徳島県議会 2023-02-01 02月17日-04号
戦後の日本は、外国からの食料の支援や朝鮮戦争の勃発などにより、世界の奇跡とも言われるほどの復活を遂げましたが、これは特例的なことだと思います。今、巨大な災害が発生すれば、世界中から支援はあるにしても、いつまでも続きません。本当にすぐ復活できていくのでしょうか。甚だ疑問です。 実際、この被災地には、日本のコンビナートの中核を占める太平洋ベルト地帯があり、また日本の三大都市も含まれています。
戦後の日本は、外国からの食料の支援や朝鮮戦争の勃発などにより、世界の奇跡とも言われるほどの復活を遂げましたが、これは特例的なことだと思います。今、巨大な災害が発生すれば、世界中から支援はあるにしても、いつまでも続きません。本当にすぐ復活できていくのでしょうか。甚だ疑問です。 実際、この被災地には、日本のコンビナートの中核を占める太平洋ベルト地帯があり、また日本の三大都市も含まれています。
ともあれ、多くの子供たちの命が救われました十年前の釜石の奇跡も、覚えていらっしゃる方はいると思います。釜石の奇跡の立て役者であって、今現在、日本の防災の中心にいらっしゃる片田先生が、小松島の子供たちに直接、防災であったりコロナに対する心構えを吹き込んでくれた瞬間でありまして、私は非常に感動いたしましたので、紹介させてもらいました。
八月十五日には、新風とくしま県議団として、地元の高井議員の先導のもと、私も現地へ足を運び、被災現場を目の当たりにして、その被害の甚大さに驚愕するとともに、これだけの被害が発生したものの、人的被害がなかったことは本当に奇跡的なことであると感じているところであります。
ディ・バラッケと呼ばれる新聞、音楽コンサートのプログラムを初め、捕虜が家族に宛てた手紙、写真、捕虜自身がつくった大谷焼などの資料は、奇跡の収容所と呼ばれた当時の板東の様子をつぶさに今日に伝えてくれています。
文化交流においては、ニーダーザクセン州のヴァイル首相、リューネブルク市のメドケ市長との三者会談を行い、第一次世界大戦下においてドイツ人捕虜に対する人道的かつ寛大な処遇や地元住民との友好的な交流により奇跡の収容所と言われた板東俘虜収容所に関する貴重な資料群を、ユネスコ世界の記憶として共同申請することに合意に至ったところであります。
ヴァイル首相を初めとする訪問団の皆様方には、鳴門市のドイツ館での当時の交流の様子などの展示もごらんいただき、ドイツ兵慰霊碑への献花にも御参加いただいたと聞いており、奇跡の交流の集大成として、鳴門市板東におけるアジアで初めての第九の演奏、演奏されてから百年の月日が一瞬にしてタイムスリップし、あたかも当時の交流の場面に遭遇したような強い感銘を受けたことを覚えております。
県では、板東俘虜収容所における奇跡の交流「板東の奇跡」を礎とし、経済、文化、スポーツ、教育、学術など幅広い分野での交流を通じ築いてまいりましたきずなをさらに深めるため、二〇一九年の板東俘虜収容所関係資料のユネスコの世界の記憶への登録や、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックホストタウン構想におけるドイツを交流相手国としたキャンプ地の誘致に積極的に取り組んでおります。
さらに、この交流の礎でもある板東俘虜収容所における奇跡の交流を州との共同申請によるユネスコ世界の記憶登録に向けた取り組みやこれから迎える第九アジア初演百周年、ベートーヴェン生誕二百五十年などのドイツにまつわるメモリアルに向け、県民の機運醸成を図るためにも、今回、知事みずからが出向き、トップ会談を行うことは大きな効果が見込めるものであります。
板東俘虜収容所における奇跡の交流から幾世代にもわたり脈々と育まれてきた歴史の上に立ち、この十年間で交流の芽を大切に育て上げ、幾つもの花を咲かせてきたところであり、そこに確かな実を結ばせて、新時代のさらなる大きな輝きを生み出していくためには、次の一手は極めて重要となるところであります。 議員からは、私みずからが団長となった公式訪問団の派遣をとの大変力強い御提案をいただいたところであります。
第一次世界大戦期、一九一七年から二〇年にかけ設置されておりました板東俘虜収容所は、極めて人道的な運営方針と処遇により、ドイツ人と地元の人々との心温まる交流や先進的な技術の伝授、ベートーヴェン第九のアジア初演といった、まさにユネスコの精神、国際平和と人類共通の福祉が具現化された奇跡の収容所であり、ドイツに帰国されました元俘虜からも称賛され、ニーダーザクセン州と本県との友好提携を初め、今日に続く国際交流
ことしのラグビーワールドカップで、日本は奇跡とも言うべき活躍で大いに盛り上がりを見せ、二〇一九年ラグビーワールドカップ日本大会、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックと、今後のスポーツの祭典につながっていくものと期待しております。一方で、オリンピック・パラリンピックは世界最大の文化の祭典とも言われており、その国の文化力、発信力が試される場でもあります。
群馬大学の片田教授は、避難三原則として、想定にとらわれるな、最善を尽くせ、率先避難者たれということを提唱し、この三原則を子供たちに教え、東日本大震災の際には、有名な釜石の奇跡に結びつけました。しかし、常総市の水害では、特別警報や避難指示、堤防決壊などさまざまな情報があっても避難しなかった人、またおくれた人が相当いたのではないかと思います。
そして、奇跡の収容所ともたたえられる国際的な史実に裏づけされるベートーヴェン第九アジア初演の地である本県から、第九を歌う喜びを通じ、世界平和の思想を全世界に発信し、国内外から第九を歌うなら徳島で、このように言われるこれからの百年を見据え、魅力あふれるあわ文化のキラーコンテンツとしての第九を新たな形で創造いたしてまいりますので、議員各位の御理解と御協力をどうぞよろしくお願いを申し上げます。
我が国は、戦後の混乱期から、国民皆が仲よく力を合わせ、奇跡的な経済発展を遂げ、今日の先進国の地位を確立したものと認識しております。しかるに、昨今、我が国においては、権利ばかりを主張する風潮もあり、次第に国民が自己中心的になりつつあるのではないかと懸念されております。その一つのあらわれとして捉えますのは、児童虐待の増加であります。
さて、私ごとでございますが、先月、防災教育の第一人者で釜石の奇跡の立役者である群馬大学の片田教授とお会いすることができました。群馬県の高崎市で開かれた全国青年都道府県議会議員の会というのがありまして、その勉強会に講師として来ていらっしゃった際のことであります。
さきの東日本大震災では、児童生徒が率先して地域住民を巻き込み懸命に津波から避難したことによりまして多くのとうとい命が助かった、いわゆる釜石の奇跡を契機に、防災学習の重要性が再認識されたところであります。
釜石市の小中学生ほぼ全員、約三千人が津波から避難した有名な釜石の奇跡は、釜石市の小中学校で二〇〇四年から続けられていた徹底した防災教育と実践的な訓練のたまものだと言われております。
皆さんは釜石の奇跡という話を御存じでしょうか。東日本大震災では、岩手県釜石市の死者、行方不明者は千人以上にも上りました。その一方で、釜石市の小中学校の全生徒二千九百二十六人のうち、学校を休んでいたなどの五人を除き、ほぼ全員が津波から逃れることができたという話であります。その生存率は実に九九・八%、これが奇跡的であると言われております。 それでは、なぜそこまでの結果を残せたのか。
その後、有名な釜石の奇跡の話を聞き、この釜石の子供たちのような既存の想定にとらわれず、みずから判断し、みずから行動できる子供を育てなければ災害から命を守ることができないとの思いを強くいたしたところです。 もう一つは、私自身、体育健康課長を初め、長年、教育行政の推進に携わってまいりましたことから、本県の子供たちの体力が全国でも下位にあるということについて非常に危機感を抱いていることであります。
東日本大震災での釜石の奇跡は、防災教育とその実践的な訓練の力だと言われております。災害発生後に行う災害応急対策も同じであり、毎年の訓練を積み重ねてこそ、いざ発災というときに最大限の力を発揮できるものであります。