宮崎県議会 2024-11-29 11月29日-04号
先日、宮崎東高校の通信制の生徒発表をお聞きしたんですけれども、テーマが「日本国民はなぜ戦争に賛成したのか」で、日露戦争や第一次世界大戦時における当時の社会情勢や福沢諭吉や徳富蘇峰、夏目漱石などの論調や考え方の違いを調査して、国民がどのような考えを持ったのか、まとめておりました。 すごいことですよね。
先日、宮崎東高校の通信制の生徒発表をお聞きしたんですけれども、テーマが「日本国民はなぜ戦争に賛成したのか」で、日露戦争や第一次世界大戦時における当時の社会情勢や福沢諭吉や徳富蘇峰、夏目漱石などの論調や考え方の違いを調査して、国民がどのような考えを持ったのか、まとめておりました。 すごいことですよね。
今回の調査を終えて頭に浮かんだことは、幕末の頃、福沢諭吉や勝海舟が欧米に渡り、江戸時代の鎖国体制から明治維新の文明開化に大きな役割を果たしたことです。当時は異国の地に行かなければ情報がつかめない時代であり、現代の情報化社会のように一瞬で海外の情報をつかめる時代とは違います。
それから、適塾出身者に福沢諭吉先生もいることから、慶應大学も関係があると言えます。これ以降、福沢先生も福沢諭吉と言わせていただきますが、医の系譜の元に、洪庵先生がいると言っても過言ではないでしょう。 今、福沢諭吉も適塾出身者だと申しましたが、ここでどんな方が、適塾門下生かと申しますと、大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介、長与専斎、佐野常民、高松凌雲らといった日本近代化の牽引役を果たした人たちです。
慶應義塾大学の創始者である福沢諭吉の言葉に「一身独立して一国独立する」とありますが、まさに強い国家は強い個によって成り立つものであります。強い個をつくり出すためにも、現行の企業を対象にした補助制度による職業訓練制度だけではなく、企業を介さない個人を対象にした県独自の職業訓練制度の創出が必要だと考えますが、中谷商工労働部長にこの御所見をお尋ねいたしまして、私からの質問に代えさせていただきます。
中身についてはすごいボリュームの大きいので紹介しませんが、そこに前書きの中で福沢諭吉の言葉を紹介するというのがありました。奴雁という言葉、知事だったら御承知かもしれないですけれども、やっこに鳥のガン、奴雁という言葉を福沢諭吉が言っているということで、ガンの群れがずっといて、仲間は餌を食べている中で、1羽だけすくっと立って周りを見渡しているというふうな姿らしいです。
この経済という言葉は諸説あるようですが、福沢諭吉氏がエコノミーの訳語として使ったことで、現代のような意味合いが明治時代に広く定着したと言われております。社会におけるあらゆる物事には、経済活動として捉え得る側面があり、経済がうまく運営されれば、社会活動がうまく回り、人々の暮らしが成り立つという本来の意味を織り込んだ実に見事な意訳をなされたと、先人の見識に感心するものであります。
ぜひとも広瀬知事を助けて、県職員と皆様と一緒になって、地方医療の実情も理解して、福沢諭吉の独立自尊の気持ちを持って頑張ってください。副知事も壱万円お札せんべいを食べたと思いますが、独立自尊も染み込んでいますから、ぜひとも頑張ってください。期待しています。 では、DXの推進について質問します。
昭和の名経営者であり、社会問題にも鋭い指摘を行い続けた松下幸之助氏はその著書「指導者の条件」の中で、福沢諭吉「学問のすゝめ」の中の、独立の気力なき者は国を思うこと深切ならずという一節を引いて、何事をなすに当たっても自主独立の心を持たず、ほかを当てにし、ほかに依存していたのでは真の成功はおぼつかない、指導者は自他ともの独立心の涵養を心がけなければならないと記しております。
福沢諭吉風に言えば、社会というものは人間交際のある場である。それは、相互に信頼できる人間の間に生まれるつながり、顔の見えるつながりであり、そこに初めて倫理や道徳が成立するというふうにおっしゃっております。これについての所感をちょっとお聞かせください。
このとき福沢諭吉は、その著書「学問のすゝめ」の中で、一身独立し、一家独立する、一家独立し一国独立すると説き、民主社会では個々の人々の独立心が集まって社会全体の独立の気概が醸成されると説いたのであります。我々は今、この国をどう守っていくのかということを問われているのであります。私は、今、日本国憲法のことなどを批判いたしましたが、ある国では、この行為でひょっとすれば逮捕されるかもしれません。
また、1930年にお札に聖徳太子像が採用されて以来、惜しくも1984年に福沢諭吉にバトンタッチされるまで、お札の顔として最も多く登場した人物であります。 先日、2月28日には、斑鳩町で聖徳太子シンポジウムが開催され、私を含め、9名の県議会議員も出席させていただきました。
学問のすゝめで説いた福沢諭吉の言葉どおり、本県を共に前に進めていきたいと思います。 以上、ありがとうございました。(拍手) ○議長(太田光秋君) 執行部の答弁を求めます。 (知事内堀雅雄君登壇) ◎知事(内堀雅雄君) 橋本議員の御質問にお答えいたします。 コロナ禍での復興五輪における発信についてであります。
日本女子大学の創立委員長も務め、福沢諭吉の良妻賢母的な発想より、もっと積極的な意味を持つ互恵関係、現在でいうところのフェアの関係を提唱しています。 そこで、二点について伺います。 一点目は、佐賀の偉人を顕彰する取組についてですが、大隈侯をはじめ、佐賀が誇る七賢人など、歴史的な区切りを捉えて振り返り、未来につないでいくことは大変重要だと思います。
と、これは大分の先人、福沢諭吉先生の言葉だそうです。明治の時代にこれだけ明確に男女平等を説き、女性を応援したこの言葉には心打たれます。そして、男女共同参画社会の実現に取り組む覚悟を新たにしています。 大分県では、昨年度末に策定した女性が輝くおおいたアクションプランに基づき、業界別トップセミナーの開催や職場環境の改善等に取り組む企業への専門家の派遣など、きめ細かな取組を展開しています。
では、最後の質問ですが、次はプレゼン力といいますか、我が会派の嶋議員の代表質問でも、百年の計は教育にありと言われましたが、我が地元中津は教育に貢献した福沢諭吉の里でもあり、慶應義塾の東京の三田キャンパスに行くと、三田演説館があり、多くの人の前でプレゼンすることの重要性を説いています。
近代では、福沢諭吉翁が私学の雄である慶應義塾を創設しています。このように本県には脈々と人材を育成する伝統が息付いています。この伝統は、現代に生きる我々の責務として引き継いでいかなければなりません。 さて、現在に目を向けると、子どもたちが実社会に出るにあたり重要となる中学、高校教育では、言うまでもなく公立学校と私立学校とがその役割を担っています。
あの福沢諭吉翁が若い書生によく説いていた言葉だというふうに伺っておりますが、群馬県が他県に先駆けて先進的な政策モデルを発信して、場合によっては国の制度も国の考え方も変えていこう、実はこういう高い志を持って発足をさせていただきました。人口減少、少子高齢化も進行しておりますし、財政状況も厳しい。
これは福沢諭吉さんが言い始めたと認識していますけれども、海外に出ていって、そして百六十年ぐらい前、日本は万博で提灯しか出せなかったと。その時代に向こうはもうガラス製品から、すばらしい技術を持った産業が発達していた。それを見たときに、福沢諭吉は、どうやって今から日本は世界と戦っていくんだろうかというのが僕は原点だと思います。
帰国後は、今の一万円札の肖像の福沢諭吉先生の援助を得て、後に東京大学医科学研究所となった伝染病研究所や北里大学の基礎となった研究所を設立しました。 博士の伝染病研究所からは、赤痢菌を発見した志賀潔、梅毒の特効薬を発見した秦佐八郎、さらに、今の千円札の肖像画の野口英世ら、優秀な人材を次々と輩出しています。 伝染病研究所での後進への指導は、日本の近代医学界の礎となっています。
かつて福沢諭吉が朝鮮との約束事は全て無効になると看破したように、相手は日本人のこういった美徳まで利用して、みずからに優位な舞台をつくろうとするのであります。