愛知県議会 1993-02-01 平成5年2月定例会(第5号) 本文
続いて一九九二年十月、阿蘇郡長陽村で減反田を利用して栽培した援助米や、さらに長陽村立立野小学校の学校田で栽培した援助米を米粉加工してザンビアに送ったのであります。 このことは、農家が減反することなく、そのまま稲作が続けられること、水田の持つ公益的側面、あるいはまた児童に与えるさまざまな教育的効果、そして、玄米という非常に栄養価の高い作物を粉にして、粉を食糧とする民族にも受け入れられること。
続いて一九九二年十月、阿蘇郡長陽村で減反田を利用して栽培した援助米や、さらに長陽村立立野小学校の学校田で栽培した援助米を米粉加工してザンビアに送ったのであります。 このことは、農家が減反することなく、そのまま稲作が続けられること、水田の持つ公益的側面、あるいはまた児童に与えるさまざまな教育的効果、そして、玄米という非常に栄養価の高い作物を粉にして、粉を食糧とする民族にも受け入れられること。
アフリカのザンビアでは、ごはんのおわんに食べるものは土だけで死んでいった四人の子供、ソマリアの内戦や飢餓の中で死んだ子供、市が立って奴隷に売られる子供、私たち日本人は、外国の食料品で飽食している。これでよいのか。国際協力の原点とも思えてなりません。
一九七一年、ザンビアにて国連事務局の設計、建築を初めとし、イラク、リビアを初め、かんがい、ダム、ビル、空港、病院、機械設備工事等、多岐多般にわたり責任を持って取り組んでおります。さらに、ここの特色は、外国労働者を雇用する場合、一番問題になる統制、規律、契約が組織でもって行われるため、問題を起こすことなく、よく働き、世界各国より重宝がられております。
実は、アフリカにザンビアという国があります。ここにメヘバ難民キャンプというのがあるんです。大体二万人ぐらいそこに居住してます。付近のアンゴラあたりの周辺諸国から流れてきた、内戦と飢餓から逃れてきた難民でありますが、ここに、東京に本部を置きます難民を助ける会という日本の民間団体が、常時五人から六人ボランティアを、日本青年をボランティアとして派遣しておるわけです。
私の赴任したマラウイ国は、タンザニア、ザンビア、モザンビークにはさまれた小さな農業国で、日本の三分の一の国土に約一五分の一の八〇〇万の人々が暮らしている。気候は熱帯サバンナに属し、一二月~四月の雨期にはバケツをひっくり返したように雨が降る。それが明けると、今度は一滴も雨の降らない乾期が、延々と七ヵ月続く。