市川三郷町議会 2022-06-02 06月02日-01号
また非公式ではございますが、10年後のかいじ国体を目指して、大会を誘致したいという団体もアプローチをしてきてございますので、今の段階、どういうYESかNOかで判断はできないところではございますが、そういう将来性も含めて、いろいろな角度から検証をしていきたいと思います。
また非公式ではございますが、10年後のかいじ国体を目指して、大会を誘致したいという団体もアプローチをしてきてございますので、今の段階、どういうYESかNOかで判断はできないところではございますが、そういう将来性も含めて、いろいろな角度から検証をしていきたいと思います。
旧町民体育館は、昭和61年に開催されたかいじ国体の空手会場として建築されたものです。しかし、新しい体育館は、この町の伝統である空手とはおよそ無縁の床が、コンクリートの体育館に成り果ててしまいました。 町長はなぜ、このような危険な、しかも時代遅れな、町の伝統も捨て去る体育館を建設したのか伺います。 ○議長(笠井雄一君) 答弁を求めます。 町長、久保眞一君。
しかしその働きかけを、ぜひ私はしていただきたいと、かつての市川大門町では、先ほど申しましたが国体が開かれた時、議会で中銀から先ほど言いましたが、今のとりしんさんの駐車場までの間、当時は甲陽自慢だったんですが、あそこだけを一方通行を解除しようということを決議して、県へ働きかけたんですが、残念ながらさっきも言ったような状況です。
山梨国体の空手会場に、市川大門町立体育館が決定した時、市川本町駅をメインステーションにすることを理由に山梨中央銀行と現在のとりしん駐車場の間だけでも一方通行を解除してもらい、そのことを契機に全面的に解除してもらうように働きかけていくことを、市川大門町議会で協議し、県公安委員会へ要請しましたが、残念ながら今日に至ってしまいました。 中央通りを一方通行にした時代と、現在は大きく変わりました。
途中、国体があったとき、空手の主会場が市川の体育館で、そのときの議会では本町駅をメインステーションにしようということで、今のとりしんさんの駐車場から中央銀行のところだけ対面交通できないかというようなことを、県のほうへお願いをしたんですが、実現をしませんでした。
時が経過して私が指摘したとおりになってきているわけですが、次のチャンスが来たのは山梨国体の空手会場に市川大門町がなったときです。この機会に、山梨中央銀行と現在のとりしんの駐車場までを一方通行を解除してもらう。理由は市川本町駅をメインステーションにして、会場の市川大門町民体育館のへの交通の便を図るということでした。
国体開催を契機に、中央通りの一部を一方通行を解除し、その後、全面解除する熱い思いが、全議員の胸にありました。残念ながらいまだに一方通行です。 中央通りの一方通行は当時、市川大門バイパスも、広域農道もなかったとき、中央通りをダンプカーが走っていました。歩行者の安全を守るという名目で一方通行になりました。議会への説明は、定例会開会直前の30分間、市川警察署の署長の説明でした。
かつて、国民体育祭、国体が開かれたとき、市川大門町は空手の会場になりました。以来、約30年間経過しても、関係者の尽力もあって、空手道が盛んな町として存在しています。 国文祭の書の開催地として、一時だけで終わらせることのない取り組みが大事です。前の一般質問で、国文祭を町の伝統文化継承の場として、伝統文化を守り、発展させる町としての、政策展開の必要性について質すとともに、町長の方針をお尋ねしました。
子安神社の神楽が、宮原の宮司さんによって伝えられたと、宮原自体にも神楽を守る組織があるようでございますが、やはり今回の全文祭というのは、体育でいう国体と同じであります。これをきっかけにして、伝統ある文化、放っておくとそのまま自然消滅してしまいます。
◆18番議員(一瀬正君) 平成25年の1月12日から11月10日までということで、11カ月間の開催ということですが、開催面だけではなくて、その前の年も国体など、準備のためのといいますか、リハーサルといいますか、あったと思うんですね。決定すれば、即対応をしていかないとならないのではないかと思います。第3回、秋ごろまでには開催地に本町が決まるかどうかということのご答弁です。
国民文化祭は、文化の国体ともいわれる日本最大級のイベント。開催を契機として、本県文化の裾野を広げ、文化力の向上を図るとともに、山梨を全国にPRし、イメージアップを図っていきたい。 平成20年度に基本構想検討委員会を発足させ、市町村と文化団体にどういうことをしたいかという意向調査を実施するお考えがあるようです。 文化の町、市川三郷町にとって、絶好のPRの場だと思います。