下関市議会 2021-02-16 02月16日-04号
◎都市整備部長(平澤良輔君) 今年度の解体実績でございますけれども、解体する建築物につきましては、昭和34年に建築された木造瓦葺平屋建の建物でございまして、延床面積が66.11平方メートルで、土壁を有する布基礎の建築物でございます。こちらの設計金額ですけれども、設計額472万4,500円に対して、契約額が462万円となってございます。以上です。
◎都市整備部長(平澤良輔君) 今年度の解体実績でございますけれども、解体する建築物につきましては、昭和34年に建築された木造瓦葺平屋建の建物でございまして、延床面積が66.11平方メートルで、土壁を有する布基礎の建築物でございます。こちらの設計金額ですけれども、設計額472万4,500円に対して、契約額が462万円となってございます。以上です。
昭和30年以降、また、昭和50年ぐらいまで、このアスベスト建材というのは多く利用されております。日本では、1,000万トン、海外から輸入されて、建材に使われたのが約850万トン程度だと言われております。
◎菊川総合支所長(稲田浩宣君) 菊川手延素麺組合は昭和47年に菊川町内9軒で発足し、当時、農家で盛んでありました米袋「かます」の製造に変わる形でそうめんづくりが始まっております。 きれいな水と空気、寒暖差のある盆地の気候を生かしてつくるそうめんは、コシが強いのが特徴でございます。菊川地域を代表する特産品として現在に至っております。以上です。
まず、児童生徒数は、小学校が、昭和56年度の児童数3万1,539人をピークに減少を続け、令和2年度は1万2,069人で、約62%の減少、中学校が、昭和61年度の生徒数1万5,629人をピークに減少を続け、令和2年度は5,817人で、約63%の減少となっております。
この旧彦島有料道路の途中には、全長710メートルの彦島大橋があり、橋そのものは昭和47年から昭和50年の間に施工され、山口県道路公社が事業主体となり、管理運営されていたものですが、平成17年9月より有料化から無料化になり、供用が開始されております。私も幼いころからなじみのある道路で、有料化だったころは、緊急を要する以外は余り使用する機会がなく、それほど交通量が多かった印象はありませんでした。
下関市社会福祉センターは、昭和51年に下関市社会福祉協議会により、約5億5,000万円をかけて当時建設された施設でございます。 当時、日本船舶振興会からの助成を除きますと、建設のために下関市社会福祉協議会が行った借入金についても本市が補助を行うなど、本市が全面的に費用を負担する形で整備を行っております。
◎建設部長(清水悟君) 長府地区の石畳につきましては、昭和63年度から平成2年度にかけまして、ふるさと歴史のまち拠点整備事業にて整備を行っております。 この地区は、沿道に土塀、門などの歴史的遺産が数多く残されており、歴史的雰囲気を大切にしていくため、電線の地中化や、既存の石積水路と調和する石畳舗装など、沿道景観に配慮した整備を行っております。
本市の地籍調査の状況ですけれども、昭和28年度から開始してございまして、本庁管内は市街地を中心に、総合支所管内は山林部を中心に実施してございます。全体の進捗率で申しますと、令和元年度の3月末時点で71.9%でございます。地区ごとの進捗率といたしましては、菊川総合支所管内が97.0%、豊田が94.1%、豊浦が100%、豊北が78.1%で本庁管内が30.4%でございます。以上です。
そのような活動拠点である下関市社会福祉センターは、昭和51年に建設され、40年余りが経過し、令和2年度で44年目を迎えたとのことです。建物の老朽化が進み、耐震補強及び経年劣化の対応が急がれる状況となっております。写真がございますので少しごらんください。
しかしながら、統計しものせきを見ますと、昭和45年に2万3,000人いた農業就業人口は、平成27年には約5,200人と2割ほどまで減少しています。生産額で見ましても、平成6年の116億円以上あったものが、平成26年には47億円ほどと半分以下にまでに落ち込んでいるのが現状です。
青年の家は、昭和48年に一里山公園内に設置された、生活体験や各種研修を通して、望ましい人間形成を図ることを目的とした、宿泊機能を持つ社会教育施設です。 施設には、定員8人の宿泊室が14室、それから研修室が4室、和室が1室あるほか、体育館とグラウンドがございます。宿泊利用定員は112名です。
ボートレース下関が開場した昭和29年度から平成23年度までに約640億円を繰り出しましたが、平成24年度からことし令和2年度までで48億円出す予定でございまして、合わせて688億円になると思います。以上でございます。 ◆田中義一君 ありがとうございます。皆さんの頑張りでここまで来られたと思います。 それでは、次に6月補正予算、ボートレース事業会計の5億円についてです。
また委員から、火葬残骨灰有価物の売却を実施するに当たり、遺族への事前説明等についてただしたところ、他市の状況を見ても、事前に説明しているところはなく、昭和14年の大審院判決で遺族が遺骨を持って帰った後に残されたものは市の所有物であるとの判断が示されており、これに基づき、他市は売却を進めているとの答弁がなされております。
続きまして、子供の交通安全対策についてでございますが、そのほとんどを昭和36年に設立された下関安全会議が担ってまいりましたけれども、令和2年度より全ての事業を市の直営としまして、推進体制を強化することとしております。
そして市の歌の、一番最初のもので、個人のブログに載っているものをみると、どうも昭和7年につくられていて、そして歌詞がやはりかなり古いタイプの歌詞で、しかも特に下関は港ですので、戦争の色が少し見えるようなところもあるから、そういうふうになっているのかなという感じもいたしました。
現在の下関市体育館は、日本全体が景気に沸く、昭和38年、前回の東京オリンピックを翌年に控えた年に、国民体育大会を機に整備された建物です。
まず、下関港のウオーターフロント開発の計画でございますが、昭和63年に策定されました「下関港東港区ポートルネッサンス21計画」が最初の計画でございます。
昭和31年に公式確認された水俣病は、メチル水銀を含んだ化学工場からの排水による典型的な公害であり、環境汚染により引き起こされた健康被害と自然環境の破壊の広がりと深刻さにおいて、人類の歴史上、類例がなく、地域社会全体にも長期にわたり大きな問題を残すこととなりました。
〔説明資料を議場内ディスプレイに表示〕 ◆前東直樹君 今回、画面上の資料のほうは、昭和期以降の大規模水害ということで、資料をまとめさせていただいています。昭和期、ちょうどこの青の部分、書かせていただいております。こうした最初の初期のころというのは、台風被害を中心にして、人的な災害、人的な被害が1,000人単位で起こる。そうした状況がある中で、なかなか治水等も進んでいない状態。
日新丸は、昭和62年操業開始以来、32年が経過しておりまして、現在、国において新船建造のコンセプトが検討されているという段階でございますので、新船建造のスケジュールにつきましては、現時点では明確となっておりません。以上でございます。