岡山県議会 2023-06-27 06月27日-06号
西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬の名前を聞くと、関係の地域のイメージが湧いてきます。そうした歴史上の人物を通して、その地を旅してみたい気持ちにもなります。 そして、少し前のことです。 甲府市を訪ねました。武田信玄の躑躅ヶ崎館に立って説明を受けると、甲府の地の地理的や地形上等の特殊性を知り、なぜ信玄は地元の方から信玄公と呼ばれているのかが分かりました。 本県の場合、どうでしょうか。
西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬の名前を聞くと、関係の地域のイメージが湧いてきます。そうした歴史上の人物を通して、その地を旅してみたい気持ちにもなります。 そして、少し前のことです。 甲府市を訪ねました。武田信玄の躑躅ヶ崎館に立って説明を受けると、甲府の地の地理的や地形上等の特殊性を知り、なぜ信玄は地元の方から信玄公と呼ばれているのかが分かりました。 本県の場合、どうでしょうか。
一日ずれていたら、私は一時間ぐらい坂本龍馬の話をしたかったなと。昨日が坂本龍馬の誕生日であり、命日なんですね。私が坂本龍馬を好きな本当の理由は何かというと、先ほど木村委員が言われたように会いに行ったと、突然会いに行って話を聞いてきたという話をされました。私はそこに「おっ」ときたんですね。要は、私にとって龍馬の魅力というのは人に会いに行くということなんですね。つまり、人と会って、そして、話を聞く。
本県は、幕末から明治維新前後にかけて全国的にも名立たる偉人、例えば坂本龍馬や武市半平太、岩崎弥太郎だけでなく、多くの偉人を輩出しています。そうであるにもかかわらず、本県の場合、本県出身の偉人や史跡をもっと身近に感じられる紹介の場面が山口県に比べ少ないように感じました。
私は歴史が好きで、学生時代、坂本龍馬が大好きで、本当に三度の飯よりも龍馬が大好きでした。びっくりするぐらい好きで、一生恋人ができなくていいから坂本龍馬に会いたいと思って、毎日座禅を組んでいました。そういうちょっと変わったような青春時代を過ごしてまいりました。
そこで、方向を変えて、高知県にあるもので、四万十川の自然とかおいしいカツオのたたきとかひろめ市場、坂本龍馬、それ以外にも、高知県の人々が一生懸命になってお客さんをもてなすことに変わっていったんです。まち全体が明朗会計になってきました。領収書が大きくなって、明細がきちっと書かれるようなまちに変わっていきました。
これまで高知県のイメージというのは酒とカツオと坂本龍馬といったところではございますが、それに併せて花をめでるというそのぬくもりのある人間も高知にもいるんだよということをアピールできれば、さらなる高知県のイメージアップにもつながろうかと思います。
確かに坂本龍馬の人気に加え、国民的スター福山雅治さんが演じられたことも相まってのことだと思いますが、牧野富太郎博士は世界的な植物学者でもありますので、さらなるインバウンド需要も見込めるのではないでしょうか。また、牧野博士が植物を採取した場所は仁淀川流域をはじめ高知県内全域に及んでおり、各地に集客が見込めると思われます。
現在、県内の博物館施設のうち県立の文化施設におきましては、歴史民俗資料館、坂本龍馬記念館、高知城歴史博物館、美術館、文学館の5つの施設で38名の学芸員の方々が勤務されています。それぞれ資料の収集、保管、展示及び調査研究など多岐にわたる専門的業務に携わっておられ、その長期的な視点に立った育成は大変重要であると考えております。
四国出身ということもあって、気持ちは坂本龍馬なのですが、顔を見ていただくと、龍馬というよりは西郷どんではないかとよく言われます。この西郷どんの吉田、お役に立てればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 それでは、お手元の資料を御覧ください。タイトルにあります「にぎやかそ」ですが、これは、にぎやかな過疎というものを言葉遊びしてつくったものです。
台湾の民主化に汗をかかれた李登輝氏は坂本龍馬の大ファンであり、生前は高知にも足を運んでくださいました。また、東日本大震災をはじめとして日本が自然災害に見舞われた際には、台湾より本当に感謝し切れないほどの御支援をいただいております。そして、かつては日本の一部であったことから、台湾で生まれ育ったという方も県下にいらっしゃいます。
振り返って、県議会が行政の政策をリードした事例として思い起こすのは、桂浜にある高知県立坂本龍馬記念館リニューアルの経緯です。平成30年に博物館機能を備えた新館がオープンしました。
総理大臣に徳川家康、経済産業大臣に織田信長、財務大臣に豊臣秀吉、内閣官房長官に坂本龍馬を抜擢したフィクションであります。大命題は、「コロナという予測不能な事態を収束させ、地に堕ちた政府の信頼を取り戻す」。時代の荒波をくぐり抜けてきたメンバーによる冷徹かつスピーディーで鷹揚な対策と発信力の強さなどは、国民の信頼を取り戻すに値するものでありました。
祖父は旧薩摩藩士吉井友実で、坂本龍馬とも交流があったことで知られます。余談ですが、私がさきに述べた薩土盟約と並ぶ重要な薩摩と土佐の同盟である薩土討幕の密約に関して、西郷隆盛、小松帯刀と共に薩摩側として参加し、土佐藩の板垣退助、中岡慎太郎、谷干城と討幕について会談したのが吉井勇の祖父友実です。
大阪経済界の近代化に尽力した五代友厚氏が主人公で、坂本龍馬、岩崎弥太郎の両雄も登場いたします。 この映画のプロモーションを大阪観光局も担っておりましたので、感染拡大により急遽中止となりましたものの、大阪中心部での関連のPRイベントに、協定を結んだ御縁で本県観光のPRブース出展を準備しておりました。
李登輝元総統は、氏が尊敬していると公言されておられた坂本龍馬の研究なども通じて、我が高知県とも縁が深く、2009年には本県を訪れ、当時の尾崎知事のアテンドで桂浜などを散策、龍馬に関する講演を日本語で行うなど、県民に強い印象を残されたところであります。
氏は、大の親日家、坂本龍馬ファンで、高知にもお越しになられたことがございます。22歳まで日本人であり、戦前の日本式教育によって日本人精神を宿すことができたから今の私があるという趣旨のことをおっしゃられております。氏は、戦後教育による日本人の精神的退行を大変残念に思われておりました。 私も、過去を学び、知れば知るほど、戦後失われたものの大きさに残念な思いがしてなりません。
また、桂浜の坂本龍馬、仙台城跡の伊達政宗などの銅像は、偉人を取り巻く歴史ストーリーが感じられる場所に建てられることとあいまって、銅像を訪ねること自体が観光資源となっています。 銅像を建てるに際しては、設置の趣旨や必要性、設置場所、設置主体、クラウドファンディングを含めた資金調達方法などを検討する必要があります。
維新を達成した坂本龍馬さんの名言に、「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」という言葉があります。様々な道に挑戦をし続け、大阪という大きな船を前に進めていくことを願って、私の質問を終えます。御清聴、誠にありがとうございました。 ○副議長(しかた松男君) この際、休憩いたします。
その中で、欧米列強からの植民地政策から免れ、士農工商の身分制度を撤廃し、自由で独立した新しい国の形をつくろうとしたのが、土佐藩の下士だった坂本龍馬などの多くの志士であり、彼らは、倒幕と明治維新に強く関与し、近代国家の礎となりました。 コロナウイルス感染拡大を防ぐため、四月十六日に全国に緊急事態宣言が出され、都道府県の対応をめぐって各知事のマスコミへの露出が高まりました。
関あじ、関さばはもちろんのこと、勝海舟や坂本龍馬が上陸し、宿泊した徳応寺、ウミネコ営巣地の南限、ビロウ樹自生の北限としてキャンプ場の価値を高めていけるであろう高島、日本の渚100選に選ばれた黒ヶ浜、そして何よりもすばらしい瀬戸内海の眺望と山の景色など、大分市において他に例を見ない貴重なものです。