ただいま議長からもございましたが,カナダバンクーバーでの冬季オリンピックスピードスケート男子500メートルにおきまして,本市出身の加藤条治選手が見事銅メダルを獲得いたしました。まことに喜ばしいことであり,市民とともに心からお祝いを申し上げたいと思います。 加藤選手の渾身の滑りは多くの国民,市民に夢と勇気と感動を与えてくれました。
14年はソルトレイク冬季オリンピック。16年には史上最高となる総数37個,金メダル16個を獲得したアテネオリンピック。そして,18年は皆さんも御承知のとおり,荒川静香がフィギュアで金メダルを獲得したトリノ冬季オリンピック。そして,私はオリンピックが開催されるといつも原点に立ち,こう思います。
四季折々の日本が好きだという人、ことしは冬季オリンピック、野球のWBC、現在行われているサッカーのワールドカップなど、世界規模の大会が行われた年ですが、そこには各選手が日の丸をつけて、日本の代表として誇りを持って競技に参加をしております。要は日本という国の愛し方は1人1人違うのだ、違って当然なのだと思います。
トリノを舞台に行われた冬季オリンピックも26日で閉幕、3月10日よりトリノ冬期パラリンピックが開幕、本県より北村山高校の太田渉子選手がスキー距離とバイアスロンで、最大6種目への出場が見込まれております。
〔28番 峯田豊太郎君 登壇〕 ○28番(峯田豊太郎君) トリノでの冬季オリンピックも終了し,我が山形市からスケート競技500メートル世界新記録を持つ加藤条治選手が出場,試合当日は霞城セントラルにおいて,多くの市民応援団の方々と,トリノへ届けと声援を送り,金メダルは逸したものの堂々の6位入賞,1走目前のアクシデントがなかったらと悔やみますが,次のバンクーバーに大きな期待を持ちながら,彼の出身中学でもある
〔20番 高橋啓介君 登壇〕 ○20番(高橋啓介君) 多くの国民が期待を寄せ,見守ったトリノ冬季オリンピックも閉幕しました。山形期待のスピードスケーター加藤条治選手。メダル獲得はなりませんでしたが,多くの国民に夢と感動を与えていただきました。これまでの加藤選手の並々ならぬ努力に心から拍手を送りたいと思います。そして,今後とも若い加藤条治選手を市民の皆さんと一緒に応援していきたいと思っております。
トリノ冬季オリンピック大会でみせた加藤条治選手の渾身の滑りは,残念ながらメダルには届かなかったものの多くの国民,市民の方々に勇気と夢と感動を与えてくれました。加藤選手の実力は世界が認めるものであり,今後とも市民の皆様と一緒になりながら,熱いエールを送り続けてまいりたいと考えております。また,市民の皆様には一丸となった熱い応援をいただき,誠にありがとうございました。
1つは,1998年に冬季オリンピックが日本で開催されるとあって,長野,盛岡,旭川,そしてわが山形市も,その誘致に手をあげました。市長,議会,市民あげて,誘致運動を展開しました。昭和63年2月には議長でありました古瀬半十郎さんを先頭に,32名の市民を代表する視察団が,カナダのカルガリーにまいりまして,いろいろ視察をして帰りました。
しかし,先般キッツビューエル市長から山形市長あての文書が入り,2010年冬季オリンピックの候補地として,キッツビューエル市とザルツブルグ市が共同で名乗りを上げ,その誘致運動が2003年の年明けから正式かつ本格的に始まること,さらにこの冬にキッツビューエル市のスキークラブが結成100周年を迎えることから,さまざまな祝典があり,業務が多く,山形市への訪問は非常に困難な旨の連絡があった。
そんななかで,長野冬季オリンピックの開催や中央集権体制から地方分権の確立に向けてのうねりは,国民レベルで高まってきたときでもあります。
強いて私の願望を申し上げますと,あの地区はかつて冬季オリンピック蔵王招致を計画した際に,選手村,スケート競技場の建設を考えた場所であります。従ってこれから2020年あるいは2030年頃の再度のオリンピック招致を夢見て,選手の育成を考え,冬季競技場の建設等は考えられないかと思っているわけであります。
第二の目的地であるドイツのミュンヘンは,ガルミッシェ・パルテンキルヘン市議会を訪問し,議会の内容等について説明を受け,冬季オリンピックの施設を見学した。第三の目的地マルセイユに行き,高齢者福祉施設を訪問した後,港湾管理事務所を訪問した。最後は,フランスのパリを訪問し,都市開発をテーマに施設等を見学した。...
特に現在はロシアになり,北欧の国々が,独立という永年待望の日を迎え,民主主義を得られたと思ったら,ユーゴスラビアに見られるように,1984年行われたサラエボでの世紀の祭典冬季オリンピックを開催し,人類あげて,世界の若者達がともに競い,そして勝利の感動を分かち合い,感激の涙を流し,世界の平和はわれわれの世代で確立しようと誓い合った,あのサラエボで,ボスニア,ヘルツェゴビナの民族が銃を取り合い,殺し合いをしている
かつて私たちは,蔵王冬季オリンピック実現に夢をはせて華々しく運動を展開しました。結果は長野県に決定致しましたが,21世紀の出来るだけ早い時期に必ず実現する事を心に決めて少しずつ,オリンピックの可能なゲレンデの整備を心掛けると共に世界の蔵王の名にはじない施設等の整備も地元関係者と一体となって進めていくべきだと考える訳であります。