酒田市議会 2019-03-15 03月15日-06号
もともと潜在的にある湊町気質、商人気質を呼び起こせば未来があると信じております。 そこで、本市のにぎわいに関しての質問をいたします。 最初に、(1)観光情報発信力についてでありますが、①、メディア発信、SNS、ユーチューブの活用といたしまして、最近、テレビなどの全国メディアに酒田が登場する頻度が高いと感じるところであります。
もともと潜在的にある湊町気質、商人気質を呼び起こせば未来があると信じております。 そこで、本市のにぎわいに関しての質問をいたします。 最初に、(1)観光情報発信力についてでありますが、①、メディア発信、SNS、ユーチューブの活用といたしまして、最近、テレビなどの全国メディアに酒田が登場する頻度が高いと感じるところであります。
やはり三方よしということで近江商人の言葉にあるようですけれども、それぞれ経営する方、医療に従事する方、そして患者さん、この三方が全てよしというような形でうまく広がっている医療体系、これからもぜひ日本のトップランナーとして走り続けていただきたいと私なりに思っています。 そういったところで、所見があればお伺いして2問目とします。 ◎菊池裕基健康福祉部長 御質問をいただきました。
先日決定しました予算の中で園芸大国やまがた産地育成支援事業や園芸パワーアップ事業、庄内浜のトップブランドの事業等々、多くの成功するためにぜひ酒田の商人の方々のマッチングをしていただければ、加工製品等々成功しまして、ぜひ稼ぐシステムを本当につくっていただきたいと期待しております。
北前船でにぎわった当時の港は、春から9月までに2,500隻から3,000隻の入港があり、全国から来る商人や船員で花街はにぎわったと聞いております。 また、鶴岡のシルクは、日本最北の絹の産地として、養蚕から織物まで生産できる国内唯一の産地であったと聞いております。 また、出羽三山は、生まれ変わりの旅として強く信仰がなされ、西の伊勢参り、東の奥参りと人々が訪れたと聞いております。
本市でのラーメン文化は大正時代、中国人の商人が屋台を引いて売り歩いたのが発祥と言われますから、もう90年近く前の話です。当初はしなそばと呼んでいたそうですが、その後、中華そばと呼ばれるようになってきたそうです。本市で食べるラーメンは、どこのお店で食べても本当においしいですし、だから性別、年齢に関係なく多くの方々から愛されているのではないでしょうか。
また、この酒田まつりでは、その年々に神宿、要はとやを引き継いでいくわけでありますが、引き受けた商人が、祭りの日だけ紋付はかまをつけ、刀を差して、町奉行からじきじきにねぎらいの言葉を賜り、祝いの酒をちょうだいするというのが恒例の行事でありますが、この神宿、とやも、市内の空洞化や少子高齢化に伴い、神宿にかかる費用の捻出や神宿となる施設などの選定など、受け入れも困難になってきており、今後神宿の継続を懸念するお
古くから商人自治の港町として栄えた酒田は、自由闊達な雰囲気を大切にし、人々がさまざまな努力を重ねながら幾多の困難を克服してきました。そして、そんなまちであることを市民が大きな誇りにしてきました。言うまでもなく、この伝統は現在にも脈々と引き継がれているのです。
各部屋には北前船が運んださまざまな富、あるいはその主役となった商人、そういったものを紹介いたしているわけでございまして、その歴史、文化、これらを山王くらぶから発信をし、周辺のさまざまな料亭あるいは他の観光施設につなげていくと、こんなような考え方をいたしているところでございまして、パンフレットなどにも周辺の関連施設などもしっかりと入れているわけでございます。
今から330年前、幕府の命を受けた御用商人の河村瑞賢によって開拓された西廻り航路に就航した北前船は、国内物流の海運ネットワーク化をもたらし、日本有数のにぎわいのある港町酒田として、庄内地域や最上川の舟運でつながった山形をも繁栄させたとあります。その繁栄によって得られた富の多くは、日本一の広さのクロマツ林の植樹などの公益のために使われております。