大阪府議会 2017-09-01 10月06日-06号
思い起こせば、漫才師砂川捨丸の遺品の鼓が大阪府に寄贈されたことをきっかけに、上方演芸の資料を残す施設整備の計画が持ち上がり、上方演芸の発祥の地と言われるなんばに平成八年十一月、大阪府立上方演芸資料館ワッハ上方が開館しました。以来、二十一年の歳月が流れる間には、存続や運営主体をめぐって激しい議論が展開されたこともありました。 現在、ワッハ上方は、平成二十七年度より府直営となっています。
思い起こせば、漫才師砂川捨丸の遺品の鼓が大阪府に寄贈されたことをきっかけに、上方演芸の資料を残す施設整備の計画が持ち上がり、上方演芸の発祥の地と言われるなんばに平成八年十一月、大阪府立上方演芸資料館ワッハ上方が開館しました。以来、二十一年の歳月が流れる間には、存続や運営主体をめぐって激しい議論が展開されたこともありました。 現在、ワッハ上方は、平成二十七年度より府直営となっています。
敵機に発見されないようにとの目的からの構造でしたが、ひどい環境の中にあっても、隊員たちは談笑し、みずからの遺品を整理したりしては遺書を書いたそうです。彼らが最後を過ごした場所だと思うと、涙が込み上げてきました。 平和会館で目にしたのは、10代から20代で散華した特攻隊員たちの遺書や写真などです。
私も県議になってから、なるたけ神社の祭礼や慰霊祭等は出席するようにしているんですけれども、こういう立場になるまでは、県内に平和祈念資料展示室とか特攻隊の慰霊碑とか、または護国神社の遺品館等もございますが、そういうところに行く機会もほとんど学生時代もなくて、この立場になって初めて知ったようなこともたくさんあります。
県内には,これらの歴史的資源のほかにも,幕末から明治期の志士の書画・遺品を数多く収蔵しております大洗町の幕末と明治の博物館や,日本のワインづくりを支えた牛久市のシャトーカミヤ旧醸造場施設,近代日本美術の祖,岡倉天心,横山大観などの業績をたたえる天心記念五浦美術館,明治期に活躍した古河出身の女流画家,奥原晴湖,幼児・女子教育の先駆者である豊田芙雄などの関連施設や文献など,数多くの歴史的資源がございます
御遺族の中に、学生服を着た男子中学生が妙にぶかぶかの革靴を履いていることに気づき、理由を伺うと、「父の遺品の革靴です。父の形見を身に付けて参列したかったのです」と話してくれました。御遺族のことを考えると、身につまされる思いでした。殉職された五人の功績を末永く後世に伝えるとともに、二度とこのような惨禍を繰り返さないことを誓いたいと思います。
この暮らし展におきましては、富山大空襲など県内での出来事、あるいは県民の皆さんから寄贈いただいた貴重な遺品や生活用品など、暮らしぶりがわかるものを中心にして展示をしてきたところでございます。 一昨年の平成27年度は、戦後70周年記念事業ということで、展示期間ですとか、展示品の数を拡充して開催をいたしてまいりました。また、市民団体から御要望のあった原爆パネルの展示も行ったところでございます。
名前はわかっていますけれど、ここでは言いませんが、A氏の遺品を整理されていたらしいのです。机などにありますね。そこも、にこにこにこにこ笑いながら、冗談とも思えぬ発言をまたしながら、遺品を段ボールに、「これもあいつのやつかな」と言いながら入れたと。その行為を見て、人と思えない感じがしたと。 あと、上司が、どこの課かは不明なのですけれど、亡くなられた方のことで問い合わせしているのです。
そして、6歳の子どもを津波でなくした一人の男性が、多くの衣類、その他もろもろの遺品は集まってきたものの、骨がまだ集まらないということで、毎日毎日土を取って骨を集めておられると。こういった報道を見ると、本当に自然災害に真剣に取り組んでいかないかんなと思います。今、報告がありましたけれども、津波の怖い地区に対しては十分に自治体と連携をとってしていただきたいと、これは強く要望しておきます。
その後、遺品は郷土館に展示され、後世にその歴史を伝えています。ただ、大垣は縁地連のメンバーですが、この運動を進めているユネスコ部会には入っていないということで、残念でなりません。 次に、先日、自動車を運転中にラジオから入ってきた情報ですが、富山県は、県内の市町村の自然で構成されるジオパークの二〇二〇年の世界ジオパーク認定を目指していると放送されていました。
そこには、追悼公園や追悼施設が整備されており、この事件で犠牲になった方々の遺品などを展示し、悲劇の大きさを伝えています。1つ1つの展示物が事件で犠牲になった方の物語をつむぎ、家族の悲しみや救急隊員の勇気、世界中からの支援や、そこから感じた希望など、9.11のテロの悲惨さとその影響を実感、共有することができました。その場で現物を見ることが非常に重要であると認識した経験でありました。
このために、高齢者の身近な相談窓口であります地域包括支援センターですとか高齢者情報相談センターにおきまして、葬儀や埋葬、遺品整理などについて生前に第三者と契約を結ぶなど、生前の意思をかなえる方法についての相談や情報提供を行いますとともに、弁護士ですとか公証役場を紹介しているところであります。
現在、建物は展示施設として活用されており、収蔵品は、宮殿として使用していた初代皇帝及び二代皇帝の遺品を中心に約二万点を誇っております。そのほとんどが当時の最高技術で制作されたものでございます。この瀋陽故宮博物院との交流の経緯でございますが、瀋陽故宮博物院とは平成二十六年度から交流を続けております。
本年9月23日の中日新聞朝刊の一面に「公営住宅 増える孤独死、遺品放置部屋貸せず」という見出しの記事が掲載された。 内容は、公営住宅では高齢の単身入居者が増えており、単身高齢者が死亡した後、身寄りがなかったり、引取りを拒まれたりするため、家財道具などの遺品が相続人に引き取られず、長期にわたって入居者募集が停止になる部屋が出ている。
また、「生命(いのち)のメッセージ展」では、犠牲者の等身大のパネルや遺品を展示いたします。 続きまして、四、飲酒運転撲滅条例に基づくアルコール依存症に関する受診義務等の状況についてでございます。アルコール依存症に関する通知等の取り組みは健康増進課が所管しておりますけれども、当課が条例所管課でございますので、あわせて御説明させていただきます。
次に,犬養木堂記念館のさらなる活用等についてでありますが,記念館では,平和を愛した木堂の遺品,写真,手紙などを展示するとともに,書に深い見識を有した木堂にちなんだ児童生徒書道展や,命日の5月15日に木堂祭を開催するなど,偉業をたたえ,人柄をしのぶ取り組みを行っております。
かつての日中戦争、太平洋戦争下、「絵を描きたい」という一心で絵筆をとり続けた画学生たちの生きたあかし、遺作、遺品が無言館に展示してあります。作品は、風景画、妹を初めとする家族、中には愛する妻の絵もありました。遺作にはその背景が記されていて、目頭が熱くなりました。機会がありましたら一度行ってみてください。 次に移りたいと思います。看護師確保対策であります。
沖縄、硫黄島、ハバロフスク、ガダルカナル、ソロモン、サイパンなどに赴き、遺骨の収容、遺品の収集、地元の方々との交流を熱心に行っています。千鳥ヶ淵墓苑に祭られている約三十六万柱の御遺骨のうち約十六万柱をこの日本青年遺骨収集団が成し遂げています。頭が下がる思いです。 そこで、「日中戦争開戦から戦後のシベリア抑留まで、海外で亡くなった日本人は約二百四十万人。
平和祈念館で活用するという前提で集められた三百三十人の証言ビデオや、遺族や戦争体験者の方々から寄せられた五千点以上の遺品が、ほんの一部だけしか使われず、倉庫に眠っている状態をこの先何年続けようというのでしょうか。 凍結したままで仕方ないとは絶対にいえません。都議会は都議会として、議論を再開させて、合意のための努力をすることは当然のことです。
お話にありました吉村虎太郎先生は、明治維新に向けて幕末に活躍した本県出身の歴史上の偉人で、津野町では復元された生家がことし6月に一般公開され、遺品の複製品なども展示され、大変好評を博していると伺っているところであります。
この手の広田遺跡に匹敵するような出土例はほかになくて非常に貴重な遺跡ということで、出土しました品々は、当時、このままでは散逸するおそれがあるということで、その調査に携わった方々から黎明館のほうに寄贈の申し出がありまして、ですからその当時、昭和三十年代に出土したもろもろの遺品につきましては、黎明館のほうで現在、保存をし、適宜研究をしながら展示等に活用しているところでございます。