平成28年 3月定例会 平成28年3月
萩市議会定例会会議録(第4号) 議事日程第4号 平成28年3月8日(火曜日)午前10時開議第1
会議録署名議員の指名第2 一般質問────────────────────〇本日の会議に付した事件日程第1
会議録署名議員の指名日程第2 一般質問────────────────────〇出席議員(25名) 1番 五十嵐 仁 美 君 2番 石 飛 孝 道 君 3番 大 久 勲 君 4番 小 池 太 一 君 5番 佐々木 公 惠 君 6番 松 浦 俊 生 君 7番 美 原 喜 大 君 8番 森 田 哲 弘 君 9番 佐々木 武 夫 君 10番 関 伸 久 君 11番 西 中 忍 君 12番 波多野 勝 君 13番 椋 晶 雄 君 14番 大 村 赳 夫 君 15番 長 岡 肇太郎 君 16番 中 野 伸 君 17番 松 尾 義 人 君 18番 守 永 忠 世 君 19番 斉 藤 眞 治 君 20番 柴 田 保 央 君 21番 西 島 孝 一 君 22番 平 田 啓 一 君 23番 宮 内 欣 二 君 25番 小 林 正 史 君 26番 横 山 秀 二 君〇欠席議員(1名) 24番 諸 岡 皓 二 君────────────────────〇説明のため出席した者 市長 野 村 興 兒 君 副市長 和 田 眞 教 君 教育長 中 村 哲 夫 君 総務部長 杉 山 寛 校 君
総合政策部長 田 中 裕 君 文化・
スポーツ振興部長 中 野 恵 子 君 市民部長 岡 崎 君 義 君 保健福祉部長 梅 尾 一 恵 君
保健福祉部理事 宮 本 英 二 君
市民病院事務部長 阿 武 利 明 君 農林水産部長 大 田 直 志 君
農林水産部理事 貞 光 一 成 君 商工観光部長 岡 本 達 彦 君 土木建築部長 佐々木 康 典 君
歴史まちづくり部長 植 山 幸 三 君 上下水道部長 佐 伯 康 生 君 会計管理者 田 中 隆 志 君
教育委員会事務局長 弘 中 保 君
消防本部消防長 中 原 滝 雄 君 総務部次長 柴 田 一 郎 君 管理課長 野 村 謙 司 君 財政課長 齋 藤 英 樹 君 企画政策課長 井 本 義 則 君────────────────────〇
事務局出席者 事務局長 藤 岡 敏 彦 君 副局長 浜 村 祥 一 君 議事係長 村 本 行 繁 君 調査係長 戸 禰 憲 尚 君──────────────────── 午前10時02分開会
○議長(横山秀二君) これより本日の会議を開きます。 本日の議事日程は、お手元に配付のとおりであります。────────────────────
△日程第1
会議録署名議員の指名
○議長(横山秀二君) 日程第1、
会議録署名議員の指名を行います。
会議録署名議員に、6番、松浦議員、7番、美原議員を指名いたします。────────────────────
△日程第2 一般質問
○議長(横山秀二君) 日程第2、これより一般質問を行います。 議席番号7番、美原議員。美原議員。 〔7番
美原喜大君登壇〕
◆7番(美原喜大君) おはようございます。新友会の美原喜大です。2日目のトップを切って、元気良く、情熱を持って通告に従い一般質問をしたいと思います。 まず訃報です。3月2日に田万川出身の元副知事小河啓祐さんの奥様美智子様が亡くなられました。御冥福をお祈り申し上げます。美智子様には私が選挙に出る折に、すべては他が為になし、己が為には何事もなさず。という言葉をいただきました。ここにいらっしゃる皆様方にはだれもが当たり前で実践をされていることと思いますが。この御縁で改めて認識し襟を正したいと思います。 さて、萩の創生、遷都、道州制についてから入ります。2日目午前中でありますので、1時間の持ち時間を使いたいと思います。少し長くなりますので、全体的な流れを先に申し上げます。 まず戦後の人口減少の背景を10分程度、そしてその国の対策について10分程度、そして市長さんに均衡の取れた国土の形成のための遷都、道州制についてのお考えをお聞きするというストーリーです。そして萩の創生について平成28年度の意気込み、情熱をお聞きしたいというものです。 萩の創生が約15分、ジオパークが8分、災害復旧が7分、大体全体で30分程度の予定です。いつもは短いのですが今回は少し頑張ってみたいと思います。では張り切っていきます。 遷都、道州制について人口減少の背景。戦後の日本の復興に寄与した
総合開発計画は昭和37年に第一次
全国総合開発計画、全総と言いました。から始まりました。拠点開発4大都市の整備及び流通の整備がメインで、高度経済成長の始まりです。人口の流出、金の卵と呼ばれる団塊の世代が4大都市へ移動し、人口が流れ始めました。過疎化の始まりです。 昭和45年には新
全国総合開発計画、新全総と言いました。が始まり、東京、名古屋、大阪、福岡の4大都市を結ぶ
太平洋ベルト地帯の開発がメインです。山陽新幹線が開通したもの昭和50年になります。昭和48年の
オイルショック以降は都市部での不況で人口減少が少し漸化した時期でもありました。
景気浮揚対策や早めの新全総の改定で、昭和52年には第三次
全国総合開発計画、三全総と言いました。への取り組みがなされました。
景気浮揚投資に伴い、国にお金が無くなると昭和55年ごろから地方の時代と言われ、地方独自で景気浮揚に取り組みなさいという時代に突入しました。安定成長という言葉が出始めたのもこのころからでありました。借金による公共投資時代、おかげで地方も借金だらけ、その借金が財政負担となり合併時には
資金持ち寄り等の困難さを生み、合併を進めるにあたり大きく影響したのがついこの間のようです。 昭和62年には第四次
全国総合開発計画、四全総と言いました。
景気浮揚対策でバブルの時代への足掛かりを迎えたころです。多
極分散型国土の形成がメインテーマ。しかし、多極分散型とはなりえなかったと言えましょう。地方の人口減少は一直線です。昭和63年ごろ、竹下内閣の
ふるさと創生1億円も地方の時代、多
極分散型国土の形成の一躍として画期的なものであったものの、地方に人口が定着することなく景気回復とともに人口はさらに都市部へ。特に東京周辺に一極集中でありました。 第五次
全国総合開発計画、五全総と言いました。平成24年から27年まででありますが、21世紀の国土の
ブランドデザインがテーマでした。時代の進展が急速であり、計画が5年となったのもこのころからであります。今や増田レポートの地方の消滅警告を受けて、地方創生へとなってきてます。
国家プロジェクトとして取り組んだ総合計画故に、人口流出は起こってきたと言っても過言ではないと思います。 しかし当時日本は世界第2位の経済大国となりました。一喜一憂の面はありますが、流出の原因としては
経済大国日本の創設があります。またその影響で農村部と都市部の格差の過疎化の大きな要因となりました。現在の中国を見ているようです。今地方が過疎で大変だから、金を渡すから地方頑張れでは過疎化はなおらないように思います。アベノミクスは経済をよくしようとするもの。経済をよくすると都市部へ人口が流れるのは今までを見れば明らかです。 昭和50年前後の
オイルショックは不況と言われた時代でもありますが、都市部に雇用がなく地方へ定住が強いれられ、全国的に過疎化が漸化した時期でもありました。地方は日本経済が悪い方がよいのではないかと思わせたほどです。アベノミクスとは反対に、まち、ひと、しごと、地方へ人口定着を。地方頑張れ。何か地方は国から手放されているような感じもうけます。過疎化は地方の取り組みが悪いといったように感じるところでもあります。 それに対する人口対策、しかし
国家プロジェクトとして人口移動を考えないと日本は滅びる。もう10年もすれば就農人口構成から判断して、日本の農業、農村は壊滅だと言っても過言ではなくなってきたように思います。ほっておいても対策を打っても打たなくても壊滅への一途にあるように思います。TPP により安く外国から農産物を輸入されてこようとしていますが、自給率が10%になっては強い日本は作れないでしょう。安保改正をしても食料がなければ食にしっぽを振る飼い犬同然になると思います。強い日本どころか食べることで精一杯の日本になるような気がしてなりません。 国の対応案が以前からもう15年も前から出されています。遷都が一時期話題となりました。四全総のおりの多
極分散型国土の形成によるものと思います。仙台へ、名古屋へという話ばかりで、結局今遷都はどうなったのか。合併時に話題になっていた道州制はどうなったのか。地方への人口分散はどうなったのか。地方頼みでなく、
国家プロジェクトとしてまち、ひと、しごとへの取り組みをしてほしいところです。 このような流れが背景にありながら地方の時代と称し、地方分権で自立を促されています。人口移動がなければ合併もなかったかというとこれは一概には言えませんが、また時代の変遷、合併は過去に見ることはできましょうが、地方も大変な時代を迎えています。国の決断と地方の頑張りが必要で、地方にとってももう後がない時代になりました。 つい最近2月26日、
石破地方創生大臣から、文化庁を京都に移す計画案が発表をされました。やっと動き始めるかの感です。どうぞ全国市長会の相談役でおられます市長さんには、もっと地方へ省庁の移転等を進めていただき、全国の人口移動が分散をされ、バランスのよい国家ができるように一躍を担ってほしいところです。 そこでこのような時代への国の対応をいかにお考えか、遷都、道州制についていかにお考えかお聞きしてみたいと思います。 続きまして、先にも言いましたが、昭和30年代から過疎化が始まり、昭和38年は歴史に残る大雪でありました。島根県の匹見町ではこの大雪を境に過疎化が急進展しました。当時の大谷町長さんはその状況を国に懇願され、過疎債が生まれたと聞きます。どこも過疎対策はこのかたずっと行ってきておられます。昭和50年代には都市部から通勤可能対策として道がないから都市部へ流出するというようなことから県道の改良、市町村道の改良、広域農道の新設まで、道を整備されましたが皮肉なことにモータリゼーションでその道を使って人が都市部へ流れてしまいました。また漁業世帯の次男、三男は金はあるけど宅地がないということで、宅地造成を行い定住に努められました。昭和60年代には公共施設が整備がされてなく、憧れで都市部へ人が流れることから、公共施設の整備を行い、定住を図ってこられました。地方でも大きなコンサートや催しができるようになりました。 いろんな公共施設ができ、萩市では合併により700余りの施設となっているようです。今や過疎を受け統廃合の時代へとなってきました。過去からの努力を考えると寂しい限りです。 平成に入り定住のための公営住宅の整備も行われました。地方はいろいろ対策を打つも、国の
総合開発計画には太刀打ちできず、過疎化へとつながっています。地方の過疎化への努力はもう40年も50年も飽くなき闘いへの挑戦であります。それも過疎化へ挑戦、今般地方創生が出され地方の努力が促されています。昨年から先行型も出てます。平成27年度今回の補正で加速型も出てきました。人口定着へは毎年課題でありますが、毎年努力でありますが、結果からすると過疎なんです。やはり繰り返し挑戦しなければならないのです。全国地方の宿命といった事態です。どうぞ我々もでありますが、執行部と一丸となって過疎化防止へ挑戦しなければならないと思っています。市長さんにおかれましてはこの過疎化と本格化する地方創生、萩の創生への取り組みについての情熱をお聞きしたいと思います。 続いてジオパークと地域活性化についてですが、今年の4月に認定申請をする予定と聞いています。7月から8月に現地確認がなされ、9月に
日本ジオパーク委員会が開催され、認定への道と聞きました。平成15年ごろだったと思いますが、広域農道の工事中に現在の
伊良尾山火山灰跡地が発見されました。そのスケールからしてすぐ
ジオパーク申請へという声が上がりましたが、当時は合併前でありましたこと。合併後も世界遺産への取り組みもあり、まだ取り組みの温度は低いものでありました。 そうした中、平成21年度に弥富地区で
畳ケ淵交流事業が立ち上がりました。これは弥富の財産を何とか活力へつなげたい。経済へつなげたい。後継者確保へつなげたい。元気を出そうと取り組まれたもので、当時地域と共に活性化に取り組んでいた山口県立大学の安野先生とその学生、
ブラスバンド部がここ弥富へ来て
畳ケ淵コンサートを開催されました。畳ケ淵の渓谷で音響が響き渡り、柱状節理の反響が川のせせらぎとミックスされ、ダイナミックなバンドとなりました。今も脳裏に焼き付いています。できることならもう一度。また、毎年聞きたいと思うほどです。若い子供たちがここで演奏してくれることは大変嬉しいというふうに思っています。 翌年の22年、
畳ケ淵交流事業では、やはり畳ケ淵で手作り太鼓と書道吟が披露されました。その後手作り太鼓は龍神太鼓と命名され、現在は川から陸に上がり、いろんなイベントで活躍中です。その後毎年
畳ケ淵交流事業は開催され、やはり祭りも川から陸に上がり、バスツアーとなり、龍の道を地域の方がガイドしていくという本当の地元の手作り行事となってきました。これは
畳ケ淵交流事業実行委員会のみなさんが立ち上がって継続されていることが大きなところであります。それと地域、行政が支援された結果でありましょう。 もちろん市が大きく取り組んでこられた世界遺産の方向性が見えてきたことで、ジオパークへの取り組みが可能となってきたという背景があることは言うまでもありませんでしょう。実質の取り組みは平成23年ごろからだったと思います。そのころからジオパークの盛り上がりも出てまいりました。現在では地域の
散策バスツアーにおけるガイドから、手作りの龍神太鼓、手作りの龍神弁当等の取り組み等が地元へ浸透してきてます。
ジオパーク認定の決め手となる地元への対応は7年をかけて充実してきています。 また須佐地域では平成21年に観光遊覧船の復活をという思いで、5月の大型連休に試行として取り組まれました。多くの観光客で次期来年への取り組みが期待され、平成22年から春の連休と夏休みの運行に努められました。この遊覧船の飛躍の決め手はガイド養成にあったと思います。
須佐文化振興会が中心になりガイドを養成されました。その結果須佐湾がわかりやすいというところが人気でありました。演歌等、歌のサービスも観光客をひきつける一躍を担っていたと思います。このガイドの発していることが須佐地域におけるジオパークの説明にあっているわけで、とりわけ
ジオパーク説明を行うことは、須佐湾のガイド説明であると言ってよいところです。 平成23年からは連休と夏休みは定時運行で、その他の期間は10月末まで予約運行で行われています。お客さんも毎年ふえている状況です。
ジオパーク認定は地域の活力に復活に利用されることが許されるわけで、資産の確保も可能となっているところです。
ジオパーク認定で大切なところが地元がどれだけ参加しているかというところが挙げられます。この須佐地域、弥富を含め、その取り組みは以前からなされ地元の体制はできていると思います。 そこでお聞きします。今年4月に認定申請するにあたり、今後の取り組みについて効果を期待したいところです。
ジオパーク認定されることにより、世界遺産指定と共に萩市内での動線を設定し、観光ルートの設定による地域の活力の復活が期待されたいところです。この
復活プログラムの設定をいかに考えるかが今後の東部の開発および経済活力の基本にもなりえましょう。 地元のツアー、
畳ケ淵交流事業でもバス3台、約70人程度参加されています。市全体で世界遺産を含め、
ローカルツアーを組むのもおもしろいのではないでしょうか。取り組みについてのお考えをお聞かせください。 2ジオサイトの周知と観光化。昨日、石飛議員からジオパークについて、特に笠山周辺について質問がありました。笠山も一つのジオサイトとして歴史もあり、景観もよく、ジオパークを牽引できる施設であると思います。しかし萩市がジオパークを認定申請するといった時どこをするの。ということをよく聞きます。萩市全体のジオサイトのことですが、ジオサイトとしては笠山明神池、風穴、昨日出ました。また六島。東部では龍の道、須佐湾、高山、フォルンフェルス。という所があります。他にも阿武川ダム、川上の重塀岩や福栄の鍾乳洞もあります。また阿武火山群をなす山々もあります。掘り起こせばおもしろいところでありますが、これに対し萩市全域を認定申請するとのことでありました。 しかしジオパークを構成するジオサイトが萩市全体でどこなのか。どこがジオサイトなのかということが見えません。
パンフレット等でその周知に努められているところではありますが全体像が見えません。これらジオサイトの掘り起こしとその周知でジオパーク、世界遺産とあわせ、観光ができることが大きく期待されます。特に東部はその期待が大きいところです。そこらの取り組みのお考えをお聞きしたいと思います。 続きまして災害復旧に入ります。平成25年7月28日に発生した山口県東部大災害から本年の7月で丸3年になります。年度で言いますと本年3月末で事業完了年となるわけです。事業の完了ができなく、繰り越しも少しあると聞きます。災害の査定を受けて実施の段階になってから約丸2年の時間、大変短い時間の中でこれだけの工事を完了されたと、評価に値すると思います。ほんの一部繰り越しもあるようですが致し方ないところでしょう。 来年度以降も国、県の事業が残り、規模を縮小しながらも災害復興局は残ると聞き及んでいますが、市が災害復旧が完了することで有終の美を飾っていただきたいと思います。この新年度予算での仮設主要道路の補修が計上されてます。地元にどこを直すのかわかりません。市道等は市が管理を行っているものでその都度補修が可能ですが、農道等については災害一人歩きのごとく使用に関しても復旧に関しても地元に相談がなく、市が発注している工事なのか、県が発注している工事なのかもわからない状況です。 地元の復旧を優先することで協力体制にはあります。しかし災害復旧が完了するとなれば、そのあたりをよく説明して地元の理解を得ておく必要があると思われます。 よく土地改良区へ同意を求めているということを聞きますが、土地改良区へ聞いてみますともちろん地元の同意が前提の上での了解ということになっているそうです。地元が知らないという有様ではよくないという状況です。せっかくここまで対応してきた災害復旧でありますので、最後の詰めを行い立派に結果を果たしていただきたいと思います。 また、県事業と同じ道を使い補修を必要とする所は県との調整のうえ対応を決めておいていただきたい。決してどちらも責任転換で補修ができないという所がないように調整をしていただきたいと思います。また補修漏れ等は柔軟な対応をしていただきたいというところです。大きな災害でした。有終の美を飾っていただきたいというふうに思います。 2番、広谷林道のその後の対応の進捗状況。続きまして昨年3月に一般質問をしました林道についてですが、地元での応急対応を含め、工事も進捗しているようであります。ありがたい話ですが今後について治山堰堤の県への要望等の進捗も含め対応をお聞きします。 3番目として作業道の復旧、林道の作業道です。作業道につきましても前回回答をいただきました。回答では地元財産であり、受益者負担がかかるが何とか対応を考えていきたいというものでした。別地区では作業道でも本年度も来年度も予算計上がされてます。原則地元ということでできないということになっているようですが、公共性が高い時には維持を行うということでありました。 大津作業道、広兼議員の少し上の所に作業道があるわけですが、200年に一度かというほどの大水害でありまして、被害は地元管理の程度を超えてます。地元では到底復旧できません。しかし、林業育成の財産としてこのまま放置してしまうにはあまりにももったいないというふうに思います。公共性が高いという理由からして作業道の維持管理ができるものなら、普通の災害を著しく超えた大水害であったという理由は十分納得のいく事由になるものとは思われないでしょうか。松茸林があるから、学校が関係してるから、地元で補修する所を市で補修したというより、林業全般を考えればやむを得ない雨の量、補修を必要とする事由ということにはならないでしょうか。超激甚災害であったことは間違いありません。林業は経済性がなく、公社造林も負担割合の見直しがされる時期となってまいりました。今後将来における山の価値観と投資についていかにお考えかお聞きしたいと思います。 以上25分程度でした。終わります。
○議長(横山秀二君) 市長。 〔市長
野村興兒君登壇〕
◎市長(野村興兒君) 美原議員から大変この萩の創生ということ、しかもこの新全総から至りますところのいろんな国の計画や国とのかかわり、その中で地方の問題、今までのいろんな議論をされましたがそれを総括いただきました。それぞれについてのお尋ね、またジオパーク、災害復旧、3点大きく質問いただいたわけであります。 最初の今のお話を聞いてみまして本当にそういう意味では国と地方という問題、都市集中、地方分散、いろんなことがあります。昭和47年の6月に田中角栄さんが議員が実は総裁選に出られた時に、
日本列島改造論というのをもち上げたのです。それはまさに今議員がおっしゃったように、地方の問題を前面に出した。日本列島を改造するのだ。自分自身は新潟の出稼ぎだ。新潟の実は住民、若い者はみんな冬になると出稼ぎに行くのだ。そして夏場や農業をする時にはもちろん新潟県で作業をする。正月や盆になると停車場に行くとみんな涙の別れだと。盆が終わり、正月が終わると、息子や娘がみんな帰って行く。家族を連れて帰って行く。これを毎年見ているのは耐えられないとこういう演説をやって、私も聞いたことがあります。大変迫力がありました。 これを解消するにはどうするか。しかも当時は一つはこの都市部におきますところの公害の問題。そして一方でその過疎、そしてそういった問題がこれを同時に解消するのだと、こういう話でありました。本当に今でも覚えてますが、日本の北部は工業地帯です。南部は農業地帯だ。それが逆になっているのはおかしい。こういう話でありました。なるほどなと思ったわけですが、とにかくこの
日本列島改造論は具体的に動き出します。何かと言いますと、とにかくまず基幹交通基盤を整備するのだ。一つは新幹線であり、一つは高速道路の体系である。北陸、新潟を含めた北陸は見事に変わったのです。これによりまして。今もなお続いております。この高速道は
関越自動車道、
北陸自動車道、上越自動車道、盤越自動車道、これがまさに機能しております。 加えて実は上越の新幹線、北陸の新幹線、これはまさに今完成しつつあるわけです。こういうようなことでかつては豪雪地帯の貧困の一番最端と言われたのが、対象で言われたのが実はこの北陸地方の豪雪地帯でありました。まさに角栄氏がみずからそういうふうに表現しておりましたけれども、そういったことで、それが今や北陸はがらりと変わりました。なぜかと言いますと交通基盤であります。 しかしかなりの工場は円が高くなった時にかなり分散していきます。企業城下町はかなり中国やベトナムやいろんなところに工場を移します。しかしかなりの部分は残っております。そしてこのいろんな意味で小松空港や富山空港、こういったものを基軸としてこの
北陸自動車道をはじめとします高速道のネットワークができた。だから東京から金沢に、あるいは富山に観光にみな行けるようになった。こういうふうな話であります。 いろんな形で今の北陸、上越、こういったところのまさに基盤強化になったわけです。これらの地域は、消滅可能性自治体の中にはあまり入っておりません。変わったのです。豪雪の地帯の貧困というような言葉が言われておりました。たった一人の政治家の力でと言いますか、地域挙げての力で変わっていくことができる。こういった姿を、ずっとこの40年間見ておりました。しかるにこの日本海側、しかも南の方、西の方の山、山口県、この日本海側はまだまだあまり変化がありません。というか過疎がどんどん進んでおります。御指摘のとおりであります。 こういったようなことをどうやって今から考えていくのかということでありますが、まず本当に中長期の課題としてはいつも言いますように、やはり交通基盤を失っているということであります。かつての鉄道の貨物列車やあるいは特急や急行や快速や、そんなものが一切なくなってしまう。もう道路しか、道路と言いますか車しか交通手段頼むとするところがなくなったわけであります。 こういったような状況の中で、これが地方の要するに振興につながっていくはずがないのです。逆になっているわけですから。そういったもののことをちゃんと整備をしていくことがまず第一だ。こういうふうなことでいろいろお願いをしてきているわけであります。 とにかく今のこの各それぞれの三全総、四全総、三全総は地方の時代とか、まさに四全総は多極分散型と言ってますが、その原点は実は日本列島改造というあの強烈な個性の新全総、全総ができましたのが昭和45年であります。それを受けた2年後に強烈なものをボンっと、作者はみんなこの下河辺さんであり竹村さんであった。こういうふうなことを考えますと、そんな強烈なリーダーシップとそして財源をちゃんと確保したということであります。それが今やその財源がなくなって、要するに莫大な国債、借金が残ってしまった。今、どうしようもなくなっているわけであります。 そういう中で地方はどうやって生き抜くかということが今我々に課せられているわけですから、大変な状況であります。 加えて今お尋ねがありましたのは、道州制や遷都。今遷都なんていうことを、言うことはできますが、これができるような状況では決してありません。もうこれ以上の財源を確保することは無理なのです。消費税の10%すら今非常に難しくなっています。 こういうふうなことを考えますとなかなか一方で社会保障等の大変な財源があって、そこで遷都というのは夢のまた夢であります。道州制の話は本来はこれは改革でありますから、やる気でもってやればできるはずでありますがなかなか抵抗も強い。しかし本来私どもの立場から言いますとこれはおかしな話でありまして、道州制を実現するために足腰のしっかりした基礎自治体をつくる。だから協力をしてくれというのは当時の政府の言葉であります。県の言葉であります。この10年たちますとその言ってた当事者の方はみんないなくなって、そのことをみんな忘れてしまってですね、本来は県は要するに権限をもう基礎自治体に委譲するのだ。だから中国地方、あるいは四国地方一緒になるかならないかは別にして、道州制をこれは実施するから、こういう話で進んだはずです。 私ども真面目にそれを受けて一生懸命各それぞれの7つの地域の皆さんにそれを話し理解をいただいて合併をし、本当に足腰のしっかりした基礎自治体をつくろう。こういう決意に燃えてきたわけです。なかなか思うに任せないものがございます。 しかしそういうふうな中でとにかくいろんな意味で今御指摘をいただいたようなこと、それをしっかり考えていかなければならないわけです。非常に限定された中でこの地方のそういう萩のような条件不利地を持ったような、そういったところの都市がどのようにして今から生き抜いていくか、これはまさに我々に課された課題であります。やれることをしっかり一つ一つ地道に時間がかかるかもしれない。ある日突然ということはなかなかできないのでありますが、まだ我々の今萩市は恵まれた環境にあります。その恵まれた環境をこの時を移さずしっかりこれをタイミングを失することなく活用しながら再生に向かって進むことだろうと思います。その思いはまさに熱い熱い美原氏の、美原議員の思いと全く一緒でありますが、どうか一つ御理解をいただきますようによろしくお願いいたします。 萩の創生についての所感ということであります。まさにそういう中で今から頑張っていこう。こういうことであります。この創生の、地方創生なんてことは評論はいくらでもできます。評論はいくらでもできますが、みずからなにかこうやっていこう。やれることをやっていこう。これが一番大切なわけです。 そういう意味では美原氏自身は、今議員自身はこの地域の農業、これのそれぞれのこの農業法人、集落営農法人をひとつまとめて、6つのこの法人をまとめて連合体をつくろう。こういったことで今奔走されているわけであります。何とかその意とするところ、実現できますように、私どももできる限りの支援をしていきたいとこういうふうに思っているところであります。 今具体的にその地方創生についての取り組みについての所感ということでお許しをいただきたいと思います。 続きましてジオパークでありますが、ジオパークについてはまさにそういった流れの中の一環であります。恵まれた環境と言うのはまさに議員御指摘のように一つは昨年の大河ドラマ、あるいは世界遺産、こういったものが矢継早に起こりました。萩にあるものをしっかり生かしていこう。萩にしかないもの、これを活用しよう。こういうことであります。 こういうふうなことで今この恵まれた環境の中で、ジオパークというまた次の課題に今取り組もうとしているわけであります。歴史、文化、そして自然、この自然の部分の生かし方をジオパークという形で表していきたい。こういう話であります。 今いろいろお尋ねいただきましたこのジオパーク、いろいろ今本来は萩市全域にわたる地域をまさにジオパークとしてとらえ、その中でいろんな核となると言いますか、自然系の観光ポイントとして認識されております笠山、須佐湾、龍が通った道、あるいは長門峡、こういったものを中心としながら今からそれぞれこの、常にこれらの地域はある意味ではその地域の皆さんも一緒になっていろんな運動をしていただいてます。そういったような中でこれをさらに理解を深め、いろんな形でネットワークを結んでいく、観光動線で結んでいく、こういったことを考えていきたいと思います。 実は今萩の観光については、とかくエイジェント頼みのことが多いのでありますが、そのあたりの今県がいろいろ指導しておりますように、DMOというディストネーションマーケティングあるいはマネジメントオーガニゼーションという要するに観光の目的地のサイドからいろんなマーケティング、要するに観光アクセスはどうなっているか、観光市内のいろんな意味で動線をどう構築するかとか、おいしい食べ物屋さんはどういうふうに構成されているかとか、そういったものをいろいろ情報提供を観光地自身がいろいろ企画をしていく。情報提供していく。今までは本当にそれぞれのエイジェントに丸投げしていくような話、そうではなくて主体性や自主性を持ってみずからがそういうふうな形で切り開いていくのです。情報提供してゆく。車で来られたら、あるいはレンタカーで来られた方にいろんな形、それぞれの情報提供ができるように。これは今ネットサイトを使いますといろんな形で提供は現にやっているわけですから、そういったものを組織的にやっていこう。こういうふうなことも今考えています。県も一生懸命そういうふうな主体的な観光、自主的な観光、こういったことができるようにということでありますから、そういった中でジオの問題も新しい一つの取り組みでありますから、そういったものに情報提供をしっかり行い、みずからそういうふうな観光のネットワークが図れるように、情報提供できるように。そういったことを今やろうとしております。 まだこれは、具体的に予算とか、あるいは具体的な組織とか、そういったところまでいきませんが、何とか早く構築をして、今県が28年度の一つの大きな眼目をしております。そういったものに追いつくようにやっていこうと思っているところであります。 ジオパークについて今畳ケ淵の交流事業のお話をされました。まさにこういったこと、須佐湾のいろんな景観を中心に遊覧していく、観光遊覧船、こういったものはまさにジオパークの求めるもの、要するに地元のみなさんがこのジオというものを生かしながら観光やあるいはいろんなイベントや音楽会や龍神太鼓やそういったことで大いに盛り上げていただいている。まさにこれがジオパークの求めているところであります。 そういった意味ではもう基礎はできている。こうも言えるわけです。こういったものをしっかり生かしていく。引き続いてこれがずっと次の世代まで継承していただくことができるように、このジオサイトのストーリーをたどりながら、いろんな形でこの内容を深めていただく。こういったことだろうと思います。 ぜひぜひ今のジオパークの関係、須佐、小川地域はかなりその重点で今考えられていますが、どうかさらにその内容を深めていただくこと、あるいは対象の地域それぞれに皆この小学生、中学生含めて共に参加できるようなそういうふうなジオに拡大をしていただきますようにお願いいたします。 観光化にこれをどう結び付けるかというのはまさにこれはもし今から申請をし、これが認定をされれば即座にそういったような形で切りかえができるように考えていきたいと思っているところであります。どうか地区挙げていろんな意味で御支援をいただきますようによろしくお願いいたします。 それから災害復旧でありますが、これについてはまさに一応その萩市が担当いたしますいろんな事業はこの年度末をもってほぼ完了しつつあるとこういうふうに申しております。一部の繰り越し、これも出てくることは仕方がない。とこういうふうに言っていただいておりますが、先ほど大変な評価をいただきましたように担当者は大変頑張ってきました。そして他市からも多くの応援をいただきました。そういういろんな応援があればこそ、何とか丸2年でこういうふうなことを完了することができつつあるわけであります。 そういう中でひとつ今御心配なのはこの県の事業、特に河川の拡幅等の改修事業、あるいは橋梁の関係の事業、これがかなり今まだ残っております。例えば須佐川の関係で言いますと、港橋の関係とか、それぞれ例えば国道191の中津橋、この今ちょうど仮橋ができようとしていますが、仮橋を作ってそして本体の橋を壊して架け替えて、そして今度は仮橋を壊す。こういった作業が今からあるわけです。そして田万川では今この須佐川だけでもう今この本体の国道に架かる橋もそうであります。そして全体では三橋、今設計中、施工中でございます。 田万川の関係についてはこの河川の関係で大体5カ年今からかかるようでありますが、全体で九橋、そして完了一橋、だから今施工及び設計中が八橋であります。8つの橋を今やろうとしているわけであります。 いろんな意味でこの工事が継続いたします。ダンプカーの数も相当のものが走っているわけでありまして、そのダンプカーの走ることによって市道やあるいは農道が補修が必要になってくる。特に今御指摘をいただいておりますのは農道でありますが、農道についてはそれぞれの地域の農業従事者の方がまさに使うための道路でありますから、そういったものを一方的にこれを工事用の例えば残土処理の関係でダンプカーを使う、これは必ずやその地区の代表の方々や、それだけではなくて地域の皆さんにちゃんと説明をしてやっているはずでございます。そういうことを今総合事務所にも徹底いたしますが、今御指摘のような懸念が仮にあるというならこれは大変なわけでありますから、早急にとにかく今からの県の事業、災害復興局の事業はもうわずかでありますが、そういうふうなことでちゃんと説明ができ、ちゃんとこの期間も具体的にお示しをする。こういったことをやっていこうと思います。やっているはずでありますがもう一度確認をちゃんとさせていただきたいと思います。 市道、農道とも今28年度、6路線がありまして、これで2,300万余りの予算を計上しているわけでありまして、農道につきましても28年度、3,800万、これは相当のものです。各地区におきましてはまさに今おっしゃったような御懸念が仮にあるならばこれは大変なことだと思います。ぜひ議員の御指摘のとおりできる限り早くこういったことがチェックいたしまして十分対応していきたいと思います。 それからその関係につきまして、広谷林道の関係とか、あるいはこのそれぞれ作業道の関係のことをお尋ねいただきました。なかなか橋やあるいは田んぼやいろんなもの、道路やそういった災害被害の関係が先行いたしました。なかなか山の中の林道や作業道、そこまで皆被害状況を確認すらもできてなかったと思います。そういう中で林道、これはしっかり補助災害の対象になる。こういうものでありますし、ただこの作業道についての原則は実は一般的に作業道はその作業、要するに木材を搬出するためのときに使い、使用後は本来の自然に戻す、山に戻すという考え方が基本であります。その構造も非常に簡単でありまして、要は何とか木材の搬出さえできればということであります。林道はそうではなくてしっかりした構造を持っているわけでありますが、そういう観点から言いましても補助災害の対象とはならない。こういうふうになっております。あくまでもこの作業道についてはそれぞれの林家の所有物、こういうことであります。 そういうふうなことで原則はなっているわけですが、今議員御指摘のようにいろいろ作業道の中にも基幹作業道、市が開設したもの、もちろんこれはあるわけです。それは市が復旧する。あるいは国県市の補助金による受益者が開始したもの。これは受益者の財産であります。市が直接復旧することはできませんが林業振興のため可能な範囲で支援をする。こういう考え方があります。しかし可能な限りというのはなかなか難しいわけでして、そういうふうなことでこのいろいろ御議論もあろうと思います。十分お話を聞きながら、ただ一般論としては先ほど申しましたような原則論があります。その原則の中で今申しましたようなことにあたるかどうか、そういうふうなことで対応を考えていこうとしています。 繰り返しますが本来一般的な作業道は一時的に使用することを目的に開設されています。簡易な構造のものがほとんどありますが、延命化を図って長期的な支援に耐えるものに改修することが必要である。そのための支援制度を構築する必要がある。こういう考え方もありますが、作業道の補修等に対する補助は現在のところないわけであります。 いろんな意味でケースバイケース、そのいろいろ御意見を聞きながらということでありますが、あくまでも公平の原則もあります。そういう原則論に従いまして何かそういうふうな特別の事情、特別の理由があれば対応をしていくということであります。 なかなかいわく言い難いことでありますが、それぞれの作業道についていろいろありますけれども、そういう原則で今まで仕切ってきておりますので十分御理解いただきますように。それぞれ今具体的なところもお話を聞いておりますが、今、この今回のあれだけの集中豪雨、ほとんど作業道というのは皆傷んでいるというのが状況であります。これを一体林道振興という観点でどう考えるかとこういう問題は大きな全体としてのテーマはございます。何か具体的な方策がないか。今後、実は今萩の林業についても今ストックヤードとか乾燥所とか、こういったことで今予算をお願いをしてます。少し農業と共にやはりこの山林を治山という観点ももちろんでありますが、林業として業としてこの農業とともに事業として維持補修はしていく。事業として成り立つようなことはできない。こういった大きな課題も抱えてるわけであります。 そういうふうな中でこの国も県もそういうふうなことを考え方でありますので、なかなか難しいかと思いますが、いろんな意味で意見交換はしていきたいと思います。 大変大きな問題がたくさんありましたので、十分なお答えができてないというものもあると思いますが、要は今この地方創生という関係でそれぞれ農業も含めていろんなリスクがありますが、何とかこれは今ある意味ではこれほどのチャンスはない、萩としては今恵まれた環境にあるということで、また新たな事業を起こそうとした時にこれだけの低金利のときはないわけです。いろんな意味で恵まれた環境にあるはずであります。ないのは若い人たちがいない。こういうことでありますから、そういったことを意識しながら少しでもこの萩の創生ができますように。創生につながりますように頑張っていきたいと思います。 いろんなことでぜひぜひこの萩市東部の今いろんな形、昨日も医療の問題もありました。いろんな形で今東部の問題をどう考えていくか。あれだけの災害を受けて、受けられてそれをどうやって復旧のみならず復興につなげていくか。こういったことが大きな課題であります。できる限りのことはしていきたいと思います。 終わります。
○議長(横山秀二君) 美原議員の質問は終わりました。 ここで10分間休憩をいたします。 午前10時54分休憩──────────────────── 午前11時05分再開
○議長(横山秀二君) 休憩前に引き続き、会議を再開いたします。 続いて、議席番号11番、西中議員。西中議員。 〔11番 西中 忍君登壇〕
◆11番(西中忍君) 過疎問題を考える会の西中忍です。それでは早速ですが通告のとおり一つ目に萩市の人口減少問題に関する現状認識や、萩市の将来像について。 二つ目には、少子化が急速に進む現状の中、子育て支援策の一つとして子育て世帯や子供本人が安心して遊び場を提供することや、遊び場をサポートする仕組み、さらには拠点づくりができないかという2項目について市長の所見等をお尋ねしたいと思います。 一つ目の人口減少問題に関するものは具体的な提案を含め、これまでも何度も質問を行っていますが、今回は昨年行われた国勢調査の速報値が公表されたことからその結果を基に質問してみたいと思います。私自身萩市の抱える最大の課題が人口減少だという問題意識を常に持っていますし、2014年には日本創成会議が発表した消滅可能都市896自治体の中に萩市が挙げられるなど、その問題が日々深刻化していることから人口減少問題に対する先進的な取り組みを行っている自治体など視察し、一般質問等を通じて提案を行ってきました。 5年前、平成23年3月議会の一般質問でも、当時平成22年に行われた国勢調査の速報値が公表されたことから、今回と同様に人口が減少し続ける原因やそれまでに行ってきた施策の効果、また国勢調査の結果について市長の所見をお尋ねしました。 そこで今回質問するにあたり、その時にしたやり取りを読み返してみましたが、市長は答弁で国勢調査の結果についてある程度予測していたとしたうえで人口減少の原因の一つとして、若者の市外流出による少子化を挙げられています。そして市外流出の原因について一般論としたうえで市内にはしっかりとした雇用の場がないという認識を示されています。 市ではこの国勢調査の結果や市長の課題認識等を踏まえ、人口減少を萩市のかかえる最大の課題だと捉え、昨年までの5年間、さまざまな施策を講じてきました。そしてこれまで行ってきた施策の成果が今回公表された国勢調査の結果だったわけですが、その結果萩市の人口は残念ながら5万人の大台を割り、49,571人となりました。 さて、萩市の人口の推移を、これまで行われた国勢調査の結果で見てみますと、平成17年、22年に行われた調査の結果がそれぞれ57,999人と53,747人だったことから、22年から昨年までの5年間で、4,176人。10年前の17年と比べると8,419人も人口が減少したことになります。また、増減率で見てみても、17年から22年がマイナス7.3%、22年から27年がマイナス7.8%と悪化していますし、このマイナス7.8%という数値は県内13市中2番目に悪い数字で、隣のまち阿武町のマイナス7.3%と比べても悪い結果となり、人口の減少スピードを抑制できていない状況が続いていると言えます。 市長はこれまで行ってきた私の一般質問で、人口減少問題に関する対策はカンフル剤的な施策ではなく中長期的な視点で施策を行うなどと答弁しておられます。その結果が今回の公表された国勢調査の結果となります。市長が言う中長期的な視点で行ってきた結果、このような状況に今なっているのだろうというふうに思います。そこでまず今回の国勢調査の結果についてどのように捉えているのか、市長の感想も含め所見をお尋ねしたいと思います。 また中長期的な視点から行ってきたさまざまな施策でも、人口の減少スピードを抑制できない状況にあると言えますが、その原因をどのように考えているのか、このことについてもあわせてお尋ねしたいと思います。 私は現在でも市長が平成23年3月議会で示された人口減少の原因の一つが、若者の市外流出による少子化だという認識と同じ考えでいますので、人口減少のスピードを抑制させるためには、移住者、特に若い子育て世帯をふやすこと、さらには若者の市外流出を減らすことが重要だと思っています。そのために現在萩市の行政のトップである市長が、萩市の将来像について市内外の若者にしっかりと発信し、将来にわたって萩市は大丈夫だという安心感を与えるとともに、将来の萩市に自分が必要なんだと思ってもらうことも重要ではないかと思っています。 そこで次代を担ってもらう若者世代にどのような萩市を託そうと考えているのか、市長の考える萩市の具体的な将来像についてもお尋ねしたいと思います。 次に人口減少の大きな要因の一つに挙げられる少子化の対策で、私が重要な視点だと考えている子育て支援策についてお尋ねします。この子育て支援策については、昨年12月議会で保育環境の充実という観点で質問を行いましたが、今回は子供や子育て世帯が安心して遊ぶことのできる場などを提供することで、子育て支援につなげることができないかという観点から市長の考えをお尋ねしたいと思います。 さて、子供が安心して遊ぶことのできる場所といえば、整備された公園やスタッフが常駐している児童館などを思い浮かべます。また、各地域にある公民館も生涯学習や地域コミュニティの場であることはもちろんですが、遊びの拠点という機能も持っているのではないかと思っています。そこで遊びの場や遊びの拠点という観点から、萩地域、特に明倫小学校区、椿東小学校区、椿西小学校区の現状を見てみると、明倫小学校区には中央公民館や児童館、中央公園やプレイパークがある。椿西小学校区にはウェルネスパークや市民体育館があります。しかし、残念ながら椿東小学校区にはこのような公園や遊びの拠点となるようなものがありません。私は子供が安心して遊ぶことのできる場には、保護者等が車で連れて行かなくても、子供たちが自分の意思で自由に行くことができるという距離的条件が重要だと思っています。だからこそ子供が安心して遊ぶことのできる場や、遊びの拠点づくりは中央に1カ所あればよいというものではなく、最低でも小学校区単位で整備を考えなければいけないと思います。 現在萩市では総合戦略で子育て世帯包括支援センターの設置という具体的な施策などを掲げ、子育て支援を総合的に行うとしています。私はこのような時期だからこそ椿東小学校区に子供たちや子育て世帯が安心して遊ぶことのできる場や、遊びの拠点を整備し、椿東小学校区の子供や子育て世帯に提供することで子育て支援のさらなる充実を図る必要があると思いますが、市長はどのようにお考えになるのか御所見をお尋ねしいたします。 以上大きく2点について質問をさせていただきます。テレビ中継を含め、多くの方がこのやり取りを見ておられると思います。どうぞ明確な御答弁をいただきますようお願いを申し上げまして、第一質問を終わりたいと思います。
○議長(横山秀二君) 市長。 〔市長
野村興兒君登壇〕
◎市長(野村興兒君) 西中議員から一つは人口減少の問題、そしてその子供の遊び場の話お尋ねをいただきました。国勢調査の結果、5万人の大台を割っているという御指摘であります。まさにそのとおりであります。 とにかく今、日本全国が人口が減っている。減りつつあるわけでありますから、そこでこの萩が突出してふえることは我々は想定はしておりませんが、その減っていく度合いを少しでも少なくしたい。これは今の地方創生の我々のプランなのであります。人口ビジョンもそういう観点でやってます。 今回実はこの今計数のいろんな根拠に使っておりますのは、国立社会保障人口問題研究所の推計です。これは私のみならずみんな各市、自治体も皆そうなのですが、ここで平成27年のその国勢調査、こういったものを推計したその前に私ども人口ビジョンをつくった時は49,484でございましたが、国勢調査の結果は49,000台です。100程度違うのですね。ふえてます。これは例えば、例えばですよ、このいろんな意味で工場の誘致とかそれからいろんなことを今やってきております。トーフレでも大体100人であります。それからその個々の話いろんなことを新規就農者や新規就漁者とかいろんな形であります。そういったものを足し合わせても今さらに超えるのでありますから、もしそういったことをしなければどうなったかというのです。だから確かに落ちていく、流出する度合い、あるいは流入してくる方の数、いろいろありますけれども特に流出をしていく若い層の勢いというのはなかなかずっと減少していろんな方策はいろんなことを言ってますけれども、なかなか実は。だけど後で申しますとこの27年の3月で卒業する人はちょっと変わってきたのです。それはちょっと後で言います。したがって何もやってないのじゃないかとか、効果ないじゃないかとかいう話ではない。私ども自信を持ってですね。100近くふえたのです。 この誤差ですね。今推計した人口問題、そういったものを今後もずっと推計して、今我々の考え方は先般も人口ビジョンお示ししました御説明しますように、本来であればどんどん減って2万いくらになると、こういう話でありますけれども、そういったことではなくてもう少し抑制ができないかと、こういうふうな話であります。 今そういうふうなことでいろんなことをやっています。そしてカンフル剤。カンフル剤はですね、例えばパッとある日、この新聞折り込み広告がありました。阿武町ではこれだけ安い土地の供給をします。どうぞ萩の皆さん。ビックリしました。こんなことを萩の市民に対してやるという。そこへ行った人達が何人いると思いますか。相当あります。今の率七点何パーセントとおっしゃいましたが、出入り逆ですから2倍ですね。それくらいだったらいくらでもやります。あそこにバーンと100戸くらいつくったらいくらでも対応できます。そういうふうなカンフル剤です。 お産、結婚する人に100万円出しますからという話をすれば、そういうカンフル剤ではなくて、我々はちゃんとしたことをやろう。一番中長期の話は先ほども言いました交通基盤なのです。交通基盤が遅れております。さっき言いました新潟や北陸のずっと、あんなに変わりました。見事に変わったのです。40年。それが全く萩の方は遅れて遅れて鉄道は縮小し、ほかのものもどんどん縮小しているのです。交通基盤がです。今何とか萩、小郡地域高規格道路、南北自動車道と東西の自動車道、特に南北がないとこれはどういうことかというと萩で居住しながら県内でいろんなところへ通勤ができる。今、高等学校やあるいは中学校、小学校の先生になっている人は皆とは言いませんが、かなりの方は山口に居住をされます。そこから行けば皆いろんなところへ通勤ができる。中電の人も、山銀の人も皆そうですね。皆、住居を移されます。山口に。こういったことがもし萩を拠点にしてでもいくらでも通学が、通勤ができるというような話も含めて毎回同じようなことを言ってますが、そういう今から努力をしていこう。そして何よりも交通基盤の整備をすれば、いろんな形で経済交流もそういう観光の人的交流もふえてくる。こういったことを目指しているわけです。 今27年、もう1年国勢調査が1年遅れておったら、もうちょっと姿が変わってきたものになるだろう。これは関議員がまさにいみじくもおっしゃったように、今萩はいろんな意味で若い人からもそろそろいろんな意味で、若い人は今まであんまり萩に興味はなかったとおっしゃいますが、そのとおりだと思います。今徐々に変わりつつあります。 実は今一例で申し上げますが、JBLゲストハウスアワードという2015年のものでありますが、萩のゲストハウスルポが部門大賞を受賞しました。この部門を大賞を受けているのはほとんど東京とか京都とか、そういう大都市の有名なゲストハウスです。そういう中に地方の本当に田舎の小さなルポというゲストハウスが表彰対象になったのです。これはすごいことです。若い皆さん。若い皆さんが自分の力でやってます。友達も皆集めて、あのルポという建物をつくったのです。いや、補修した。内装を変えた。今そこに外国人も、あるいは国内のいろんな方々がパックパッカーという、そういうふうなグループも含めて来られているわけです。外人もかなりです。これはまさに口コミと言いますか、ネットにこうやってどんどんどんどん広がっていく。今萩にはこのルポ以外にも2つのゲストハウスができました。若い皆さんが起業する、業を起こしていろんなことをやっていこうという気運が生まれつつある。 実は、今回萩商工の卒業式に行きまして、146人の卒業生がいらっしゃいました。萩に残る人は35人いらっしゃるのです。去年は25人、一昨年は21人でした。ふえている。感激しました。いろんなところへ萩の観光のホテルにも、いろんなところにも。これはもちろんさっきお話がありましたトーフレ、こういったものにももちろん入ってもらっているわけでありますから、そういうふうな形で動きがあります。 しかし進学校の方は全然ダメ。残る人はゼロ。これは卒業したら必ず帰ってください。こういう話でありますが。ひとつその萩商工の話はいわゆる課題研究の研修会、発表会ありますが、それは何をやっているかというと、萩で観光の関係とかいろんなことをやってる。テーマにです。それが実はずっと各それぞれのグループで発表をされます。みんな萩のことです。感心しました。本当に感心しました。 毎回必ず出さしてもらっています。あいさつをしてます。そういう皆さんに頑張って、萩で頑張ろうかという人が一人二人ふえつつあるのです。そういうふうなことを一つずつやっていこう。まあ今回出た通知表みたいなものでありますから、通知表が何かみんな1、1、1と並んでるようなものでありまして、もうそれはちょっとあんまり気分がよくないのでありますが、何か1でも1.7とかですね、やや上昇気味でありますから、そこは少しもう少し時間をですね。中長期の話というのは一朝一夕にすぐできません。いろんな形で。だから今萩はいろんな意味でチャンスだろうと思うのです。まさに関議員の御指摘のとおりでありまして、このチャンスを生かさないともう将来ないという話です。何とかそういった意味でこういった恵まれた環境を生かしていかなくてはいけないというふうな思いであります。 何度も言いますが、この1月の有効求人倍率は1.62なのです。1.62という数字は異常な数字であります。県内でも下関と萩だけです。とにかく異常な数字であります。そういうふうなことが今続いているのです。求職者一人に対して、求人の方が1.6倍あるということですから、これは雇用の関係そこで本当にずっと終身雇用ができるような雇用条件がよければこれは素晴らしいのですが、アルバイトもありますし非常勤もそういうふうな低廉な賃金のものもあります。こういったものがしかし人が足りないという認識はみんな持っているのです。だからそこで何とか事業者の方々にもう少し中長期の観点で若い人を採用してほしい。若い人がちゃんと生計がたてれるように、あるいは生涯設計ができるような、また、ファーストステップにセカンドステップに行けるように、何かそういうふうな思いをもって若い人を育てるような形で考えてほしい。萩はなかなかそういう意識がちょっとやや乏しいような気がしております。だからこれは議会も挙げてそういった意味でのいろんな勉強もしていただきましていろんな事業者の方々にそういったことのお話をいただいて何とかそれぞれ雇用の場がふえていくように。 今人手が足りない。人手の確保ができない。こういったことがどっといろんなこと伝わってきます。タクシー会社の人はタクシーの免許、運転免許まで全部全額持つと言って広告してるけれどもだれも来てくれない。仲居さん、とうとう昔からずっと古い方に電話して来てもらっている。来られてる方も私は疲れたよと言いながらもやられているのです。そういうなのが今萩の現状であります。だからそういったことをうまくつないで若い人が残ってくれるとか、あるいは他地から来てくれるとか、地域おこし協力隊、何度も言いますが去年9月から始まりました。実に三十何人応募がありました。8人に対して。今年もまた募集したいと思います。どの程度定着をしていただけるかこれはわかりませんけれども、そういうふうに若い人が萩に来たいという人が現にいらっしゃるわけですから、そういったようなことをちゃんと生かしていきたい。 今年農業大学を先般行きましたら、まさに今年は4人萩に帰ってくるのです。萩の出身者たった一人です。後の3人は防府とかよそなんですね。そういうふうなことも含めて何とかそれをみんな温かく迎えていただく。しっかり教育というかここで何とか業として成り立つのだ。ということをしっかり教えいただきますれば、そういう皆さんも残ってくれるのではないかとこういうふうに思います。 なかなか抽象的な言い方をしておりますが、みんなそれぞれ、いろんな形で頑張っていただいております。これは、こういうこのチャンスは恐らくもうないんではないか。二度とないというふうな言い方をされています。だから、このチャンスをつかむべきだ。だから49,000人になったなったと言われるだけじゃなくて、だからみんな頑張ろうというその次の一言を西中議員もぜひ、悪くなった悪くなったといつも会合の場で言われる方がありますけれども、あんまり49,000人、しかも前の時10年前が何万だ。それは一方は住民票の方の数字を使って一方が国勢調査であって、その差が2,000くらいですね。そういうことのないように、客観的に確かに全国的にこういう傾向であります。萩、美祢、長門は大体皆同じなのです。皆3市、この北浦3市はいつも同じような計数が出ます。美祢も一生懸命頑張っていらっしゃいます、ジオパークで頑張っているのです。だけどやっぱりこの数字は悪い。こういう話であります。 とにかく長門、萩、美祢、いろんな意味で議会も3市のいろんな協議会をおつくりになっておりますが、この3市がともに助け合うように。私も今回これだけいろんな大河ドラマとかいわゆる世界遺産ありました。これはちゃんと長門にも影響がありますし、美祢にも影響があるのです。みんな萩に来たら秋吉台に行き、秋芳洞に行って帰る。そして泊まるのは長門に泊まる。みんながそういった意味ではみんな盛り上げていけば共に何とか道が開けるのではないかとこういうふうに思うわけです。ぜひよろしくお願いをしたいと思います。 それぞれのこの観光や、あるいはそれぞれの事業を通じまして、何とか今おっしゃっているように、この萩に残る人がふえる。あるいは萩に来てくれる人がふえる。住むといいんです。住んでよし、来てよし、見てよしといろんな形で言ってますが、ぜひ大いに宣伝をいただきますように。49,000下がった、下がったということばかりじゃなくて、このあたりもぜひ御協力いただきますようによろしくお願いします。 2番目の子供が安心して遊ぶことができる場所の提供、これをしっかりやれ。特に椿東地区はないとこういう話であります。まあ昔から明倫地区の皆さんに、私ども子供のころですよ。椿東地区はいいな、すぐそばに山があって、みかん畑があっていつでも取りに行けるなとこういう話でありました。本当にどこでもポンポンとすぐ行って遊べたのです。今何か歩いて行けるという話です。小学校の大体3年生以降くらいになったら皆もう自転車とかで行って、私なんかも中津江もずっとその上野も、誕生地なんていうのはいつも一番多い時ですが、あそこであの坂を自転車で降りて怪我をしまして、顔面血だらけになったことを覚えてますが、鶴江台なんていうのは格好の遊び場でありました。そういう恵まれた環境にある。 しかし今そうはいかないので、児童公園をちゃんとつくっているのです。明倫地区が14カ所でありますが、椿東地区は10カ所であります。もう相当なものでありまして。ただ椿東地区はかなり広いのです。端から端まで。椿東がと言いますと中小畑までありますから、中小畑の端には美萩公園というすばらしいバスケットのできるところですか、浜もあるのです。これはもう本当に中小畑のはずれになりますが、ずっと昔は前小畑の浜もありました。今はもうしーまーとになってしまいましたが、そういうふうなことがあります。 確かに、今子供が安心してというのは、中津江の県住でもちゃんとポケットパークがそれぞれあるわけです。その無田ヶ原の県住の方にもそれぞれあります。そういう児童公園もしっかりつくっているけれど児童公園で子供を見かけないというそういうふうな姿で、児童公園いるのかという議論もされております。椿東地区はまだ子供が多いのですが、明倫地区の一部では、児童公園なくしてもいいんじゃないかというこういう議論もございます。そういうことがないように今から子供がどんどんふえていくのだとこういう話でぜひそういうことをつぶさないようにという話はぜひ御議論に参画いただきますように、よろしくお願いいたします。 それぞれすばらしいウェルネスパークが椿地区にはある。明倫地区はまさに中央公園があってという話であります。椿東地区も間もなくオープンいたします。間もなくですね。予算を認めていただければ、いやもう認められているのですか。すみません。28年7月中旬ですか、今工事をしておりまして3月25日までに陶芸の村公園、ここで遊具を中心にして設定をするわけです。何か今西中議員の質問に答えてつくるようなもので、やや、本当にぴったりです。まさにこれはそういった意味でちょっと歩いていかなくちゃいけないというのがあるかもしれませんが、まあ、まぁーるバスも通ってますし、これほど恵まれた眺望のいい公園はここだけであります。だからぜひこれを活用いただきますように、山の中につくったからだれも行かないという話じゃなくて、あれは丘でありますから、ぜひ活用いただきますように。約3,000万の費用をかけて遊具を整備するわけです。陶芸の村公園遊具整備工事事業であります。ぜひぜひ今一生懸命準備、関係者一生懸命やっておりますのでぜひよろしくお願いいたします。 また今ふたば園の児童部、カラフルでありますが、これが移ってきました。椿東地区に。そしてそこで今就学時前の幼児にカラフルおもちゃの図書館としてこれは開放されております。一般開放されてます。こういったものも図書館が中央にあってこちらにはないと、こういう話をいつも言われてましたがこういうふうなものもできておりますので、ぜひ御吹聴いただきますように。決してないない尽くしではなくて、あるぞあるぞという話をぜひ御強調いただきますれば幸いであります。 いろんな意味で児童公園も大いに活用いただきたいと思いますし、先ほど申しておりますように今スポ少が盛んでございまして、昔のように我々の子供のころは三角ベースの野球でもそれを野球場を行脚して歩いて確保するのです。それは相当争いながら。そういったものが例えば昔はたくさんありました。品川神社のところ、松本橋のところに品川神社がありました。広場ですね。争奪戦でした。あそこも争奪戦とかここも争奪戦とかいろいろ。まあ地元最優先でありますけれども、とにかくいろんなところで野球をやっていました。そしてやっぱり近くに山があるというのは大変恵まれてる環境だと私は思っております。そういうものもぜひ、ジオパークのみならず、自然パークをぜひ御活用いただきますように。お子さんたちを連れて安全で楽しめるような場所を確保いただきますれば幸いであります。 いろんな形で今子育ての関係はいろんな妊娠時から子育て期までの多用なニーズ、そういったものを総合的にこたえていこう。こういったことも今福祉の方で大変御努力をいただいてます。椿東地区決してそういうことで劣っているものではありません。高齢者の福祉施設から乳幼児のそういったものまで含めていろいろ用意をしておりますので、椿東地区は自然環境に恵まれてるんだ。ぜひ子育てがしやすいんだ。陶芸の村もあるということをぜひ御吹聴いただきますように。よろしくお願いします。 以上であります。
○議長(横山秀二君) 11番、西中議員。
◆11番(西中忍君) それでは第2質問を行いたいと思います。 答弁の中で、今の答弁もそうですけどこれまでのやり取りの中でも先ほど第1質問でも言いましたけれども、市長も私も多分職員の議員も全部そうだと思うのですけれども、萩市の問題点は人口減少なんだと。その原因は少子化なんだ。若者の流出が原因だという認識は多分等しい。皆同じだと思うのです。 ただ、市長なり執行部が行っておられるこれまでの施策、中長期的だと言われますけれど、軸足としてやっぱり若者流出を抑制するために企業誘致がいるのだとか。企業誘致するためには道路整備がいるんだ。道路整備の話だと今も言われましたけど、居住を萩にしといてあちこちに働きに行くことができる。通勤ができる。そのためにも道路整備が必要だということでずっと今進めてきておられるというふうに思います。 ただ私はちょっと視点が違っていて、それも当然重要なことで、私先ほど市長言われましたけれども、決して否定をしているわけではなくて、それはそれで応援をしていますが、ただそれと私の視点がちょっと違うというのは私は個人、本人に直接何か魅力を感じてもらえるような施策を絡めていったらいいんじゃないかなという思いを持っていていつも言っております。そういう思いがありますからいろんなところに視察に行くのですが、市長のお言葉を借りますと、カンフル剤的な施策になるのかもしれませんが、そういった先進的な事例を視察をしてきています。 私も第2質問で言おうかなと思ったのですけれども、市長が先に言われました。決して減っている減っているといっても今言うように人口の27年推計よりはふえているんだということ。これは言おうと思いますけれども先に市長言われましたので、そうなんですけど、確かに22年の国調を基に25年に出した推計よりもちょっと超えているのです。88人超えている。ということで決して言われるように何もしなかったらもっと減っていたのだろうなということはわかります。ですから決して施策を否定しているわけではありません。効果もないとは言いませんし、効果があったからこういう結果だったんだろうなと思っています。 ただ答弁でも言われましたけれども、隣の阿武町、確かにもうカンフル剤です。安い土地を造成して、萩市の住民がだいぶ移ったという話を私聞きました。詳しく聞きに行ってないですけれど、そういういろんな話を聞いています。ちなみに阿武町は人口推計よりも139人多いのです。率にしてみると萩市が100.1、ほぼ100なのです。で、阿武町は104.2という客観的に数字が出てきます。 昨年視察に行きました津和野町、これも一般質問での話は御紹介してますけれども、今萩市は安価な移住者向けの若者向けの住宅を今建設をしていますが、津和野町では25年間そこに住めば、土地建物をすべて譲渡するというような形で全国から若い子育て世帯を呼んでいるという施策を行っている自治体ですが、この津和野町もやっぱり効果が出ているのです。155人ふえていて102%くらいです。海士町なんかもいきますと海士町なんかちょっと別格ですから、人口減少のスピードというのはかなり鈍化しているように数字だけ見ると思います。いろんなところで私が視察をさせていただいた自治体の結果はやっぱりいいのです。ですからこういう数字を客観的に見ても、やはりある程度直接住民に影響があるという効果が直接いくような施策についても絡めて考えていかなくてはいけないのかな。市長は今がチャンスなんだと。このチャンスを逃したらもうダメなんだというようなことを言われましたから、チャンスですからちょっと視点も変えながら絡めて考えていただきたいなというふうに思っていますので、そのことをまずお聞きをしたいと思います。 それと答弁の中で、地域おこし協力隊の話を昨日もされました。昨日もされましたがかなりの応募があるということで今も30人以上応募があって8人に対して30人以上。これはもう素晴らしいことで、これも萩市に魅力を感じている人達が全国にたくさんいるんだということの象徴だろうと思います。 それでこれも前にもちょっとお話したかもしれませんが、例えばこんなに人気がある地域おこし協力隊、条件を子育て世帯というふうな切り口で作れないものなのか。また、新規就農者も子育て世帯という条件がつけられないのか。このあたりをもしも可能であれば地域おこし協力隊で男性がそれに応募されれば、それの奥さんと子供とついて来ていただく。そして当然地域おこし協力隊ですから、萩地域ではなくてその他の地域に居住されるのでしょうから、その地域の地域活性化にはすごく効果があるのじゃないかな。さらに例えば一緒に来られた奥さんには例えば地域事務所で働いていただくとか、先ほど市長が言っておられました、求人のマッチングがよくないのですから、例えば今不足しているようなところで従事してもらうというような行政でマッチングをするとか、そういうふうなことをして少しでも人口をふやすということができないのか。子供の数をふやすということができないのか。このことについてちょっと市長の御所見をお尋ねしたいと思います。
○議長(横山秀二君) 市長。
◎市長(野村興兒君) 再度この人口問題についてお尋ねいただきました。阿武町の場合かなりという話でありますが、実はこの率というのはあそこは3,000人台です。人口は。こちらは4万人。だから10分の1以下。ちょっと一人二人動いても率がポンと動く。今おっしゃったように100人という話がありますが、そのうちもし出入りが40人萩市民が行けばその倍、80人動くわけですね。そういうふうなことをお考えいただきますが、まあ、ボーダーな話、そういうふうな値段と言いますかこのカンフル剤というのはやろうと思えばやれるわけですけど、今おっしゃったように今いろんなこと御提言いただきましたが、例えば子供を持っていらっしゃるそういう世帯云々という話は非常に具体的に意味あるということはまさに今回須佐でやってますこと、これで15人、正確には14人でありますが、ふえるわけでありますから、そういう意味で言いますと大変有効であろうと思います。 例えば新規就漁者これについては大島に市営住宅をつくりました。それで家族を受け入れる。こういう形になったのです。そういうふうなことも、これはいつも満員であります。そういうふうな住宅を用意をする。しかしこれは財源的には大変厳しいので、今私どもが目指しておりますのは、この空き家バンクでありまして、空き家バンクについては実は全国的にも萩は大変有名になっておりまして、なぜかと言いますと登録の件数、あるいは実績数ですね。取引の。これは全国でちゃんとベスト5、その一方が確か2位でありまして、その取引があった登録数が2で、成約件数が全国で6位といいます。大変多いのです。空き家が今一方でどんどん朽ち果てて行きますので、何とかこれを有効に。少々それに補助を出して補強するようなことにお金を出しても、それは一千万円もかかるわけないのです。わずか100万とか200万。そういうふうなことに今力を入れていこう。そして空き家バンクでお世話した場合には、空き家にそういった移住されてる方の移住支援員、移住サポーターというのを全部この各総合事務所間に全部張りつけてあるのです。少し処遇を改善してでもこれを強化すべきじゃないか。いろんな形で全部いろんな近隣の関係のお世話からあるいは子育てのことから、保健師さんの関係でいろんなつなぐこととかいろんなことができるのじゃないか。まだまだその空き家は無数にあるわけでありますから、その空き家を提供していただける市民の皆さんの協力と、そしてそういうふうな形で不動産事業者の方とも今協調して今やっているわけですけれども、そういうふうなことで何とか頑張ってやっていけるのではなかろうか。だからそこにできる限りお子さんたちを一緒でも、いろんな意味でのお子さん用のいろんな構造を変えなくちゃいけないようなところのもの。補助を出しますよとか、そういうふうなことを今から重点的にやっていくのかな。それはまあ一番すぐにでも手掛けられうる話だろう。しかもそれを一つの片手間ではなくて今、担当者はもちろんいますが、担当者をふやしてやっていくとか、情報提供をかなり頻繁に行っていくとか、そういうふうなことも含めてですね、これはまさに平成28年、この移住者もそして出ていく方の抑制もちょっとこれは考えようと。本気で。今まで本気で考えているのですが、ちょっと本気の2倍くらいで考えていこうというようなことをぜひ議会の方でも御支援いただきますように。 これは今一つのチャンスだろう。きのうも関議員からもお尋ねいろいろ御質問をいただきましたが、とにかく考えられることすべてやっていくようなつもりがないと大変だろうと思います。大変なある意味では人気があるわけですから、そういうふうなことを大事にしながらとにかくこの来られた方、この間も実は移住関係の皆来てもらって、御説明してまた帰って行く。そういうふうな企画もやっております。できればそういう情報提供も致しますのでぜひまた御協力いただきますように。 おっしゃるとおりこれは今萩の最大の課題だと思っておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。
○議長(横山秀二君) 11番、西中議員。
◆11番(西中忍君) 昨日も少し触れられましたけど空き家バンクを活用するんだ。さらにきょうは今答弁で、もう一歩、二歩も踏み込んでいただいたような気がしました。私も宅地の造成というのもありなのかなというふうに思ってますし、市有地を売却していくというのも一つの策だろうと思ってますが、現実的にはやはり空き家バンクのバンク自体の内容も含め、充実をさせることと、応募してきた方、その空き家を買われた方に対するリフォームの助成というのが現実的で、一番効果が出てくるのではないかなというふうに私自身思っています。 リフォーム助成をするということはリフォームは地元の業者がするようになると思いますので、そうなれば地元経済の活性化にもつながっていくということですので一石二鳥だと思っておりますので、ぜひ前向きに取り組んでいただきたいと思っています。 一つの条件として萩市というのは島根県にも接していますし、長門市、美祢市、山口市に接しています。そういう他自治体と接しているところあたりからを取り組むべきだというふうに思っています。だから今市では田万川にも、今須佐やられて田万川に今からやる。で、昨日関議員が三見はどうかと言われていました。私はじゃあ佐々並あたりもどうですかとか思うのですが、特にそういうあたりも中心に充実をさせていく。田園回帰という言葉があるように、都会の人たちは田舎に、私なんかはなんとも思わないんですけれど、やはり田舎の風景にあこがれるということもあるということです。ですからもしその空き家バンクの活用を推進していくのであれば、そこのあたりを中心に考えられたらいいのかなというふうに思っていますし、当然市長が言われているように、そういう田舎の田舎と言われるようなところには道路網をしっかりしとかないと生活が不自由になるということもありますから、それもあわせてしていただきたいというふうに思っております。 今回またさらに市長との認識が等しいのだということを理解できて大変嬉しく思っております。 それと次に遊び場の件ですが、私もまだ議員になる前、21市民会議のプレイパーク部会に属していたときに、東京のプレイパークを見に行きました。東京の方は萩の人たちのことを私たちに何と言うのかというと、緑がいっぱいあっていいですね。こんな公園つくらなくても緑いっぱいあるからいいじゃないですかと言われるのです。私が子供のころはそうでした。どこに入っても文句を言われない。ただ今は緑があっても全部よそのものですから、勝手に入ると叱られたりするのです。今は。ですからだからこそ公園整備は必要なんだと私は思っていて、ということもあります。 確かに市長と私、年が違いますけれども、やってたことは同じようなことなんだな。場所取りもやりましたし、かなというふうに感じながら聞いておりました。それでまあ要は椿東地区には緑があるからいいぞという話ではないのですけれど、今、遊具整備だということでお話がありましたので、もうこのことについては私に直接問い合わせがあった椿東小学校の児童に直接伝えておきたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。 それと椿東小学校ですが、実は裏山というのを有しておりまして、なかなか全国的にも珍しいのではないかな。遊ぶことができる裏山を有しているというのは珍しいのじゃないかなというふうに思っていて、ここは学校施設ですからさあどういうふうになるのかということはちょっと私もわかりませんが、その裏山を利用するということも可能であれば考えられないのかなというふうに個人的には思っています。 実は私がPTA会長をしている時に、当時のJCがアトラスの空地に木造の船をつくったのです。木造の船を。私がつくると最初から最後までかかかわっていましたので、1カ月くらいのイベントで壊してしまうのは惜しいということで、いろんな補助制度を探して椿東小学校に移設したことがある。その移設した結果今、立派な遊具を、船の遊具を設置していただいています。当時は船公園と命名し、子供たちにペイントをさせるイベントを行ったうえで、3年か4年くらい、3年くらいは何とかPTAで維持しましたが、廃材でしたので朽ちていって、最終的には壊してしまった。しかしその後、市の方で立派な遊具を設置していただいたということで、子供たちは多分放課後でも行って遊んでいるのじゃないかなというふうに思うのですが、その設置の木造の遊具を設置するにあたって、裏山はどうだろうという検討も我々の中ではしました。 今裏山の遊具はさまざまな安全基準の関係で、滑り台がなくなりちょっと老朽化した遊具も全部なくなって、広々としています。ですから考え方の一つとして、裏山を再利用するというような方向性もあるのじゃないかなというふうに思っていますので、そのへんの御見解等あればお尋ねをしたいと思います。