東京都議会 2019-12-11 2019-12-11 令和元年第4回定例会(第20号) 本文
日本では、中国やベトナム、ネパール、韓国、その他アジアからの学生を中心に、留学生は約三十万人以上に上ります。東京でも多くの留学生が勉強しており、そのほとんどが私費留学生であり、日本の大学や大学院での学位取得を目指しています。将来、日本企業や母国の日系企業での就職を目指している方も多いと思われます。
日本では、中国やベトナム、ネパール、韓国、その他アジアからの学生を中心に、留学生は約三十万人以上に上ります。東京でも多くの留学生が勉強しており、そのほとんどが私費留学生であり、日本の大学や大学院での学位取得を目指しています。将来、日本企業や母国の日系企業での就職を目指している方も多いと思われます。
◯増田指導部長 都教育委員会は、社会貢献や国際協力の意識を身につけ、共生社会の実現を担う人材を育成することを目指して、本年八月、ボランティア推進校六校の代表生徒十七名をベトナムに派遣いたしました。
先週、ボランティア活動推進校の代表生徒十七名がベトナムに赴き、現地でのボランティアのほか、伝統文化やパラスポーツ等を通じました交流を体験いたしました。こうした取り組みを通じまして、豊かな国際感覚と社会貢献に必要な資質、能力を培ってまいります。 子供たちの健やかな成長のためには、居住の安定も欠かせません。
これはヤンゴンだけではなく、インドやベトナムなどのアジアの途上国での東京水道の取り組みについても、これは我が党がたびたび取り上げ積極的に後押しをしてまいりましたし、その実情を把握するため、現地視察などを行ってまいりました。 これらの途上国での取り組みも決して一朝一夕にできるわけではなく、事業実施までなし遂げられたわけではないと捉えております。
そしてベトナムの市場に行ったときはライギョやスッポンを売っていたんですが、やはりそこには独特のにおいがあって、人々の生活が息づいております。いろんなところで食べたフォーを覚えております。ここのフォーはこんな味がしたな、ここのフォーは──フォーばっかりなんですけれども、こんな味がしたなということを舌で覚えております。外国の方もそれを楽しみにしていると思います。
横田基地の始まりは、一九四〇年、陸軍の戦闘機のテスト飛行場にと建設され、戦後はアメリカ軍が接収し、朝鮮戦争、ベトナム戦争などのアメリカの戦争の拠点となってきました。そうした中、航空機騒音により多大な影響をこうむってきた住民の皆さんが、静かに眠れる夜、そして、被害の救済を求め、四十年にわたり幾度も裁判を起こしています。
昨年度は、外務省を通じまして、インドネシア・ジャカルタにある日本大使館とベトナム・ハノイの日本大使館、そして自治体国際化協会を通じましてニューヨーク事務所、ロンドン事務所、シンガポール事務所に職員を派遣しております。 ◯中山委員 派遣の状況について理解させていただいたところであります。
◯田中委員 派遣先はミャンマー、インド、タイ、ベトナムということですけれども、東京都水道局は、恐らく技術的には世界の中でも一番といわれるぐらい先行していて、そのために多くの国からニーズがあると思われますけれども、そもそも、なぜ東京都水道局は三十年近く前から職員の海外派遣をしてきたんでしょうか。
きめ細かなマーケティングによる誘致戦略の構築、ベトナムやインドネシアなど新規市場の開拓や個人旅行者の誘致を重視したプロモーションなどを進めてまいります。 戦略2は、MICE誘致の推進でございます。企業系の会議や研修旅行など、M、I、C、E、それぞれのターゲットに応じて誘致戦略を構築し、積極的な誘致プロモーションなどに取り組んでまいります。 戦略3は、魅力を高める観光資源の開発でございます。
今定例会の知事施政方針表明の最後の部分で、石原知事はベトナム戦争への取材をきっかけに政治家を志したこと、東西冷戦の終えんにより政治的対立軸が失われ、国際情勢が複雑化している中、日本の政治家が危機感を欠き利己的であるなど、将来の日本を案じていることなどが述べられております。 私が知事からこの内容を本会議場で伺ったのは初めてではなく、実は二回目であります。
私たちはこういうプリントがあれば、日本語ですから何が書いてあるかわかりますけれども、これがタガログ語だとかベトナム語だったりしたら、見えても全く読めないという状況なわけです。ですから、学習言語がわからないというのはそういう状況なわけですね。 夜の時間に、七時からなんですけれども、新宿区内で、ボランティアで、日本語指導が必要な児童生徒の勉強を見ているグループがありますので、先日お邪魔してみました。
知事は、ご自分の著書「国家なる幻影─わが政治への反回想」の中、ベトナムから政治への章に、ベトナムで農家の娘にとぎしてもらい、別れにご自分のブリーフを記念に上げた、とても喜ばれた、また、ベトナムで持った情事が何でこれほど官能的なのかと思えたのも、アオザイの手ざわりのせいだけでなく、ウイルスにむしばまれていた体が、周囲は戦場という状況の中でせつなせつなの反応をしていたからに違いないと、帰国後、肝炎で苦しまれたこととともに
これまでは、特に戦後、アメリカと友好関係を築く中で経済発展してきたということがあると思いますけれども、二十一世紀はまさにアジアの世紀と呼ばれて、ベトナムの労働力が日本にかなり入ってきていたり、あるいは中国に工場が出てきたり、インドなども今後は人口面で恐らく世界一になるだろうというようなこともいわれています。そのときに、アジアに嫌われる日本になってしまってはいけないんだろう。
◯山下参事 ダイオキシン類につきましては、一九六〇年代のベトナム戦争で使われました枯れ葉剤に不純物として含まれていたことが知られております。日本におきましては、一九八〇年ごろから、ごみ焼却炉からダイオキシン類が発生していることが一部の研究者に知られておりましたが、問題になったのは比較的最近のことでございます。
ご質問の平成十年度の国際協力事業の実績でございますが、各局からの報告を踏まえますと、まず、職員の派遣でございますが、JICA等との連携によりまして、自動車排気ガス対策ですとか消防技術指導、下水の汚泥処理等の分野で技術指導を行っておりまして、東京都全体で二十九件、四十一人の職員を、中国、タイ、フィリピン、ベトナム等十一カ国に派遣したところでございます。
日本における高濃度汚染地域の汚染の程度は、書物などによりますと、ベトナム戦争時などにも匹敵するものであるといわれていますが、違うのは、それが戦争でも事故でもなく、日々の生活や経済活動から発生したものであることと、危険性が明らかになった現在でも汚染が継続中だということがいわれています。
我々はベトナム戦争を経験している。共用化というのは、あれがもう一度来るかというふうにイメージとしてわかるというんだ。この概況調査は既成のいろいろなデータによってつくりましたと書いてありますけれども、私は率直にいって、非常に一面的な現状認識を生み出すものになっているのではないかというふうに思います。
昭和 十八年 兵役に再召集され、ベトナムで終戦を迎える。 昭和二十一年 復員し、高座に復帰する。 昭和二十二年 九代目「柳家小三治」を襲名し、真打ちに昇進する。 昭和二十五年 五代目「柳家小さん」を襲名する。 昭和三十七年 「粗忽長屋」で芸術祭賞奨励賞を受賞する。 昭和四十二年 「真二つ」(山田洋次作)で芸術祭賞奨励賞を受賞する。 昭和四十七年 社団法人落語協会会長を務める。
◯藤田委員 この毒性については、いわゆるベトナム戦争のときの枯れ葉剤作戦のところで副産物として出てきてしまったもの、これについてのいわゆる催奇形性毒性というところが大変大きな問題になってきたわけでありますけれども、実際には急性、慢性、発がん性、そして生殖、催奇形、免疫毒性というように多岐にわたっているわけでありますし、それから、すべてではなくて、今お話があったように、単一の動物種だけではなくて、生物種
そもそもダイオキシンの危険性は、アメリカがベトナム戦争でダイオキシンを使用した枯れ葉剤による毒性被害があらわれた当時から指摘され、その後、八三年には愛媛大学の立川教授が、廃棄物の焼却によってダイオキシンが発生するとの報告を発表し、焼却によるダイオキシン発生について警告を発していたのです。