高知県議会 2022-06-10 06月10日-02号
境野先生は、国歌君が代についても講演で述べられています。講演内容はおおむね次のようなものです。 君が代の歌が生まれたのは800年も前の鎌倉時代。1228年に書き写された和漢朗詠集という歌集に出ています。君が代の君とは、あなたとか君とかという意味です。
境野先生は、国歌君が代についても講演で述べられています。講演内容はおおむね次のようなものです。 君が代の歌が生まれたのは800年も前の鎌倉時代。1228年に書き写された和漢朗詠集という歌集に出ています。君が代の君とは、あなたとか君とかという意味です。
その内容は、卒業式、入学式で日の丸・君が代の押しつけをしないでくださいとの要請書が本人宛てに届けられたとのことであります。 それはA4の用紙に県立学校長様、公立小中学校長様とあり、2016年2月10日の日付と組織名、代表委員3名の氏名が記されてありました。
大東亜戦争敗戦後のアメリカの占領政策のもと、GHQがわずか9日間で日本国憲法草案を仕上げ、日本が永久におとなしく二度とアメリカに刃向かえないよう日本人としての国家観を消滅せしめるために、昭和20年12月8日に大東亜戦争を太平洋戦争と表現を改めさせ、国旗日の丸、国歌君が代を否定させ、間違った戦争を日本はしたのだと、徹底的に愛国心を奪い、自虐史観をすり込み、あげくの果てに日本の無力化政策の総仕上げとして
さて、委員長にも申し述べてまいりましたが、本県の教育界もようやくにして平穏を取り戻し、正常化へのレールを少しずつ加速させながら走行し始めたと信じておりますし、特に私たちが強く主張してまいりました学習指導要領に基づく日の丸の掲揚や君が代の斉唱も、ほぼ定着してきたと肯定的に受けとめております。
一部を除く教職員組合は、教育基本法を盾に伝統否定・愛国心否定教育に乗り出し、学校現場では勤務評定反対闘争、日の丸・君が代反対闘争、学力テスト反対闘争、校長権限制限闘争などが展開され、教室では学習指導要領の無力化を図るべく自主教科書などが持ち込まれ、偏向教育がまかり通るようになったのであります。
右と左にアメリカとロシアの国旗を従えて中央に掲げられていく日の丸を見ながら、彼女は日本の国歌君が代を最初から最後まで口ずさんでいました。そしてまた、その少し前には日の丸の国旗を体じゅうに巻きつけて、体いっぱいにその喜びをあらわしていたんです。彼女のそんなすばらしい誇らしげな振る舞いに、私は思わず涙が出ました。
委員会審議の過程で、「日の丸・君が代問題について、この条例をもとにして反対したらどうするのか」との委員の質問に対して教育長は、学習指導要領に基づいて指導していくと答弁いたしました。しかし、高校の式典においてさえ国歌斉唱とは名ばかりで、教員、生徒で国歌を歌っている者はいないのではないかとさえ感じられます。 私は、県教委の指導力に大きな疑問を持っております。
その一つは、私梶原守光の本会議場に掲揚している日の丸を撤去することを求める動議に対し、所定の三名以上の賛同があり動議として成立しているのでありますから、百歩譲って最低限でも当日の本会議の日程に追加し議題とするかどうかを議会に諮るべきであるにもかかわらず、それをせず、議長判断で動議を認めず、動議を無視して議事を進めたことは、議員には動議を提出する権利があることを前提に、三名以上の賛同があれば動議が成立
次に、日の丸・君が代問題についてお伺いいたします。さきの国会で日の丸・君が代が法制化されたわけでありますが、小渕首相は衆議院本会議で、「今回の法制化に当たり、義務づけを行うことは考えておらず、国民の生活に何ら影響や変化が生ずることにならない」と明確に答弁しており、法制化を機に国民や教育現場への事実上の強制や押しつけが許されないことは明らかであります。
また、法制化直前の全国世論調査では、日の丸・君が代が国旗・国歌としてふさわしいと思っている人が約七〇%に達し、国民にほぼ定着しているとの新聞記事もあったのであります。 さきの質問で、国民の議論が不足しているのではないかといった御意見もありましたが、戦後の長い経過の中で猛烈に日の丸・君が代反対運動もまた続けられてきたのであります。
そこで知事に伺いますが、この日の丸・君が代を国旗・国歌とする法制化は、もっと時間をかけて国民的論議を尽くすべきであったと思うが、どうか。また、国旗・国歌は、国民が納得する手続を踏み、誇りを持って歌い、掲げることのできる内容であるべきだと思うが、どうか。
3 国旗・国歌の法制化を求める意見書 日の丸・君が代を国旗・国歌とする「国旗・国歌法」については、平成11年7月22日の衆議院本会議において、賛成多数で可決され、同年8月9日の参議院本会議においても賛成多数により可決され、成立し、同年8月13日に公布・施行された。...
戦後の世論調査によれば、国旗を日の丸、国歌を君が代とする国民意識は一貫して変わらず、去る四月の讀賣新聞の世論調査でも、日の丸は七九%、君が代は六三%、それぞれ定着しているという認識となっているのであります。また、公立小・中・高校の入学式や卒業式で日の丸を掲揚することは望ましいは八〇%、君が代を斉唱することは望ましいと答えたのは六七%となっているのであります。
三点目といたしまして、「知事としてではなく一政治家としての考えを述べたもので、説明不足であった」とトーンダウンした報道がされていますが、昨年の国籍条項や君が代・日の丸発言、またこの二月の君が代再発言でも指摘申し上げましたとおり、公人である知事の発言である限り甚だ遺憾に思うものでありますが、今まで繰り返されてきた知事の衝撃発言は、知事の政治手法としての発言と理解してよろしいでしょうか。
次に、国旗「日の丸」、国歌「君が代」の扱いについてお伺いをいたします。先日、県教組が、日の丸・君が代の押しつけをやめるようにとの申し入れを山口教育長に申し入れたとの新聞報道がありましたが、県教委の対応についてお尋ねしたいと思います。 卒業式、入学式を間近に控え、また日の丸・君が代論争が沸騰しそうであります。
しかし、一九五六年の教育委員の公選制の廃止を柱に教育の反動化か一気に進められ、今日、教育現場への日の丸・君が代の押しつけに象徴をされる国家統制への道が強化をされてまいりました。この間、教職員への管理・統制強化をねらった勤務評定や主任の制度化、学習指導要領の強制、官制研修の強要、劣悪な教育・労働条件による多忙化で、子供や父母、仲間からも孤立化させられた教員がつくり上げられてきました。
憲法の前文にある「政府の行為によって再び惨禍が起こることのないようにすること」を、指摘していた政党の党首が、首相の座についたとたん、それまでとなえていた反日の丸・君が代、反PKOなどあっさり捨てられ、教育の場においても同じ流れが見られるとき、全県民的なバックアップの中で、不退転の決意が今回の大田知事の代理署名拒否、創出を、これは戦後を生き抜いてきた、平和をよりどころとしてきたものの深い共感とも言える