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1994-09-29 平成6年第3回定例会(第6日目) 本文

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  1. 鹿児島県議会 1994-09-29
    1994-09-29 平成6年第3回定例会(第6日目) 本文


    取得元: 鹿児島県議会公式サイト
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    ↓ 最初のヒットへ(全 0 ヒット) 1  午前十時一分開闘    △ 開  議 ◯議長(鶴田辰巳君)ただいまから、本日の会議を開きます。       ─────────────    △ 一般質問(個人) 2 ◯議長(鶴田辰巳君)本日の日程は、配付いたしております議事日程のとおりであります。       ━━━━━━━━━━━━━   議 事 日 程  一、開  議  一、一般質問    増 留 貴 朗 君    青 木   寛 君    上 原 一 治 君    梶 原 修一郎 君  一、議案第五七号から議案第六八号まで(議案第六一    号及び議案第六七号を除く)並びに議案第七一号    から議案第七四号までの委員会付託  一、決算特別委員会の設置、議案第六七号及び議案第
       七〇号の付託並びに決算特別委員の選任  一、散  会       ━━━━━━━━━━━━━ 3 ◯議長(鶴田辰巳君)まず、一般質問であります。  通告に従って、順次発言を許可いたします。  まず、増留貴朗君に発言を許可いたします。    〔増留貴朗君登壇〕(拍手) 4 ◯増留貴朗君 おはようございます。  平成六年九月議会に際し、一般質問をいたします。  台風二十六号が来なくてよかったと思います。昨日も柏原海岸がどうなるかと思ってちょっと心配しておりましたけれども、気にはなるところですが、いずれにしても台風二十六号が直撃をしなくて大変によかったと、そう思っております。  まず、林業の振興に関連してただしてまいりたいと思います。近年、農山村の過疎化に伴う林業従事者の減少、高齢化が急速に進行し、健全な森林を育成していくことが困難となってきており、二十一世紀に向けた国産材時代の実現や、森林の持つ多様な公益的機能の維持増進に支障を来すことが危惧されております。このような状況の中で、森林林業を基盤とする山村地域の活性化や多様化する県民の要請にこたえるためには、適正な森林整備を担う林業従事者を育成することが、緊急かつ重要な課題であると考えております。  そこでお尋ねしますが、県においては、毎年青年作業土の育成に努められておりますけれども、その育成の状況はどうなっているのか。また、今後の対策をどのように講じようとされておるのか、お尋ねいたします。  さらに、現在、伐採作業は若い人、青年が主体となってきつつありますけれども、技術的に未熟な点が多いと指摘されております。伐採作業は高度な技術を要し、現場で習得しなければならない点が多いとのことであります。業界からの指摘がありますが、たかだか木を切り倒すだけのことだとお考えになるかもしれませんけれども、樹種、樹齢、現場の山腹の傾斜、あるいは気象条件など、一つ間違うと大けが、あるいは生命の危険に及ぶ林業災害につながるおそれがあるというのが伐採作業の実態です。そのようなことから、熟練した人、お年をとられた方にもなりますが、ベテランを活用して、林業災害防止を図るとともに、技術の伝承を現場でやはり図る必要があるのではないか、そのために指導教育の制度を取り入れてはもらえないかという、そういった要望がございます。そういったことについて、林務水産部長はどうお考えかお尋ねをいたします。  次に、木造住宅の振興についてお尋ねします。  平成五年は、国の不況対策もあり、金融事情が好転したことから、住宅着工数も比較的好調で推移したようです。その傾向は本年にも引き継がれておるようですが、平成五年度の全国の住宅着工数百四十八万五千戸のうち木造住宅は六十九万七千戸、木造率は四六・九%であります。本県は、着工数一万六千四百二十一戸のうち木造は一万一千五百八戸、木造率七〇%で、全国平均に比べて高く、その特徴は持ち家が一万七百四十二戸を含めているということで、相変わらず多くの県民が自分のマイホームなら木造でという思考をしていることがよくわかります。県が現在進めている木材需要の拡大策が効を奏しているとも思いますけれども、そういった状況の中でやはり将来への心配事があります。  それは、木造建築に携わる建築技能者の、いわゆる大工技能者の減少であります。木造の家を欲がっている人がいても、建ててくれる大工さんがいなくなってしまうというときが来るのかもしれません。その意味で、土木部住宅課が現在取り組んでいる木の住まいづくり担い手育成調査事業、これを高く評価をしたいと思っております。  そこでお尋ねしますが、一番目に、本県における大工技能者就業者数はどうなっているのでしょうか。把握をしている数字があったら、明らかにしていただきたいと思います。  二つ目に、木の住まいづくり担い手育成調査事業の現在行われております経過と今後の取り組みについて、土木部長の答弁をいただきたいと思います。  商工労働部長に伺います。大工技能者の育成については、宮之城高等技術専門学校の建築科で実施しているわけですが、現在の状況はどのようになっておりますでしょうか。また、訓練の期間が一年と比較的短いので、技術の習得に多少の不安を持っております。卒業生の就労状況はどうなっているのか教えていただきたいと思います。また、ただいま申し上げました土木部の木の住まづくり担い手育成調査事業、これに商工労働部はどのように対応をしていただけるものなのでしょうか。商工労働部長の見解を伺います。  同じように、木材需要の拡大に努めている林務部長にも、この土木部の木の住まいづくり担い手育成調査事業にどう対応するかお答えをいただきたいと思います。  知事にお伺いしますけれども、今申し上げたような林業作業士、あるいは木材技能士だけには限りませんけれども、人づくりというのは、いつでもどこでも、洋の東西を問わず、時代を超えて、政治、行政を進める上での大変大切なことだと思っております。口にしたくはありませんけれども、昨今の県庁人の不祥事が起こったことからにしても、県下に有能な人材を各分野で育てるということは大変重要と思いますし、それに知事も御苦労をされていると思うんです。そういう意味で、本県の人づくりにかける知事の基本的な哲学といいますか、行政を進めていく上での知事としての御見解を伺いたいと思います。  さて、あの昨年の八・六水害より一年余りが過ぎました。自然は、私たち人間の営みを一体どう見ているのでしょうか。昨年の未曾有の豪雨とは打って変わり、ことしは空梅雨、それどころか全国のあちこちで干ばつ、水飢饉という状況であります。もちろん県内にも影響が出てまいりました。雨とのつき合い、水とのつき合いの難しさをつくづくと感じ入っておるところです。  「備えあれば憂いなし」あるいは「後悔は先にたたず」と、そういったことわざがありますが、最近の五石橋、甲突川改修をめぐる世論をマスコミから拾えば、まさに「のどもと過ぐれば熱さ忘るる」の感大なるものを感じます。私たち甲突川流域被災者住民の気持ちは、ことしはとにかく雨が降らずによかったね、洪水が出なくてよかったね、少なくとも来年の梅雨までは大丈夫だなというのが日常のあいさつです。そしてもう一つは、県の工事はなかなか進みませんねと。私が会います地域の方々は、これは急傾斜地、治山等のがけ崩れ、山腹の崩壊の復旧工事も含めて、「ないしっおっとな」ち、それが地域住民の率直な気持ちです。  過ぐる五月に、鹿児島市の肝入りで、甲突川の流域町内会の代表で組織する甲突川改侈工事連絡協議会ができました。流域住民に工事にかかわる県や市の計画を伝えたり、あるいは住民の要望を県や市につないで、スムーズな事業の進捗を図ろうとする組織です。その二回目の会合で、こういうやり取りがありました。現在、昨年度の県が甲突川の護岸に着工をしたところが完成しつつあります。ところが、左岸の護岸の天場が鉄筋が出たままの状態で二十センチ程度あるんですが、そこのコンクリートの打ち上げをとめたままで、鉄筋が出たままの状態で業者は工事を終了いたしました。地域の方々が、このままでは子供たちやあるいは住民がその鉄筋に引っかかったりして大変ではないのか、危険だから、最後までコンクリートを打ち上げてほしいと、そういう要望をされました。県の答えは、これ以上打ち上げるというと、今度は対岸、反対側の岸の、現在はんらん防止のために積み上げている土のうの高さよりも高くなるので、右岸と左岸は同じ高さにおいて工事を進めている。したがって、反対側の護岸ができ上がったとき、初めてまたその二十センチ余りのコンクリートは打ちますということで進めておるようです。その連絡協議会の中で、そんな工事をしていたんでは手戻しになるので、わずか二十センチのことだから、先にやった方は、もうそのまま工事を進めていいんじゃないかと、そういう話が出たんですが、工事が後回しになった対岸の町内会長さんの論は、いや、それは困る。やはり洪水が起こったときには、左右両岸とも同じ洪水がはんらんをするような状態をつくってほしいと、そうでないというと、我々は承服できないということで、頑としてその二十センチのコンクリートの打ち上げには反対をされまして、協議会の中では、やはり同じ被災を受けたんだから、同じ工事をしていただこうということで、その二十センチの鉄筋を出したままのところでとめてもらうことになりました。わずか二十センチの堤防の高さなんですが、これが被災者住民の率直な気持ちなんです。そういった小さなことでもぴりぴりしている。そういった雰囲気です。  それに引きかえて地元紙等で媒介をされる甲突川激特事業への批判の声はどうとらえたらよいのでしょうか。まさに流域住民の気持ちを無視した、ただ反対のための世論をあおっているのではないか、そうすら思える最近の情報です。  県の算出に使用した流出係数に誤りがある、流出量を過大に算定し、過大な改修計画を立てている等の批判が出てまいりました。私は、これらは、石橋保存の論議の中で一部の人たちが隔たった情報、もしくは都合のよい情報だけを取り出して、誤った数値を流して、それに基づいた誤った先入観が世論を構築している、あるいはそうさせようとしているんじゃないか、そういう気がしてなりません。  それは、甲突川の洪水のメカニズムが非常に理解しにくい、すなわち河川の基礎知識、あるいは公式、それらの面積や雨量の基礎的な数値など、そういった情報が非常にわかりにくいというところに起因をしているのではないかと思います。したがって、専門的な質問に対して、県は一般的な常識でもわかるように説明を繰り返し繰り返しする必要があるのではないかと思います。貯留関数法のように、どういった手法の流量計算なのか、その係数が大きいとか、小さいとかという論議が新聞に出ても、ブラックボックスでその中身は読者には一切わからない。ただわかるのは、その論文を書かれた人の肩書だけです。その肩書がすべてを消しているように思います。県よりも偉い人が、県よりも立派な専門家が言ったことだから、それは県が過ちを犯している、そういったような世論が構築されることを非常におそれます。県はそういった世論に対してしっかりとした対応をおとりいただきたいと思います。  最近の二冊の八・六水害を学術的に考察した報告書が出ました。一つは、鹿児島大学学内特別経費で、一九九三年豪雨災害鹿児島大学調査研究会の、「一九九三年鹿児島豪雨災害総合的調査研究」という報告書です。農学部の下川悦郎教授を代表に、鹿児島大学の五学部三十五名の先生方が八・六水害をまとめておられます。いま一つは、文部省科学研究費自然災害総合研究班、「平成五年八月豪雨による鹿児島災害調査研究」、研究成果報告書地元鹿児島大学の理学部の岩松暉教授を代表とする九州大学やあるいは京都大学の五大学十四名の先生方の報告書です。恐らく知事の手元にも届いているかと思うんですが、この研究書を読まれた知事の率直な感想を、まずお伺いをしておきたいと思います。  大変そういった中で僣越なんですが、私どもはこの県議会の中でも甲突川の改修、五大石橋に関連をして調べてみますというと、昭和四十三年から、ずうっと議論がされているようです。議事録を全部調査課を通じてとってもらいましたけれども、延べ二十七名の議員がこれまでに、昭和四十三年から、甲突川、五大石橋に関連をして、今日まで代表質問あるいは一般質問に立っております。調査課の資料の収集は丸二日間かかりました。それにもかかわらず、私どもはあの八・六水害後の激特事業の承認のたった短時間だけで物事を決したという県民の批判を浴びておるわけですが、大変に残念なことだと思っております。県会議員はただ当局の言うことを唯々諾々と、そして議会はそれを追認をしているだけの姿勢ではないかということになりますというと、どこへ向かってそうではないということを大声を上げて言えばいいのかわかりませんが、そういう中で、大変非力だとは思ったんですが、今問題になっております八・六水害の洪水流量について、実は私なりに計算をしてみました。  計算方式は合理式です。洪水流出計算方法については、建設省の河川砂防技術基準、これに合理式、単位図法、貯留関数法タンクモデル法等価粗度法流出関数法という、そういった流出の計算方法があると書いてあります。今、議会で話題になっておりますのは、合理式と貯留関数法についてです。しかし、実際のところ貯留関数法はわかりません。それはなぜかと言いますというと、連立方程式が二つ入るからです。積分が入ってまいりますというと、もう我々の数学力ではわかりません。ただわかるのは、合理式の流量は、最大洪水量は、流出面積掛ける流出係数掛ける到達時間内の雨量強度、それの三百六十分の一という、いわゆる一秒間に幾ら流れるかという、Q=(1/360)・f・A・Rという数値だけです。これは計算機があれば、あるいは掛け算のできる子供であれば、子供でもできる計算式です。ただ問題は、これがすべてを決するかということになるわけですが、これに使用される流出係数が実は〇・七二五でいろいろと論議をされていることでございます。  率直に申し上げて、私はこれは計画を立てる段階での技術基準には百キロ平方メートル以下の小河川に限ると、こうただし書きがついているようですけれども、そういった中で、先ほど申し上げた到達時間内に川が、例えば上流から一時間かかってその下流まで流れてくるというんであれば、その流域に一時間雨が全域に等しく降り続いたときに、その川の最大流量は幾らになるかという計算をするという前提です。問題は、雨がそれだけ等しく降るのか、あるいは流れ出してくるその係数がどうであるのかということになるわけですが、それについては、やはり建設省が長い間、日本の梅雨の状況を前提として、一番雨がふったときの状況を前提としながら出したものが流出係数の基準として出ているわけです。これについてはもう申し上げませんが、それを前提として実は流出計算をしてみました。  その流出計算は、多少変形をさせまして、甲突川の支川を十、これを公開質問状で情報公開をした県の貯留関数法の十六分割、これを取り入れさしていただきました。そしてこれに到達時間を入れて細分化しました。県が十六流域ですが、私はこれを二十三流域に細分化しました。そして、雨を三十分ごとにブロックして、県のT線法によるいわゆる雨量を時間ごとに入れさしてもらいました。そして流域掛ける時間ごとの雨量という数字をコンピューターでずうっと計算をいたしました。結果、岩崎橋地点、流域は全体で百六・二五平方キロメートルありますが、九十七平方キロになりますけれども、この地点での私の家のすぐ裏でございますが、県の流量観測をしているところ、水位観測をしている機械があるところですけれども、ここでの最大流量を実は調べてみました。計算をしてみました。結果は、一秒間千百九十九トンです。あらかじめ部長の方にはこの計算式を渡しておきましたので、見ていただけたと思うんですが、県の七百トンからしますというと千百九十九トンという大きな差異が出ました。流域の雨を面積による荷重平均をして、改めて三百六十分の一掛ける流出係数の〇・七二五掛ける雨の強度六十ミリ掛ける流域面積の九十七ヘクタールを掛けますというと、これは千百六十四という数字になります。ここでも多少の誤差が出てくるわけですが、そういった数値を出してみました。  素人の全く知識のない私の数値ですから、これが正しいものとは思いませんけれども、少なくとも五百五十トンではなく、簡単に計算をしてみても一千トンを上回ったということ。これについて部長の御見解を伺いたいと思います。教えていただきたいと思います。    〔知事土屋佳照君登壇〕 5 ◯知事(土屋佳照君)ただいま林業作業士とか建築技能者を中心に、人づくりの問題について御意見を伺ったわけでございますが、簡単に言えば仰せのように、世の中を動かしているのは結局は人であると存じます。社会経済情勢が大きな転換を遂げつつある今日、これからの活力ある鹿児島新時代を築いてまいりますためには、何といっても、時代を先取りする柔軟で大胆な思考能力や行動力を持った創造性豊かな人材の育成確保を図ることが、極めて重要な課題であると存じます。その意味で、総合基本計画におきましても、将来ビジョンの中で人材の育成を基本的重要課題として大きく位置づけておりまして、県内外の各界各層の英知を広く結集する層の厚い頭脳集団づくりや、地域振興に主体的に取り組む人材の養成確保とともに、時代を先取りするたくましい経営感覚や技術革新の進展に対応できる高い技術を持ち、農林水産業や商工業などの本県産業を支える人材の育成確保に積極的に取り組むこととしている次第でございます。特に、農山漁村の多い本県におきましては、業として成り立つ農林水産業の確立によって、若い人が地域に定着していくことが地域活性化のために重要なことであると思われますので、農業後継者育成基金林業担い手育成基金、また漁業振興基金などの活用によります農林水産業後継者の育成にも積極的に取り組んでいるつもりでございます。  もとより、学校教育や社会教育の分野でも学術面はもとよりでありますが、国際的な視野を持った幅広い人材の育成に力点を置いて取り組んでおるわけでございます。こういった総合的な施策の展開によりまして、各分野における人材の育成確保を積極的に推進し、若い人が希望を持って定住できる、まさにすこやかで豊かな郷土づくりを実現したいと、心から願っております。また、そのための努力を続けていきたいと思っております。  次に、八・六水害に関してのお尋ねでございますが、御指摘のとおり、平成五年八月豪雨による鹿児島災害調査研究が、鹿児島大学調査研究会文部省自然災害緻合研究班でなされまして、本年三月にそれぞれ報告書が発表されております。これらの報告書は、地元の鹿児島はもとより、全国の研究者がみずから被災状況の現地調査をしたり、関連する資料を収集して、昨年六月から九月にわたる一連の災害の実態を把握されますとともに、災害の原因を解明する研究をされた内容が記されております。  持に甲突川につきましては、豪雨災害の特徴、雨量と洪水量の関係、時間ごと、地域ごとの浸水状況、ピーク流量流出係数、はんらんの歴史と三五郎の河川工法など、実態に即した調査をして、いろいろな角度から研究をされておるわけでございます。これらについては、基本的な考え方において、私ども県で考えて研究をいたしましたことと大差がないものでございますが、いずれにしても、本県の災害史に残る平成五年風水害について後世に残るすばらしいものをつくっていただいたと、私は思っております。これに携わった先生方の努力に深く敬意を表したいと存じます。これらの報告書は、現在進めております総合基本計画の第二期実施計画での災害に強い県土づくりにおける事業推進に活用いたしますとともに、特に被害の大きかった甲突川の治水対策に役立てることができるものと考えておりまして、感謝をいたしております。 6 ◯林務水産部長道園眞壽雄君)林業作業士の育成についてでございますが、県では林業を支える中核的な林業技能者を育成いたしますため、おおむね四十歳未満の林業従事者を対象に、森林施業に必要な専門的知識及び技能研修を実施いたしまして、林業作業に必要な資格を取得させますとともに、林業作業士として認定いたしておりまして、平成五年度末現在では百二十三名となっております。中核的な林業作業者を育成いたしますことは大事なことでございますので、今後とも林業作業士の育成に努めてまいりたいと考えております。  また、熟練した林業技能者の高度な技術、知識を若手林業者に伝授することにつきましては、熟練技能者から通常の業務の場を通じまして、伝授、指導してもらいますとともに、県森林組合連合会で、毎年各地区ごとに開催しております林業従事者を対象といたしました林業技術向上研侈会の指導員として活用することなど、検討してまいりたいと考えております。  次に、木の住まい担い手づくりについてでございますが、木材需要につきましては、木材住宅の建設促進が最も需要拡大につながるものと考えております。林務水産部といたしましては、土木部に設置されております木の住まいづくり担い手育成調査委員会に参画いたしまして、関係部局や関係団体と連携いたしまして、木造住宅建設担い手づくりに協力しておるところでございます。  また、大工技能者などの養成機関でございます県立宮之城高等技術専門校の関係者と木材関係団体の幹部との意見交換会を開催いたしまして、大工技能者の養成の現状等につきまして、木材関係団体の理解を深めたところでもございます。大工技能者の養成は重要なことでございますので、今後とも林務水産部といたしましても、大工技能者育成確保に協力してまいりたいと、このように考えております。 7 ◯土木部長(奥田 朗君)まず、木造住宅の振興の問題でございますが、本県の木造建築等に従事する大工技能者の実数は、統計上とらえにくい面もございますが、事業所統計調査上の木造建築工事業大工工事業就業者数の総数を見ますと、昭和五十六年約一万人いた者が、十年後の平成三年では約八千四百人となっておりまして、減少が著しいと考えられます。県民の木造住宅志向は極めて高いものがありまして、今後、住宅ニーズの多様化、高度化に対応した木造住宅の振興を図る必要がございます。また、さきに述べましたように、木造建築等に従事する大工技能者が減少し、建設能力の低下が深刻化してきております。このため、平成四年度から学識経験者、関係団体等からなる調査委員会を設置いたしまして、木の住まいづくり担い手育成の方策につきまして検討を行っております。これまで大工技能者、工務店等の抱える問題点の把握、設計や木材などの関連業界と連携した総合的な育成体制の整備に向けましての基礎資料の作成、他県の大工技能者の育成機関の事例調査等を行いましたほか、平成六年三月に「木の住まいづくり担い手育成シンポジウム」を開催し、担い手育成の必要性を県民及び関係者へ広く啓発を行いました。平成六年度は、本県に適した技能者育成方針の検討を行っていますほか、さらに関係部局、関係業界と連携いたしまして、木造住宅推進に係る協議会の設立につきまして検討を進めております。今後とも木の住まいづくり担い手育成につきまして、一層努力してまいりたいと存じます。  次に、八・六洪水流量の評価の問題でございます。甲突川の昨年八月六日の洪水を合理式で求めたものといたしましては、例えば、先ほど来、話がございます鹿児島大学の「一九九三年鹿児島豪雨災害総合的調査研究」報告書に、長先生の論文でも、実は毎秒一千百トンという数字が述べられております。このような大きくなった理由としまして、長先生自身がその論文の中でこう言われております。  甲突川の流出特性が反映されず、また上流部の貯留やはんらんした量が含まれていること。さらに、合理式の流出係数は、改修計画に使用するため安全側に見積もっていること等を先生は理由に挙げられております。  議員のお示しの流量の件でございますけれども、通常この合理式といいますのは、流域全体一本で計算いたしますものに対しまして、先生の方では、いろいろこの流域を細分割されるなど工夫をされておられるわけでございますけれども、支川ととの最大流量がこの本川でそれぞれのピーク流量を流達時間に応じて時間のずれというのを、ピーク時間のずれというのを見ておられるといたしましても、この分割された支川ごとのピーク流量がそのまま、この本川の下流へ到達するとなりますことなど、先ほど申し上げました長先生自身おっしゃっておられた問題点とは別にしましても、少しこのやり方ですと大き目な値になるものと考えられるわけでございます。  このように、合理式を計画に用いる場合はともかくといたしまして、実際に降った雨に適用するにはいろいろ問題点も多いわけでございまして、実績洪水の流量算定には河川の特性に加え、降雨の特性も流出に反映できる貯留関数法を用いるのが私どもは適当だと考えて、また七百トンという数字を算定しておるわけでございます。 8 ◯商工労働部長(濱田隆道君)県立高等技術専門校の建築科は、職業能力開発促進法に基づきまして設置されておりまして、これまで約二千五百人の木造建築大工の技能者を育成いたしまして、産業界に送り出してきたところでございます。本県の木造建築の振興に多大の貢献を果たしてきたものと考えております。  宮之城高等技術専門校建築科の平成六年度の入校状況につきましては、定員五十人に対しまして、応募者が百二十三人でございまして、入校者六十人となっております。また、ことし三月の修了生は、宮之城と、鹿屋はことしが最後だったわけでございますが、宮之城に統合いたしましたが、そのときの三月では両校合わせまして三十人卒業しておりまして、そのうち二十六人が就業をいたしております。商工労働部といたしましても、木造建築大工の技能者育成は非常に重要なことと考えておりまして、土木部の木の住まいづくり担い手調査委員会に参加するなど、宮之城高等技術専門校とも連携いたしまして、協力をいたしているところでございまして、今後とも努力をしてまいりたいと考えております。    〔増留貴朗君登壇〕 9 ◯増留貴朗君 木の住まい担い手づくり事業については、どうぞひとつ積極的に推進をしていただきたいと、そしてこの件についはひとつ知事にも御認識をよろしくお願い申し上げておきます。  流量計算、実は三日三晩かかったんです。三日三晩よりもたくさんかかったかもしれません。救いは、先ほど土木部長が言われましたように、長先生がやられた流量計算が千百三十二トン、これは到達時間を三時間と見、三時間の平均雨量を六十一・八ミリという数字で計算をされて、もちろん流出係数は〇・七二五ですが、千百三十二トン、そして四時間の到達時間で見て、平均降雨量を五十九・七ミリとしたときには千九十三トンになると、部長が申されたように、やはり大きく出るということを御承知の上で長先生は計算をされておられるようです。したがって、それではどうだということで、今度は先ほど申し上げました中安の総合単位図法によってハイドログラフを出してみたんです。そうするというと、ピーク流量は約八百九十トンになると、それでももう一回別なやつでやってみようということで、今度はタンクモデル方式でおやりになっている。そうしますというと、大体八時ごろ、これは県のピーク流量時と時間が一致をしておりますが、そのときには、その方法では最大流量が約七百三十トンになったと、そういうぐあいに、繰り返し繰り返し長先生はやっておられます。そしてその特性の結論としては、先ほどの説明があったように、はんらん、そういったようなこと、あるいは途中の貯留、そういうもの等があるので、こういった差が出るんであろうと、そういうことを言っておられるようです。  そしてまた、鹿児島工業専門学校の疋田誠先生、九州大学工学部の平野宗夫先生、このお二人方が甲突川のピーク流量流出係数を計算をされております。そして、これは、玉江橋地点ということでございますが、岩崎橋地点よりもちょっと下になりますけれども、これもピーク流量は五百八十トンから七百トンになったと、そういうぐあいに報告をされておられます。  また、京都大学防災研究所の藤田裕一郎先生、鹿大工学部の浅野敏之先生の河道災害「一九九三年八月鹿児島水害における河道災害」、これの下流区間の河道災害という中でも、大体七百トンの流下能力を指示しておられます。そして特に申し上げたいのは、やはり甲突川の石造橋は既に土木構造物としての使命を果たし、そして河川での動態保存をあきらめなければならないだろうと、それは避けられないだろうと、そういったようなことを書いておられるという事実です。いずれにしても、詳しく御紹介をすることが時間の関係でできませんけれども、そういった先生方の調査報告書が出ていると、そういうことをここで申し述べておきたいと思います。  さて、問題は、九月二十一日付南日本新聞に掲載をされた元建設省土木研究所水文研究室長木村俊晃氏の論文です。私も率直に言って、これを何回も何回も繰り返し読んでみました。この中でしかし、一つだけ私がわかる知識の範囲で申し上げたいのは、ちょうど中段ですが、筆者らが平成六年四月十八日及び二十日の二回にわたって、百ミリ弱の降雨量の洪水について高見橋下流で行った流量観測結果によると、昨年の八・六洪水で流域が荒れていたにもかかわらず、一次流出率は〇・一三という小さい値を示しており、流量観測結果に基づいて推定した八・六洪水のピーク流量は毎秒五百五十トン、最大時間雨量強度約百ミリに対する流出率は〇・二〇という結果を得ているということで申されているんですが、このことなんです。  この中で、実は平成六年の四月十八日と二十日の降雨量がどうかということで、実はちょっと信じられなかったもんですから、気象台に記録を頼んでみた。そうしますというと、十八日と十九日ですが、片方はたしか十八日の日は入来峠の記録計は故障中で観測できなかったということなんです。二十日の下流の気象台だけのいわゆる降雨量が、十八日は入来峠はなし、気象台だけ。二十日が両方あるんですが、それを調べてみますというと、入来峠の時間雨量は、二十一時で四十ミリぐらい、そのたった一時間だけ、日雨量が百ミリ近くとなっているんですが、十八日も二十日も全然雨は降っていない。しかもこの流量観測をしたというのは四月です。降雨量とは、梅雨期とは全然違っている。場所は高見橋、高見橋の下は川が曲がっています。大体こういう流量観測をするときに、曲がるということは、水に不等流が起こるわけですから、データが不ぞろいになりますから絶対やらない。鹿児島県のそういった意味での水位観測所、これも真っすぐ甲突川が流れる六キロ地点の私の家の後ろにあるわけなんです。そういう初歩的なことを考えてみても、この筆者らが、筆者らがということは、木村先生鹿児島においでになって、みずからが観測をしたぞということになると思うんですが、先ほどの上流域での雨の関係を考えますというと、当然、九時ごろに雨が降ったんであれば、下へ流れてくる流達時間、到達時間があるわけですから、三時間ないし四時間後に見なければおかしいわけです。夜中ですから、浮きを浮かべて流して流速をはかったのかもしれませんが、だったら晩の一時か二時になるわけです。どうも不思議でならない。ほかに流量を図る方法があるんだろうかと思うんですが、やはり流量計算というのは、川面に浮きを浮かべて、それが秒速のどのくらいで流れるかという流速をまず目視することが大事だと思っておりますが、そういうこと一つ見てみてもどうもわからない。ほかにもいろいろあると思うんですが、ありますけれども、技術的なことを僕が言っても後で大変な失敗をするといけませんので申し上げませんが、(「後の方を」と呼ぶ者あり)少なくともね、そうなんですよ。この最後に、旧内務省時代の「よらしむべし」にそれだけの技術的権威があったが、甲突川の現計画及び「平成一年解析」の技術的レベルは低く、とても石橋問題のような社会的重要課題に耐えられるものではないと、こう書いてあるんですよね。  そうするというと、この先生は、あなた方から公開質問状による八・六水害洪水の貯留関数法のすべてのデータは持っていかれた。持っておられる。平成一年の解析結果も持っておられる。自分の方は県の方のデータを全部持っていて、そしてああだこうだということを言われて、自分はそれに対してどういったようなことをしたかというデータは一つも明かしておられない。数字は書いてありますけれども、これは結果だけを言っておられるんであって、今申し上げたような流量観測をどういうぐあいにして、そしてどの地点でやって、何時にやって、そしてどういった数値が出たといったような数値は全然ないわけです。そうしますと、当然そういう数値を出していただきませんというと、反論をしようにも県の土木部は反論ができないんじゃないかと思うんですが、この論文に対して、そういった意味での資料公開の要求、内容の説明というものをされたかどうか、お伺いをしたいと思います。 10 ◯土木部長(奥田 朗君)木村氏の論文につきましては、昨年八月の洪水流量の算定方法でありますとか、ことし四月の流量観測の方法など、いろいろ不明な点がございましたので、問い合わせたわけでありますが、具体的には答えていただけなかったわけであります。そういうことで、これからも聞いていきたいとは思っておりますけれども、またこの新聞に掲載された記事の中に、今おっしゃったように、著しく実態と合わない点が多いもんですから、県といたしましては、いずれにしましても、県民の方々に激特計画を正しく理解していただかないかんということで、木村論文に対しては何らかの形で反論していきたいというように思っております。 11 ◯増留貴朗君 自席からお尋ねしますけれども、この木村氏に部長は県庁内で会っていらっしゃるでしょう。木村氏は河川課も訪ねてきているでしょう。どういう意味で木村氏は部長やら河川課を訪ねてこられたんですか。 12 ◯土木部長(奥田 朗君)今のお尋ねの件でございますけど、私と直接お会いしましたのは四月の初めのころだったと思っております。その後、また先生の方からこの甲突川の計画につきましてお話ししたいということがございまして、河川課の職員が東京へ出向きましていろいろ話を承りましてですね、まず、先ほどの根拠ですね、計算の根拠、先ほど東京へ行ったという件はちょっと別にいたしまして、根拠につきまして答えてもらえなかった件をまずお話しさしていただきますと、答えていただけなかったということの内容でございますけれども、河川課の職員から報告を受けました言葉そのまま、ちょっと俗ぽい言い方になりますけれども、計算の根拠を、洪水流量などの計算の根拠を聞きたいのであれば五百万円から一千万円ぐらいの費用がかかりますよと、そういうふうに私は河川課の職員から報告を受けております。 13 ◯増留貴朗君 これは元建設省の土木事務所の水文室長というんじゃなくて、この木村氏の現在やっている株式会社日本システムリサーチという、いわゆる会社の代表としての話でしょう。ほかにも、だから、これだけの資料じゃなくて、県に対して、おれに流量観測の、甲突川関係の仕事をさしてくれという申し出もあったように僕は聞いているんですがね、その点はどうなんですか。 14 ◯土木部長(奥田 朗君)先ほど申し上げましたように、四月に私が会っておりますが、その後木村氏の方から再度甲突川の問題でちょっと話がしたいということがございまして、河川課の職員が東京で対応しております。そのときに、木村氏の方からは、甲突川の水文調査でありますとか、分水路の提案でありますとか、いろいろおっしゃったと聞いておりますが、それとともに、今ちょっと議員申されましたけど、今後のその流量観測を自分のところ、システムリサーチでございますが、当社で実施させてほしいという要望があったということで、観測機器、それから観測調査費などとして、およそ八千万円ぐらいの見積もりを提示されたと、そういうふうに私は職員から報告を受けております。    〔増留貴朗君登壇〕 15 ◯増留貴朗君 奇々怪々という言葉がありますけれども、元建設省土木事務所水文研究室室長木村俊晃、これでこの肩書で仕事をされたんでは、まずたまったもんじゃないだろうと思うんです。そしてそれを断わるというと、こういうぐあいにして、あなたの県の、あなたの市町村のいわゆる技術レベルはそれこそもう最低ですよと、たまったもんじゃないですよ。しかもひきょうなことに、自分の方のデータも出さない、学者としてもあるまじき行為だと僕は思っています。それを地元紙がこの肩書で書きましたね。恐らく大方の県民の皆さん方が、県は何か大変な基本的な過ちをしている。すなわち、甲突川激特事業を含めた改修事業のデータは、これはやり直しをしなければいけないんじゃないかといったような、そういった不安にかられて不信になっておられるんじゃないかと、そういう気がするんです。これは何からの形でですね、よく調べないで書いた僕は新聞社にも言いたい。県にきちっとしたこれに対する、いわゆる紙面を、機会を与えてほしいということ。そしてもう一つはですね、県自体はこの方に対して、このままですというと名誉棄損ですよ、鹿児島県。本当名誉を傷つけられている。それに対してきちんとした対応をとっていただきたい。詳しいことはまた当該委員会がございますから申し上げますが、どうかひとつ知事初めいろんなことが起こると思います。  私、「五大石橋を考える」という本を書かせてもらいましたけれども、昭和二十年のあの敗戦の後、すぐ戦災復興計画にかかるんですが、そのときの米山助役が、戦災復興計画は道路をとにかく広くとれと、家が建たんうちにやればいいんだと、仕上げは五十年後だと、こう言っておられるんですね。そしてそのときに、石橋もそのまま都市計画街路に組み込んでおられる。ちょうど戦後五十年が来るんですけれども、そういった鹿児島市のまちづくり、歴史性というのは、島津さんが高尾野の木牟礼城からあの祇園之洲の東福城に入ってこられてから、ずうっと考えてみるというと、五石橋と甲突川と鹿児島のまちづくりというのは大変なんだなと。  戦災復興計画を進めようとしますというと、時の重成格知事あるいは坂口壮介鹿児島県議会議長が加わった復興反対同盟というものができます。反対同盟が新聞に記事を書いて、鹿児島市がやろうとしていることはけしからんと、こう書きます。そうしますというと、鹿児島市も、いや、自分たちはこういうぐあいにして戦災復興計画をやりたいんだということで、また新聞にわかってくれということで記事を書き、意見広告を出して、両方でやり合って戦災復興計画が進んでいったという、そういった事実があるんですが、そのくらい甲突川、石橋問題も難しいと思うんです。  意見広告でいいと思うんです。百万円や二百万円は地元の新聞社ですからあげてもいいと思うんですが、どうかひとつ、やはり自分たちのしっかりとした行政の本当の意をわかっていただくためには、そういった意見広告も出されていいと思うんです。どうかひとつしっかりとお願いをしたいと、そう思います。(拍手) 16 ◯議長(鶴田辰巳君)次は、青木寛君に発言を許可いたします。    〔青木 寛君登壇〕(拍手) 17 ◯青木 寛君 屋久島をめぐる諸課題について、知事及び関係部長に質問をいたしてまいります。  屋久島が世界の自然遺産に登録されて十カ月が経過しようとしております。登録されることを目標に一生懸命運動を続けてきたものにとっては、登録されたこと自体が大変大きな喜びであり、そのことが屋久島の前途を明るくし、屋久島を抱える鹿児島県の発展の大きな一助になるものと信じ、昨年はお互いが健康をたたえ合って希望の新年を迎えることになったのであります。しかし、それからおよそ十カ月が過ぎて、屋久島の現実を直視し、冷静に今後の展望に思いをいたすときに、屋久島をめぐる諸課題の多さは、私たちの責任と努力を強く求めていることに多くの人々が気づき始めております。  私たち、屋久島に特別なこだわりを持ち、屋久島の人々と連帯を求め、屋久島の現在と将来をともに考えながら、自然と人間の共生をこの島で実現したいと願う議員たちは、この八月、超党派の有志で鹿児島県議会屋久島議員連盟を発足させました。わずか十四名のスタートではありますが、文字どおり屋久島の応援団として、これから頑張りたいと決意をいたしております。屋久島議員連盟の創設にかかわり、連盟の顧問としてこれから御指導をいただきながら、ともに歩んでいこうとしておられた日高美成議員がこの議場におられないことは、私たちにとってまことに残念なことであり、心から御冥福をお祈りするものでございます。  議員連盟は、活動の始まりとして、連盟結成の報告を兼ねて九月の六日、七日に現地を訪れてまいりました。今回は時間的な制約もあり、屋久島両町の行政と議会を中心とした交流や現地調査が主なものとなりましたが、それでも多くのことを学ぶことができたと考えております。私どもはそれぞれの問題意識を持って屋久島にアプローチし、共同の力で屋久島の課題を解決しようと考えておりますので、議員連盟の活動も、共通認識のもとですべての人々や団体に門戸を開き、成果があれば少しでも還元できたらよいとの願いを持っております。超党派の意味もそこにあると思います。したがって、本日私が質問することも、現地調査を踏まえた上での議員連盟の共同作業の一環であることを申し上げておきたいと思います。  まず、知事に改めてお尋ねしますが、およそ十カ月を経て、屋久島を自然と人間の共生できる島にするために、どのような認識と決意をお持ちでしょうか。自然を守りながら人々の暮らしを豊かにするということは、言うはやすく行うはかたしの典型でございます。古くて新しい論争、開発と自然保護は、これからこの島で具体的に検証されていくことになるでしょう。自然を守り育てること一つとっても、そのコストと仕事をどこが負担するのか、自然を守りながらという制約の中で人々の暮らしを考えるときに、制約の代償はだれがどういう形で保障をしていくのか、今はまだ答えが出ていない状況にあります。県や国の役割と責任が求められるゆえんであります。知事の見解を求めるものでございます。  次は、自然を守るための国民的合意と島内合意の問題であります。私たちの周りには、守るべき環境や自然は無数に存在していると言ってよいと思います。それらの環境や自然の中でも特に守られなければならない、日本と世界の宝として世界自然遺産に登録された屋久島は、その抜きん出た価値について、国民の間に広く啓発を行い、守るコストについても国民に理解を求める努力が必要だと考えるものですが、知事はその努力をどのようになされるおつもりかお伺いいたします。  屋久島を訪れていつも感じることは、ほとんどの住民の方々が、屋久島の自然を大切にし、誇りに思い、この自然を後世に引き継いでいかなければならないという自覚と責任感を強く持っているということであります。人々がこの自然の中で生かされてきたという信仰にも近い気持ちを共有していることは、島を訪れる方々の心を強く打ち、この人々であればこそ今日の屋久島の自然が存在すると思うのですが、これから先、この島民の皆さんの心を島内合意としてしっかりと引き継いでいくためには、島民と国民、県民の負担の割合といいますか、負担の持ち分について指し示す必要があると考えるものでありますが、知事はこのことについてどのような見解をお持ちかお尋ねいたします。  次は、今後の施策の基本的なスタンスであります。  私は、どのような地域においても、主人公はそこで生まれて、そこで育ち、死んでいく人々であるべきだと信じるものであります。海の中に浮かぶ離島の屋久島においては、特にそのことは大切だと思っております。どのように立派な施策と思われることであっても、島民が受け入れないものであれば、それは有効ではありませんし、施策の中心に島民が座っていなくては意味がないものであります。今後の施策の展開において、知事はまず島民の声に謙虚に耳を傾け、島民の考え方が十分反映されることを保障していただけるかどうかお伺いをいたします。  そのことは、翻って考えてみますと、島に住む人々の自立性、主体性の確立が求められていることにも通じると思うのですが、今の時点で知事が島の人々に望むことは何でありましょうか。お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。  次は、国際的・国内的交流と条件整備の問題であります。  世界遺産条約に加盟している国は、一九九四年二月現在で百三十六カ国に上っています。文化的遺産として登録されているものは三百五件、自然遺産としてのものが九十件、複合遺産が十六件、合計四百十一件が世界の九十四カ国に存在していると伺っております。世界遺産条約締結各国においては、条約履行のための国内法が整備されており、これに基づいて、世界遺産の保護などが図られております。自然遺産にっいては、自然保護法、環境保護法、国立公園法、森林法、狩猟法、漁業法などが適用されており、オーストラリアのように、世界遺産保全法が制定されている国もあると問いております。これら我が国に先んじて世界遺産登録をなした国々の経験と施策に学ぶべきものは数多くあると思うのでありますが、国において、また県独自にでも結構ですが、先発国の現状をどのように把握しておられるか教えていただきたいと存じます。  我が屋久島と同時に自然遺産に登録された地域が、青森県と秋田県にまたがる自神山地であります。知事は自神山地を訪れたことがおありでしょうか。私もまだ現地にお伺いしたことがありませんので、私ども議員連盟で次の活動として、十月下旬に白神山地を訪れることにいたしておりますから、今から楽しみにしているところですけれども、昨年の登録以降の自神山地の状況について御承知であれば御報告ください。また、今後の県同士の交流の計画があればお聞かせいただきたいと思います。  こうして考えてまいりますと、島に住んでいる人々の主体性を大切にしながら国民的合意を形成し、島の人々と国や県の負担と仕事をきちんと区分けする中で、自然遁産を守るコストについては国や県の支援が必要なことがわかってまいります。それには、国内法の整備と何らかの県条例の制定が必要ではないかと考えるものですが、どうでしょうか。先般の村山総理と全国知事会との懇談の席においても、国の支援と法的整備を求める意見が出たとお伺いするのでありますが、知事の御見解をお尋ねするものであります。  自然が豊かに存在するだけでは、そこに暮らしている人々の生活が豊かになることには直接つながらないことは言うまでもありません。屋久島に住む人々も、日本国憲法が保障をしております「健康にして最低限の文化的生活を営む権利」を行使できる条件を整備することは、政治や行政の責任であります。自然遺産の守り手としての島民の暮らしと福祉の向上のために、県と国による特別な支援のあり方について、基本的な考え方をお伺いしたいと思います。    〔知事土屋佳照君登壇〕 18 ◯知事(土屋佳照君)申し上げるまでもなく、県では屋久島環境文化村構想を策定いたしまして、世界遺産条約に登録された屋久島のすぐれた自然を保全するとともに、その自然を生かしながら地域の人々との共生を実現するための新たな地域づくりを目指して、まさに新たな一歩を踏み出したところでございます。自然を守るということは、御指摘のように、一方においては制約や負担を伴うことにつながることは避けられない面があると思いますが、環境文化村宿想の基本的な考え方は、保護と開発といった従来の図式的な対立を克服して、人と自然との共生を図ろうとするものであり、県といたしましては、国を初めとする関係機関の協力のもとにこの構想を推進し、自然に理解を持つ多くの人々の協力のもとに、自然保護と地域振興との新たな関係の構築を実現していきたいと思っております。  そこに住む人々の制約を受任するといいますか、そういったことに対して、そのコストをどうするかという問題でございますけれども、世界的に環境破壊が進む中で、自然を守るという理念は、国、県、地元市町村等行政はもとより、そのことを理解する多くの人々の分担によって守られるべきであると考えております。今その大事な実験が始まろうとしているところであり、これからが知恵と工夫の出しどころであろうというふうに身を引き締めているところでございます。  また、屋久島の価値につきましては、世界遇産条約へ登録されたことによりまして、その傑出性はそのこと自体で国民に広く知れわたったものと理解をしておりますが、今後ともいろいろな形で情報発信に努めながら、人と自然との共生、共生と循環といったような理念を訴え、人類の自然遺産の意味とその価値を一層広めていきたいというふうに考えております。  また、環境の保全に係るコストにつきましては、国や県や地元町が、それぞれの立場に応じて負担することは当然であると思いますが、屋久島を訪れる人々、屋久島に係るすべての機関や人々の協力のもとに屋久島の環境が守られることを期待をいたしております。幸い昨年三月設立をされました屋久島環境文化財団の募金を通じて、賛同する人々の輪が全国的にも大きく広がってきておりますし、我々としては今後ともさらに多くの人々の理解と協力が得られるよう、いろいろな方策について研究をし、努力をしていきたいと思っております。  また、屋久島の自然がこれまで保全されてきたことにつきましては、この自然とともに生活し、長年にわたって自然と混然一体となって歴史を積み重ねてこられた島民の方々の力に負うところが非常に大きかったと私は認識をいたしております。今後とも、屋久島のすぐれた自然環境を保全していくためには、国、県、地元町はもとより、屋久島を訪れる観光客の一人一人に至るまで、およそ屋久島に係るすべての機関や人々の理解をいただきたい。そしてそれぞれの立場で御協力をいただいていくことが重要だと思っております。その意味で、環境切符制の問題が提起をされておりますが、これにつきましてもさらに論議を深め、屋久島を訪れる人々が屋久島の環境を守るために何らかの協力をしていただくためのあり方について、結論を得る努力をしていくことが必要ではないかなと思っております。  また、屋久島環境文化村構想につきましては、そのマスタープラン策定に当たって、地元代表による環境文化村研究会の意見を反映させますとともに、環境文化懇談会やマスタープラン研究委員会にも地元関係者の参加をいただきますなど、島の人々の主体性を前提条件として、計画策定から事業実施まで地域ぐるみでかかわる、いわば屋久島方式によって進めてまいったつもりでございます。そういった動きは御承知のとおりだと存じます。  今後の施策展開に当たりましても、地元町と十分な連絡調整を図りながら適切に対応していきたいと思っております。事実、地元の人々の理解なしでは円滑に事を進めることはできないと私は思っております。また、島の人々に対しては、自然を、ひとつこの大事な宝を守っていこうという気持ちは持っておられると思いますが、今後ともぜひそれをひとつ持ち続けていただきたいと思いますとともに、細かいことで言えば、私がかねがね考えておることでありますが、例えば屋久島にふさわしい町並木形成とか、屋久島らしい土産品の開発、さらには屋久島らしい郷土料理というもの、こういうものは非常に意味があると私は思っておりますので、そういう研究も進めていただきたい。  さらに、これはことしの夏での経験でございますが、屋久島に行った人の、東京の人の話で、行ってみて何がよかったかということを聞いたら、自然の中でカヌーを一日楽しめたというのでございまして、だからそういう意味でのもっと隠れた資源の開発ですね、そういったものが必要なのかなと、こう思ったりしております。環境文化村構想の推進に資する施策に主体的、積極的にぜひかかわっていただきたいと、これを地元の方にお願いをいたしたいと思っております。  白神山地については、私も残念ながら、あそこらには足を踏み入れたことはありますが、実際の実態は存じておりません。詳しい状況は担当部長から申し上げますが、今後の交流ということについても、これからだと思っております。あそこの知事とも指定前にもお会いして話はしましたが、まだそこまでは至っておりませんが、今後、こういった世界的にもいろいろあるわけでございますから、国内はもとより世界的な地域でも非常に似たような類似のところがあれば、連携をとり合うということも必要かなとかねがね思っておるところでございます。  また、自然遺産を守るためのコストにつきましては、今日まで、国、県、町、住民がそれぞれの立場に応じて負担してきていると言えるわけでありますが、最近では新たな法律制定についての議論もあります。また自然を保全していくための仕組みについて、さまざまな議論が展開されていくことが今後予想されるわけでございます。我々としては今後とも、国の動向や時代の推移等を見きわめながら、県としてどのように対応すべきか研究をしていきたいと思っております。  また、さきの全国知事会では、政府に対して奈良県から、文化財の保護、復元のための予算増額等について要望がございました。文化遺産と自然遺産とでは若干対応の仕方が異なる点があるとは思いますが、自然遺産の保全のために、国としてもさらに積極的に保護、管理対策を推進していただきたいと思っております。かって私は宮沢内閣のときに、まだ世界遺産に登録されておりませんでしたが、この保全の必要性、日本として自然対策をこうしておるんだということを言うためにも、ぜひ国として積極的に乗り出していただきたいということを、知事会議の席で申したことがございます。それが世界遺産センターの建設にもつながったのかなとも思っておりますけれども、今後改めて国に、協力の点などについていろいろと働きかけていきたいと思っております。 19 ◯保健環境部長(安達一彦君)世界遺産条約に基づく自然遺産を有している国でございますが、現在四十六カ国ございます。このうち遺産保全のための特別立法を行っている国は、オーストラリア一国のみでございます。それ以外の国につきましては新たな法律を制定した例はないというふうに聞いております。このほか、観光客の過剰利用対策といたしまして、保護ゾーンの設定あるいは入島・入山者数の規制、さらに入島・入山料の徴収などが行われている例もあると聞いております。  次に、本県におきましては、平成二年に屋久島環境文化村構想を総合基本計画の中に取り入れますとともに、平成四年には自然環境の保全、活用の基本的方向を示しますマスタープランを策定いたしておりますが、一方、青森県の方でございますが、青森県では本年三月、白神山地保全利用基本計画を策定されまして、白神山地におけます自然環境の保全及び利用計画の基本方向を明らかにするとともに、関係機関によります連絡会等を発足されたというふうに聞いております。  次に、住民の暮らしと福祉の向上のための施策展開に当たりましては、離島振興法、過疎地域活性化特別措置法、総合保養地整備法等の地域指定を受けていることなども十分に活用しながら屋久島の振興を図るとともに、島民の福祉の向上に努める必要があるというふうに考えております。    〔青木 寛君登壇〕
    20 ◯青木 寛君 知事の答弁の基本的なスタンスのその多くに私も同意をいたしたいと思います。この屋久島の問題について基本的な部分は、だれも異存のないことが多いというふうに考えておりますので、そういう基本的な立場で、次は具体的な問題についてお尋ねをいたしてまいりたいと思います。  まずは、島の人々の暮らしを成り立たせるための産業振興の基本方向であります。世界自然遺産の島屋久島も、そのことを除けば、過疎のとまらない、本土との所得格差の大きい、離島としてのハンディキャップを多く抱えた、県内のほかの離島と何ら変わらない地域であります。地理的な特性や自然遺産の島として、今後の地域振興は、第一次産業と第三次産業である観光を中心に据えなければならないのではないかなと思っておりますけれども、過疎に歯どめをかけ、所得の向上する具体的な方策について、県がどのようなお考えを持っているのか問いたいと思います。  屋久島の農業の柱の一つは、全国的にブランド化、産地化を目指しているポンカン、タンカンの生産であります。これらは味もよく、消費者の評価も高いことから、農家の生産意欲も並み並みならぬものがあるのですが、他の実エンドウやビワなどの作物と同様、鳥獣、特に猿の害に悩まされております。県も野猿対策については積極的な取り組みを進めていることは承知いたしておりますが、現地に伺ってみて、改めて農家の要望の強さと必要性を思い知らされましたのでお尋ねいたします。  野猿対策は、農政部を初め二部四課において、所管事業等の活用を推進されて被害防止に努めていますけれども、林務水産部の対応は駆除が中心であることから、屋久島になじむものではないと言えます。そこで、現在一般的に実施されております野猿総合防除対策事業についてお伺いいたしますが、この事業は、平成四年度から六年度までの事業として取り組まれていると聞くのでありますが、来年度以降も継続されるものと理解してよいでしょうか。  次に、この事業の中心であります猿用電気さく等の整備ですが、補助単価の改善と補助の範囲の拡大についてぜひ検討を加えていただきたいと思います。侵入防止さくを防風ネットから金網にかえることによって、大きな効果を上げたことが報告されましたけれども、そのことが農家の負担を大きくしていることも事実であります。また、現在、町単独で実施している野猿用犬飼育登録費補助などについても、助成の対象とならないものかについてもお尋ねをいたします。屋久島においてはこの九月の補正で、新しい防護さく事業として町単独で四千メートル、六百万円を措置するなど、現地も大変な努力をしておられるようですけれども、財政力の限界もあり、県や国の支援に期待するものが大きいのであります。  次に、一湊の漁港整備について関連してお伺いいたし整備計画区域内のサンゴの問題については、既に代表質問でもお尋ねがありましたが、正確を期すために再度質問をいたします。  私たちは現地を訪れた際に、屋久島の海に詳しいダイバーの説明を聞く機会を得たのですけれども、そのダイバーの話によると、当該地域のサンゴはその大半が死んでおり、漁港整備の方が重要であるという認識と同時に、本当に守るべきサンゴは他の地域にあるという指摘を受けました。一方で県の説明では、潜水調査の結果、周辺にマルハナガタサンゴの群落が確認をされている。現在、調査を解析中とのことであります。また、別のダイバーの方は「すばらしいサンゴであるので残したいと述べた」と報道もまたあります。私たちは、県の調査の結果をまって判断をしたいと考えているものですが、知事が先ほどの代表質問の答弁でおっしゃった、基本的には貴重なものならば保護すべきという立場、調査結果を踏まえて慎重に対処するという認識の真意について、もう一度お答えをいただきたいと思います。  なぜなら、サンゴが発見された直後に出された知事の見解が、漁港整備の計画変更の可能性に言及されているからであります。私たらがお会いしたダイバーの話の中で、屋久島周辺にはもっとすばらしいサンゴがあるとした上で、具体的に元浦の海岸を初め三カ所を指摘したことは重要であります。これまで私たちは、自然遺産の島の山ばかりに目が向き過ぎていたのではないか、これが現地調査に行った私たら議員連盟の者たちの率直な思いでありました。ダイバーに案内された海の青さ、写真で見せていただきましたサンゴの美しさ、海の上から見る海岸線や山の緑のすばらしさ、どれをとっても屋久杉の巨木群の中の自然に引けをとらない価値を再発見したのであります。  この際、屋久島の海や海岸線の価値を徹底的に調査をすべきではないかとの問題意識が、さきの二牟礼議員の質問であったと思います。県は、二牟礼議員の屋久島周辺海域のサンゴの分布調査の要請に対して、平成三年から四年にかけて行われた環境庁の基礎調査で、あたかも済んでいるかのような答弁をされたと伺いました。その調査では私は決して十分でないことを、屋久島に訪れてその経験の結果、指摘せざるを得ないのであります。屋久島の全域にわたって分布調査を行ってこそ、実態を正確に把握し、何が貴重で、どのサンゴを守るべきなのかが見えてくるのではないかと考えるものであります。県は、自然保護行政の原点に立って、屋久島周辺海域のサンゴの分布調査を含めた実態の調査を再度、独自に行うべきであると思いますが、明快なお答えを期待するものであります。  海の問題に関連して、ウミガメの保護についてお尋ねをいたします。  屋久島が北半球最大のアカウミガメの繁殖地であることは広く知られていることでありますが、毎年二千頭ものウミガメが産卵のために上陸する屋久島の砂浜が、最近やせ細ってきていることを多くの人々が心配しております。また、海岸のすぐ横を道路が走り、車の往来によるヘッドライトの明かりや騒音が、光や音に敏感なカメの上陸を妨げている事実も指摘されるようになっております。このような状況が続けば、屋久島からウミガメの姿が減少し、いつの日か全く上陸をしない事態が来ないとだれも保証はできません。早急な手だてが求められていると思いますが、人々の善意と熱意で行われているウミガメ保護対策の抜本的な検討をお願いしたいと思います。  そこで、とりあえず永田地区における海岸保全対策と、道路から海岸までの間の民有地の買い上げの可能性についてお答えをいただきたいと存じます。  また、地元の上屋久町が計画をいたしておりますウミガメ海洋博物館構想への県の支援について、考え方をお伺いいたします。  次は、港の問題であります。  外海の離島である屋久島は、交通の手段は海と空しかありません。特に一度に多くの人と荷物を運ぶ手段は、今のところ船に頼るしかないのが現状でありますから、港の整備が急務であることは論をまちません。そこでお尋ねいたしますが、屋久島の二つの主要な港の位置づけについてであります。現在の宮之浦港と安房港の整備状況は十分承知しているつもりでありますけれども、今の計画は、両港をいつごろまでに、どのような港として展開されるおつもりかについて明らかにしていただきたいと思います。現在の県が持っている計画では、船の高速化、大型化に十分な対応ができず、計画の前倒しや抜本的な見直しが求められていると考えるものですが、御見解をお伺いいたしたいと存じます。  これに関連して、地元の要望が強い、宮之浦港のジェットフォイルの専用桟橋については、現在の港湾整備計画とは別の観点で早期の実現が図れないものかについてもお答えいただきたいと思います。今のままの港の利用形態では、せっかくつくられようとしている環境文化村センターとの有機的な連携がとれず、センターの設置目的に沿わないばかりか、安全面からも観光客の利便の上からも問題が多いと指摘せざるを得ないのであります。  次は、道路の整備について質問いたします。  屋久島を一周する県道のうち、永田灯台付近から川原三号橋までの約九・五キロのうち第一期実施区間の二・五キロメートルが、県内で初めてのエコロード計画としてスタートしています。地域の自然環境の状況に応じ、きめの細やかな対策を講じた道路建設として島内外の注目を集めておりますが、この計画の現状と今後の展開についてまずお答えをいただきたいと思います。  次に、屋久島の道路は、屋久島の形状や土地利用の形態からして、ほぼ円形の基幹道路としての県道と、それから枝葉状に延びる生活道路や、主として観光に利用される道路に大別されるのではないかと思います。エコロード計画地域を除いて、県道に比べてその他の道路の整備がおくれている状況のように見受けられておりますが、特に観光客が好んで訪れる山岳地へ通じる道路については、危険箇所も多く、安全面からも整備が急がれなければなりませんが、県道昇格の課題も含めて、島内の道路整備の方向についてお考えをお伺いしたいと思います。また、屋久島にふさわしい道路の植栽についても、特段の研究が必要であるとの指摘もありますが、今後の対応はどうされるおつもりかお答えください。  屋久島を訪れた人々が異口同音に言われるのが、山岳部のすばらしさに比べて、港や空港におり立ったときの第一印象の意外な悪さと平坦部の景観の改善への要望であります。それらは今後の港湾整備計画や道路整備の中で改善されていくものもあると思いますが、世界遺産の島として、町並み整備と景観対策は欠かせない視点であると言えます。また、生活環境の整備に欠かせない下水道やごみ処理対策も大きな課題として求められている状況にあります。特色ある屋久島らしい町並みの形成や生活環境を改善していくための都市計画は今後どのようにあるべきだとお考えでしょうか。また、地元両町をどのように指導していくおつもりなのかについてもお伺いいたします。  先ほども申し上げましたが、今後、来島者がふえることが予想されますが、それに伴って排出されるごみの処理は、早目の手だてを講じておかないと手おくれになる可能性すら秘めています。そのことはひいては島の環境や自然に悪影響を与え、宝の島を台なしにしてしまいかねません。地元両町も強くそのことを懸念しており、両町が力を合わせて、ごみ処理施設への対応を考え始めています。将来の需要を賄えるだけの規模でとみ処理施設を建設をするとすれば、環境への配慮等も考慮すると、大まかな試算で約七十億円もの巨額の投資が必要だと聞いてまいりました。この額が両町の年間予算を超えてしまうほどのものであるとも聞いて、改めてびっくりいたしたところであります。まだ具体的な計画として進んでいるわけではありませんが、国や県が支援するとすればどのような方策があるかお聞かせいただきたいと存じます。  次は、屋久島における医療の課題についてであります。  屋久島には総合病院がありません。一般診療所十施設、病床数八十八床があるのみであります。現在、八人のお医者さんが一人当たり千七百三十二人の住民の健康を守るためにその任に当たっておられます。これは県平均五百五十六人の実に三・一倍も大きく上回っております。また、診療科目も、眼科、耳鼻咽喉科や精神科はなく、島外に依存しております。こんな状況ですから、平成二年の調査では、島から鹿児島医療圏に流れていく患者さんは、入院二百九十七人、外来百三十五人といったありさまであります。これは地元の町の推計ですが、国民健康保険、社会保険合わせて年に二十二、三億円ものお金が主に鹿児島医療圏に持ち出されているようであります。  救急医療の体制も厳しい状況に置かれております。第一次救急医療については何とか島内で確保されておりますけれども、第二次救急医療についてはすべて鹿児島市内に搬送することになっております。地域内の救急医療患者は年々増加傾向にあり、重篤な患者はその多くが島外へ搬送されているのが実情であります。平成元年には、救急医療患者で島外へ搬送された人の数が六十二人にも上りました。そのうちヘリコプターが二十人、定期航空機が十八人という状況です。これが、自然遺産登録「世界の屋久島」の医療の現実であります。  このような状況から何とか脱却しようと、屋久島の行政も、議会も、住民も、二次救急医療施設を含む総合病院の建設を悲願として長年努力してまいりました。公的、準公的な方法での病院建設も考えたことがあったようですが、維持や経営の面から断念せざるを得なかったようであります。各方面の医療法人、病院経営者、お医者さんたちにも要請を続けてまいりましたが、すべてうまくいきませんでした。ところが、長年の努力のかいがあって、ようやく病院をつくろうと言ってくれる人があらわれたのであります。  しかし、この朗報も、地域保健医療計画という壁にぶち当たったのであります。現保健医療計画によると、熊毛保健医療圏の病院病床数は三百四十三床と定められており、既存病床数が二百六十二床であるので、差し引き残りは八十一床しかないところに、種子島に新・増設の申請が百十一床出ているのであります。これだけで計画を既にオーバーするわけですから、屋久島に総合病院をつくることは、この計画ではできなくなるということになります。これが屋久島の病院建設問題のあらましでありますが、ここまでの経過について、そして現状については県は十分御承知のことであります。県が先刻御存じのことを少々長々と説明をいたしましたのは、この議場の先生方に屋久島の医療についての実情を御理解をいただきたいがためであります。  そこで知事にお尋ねいたします。屋久島の深刻な医療事情を改善し、島民の長年の悲願をかなえるために、県はどのように対処しようとしているのか、いつまでに解決するつもりなのかについて、前向きの見解をお示しいただきたいと思います。  次は、口永良部島について一点だけお伺いいたしますが、屋久島に隣接するこの島を私たちは一体的にとらえるとともに、ともに振興発展させていこうと考えております。県の認識も私たちと同じであることを期待するものでありますが、いかがでしょうか、お答えをいただきたいと思います。  さて、屋久島の諸課題についてたくさんの質問をしてまいりましたが、今屋久島にとって最も必要なのは、緻合的な見地から個々の課題を調整し、地元の要望をしっかり受けとめながらきちんと執行する総合行政であると思います。県は、ことしの四月に組織機構の改組を行い、熊毛支庁屋久島事務所を設置されました。その趣旨としては、屋久島が自然遺産に登録されたことに伴う行政需要の増加に対応するため、屋久島地区の出先機関の事務執行体制の強化を図ることになっております。県が屋久島事務所を設置されたことについて、私は前向きに評価するものでありますが、まだまだ不十分であると指摘せざるを得ません。  私がこれまで質問を展開してまいりました事柄は、広範な行政分野にわたり調整を図りながら進めなければならないものばかりであります。また県が主導して推進しています屋久島環境文化村構想は、自然と地域と人々が相手であり、地元での十分な連絡・協調体制が必要であります。縦割り行政自体が悪だと言うつもりはありませんが、屋久島においてこそ、横断的な力で行政の持つ能力を最大限に発揮し得る可能性を持つと信じるものであります。大胆な権限の委譲と責任の明確化をなした上で、屋久島総合事務所設置を強く求めるものでありますが、知事の見解を伺うものであります。    〔知事土屋佳照君登壇〕 21 ◯知事(土屋佳照君)一湊漁港におけるサンゴにつきましては、基本的には、貴重なものであれば保存すべきであるという考え方に変わりはございませんが、一湊漁港の整備につきましては地元の強い要請もあり、県としても漁港整備の必要性を十分認識をいたしておりますので、現在調査中のサンゴの調査結果を踏まえ、一湊漁港の整備が推進できるよう対応を検討したいというのが、私の気持ちでございます。  それから屋久島事務所でございますが、屋久島が自然遺産に登録をされたことに伴う行政需要の増加に対応いたしますとともに、この地区の出先機関の事務執行体制の強化を図るために、この四月に、土木、土地改良及び福祉の三出張所を再編統合して屋久島事務所長のもとに、総務課など五課を設けて総合化を図り、またこれにあわせて工事執行権限の引き上げを行ったわけでございます。  この体制は、各部門間の相互の連携や迅速な事務執行に寄与していると私は受けとめております。もとより屋久島の振興や屋久島環境文化村構想の推進は、屋久島事務所のみで完結できるものではございません。これと熊毛支庁、本庁とが一体となって取り組むべきものであると考えておりまして、極めて重要な問題が多いので、こういう事務所をつくって、そこから迅速に、これという問題があればすぐ私の方へ直結して話が伝わるようにしてくれと、特に私から頼んであるわけでございます。そういったことでございますので、今後とも私どもとしては、今回の改組を基本に総合的な行政の推進に努めてまいりたいと思っております。  ただ、それはすべて物事は常に固定的に考えることはございません。いろいろな試行錯誤の中で、またいろんな問題が出ればいろいろ改善するということはあるかと思いますが、こういうねらいでせっかくつくったわけでございますので、一生懸命総合的な行政推進ができるようにしてきたいと思っております。 22 ◯農政部長(林 孝生君)野猿防除対策についてでございますが、これまで電気さくの整備や啓発普及用看板の設置などについて助成を行うなど、地元と一体となって取り組んできておりますが、野猿に対する農作物被害が依然として県内各地で発生しておりまして、その被害防止は今後とも農家経営と地域農業の振興を図る上で必要でありますことから、本年度、屋久島におきまして、コスト低減や耐久性向上などのための新たな電気さくの実証試験を進めております。今後、この実証試験の成果なども踏まえまして、平成七年度以降の事業の取り組みとその内容について検討を進めてまいりたいと考えております。  なお、野猿用の犬の飼育登録手数料に対する助成につきましては、この手数料が狂犬病予防のための登録に際しての対価として県が徴収しているものでありますことから、これを県の補助事業の対象といたしますことは困難ではないかと考えております。 23 ◯保健環境部長(安達一彦君)環境庁の調査でございますが、これは地元関係者からの聞き取りなどから得られた情報をもとに、目視によるサンゴの分布状況の把握、あるいは潜水によりますサンゴ群集の生態等についての調査を行ったものでございます。今年度末に予定されております調査結果の公表時には、屋久島を含めまして、県内のサンゴの生息状況等が明らかにされるものと考えており、申しわけございませんが、県が再度調査を行うことは現在のところ考えておりません。  次に、田舎浜の車道から海岸側につきまして、約二万二千平米の民有地が存在しております。その所有者は二十二名に上がっております。この買い上げにつきましては、過去に地元町が検討いたしましたが、価格や相続登記の問題があることなどから断念をせざるを得なかったというふうに聞いております。これまでの経緯を見ますと、買い上げはなかなか困難であると思われますが、県といたしましては、ウミガメの保護対策としてどのような方法があるのか研究してまいりたいと思います。  ウミガメ博物館につきましては、地元町におきましてその必要性が認識され、種々検討されておられますが、現在のところ、具体的な建設計画の立案までには至っていないというふうに聞いております。今後、地元町の計画が具体化する場合には、県といたしましても何らかの支援方策がないか考えてまいりたいと思います。  屋久島のごみ処理施設につきましては、両町の施設とも老朽化してきておりますことから、近い将来、新たな施設を整備する必要があるというふうに聞いております。今後、建設主体あるいは施設規模等につきまして、それぞれの町あるいは両町共同で検討されるものと考えておりますが、県といたしましては、その検討状況を見守りながら、国庫補助制度が有効に活用できるよう指導してまいりたいと思います。  熊毛医療圏でございますが、残り許可枠は八十一床となっております。このような中で、現在、種子島におきましては、二件の病院の新・増設申請が出ております。また屋久島につきましても、病院新設の計画が提示されております。熊毛の病院整備につきましては、県医療審議会におきましても、熊毛保建医療圏については、屋久島に病院がないこと等の特別な事情を考慮して弾力的な対応が必要であるとの答申が出されております。  県といたしましても、地域の医療供給のバランス等を考慮しますと、屋久島には二次医療等に対応できる病院の開設が必要であるというふうに考えております。このような観点から、残りの病床枠の効果的な活用を図りますとともに、必要に応じて病床枠の特例加算の可能性につきましても厚生省と相談するなど、できるだけ早く結論が出るよう努力してまいりたいと思います。 24 ◯土木部長(奥田 朗君)まず、屋久島の永田の田舎浜は、国有財産法による一般海浜地となっておりまして、財産管理は県で、海岸としての機能管理は町が行うことになっております。当地区はウミガメの上陸、産卵地でもありますことから、海岸保全対策につきましては、専門家の意見も伺いながら、地元の上屋久町とも十分連携をとって、どのような対策を行えばよいか検討してまいりたいと存じます。  次に、宮之浦港及び安房港の整備状況でございますが、まず宮之浦港の整備につきましては、地元の要請により、定期船岸壁の混雑を解消し、港湾利用者の利便の向上を図るため、宮之浦港地区につきまして、定期船岸壁の五十メートル延長を行ったところでございまして、また平成五年度よりは、現在の狭隘な埠頭を大幅に拡張するなど抜本的な改良を進めているところでございます。また、火之上山地区につきましては、平成七年度に貨物線埠頭でありますとか、道路等の完成を図る予定にしております。  安房港につきましても、沖防波堤の整備を進めますとともに、ジェットフォイルの就航に対応いたします施設の整備に平成五年度より着手いたしまして、平成六年度末の完成を目指して整備を進めておるところでございます。宮之浦港、安房港とも、屋久島環境文化村構想もございまして、今後とも海の玄関にふさわしい魅力ある港づくりに努めてまいりたいと存じます。  次に、宮之浦港におけるジェットフォイルの接岸でありますが、現在、定期船や観光船が利用しております岸壁を共用しておりますことから、浮き桟橋の設置につきましては、現位置では困難でございますので、対応策につきまして、今後、地元や関係機関とも協議いたしまして検討してまいりたいと存じます。  次に、主要地方道の上屋久・永田・屋久線の川原地内の二・五キロの整備計画につきましては、これまで自然環境に配慮した県内初のエコロードとして環境庁との協議を進めまして、本年六月一日に自然環境保全審議会に諮問され、環境庁の諮問どおりの答申がなされました。現在、工事着手前に必要な手続でございます事業執行変更承認申請のための詳細設計でありますとか、地質調査等を実施しておるわけでございます。できるだけ早くこれらの諸調査を終え、環境庁の承認を得て、用地買収や工事に着手することといたしております。残る七キロにつきましては、二・五キロ区間の事業の状況等を見きわめながら、建設省、環境庁など関係機関と協議いたしますとともに、地元両町の意見も聞きながら整備手法等を検討してまいりたいと存じます。  次に、屋久島を一周する県道につきましては、一部区間を残して整備は済んでおるわけでありますけれども、山岳道路につきましては、県道及び町道とも未整備の区間が多く残っている状況でございます。現在、県道の屋久島公園・安房線や、地方道の白谷線等を整備中でございますが、今後とも、周辺の地形や環境になじんだ道路線形や構造形式を採用して、自然環境に調和した整備を進めてまいりたいと思っております。  なお、屋久島における県道認定につきましては、主要観光地ヘアクセスする路線等も考慮しながら、今後の全県的な見直しの中で検討することといたしたいと存じます。  次に、路傍樹の樹種でございますが、屋久島地域は、国立公園にも指定しておるわけでありまして、世界遺産条約に基づく自然遺産にも登録されておりますことから、今後は、県屋久島事務所や役場及び観光協会で構成しております屋久島道路景観整備検討委員会の意見を参考に、島固有の樹種を選定するなど、自然景観に配慮した、屋久島にふさわしい道路植栽を推進してまいりたいと存じます。  次に、屋久島の都市計画でございますけど、まちづくりにつきましては、共生と循環を基本理念といたしました屋久島環境文化村構想に基づきまして、豊かな自然環境と調和した、潤いと安らぎのある快適な環境の形成が必要であると考えております。今後の都市計画を進めるに当たりましては、両町におきまして都市計画マスタープランを策定いたしまして、用途地域の指定による計画的な土地利用を図りますとともに、道路や公園等の都市施設の整備を進め、特色ある屋久島らしい町並みの形成や生活環境の整備が図られますように指導してまいりたいと存じます。 25 ◯企画部長(吉留史郎君)口永良部島につきましては、離島の中でもさらに条件の厳しい離島でございます。また活火山を抱えておりますことから、過疎化の進行が著しく、高齢化も進展するなど、極めて厳しい状況にございますが、一方では自然の牧野を利用した肉用牛の生産が盛んでございますし、周辺には好漁場も有しているところでございます。  県の離島振興計画におきましては、口永良部島につきまして、屋久島との一体化とあわせまして、島内でも各種の定住条件の整備に努めることとし、これまで、港湾・漁港の整備や航路補助、草地開発などの離島振興事業を進めますとともに、県単独の特定離島ふるさとおこし推進事業によりまして、牧道整備によります畜産の振興や、農道、林道の整備によります産業の振興、避難・待避ごうや飲料水施設の整備などの生活環境施設の整備を進めているところでございます。今後とも、屋久島との一体化を促進しながら、定住条件の向上を図りますために、地元町との密接な連携のもとに、屋久島と結ぶ交通体系の整備を図りますとともに、島の特性を生かしました畜産や漁業の振興、生活環境の整備、医療・福祉の確保など、各種事業の積極的な推進に努めてまいりたいと考えております。    〔青木 寛君登壇〕 26 ◯青木 寛君 それぞれ御答弁いただきました。  その大方については大変前向きに取り組んでいただけるものというふうに確信をいたしております。ただ、ウミガメの保護のための民有地の借り上げについては、現在のところ考えていないというような消極的なことではなくて、自然環境保全の名目で行政が民有地を借り上げた例は、北海道の釧路湿原にもございますし、広島県の中国山地のブナ林の保護のために行われた実例もありますし、大分県の湯布院の小田の池湿原の民有地を借り上げた例があるわけですから、県の方としても、海岸の側が責任を持つのか、道路の側が責任を持つのかは行政で話をしていただければ結構ですから、ぜひ手おくれにならないうちに前向きの対応をしていただきたいと思います。  病院問題でありますが、本来、屋久島の医療をどうするかということは、県が主体的にきちんと対応すべき問題であったわけです。長い間しかし、地元の人たちが熱意と信念を持って取り組んできて、ようやく病院がつくれる寸前までこぎつけたわけですから、その熱意にやっぱり県はおこたえをいただきたい。保健環境部長は「できるだけ早く結論を出したい」、こうおっしゃっておられますので、知事の政治決断を強く求めるものであります。  私は、時間がきょうは足りませんで、質問をいたせなかったことでたくさんまだまだお聞きしたり、意見を申し上げたりしたかったわけでありますが、この次の十二月議会に、また私ども屋久島議員連盟の同志が質問に立つ機会もあろうかというふうに思っておりますので、その機会にまた譲りたいと思います。  豊かな自然があるところに住んでいる人々の暮らしも豊かになるということを、ぜひこの屋久島で実現をするために、お互いに頑張りたいものだと思います。  ありがとうございました。(拍手) 27 ◯議長(鶴田辰巳君)ここで、休憩いたします。  再開は、おおむね午後一時十五分からといたします。         午後零時 五分休憩       ─────────────         午後一時十六分開議 28 ◯議長(鶴田辰巳君)再開いたします。  上原一治君に発言を許可いたします。    〔上原一治君登壇〕(拍手) 29 ◯上原一治君 今、ここに登壇し、議場を見ますときに、四九番議席に橋口茂議員、四七番議席に日高美成議員のありし日の雄姿に接することができず、痛惜の念にたえません。謹んで哀悼の誠をささげるものであります。  橋口茂議員は、日置郡金峰町花瀬に生まれ、地域医療や町長、県議会議長等の活動を通じて尽力され、愛してやまなかったふるさとの地に永眠をされました。私も今こそ東市来町に居を構えておりますが、当時私の生家も金峰町花瀬にあり、橋口先生とは同郷の先輩、後輩の間柄でありました。しかしながら、県議を志して以来、選挙区を同じくし、互いに郷土のために競い合う関係となりました。  私が県議会に初当選しました昭和五十八年の選挙以来、三回の選挙では、橋口先生と血を血で洗うような激しい戦いを続けてまいりました。しかしながら、一たん議会にありましては、橋口先生は、議会の先輩として、また人生の先輩として、私に苦しい試練に耐え抜く政治家として必要な精神的な強さを身をもって教えてくれました。  同じく、日高美成議員とは今から約二十一年前、当時屋久町議会副議長を務めておられましたとき、まだ二十五歳の若輩の私でありましたが、そのときから深いおつき合いをさしていただいた仲であります。  美成先斐との多くの思い出を思い起こすとき、特に印象深くの残っていることがあります。昨年、美成先輩は自民党県議団会長でありました。私は、筆頭副会長として美成先輩に仕え、ともに一体となって県議会に発生したいろいろな難しい事件の処理や、議員定数の増減問題等で昼夜の別もなく全力を尽くしました。その活動の中で美成先輩はその優しさ、思いやりのある人柄を通して、まじめな政治、真剣な政治、誠実な政治を私に教えてくれました。お世話になった二人の大先輩に感謝の心をささげ、最後のお別れを申し上げ、私の質問を始めさしていただきます。  今、鹿児島県でホスピスを考える会という市民運動が起こっているのを御存じでしょうか。鹿児島県にもっとホスピス的なケアが始まり、いつかホスピスができることを願って、平成六年二月に発足をしております。現在県内各地からの会員数が百七十一名、医師、看護婦、保健婦、看護学生、医学生、主婦、宗教家、大学教授、サラリーマン、弁護士、がん体験者、その家族など実にさまざまな方々であります。定例会や機関紙発行、広報活動、そしてその中の分科会としてボランティア分科会も発足し、勉強会を行っております。五月十五日に開催した市民文化ホールでの山崎章郎原作「病院で死ぬということ」の自主上映会では、収容人員をはるかに上回り、立ち見席を出すほどの一千五十名余りの観客で大変な反響でございました。上映後の質疑応答では、会場から多くの熱心な御意見が相次ぎ、関心の高さがうかがえました。  実は、私もこのホスピスを考える会の一員でございます。発会と同時に会員の皆様と一緒にボランティア活動を続けているところです。皆様はもう既に御存じで、私が申し上るまでもないと思いますが、ホスピスとは、医師、看護婦、ソーシャルワーカー、ボランティアなどがチームを組み、がんなどの悪性疾患にかかり、終末期にある人の肉体的、精神的苦痛を和らげ、その人がその人らしく、最後までよりよく生き、人間らしい死を迎えるための医療と介護をするところであります。  なぜ、私がこのホスピスにこのようにこだわるのかと申しますと、これは個人的なことで大変にお話をしにくいのですが、実は私の家内は七年半前に二度目の選挙の直後がんの手術をいたしました。大変に厳しい闘いでありました。異常に気づき検査したときは良性だったのですが、当選後病院に駆け込んだときは簡単な手術で済むはずのものが、悪性化、即入院手術だったのでございます。最初病院に行ったときから、ちょうど一年もたっておりました。家内はもちろんのこと、私も今までは全く考えても見なかった死というものを、ぐんと身近に自分のこととして初めて意識をしたのであります。「がん」「生」「死」に関する本を読みあさりました。その中の一冊、山崎章郎医師の書かれた「病院で死ぬということ」に深く心を打たれ、ホスピスの必要性を感じたわけでございます。  今、日本人の四人に一人は、悪性新生物、いわゆるがんで亡くなると言われております。その数は全国で二十三万一千九百十七名でありますが、鹿児島県では一万五千九百七十人のうち、三千九百九十八人ががんで亡くなっておりますので二五%、やはり四人に一人という割合です。  また、ここ数年は、心疾患や脳血管疾患を抜いて悪性新生物の死因が第一位を占めていることは、よく御承知のところであります。  では、この悪性新生物による死亡者はここ十年間にどのように増加しているかと申し上げますと、対人口十万人に対し、全国では昭和五十七年に百四十四名、平成四年では百八十七名と明らかに増加をしています。そして本県は昭和五十七年には百六十九名、平成三年には何と二百二十四名と、大変その増加率が高いわけであります。  ホスピス発祥の地はイギリスであります。一九六七年、昭和四十二年にシシリーソンダースさんという方が、近代ホスピス第一号、セントクリストファホスピスをつくり、現在、英国内には約二百のホスピスがあります。アメリカは一九七四年、昭和四十九年にコネチカットホスピスができ、現在ではアメリカ全土に約二千のホスピスができております。それぞれの国の風土や国民性、宗教、経済状態により、それぞれの形でホスピスが運営されておりますが、それにつきましては、今後機会をみて詳しくお話をしていきたいと思います。  ちなみに、大変単純な計算ですが、日本とアメリカのホスピスの人口比率を出してみました。アメリカでは十二万五千人に一施設があり、日本では三百数十万人に一施設という数字が出てきますので、いかに日本のホスピスが少ないかということがおわかりいただけるかと思います。日本には、現在、完全独立型のホスピスが一つ、平成二年二月から厚生省が認可し、病院に付設した緩和ケア病棟が十三、その他認可されていないホスピスもありますので、全部で三十二、三くらいでございます。その中には、亡くなられた患者さんの香典返しの寄附から始まり、多額の寄附金と市民運動で設立された山崎章郎医師のおられる東京都小金井市の聖ヨハネ桜町病院、また二十一世紀に通用する病院をと行政の積極的なかけ声によって設立された富山県立中央病院などがあり、それぞれがとても興味深いものであります。  私たちの鹿児島県の現況を見てみましょう。残念ながらホスピスあるいは緩和ケア病棟はございません。しかし、ホスピスへの関心、必要性が決して低いわけではございません。県内にも終末期医療の大切さを痛感し、熱心な働きかけをしていらっしゃる先生方もおられます。鹿児島大学医学部麻酔科の吉村望教授は平成五年から緩和ケア終末医療の普及に力を入れ、講演会や実践報告など、病院内外で積極的に活動をしていらっしゃいます。モルヒネなどの鎮痛薬で末期の患者さんの九〇%は痛みから救われるというのに、麻薬中毒になるなどといった間違った意識から、もだえ苦しみながら亡くなる人が多い。そんな救われないがん患者のためにおくれているWHO方式の導入を末端まで定着させるのが、自分の使命ですと吉村先生は言っておられます。  また、国立南九州中央病院放射線科の牧野正興部長は、日本の病院ではまだ告知が進んでいないが、告知をしないと医師への不信が募り、症状はかえって悪くなるケースが多い、緩和ケアを十二分に行うには、告知はとても必要なことで、もうその時期は来ていると平成五年十一月病院内にインフォームド・コンセント研究会(説明と同意)でございます。を発足させ、終末期医療や告知について勉強会を持っていらっしゃいます。それだけでなく、恐らく私たちの知らないところで厳しい条件の中、精いっぱいの看護と介護に明け暮れている多くの医師や看護婦たちがおいでだと想像するところであります。  そして、ホスピスを考える会には、大変に切実な声が寄せられ、多くの参加者の方々のホスピスヘ寄せる思いにただ驚くばかりであります。例を申し上げます。  私たちの目の前で、チューブ類に縛りつけられた患者さんたちがいます。どうにかしたいのに、どうにかしてあげたいのに、心の葛藤が毎日続きます。二十六歳の看護婦さんの声であります。  母が六十一歳で肝臓がんで亡くなりました。本人はがんと知らないままでした。何か私に言いたかったのでは、そして、もっと何かやって上げること、やるべきことがあったのではないかと、今でも心に残り毎日仏壇に手を合わせています。  末期においてもっと心豊かな生き方をさせてやりたかったと思います。母親を亡くされた五十一歳の男性の声です。  父ががんで入院しています。精神的なケアに対して映画の病院と余りに違うので愕然としています。四十三歳の男性の声です。  定例会や映画会でのアンケート用紙の中には、このような声がたくさん寄せられ、ホスピスを考える会を応援し、期待する方々がいっぱいであります。そしてホスピスを考える会、世話人のところへは、私は再発してもう長くありません。鹿児島にはホスピスはないでしょうか、どこか行くところは。  また、がんの転移で、足の骨が痛く、放射線治療をしているが、痛みがとれません。今、錠剤を飲んでいるのですが、主人は胃の全摘手術をしましたが、再発し、余り長くないのです。先生がやっと痛みどめを打ってくださっても痛みはとれず、口にタオルを押し込んで泣いて転げ回り、私にもう楽にしてくれと頼みます。どうしたらいいのでしょうかと、四十二歳の夫を持つ妻の悲痛な電話がかかってくるのです。  幸いなことに、この方は、ホスピスを考える会の会員でいらっしゃる斎藤というお医者様がすぐ引き取ってくださり、適切な処置でその日のうちに痛みがとれ、今安らかに眠っています。本当にありがとうございましたと泣きながらお礼の電話のいただきました。会員の中には、がんの体験者、また、現在もがんと闘っている方が何人もいらっしゃいます。その中の一人の青年のお話をいたしましよう。  彼は、最初この会に来たときは、顔色も大変悪く、目もうつろで、もう僕はだめです。再発していますとノイローゼ気味でありました。一級建築士の資格を持っているとのこと、繊細でとても気の優しい青年ですので、無理もありません。再発の恐怖に追い詰められ、複雑な人間関係から、完全な医療不信に陥っていました。ところがこの入会をきっかけにホスピスの仲間の新しい医師に出会い、またホスピスの仲間に接し、どんどん元気を取り戻して来ました。ホスピスの会に来るたびに生き生きと明るくさわやかな本来の彼に戻ってきました。僕はこの会に来るのがとても楽しみです。とても次の会が待ち遠しいのです、と話します。建物こそありませんが、もう既にホスピス的なケアが始まっているのではないでしょうか。ホスピスを考える会、そのものがホスピス的ケアと言えます。  東京都は平成三年度からターミナルケアについての検討を進めており、また緩和ケア病棟整備費補助として二十床、約八千四百六十万円分の面積を上限に建築費の三分の一を都が負担するようになりました。  例えば、先ほどの桜町病院の補助もそうであります。また、愛知県は終末期の医療に行政としてどう対応するかを深るため、県衛生対策審議会に末期患者のケアに関する専門部会を設置し、検討を進めています。こうした問題が愛知県議会で取り上げられるようになったのは、昭和五十六年ごろからで、同年の九月議会で自民党議員がホスピス建設の必要性を提案したのがきっかけでありました。衛生対策審議会に設置された専門部会の一員として前鹿児島大学長であり、現在国立中部病院長でいらっしゃる井形昭弘先生が行っていらっしゃることは特に注目すべきことではないでしょうか。  専門部会では、審議に当たり、国が承認しているいわゆる緩和ケア病棟など全国にあるホスピスを視察することも考えており、幅広い意見交換をしながら、ホスピス建設へ向けて、県の対応を探っております。  また、欧米だけでなく、日本国内でも生命保険会社等が、よりよい終末のための生前給付金の普及を始め話題となっております。このような日本国内の動きを見てみましても、全国で三番目の高齢県であります本県は在宅ホスピスも含め、その対応を急がなければならないのではないでしょうか。  ホスピスの必要性、これはまさに時代の必然でもあると言えます。  私どもの会の取材にいらしたある新聞社の方が、もっと勉強がしたいと県庁を訪れたそうです。ホスピスの窓口を探したがなかったと、驚きながら私のところへいらっしゃいました。この一言で本県のホスピスに対する取り組みが象徴されております。担当者を設置し、そこを事務局として、東京都及び愛知県のような緩和ケア検討委員会を設置すべき時期にきているのです。ホスピス建設はそう簡単なことではないでしょう。告知、経営や疼痛緩和への取り組み、死の教育など多くの課題があります。しかしホスピスを考える会及び会員は明らかに歩き出しています。この会が発足したことがホスピス建設への大きな第一歩ではないでしょうか。ホスピスができたらぜひそこで働きたい、私のこんな手と足でよかったら、何か人のお役に立ちたい、ボランティアをさせてください。そんな方が集まり、また会の運営に役立ててくださいと温かいお気持ちの寄附も寄せられております。鹿児島県にもっとホスピス的なケアが広まり、そして、いつかきっと構想のホスピスができてほしいと願って発足したホスピスを考える会、この輪はこれからさらに大きく広がっていくことでありましょう。そんな仲間の熱い思いを込めて知事に今後の本県のホスピスに対する取り組みを質問いたします。担当者と窓口の設置についてであります。    〔知事土屋佳照君登壇〕
    30 ◯知事(土屋佳照君)がん等の末期患者に対し、安らかな死を迎えられるよう痛みの軽減や精神的サポートを重視した患者ケアを行っていくことは、今日の社会において関心の高い重要な問題だと認識をいたしております。このようなケアを提携をする施設であるホスピスへの関心が、ただいまもるるお話のございましたように、社会的にも大変高まりつつある状況にございますので、県といたしましても、保健予防課を窓口にいたしまして、積極的に情報収集や研究を進めてまいりたいと思います。    〔上原一治君登壇〕 31 ◯上原一治君 ただいま土屋知事からホスピスへの理解を示していただき、また、ホスピスに関する窓口の設置が実現するという確かな答弁でございました。窓口ができるということは、その中に当然担当する方も設置するというふうに理解をいたします。このことは鹿児島県がホスピスヘ向けて大きな第一歩を踏み出した歴史的な出来事でありましょう。土屋佳照知事の終末期医療に対する認識のたまものであり、また、関係各課、職員の皆様方の深い御理解と御支援があったればこそと感謝を申し上げます。ホスピスを考える会、会員一同、意を強くし、ますます活発な活動を広げていくことでございましょう。県内各地で今、この時も痛みに耐え病と闘っていらっしゃる方々、それを支えながら、悶々としていらっしゃる看護婦さんや御家族のために死を避けることのできない私たち、すべての県民のために少しでも早いホスピス的ケアの充実とホスピス建設を願いながら、私のこの質問を終わらせていただきます。  次の質問に入ります。  去る八月十五日、TBS系ネットで「命なりけり、悲劇の外相東郷茂徳」という番組が放映されましたことは、御承知の方々も多いことと存じます。この番組の原作は東郷茂彦氏著作の「祖父東郷茂徳の生涯」という文藝春秋社出版の単行本でありますが、この本に触れたことが、私の日ごろの思いを改めて申し述べるきっかけともなったものであります。  改めて御紹介いたしますが、東郷茂徳先生は私の郷里でもある東市来町の陶芸の里、美山出身で太平洋戦争の開戦時と終戦時に外務大臣を務めた人物であります。明治十五年十二月苗代川に生まれ、現在の美山小学校であります下伊集院村立尋常高等小学校、そして鹿児島県尋常中学校、第七高等学校造士館を経て東京大学文学部に入学、卒業後外務省に入り、欧米局長、欧亜局長を経て、昭和十二年ドイツの全権大使に任ぜられ、さらに同十六年には外務大臣に任ぜられたものの、大東亜省設置に反対して閣外に去り、そして二十年敗色濃い状況の中で、再び外務大臣に就任し、終戦工作に当たったものの、敗戦とともに極東国際軍事裁判所に起訴され、昭和二十三年十一月に禁錮二十年の刑を受け、昭和二十五年七月拘禁中米陸軍病院で六十七歳の生涯を閉じたのであります。  先生の人生を凝縮して表現するならば、太平洋戦争開戦当時において軍部への説得、日米関係改善のための日米交渉、日米開戦回避のために入閣し、果ては敗色濃い昭和二十年再び入閣、その終結のために身命を捧げ本土が戦場になる前に大戦を終わらせ、我が国を救ったという実に大いなる業績であります。まさにその業績と人に対して畏敬の念を禁じ得ないのであります。  先生の外交官としての基本政策は、国際信義、条約の集成、平和的紛争処理というものであり、獄中日本の将来を憂えて家族にあてた書簡に「余の願いは、恒久的平和の世界を建設するにあった」と記しております。  この理念や思いは終戦が冷戦が終結したとはいえ、引き続き混迷を深め、歴史的変革期に特有の不安定な国際情勢のもとで、我が国がどのように対応していくべきかに示唆を与えるものでもあろうと考える次第であります。  私は、先生の業績に心打たれた一人として、また、郷土生んだ偉大な人物であると誇りに思う一人として、昭和六十一年第二回県議会定例会において、当席をかりまして、当時の鎌田知事に先生に対する評価をお尋ねしたことがありますが、鎌田前知事の評価も鹿児島の生んだ偉大な概世家であり、平和のために尽くされた誇るべき郷土の先輩であり、敬愛してやまないという御認識であり、まことに意を強くした次第であります。  さて、私が東郷茂徳先生について、るる述べてまいりました真意を申し上げますと、実は先生の生家が美山に残されております。しかしながら、今は住む人とてなく、家は朽ち果て、白壁土蔵の屋根は落ち、ただ、昭和三十九年に建立された終戦時の内閣書記官長故迫水久常氏の手になる頌徳碑がその庭に立つのみであります。  ちなみに碑の後ろに彫られた碑文は、終戦工作の主役を演じ、大業を完成し、国家と国民を救ったという言葉で結ばれております。そしてこの地は、先般東郷家から、東市来町に寄附されております。こうした由緒ある地に対して、地元東市来町では、陶芸の里である美山に陶芸の歴史などを紹介するやかたの整備や、東郷邸の復元、庭の保全、修景等も含めた美山薩摩焼の里計画の策定に取りかかっており、その一部については、既存制度を活用して事業化を計画しているものもありますが、この美山薩摩焼の里計画については、美山の持っている歴史的文化資源、人的資源等を最大限に活用して、観光振興はもとより、青少年の育成、国際交流など各面にわたる機能を持つものとして、町と県とで勉強会も設けて検討が進められております。この計画は、町単独のものではありますが、このような町の計画について、県の関係部を交えて勉強会をしているのは東市釆町が初めてだと聞いております、心強い限りであります。幸いに残されているこの生家を復元整備し、先生の経歴に触れられることは、今後の青少年の育成や、国際交流による相互理解を深めるためにも大きく貢献するものであり、また、計画されている薩摩焼総合記念館は薩摩焼の理解と伝承の拠点として、観光の振興という面にも寄与するものと考えます。  そこでお尋ねいたしますが、私は、地元だから申し上げるわけではありませんが、町が総合的な観光拠点として、取り組んでいるこの美山薩摩焼の里計画の推進に対して、県は財政的支援を含め、バックアップをするべきだと私は考えますが、知事はいかがお考えでしょうか。  もし、次の質問に入りますが、時間がないようであれば、要望だけでも結構でございます。  続いて、吹上浜の松くい虫対策についてお伺いいたします。  吹上浜の松くい虫対策については二十七日の一般質問で、吹上浜の南に住む本坊議員からも質問があったところでありますが、私は北側に住む者としてお尋ねしたいと思います。  串木野市から加世田市に至る白砂青松の吹上浜の海岸線は、古くから海水浴、キャンプ、貝掘り、浜競馬などのレクリエーションの場として県民に親しまれるとともに、我々地域住民にとっては飛砂、潮害、防備・保安林として指定されるなど、生活環境の保全や砂丘地農業など、地域産業振興上も重要な松林であります。このような美しく貴重な吹上浜の松林がここ数年著しい松くい虫の被害を受けていることは極めて残念であります。  最近の被害は、加世田市小湊地区付近から始まり、だんだん北上しながら、ことしは特に金峰町を中心として、惨たんたるありさまで、まさに撩原の炎の状況であります。このような状況が続くと、遠からず吹上浜の松林は松くい虫の被害により絶滅してしまうのではないかと思われるほどであります。  ところで、この美しい吹上浜の松林形成の歴史を振り返ってみますと、吹上浜は古来、松や広葉樹に覆われた豊かな森林であったそうであります。ところが宝永二年一六七四年、七昼夜にわたる大火によりことごとく焼けてしまい、それからというもの吹上浜から舞い上がる砂は田畑や集落を襲うようになったそうであります。このような砂のあらしを目の当りにして育った宮内良門は、何とかしてこの吹上浜を昔のような緑豊かな松林にしたいと考えていましたが、この熱心な願いは、薩摩藩の知るところとなり、潟取締役に命じられました。良門は村々に松林の造成を呼びかけ、農民と力を合わせて、松の植林に努め、吹上浜の松林造成に一生を捧げました。そして良門の後を次いだ三代の宮内家の人々や地域のみんなの必至の努力により吹上浜に少しずつ緑が戻ってまいりました。  しかし、その後潟取締役が廃止されると、せっかく植えつけらた松林も昔の荒れ果てたもとの砂浜に戻ってしまいました。安政六年、一八五九年、農民の苦しみを見かねた良門の血を引く宮内善左衛門が潟見回り役を買って出て、吹上浜の植林に全力を挙げました。その後、明治時代になってからも県や地元の人々によって植林が続けられ、明治三十二年からは本格的に国によって砂丘造林が開始をされました。今日のようなすばらしい吹上浜の松林は、このように三百年にわたる多くの人々の汗の結晶としてでき上がっているのであります。  一方、本県における松くい虫の被害は昭和二十一年ごろ日南市方面から志布志地域に侵入し、徐々に県下一円に蔓延していったと言われております。以来、吹上浜への松くい虫被害は何回かのピークを見ていますが、ここ二、三年は特に著しいのであります。このような状況に対し、県としては、いち早く松くい虫被害対策に取り組み、全国に先駆けて松くい虫被害対策のための県単独事業を実施をされておられます。  また、昭和五十一年に抜本的な松くい虫被害対策の立法化を目的とした松くい虫防除緊急対策推進協議会を本県が中心となって設置をし、初代会長に本県の知事が就任されるなど、松くい虫防除特別措置法制定に向けて並み並みならぬ努力をしておられます。  また、最近では、国、県、地元市町及び関係団体からなる松林保全対策連絡協議会が設置され、この協議会の呼びかけに応じて子供など地元住民によるボランティア活動が展開されているところであります。その活動の一つとしては、松くい虫被害を防ぐために被害木を林外に運び出す作業などを実施されています。県を初めとするこれらの努力に対しては、深い敬意を表するものでありますが、これらの努力にもかかわらず、依然として松くい虫の被害が続いております。吹上浜一帯の国有林と民有林を合わせた松林の面積は約一千七百ヘクタールで本数にすると三百四十万本に上ると推定されています。この松林のうち、松くい虫被害による被害木は平成三年度から五年までの三年間で申し上げますと、加世田市で四十二万八千本のうち十二万七千本が約三本に一本はやられているということになります。串木野市で六万本のうち二千本が、市来町で十四万二千本のうち六千本が、東市来町で八千本のうち二百本が、日吉町で十九万八千本のうち一万本が、吹上町で百万四千本のうち二万四千本が、金峰町で百五十八万八千本のうち十四万四千本が、それぞれ枯れてしまったと推定され、これは合わせると約三十一万本にもなります。全体の十本に一本が枯れてしまったということになります。  吹上浜の松林は、今まで述べましたように、今日まで多くの人々により植林され、育てられ、守られてきました。我々の世代でこの松林を消滅させるわけにはいきません。そこでお尋ねいたします。  まず、現在、国、県において吹上浜の松くい虫被害を防止するためにどのような対策がなされておるのか。また、松くい虫関連の県単独予算は、県が松くい虫対策にかける意気込みを示すバロメーターとも考えられるが、最近の伸び率はどうなっているか。  次に、吹上浜の松林は大部分が国有林であり、基本的には国みずから松林を保全すべきであると理解しておりますが、県としては県民、県土を守る立場から、国に対し、どのような働きかけをし、今後されていかれるのか。  ところで、松くい虫に強い松があると聞いておりますが、これはどのようなものか、また、今後このような松くい虫に強い松が被害跡地に植栽されるならば、吹上浜の松林の復旧に効果的であると考えますが、県の取り組みを伺います。  私は、県当局が松くい虫対策に積極的に取り組んでおられることは重々承知をし、また、県が国有林の被害対策を実施することができないことも理解しております。しかし、あの激甚な被害を見るとき、これを食とめる有効な手だてはないものか、ぜひいろいろと研究していただき、これまで以上に松林保全に取り組まれることを強く要望いたしまして、私の質問を終わります。    〔知事土屋佳照君登壇〕 32 ◯知事(土屋佳照君)御承知のように県内には多くのすぐれた観光資源があり、できるだけこれらを生かし、連携を持たせながら、観光の振興を図っているわけでございますが、今後とも観光拠点をそれぞれ整備しながら、点から線へ、線から面へと展開をしていきたいと私は考えております。そういう意味で東市来町の美山薩摩焼の里構想につきましても、観光の拠点となり得るすぐれた素材ではないかと考えております。  県観光基本計画におきましても、観光鹿児島21創造プロジェクトの一つに位置づけ、これまで構想の具体化に向けての助言を行いますとともに、いろいろな補助事業などを活用しながら、県としても体験交流センターや、トイレなどの整備についての支援を行ってまいっております。今後とも園地や観光案内板等の整備に対する支援を引き続き行いますとともに、構想に位置づけられております陶芸の歴史を紹介する施設の整備や、東郷元外相の生家の復元などの事業実施につきましても、町の事業内容が具体化した段階で財源の確保について、例えば、交付税措置のある有利な起債制度とか、各種補助制度の活用ができないかどうかといったことなどを含めて、できるだけ支援をしてまいりたいと思っております。  次に、吹上浜の松くい虫でございますが、先般私も現地に行く機会がございましたときに現状を見まして、本当に驚いた次第でございまして、これは何とか力をもっともっと入れなきゃならないと、改めて思った次第でございます。吹上浜の松くい虫被害対策につきましては、国有林、民有林ともに五、六月ごろヘリコプターからの薬剤散布や地上散布を実施いたしますとともに、秋から翌年の春にかけて被害木の伐倒駆除を行いますほか、特に貴重な松には、薬剤の樹幹注入を行いますなど、子防対策と駆除対策を組み合わせた対策を講じてまいっております。本年度は民有林におきましては、被害対策のより一層の強化を図るため、ヘリコプターからの薬剤散布の回数をふやしますなど、県単事業による防除に努力をしておるところでございます。また、国有林でも、これまでの被害対策費に最近さらに二千万円を追加するとともに、被害木の伐採につきましては、新たに素材生産業者を投入するなど被害対策の強化が図られております。  吹上浜一帯の松林は国土保全や景観の維持ということはもちろんでございますが、地域農業振興の上からも極めて重要な松林であると考えておりますので、今後とも吹上浜一帯の松くい虫被害対策につきましては、一層の努力をしてまいりたいと思っております。 33 ◯林務水産部長道園眞壽雄君)松くい虫対策の県単予算についてでございますが、松くい虫被害対策の県単事業は、これまでも被害の鎮静化に向けまして、ヘリコプターによる空中散布や、薬剤散布による被害木駆除などの県単事業を実施いたしまして、被害対策の強化を図っているところでございます。県単事業による防除対策費は平成三年度を一〇〇といたしますと、平成四年度は一七二、平成五年度は二九一、また平成六年度は三六七の伸びとなっておりまして、県といたしましても、松くい虫防除対策に努力いたしておるところでございます。  次に、国への要請状況でございますが、吹上浜一帯の松林はそのほとんどが国有林でありますことから、県といたしましては、これまでも国に対しまして、被害対策の徹底につきまして、強く要望を重ねてきておるところでございます。また、本年九月九日には加世田市長や金峰町長など関係市町長と一体となりまして、吹上浜の松林保全対策並びにその予算確保につきまして、林野庁に強く要望したところでございます。今後ともさらに、被害対策の強化が図られます国に対し、強く要請してまいります。  次に、松くい虫に強い松についてでございますが、松くい虫に強い松とは、松が枯れる原因となりますマツノザイセンチュウに対し、抵抗性を持つ松のことを言いまして、これを抵抗性松と呼んでおります。この抵抗性松の育成に対する取り組みにつきましては、昭和五十三年度から、国の林木育種センターを中心に始められ、これまで黒松十六系統、赤松九十二系統を抵抗性固体として選抜しているところでございます。  本県におきましては、昭和六十二年度から、隼人町に県営採取園を造成し、ここで黒松十六糸統の原種苗を育成しておりましたが、平成四年度からはこの県営採取園で採取した種子により、林業試験場におきまして、苗木の試験的な生産に取り組んでいるところでございます。今後はこの苗木のマツノザイセンチュウに対する抵抗性をチェックしながら、育苗技術の開発に努め、できるだけ早い時期に苗木の供給ができるよう努めてまいりたいと考えております。    〔上原一治君登壇〕 34 ◯上原一治君 私は、地域の自然資源はもとより、薩摩焼の歴史や東郷茂徳先生生誕の地という社会資源を有効に活用し、自発的な地域興しを図ろうという、この計画は、去る六月に公表された四全総の総合的点検調査報告書にもある交流人口の増加による、地域振興をも目指したものであり、まことに時宜を得た計画であると思います。  ただいまの前向きな御答弁は、今後の計画推進に大きな弾みとなるとともに、地元町民はもとより、地元商工業関係者にも大きな励みになるものと確信をいたしております。今後とも東郷茂徳先生の我が国に対する貢献をしんしゃくしていただき、県としての温かい御配慮を申し上げておきます。  また、松林保護につきましては、知事も視察に行かれたとおっしゃいましたが、私も先日、日曜日、あの小湊海岸に行ってまいりました。まさに一本も残っておりません。全滅であります。県からちょうだいした資料では全体で十分の一が枯れてしまった。また加世田市では三本に一本が枯れてしまったと、そういう資料でございました。本当にこの資料は正しいのかなと思うぐらいの現実でございます。こういうことを踏まえた上で今も一生懸命にやってくださっておりますが、国に全県的な働きかけをし、国の力も動かして、抜本的な対策をしていただきたいとお願い申し上げまして、私の質問をすべて終了いたします。(拍手) 35 ◯議長(鶴田辰巳君)次は、梶原修一郎君に発言を許可いたします。    〔梶原修一郎君登壇〕(拍手) 36 ◯梶原修一郎君 近世日本は、明治、大正、昭和、平成と推移してまいりました。その中で、大正という時代はほんのちょっとだけの時代であったと言われております。しかしながら、考えてみますと、この世代に生まれた人たちは、さきの大戦でも一番大きな犠牲者になられた方々でございます。と同時に、あのかつて経験しなかった敗戦という事態の中から、現代の日本を築き上げた人たちでもございました。  この大正の末期に生を受けた同僚の議員の方々、昨年は三月に尚野議員、また本年に入りましてから前議長の橋口議員、日高議員と次々にお亡くなりになりました。私は前議長の橋口議員には、議員としては大先輩でありましたが、同年ということで何でも言い得た方でもございました。また、日高議員は私と同じシベリア引き揚げ者、そして戦後一緒になって昭和二十五年から県の青年団運動を続けた仲間の一人でもございました。そうしたことから、本当にひとしお哀惜の念絶えない感じを強くした一人でもございます。改めてお二人の御冥福を心からお祈りして、最後の質問者でございますので、通告してまいりました件につきまして質問を続けてまいりたいと思います。  桜島火山対策については、毎年度国に対する県の重点要望事項の一つとして強力に陳情要請活動を続けていただき、活動火山特別措置法による措置や桜島火山対策懇談会の提言事項の実施など各般にわたり対策を講じていただいてきておりますことに、関係住民の一人として深く感謝申し上げます。  昨年は、百年に一度と言われる豪雨、長雨、台風と大変な災害に見舞われました。その対応と災害復旧に知事を初め県当局の皆さんは大変な御苦労をなさってこられたわけでございます。桜島もそれをば十分に察知したのか、昨年の五月から活動を弱めまして、降灰も少なく、灰のない生活というのは、こんなにもすばらしいものかと改めて感じさせた一年でもございました。これで桜島の活動がやんでくれたらという一年でもありました。  昨年の三月の第一回の定例会で、いつものとおり桜島問題で知事に積極的な対応と決断を迫りました。しかし、未曾有の大災害対策に苦悩される知事の姿を見ていますと、この問題について引き続き叫ぶ気持ちにならず、その後の定例会での質問をいたしませんでした。  火山の歴史では若いと言われる桜島は、ことしの六月から今まで同様、依然として活発な噴火活動を繰り返し初め、いつやむとも知れず、むしろ一層長期化することが予想され、周辺激甚地域の市町住民は、引き続き早急な対策の実現に大きな期待を寄せております。  特に火山活動による降灰は、昨年私は一キログラムの灰の実物を、この壇上に持ってまいりまして皆さんにお見せいたしましたし、それによって改めて皆さんを初め当局の方々も認識していただいたと思っております。灰のひどさについては、私は従来何回となく叫び続けてまいりましたので、改めて申し上げません。しかし、地域住民の日常生活や中小企業の経済活動に大きな影響を与え、三十数年に及ぶ苦しみと、さらに長期化することへの不安で、その対策に地元は苦慮しているというのが現状であります。  一過性の火山噴火災害に対する対策は、北海道の有珠山、三宅島、伊豆大島等に見られるように早急な対策がなされ、地域住民の日常生活その他の面も早い時期に解決されております。しかし、長崎の雲仙普賢岳、桜島のような長期的な火山活動災害への対策、地域住民の日常生活の安全、経済活動への安定を図る対応は、私も二十年以上にわたり、そのためのお願いを続けてまいりましたが、私たち住民を納得させるものはなかったような気がいたします。  知事は、桜島の火山活動について、私が今まで繰り返しお願いしてきたことを含めて、どのように認識し理解され、その対策を現在お考えになっておられるのか、率直にお聞かせ願いたいと思います。  次に、道路防災対策についてお伺いをいたします。  県におかれては、地域防災計画に基づき、万一の場合の避難体制、通信手段の確保など詳細な桜島爆発災害対策細部計画を定められており、住民の脱出避難は船舶による脱出避難が柱となっておりますが、現在は御承知のとおり車社会、まず住民は車での脱出を最初に考えるのではないかと私は思っております。それだけに、周辺道路の整備というのが急務であることは、私が申すまでもございません。  国道二百二十号、二百二十四号、県道桜島港・黒神線、主要地方道垂水・大崎線など周辺道路の整備については、隘路区間の重点的な整備などが図られていることに深く感謝しておりますが、国道二百二十号線早崎地区の防災対策が一番の急務と思われます。この地区は、昭和五十年災、五十一年災以後、毎年大雨のたびに不通が続き、特に昨年は桜島口-海潟―小浜間は一週間、桜島口―牛根麓間は二十日間にわたり不通になり、垂水市の行政機能を分断し、牛根地区の高校生は通学不能を余儀なくされました。建設省は平成五年度から早速防災事業として早崎大橋(仮称)に着手され、現在その整備が進められておりますが、桜島口-麓間については、その路線決定もなさされておりません。  私は、桜島爆発等の災害に対するこの区間の安全確保と地域活性化のため、国鉄廃線敷トンネル活用を平成四年第一回定例会で提言し、当時の稲田土木部長は「国道二百二十号の桜島口の地区につきましては、現在国において、防災上より安全な交通を確保するための改良工事が進められているところでございます。この事業区間に近接する旧国鉄大隅線のトンネルを、城山トンネルでありますけれども、道路として活用できるかどうか、その可能性について検討をされるよう建設省に要請してまいりたいと思っております」と答弁されました。しかし調査等はなかなか時間を要し、いまだに解決されてまいりませんでしたが、建設省におかれては新たなルート決定を最近お考えになっておられると仄聞いたしましたが、この区間の早急な整備がなされなければ、この区間の安全確保は難しいわけであります。知事も、昨年の災害復旧の状況視察で恐らくこの地区にもおいでになったと思いますので、お考えをお聞かせください。  県道桜島港・黒神線については、平成五年度、小池など三カ所の拡幅整備が行われ、本年度も引き続き拡幅整備を行うなど鋭意努力されていることは評価いたしておりますが、表側の国道二百二十四号の整備に比べて立らおくれている感を強くいたします。特に高免-桜島口間については、避難対策上、急を要すると思いますが、御所見をお伺いをいたします。  さらに、警戒避難体制の早期確立上、さきに述べました国道二百二十号早崎地区の現状からして、代替性の高い周辺道路ネットワークの整備が重要課題です。昨年の大災害時に交通途絶した国道十号、二百二十号にかわり、大隅半島との唯一のルートとして活躍した国道五百四号、主要地方道垂水・大崎線の役目は、代替道路ネットワーク上重要であることは事実として証明されております。こうした路線の中でも、整備のおくれが目立つ主要地方道垂水・大崎線の二川―牛根峠―輝北町百引間の線形改良及び拡幅整備促進が強く望まれますが、これらの路線について今後の計画をお示しください。  次に、砂防事業についてお伺いをいたします。桜島の砂防事業については、昭和五十一年国の直轄編入以来、砂防ダム、床固め工、導流堤等の整備が図られ、火山砂防事業による総合的な対策が進められており、深く感謝いたしております。第八次治水事業五カ年計画における桜島の砂防事業において、地域住民の生命・財産を守るため、さらなる事業の促進が望まれてなりません。  その中で、表側の整備に比べて裏側の整備のおくれが私は気になります。黒神周辺間近から見る桜島、地獄河原と呼ばれる土石流で満杯になった砂防ダム付近から見る山肌は、何か文字どおり鬼気迫るものを感じます。裏桜島の砂防事業に対する御所見と引ノ平川中流域に平成三年から四年度災害関連緊急砂防事業で完成した延長五百五十メートル、高さ十四メートルの砂防ダム、私も完成したダムを見る機会があり、その大きさと環境に配慮された事業に感心いたしましたが、既に土石流で満杯、今後のはんらんに下流域住民は不安を募らせておりますが、その防止対策についてお示しください。  国際火山総合センターについて通告いたしておりましたが、黒田議員が質問されましたので、要望にかえておきます。これは、昭和六十三年七月の鹿児島国際火山会議の鹿児島宣言で提唱され、平成三年二月、第三回の火山懇談会で設置実現に向けて中間報告が提出され、設置場所として火山防災の拠点として実績のある鹿児島県に設置するのが最も適切であるとされ、私たちも毎年度桜島関連の中央陳情で、国土庁に対し実現方を強く要請してまいりました。しかし、最近何かますます先が見えにくくなったような感じがいたしますので、南の拠点づくりを目指す本県の大きなポイントとしても、その実現に向けて知事の一段の努力を要請いたす次第でございます。  最後に、垂水新港について県御当局にお伺いいたします。県御当局におかれては、鋭意その整備について御配慮いただいていることに対し、地元の一人として感謝申し上げております。特に、懸案であった漁業権の交渉も、上薗港湾課長を初めとする当局の非常な努力により解決し、さらに残っておりました垂水市との交渉も成立いたしました。  垂水―鴨池港間のフェリー航路は、年間乗降客数は平成五年二百二十七万人余、航送車両数百二万台余、文字どおり大隅と県都鹿児島を結ぶ大動脈、海の国道とも言える主要幹線交通路であります。平成八年末には、県民期待の新しい県庁舎も鴨池に完成しようといたしております。県庁舎と大隅半島を結ぶアクセス路線として一段とその重要性が要求されると思いますが、垂水新港の今後の整備計画と、その計画の中で私がお願いしてまいりましたお年寄りや障害者の方々に優しい施設を整備した乗客ターミナルを建設していただきたいと思っておりますが、その計画等についてもお示しいただければ幸いでございます。    〔知事土屋佳照君登壇〕 37 ◯知事(土屋佳照君)桜島の火山活動は、平成五年においては、爆発回数、地震回数、降灰量とも例年より減少いたしました。この傾向はことしの五月まで続いて、ある意味では喜んでおったわけでございます。しかし、ことし六月から八月にかけての爆発、地震、降灰量は昨年より相当増加をいたしました。一平方メートル当たりの降灰量を垂水地区で見ますと、昨年の同期はわずか五グラムであったのに比べて、ことしは三百四十四グラムということであるそうでございまして、大変大幅に増加をしており、依然として火山活動は活発に娃移していると受けとめております。地域の住民の皆さんの御苦労は大変だろうと、心からねぎらいたい気持ちでいっぱいでございます。  県といたしましては、活動火山対策特別措置法等に基づきまして、避難施設の整備や火山観測研究体制の充実、国道、県道や農林道の整備、港湾や漁港の整備、治山・砂防事業の推進、また防災営農対策の推進など防災対策の充実強化を図ってまいっておりまして、昭和四十八年の同法施行以来、今日まで約千三百億円を超える事業を実施してまいっております。今後とも火山対策の充実を図ることは、もう当然に必要だと思っておりますが、昨年からことしにかけてのハザードマップの作成、昨年の引ノ平ダムの完成、早崎大橋の着工、桜島火山砂防センター──これは仮称でございますが──の整備、また野菜洗浄施設に対する助成措置の導入など、火山対策の充実に努めてまいっております。  また、昨年からの県単事業として、火山農業振興総合調査事業を実施いたしまして、恒常的な降灰のもとでも産業の振興が図られますよう、土地改良対策の改善や降灰に左右されにくい新たな栽培技術等について総合的な調査研究を行っており、この調査結果を踏まえて重要な施策を検討してまいりたいと思っております。いずれにしても、なかなか長年に続く火山活動でございます。やらなければならないことはいっぱいあるわけでございますが、いろいろな制約で思うほど進んでないというおしかりもあるかもしれませんが、私どもとしては精いっぱい頑張ってまいりたいと思っております。 38 ◯土木部長(奥田 朗君)国道二百二十号の垂水市海潟から桜島口を経まして同市牛根麓までの五・二キロメートルにつきましては、災害に強い道路として、現在建設省におきまして防災事業が進められております。このうら、海潟から桜島口までにつきましては、平成四年度から早崎大橋に着手し、重点的に整備が進められております。  お示しの桜島口と牛根麓間につきましては、抜本対策につきまして、現在建設省におきまして、新しいルートも含め調査、検討が行われているところでございまして、できるだけ早く具体化し、事業化されますように、今後とも建設省に強く要請してまいりたいと存じます。  それから、県道桜島港・黒神線は、桜島の北側を半周する唯一の道路でございまして、現在桜島町小池地区など三つの地区で整備を進めております。このうち、お示しの桜島口と高免間につきましては、鹿児島市塩屋ケ元地区の整備を進めており、本年度から新たに桜島口地区に着手することといたしております。  県といたしましては、今後とも予算確保に努めまして、本路線の整備推進に努めてまいりたいと存じます。  県道垂水・大崎線のうち、お示しの垂水市二川、同市牛根峠付近につきましては、現在牛根地区、二川地区、桑原地区など三つの地区で整備を進めております。このうち牛根地区につきましては、地方特定道路整備事業を活用し、整備を進めております。お示しの国道五百四号、県道垂水・大崎線、垂水・南之郷線など三つの路線につきましては、桜島における緊急時の交通が円滑に行われるためにも必要な道路でありまして、県といたしましては今後とも予算確保に努め、整備推進に努めてまいりたいと存じます。  次に砂防事業でございますが、引ノ平川につきましては、上流域の荒廃が著しく、堆積土砂の流出が懸念されましたことから、平成三年度に災害関連緊急砂防事業によりまして砂防ダム等を整備したところでございます。しかし、上流域の荒廃は現在も進行しておりまして、またこの地区は桜島の中心地であります袴腰や大隅半島への動脈である国道二百二十四号があり、その社会・経済的な影響は極めて大きいために、土砂の流出抑制やはんらん防止等の抜本的な対策が必要であります。このためには高度な技術を要し、また工事費も莫大なものでありますので、これまで国による施行を要望してきましたが、平成七年度から直轄による事業化が予定されておりまして、その実現に向けて引き続き努力してまいりたいと思っております。  高免・黒神地区につきましては、黒神川において、昭和五十一年度から、引き続き国により土砂の流出抑制やはんらん防止等のため、砂防ダムで二基、導流堤約二千六百メートルの整備が行われております。また、鹿児松川におきまして、県により平成四年度災害関連緊急砂防事業で砂防ダムの二基、それから導流堤の整備を行っております。しかしながら、この地区でも活発な火山活動により流域の荒廃が進んでおり、今後とも鹿児松川につきましては、土砂の流出状況に応じ流出抑制などの対策を講じますとともに、黒神川につきましては導流堤などの事業促進を国に強く要請してまいりたいと存じます。  次に、垂水新港でございますが、垂水港は、鹿児島市と大隅半島を結ぶ人や物流の結節点といたしまして重要な役割を果たしておるわけでありますが、現在のフェリー埠頭は狭隘で、漁船や貨物船等々ふくそうしておりまして、またフェリーの大型化に対応できないために、現在の港の南側の本城地区に新港を整備し、フェリーや貨物船等に対応することといたしておりまして、これまで防波堤の整備を鋭意進めてきたところでございます。  本年度は、防波堤の整備を進めますとともに、フェリー岸壁の整備や埋め立て護岸等に着手することといたしております。新しいフェリーターミナルの完成につきましては、予算の面や背後で市が行います埋立地の土地利用等との調整もあり、現段階では明言できませんが、できるだけ早く整備が図られますように努めてまいりたいと思っております。  次に、鴨池港の旅客ターミナルは、老朽化しておりますために、今年度改修することにしておるわけでありますが、あわせてエレベーターでありますとか身体障害者用トイレ、点字ブロック等も設置いたしまして、高齢者や障害者に配慮した整備を行うことといたしております。  また、垂水港につきましては、現在の旅客ターミナルは古くなっておりますので、これまでも人道橋や可動橋の補修を行い、安全対策には配慮しておるところでございますが、先ほども申し上げましたように新しい旅客ターミナルを計画しておりまして、それまでの間は点字ブロック、身体障害者用トイレ等を設置して、必要な対策を講じてまいりたいと思っております。  なお、新しい旅客ターミナルにつきましては、高齢者及び障害者の方々に配慮した施設となるように整備してまいる所存でございます。    〔梶原修一郎君登壇〕 39 ◯梶原修一郎君 御答弁をいただきまして、ありがとうございました。四十年近くやむことを知らない桜島の火山活動による土石流、噴石、降灰は、これは直接その被害を経験した者でないとわからない、大変な災害であります。土石流災害につきましては、土石流がはんらんするたびに、その対策復旧がなされますが、私が今まで毎回叫び、お願いをいたしました農作物等に対する災害は、活動火山対策特別措置法による現行法の枠の中で、優先的に行われるだけで推移してまいりました。ただしかし、これは本県の広い地域に適用されまして、被覆施設等の整備が行われて、本県の農業振興に私は大変役に立ってきたと思っております。  しかし激甚地では、この施設はビニールを初め内部の構造まで二、三年あるいは四、五年でだめになるわけです。しかしその復旧については、私が叫び、お願いしても、再度の補助は補助金の性格上難しいという答弁で退けられてまいりました。だから、あえて今回は農政部長にも質問いたしませんでした。  私は、災害復旧という理解に立てば、土石流と同じではないかと思っております。桜島の火山対策の国への要請は、私は今までみたいな私たちのお願いの仕方、理論ではもうどうにもならない、やはりこの被害に対する理論の再構築をして、そして強く国に要請する必要があるというふうにつくづく考えさせられる今日でこざいます。私たちの愚かな頭ではなかなかそれも難しゅうございますので、県御当局の皆様はすぐれた頭脳を持っておられると思っております。だから、これらの理論の再構築をしていただいて、私どもにも指導していただきたい。そして強力な陳情活動ができるようにしていただきたいものだと思います。  こうしたことを含めて、私は昨年の三月、特に知事に対して積極的な決断を求めてまいりましたが、なかなか私たちが期待したようなことにはならなかったようでございます。県都鹿児島市の一番近いところにありながら、特に裏側になる地域は、県の僻地より荒廃度が進んでいるような感じがいたします。高免集落からは小学校もなくなりました。地方の集落にとって、小学校がなくなるというのは、非常に住民にとって寂しいことでございます。また高免みたいに、この地域から学校がなくなるようなことにならないように、どうかひとつそこら辺の配慮を、県としても特段の配慮をしていただきたいと考える次第でございます。  垂水新港については、土木部長から御答弁をいただきましたが、地元の私たちとしては、少なくとも新庁舎の完成には間に合ってほしいというのが偽らざる願いであります。しかしながら、これはなかなかそう簡単にいく問題ではないと思っておりますので、今まで同様、鋭意その整備に御配慮くださることをばお願いをいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。  ありがとうございました。(拍手) 40 ◯議長(鶴田辰巳君)以上で、通告による質問は全部終了いたしました。  これで、質問は終結いたします。       ─────────────    △ 議案第五七号―議案第六八号(議案第六一号、      議案第六七号除く)並びに議案第七一号―議      案第七四号委員会付託 41 ◯議長(鶴田辰巳君)次に、今回提出されました議案第六一号及び議案第六七号を除く議案第五七号から議案第六八号まで並びに議案第七一号から議案第七四号までは、配付いたしております議案付託表のとおり、所管の常任委員会に付託いたします。       ─────────────    △ 決算特別委員会設置(議案第六七号、議案第七〇号同委員会付託) 42 ◯議長(鶴田辰巳君)お諮りいたします。  議案第六七号平成五年度鹿児島県病院事業特別会計決算について認定を求める件、及び議案第七〇号平成五年度鹿児島県工業用水道事業特別会計決算について認定を求める件については、十二人の委員をもって構成する決算特別委員会を設置し、同特別委員会に付託することといたしたいと思いますが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 43 ◯議長(鶴田辰巳君)御異議なしと認めます。  よって、決算特別委員会を設置し、同特別委員会に議案第六七号及び議案第七〇号を付託することに決定いたしました。
          ─────────────    △ 決算特別委員会委員の選任 44 ◯議長(鶴田辰巳君)次に、決算特別委員の選任を行います。  お諮りいたします。  決算特別委員の選任については、委員会条例第六条第一項の規定により、配付いたしております決算特別委員名簿のとおり指名いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 45 ◯議長(鶴田辰巳君)御異議なしと認めます。  よって、ただいま指名いたしましたとおり、決算特別委員を選任することに決定いたしました。  決算特別委員会名簿       ━━━━━━━━━━━━━    泉   信 喬    二牟礼 正 博    吉 野 正二郎    柴 立 鉄 彦    鶴 田 孝 雄    加治屋 義 人    四 元 統一郎    はまだ 茂 久    尾 辻   義    山 本 孝 一    小 川 久 志    平 瀬 新一郎                 (十二人)       ━━━━━━━━━━━━━ 46 ◯議長(鶴田辰巳君)これで、本日の日程は終了いたしました。       ─────────────    △ 日程報告 47 ◯議長(鶴田辰巳君)明九月三十日から十月五日までは、委員会開催などのため、本会議は休会いたします。  十月六日は、午前十時から本会議を開きます。  日程は、議案及び請願陳情の委員長報告、質疑、討論並びに表決などであります。       ─────────────    △ 散  会 48 ◯議長(鶴田辰巳君)本日は、これで散会いたします。         午後二時五十三分散会 鹿児島県議会 ↑ ページの先頭へ...