光市議会 2004-06-14 2004.06.14 平成16年第4回定例会(第2日目) 本文
1976年に『団塊の世代』という本を出した堺屋太一氏は、出版以来30年間ずっと、人口の影響で世の中がどう変化するかを追究してこられたとのことであります。
1976年に『団塊の世代』という本を出した堺屋太一氏は、出版以来30年間ずっと、人口の影響で世の中がどう変化するかを追究してこられたとのことであります。
1976年に『団塊の世代』という本を出した堺屋太一氏は、出版以来30年間ずっと、人口の影響で世の中がどう変化するかを追究してこられたとのことであります。
6月に入って、6月10日に救国会議九人委員会というのができたそうで、いろんな方が、すごい有名な方ばっかしがおられるんでありますが、この中で、堺屋太一さんと京セラの稲盛和夫さんが共著で記事を出しておられます。この中で、こういうくだりがあるわけですね。「市町村合併が進めば、都道府県の役割が減る。私達は、この際、全国を6ないし11の道州に再編する道州制を提唱する。
6月に入って、6月10日に救国会議九人委員会というのができたそうで、いろんな方が、すごい有名な方ばっかしがおられるんでありますが、この中で、堺屋太一さんと京セラの稲盛和夫さんが共著で記事を出しておられます。この中で、こういうくだりがあるわけですね。「市町村合併が進めば、都道府県の役割が減る。私達は、この際、全国を6ないし11の道州に再編する道州制を提唱する。
堺屋太一氏は過去歴史上で大きな成功を遂げた、例えばジンギス・カンのモンゴル、松下幸之助の松下電器、あるいは大石内蔵助の赤穂浪士などの組織の検証から、勝てる組織の条件とは、明確な目的を持ち、構成員がそれを揺るぎなく信じていることであると結論しております。例えば赤穂浪士は吉良上野介を討つということを唯一の目的としていたのでありますが、個人個人の目的意識は違っていたといいます。
堺屋太一氏は過去歴史上で大きな成功を遂げた、例えばジンギス・カンのモンゴル、松下幸之助の松下電器、あるいは大石内蔵助の赤穂浪士などの組織の検証から、勝てる組織の条件とは、明確な目的を持ち、構成員がそれを揺るぎなく信じていることであると結論しております。例えば赤穂浪士は吉良上野介を討つということを唯一の目的としていたのでありますが、個人個人の目的意識は違っていたといいます。
さて、『Voice』という雑誌に、「知価社会の探求」という連載記事が10回にわたって堺屋太一氏により掲載されました。「知価」というのは「知る」という字に価値の「価」です。その中で堺屋氏は、「日本の組織は死に至る病気に取りつかれている」と指摘されております。「官庁というものは政策目的を実行する機能組織であるが、まず、第1の病気は機能組織の共同体化である。
さて、『Voice』という雑誌に、「知価社会の探求」という連載記事が10回にわたって堺屋太一氏により掲載されました。「知価」というのは「知る」という字に価値の「価」です。その中で堺屋氏は、「日本の組織は死に至る病気に取りつかれている」と指摘されております。「官庁というものは政策目的を実行する機能組織であるが、まず、第1の病気は機能組織の共同体化である。
私は、質問するに当たって、『組織の盛衰』という堺屋太一さんの本をもう1回見たら、すごくおもしろいところがあるんですよね。これを読んでみますと、「信長の時代にも鉄砲が有力な兵器であることは、どの大名も知っていた」と。「それにもかかわらず、信長以外の大名が鉄砲を大量かつ組織的に利用できなかったのは、武士共同体という組織原理から脱け出ることができなかったからである。
私は、質問するに当たって、『組織の盛衰』という堺屋太一さんの本をもう1回見たら、すごくおもしろいところがあるんですよね。これを読んでみますと、「信長の時代にも鉄砲が有力な兵器であることは、どの大名も知っていた」と。「それにもかかわらず、信長以外の大名が鉄砲を大量かつ組織的に利用できなかったのは、武士共同体という組織原理から脱け出ることができなかったからである。
今、堺屋太一先生も、経済企画庁長官もいろいろ文学的な表現で、日本を明るい方向へ導こうということで、言葉巧みにやっておられますが、なかなか黒いトンネルを抜け出ることはできません。 これは言うまでもなく、日本の低金利政策がもたらした大きな失敗策であります。
今、堺屋太一先生も、経済企画庁長官もいろいろ文学的な表現で、日本を明るい方向へ導こうということで、言葉巧みにやっておられますが、なかなか黒いトンネルを抜け出ることはできません。 これは言うまでもなく、日本の低金利政策がもたらした大きな失敗策であります。
これは、サッチャー前英国首相が日本に来たときの評論家の堺屋太一さんとの対談であります。そのときリーダーシップというところで、サッチャーさんが述べておるところであります。「私は、若いころから父に仕事を始める人になるのは簡単だ、しかしそれを完璧にやり遂げることは難しい、しつこく粘り強くやり遂げなければならないと言われてきた。私はこれを正しい原理だと思った。
これは、サッチャー前英国首相が日本に来たときの評論家の堺屋太一さんとの対談であります。そのときリーダーシップというところで、サッチャーさんが述べておるところであります。「私は、若いころから父に仕事を始める人になるのは簡単だ、しかしそれを完璧にやり遂げることは難しい、しつこく粘り強くやり遂げなければならないと言われてきた。私はこれを正しい原理だと思った。
作家、堺屋太一さんの「組織の盛衰」の中で紹介されているのですが、織田信長の鉄砲導入等の一連の新技術の導入は徹底した組織改革があったからこそ可能だったそうであります。信長の時代であれば、自分で決断すれば鉄砲を大量に使えたが、今はそうもいかない。
作家、堺屋太一さんの「組織の盛衰」の中で紹介されているのですが、織田信長の鉄砲導入等の一連の新技術の導入は徹底した組織改革があったからこそ可能だったそうであります。信長の時代であれば、自分で決断すれば鉄砲を大量に使えたが、今はそうもいかない。