埼玉県議会 2012-02-01 02月27日-03号
また、具体的には歴史の取扱いとして伊藤博文への評価を朝鮮側から見た歴史観と日本側から見た英雄であるという歴史観も授業で取り扱っていたとも聞いております。事実だとすれば、一歩前進のようには見えますが、まだまだ授業内容についてはしっかりと見極めていかなければなりません。
また、具体的には歴史の取扱いとして伊藤博文への評価を朝鮮側から見た歴史観と日本側から見た英雄であるという歴史観も授業で取り扱っていたとも聞いております。事実だとすれば、一歩前進のようには見えますが、まだまだ授業内容についてはしっかりと見極めていかなければなりません。
先月の新聞記事によりますと、歴史教科書について、埼玉県の上田清司知事は、来年度から使用される教科書の選定作業が各地の教育委員会で大詰めを迎えていることに絡み、歴史教育に誇りを持てないような中身になっていることを憂い、「間違っても、『伊藤博文射殺』と書いている教科書を選んではいけない。日本国の英雄を日本人自身が『射殺』と書いて一体どうするんだ」というようなことでありました。
徳川幕府の末期から明治にかけて、大きな外圧の中で薩摩や長州などが明治維新の主役となり、特に世界から日本を見てきた大久保利通や伊藤博文などが維新政府の中軸を担ってきたことは、御承知のとおりであります。現在の日本においても、当時と同様に地方と人材が、これからの日本の再生の鍵ではないか、このように私は思っているところです。
そのことが教育水準の高さと底辺を広げ、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文といったすばらしい人材を輩出させ、山口県は明治維新を推進する中心的存在となりました。 しかし、近年、山口県における子供たちの学力の低迷には、失望せざるを得ません。 私は二十七年間、青少年教育に携わってまいりましたが、ここ数年、子供たちの変化に戸惑いを感じています。
育鵬社の教科書には、我が郷土の偉人である吉田松陰先生や伊藤博文公が、特出しコラムで紹介され、安倍晋三内閣が新教育基本法を改正されたことまで記述されており、まさしく我が県の将来を担うべき子供たちが学ぶ教科書として最適であると確信をするところであります。
勝海舟は、明治二十九年五月、倒れる直前の第二次伊藤博文内閣に引導を渡す際にこう語ったという記事がありました。記事の下段には、震災発生間もない三月中旬、民主党幹部が首相に、歴代首相経験者を回って知恵を請い、協力を仰ぐべきだと進言したところ、今さらおれが頭を下げるのか、小泉、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎なんかに知恵をかりたいと言わなきゃならないのかと、首相はこう言い放ったとありました。
私は、高校生の頃に政治家を志したんですが、その当時、竜馬のような柔軟な発想力や行動力、あるいは西郷のような私心を全く持たない心構え、あるいは大久保利通や伊藤博文のように国家形成への不屈の精神、もだえるような思い、そういうものにあこがれはしましたけれども到底及ぶものではないというふうに思っておりました。
坂本龍馬や伊藤博文を初めとする幕末の志士たちや明治の元勲たちは、坂の上の雲を目指し、欧米から貪欲に知識や技術を学び、近代国家の礎を築きました。そして、海外で得た技術に改良を重ね、今は技術大国、経済大国となりました。
そういった中で、日米韓が共同してという議論もありますが、その韓国でさえ、軍艦とか潜水艦に、例えば李舜臣の名前をつけたり、伊藤博文を殺害した安重根の名前がつけられた潜水艦があったり、あるいは駆逐艦で独島──竹島という名前をつけた船があったりで、我が国は余りにも平和ぼけのままいっているのではないかというふうな気がいたしてならないわけであります。
また、私の住む光市は、初代内閣総理大臣伊藤博文公生誕の地であり、市民の誇りとするものであります。 「人材県、山口県」という言葉の中で、県民が誇りに、そして、夢に思う人材を過去も未来も輩出し得る力を防長教育に県民は求め、希望しているのであります。
それが誤解されて、後の伊藤博文たちが併合して、それを西郷と江藤に押しつけた形になっているじゃありませんか。あんな人道的な江藤が韓国に兵を出せなんて言うはずないし、繰り返しますが、勝海舟との江戸城の無血開城を成功させた西郷隆盛が自信があったんだと思いますね。韓国に行って韓国に交渉したらうまくいくと。そのときの西郷の文章が残ってますね、お手紙が、自分を行かせてほしいと、丸腰で刀を下げずに一人で。
伊藤博文は初代の総理大臣ではなくて、韓国侵略の張本人。暗殺をされて当たり前だという書き方なんですよ。もっとひどいのは、あの吉田松陰について、安政の大獄で処刑されたという記述しかないんですよ。明治維新への功績がないんですよ。一言も触れてない。聖徳太子に至っては、聖徳太子という言葉使ってない。厩戸皇子という記述なんですよ。驚かないですか。
また、旧久保田家住宅と伊藤博文別邸という歴史ある建物を活用した萩焼、赤間硯、大内塗の展示や、旧萩商業高校や田町商店街での工芸品製作体験や物産フェア、ステージイベントなど、まさに、親子そろって、維新の地である萩まちじゅうで伝統のわざにじかにふれあい、楽しむことのできるすばらしいイベント企画となっており、私も期待感を持って待ち望んでいるところであります。
幕末から明治にかけて郷土の偉人、渋沢栄一や若き日の伊藤博文や井上馨をはじめ、長州の五傑と言われるような人たち、たくさんの若者がアメリカに、あるいはヨーロッパに渡り、近代国家日本を築いてきました。当時六歳の津田梅子もいました。そういう国でもありました。これからも日本の将来を考えると、国際社会における日本の存在感や競争力を維持していくには、国際社会で活躍できるグローバルな人材なしには考えられません。
昔、自分たちが受験生だったとき、伊藤博文から順番に一生懸命覚えたのを思い出しながら聞いておりました。(「言ってみて」と呼ぶ者あり)伊藤、黒田、山縣、松方、伊藤、松方、伊藤と続きます。これから後、次の衆議院議員選挙までにあと何人、受験生の人が覚えなきゃいけないのか、それを心配しながら質問に入りたいというふうに思います。 最初に、本県の農林水産業の振興についてお尋ねいたします。
今、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」でやっておりますが、例えば坂本龍馬とか桂小五郎とか、岩崎弥太郎とか、また明治維新では西郷隆盛、伊藤博文、大久保利通とか、あと戦国の武将で言えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信、武田信玄、直江兼続とか、世界の思想家で言えばソクラテスとか釈迦とか孔子とか、そういう郷土の偉人や世界の歴史上の人物を道徳教育で学ぶことについてどう考えているか、教育長にお伺いいたします。
私は、学生のころ、大分出身の林房雄の長編小説「青年」というのを読んで、下関攻撃に向かう米、英、蘭、仏、四つ、連合艦隊が姫島沖に停泊をして、その間、伊藤博文や井上馨が調停交渉に奔走したということを知りました。 今また、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」、これによって、この大分が明治維新で大変大事な舞台であったというようなことを再認識させられています。
初代内閣総理大臣伊藤博文公生誕の地光市より議席をいただいております、自由民主党の河野亨でございます。 今年は、伊藤博文公没後百年の年となります。また、吉田松陰先生没後百五十年、加えて、小説吉田学校で吉田茂先生を熱演されました森繁久弥さんもお亡くなりになられました。そんな年に、自由民主党も政権を失ってしまいました。
ことしは、光市束荷の出身で初代内閣総理大臣伊藤博文公の没後百年に当たり、地元光市では、さまざまな記念行事が開催されております。伊藤公は、内閣制度の確立、憲法起草、政党内閣の誕生など、近代日本の骨格をつくり上げられ、憲政の父として偉業が今なおたたえられております。郷土の誇りである伊藤公が残された、「人は誠実でなければ何事も成就しない。
1909年は伊藤博文が暗殺された年でありました。