富士吉田市議会 2023-09-13 09月13日-02号
一例として、江戸時代中期には「江戸八百八町に八百八講、講中八万」という言葉があるように、江戸のまち全てに富士講があり、講員は実に8万人に上ったと言われております。信仰の対象と芸術の源泉として世界文化遺産に登録された富士山。登録10周年を迎える本年は、富士山の価値を再認識し、その普遍的な価値を後世に継承する取組をさらに進めていく必要があります。
一例として、江戸時代中期には「江戸八百八町に八百八講、講中八万」という言葉があるように、江戸のまち全てに富士講があり、講員は実に8万人に上ったと言われております。信仰の対象と芸術の源泉として世界文化遺産に登録された富士山。登録10周年を迎える本年は、富士山の価値を再認識し、その普遍的な価値を後世に継承する取組をさらに進めていく必要があります。
198: ◯田中歴史文化財課長 高室家住宅があるところはまさに高室町になるんですけれども、高室家住宅は江戸時代中期のカヤぶき屋根の建物が現在の住宅街の中に静かなたたずまいを保っているということがございます。将来にわたりまして、この景観保全も努めていかなければならないと考えてございます。
また、本市は、開府500年に係る取り組みを始める前から、江戸時代中期の甲府城主であった柳沢吉保氏をえにしとした奈良県大和郡山市との祭り交流や、戦国時代の戦いをえにしとした新潟県上越市、長野県長野市、静岡県静岡市との集客プロモーションなど、歴史を活用した取り組みも進めているところであり、今後も、過去に学びながら現在を見つめ、未来につなぐための事業を、市民の皆様を初めとする多くの方々と連携・協力しながら
また、この施設設置場所周辺は、約250年前の江戸時代中期から約100年間市川代官所が置かれ、地域の行政の中心的役割を担った場所でもあります。他の地域から代官所を利用する人々が集まり、交流することにより、さまざまな産業や文化が育まれました。 「甲斐源氏発祥の地」、「歌舞伎の里」とならび、「代官所があった場所」という歴史は町としての貴重な財産でもあります。
江戸時代中期の米沢藩主上杉鷹山は、当時財政的に破産状態にあった米沢藩の改革を自ら率先して倹約し、新田開発をして耕地を増やし、養蚕の奨励を図った結果、米沢織などの特産品を生み、農民の疲弊を救いました。更に、人口増加策にも意を注いだ結果、米沢藩の財政は再建されたのであります。
「柳子新論」についてですが、山県大弐が生きた江戸時代中期は、民衆の政治への不信、不満が高まり始めた時代であり、このような時代の中で大弐は、力による支配でなく、学問や教育を振興し、礼を重んじ、平等な世の中の実現を「柳子新論」で論じております。 歴史がたどった事実を認識し、その中において現在にも通じる平等な社会を目指す思想を説いていることは、注目すべきであると考えております。
とりわけ、北部の秩父多摩甲斐国立公園内に位置する金峰山登山道の水晶峠周辺は、良質な水晶を産出する鉱山として知られ、江戸時代中期に御岳において発祥した水晶の加工技術が飛躍的に発展し、今日へと受け継がれてきたところでございます。 すぐれた加工技術による水晶工芸品は、長い歴史と価値ある伝統に裏づけられた宝石のまち甲府の宝であり、大変重要な観光資源であります。
この周辺は、245年前の江戸時代中期の明和2年に、代官の出張所が置かれ、市川の代官所の歴史はその後、約100年続くことになります。 幕府直轄の甲斐の国、市川代官所としてここに陣屋を構え、25代にわたる代官が、管内247カ村、7万5千石を治めてきたところであります。
このびょうぶは、根津家でも実際に正月に飾ったと言われている江戸時代中期の作品です。記念館主催のイベントですが、暮れには門松づくり、新年には元日から三が日を特別開館して、邦楽、太鼓の演奏やもちつき体験等を行い、里帰りのお客様や県内宿泊者にも楽しんでいただきたいと考えております。 また、企画展の2回目として、1月11日から牧丘町豊原にお住まいの草絵作家「妣田圭子展」の開催を計画しております。
富士山噴火は、1707年の江戸時代中期の宝永噴火から約300年と休止期間は長く、科学的観測データも少ない状況です。だからこそ北富士演習場内にある富士山噴火の痕跡である「割れ目噴火口」や「溶岩樹形」は単に学術的、文化的に貴重なだけでなく、富士山噴火に備える防災対策を確立する上でも、かけがえのないものといいます。