もう口出さないです。我々は設営のときの依頼があったことのお手伝いをするだけです。 37 ◯今委員 それにしても,理事長のリーダーシップと,自由に発想させるというムードを持っているのですね。 38 ◯島田参考人 でも,おもしろいですよ。女性だけでやらせて,去年はフラダンスをみんなでやったのですけれども,大成功に終わったもので,私たちの方が偉いようなことをさんざん言われますから。 39 ◯今委員 島田さん,ありがとうございました。 40 ◯森田委員長 ほかにいかがですか。  舘委員。
    41 ◯舘委員 きょうは貴重な御意見をありがとうございます。  このお菓子のことについてちょっとお伺いをしたいのですが,たまたま茨城県でも,今,お菓子づくりプロジェクトといいまして,若手の菓子工業組合さんの方が一体となって,レシピをつくって,この間の菓子博の中で賞をいただいたのですけれども,こういう秩父のお菓子の中でも,各店が6店舗あってつくるわけですけれども,カエデのメープルシロップなのでしょうけれども,かぶったりしないのですか。それとも,お互いに研究しながらなのですか。それとも切磋琢磨しながら,どっちのパターンでつくっていったのかなと。 42 ◯島田参考人 カエデ自体は全員で研究してやっているのです。どんな菓子をつくるかというのは,個店で,うちはこういう菓子,メープルシロップでつくってみたいということで提案してやっているから余りかぶらないでやっている。最初,結構もめたらしいのです。1種類の菓子をつくるのがいいのか,それぞればらばらがいいのか。最終的には,もしばらばらにつくって,もっとうまいものができたら,それをみんなでつくってもいいのではないかというようなこと。  それと違うのは,駅弁研究会というのをつくらせてやったのは,どこのお店でつくっても,秩父の地の物を入れた同じ弁当がつくれるように研究してやったので,芝桜のときとかそういうときには駅弁が結構出るのですけれども,その駅弁はどこのお店を注文しても同じものができてきます。こういうやり方をしているところもあるし,このお菓子な郷の方は,それぞれのお店の得意な分野というか,あれで任せてやっているというような感じです。 43 ◯舘委員 どっちかというと,例えば,御自分が,お店側が主導的にやっているのか,逆に,商店街がやったらみたいな感じだったのか。 44 ◯島田参考人 自分たちで自主的に始まりました。 45 ◯舘委員 始まって,それを見て応援するというパターンですか。 46 ◯島田参考人 はい。 47 ◯舘委員 なるほど。  今後,これは賞をとって,今,注文が殺到しているようですけれども。 48 ◯島田参考人 そうなのです。ところが,先ほど言ったように,まだ1トン半しかできないので,2カ月しか持たないのです。今,2カ月しか持たないのを,6軒で2カ月ずつ,1年中,必ずメープルシロップの菓子が食べられるようにしたらどうかとか,そういう意見とか,カナダからメープルシロップを輸入してしまえばできるのです。その連中がどうしてもそれは嫌だと言っているのです。秩父でだんだんふやしていく。さっき言った植林していること自体が私は評価していると言ったのだけれども,10年後には相当とれるようになるのではないですかね。 49 ◯舘委員 全然関係ない話なのですけれども,水戸屋さんとありますけれども,水戸と関係するわけではないのですか。 50 ◯島田参考人 秩父は水戸屋というのがあって,水戸屋分店とか,水戸屋本店とか,何軒も実はあるのです。 51 ◯舘委員 さっきから見ていたらあるので。 52 ◯島田参考人 あるのですよ。でも,水戸と関係しているかはどうかは私も全然知らないですね。 53 ◯舘委員 もう1点,若手の方も随分協力的なのかなという気がしているのですけれども,ナイトバザール等も理事長さんが一生懸命やっているのでしょうけれども,同年代がですね。それも若い人たちも随分協力しているのだなというような印象がすごく見えるのですが,若手の方で大体どれくらい青年部の方でいらっしゃるのですか。 54 ◯島田参考人 年は大体20代,30代です。 55 ◯舘委員 人数的にいうとどれぐらい。 56 ◯島田参考人 商店街でいうと十五,六名いますかね。でも,そのうち本気でやってくれるのは,さっき言ったように四,五名。 57 ◯舘委員 逆に言うと,そういうのも理事長さんの,さっきのお任せ主義ではありませんけれども,では,おまえ,これ任せる,これ任せるみたいな感じですか。 58 ◯島田参考人 そういう感じです。 59 ◯舘委員 それを若い人がこたえてやるみたいな。 60 ◯島田参考人 おもしろいのは,見ていると,四,五名で企画も何も全部立っていくのです。我々と一緒なのです。当日になると不思議と30人ぐらい出ているのです。仲間を呼んできてやらせていますから。そんなものじゃないですかね。  組織でいろいろなことを決定しようとすると,理事会が通ってないから何だと言われてしまうじゃないですか。うちらはおもしろいのですよ。理事長がやっていようが関係なく,ナイトバザール実行委員会という名前だけ決めてあるのです。きょうはナイトの会だよと言うと,そのとき招集があっても,行けるやつが行ってその場で決めてしまうのです。だから,名前だけナイトバザール実行委員会というのです。だから,理事会も何も関係なく,ナイトは自由にやる世界だというふうに位置づけられているのです。 61 ◯舘委員 わかりました。ありがとうございます。 62 ◯森田委員長 ほかにいかがですか。よろしいですか。  それでは,以上で,「秩父市みやのかわ商店街の取り組み」についての意見聴取を終了いたします。  島田理事長様には,貴重なお話をありがとうございました。  本日,お話しいただきましたことにつきましては,今後の委員会審査の参考にさせていただきたく思います。  どうもありがとうございました。  以上で,意見聴取を終了いたします。      ─────────────────────────────── 63 ◯森田委員長 「地球温暖化対策の推進」及び「地域商業活動の支援」につきましては,本日,参考人の方々からいただいた御意見を参考に,また過日の県外調査で視察した状況を踏まえながら,委員会としてさらに調査をしてまいりたいと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。  これをもちまして委員会を閉会いたします。  長時間御苦労さまでした。                 午後2時29分閉会 Copyright © Ibaraki Prefectural Assembly, All rights reserved. ↑ ページの先頭へ...