熊本県議会 2045-06-01 06月12日-03号
その他、氷川については中小河川改修事業で、老朽化しました堤防、護岸の補強に努めており、今後とも危険個所の早期解消を図ってまいりたいと考えております。 次に、坂本村地内の県道中津道八代線でございますが、本路線は、御承知のとおり球磨川と国鉄肥薩線にはさまれました地形的に非常に厳しい条件の個所が多いわけでございます。したがいまして建設費が高くなっております。
その他、氷川については中小河川改修事業で、老朽化しました堤防、護岸の補強に努めており、今後とも危険個所の早期解消を図ってまいりたいと考えております。 次に、坂本村地内の県道中津道八代線でございますが、本路線は、御承知のとおり球磨川と国鉄肥薩線にはさまれました地形的に非常に厳しい条件の個所が多いわけでございます。したがいまして建設費が高くなっております。
昭和41年に国の中小河川改修事業採択を契機に本格的な治水事業が開始され、昭和46年に放水路の開削工事に着工し、昭和51年に概成しました。その後も広域基幹河川改修事業として、香宗川上流部及び支川山北川の築堤及び断面拡幅を実施し、平成19年に改修事業は完了しました。その結果、近年は大規模な浸水被害は発生しておりませんが、依然として内水氾濫等による浸水被害が発生している現状であります。
県が管轄する二級河川音羽川、白川においては、昭和五十三年より中小河川改修事業として本格的な改修が始まり、その後、昭和六十一年に音羽川水系工事実施基本計画、平成十六年に二級河川音羽川水系河川整備計画が定められ、改修を行っているところであります。
この県が施工します約四キロメートルの区間のうち、下久須橋から県道多久牛津線、西川橋下流までの約一・四キロメートルの区間につきましては、中小河川改修事業や平成二年の災害を受けて採択されました河川激甚災害対策特別緊急事業により、平成九年度に河川改修を完了しているところでございます。
県においては昭和48年に各種の調査を実施され、昭和49年度から長命寺川中小河川改修事業として着手され、昭和52年には旧八日市土木事務所に蛇砂川改修工事課を設置され、積極的な取り組みをいただいているところでございますが、近江八幡市と東近江市の境界近くに位置いたします童子が原地区におきましては用地買収が進んでいないところがございます。
昭和四十三年度から、中小河川改修事業として着手し、河口から順次掘削、引堤並びに護岸の整備を行い、現在、広域河川改修事業にて河口から約三・七キロメートル、上流付近において整備を進めています。一方、未改修区間では、近年発生した大規模洪水である平成十六年十月の台風二十三号による出水に対し、流下能力が不足しており、昨年の台風等により護岸崩落などの被害が多発しました。
今のような昭和28年の大水害、地元で28水と言っていますけれども、これをきっかけにして、昭和32年から平成10年まで、中小河川改修事業で河口部の南北流の分流工事を行い、それより上流約2.4キロメートル区間の引提工事なども行っております。その結果、昭和28年当時に比べ、下流部の天井川区間においては約2倍の流量が流せるようになりました。
中小河川改修事業について説明をいたします。 まず、1番目の広域河川改修事業についてでございますが、県管理河川において、一定の計画に基づき施行する改良工事で、その総事業費が10億円以上の事業規模の大きい事業でございます。朝酌川ほか9河川で事業を実施します。
ダムについては廃止だけれども河川改修、いわゆる事業で言うと中小河川改修事業と言うんですか、そういう2つの分け方でやってありまして、ですからその部分を生かすために全体計画はまだ続いている。進めることによって河川改修事業が継続してやっていけるという、そういう便宜的な捉え方をしておったんです。
八尾川につきましては、これまでも平成3年、平成5年と大変大きな被害を受けており、このため平成5年から中小河川改修事業に着手し、最下流部における第2放水路の開削や川幅の拡大、護岸の整備などを行い、現在、総合流域防災事業で整備を進めているところでございます。また、支川、銚子川においては、平成2年度に銚子ダムの建設に着手し、平成11年度に完成、平成12年4月から運用しているところでございます。
これは、1957年から実施された中小河川改修事業によって河川改修が進んだこと、1960年代以降、広瀬橋下流で河床が1メートルほど下がったことが大きいと言われています。 こうした状況も勘案しながら、計画規模100年の場合は、基本高水流量が3,200トン毎秒となりますが、計画規模50年の場合、基本高水流量は2,500トン毎秒となります。
福井市南西部を流れる江端川改修事業については、昭和40年代の台風や豪雨の大きな被害を踏まえて、昭和52年の中小河川改修事業で区間467メートルが改修されたのを皮切りに、現在までに3,100メートルの区間において改修が完了したところである。 しかしながら、江端川の必要な改修区域は12.1キロメートルにわたり、これをすべて改修するには数十年を要すると言われている。
しかし、建設省の河川砂防技術基準(案)は、それぞれの河川の状況に基づいていろいろな基準をつくっておりますが、芹川ぐらいの人口ではD級でよいという判断をしておりますし、実際、滋賀県は芹川における中小河川改修事業は、これまでも50年確率で対処してきたわけです。実際、芹川で大きなはんらんがこの間起こったということもございません。
本川である日光川については、昭和二十六年の中小河川改修事業による工事に着工して以来、今日まで営々と改修工事が続けられ、この間に伊勢湾台風復旧事業、高潮対策事業並びに昭和四十九年及び昭和五十一年災害の河川激甚災害対策特別緊急事業などで重点的な治水整備を進めてきたところであります。
こうした状況を理解され、河道内の掘り下げと護岸堤防の強化と、治水ダム建設をあわせた治水計画が立案され、昭和41年から62年にかけて、中小河川改修事業により河道改修が先駆けて行われました。しかし、治水を万全なものにする、肝心の治水ダムが40年経過しても建設着手できない状況では、治水安全度が低いため、常に溢水の危険性が高く、一たび被災すると、その災害ははかり知れないものが想定されます。
〔十一番 矢口貢男君登壇〕(拍手) ◆十一番(矢口貢男君) それでは、御指名をいただきましたので、ただいまより県管理の中小河川改修事業の促進について質問をさせていただきます。 質問に入ります前に、さきの議会冒頭で今期限りの勇退を表明されました梶原 拓知事、その四期十六年にわたる在任中の数々の御功績に対しまして、心よりの敬意と感謝の誠をささげたいと存じます。
実際、滋賀県は、芹川における中小河川改修事業はこれまでも50年確率でしてまいりました。この間、芹川で大きなはんらんなどは起こっておりません。この点からも、過大であることは明白ではないでしょうか。さらに、芹川の雨量には、明治29年の大豪雨が入っています。これは100年確率の枠をはるかに超える大豪雨であったことは明白です。そういう異質な豪雨を排除するのが妥当と考えますが、いかがですか。
安曇川では1953年、堤防が決壊し、13名が死亡する災害が発生し、57年より30年確率規模の中小河川改修事業をやってきました。通常30年確率でやっていながら100年確率のダム計画が出てくるのは、計画中にその計画規模を上回る激甚災害が発生したような場合ですが、安曇川ではそれ以後は本川の決壊は記録されていません。なぜ中小河川改修事業の30年確率を100年確率に上げたのか、問います。
このため、昭和五十八年度から中小河川改修事業により計画的に河川改修を進め、特に平成二年度の災害を契機としまして、激甚災害対策特別緊急事業により、門前橋から西川橋下流までの約一・二キロにつきまして緊急的に河川改修を実施したところでございます。その後、西川橋改築に当たって地元調整が難航し、平成十年度より事業が休止し、現在に至っております。
鳴瀬川の部分の県管理区間の加美郡内においては、昭和二十一年から中小河川改修事業として河川改修を実施してまいりまして、田川などの支川も含めて、平成八年度におおむね中小河川改修事業というものは完成いたしました。 また、その間、鳴瀬川本川の上流に、県施行の漆沢ダムが昭和五十五年に完成いたしました。