福岡県議会 2023-02-08 令和5年2月定例会(第8日) 本文
我が国のノリ養殖は、江戸時代に徳川家康公に献上するために東京湾沿岸部で始まり、幕府の保護を受けたことにより、享保年間に生産が本格化しております。その後、安永年間に、和紙製造が盛んであった浅草において紙すきの技術を転用し、現在と同じ四角い板ノリが定着したとされております。そして、戦後、養殖技術の向上に伴い、各地へ伝播し、有明海でも昭和二十年代に養殖が行われるようになったということです。
我が国のノリ養殖は、江戸時代に徳川家康公に献上するために東京湾沿岸部で始まり、幕府の保護を受けたことにより、享保年間に生産が本格化しております。その後、安永年間に、和紙製造が盛んであった浅草において紙すきの技術を転用し、現在と同じ四角い板ノリが定着したとされております。そして、戦後、養殖技術の向上に伴い、各地へ伝播し、有明海でも昭和二十年代に養殖が行われるようになったということです。
また、隣に立っている日本百名城に選定されている岡崎城は、家康公生誕の城であり、今回リニューアルオープンされて、より一層魅力を高めています。また、家康公生誕時の産湯をくんだと言われている井戸もあります。さらに、同じ公園内には土産物店がありますが、今回、一年間限定で売場面積を約四倍に拡大したとのことです。
二月二十二日の本会議開会に当たり、大村知事からの挨拶にもありましたように、現在、徳川家康公を主人公にした大河ドラマ、どうする家康が放送されております。最近はあまり見れませんが、私も大村知事同様、毎週楽しみにしている一人であります。 その家康公は、江戸幕府を開いた後、一六〇九年に木曽川の左岸側に御囲堤と呼ばれる約四十八キロメートルの堤防を現在の犬山市から弥富市にわたり築造させました。
一月十八日には、愛知・名古屋の玄関口であるJR名古屋駅中央コンコースにおいて、家康公ゆかりの地や交通アクセスなどの情報を案内するインフォメーションセンターを開設するとともに、一月二十一日からは、岡崎市の大河ドラマ館のオープンに合わせ、県内百六十か所の武将ゆかりの地を巡る周遊デジタルスタンプラリーも開始しております。
折しも、来年の大河ドラマは、徳川家康公を主人公とした「どうする家康」です。戦国・武将観光は根強いファンがおり、全国各地で取組が見られますが、関ケ原はその中心となってほしいところです。
改めてNHKのウェブサイトを見てみると、家康公が松平元康と名のっていた若かりし頃を象徴する甲冑、金陀美具足を身にまとった松本潤さんの写真があり、コメントには、仕えていた今川義元が桶狭間で討たれた後、織田家と今川家のどちらにつくべきかで元康が揺れるシーンですという解説が添えられています。
本県では、二月に、二〇二三年の大河ドラマ、どうする家康を活用し、家康公の生誕地、愛知の観光を盛り上げていくため、県や市町村、観光団体、経済団体、企業など百二団体が参加して、愛知県大河ドラマどうする家康観光推進協議会を設立しました。
「超実力世界の伝統芸能」である将棋のタイトル戦では,王将戦第1局の掛川城決戦で,渡辺明名人が徳川家康公,藤井聡太竜王が山内一豊公の甲冑姿に扮するなど,開催地の歴史・文化・観光のPRにもなることから,誘致合戦が年々激しくなっているようです。
また、戦国武将をモチーフとした数多くのアニメなどともタイアップしたピアノを設置し、来年の大河ドラマに合わせた徳川家康公や、私の地元中村区の豊臣秀吉・加藤清正公生誕の地、武将観光の愛知をアピールすることも期待できるのではないでしょうか。
皆さんも御承知のとおり、尾張徳川家の居城となった名古屋城や、桶狭間古戦場跡、また、小牧・長久手の戦いにおいて家康公の陣となった小牧山城や、その主戦場となった長久手古戦場跡、信長と家康が同盟を結んだ清洲城、信長、秀吉、家康が奪い合うほど魅了した国宝犬山城などなど、家康公ゆかりの地だけでも数多くあります。
江戸幕府開府と並行して、舟運航行の必要性から、富士川は、徳川家康公の命を受けた角倉了以が、さらなる開削工事を行うことにより、舟運航行の利便性を高めたのであります。 このように、富士川は、古くから文化、交通、産業の発展に大きな役割を果たし、支えてきた重要な河川であります。 また、沿川には人口も集中しており、その流れは地域の人々に憩いと安らぎを与え、広く親しまれているところであります。
本年一月、NHKは、二〇二三年の大河ドラマを徳川家康公の生涯を描いた、どうする家康に決定したことを公表いたしました。 大河ドラマは、舞台となった地域に視聴者等の関心が集まり、観光振興につながることから、地元ゆかりの歴史上の人物が主人公として取り上げられるよう、全国各地の自治体が競って誘致活動を行っていることは、御承知のとおりであります。
それは、再来年の大河ドラマが松本 潤さん主演の徳川家康公を題材とした「どうする家康」に決定したからであります。 本県と徳川家康公との関わりは、関ケ原の合戦だけではありません。関ケ原の合戦の前哨戦で、東軍に攻められて落城した岐阜城が破却をされ、岐阜城の代わりに加納城が築城され、家康公の義理の息子である奥平氏が入城し、城主が替わるものの、明治維新まで加納藩として残されました。
一六〇〇年、関ヶ原の戦いの後、徳川家康公が地元への恩返しということで、現在の西尾市に流れる矢作古川の水害対策──もともとの本流です──今の安城市藤井町から西尾市の米津町まで導水路を掘り、矢作川の本流が今の形になったとのことです。江戸時代初頭ですから、すきやくわで掘る大変な工事だったと思います。 やがて、その新しい矢作川が運ぶ土砂が、川が土砂をどしゃっと運んでくる。そして、海が埋まってしまう。
また、現在高知城歴史博物館で開催をしております、国史跡の土佐藩主山内家墓所をテーマといたしました企画展では、ふだん一般公開されることのない竹林寺所蔵の徳川家康公の位牌の展示、それから3Dデータをもとにしまして、初代藩主の一豊公、それから15代の容堂公の墓石の復元模型を展示いたしますなど、多くの方に興味を持っていただけるような視点での展示を行っております。
私の座右の銘は、徳川家康公の「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」の言葉であります。県議会の代表として、そして七百三十二万県民の代表としての責任の重さを特に感じ、強く意識してきた一年でありました。本日まで大過なく職責を全うすることができましたのも、ひとえに皆様の御支援、御指導の賜物であり、ここに改めて深く感謝を申し上げます。
さらには、徳川家康公生誕の岡崎城、ユネスコ無形文化遺産に登録された知立の山車文楽とからくり、世界かんがい施設遺産に登録された明治用水など多くの観光資源を有しており、観光地としての魅力を発信し、新幹線三河安城駅ひかりの停車が実現され、移動時間の短縮やコスト面のメリットが期待できることによって、駅及び周辺の利用者拡大が大幅に増加する可能性が内在していると言われています。
実は、私たちも前年、平成27年の家康公400年記念事業の実施に当たり、川勝知事を先頭に関連する自治体の首長や経済界の皆さんと大陳情団を結成し、大挙してNHKへ乗り込み、家康公を大河ドラマで取り上げてくれるよう、お願いをしました。しかし、結果は全くだめでした。 では、何で直虎に決定したかということでありますが、市長の言を続けます。
戦国時代の武将でいえば、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公のホトトギスを鳴かす手法の違いは歴史の中でも有名な例えとなっており、また越後が生んだ上杉謙信公は、敵に塩を送るなど義に生きた武将として名を残しております。 こうした武将が、名をはせた名将と言われるゆえんは、戦や政だけでなく、産業を振興させて国を繁栄させる手法にたけていたからであります。
ことしは日光山開山1,250年、徳川家康公御鎮座400年という節目の年でございます。こうした大型イベント等を効果的に組み合わせて、雑誌や観光アプリなどさまざまな媒体を利用した観光誘客キャンペーンを展開することにより、誘客促進と観光地とちぎのイメージ向上を図ってまいりたいと考えております。 観光交流課の説明は以上です。 ○阿部博美 委員長 橋本労働政策課長。