銚子市議会 1999-12-15 12月15日-04号
昔掘った防空壕の何か空気が何だとかって、そんなことを言って、全然市の主体的な役割を発揮しなかった。ですからさっきも言いましたように、もし県のいわゆる指導要綱に基づいて守らせるというふうに言っているけれども、それが信頼できるものであるなら、何も反対運動をやらなくても済んだわけだ。そうはいかないわけですよ。
昔掘った防空壕の何か空気が何だとかって、そんなことを言って、全然市の主体的な役割を発揮しなかった。ですからさっきも言いましたように、もし県のいわゆる指導要綱に基づいて守らせるというふうに言っているけれども、それが信頼できるものであるなら、何も反対運動をやらなくても済んだわけだ。そうはいかないわけですよ。
空襲警報が鳴るたびに、赤ん坊だった私は母親の背中におんぶされ、防空壕に避難する日が続きました。ある日防空壕に避難するとき、私は頭を岩に当て、大声を出して泣き叫んだとのことでした。
その中で、例えば鎌ケ谷駅の東口下の釣り堀がかつてあったのですが、そこに戦車が何台もあって、その九十九里方面からの米軍をここで迎え撃つ戦車が隠されていたという話とか、それから鎌ケ谷駅西口の田畑には、B29が銚子方面に抜けるとき、残った爆弾を落として行って、それが田んぼの中にずっと突き刺さっていたとか、あるいは鎌中の下に防空壕があって、かまぼこ兵舎とか、そういうものが頻繁に使われていたとか、あるいは下総基地