千葉県議会 2020-06-04 令和2年6月定例会(第4日目) 本文
今春卒業した児童生徒の皆さんには、いつの日か2020年を乗り越えたきずなを確かめ合う感謝の式として、先生方と集いの奇跡を起こしてほしいものです。 新年度4月、子供たちのために、管理職を初め教職員の皆様、そしてかなめの養護教諭の皆さんが大奮闘していました。教職に憧れてやっとつかんだこの道も、学校休校で初任者の前には子供たちはいませんでした。
今春卒業した児童生徒の皆さんには、いつの日か2020年を乗り越えたきずなを確かめ合う感謝の式として、先生方と集いの奇跡を起こしてほしいものです。 新年度4月、子供たちのために、管理職を初め教職員の皆様、そしてかなめの養護教諭の皆さんが大奮闘していました。教職に憧れてやっとつかんだこの道も、学校休校で初任者の前には子供たちはいませんでした。
たまたま今回、人がいなかった、人的被害がなかったというのは本当に奇跡だなと感じましたし、二度と起こさないためにどうすべきかというところで、埋立地カルテの提案については研究いただけるということで、ちょっと随分手前かなと思いますけれども、ぜひ進めていっていただきたいと思います。
市道を長さ約61メートル、幅約47メートル、厚さ約5メートルにわたり埋め尽くし、人的被害がなかったことが奇跡のような事故であります。現場へ行きますと、道路との境に矢板が打たれており、現地での説明によりますと、今回ではなく1つ前の台風の際に、既に土砂が流出し始めており、そのために打ったとのことでありました。
しかし、水素爆発が起き天井が吹き飛び、そこからキリンと言われる消防ホースで冷却がなされ、また、たまたま原子炉圧力容器に水が張ってあって、その水がプールに堰を越えて流れ込んだりし、まさに奇跡のうちに冷却がなされ助かったのです。この過程を私たちは、何回も何十回も何百回も繰り返し、この奇跡を見詰め、原発の危うさを自覚すべきです。
これは西原村の奇跡と言われ、新聞でも大きく取り上げられております。この要因として挙げられていたのが訓練と自助・共助精神の育成であります。震災現場では訓練以上の対応は期待できないという認識のもと、繰り返し実践的な訓練が行われていたとのことであります。
まさにその奇跡に深く感動して帰ってまいりました。 だからこそ、本県で交流をした台湾の学生たちには、その体験をもとに千葉県のファンとなっていただき、次は観光客として、また本県へ訪れていただけるよう、我々も努力をする必要があると考えます。 私は、知事のトップセールスから始まった訪日教育旅行の誘致活動は、これからも継続して取り組んでほしいと思っています。
多くの人の生活の場、憩いの場となり、漁業を支える広大な干潟が、今も全く手つかずのまま、都心からわずか1時間ほどのところに残されているのは奇跡にも等しいものだと思います。こうした貴重な自然環境は、一度失われたら二度とよみがえらせることはできません。千葉県が率先して保護するべきだと思いますが、どうでしょうか。 そのためにも、ラムサール条約への登録を進めるべきだと考えますが、お答えください。
原っぱと俗に呼ばれていたところがありまして、分譲予定地でそれなりの造成されましたが、ずっと買い手がつかずにそのままになってて、草などが生えて野生生物がいろいろすみついて、要するに自然が復活したような、そういう状況であったところがあって、あの辺はそうふけっぱらと呼ばれていたところで、その一角については、夜間カメラか何かで撮影をして調査をしたらキツネが写ってたというので、それ以来、キツネの原っぱとか、奇跡
人的被害がなかったということは、これは奇跡に近い、全くの偶然であります。現在は依然として全面通行どめとなっており、地元の方はもちろんのこと、多くの方が不便を感じていることと思います。 このような中、現在、安全に復旧工事が進んでいると伺っておりますけれども、今後は、この教訓を生かして、一層安全な工事に進めていただきたいと思うところであります。 そこで伺います。
◯田村耕作委員 これも今さら言うまでもない、皆さんも御存じかと思いますけれども、いわゆる釜石の奇跡と呼ばれたこの群馬大学の片田教授の取り組みでも、本当に近隣の幼稚園、保育園の幼子を中学生が、または小学生をおぶって逃げたなんてあります。
東日本大震災では、日ごろから津波避難訓練を行っていた岩手県釜石市の中学生たちが、率先して地域の人たちに避難を呼びかけた結果、住民の多くが命を落とさずに済んだ釜石の奇跡と言われた事例がありました。このことは、自助、共助がいかに大切かということを物語っており、昨年11月の長野県北部地震でも、地域コミュニティーがしっかり機能し、1人の犠牲者も出さなかった白馬村の事例が実証しています。
そうしましたら、きょうとめられたのは奇跡ですとの言葉が返ってきたそうです。なぜ健常者が障害者用等の駐車場にとめてしまうのか。あいているので抵抗がない、近くて広くて便利、表示プレートがあるので意図的に利用、おりるときにおもむろに表示プレートを出す方もいらっしゃったと聞いています。
最後に、千葉ニュータウンで、いわゆる奇跡の原っぱと呼ばれてるところについてですけれども、ニュータウンの北総線の印西牧の原駅の北西方向ですね。約50ヘクタールの土地で、割と緑豊かな、相当緑豊かなところで、キツネなども確認をされたというところですが、ここをめぐって住民の皆さん方の中からも、残してもらいたいと、ああいう自然が残ってるほうが土地全体の価値を上げることになるっていうふうにおっしゃってます。
全国各地では、災害文化の継承を担う高校生や大学生の中に、災害ボランティアに参加をしたり、災害に対応する力を身につける研修会が開かれるなどの動きが見られ、また、岩手県釜石市のように古くから伝わる津波てんでんこの文化をさらに現代によみがえらせ、釜石の奇跡を起こしたことに習い、徹底した教育も進められ始めたと聞いております。 そこで質問いたします。
釜石の奇跡と呼ばれる結果を得たのは、被害想定は過信するなという防災教育でありました。東日本大震災の教訓を踏まえ、大規模災害時に県内で甚大な被害が発生した場合においては、救援部隊や物資の円滑な受け入れ体制、医療救護活動、ボランティア活動など、広域的かつ効果的に支援を受けることが必要であります。
あと、これは台風30号のときの被害報告である新聞記事なんですけども、レイテ島のレイテの奇跡の集落っていうので、1万7,000人が住んでるドュラグという町が、この首長、町長さんが、台風上陸前に4時間かけて集落を回って説得して、国の法律を根拠に強制的に全住民を高台に避難させた。1人も死ななかった。
さて、前回、1964年の東京オリンピックは、高度経済成長の真っただ中で行われ、戦後20年足らずでの我が国の奇跡の復興が世界に驚きを持って迎えられ、次代を担う若者に夢と希望を与えました。
その後、三陸鉄道大船渡線にてBRT、被災した線路敷をバス専用路線として利用する代替交通を視察、次の陸前高田市では奇跡の一本松跡地を視察、いまだにかさ上げ用の盛り土以外は何もありませんでした。そして最後の視察地、宮城県気仙沼市では、打ち上げられたままの大型船「第18共徳丸」の前で被災者の方々に手を合わせ、御冥福をお祈りいたしました。 総じて感じたことは、交通の便の悪さと人がいないことであります。
1,000人を超す死者、行方不明者が出たこの地域で、児童・生徒の犠牲は5名、99.8%の生存率は釜石の奇跡として新聞などで紹介されたところです。
これがもし阪神・淡路のような午前5時46分だったら、どうだったのだろうということを考えますと、恐らく4倍、5倍、6倍ぐらいの方がもしかしたらお亡くなりになっていたのではないかと思いますし、それに、あの地獄絵図のような、あの悲惨な状況の中で唯一救いだったのがいわゆる釜石の奇跡でございました。