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令和元年アジア競技大会調査特別委員会 本文 開催日: 2019-11-18
令和元年アジア競技大会調査特別委員会 名簿 開催日: 2019-11-18

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  1. 愛知県議会 2019-11-18
    令和元年アジア競技大会調査特別委員会 本文 開催日: 2019-11-18


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    愛知県議会 会議録の閲覧と検索 検索結果一覧に戻る 検索をやり直す ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) 令和元年アジア競技大会調査特別委員会 本文 2019-11-18 文書発言の移動 文書 前へ 次へ 発言 前へ 次へ ヒット発言 前へ 次へ 文字サイズ・別画面表示ツール 文字サイズ 大きく 標準 小さく ツール 印刷用ページ(新しいウィンドウで開きます) 別窓表示(新しいウィンドウで開きます) ダウンロード 表ズレ修正 表示形式切り替え 発言単文選択全文表示を切り替え 単文表示 選択表示 全文表示 発言者表示切り替え 全 28 発言 / ヒット 0 発言 すべての発言ヒット発言表示切り替え すべての発言 ヒット発言 選択表示を実行・チェックの一括変更 選択表示 すべて選択 すべて解除 発言者一覧 選択 1 :  【谷参考人選択 2 :  【坂田参考人選択 3 :  【山下参考人選択 4 :  【土方参考人選択 5 :  【梅田参考人選択 6 :  【南部文宏委員選択 7 :  【山下参考人選択 8 :  【南部文宏委員選択 9 :  【山下参考人選択 10 :  【南部文宏委員選択 11 :  【山下参考人選択 12 :  【南部文宏委員選択 13 :  【山下参考人選択 14 :  【石塚吾歩路委員選択 15 :  【山下参考人選択 16 :  【土方参考人選択 17 :  【谷参考人選択 18 :  【中野治美委員選択 19 :  【谷参考人選択 20 :  【中野治美委員選択 21 :  【谷参考人選択 22 :  【渡辺 靖委員】 選択 23 :  【谷参考人選択 24 :  【渡辺 靖委員】 選択 25 :  【谷参考人選択 26 :  【渡辺 靖委員】 選択 27 :  【杉浦孝成委員】 選択 28 :  【谷参考人】 ↑ 発言者の先頭へ 本文 ↓最初のヒットへ (全 0 ヒット) 1: 《参考人の意見陳述》 【谷参考人】  ただいま紹介いただきました株式会社新東通信の谷でございます。本日はこのような場にお呼びいただき恐縮しております。  当社は創業48年目で、中部地区における地元の広告会社の一番手であり、売り上げとしてはグループ連結で300億円であります。これは、日本の東京以外のローカルの会社で、独立系の広告会社としては日本一です。ということは、愛知県に対する納税額もこの業界では一番です。  アジア競技大会の意義については、皆さん十分理解いただいているかと思いますが、我々がこれまでの体験を通じて実感してきたこととしては、国際交流の場でもあり、この地域の活性化でもあるということです。ただ、一番大事なことは、人材育成であると考えています。というのは、どんな大きな事業やイベントを実施しても、結局、従来の流れですと、やはり東京主導の大手の会社が来てほとんどの仕事を行い、なかなか地元はかかわりが持てないというような現実があったわけです。  その中で、我々としては、愛知万博でも1989年の準備段階から足しげく準備室に出入りしました。そして、1992年のスペインのセビリア万博で、愛知デーというものを設けて正式に名乗りを上げたときに、万博の期間中、半年以上愛知県と一緒に合宿をして、愛知のプロモーションを手伝い、その流れで1997年に鈴木礼治知事以下が博覧会国際事務局(BIE)の役員や関係者を呼んで、エッフェル塔のレストランを借り切って向かいのシャイヨー宮で大花火大会を打ち上げました。そして、夢童由里子さんの春姫道中をパリに送り込んで、サントノーレからシャンゼリゼを練り歩いて大いに万博誘致を盛り上げ、そして1997年に決定いたしました。  ただ、現実に開催するということになりますと、はっきり申し上げて、100億円ぐらいの費用を使うおいしいところは全部東京の大手に持っていかれて、残されたのは相手にされないようなアフリカ共同館とかウクライナとかエジプト館とかコーカサスなどだけでしたが、我々はそれを一生懸命やりました。それから、笹島のサテライト会場も名古屋が5億円の種銭しか出さなくて、その費用として短期決戦ですから20億円ぐらいかかっており、非常に当たったものの回収はできませんでした。  そんな思いもいろいろありますが、何が一番財産になったかというと、それは人材です。新東通信で万博に携わった人材は、その後も、例えば、金シャチ横丁の開発や、東山動植物園のPFI事業の開発、名古屋港水族館の運営を行っています。また、テレビ塔のリニューアルにも我々が大きくかかわっており、小牧でもハイウェイオアシスを開発中でございます。  同業他社は、それほどそのようなことをやらなかったので、愛知万博が終わった後に人材がなかなか残らないこともありました。我々は、採算としては大変厳しいものがありましたけれど、幸い人材が残ってくれました。中には、その人材がジェトロに行き、ミラノの万博では副館長をやり、今度ドバイでは館長をやります。そういう意味では、物とか施設もとても大事なことですが、やはり一番は人材を育成することに尽きると思います。  ですから、結論としては、あらゆる業種、業態がアジア競技大会には参画してくると思いますが、そのときに、地元をどこかで加えさせてほしいということをぜひお願いしたいです。大手に力をかりなくてはいけないこともたくさんあると思います。しかし、地元枠を残すことによって、それがやがて愛知の財産となって、またいろんな産業の分野で活躍すると思いますので、このことを切に申し上げて私の話とさせていただきます。ありがとうございました。 2: 【坂田参考人】  坂田稔といいます。よろしくお願いします。  私は、万博の誘致段階から終わった翌年まで、万博漬けでありまして、その一端を紹介させていただきながら、私がそのとき感じた、あるいは今感じていることをお話しさせていただきます。  私は、22歳で株式会社新東通信に入社し、今は既に還暦を超えております。これまでの経験を生かして7年前に日本プロパティマネジメント株式会社という会社を立ち上げました。この会社は、民間企業でありながら、社会のことを意識しながら、あるいは大きな考え方を持って事に当たる、いわゆるソーシャルグッドの考え方を体現するためにPFI事業に取り組んでいこうとした会社であります。  株式会社新東通信として、当時はどういうものが大きな事業だったかといいますと、最大のイベント事業はオリンピックでしたし、もう一方で、文化的な事業としての国際博覧会というものがございました。  私は、入社して最初に、谷参考人が日本青年会議所(JC)の時代に立ち上げた名古屋オリンピック誘致運動に参加しました。特に、名古屋シティマラソン第1回大会のコース委員として、全てのランナーの一番後ろで脱落していく人を歩道に上げていくという指導員を行い、こういった事業を通して、残念ながら名古屋オリンピックの誘致はかないませんでしたが、その後に、にわかに起こった愛知万博の誘致、開催につながるとても大きな出来事でありました。今から振り返りますと、「推進力が求心力を生み、人と事業を動かす」という言葉が、私が携わった仕事を端的に表現していると思っています。  まず、愛知万博誘致活動について、お話を申し上げます。1989年、愛知万博の誘致委員会が発足しました。誘致委員会の事務局で、長野オリンピック誘致活動のときに出会い、大変お世話になった愛知県の出向者との出会いがありました。BIEという博覧会国際事務局がパリにありまして、翌年、BIEが決定機関である総会を開いて決定していくため、その中心人物である議長や、あるいは事務局長が大変重要な人物になりますが、そういった総会で使用するような愛知県のプレゼンテーション資料を手がけさせていただいたのが始まりです。  株式会社新東通信としての愛知万博誘致の関係の仕事としては、1992年のスペインのセビリアの博覧会、続いて1998年のポルトガルのリスボンの博覧会がございました。こうした日本政府館における連携によるさまざまな仕事をいただいております。  しかしながら、私としてはボランティアとしての活動が今の私を支える人脈の原点と思っています。本気で誘致を獲得したいという多くの方々の意見交換の場でもありました。  誘致運動に際しましては、日本・愛知県での開催を後押しする民間組織である、21世紀の生き方を考える会という会を立ち上げ、その事務局長として国や県を初め関係団体の方々と連携して、国内を初めさまざまな支援活動を行っておりました。
     例えば、日本国内においては、2005年の国際博覧会の決定までのプロセスとして、BIEの調査団が名古屋にも派遣されました。2005年の国際博覧会には、カナダを初め数カ国が立候補しておりましたので、BIEの担当委員会から数名が、立候補した国々を訪問され、会場計画の準備状況とか、会場の盛り上がり状況、地域の盛り上がり状況などを調査していました。  万博開催の賛成反応以外にも、当然反対派の方々が多数おりまして、そういった方々の意見集約もBIEは行ったのですが、その際には、我々21世紀の生き方を考える会として、数名の代表団が地元賛成派の民間組織としてBIEメンバーとの直接対話の場も設け、お話をさせていただいています。  また、海外における市民運動も各種行いました。博覧会の開催地が1997年モナコで決定されましたが、BIEの総会において決定されるまで、海外訪問としては、フランス、パリに4回、モナコについては1回、支援活動で伺っております。大体1週間程度、先方に滞在をしての活動でした。中でも、決定前年の1996年、初めてのパリにおける市民運動でありまして、パリの中心部の凱旋門からフランス日本大使館公邸まで、パリ市警の許可を得てデモ行進を行い、亡き夢童由里子さんが考案しました春姫道中の甲冑武者の大パレードを行ったことが大変印象に残っております。  株式会社新東通信の誘致運動には、市民運動としてのボランティア活動と、会社の仕事としての活動がありました。仕事としての誘致活動の場としては、最初の仕事は、1992年に開催されましたスペイン・セビリアの万博での日本政府館での仕事でした。博覧会では、公式参加国にナショナルデーという、その国の理解を深めるためのイベント、催事デーを設けております。日本ですとジャパンデーになるわけですが、セビリア万博のナショナルデー、日本政府としては3日間設定をされまして、ジャパンウイークと銘打った行事を行っています。  初日が2005年の万博誘致運動の日で、愛知デーと銘打って、まずアルフォンソ・トレセという本当に有名で豪華で荘厳な市内随一のホテルを活用して、セビリア万博の参加国の政府代表をお招きするようなレセプション、あるいはプレゼンテーションも行いました。当時、日本政府館の政府代表はソニーの盛田名誉会長でしたし、もちろん当時の鈴木知事も主催者として参加されました。  設営や運営は株式会社新東通信が請け負いましたけれども、何と私がセビリアのテレビ局の女性アナウンサーとともに司会の大役を仰せつかって、無事に終了したということは、今の私にとっても大変な誇りになっています。  また、1997年5月、これはモナコで最終決戦を行う数カ月前に当たるところですが、日本とフランスの友好年の記念事業が行われました。翌年の1998年には東京に自由の女神、これはアメリカに自由の女神がありますが、フランスにはもう少し小ぶりの自由の女神がありまして、これをお台場に置いたのが1998年の日本におけるフランス年でしたが、その前年の1997年の時点ではフランスにおける日本年ということで、日本をフランス、ヨーロッパに伝えるという年でした。  そのスタートイベントとして、エッフェル塔の内外のレストランにおいてレセプションがあり、エッフェル塔の向かい、セーヌ川を挟んで目の前に広がるシャイヨー宮とトロカデロ広場側に愛知、三河の花火を打ち上げました。たまたまこの日、夕方の5時まで相当な雨が降っていましたが、我々が花火を打ち上げるタイミング、レセプションのスタートで雲がにわかに切れて、晴れて、第1発目の花火が満天の星空の中で打ち上がったというすばらしいスタートが切れました。実は手筒花火も下の部分で行っていましたが、そのような催しも、花火の輸送から企画、運営、設営など全て行わせていただきました。  三河の花火につきましては、もちろん豊橋や蒲郡の花火を活用させていただいた上で、花火師30名以上を同行いただいて、フランスの花火の会社と連携して開催したということで、彼らも大変満足して、さらに励みになったのではないかと思います。  日本の花火がヨーロッパで打ち上げられることは、当時はまれであって、彩り、あるいは形の美しさ、勇壮な手筒花火がフランス国内で大変評判になりました。また、マスコミにも大々的に報道されておりました。また、エッフェル塔内の展望レストランでは、花火を観覧できるタイミングで日本政府主催による当時のフランス大統領でありましたシラク大統領を招待したレセプションの開催を企画、設営、運営を行っています。招待者として、在フランスの各国大使館、日本政府、愛知県関係者、財界からも多くのVIPが参加されたことから、警備には大変細かく注意を払って開催しました。  その翌日には、BIEの参加加盟国の在フランス大使も招待した当時の竹下総理主催のレセプション、当時は病気のため代理でありましたけれども、立派なレセプションでした。エッフェル塔から広がるシャン・ド・マルス公園という大きな公園がありまして、その中にルドワイヤンという豪華なレストランがあり、そこで開催しましたが、そちらも企画、運営、設営などを行いました。  そして、モナコ公国での決選投票になったのですが、日本・愛知が2005年国際博覧会の開催権を獲得しました。ここでは相手がカナダでしたけれども、大差で誘致に成功しています。その後、7年を経て愛知万博が開催されました。  愛知万博の開催権を獲得した後に、株式会社新東通信の仕事として、愛知万博のメイン会場となりました長久手会場においては、当時の小泉首相、2005年国際博覧会協会の豊田会長が参加した、工事の安全祈願を込めた起工式をとり行いました。  また、国際博覧会の花であります公式参加国パビリオンとしては、28の国々が参加したアフリカ共同館、あるいはソビエト連邦解体後に独立した民主国家であるジョージア、アゼルバイジャン、アルメニアという3カ国が共同館をつくりまして、コーカサス共同館のお手伝いもしております。また、単独館として出展をしました国の参加ですが、ウクライナ、ポーランド、南アフリカ、エジプトといった単独パビリオンの展示、運営もお手伝いしています。お手伝いした国々については、豊かな国ではなくて支援対象国として日本からもJICA、あるいはジェトロからの支援金を受けながら進めていった国々でした。  さらに、万博のテーマでありました自然の叡智、これを読み解くような国際会議を、会期中10回連続、毎月1回以上、企画、運営を行いました。  また、会場全体の催事、イベントとしては、会場中心にありました愛・地球広場で連日開催しました、米米CLUBの石井竜也氏がプロデュースをした大規模なエンターテインメントなども多数お手伝いをしております。ほかには愛知県館も、瀬戸のパビリオンの中にあります市民参加でつくるスペースが瀬戸館のほうにあり、そこについてもお手伝いをしております。  また、私どもとしては、大変関心の深かった開会式を行いたかったのですが、残念ながら他の東京の大手にということになったので、我々としては最後を飾るフィナーレとしての閉幕、閉会をぜひやりたいということで、地元の広告大手と言われている3社で、新東通信を代表企業として閉幕関係のイベントを全て仕切らせていただいております。  中でも、愛知万博公式参加国が日本を含む121カ国という、これまでの博覧会では最高の参加国・機関でしたけれども、国旗を降納、収納するような国旗降納式というのも一つありました。開催地地元の瀬戸とか、長久手市の大勢の小中学生の参加をいただき、1カ月余りの練習、リハーサルを経まして、滞りなく終了しました。事業に参加した子供たちには一生忘れない思い出になったと思っております。地元開催の国際博覧会のほんの一部ですけれども、地元の市民参加によって行えたこと、これが地元の会社である私たちが請け負った意義であったとも感じています。  また、愛知万博の公式サテライト会場として名古屋のささしまサテライト会場がウエルカムゲートとして位置づけられ、この主催者の一環として、人員確保、参画をさせていただき、全ての催事関係を行いました。  当時、大人気でありましたポケモン遊園地だとか、あるいは手塚治虫のプラネタリウムとか、たくさんの方々が今回の博覧会の意義を伝える場として設営をさせていただいたという形です。当然ながら、ステージ参加であるとか、あるいは多様なテーマにおける室内の市民参加の催事なども計画をして、連日、開催しました。  地元、地方の広告会社である株式会社新東通信としては、もともと大規模な国際博覧会を開催する、あるいは運営するようなノウハウ、あるいは人脈はありませんでしたが、愛知県で開催されることによって、みずから意志を持ち自主運動から主体的に加わることによって、さまざまな参加機会をいただいたと思っています。また、これまでに国際博覧会が携わった企業の方々、また、多くの関係者の方々との出会いもありまして、ノウハウを吸収することができました。国際博覧会が地元開催でなければ、まずそのような機会はなかったと断言できます。  愛知万博の誘致成功から2005年まで、株式会社新東通信の実績は誘致から始まり、その後の多様な方々との出会いによって仕上げることができています。国際博覧会が愛知で開催されたことによって得られたものは、国際的シェアはもちろんのこと、地域に根差しながら国際基準の人脈、人材の開発、事業ノウハウの獲得、それから未来に続く文化施設の開発といったものが挙げられると思います。  今につながる株式会社新東通信の事業としては、PFI事業を通じた地域に根差した、地域にソーシャルグッドを提供できる、そういった施設開発を考えて展開しています。  愛知万博における全ての仕事が、国際感覚を大切にするということや、日本、あるいは地元愛知を知るということにつながっております。さらに、今はもとより次世代の子供たちに何を伝えるか、何を残すのかということを強く意識するようになりました。これからもこの考え方を進めていきたいと思っています。 3: 【山下参考人】  ここからは、アジア競技大会を通じた次世代人材開発と、大会のレガシーのつくり方について説明させていただきます。  アジア競技大会は、大会終了後の2027年にリニア開業、2030年にSDGsの年限を迎えるということで、大会終了後にも大きなトピックスがたくさん控えている大会であることが特徴だと思います。  私自身、現在は大会のスローガンやエンブレムの作成、他県へのPRなどに携わっていますが、今の大会を盛り上げていくということだけではなくて、大会を契機とした愛知・名古屋の新しい姿を考えていくということが、私たちのような若い世代の人材が育っていく上で非常に重要なことだと捉えています。  例えば、大会を通じて目指すべき愛知・名古屋の姿として、スポーツ健康首都、環境先進都市、スポーツ観光先進都市という、それぞれSDGsのゴールにちなんだ三つの姿を提案させていただきます。  あわせて忘れてはいけないこととして、将来像を考えるに当たって、先月決定した大会のスローガンである「IMAGINE ONE ASIA ここで、ひとつに。」というものですが、この理念としましては、大会を通じてあらゆるアジアの人々が、ここで、愛知・名古屋で一つになるという願いが込められたものになっています。それぞれの施策においてこの思いがしっかりと反映された、そういった愛知・名古屋の未来を考えていくことが非常に重要であると思っています。  まず、一つ目のスポーツ健康首都についてです。  文字どおり、スポーツを通して県民、市民の関係を構築して、日本一の健康都市愛知・名古屋を目指そうということですが、同時に、この過程を通して子供とシニアの交流、そしてアジアの方々との国際交流を図っていくことによって「ONE ASIA」を目指していこうというものです。  今、子供たちのスポーツを取り巻く環境として大きな課題があります。部活動の廃止による運動不足や健康への影響が不安視されていて、県民、市民からかわりの場を求める声というのが非常に多く上がっています。  しかし、これは一方でチャンスとなる機会とも思っていまして、例えば、小学生時代のスポーツへのかかわり方を見直すという意味では、従来型の一つのスポーツに注力をするというようなやり方ではなくて、多種多様な種目にチャレンジして、自分の得意な種目を見つけ出していく、そういった時代に転換していくというチャンスではないかと思っています。  ここで課題となってくるのが、教える人材であると思います。教える人材については、シニアの人材活用が非常にポイントと思っています。年々、健康寿命がどんどん延びていまして、元気なシニアの方々が多いです。愛知・名古屋大会の公認インストラクターを募集するようなイメージで、こういったことを展開していってはどうかと思っています。  こうした、生き生きとしたシニアのイメージづくりというのが募集の上で非常に重要であり、この先決まってくる愛知・名古屋の大会エンブレムも活用しながら、若々しくて憧れられるインストラクターの方々、こういった像を仕上げていくということが一つのポイントと思っています。  こうした元気なシニアの人材の方々と、さまざまなスポーツに挑戦をしたいと思っている子供たちをマッチングすることができる施設をアジア大会のレガシーとしてあらゆる市町村に配置していくことで、スポーツを通した健康増進や人々の交流を実現していくことができるのではと考えています。そのため、こうした活動を通じて、小学校の部活にかわる新たなスポーツのレガシーを残していき、スポーツ健康首都を目指していこうというものです。  また、スポーツの健康ということで、アジア競技大会にはいろいろと独自の競技があり、アジア各国には独自の食文化もたくさんあります。そのため、そういったものをかけ合わせて、スポーツと食の祭典を開催してみることも、一つの国際交流のあり方としてよいのではないかと思っています。  大会を契機として、アジアの各国と国際親善の場をつくり、大会終了後もそれを継続していくことで、大会開催の意義というものがスポーツだけでなく、より深まるものになるのではないかと考えています。  次に、環境先進都市について説明します。これは、新しい市民参加型の環境保全のロールモデルをつくっていけないかというものです。  例えば、今注目の新素材であるLIMEX(ライメックス)を大会PRや運営に使っていくことで、7年後をしっかりと見据えた取り組みを今から行っていくということが非常に重要と考えています。  LIMEXは石灰石を主原料とした素材で、紙やプラスチックに置きかわる新素材として今非常に注目を集めています。このLIMEXをリサイクルの過程に乗せることで、全く別のものに生まれ変わらせる、そういった特徴を持っている革新的な素材になっています。  例えば、通常、広報PRにて使うようなポスターやチラシは、ごみとして廃棄されるか、もしくは再生紙として再生されるかのどちらかだと思いますが、こういったものをLIMEXでつくっていくことで、例えばチラシ、ポスターが表彰台として生まれ変わることもできますし、大会PRとして大量につくられるクリアファイルなどもLIMEXでつくることで、使用後に回収することで選手村の食器として生まれ変わるようなこともできます。さらに、再生した表彰台を、大会後は、例えば市バスや地下鉄のつり革として再生するようなこともできたりします。ほかには、選手村で再生した使い終わった食器をアジア各国の学校給食の食器として再生して各国に配るようなこともできます。  こうしたサーキュラーエコノミーなどの新しい資源循環が非常に注目される世の中だと思います。そうした今だからこそ、県民・市民が一体となって、こうした新しい循環モデルをアジア競技大会のレガシーとしてしっかり残していき、環境先進都市の一歩を踏み出していければと思っています。だからこそ、2019年から2027年以降のこともしっかりと見据えた環境配慮型の大会PR、運営を行っていくことが、アジア競技大会を未来につなげていく上で非常に重要ではないかと考えています。 4: 【土方参考人】  ここからは、同じく株式会社新東通信のクリエイティブ本部の土方が説明させていただきます。私は、山下参考人と同じく、大会スローガンやエンブレム選定委員などPR業務に携わっています。  アジア競技大会開催で、この地域が目指すべきもう一つのゴールが、スポーツ観光先進都市です。スポーツという事象を通して観光産業の充実化を図って、国内外に魅力をアピールしていくものです。そこで果たすべき具体的なゴールは、先進技術の承継と、国籍、障害の有無などを越えたインクルーシブな社会の実現と考えています。  例えば、私どもの提案として、アクションプランの一端ですが、愛知県全員スポーツ参加宣言というものを打ち立て、スポーツを通じて、先進技術や観光産業を伝えることを目指していきます。今回の大会スローガンの「IMAGINE ONE ASIA」の思いのもと、官民一体となって各種施策に臨んでいこうと思います。  ここでいうスポーツの参加とは、競技にそもそも出場していくこと、競技を観戦すること、競技を支えることの3点です。いずれかの立場で県民一体となって、アジア競技大会のサポートを図っていこうと考えています。  それぞれの目的を申し上げますと、競技に出場することは競技参加機会を創出すること、観戦することはボーダーレスな観戦環境を提供していくこと、競技を支えていくことは、事業雇用やサービスをつくっていくこと、これらを目指しております。  これから、具体的な先進技術の紹介とともに、この地の利用方法などの未来予想図を紹介します。  一つ目です。今後、3Dプリンターの技術革新によって、競技場や練習場などの特殊な建物でも、日本の災害環境がある中でも耐え得る堅牢性を兼ね備えて、即座につくりかえられるような日ごとの競技施設の設営が期待できると思っています。  3Dプリンターでは、人体にも応用が期待されています。今後、開催が期待されているアジア・パラリンピックでの利活用において、オリ・パラの競技がパフォーマンスの差異が限りなく少なくなっていくほど技術が進んでいくことが予想できます。  昨今、ARから始まったVR、MR、XRなどの仮想空間と現実を結ぶ技術で、過去の世界記録とのリアルタイムの戦いも演出できると考えています。今回のアジア競技大会愛知・名古屋大会は、第20回目となる記念大会であり、それまでの歴史を振り返るような演出の広がりも期待できると考えています。  こちらはゼロ距離観戦と題していますが、今後は競技の物理的、また文化的なギャップを埋める技術革新が進むと考えられています。  一つ目で、監督チャレンジと題していますが、ふだんは縁遠いアジア競技大会ならではのカバディやセパタクローなどの競技であっても、わかりやすく説明し、競技理解を越えて、選手の采配であったり、戦果を観戦者同士で楽しむような、そういった戦略型のネット型のコンテンツを配信するサービスを提供していくものや、スコアラブル観戦と題していますが、競技場来場のメリットを創出していくべく、下部大会や本大会での選手であったり、国のビッグデータとなるスコアや映像を可視化して、映像体験の提供をしていこうと考えています。  また、顔認証でのゲートパスを、今回の2020の東京オリンピックでも導入予定ですが、そこから先の、選手、観戦者、スタッフの医療活用で顔認証できないかといった制度改善も期待できると考えています。  また、モビリティ部門では、競技場と選手村へのアクセシビリティーに関して、県内の観光ランドマークと選手村や競技場を結ぶ空飛ぶタクシーというものを、車社会のエリアであるため、そのような人、物のさらなる流通を促していこうと考えています。  また、現在、実証実験が進んでいるレベル4の自動運転について、2026年のタイミングでは完全導入を目指していこうと考えられています。そのため、選手を選手村から競技会場まで、そして本番開始までシームレスに、そしてノンストレスで結ぶような輸送空間をつくって、そこで瞑想をしてもらったり、メンタルトレーニングしてもらったりというような空間を演出できればと考えています。  また、アジア各国から訪日される選手の関係者、選手団の方々には、愛知の名産品をかけ合わせながら、その方々の文化、例えばビーガンであったり、家庭の味を再現したりとか、そういった選手村のAIロボットを設置して、おもてなしを体現していこうと考えています。  また、圏域全体としては、選手、選手関係者の方々を、言語であったり文化のギャップを解消するような言語翻訳のツールであったり、手荷物を運んであげるところもサポートするようなパワースーツを県内のメーカーが提供していったりとか、県民が日本代表のおもてなしができるような、そういった先進技術のPRとともに、インクルーシブ社会の実現を目指していこうと考えています。  これらは未来予想図のほんの一例でございますが、こういったものを通して、発展しているアジア全体を象徴する先進技術の集積地となるアジアの中央、愛知・名古屋というイメージをつくっていき、そして最後には「IMAGINE ONE ASIA」を体現する、人、物、文化のるつぼとなるこの地を、現場から、この世代からサポートできればと考えています。 5: 【梅田参考人】  山下参考人土方参考人は、2人とも20代後半から30代半ばの社員です。本日のテーマである地域活性のための人材育成ということで、当社も若手を中心に、もちろん当社だけではなく我々の協力会社を含めた愛知県内の若者を、しっかりとアジア競技大会に取り込んで、地域活性化をしていきたいと考えています。  また、本年から2026年まで、愛知県においてはさまざまなイベントが行われます。スポーツに関しても、アジア競技大会が2022年に中国で開催され、それ以外にもいろいろなイベントが行われますが、しっかりとアジア競技大会もPRして、国際的にいろいろなものに取り組んでいきたいと考えています。  あと、昨今よく言われていますeスポーツのような新しい分野にも積極的に取り組んでおり、こちらも2026年においては目玉になるのではないかと考えています。  以上、若手、若者を中心に、ぜひアジア競技大会を成功に向けて、もちろんその後のレガシー、それが一番大切だと思っていますので、そのあたりしっかり取り組んでいきたいと思っています。 6: (主な質疑) 【南部文宏委員】  不足人材の解決として、アジア競技大会の運営にシニア人材を活用するということか。どの部分に活用するのか具体的なイメージを教えてほしい。また、愛知・名古屋公認のインストラクターとはどのようなものか伺う。 7: 【山下参考人】  シニアの人材活用は、部活動が廃止され、子供たちの健康や運動不足への懸念が広がっている中で、2026年のアジア競技大会を控え、よりスポーツを活性化していく必要がある地域があるため、子供たちと一緒になってスポーツを行っていく人材として考えている。そのため、部活動の指導員をシニアが行うイメージであり、彼らを大会の公式インストラクターとして設定することで、教わる子供たちにとっても安心感があり、さまざまなスポーツに触れられる機会を醸成できる。 8: 【南部文宏委員】  公認インストラクターとは、新しくこのようなものを考えてはどうかということか。 9: 【山下参考人】  そのとおりである。 10: 【南部文宏委員】  LIMEXについて、もう少し詳しく説明してほしい。石から紙をつくるのか。 11: 【山下参考人】  LIMEXの主原料は石灰石である。例えば、LIMEXでできている名刺を回収し、洗浄して粉砕すると、また石灰石のペレットに戻すことができる。それを射出成型にかけると、ボールペンに生まれ変わるなど、今までのリサイクルとは異なるアップサイクルという考え方で資源循環する素材である。 12: 【南部文宏委員】  LIMEXの名刺は破れないのか。また、水にぬれても大丈夫か。 13: 【山下参考人】  耐久性は非常に高く、簡単には破ることができない。また、水にぬれても大丈夫である。 14: 【石塚吾歩路委員】  大きく分けて三つ質問がある。  一つ目は、スポーツ健康首都に関して、部活動が廃止されて子供たちの運動する機会が減り、学校の先生たちの多忙化を解消する必要がある中で、どうしたら子供たちのスポーツ、運動する空間をつくり出していけるかをよく考えている。シニア人材の活用はいい発想だし、いろいろな競技の可能性を試していくこともよいと思うが、現実的には簡単な問題ではないため、アジア競技大会の開催をベースに子供たちのスポーツの機会をふやすという観点で、もう少し具体的なことを教えてほしい。  二つ目は、スポーツ参加という点で、競技に出場するのが一番理想であるが、それは数が限られている。観戦することは難しくなく、競技を支えることで多くの県民が参加できる要素であるが、アジア競技大会の会場になっていない地域の人は全く関心がないため、競技を支えるためのおもしろい仕掛けが必要だと思うが、もう少し詳しく教えてほしい。  三つめは、eスポーツについて、愛知県では担当が現在3部局にまたがっており、2020年の東京パラリンピックやアジア競技大会でも正式種目ではない。また、文部科学省や文化庁も、eスポーツをスポーツではなく文化、芸術の延長線で捉えている。ただ、今後はいろいろな形で間違いなく広がっていくと思うし、人材育成で考えるならば、eスポーツの部活動もでき始めていると聞くので、もっと上手に膨らませていきたいが、いいアイデアがあれば教えてほしい。 15: 【山下参考人】  一つ目に関しては、まず子供たちの参加の間口を広げていく活動が非常に重要である。アジア競技大会を契機として考えると、セパタクローなどのアジア大会ならではの競技について、海外の人にも来てもらって交流を図ることにより、間口を広げていろいろなチャレンジの可能性を見つけていくなどの取り組みが考えられる。 16: 【土方参考人】  二つ目に関して、競技場から離れた遠隔地では、今後、5Gという超高速の回線が普及していくため、会場で行われたことが逐次配信されていくと考えられる。そのため、地元の小学校などでパブリックビューイングやライブビューイングを一緒に行うなど、サテライト空間で本番の本会場と結ぶようなデジタル上の仕組みが考えられる。  三つ目に関して、eスポーツはオリンピックのようにいろいろな競技がデジタル化されているものである。例えばeモータースポーツと言われているレーシング系のゲーム競技があるが、この地域はトヨタ自動車株式会社の地元でもあるため、このeモータースポーツを通じて、愛知ならではのオリンピック・パラリンピックの垣根を超えるインクルーシブなスポーツとしての新しい競技ができるのではないか。 17: 【谷参考人】  地域で根差してアジア競技大会に取り組むことは大変重要である。アジア競技大会は、45カ国、40競技とオリンピックよりも多いことから、できれば押しつけではなく公募で各市町村が積極的に参加国と提携して、それを機会に地域の活性化を図ることが望ましい。合宿や研修など、交流の方法は幾つもあるため、このチャンスにぜひ各市町村において交流を図る取り組みを行うべきである。 18: 【中野治美委員】  愛知万博のときには、一市町村一国フレンドシップ事業として、県内の市町村が交流事業を行った。このアジア競技大会でも、各市町村にはスポーツ少年団などのスポーツ組織があるため、競技会場がない地域でも盛り上げるよう、それぞれの国とフレンドシップ的なつながりを持つような方向を見出してほしい。  また、アジア競技大会をどのくらいの規模で実施するのか。前回のインドネシア、ジャカルタ大会と同じ程度であるのかイメージを教えてほしい。 19: 【谷参考人
     国や愛知県などのかかわり合いが深い事業であり、予算や規模について我々に決定権はなく、想定したとしても、国際オリンピック委員会(IOC)との関係などさまざまな問題が絡んでくるため難しい問題である。 20: 【中野治美委員】  ジャカルタ大会は国を挙げて実施したと聞いているが、愛知・名古屋大会には、恐らく国は手を出さないと思われるため、愛知県と名古屋で行う必要があるが、イメージがつかみにくい。  また、アジア競技大会において、フレンドシップ的な交流の方向は成り立っていくと考えられるか。各市町村のいわゆる民泊施設に選手を招き交流するなど、大会期間中は難しくても、その前後でそのような取り組みを行うことはできないか。 21: 【谷参考人】  フレンドシップ交流は、ぜひ行うべきと思う。具体的な方法は、取り組む姿勢のある各市町村において幾らでも切り口は出てくると思う。先日のラグビーワールドカップ2019日本大会は非常に盛り上がり、ラグビーの普及にもつながったが、南アフリカ共和国が事前合宿を行った市町村が同国を応援して盛り上がったことも、テレビなどのマスコミに大きく取り上げられた。何らかの形で事前に交流を始めることはよい手段だと思う。 22: 【渡辺 靖委員】  株式会社新東通信のアジア競技大会における役割はどの程度の範囲であるのか。 23: 【谷参考人】  コミュニケーション、プロモーション、広報活動といった我々の専門分野に加え、それらにかかわってくる、地域の交流などに関する事業や、SDGsについてもいろいろなメニューがあり、大抵のことには対応できるが、医療などの個別専門的な分野は対応が難しい。ただ、これらの取り組みは、この地域のいろいろな業種、業界が参画するものであり、我々としてプロデュースはするが単独で取り組むものではない。この機会に、愛知・名古屋の同業者にアジア競技大会に参画する機会を与え、啓蒙することも業界としての役割と考えている。 24: 【渡辺 靖委員】  アジア競技大会の基本姿勢や予算的な概略は出ているため、それに準じて、予算範囲内で新しいものを取り入れ、地域の皆で考えていくということか。 25: 【谷参考人】  そのとおりである。例えば、プレスセンターを設置する際には、単に施設を設置して対応するだけでなく、そこに地域の人が絡んでいけるよう、各地域と参加国・地域とを結びつけていく工夫ができるスキルを我々は持っている。 26: 【渡辺 靖委員】  各地域でのかかわりについては、愛・地球博のときに、それぞれの地域住民と国・地域の共存について、事業も含めてすばらしいものであった。そのため、アジア競技大会においても、何らかの形で愛知全体が活性化することを提案してほしいし、県スポーツ局もそれを念頭に置いて進めてほしい。 27: 【杉浦孝成委員】  我々としては、2005年の愛知万博において自然の叡智というテーマが形成され、人材育成にもまちづくりにも環境問題にも一つの基本となっている。アジア競技大会は、もともと平和の祭典、アジアの交流が大きなテーマであり、この平和と交流が基本にあって、あとはスポーツを通して、人づくりや本県のイメージを上げていくということが共通した一つの願いである。  ただ、今の段階では、アジア競技大会に対する認識が非常に低いが、愛知万博も同じであり、自然の叡智という切り口でイメージが固まったため、アジア競技大会としてもそのようなイメージをどのようにつくっていくかが大事だと思う。東京オリンピック・パラリンピック競技大会やラグビーワールドカップが終わった後に盛り上がっていくとは思うが、この三、四年が問題であり、国と本県と名古屋とでお互いに連携して一つの方向を見る必要がある。民間企業としてもよいアイデアを出してほしい。 28: 【谷参考人】  愛知万博のときも最初は割と冷ややかな感じであったが、開催が決まってからはものすごい熱気に包まれていった。そのため、アジア競技大会も開催されれば盛り上がるとは思うが、より盛り上げるための方策として、PR活動と自主的なプロモーション活動が必要である。  アジアの時代であることは間違いないことであり、アジアの成長と平和というテーマで、この機会に愛知でアジア競技大会を開催できることは、私としても本当にありがたいことと思っている。 発言が指定されていません。 Copyright © Aichi Prefecture, All rights reserved. ↑ 本文の先頭へ...