熊本県議会 2022-12-09 12月09日-03号
他県の方々は、熊本の水はおいしいと口々に言われますが、こうした奇跡的な自然のメカニズム、恩恵を受けているわけであります。日本はおろか、世界中においてもまれな存在、まさに熊本の宝と言える存在ではないでしょうか。 一方で、近年、熊本の地下水の水量や水質についての懸念が高まっています。
他県の方々は、熊本の水はおいしいと口々に言われますが、こうした奇跡的な自然のメカニズム、恩恵を受けているわけであります。日本はおろか、世界中においてもまれな存在、まさに熊本の宝と言える存在ではないでしょうか。 一方で、近年、熊本の地下水の水量や水質についての懸念が高まっています。
その目的達成のためには、国の天然記念物指定の布田川断層帯等、各市町村の震災遺構を守るとともに、震災から復興しつつある熊本城や奇跡的に湧水が回復した水前寺公園などの観光施設との広域的な連携が必要不可欠と考えられます。
現在、対策の効果だけとは思えないほど奇跡的な減少が起きています。ウイルス自体の自壊もその主な原因とも言われていますが、人々の不安は和らぎ、社会の落ち着きも戻りつつあるようです。 しかし、気温が下がり出したヨーロッパでは、感染爆発の様相が出てきました。ワクチンの接種率が3分の2近く進んでいるイギリスやドイツでも、感染者が1日に5万人を超すなど、再び不安が広がってまいりました。
例えば、くま川鉄道川村駅のある奇跡的に避難された西村地区では、直後は、もうここには住めないと言うて、後背地を指さして、あの高台に集団移転したいとおっしゃいましたが、後では、高台の農地は農振地で駄目だそうですねとおっしゃいます。3メートルも浸水した自宅の壁を剥ぎ壊し、差し当たって住もうとされますので、抜本的治水対策が示されるまで、鉄骨納屋に仕切りを造り、仮住まいをしましょうと助言をいたしました。
戦後70数年を迎えましたが、その間、日本は、他国の侵略や紛争に巻き込まれず、奇跡的な経済発展を遂げ、国際社会において、先進的な国家として、その地位を築いてきました。 その大きな要因の一つがアメリカとの友好関係であり、特に安全保障面においては、日米安全保障条約の締結であったと思います。
皆さんは、奇跡のバックホームという言葉をお聞きになられたことがあるでしょうか。これは、平成8年の夏、甲子園の決勝戦で熊本工業の悲願の初優勝を阻んだ決定的なプレーのことで、今なお球史に残る名場面として語り継がれております。私もテレビを見ておりましたが、延長戦に入り、サヨナラのチャンスを迎えた熊本工業の打者が放った打球は、犠牲フライには十分であり、その打球を見て誰もが熊本工業の優勝を確信しました。
立野ダム以外に住民の安全を守る手段はないというわけでもないのに、悠久の歴史の経過の中で、奇跡的に形成された貴重な自然遺産を破壊する権利が国交省にはあるのでしょうか。県は、それを認めてしまってよいのでしょうか。ちょっと待ったと、知事は国交省に物申すべきであると考えますが、いかがでしょうか。 第3に、流域住民に対する説明責任の問題であります。
住民がともに助け合いながら、救助活動や避難誘導などを行った結果、一人の犠牲者も出さなかった西原村の奇跡の集落のように、今回の地震での対応においても、地域みずからの取り組みが大きな力を発揮しました。 3点目は、災害の経験や教訓の伝承です。
アスベスト、いわゆる石綿は、耐熱性や絶縁性や保温性にすぐれ、断熱材や保温材料等に利用され、奇跡の鉱物と言われてきましたが、高濃度、長期間の暴露によって、じん肺、肺腺腫、肺がん、悪性中皮腫などの健康被害が明らかになり、静かなる時限爆弾と呼ばれるに至ったのであります。したがって、今日では、アスベスト製品はほぼ全廃されております。
また、東日本大震災では、岩手県陸前高田市の奇跡の一本松があり、大震災の記憶を今に伝えています。雲仙・普賢岳の大噴火による火砕流の災害現場では、当時の建物は何も残っていませんが、焼けた消防団の車が保存され、鎮魂の場として整備されています。そして、命を落とされた先輩団員の思いと教訓を引き継ぐために、26年たった今でも、火砕流が起きた6月3日を祈りの日として慰霊祭が行われています。
すなわち、奇跡だということです。今まで当たり前と感じたことがいかにありがたいことなのか、この大きな災害に遭遇して初めて気づかされました。 知事が掲げられている復旧・復興の3原則を柱に、もう一度、ふるさと熊本の輝きを取り戻し、復旧、復興を熊本のさらなる発展につなげることを目標として、蒲島知事3期目の基本方針となる熊本復旧・復興4カ年戦略の案が示されました。
信じて行動することを、学校の避難訓練などの際に指導していたところ、東日本大震災の際、小中学生らはその教えを守り、地震の直後から教師の指示を待たずにみずからの判断で避難を始め、津波が来るぞ、逃げるぞと周囲に知らせながら、ある児童は保育園児のベビーカーを押し、ある生徒はお年寄りの手を引いて高台に向かって走り、結果、当日、学校に登校していた児童生徒たちは全員無事に避難することができたということで、釜石の奇跡
釜石の奇跡、これは、東日本大震災での防災意識の大切さを証明しました。ふだんの教育、指導の成果であります。 お尋ねします。 学校での取り組みに必要な先生たちへの講習は、現在どのようになっているのか、それから、義務教育期間中に心肺蘇生法や救急法をマスターして卒業する取り組みはできないものか。 この2点について、教育長にお尋ねをいたします。
私、せんだって、どうしても見たいと思っていた映画がありまして、「奇跡のリンゴ」です。主役の阿部サダヲと菅野美穂の、この菅野美穂さんが奥さんで、農薬をリンゴに散布して――リンゴ園です。農薬を散布して、その後体中発疹だらけ、これはどうにかせないかぬと。私も経験がありますよ。ランネートという農薬で1回倒れたことがあります。そういうことで自然農法に切りかえて、11年目にやっとリンゴがなりました。
龍田陳内4丁目については、多くの死者が出なかったのは奇跡だと言われるほどの被害でした。死者が出なかったことは幸いでしたが、そうした重大な危険に住民をさらした責任は重大であります。
まず、委員から、防災教育推進事業として8月6日に県立劇場で開催される防災教育研修会について、講師である片田教授は、釜石の奇跡を生んだすばらしい方で、講演を聞いた人の多くは防災の感覚が変わると言われている、組織は、トップの意識が大変重要であるが、学校の管理職は全員参加できるのかとの質疑があり、執行部から、私学も含めてほぼ全ての学校から管理職が出席する見込みであり、PTAのほか、県のホームページ等を通じて
東日本大震災の津波による死者が1,000人を超えた岩手県釜石市で、小学校、中学校の児童生徒のほぼ全員が無事故で逃げ延びた釜石の奇跡が、防災教育の生きた事例として注目されております。群馬大学の片田教授と釜石市が共同して2006年から実施された防災教育の成果は、示唆に富むものであります。
岩手県釜石市で、大震災の発生時に学校の管理下にあった小中学校生が、全員津波から逃げ延びた事例が、釜石の奇跡として全国から注目をされています。釜石市では、2008年度に文部科学省の防災教育支援モデル地域事業に指定され、小中学校生に対する防災教育を日ごろから推進しており、こうした取り組みが功を奏したことは言うまでもありません。
当然のことですけれども、毎日口にする食べ物が、この奇跡のような生き物であります私たち人間の命を支えているということに共感し、そして、そのことに感謝することがとても大切なのだと思っております。 食糧を生産する農家だからこそ特にそう思うのかもしれませんが、そういった意味で、この命を支える農業は、私たち農家にとって単なる業ではありません。
しかしながら、奇跡的に人的被害には至りませんでした。 災害直後の調査で判明したことは、災害時、大量の土砂、流木の流れ込んだ山川温泉上流の砂防堰堤がその特徴を果たし、流木、土石を捕捉し食いとめたことが大災害に至らなかった大きな原因でありました。もしこの砂防堤がなかったとしたら、下流上田から北里地区には甚大なる被害が発生したはずと考えられます。