富士吉田市議会 2023-12-08 12月08日-02号
そこで、まず1点目として、江戸時代に信仰を広めた「食行身禄」の活動と富士講について伺います。 江戸時代に信仰上、自ら死を遂げ、富士講という富士山信仰を大きく広げ、吉田口の隆盛にも大きく貢献したであろう、この「食行身禄」の足跡をもっと広げて知らせてはいかがでしょうか。上吉田の中宿にこの「食行身禄」に関する建物があります。今年の8月には宗教団体によって「食行身禄」をしのぶ行事も執り行われました。
そこで、まず1点目として、江戸時代に信仰を広めた「食行身禄」の活動と富士講について伺います。 江戸時代に信仰上、自ら死を遂げ、富士講という富士山信仰を大きく広げ、吉田口の隆盛にも大きく貢献したであろう、この「食行身禄」の足跡をもっと広げて知らせてはいかがでしょうか。上吉田の中宿にこの「食行身禄」に関する建物があります。今年の8月には宗教団体によって「食行身禄」をしのぶ行事も執り行われました。
一例として、江戸時代中期には「江戸八百八町に八百八講、講中八万」という言葉があるように、江戸のまち全てに富士講があり、講員は実に8万人に上ったと言われております。信仰の対象と芸術の源泉として世界文化遺産に登録された富士山。登録10周年を迎える本年は、富士山の価値を再認識し、その普遍的な価値を後世に継承する取組をさらに進めていく必要があります。
また、江戸時代後期に八百八講として栄えた富士講のおよそ8割が吉田口登山道を利用してきたこともあり、この周辺一帯は聖地であると同時に、さながら当時の一大観光行楽地としての様相を備えていました。 明治22年の東海道線開通、明治36年の中央線の開通により、富士山麓周辺へのアクセスが容易になると、より多くの人々が富士山へ訪れるようになりました。
次に、当該住宅への御師の文化や風俗、歴史などを知ることのできるコーナーの設置についてでありますが、公園内における御師復原住宅エリアには、タツ道、ヤーナ川を再現するほか、富士講講社による富士登山などを記す石碑を配置して御師の宿坊付近の雰囲気を思わせる造りとし、建物の外観については、従前からの部材を使用することにより意匠を継承する予定となっております。
市川文珠、知恵文殊といわれる学問の神様を祭る表門神社、夢窓国師所縁の庭園と母の墓、富士山信仰の富士講神殿、商いの神様を祭った正ノ木神社、紙の神様を祭った神明宮、そして平塩にあったという天台百坊などなど、代官所の門だけでなく神社や寺など、尊い歴史がいっぱいに残っている町です。
次に、四季の自然と調和した動画での魅力の紹介についてでありますが、総合観光PR動画「ここにはいつも富士がある」を昨年度に作成しており、季節の移り変わりと忠霊塔からの富士山の眺望や富士講、火祭り等、本市の歴史文化とを絡めたものとなっております。今後も必要に応じ、効果的なPR動画の作成に取り組んでまいります。
地方の農業体験などを通じて自然、文化、人々との交流を楽しむグリーンツーリズムは、この地域の特産である富士山やさいやミルキークィーンなどの知名度を高める大きなチャンスであり、自然環境や歴史・文化を対象とし、それらを損なうことなく体験し学ぶエコツーリズムは、富士山の麓に広がる壮大な自然や富士講の歴史、文化を活用することで、さまざまなコンテンツを生み出すことが期待されます。
富士講の修行の中の一つと言われるお中道めぐりの歴史や、実際のコースなどがよくわかるものでした。 このような取り組みは、ふじさんミュージアムではたびたび行われておりますが、このような取り組みをさらに広げて、我が市にまつわる歴史や文化について、より多くの市民が知ることができるように政策を進めていくことが必要だと考えますが、いかがでしょうか。
また、世界遺産関連事業としまして、江戸時代に隆盛した富士講の巡礼路を生かした散策コースの設定やツアーの企画など、通年型や滞在型の観光を目指す誘客プロジェクトを山梨県と富士北麓市町村が始めることといたしました。富士山の価値を理解していただく新たな観光施策として、早期に確立することを望むものであります。
御師は、現在、国指定の重要文化財として多くの観光者が訪れる旧外川家住宅のような本御師と新興の町御師により構成され、その中で浅間坊は現存する貴重なタツミチを持たない町御師として伝承させており、表通りに面して豪壮な薬医門を建造することによって一般の町屋との違いを際立たせてきたものであり、江戸時代に富士講の講者の方々がお金を出し、江戸の職人により築かれた貴重な門であると聞いております。
このことを伝え聞いた、市川大門の大寄友右衛門さんが、飢饉に苦しむ忍野の民を救うために、私財を投じて一大事業を興し、忍草の湧水を富士講の禊池として、北極星と北斗七星の形になるように、8つの池を選び、それぞれの池に八大竜王を祀り、宗教を利用した村おこし事業をやられたということで、今、富士山が世界文化遺産に登録され、忍野八海は外国人の観光客を含めて、ものすごい賑わいをしているということです。
現在は、市内全域をテーマとする現代版富士講モデルの実施や下吉田地区のまちづくりを研究テーマとし、設定し、事業を進めております。 明見地区につきましては、勝俣議員御発言のとおり、有効な地域資源がありますので、まずは地元の皆様と協議し、自然環境の保全を図る中で、地域が持つ資源や交通アクセスなどを有効に活用しながら、地域振興に努めてまいります。
次に、第2点目の地産地消についてでありますが、地元の食材を使った特別メニューといたしましては、富士山の世界遺産登録を見据え、7月1日から5日までの期間を祝富士山世界遺産登録・富士山ウイーク給食と題し、市内産の黒米や野菜等を使用し、富士講信者が食べた御師料理をアレンジして提供する予定であります。この特別給食初日には学校給食レシピ集を配布して、食を通して学びとなるような計画を予定しております。
現状におきましては、現代版富士講モデルに関する調査研究や吉田ごはんプロジェクトの試行などにおきましても、地域に暮らす皆様の参画をいただく中で、数多くの事業を推進しているところであります。
上吉田の町並みは、昔からの富士講の流れを取り上げて門前町として整えるための家々の表玄関を、門構えをどのようにつくりかえなければならないのか。国道138号線の4車線化に対し、横町の道路をどのように門前町の雰囲気を残して整備し直すのか。具体的に富士山駅から北口本宮富士浅間神社までの富士みちの整備は、御師の家のみそぎ場の復活、玄関先の提灯を飾る試みもあります。まだその事業は中途段階だと思います。
明見湖は、葛飾北斎の浮世絵にも登場してくるほど美しい場所であり、また富士八湖の一つとして富士講のみそぎの場であったとされております。富士山の世界文化遺産の登録の一つの理由として富士山信仰を掲げておりますが、今回構成資産には登録されておりませんでしたが、十分価値のあるものと考えます。 次に、環境を考える場所になりますが、例えば以前カワセミが飛来していたという事実もありました。
富士山の伝統は、長い歴史の中ではぐくまれ、万葉集でも取り上げられ、信仰の山であり、江戸時代、庶民による富士講などによってつくられてきた伝統ある遺産であります。江戸時代、上吉田の世帯数335世帯のうち86世帯が富士浅間神社の御師職であり、その割合は25.6%でありました。4世帯に1世帯は御師であり、上吉田の経済効果は極めて高いものだったと思われます。
観光面では、御師の町として以前は富士講をはじめとする登山者でにぎわってきましたが、現在では富士山世界文化遺産登録を推進しており、富士山を求めて世界中から観光客がやってきます。富士登山客も年々増加し、ことしは25万9,000人となり、過去最高を記録しました。毎年行われている富士登山競争も年々参加者が増え、本市の伝統行事となっております。
今回、世界遺産に新たに「史跡・富士山」をリストアップする理由として、山梨県は、富士山は信仰の山でその価値を示すとし、富士講信者が山頂に至ったルートをたどることで、信仰の道を前面に打ち出すとも説明しております。私は、富士講信者の宿坊であった御師の家並みについて、改めて見直すべきいい機会が訪れたと感じました。