福島県議会 2023-10-04 10月04日-委員長報告~閉会-06号
復興五輪では、野球及びソフトボール競技が本県でも開催され、その際、海外チームに振る舞われた本県産の桃を食した監督たちのデリシャスという率直な感想は、それまで品質や味に自信を持ちながらも、風評や安全に対する消費者の懸念により暗たんたる思いをされてこられた農家の方々をはじめ県民にとって、未来への確かな光となる希望の言葉でありました。
復興五輪では、野球及びソフトボール競技が本県でも開催され、その際、海外チームに振る舞われた本県産の桃を食した監督たちのデリシャスという率直な感想は、それまで品質や味に自信を持ちながらも、風評や安全に対する消費者の懸念により暗たんたる思いをされてこられた農家の方々をはじめ県民にとって、未来への確かな光となる希望の言葉でありました。
新型感染症の影響により、復興五輪として思い描いていた情報発信などが困難となる中、私たちを勇気づけてくれたこの言葉は、福島が美しく、安全であることを多くの人々に知ってほしいと願う監督の思いから生まれました。 いつか監督に感謝の思いを伝えたい、そう考えていた私は、さきの米国訪問の折、ついにその機会を得ることができました。
内政外交両面にわたる多くの功績、とりわけ震災後に発足した第二次安倍内閣における被災地に寄り添った復旧・復興への支援や、復興五輪の理念の下開催された東京二〇二〇オリンピック・パラリンピック競技大会の誘致は、そのリーダーシップがなければ実現し得なかったものと考えております。ここに謹んで哀悼の意を表しますとともに、御遺族の皆様方に衷心よりお悔やみを申し上げます。 それでは、御説明申し上げます。
昨年の復興五輪は、スポーツによる連帯感など、人と人とを結びつけてくれた大変すばらしい大会でした。今後も復興五輪のレガシーを十分に活用した取組を進めていくべきだと考えておりますが、この大会を契機として生まれたつながりを最大限に生かし、ボランティア活動の継続やスポーツによる交流人口の拡大を積極的に進めていただきたいと思います。 次に、安全・安心な暮らしプロジェクトについてであります。
次に、復興五輪についてであります。 昨年の世相を表す漢字は「金」でした。東京オリンピック・パラリンピックにおいて、日本選手団は我が国における過去最多の金メダルを獲得するなど、まさに金字塔を打ち立てました。 本県においても、新型コロナウイルス感染症の影響により、各種イベントの中止、規模縮小など、異例づくしの祭典となりました。
復興五輪と言われた昨年の東京オリンピック・パラリンピックにおいて、本県産のトルコギキョウとナルコランがビクトリーブーケに使用されました。世界の高い関心が集まる中、本県の花卉が広く注目され、本県産花卉のすばらしさを発信する機会となり、私も県民の1人として誇らしい気持ちになりました。
また、国際教育研究拠点の実現やJR只見線の全線運転再開、さらには復興五輪のレガシーの継承など、復興の加速化を確実に軌道に乗せ、本県の活路を切り開くための大事な1年となります。本県が抱えている様々な課題を県民と共有し、協働しながら、これまでの10年間で積み重ねてきた復興の歩みを確実に前に進めていかなければなりません。 「虎は1日に千里行って千里帰る」。
東京二〇二〇オリンピック・パラリンピック競技大会では復興五輪の理念の下、六月には聖火ランナーが県内を巡り翌月には男女合わせて全十試合のサッカー競技が有観客により開催されました。この大会で培われた各地との絆や競技開催地としての経験をレガシーとして根づかせ、今後の県政にも生かしてまいりたいと考えております。
昨年復興五輪として開催された東京オリンピック・パラリンピック大会は、国民、県民の皆さんに多くの感動を残し、閉幕いたしました。一方で、新型感染症の影響により、都市ボランティアの皆さんの活動や、ホストタウンによる各国、地域と直接交流する機会が失われるなど、我々が思い描いていた姿とは異なる形となってしまったのも事実であります。
東京オリンピック開催に当たり、「平和の祭典」「多様性と調和」「復興五輪」「コロナに打ちかったあかし」など多くの理念、スローガンが掲げられました。東京五輪の後開催されました障がい者のスポーツの祭典パラリンピックの理念は、多様性を認め合う共生社会の実現であります。
都議会公明党は、一貫して復興五輪としての開催を求め、その取組を推進してきました。 今回、被災地での競技開催や福島県での聖火リレーのスタートなどを通して、大会の原点を見詰め直すとともに、改めて被災地に思いを寄せ、今後も共に歩んでいくことを決意する大きな契機となりました。同時に、震災のときに手を差し伸べてくださった世界中の方々に、大会を通じて感謝の気持ちとして伝えることができたと思います。
復興五輪を掲げながらも、無観客試合など、当初の計画より大幅に縮小しての開催となってしまいましたが、世界的に人気のある両競技の開幕戦が行われたことで、あづま球場は世界中から注目され、球場が立地する福島もよいイメージで世界に知られたことと思います。 私は、オリンピックが行われた今を契機として、競技が開催されたあづま球場を積極的に活用し、オリンピックのレガシーとすることが必要だと思います。
2020東京オリンピック・パラリンピックは、東日本大震災からの復興五輪という理念の下に開催され、新型コロナウイルスの感染拡大の中で様々な問題はありましたが、無事閉幕をすることができました。
次に、復興五輪についてであります。 復興五輪がコロナ五輪に置き換わり、異常過ぎると言える五輪中止運動が全国的に展開される中、日本代表の皆さんがコロナ禍の困難を乗り越え、オリンピックではメダル総数58の過去最高の成績、パラリンピックではメダル総数51の過去2番目の成績を残し、国民に勇気と感動を与えてくれました。
また、各国の代表監督や選手の皆さんから福島のおいしい食や美しい自然、県民の対応のすばらしさなどがメディアを通じて国内外に発信されたことは、復興五輪の意義深い姿であると感じております。 一方で、今回の復興五輪は新型感染症の影響により、我々が思い描いていた姿とは異なる形となってしまったのも事実であります。
新型コロナウイルスの影響により、事実上無観客となりましたが、競技中継はテレビやインターネット配信などで世界中に発信され、各競技会場で繰り広げられた熱戦の様子や選手たちの頑張りは、私たちに勇気を与えるとともに、この大会は10年前の東日本大震災の復興五輪も兼ねていたことから、東北の方々にも夢や希望を与えるすばらしい大会になったと感じています。
東京オリンピックは、復興五輪という理念で始まりましたが、東北の福島、岩手、宮城では、海外選手との交流やイベントが中止になりました。そして、無観客となりました。 熊本では、聖火リレーの実施やインドネシアバドミントンチーム、ドイツ水泳チーム、アンゴラハンドボールチームが事前キャンプに招致されましたけれども、コロナ禍での市民、県民との生の交流はできませんでした。
本県においては無観客感染が原則となった中、復興五輪の理念を最後まで貫き通し、村井知事は大変強い批判を受けながらも有観客の実施を決断されました。決断の理由の一つに、その他のイベントが県内で観客を入れているのにどうしてオリンピックだけが駄目なのかということを挙げられました。これこそが政治の社会的信頼の基盤を守る判断です。そのときの世論への対応、機敏と過敏の境界線、その判断は大変難しいところです。
しかし、残念ながらやむを得ない事情があったとはいえ、当初掲げられた復興五輪というテーマが大会期間中感じられなかったのは残念なことでした。宮城スタジアムにおいて全十試合のサッカー競技が有観客で開催されたことによる復興五輪の実現は評価できるものの、県として被災地との絆を次代に引き継ぎ、大会を通じて世界の人々に感謝を伝えるという目標は、大会終了後もレガシーとして重要な考え方であると思います。
本年は復興五輪の開催や東北DCなど観光産業関連事業者において大変期待している年でありました。しかしながら、長期のコロナ禍において観光関連事業者をはじめ飲食店等の産業は壊滅的な打撃を受けております。本県においては、大きなダメージを受けた県経済の回復を図るために感染拡大防止対策を徹底しながら、観光需要回復に向けた取組が迅速に実施できるよう更に準備を進めていかなければならないと思います。