広島県議会 2022-12-06 2022-12-06 令和4年総務委員会 本文
でも、デジタルの力で日本のゴールが認められて、相手には厳しかったかもしれないけれども我々にとってはいい結果になった、きちんと正しいものが出た、1ミリの奇跡が生まれたというように、こういうものもDXの一つですという感じでイメージしていいのかどうなのか。DXは、そもそもこのようにいろいろな可能性も秘めていると思っています。
でも、デジタルの力で日本のゴールが認められて、相手には厳しかったかもしれないけれども我々にとってはいい結果になった、きちんと正しいものが出た、1ミリの奇跡が生まれたというように、こういうものもDXの一つですという感じでイメージしていいのかどうなのか。DXは、そもそもこのようにいろいろな可能性も秘めていると思っています。
私の恩師である元県議の石田明先生は、一九四五年八月六日八時十五分、福屋前電停で兄と共に被爆し、満員電車の中で奇跡的に生き残りますが、半年の間、急性の原爆症で生死のふちをさまよい、九月二日にはお兄さんが、明、アメリカに敵を討ってくれえよと言って亡くなったと聞いています。
校舎は倒壊、校庭は芋畑だったところを整地し直し、ボールは一個か二個しかない中で、軍靴で接ぎを当て、その上、原爆症の不安と闘いながらの奇跡の記録を打ち立てたのございます。生徒は皆、被爆者であり、サッカーがあったから被爆の惨禍から立ち上がることができたとの証言もございます。広島高等師範付属中学が優勝できたのは、当時、同校選手だけが左右両足でボールを操れたからとも言われております。
コロナ対策における台湾政府の水際対策等の初動の速さと情報伝達の対応は、世界から台湾の奇跡と呼ばれており、その成功例と言えます。デジタル担当大臣のオードリー・タン氏が民間企業のSEと共に三日間で開発した、マスク在庫をリアルタイムに確認できるマスクマップアプリのように、非常事態に国民が知りたい情報を正確かつ迅速に伝えることが何よりも大切です。
この記事には、その高校生の心境も書かれ、交通ルールに反した行為を後悔している、生きているだけで奇跡ですと語っていました。当事者の本心だと思います。 個人的には、右側通行の危険性を周知し、取締りの強化をお願いしたい思いですが、まず自転車は車両であることを一人一人に認識してもらい、交通ルールを守ってもらうことが重要であると考えます。
それは、東日本大震災における釜石の奇跡と呼ばれるものであります。 平成二十三年三月の東日本大震災では多くの方がお亡くなりになり、いまだ行方不明の方も二千人以上と、大変多くの犠牲が出ております。岩手県釜石市においても、死者、行方不明を合わせて一千百人を超える被害が出たわけでありますが、釜石市の小中学生二千九百人余りのうち、亡くなったのはわずか五人でありました。
、100名以上の関係者の皆様にお話を伺い、膨大な文献、歴史的資料にも当たりながら、昭和20年8月6日から広島平和記念都市建設法が公布された昭和24年8月6日に至るまでの4年間、焦土と化したこのまちが塗炭の苦しみを味わいながらも、戦前のあの美しいふるさと広島を取り戻さんと、有名無名の広島県人の皆様が、まさに血の涙を流しながらも主義主張、信条の違いを乗り越え、一丸となって復興に御尽力された誇り高き姿、奇跡
ことし九月、福山市で八十一歳の認知症の女性が徘回し行方不明となり、懸命な捜索活動の結果、何と六日後に森の中から生きて発見されるという奇跡的な事件が発生いたしました。
現在の広島県の教育改革ができたのは奇跡だと私は思っております。今おっしゃっていることを実現していくというのはもっと難しいのではないかと思うのです。 そこで、お尋ねしたいのは、教育の根幹を担っている文部科学省はどのように考えているのでしょうか。また、広島県が先導的に行っているのであれば、ほかの県がこのことにどのように追従してきているのでしょうか。
私の中学校時代の恩師は、八丁堀の満員電車の中で被爆して、たまたま満員電車であったがゆえに奇跡的に助かったわけですが、放射能の後遺障害に苦しみ、その後、がんを発症し、さらには、我が子が生まれたときには遺伝的な影響にも苦しみ、また、孫が生まれたら、やはり同じように孫に影響がないだろうかと苦しみ続けてきたわけでございます。
東日本大震災の際の「釜石の奇跡」で有名な群馬大学大学院教授の片田敏孝先生は、小中学校で防災教育を進める狙いについて、十年たてば最初に教えた子供は大人になる、さらに十年たてば親になる、すると防災を後世に伝える基本的な条件、防災文化の礎ができる。もう一つは、親の世代は忙しく、防災の講演会をしても来てくれる世代ではない、子供を通じて家庭に防災意識を広げていくことができると考えたそうであります。
先月二十二日には、長野県北部の白馬村、小谷村、小川村を中心とする地域で大きな地震が発生し、家屋の全半壊は百一戸、また、けがをされた方は四十六人にも上りましたが、死者は奇跡的にゼロでした。 報道によりますと、白馬村では、災害発生時に各地区の世話役が、どの家にどのように声をかけるかをあらかじめ決めており、確認や救助が速やかに行われたとのことでございます。
平成二十三年三月十一日の東日本大震災を機に、学校における防災教育の充実が全国的に図られているところであり、特に、当時話題となった「釜石の奇跡」と語り継がれている小中学生の避難行動は、各学校の防災教育のモデルとなっています。
妊娠も出産も当たり前のことではなく、奇跡の連続だと思います。出産後もまた奇跡が続くのです。そう思うと、周りの人やいろいろなことに感謝の気持ちや大切にしたい気持ちが浮かびました。」 こういう意見がありました。ぜひともこれを考慮して県には頑張っていただきたいと思います。知事、よろしくお願いします。
「釜石の奇跡」で有名な群馬大学の片田教授は、国土強靭化で行うハード対策を超える災害は必ずあります。その対策を超える部分をどうするかという議論を強化していかなければ、本当の意味で強靭化にはなりません。国民の強靭化に向けたソフト面対策も具体的政策体系の中に盛り込んでほしいと述べておられます。大規模自然災害は必ず起こると決めて、どう備えるかという取り組みが重要です。
また、今では台湾で当たり前のように食べられている「蓬莱米」という米は、広島県福山市出身である磯永吉という方が約半世紀にわたって在来種と日本の米とをかけ合わせ品種改良を行ったもので、台湾の農業に貢献しただけでなく、戦後、この「蓬莱米」などの輸出で稼いだ外貨が工業化に転化されて、奇跡と言われた台湾の経済成長を実現させたのです。
それで、奇跡で助かった学校は、90何%助かったというのを、この間言っていましたが、今度は70何%死んだ学校もあるわけです。大方死んだ学校と大分助かった学校とがあるわけで、それは何かといったら、子供の自律性ということはもちろんありますけれども、あの大方死んだ学校は、教頭先生の自律性というものが欠けていたということが一番大きい要因だと私は思います。運動場へ皆を出して整列させて点呼した。
あの「釜石の奇跡」と言われた群馬大学の片田敏孝教授による子供たちへの防災教育についてのDVDを、私はこの春、十回近く鑑賞しました。前代未聞の大地震、大津波の三・一一の大災害の中で、釜石市も死者、行方不明者が千人を超えました。その中で、市内の小中学生の九九・八%、二千九百二十一人が津波から逃れ、生命を守ったというこの事実は、いかに防災教育が重要であるかをまざまざと教えてくれています。
トップに立って指示をする者がいなくて、あのようなことになったわけですが、指示がよくて、奇跡的にも全員助かったという学校もあるわけです。その一方で、指示がないものだから、こうやって死んだというところもある。だからそういうことを念頭に置いて人事をしたかということを私は聞いているのです。 それで、静岡県ではどういうことをしているかといったら、学校から25キロ以内に住むことを規定しているのです。
「釜石の奇跡」と呼ばれているそうですが、小中学生3,000人が学校の管理下において無事であった。小学校の惨状を見るにつけて、本当によく無事であったと感心もしたのですけれども、お聞きすれば、やはり徹底した防災教育に取り組んできたのだということです。釜石市でも大きな被害がありましたから、そのことを誇らしげとは言えませんでしたけれども、やはり着実な成果を実感させられたところです。