鹿児島県議会 2024-03-15 2024-03-15 令和6年産業経済委員会 本文
128 ◯鶴薗委員 今、国でも議論が進められ、先般、農業新聞等にも一面に基本法の改正案なるものが紹介されていましたが、私ども県議会の中で、平成十五年から、それこそかごしま食と農の県民条例という作業を取り組んで、足かけ約二年かけていろいろな団体の皆さん方とも意見交換したり、あるいは当時、新しく就任された伊藤知事がちょうど就任当時でしたけど、知事の公約の食と
128 ◯鶴薗委員 今、国でも議論が進められ、先般、農業新聞等にも一面に基本法の改正案なるものが紹介されていましたが、私ども県議会の中で、平成十五年から、それこそかごしま食と農の県民条例という作業を取り組んで、足かけ約二年かけていろいろな団体の皆さん方とも意見交換したり、あるいは当時、新しく就任された伊藤知事がちょうど就任当時でしたけど、知事の公約の食と
鹿児島市の市電延伸について、伊藤知事のときには市電を中に入れるのは絶対に駄目だということでおっしゃっていて、その後、市電を中に入れていいよという話になって、いろいろ歴史がありますよね。結局、市も造ろうとしても駄目と言われたら困るというのがあって、なかなかできないのもあるわけですね。やはり市との連携というのが一番大事だなと思っております。 先ほど経済波及効果の話がありました。
伊藤知事、三反園知事、塩田知事と三代にわたり、体育館建設、ドルフィンポート跡地の活用につきまして論争が迷走してきました。この原因の根本は、港湾計画の改訂なしに施設づくりが計画されてきたからではないでしょうか。体育館建設やドルフィンポート跡地の活用という、虫の目で見た点でしか議論がされず、港湾計画の後背地まで含めた改訂、鹿児島県の将来のあるべき姿を見る、鳥の目の視点が欠けていると感じます。
そのような中で、この十年後の将来像を見据えて、どのような組織体制をつくっていくのかということを具体的にお示しをいただきたいということと、これまで、伊藤知事のときには、技術職を減らして総合職ということで、職員を採用しつつも、職員数の削減がずっと行われてきました。その結果として現場の技術職員が実際少なくなっているのは事実なわけですよね。
そうした中で、皆さん忘れているかと思いますが、八年ぐらい前の伊藤知事の時代にあの場所に同様な体育館、商業施設を造るというスーパーアリーナ構想で、リコール運動があって、結局、リコール自体は署名数が足りなくて頓挫したわけでありますが、政治的な騒動みたいなのがあった。
それが、時代の風潮から、伊藤知事の時代あたりからちょっと変えて、機構改革も含めて五つの振興局と二支庁に分かれてくるわけです。 そういう中で、今度はまた知事が替わって、かごしま未来創造ビジョンをつくっていかれるわけです。 この前もビジョンの説明会がありました。
次に、平成十七年、伊藤知事のときのことです。スカイマークエアラインズの鹿児島・東京路線の突然の撤退発表に対して、記者会見で言語道断と言ったことに対して、私はこの議場で「それは言い過ぎだ」と言ったら、むかっときたようで、じっとにらまれました。
さて、伊藤知事は、何も言わずとも分かるだろうと錯覚を起こしておられました。しかしながら、職員にもある程度の支持を受けておられました。一方、三反園知事は、パフォーマンスは一流であったと思われますが、職員には理解してもらえませんでした。塩田知事は、職員に絶大なる信用があります。答弁を聞いていても滑らかでスムーズな答弁に徹しておられますが、何かが足りないと感じているのは私だけではないと思います。
そして、伊藤知事のときにこういうことがあった。それこそ県内のどこかにと、我々は手を挙げて霧島市だけでも七万幾らの署名を集めたんですよ。鹿児島市はまだ集めていないんじゃないですか。そういう中で、我々は利用されたわけです。その数が多ければ実現するんじゃないかと思っていた。そして、商工会議所やら目の色を変えて、建設業界も、七万幾ら集めたんですよ。鹿屋も恐らく集めた。
次に土屋知事、そして順を追って次々と替わられましたけれども、須賀知事、そして伊藤知事、三反園知事、塩田知事で、六人目の知事と議会人として向き合っていく、そういう状況になっております。一人一人当時の思い出を話しますと質問の時間が迫ってまいりますけれども、その辺は要約しながら通告に従って質問しますので、どうぞ御容赦いただきたいと思います。 鎌田知事のときには、市農協の問題がありました。
二〇一〇年─平成二十二年─四月に設置された検討委員会は、学識経験者や農家代表、各種団体代表などから構成され、五回の検討会と二回の現地調査、そして県民の意見─パブコメ─などを経て、同年十二月、提言書を当時の伊藤知事に提出しています。
新たな行財政運営の指針策定についてでありますが、現行の行財政運営指針は平成二十三年に伊藤知事の下で策定され、これまで、県政運営の基本指針として着実な成果を果たしてきたと考えております。 ただいま知事から、新たな指針策定に向けた基本的考え方が示されました。
前の伊藤知事が就任されたときに、禁じ手と言われていた人件費、職員数の削減しなければならないような事態に陥っていたということがありました。やはり有能な頭脳集団である県職員は県民の財産なわけですよね、そういうところを削減していくというのは私はおかしいだろうと思っています。
しかし、知事が伊藤知事に替わり、さきに触れた浜町の営林署跡にヘリポートが整備され、現在のドクターヘリの基地ヘリポートとなっております。ヘリポートが整備された際、当時の執行部からは、あのときはできなかったのですとの説明でした。 知事はじめ執行部の皆さん、皆さんは知事や部長、局長になられたことが最終目標ではないはずです。
そもそもは何度も言うように、伊藤知事時代のドルフィンポート、スーパーアリーナ構想からスタートして、三反園県政の工業試験場、県庁東側、農業試験場、この四か所があった。それが塩田県政に替わって県全体に広がった中の百五十か所と答えられた。これをどういうふうにして絞っていくかというのが大事。もちろん委員の方々には百五十か所お見せするということですか。
50 ◯柳 誠子君 二〇一一年十一月二十一日、当時の伊藤知事は防衛省に出向いて、「地域住民の意向が最も重要。現状を踏まえると地元の理解が到底得られる状況にない」と、直接防衛大臣に移転断念の要請書を手渡しています。
新たな総合体育館の整備につきましては、伊藤知事の時代に県庁東側で検討が進み、MBCと土地協議を行っておりましたが、協議を中断し、ドルフィンポートへスーパーアリーナを整備する意向を知事が表明したことにより、鹿児島市議会や鹿児島市長から丁寧かつ慎重な対応を求める要請がなされるとともに、南日本新聞が実施した世論調査で反対が五〇%を上回ったことなどから、見直しを余儀なくされました。
このことは、歴代の伊藤知事に平成二十五年の第三回定例会、三反園知事にちょうど一年前に当たる令和元年第四回定例会で、それぞれに一般質問で取り上げてお尋ねしてきました。 今回、塩田知事が御就任後、私にとっては初めての一般質問でありますので、改めてお聞きしたいと思います。
過去の議論で伊藤知事時代の検討委員会が県庁東側に一応選定していたんですが、急遽、本港区のほうに移った経緯とか、また、今回の西口から変わったという経緯等いろいろ踏まえまして、今回はぜひ丁寧に、知事がおっしゃっているように、いろいろな手続等を透明化して、県民に分かりやすく、そして二転三転しないような形で丁寧に積み上げていっていただきたいと思っております。
伊藤知事時代に方針が決められ、退職不補充の後、民間委託か非常勤しか認められなくなり、現業職員自体も諦め感が蔓延しています。しかし、現場は困っていくのです。結果、県民にしわ寄せが行くのです。 なぜ現業全廃なのか、現場は現業がいなくてもいいのか、決定のプロセスは不透明でした。各地域振興局がつくられたときもトップダウンでした。