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平成15年 3月定例会(第3号 2月28日)

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  1. 山形市議会 2003-02-28
    平成15年 3月定例会(第3号 2月28日)


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    平成15年 3月定例会(第3号 2月28日)   平成15年2月28日(金曜日) 〇出席議員(39名)     1 番   今 野 誠 一 君     2 番   阿 部 典 子 君     3 番   石 澤 秀 夫 君     4 番   金 峰 聡 和 君     5 番   菊 池 文 昭 君     6 番   長谷川 幸 司 君     7 番   後 藤 誠 一 君     8 番   須 貝 太 郎 君     9 番   五十嵐 吉 信 君    10 番   斎 藤 武 弘 君    11 番   渡 辺 ゆり子 君    12 番   高 橋 啓 介 君    13 番   豊 川 和 弘 君    14 番   長 瀬 洋 男 君    15 番   斎 藤 淳 一 君    16 番   高 橋   博 君    17 番   加 藤 賢 一 君    18 番   鈴 木 善太郎 君    19 番   渡 辺 弥寿雄 君    20 番   峯 田 豊太郎 君    21 番   高 橋 嘉一郎 君    22 番   加 藤   孝 君    23 番   佐 藤 義 久 君    24 番   尾 形 源 二 君    25 番   高 橋 伸 行 君    26 番   竹 田 和 義 君    27 番   阿 部 喜之助 君    28 番   会 田 邦 夫 君    29 番   佐 竹 盛 夫 君    30 番   渡 辺 秀 夫 君    31 番   酒 井 靖 悦 君    32 番   枝 松 昭 雄 君    33 番   佐 藤   稔 君    34 番   大 沢   久 君
       35 番   浅 野 泰 孳 君    36 番   小野寺   建 君    38 番   宝 沢 啓 輝 君    39 番   深 瀬 悦 男 君    40 番   武 田 一 夫 君 〇欠席議員(1名)    37 番   中 村 幸 雄 君  ―――――――――――――――――――― 〇説明のため出席した者   市長      吉 村 和 夫 君   助役      市 川 昭 男 君   収入役     佐 藤 忠 明 君   総務部長    池 野 勇 男 君   財政部長    横 倉 明 雄 君   企画調整部長  舟 山 政 紘 君   情報政策推進監 荒 井   満 君   市民生活部長  会 田 佐武郎 君   環境部長    會 田 善 夫 君   健康福祉部長  佐 藤   武 君   商業労政課長  茅 原 秀 英 君   農林部長    信 夫 紘 治 君   建設部長    渡 辺   肇 君   都市開発部長  岡 崎 教 雄 君   下水道部長   鈴 木 是 行 君   消防長     丹 野 鬨 夫 君   済生館長    峯 田 武 興 君   済生館事務局長 駒 谷 修 二 君   水道事業管理者 伊 藤 光一郎 君   水道部長    深 瀬 淳 一 君   教育委員長   逸 見   啓 君   教育長     相 田 良 一 君   教育部長    伊豆田 民 弥 君   選挙管理委員長 細 谷 伸 夫 君   選管委事務局長 杉 本 政 則 君   代表監査委員  折 原 信 義 君   監査委事務局長 増 子 紀美廣 君   農業委員会長  武 田 清一郎 君   農業委事務局長 鈴 木 正 人 君  ――――――――――――――――――――事務局職員出席者   局長      齋 藤 健 司   総務課長    會 田 芳 男     議事課長    鈴 木 康 友   議事課長補佐  須 藤 正 博     議事係長    鈴 木 好 善   主任      増 川 悦 裕  ―――――――――――――――――――― 〇議事日程第3号   平成15年2月28日(金)午前10時開議  第1 市政一般方針に対する質問  ―――――――――――――――――――― 〇本日の会議に付した事件  日程第1 市政一般方針に対する質問  ―――――――――――――――――――― ◎午前10時 開議 ○議長(武田一夫君) これより本日の会議を開きます。  欠席通告議員は,中村幸雄議員であります。  出席議員は,定数に達しております。  本日の議事は,日程第3号をもって進めます。  ――――――――――――――――――――市政一般方針に対する質問 ○議長(武田一夫君) 日程第1 市政一般方針に対する質問を行います。  質問者は通告により,議長において指名いたします。  なお,質問は会議規則第57条の規定により,答弁を含めおおむね1時間とし,再質問は原則として3回までといたします。また,関連質問は許さないことにいたします。  市長をはじめ答弁者は,時間の都合上,簡潔にして要を得るようご協力をお願いいたします。  それでは指名いたします。   ~~~~~~~~~~~~~~ ◎後藤誠一君 質問 ○議長(武田一夫君) 「山形市の行政改革に取り組む市長の基本姿勢について」ほか3項目について,7番 後藤誠一議員。 〔7番 後藤誠一君 登壇〕 ○7番(後藤誠一君) おはようございます。議員1期目の任期も残すところわずかとなり,改めて議員の責任の重さを痛感するとともに,明日の山形市のために,さらなる自己研さんの必要を感じ,「是は是 非は非」の心と一層の気概を持った,信念ある議員活動を続けていこうと決意する今日であります。  今日はここに質問の場をいただいた翔風会の同志に深く感謝を申し上げます。そして,このたびでご勇退をなされる先輩議員各位におかれましては,これまでのご尽力とご労苦に対しまして,深甚なる感謝と敬意を表しますとともに,ご健康にご留意をなされ,新たなるご活躍を期待申し上げ,今後とも,山形市民生活のため,より一層のご指導を賜りますようお願いを申し上げるところであります。  また,市長におかれましては,市民が心配する健康留意に一層の重きを置かれ,新たなバイタリティーあふれる手腕を期待してやみません。  時代は,いまだに先行きの不透明な流れを抜けきれず,地方経済はまさに岐路に立っているといわざるを得ない状況にあります。  国政,県政はもちろんのこと,2市2町による合併を前にした山形市にとっても,待ったなしに行財政改革のさらなる速度をもった進展が望まれ,地域民間経済,ひいては市民生活に支障をきたすことのないよう,山形の将来を担う子供達が,夢を失うことのないように,地方の時代といわれる流れを先取りするような新たな工夫と,市民需要に応えうる迅速で柔軟な行政の対応を求めるところであります。  以下,通告にしたがい質問に入らせていただきますが,市長の的確にて当を得た,明快なるご答弁を期待いたします。  豊かな暮らしとは,安心して子育てのできる社会であり,老後の不安のない社会であるとともに,若者が楽しみを覚えて働く「場」があり,日々の暮らしが楽しく,健康で,快適なまちづくりとともにあるものです。生まれて良かった,住んで良かったと言われる市長の考える「山形市像」とは具体的にどんな社会をいうのでしょうか。  「不況の長いトンネルを抜けたら,そこは日が暮れていた」というような状況にもなりかねない今の経済における先行き不安。物質的な豊かさに対する疑問もあちこちでわき出ている今,「裕福」と「幸福」とは違う次元であるという視点が必要となり,便利さのみを追い求めて,その犠牲として忘れ去られた「ものの大切さ」「心の大切さ」を再認識しなければならない時代,一人ひとりの大いなる意識改革が必要であり,公僕といわれる行政職にあるものとしては,まさにその改革の先頭に立たなければならない時代なのです。  今,民間企業が血のにじむような思いで経営改革を進め,賃金の大幅な低下さえも甘んじて受け入れている中,公務員との賃金格差,諸手当等の優遇格差が一段と指摘されております。超優良企業ともやゆされる今の公務員自身のそうした立場に対する自意識は一体どうなのでしょうか。民間の厳しさとは別世界の自分たちは,地方公務員法に守られているからというような甘さが見え隠れしているように思えてならないのです。また,事業面から見れば,このたび,平成15年度の予算が内示されましたが,経済が一本調子で成長するという前提の基につくられたような計画は,3年単位を目途として見直しをしていくとされておりますが,ここには一体どのような見直しが図られているのでしょうか。  県が進めていた山形駅西口の文化施設も,当初の目的では今年度の「国民文化祭」に向けて計画されていた施設であり,予算の関係とはいえ,このたび,県当局から工事施行の延期が伝えられました。厳しい財政の中,計画遂行の目途が立たなくなったとも言われておりますが,こうした例に漏れず,社会的なニーズが失われたにもかかわらず,役人のメンツで進められるような事業も数多く見受けられるような中で,構造改革,行政職の意識改革が声高に叫ばれているのです。改革には当然痛みを伴うでしょう。  しかしながら,あくまでも「市民生活」が最優先されるべき地域社会をどう構築していくのか。市長の,職員の内部意識を含めた地方行政改革に対する基本的なお考えとともに,厳しい予算の中での行政運営に対する市長の姿勢,そして市長が考える山形市像の具体的な方向性を,改めて明確にお示しいただきたいと思います。  次に,今後の地域経済活性化を目指しての地場産業育成に関連して3点ほど市長の考え方をお伺いいたします。  人が定住するためには,流域の経済圏として「生産」「消費」の場が必要であることは言うまでもありません。山形市が都市スタイルとして「消費型商業都市」として位置付けられながらも,地域消費が弱いのは,生産性が少ないからであり,個人収入が少ないということにもほかなりません。コンパクトシティー構想にもあるように,今,大きな街から,小さくとも充実した街へという発想の転換をしていかなければならない時,拡散型のまちづくりから,機能的な中心集約型のまちづくりへの回帰を求められている時なればこそ,大都市に集中する経済力を地方に還流する知恵と工夫が求められているのです。  1つには,地元企業,特に建設関連の地元弱小企業をどう指導誘導していくかということであります。経済は需要と供給の世界であり,個々の企業努力が最大限に求められることはいうまでもありません。しかしながら,デフレという時代の流れの中,需要が先細りをしていく中で,大都市の大手企業は,その能力を生かして地方の需要までも取り込もうとしております。建設業界のすそ野は広く,雇用の受け皿としても多くの分野を抱えております。その地元業界が,大手企業の侵食により壊滅的な打撃を受けるとしたら,この山形市にとっても経済的な大打撃のみならず,雇用の場の消失や,伝統的な職人技術の継承等,地域産業に与える影響は計り知れません。  田園定住区計画として進められている村木沢や,この夏にも分譲がはじまるニュータウンにおいては,建売分譲という制約もあり,その区画の5割から7割までが大手のハウスメーカーによって開発されようとしているようです。地方の小さな建設会社は,広報宣伝力や,営業力においてかなうはずもなく,まして1年以内に建設をしなくてはならない条件下では,土地を購買してまで営業を進める能力など,到底望むべくもありません。地元の建築会社がそうした要望を持つ場合に,建築までに2・3年の猶予期間を与えるとか,何かしら優遇的な行政協力がなくては,地元の職人さえ指をくわえて見ているしかないということになってしまいます。  2点目は,地域の産業育成が大切だということで,山形県でも新たに創造事業に対する支援を強め,国の特化事業推進プランにもあるとおり,地域独自のアイデアビジョンが公募され,全国各地方自治体でその知恵が応募されているわけですが,当山形市は,この国の事業計画に対しどのような対応をしたのでしょうか。  市長の持つブレーンネットワークはどのように機能したのでしょうか。山形市は,山形大学,芸術工科大学山形短期大学と,それぞれに専門的な分野で勉強をしている学校を有しているわけで,工業技術的な大学だけが産学官共同の窓口という意識ではなく,山形市独自のアイデアを求め,将来の産業創造に結びつくような研究の場としての産学官連携プロジェクトを,山形市が積極的にプロデュースしてでも独自に立ち上げるべき時ではないのでしょうか。新規創業,新分野事業支援とは言いながら,その業務内容の将来性などへの審査能力もなく,予備知識もないために融資が滞ったり,審査が長引いたりするということもあり,民間が知恵を絞って取り組もうとする新しい事業に対して,行政が足を引っ張るようなことのないようなしっかりとした支援体制を構築する事が必要不可欠な時なのであります。  3点目としては,高まる失業率の中,国の緊急雇用対策事業に呼応して,コミュニティービジネスを研究導入する自治体が増えております。地域に再雇用の場を創り,定住という職住近接を進め,街の仕事にかかわる元気な働き手を生み出すといわれているこのビジネス。NPOが主導となり住民が生活者意識市民意識のもとに,企業的感覚を持って活動するといった,地域を元気にする原点となるともいわれているこの事業を山形市として現在どう認識し,どうお考えになっておられるでしょうか。  今後の地域経済,山形市の経済の将来のために必要と思われるこの3点の内容に関して市長のお考え,ご意見を承りたいと思います。  次に,循環型社会形成ごみ処理に関して質問させていただきます。大量生産,大量消費の弊害として生まれたごみ問題は,緩やかながらも分別の意識が進むとともに,リサイクル,リユースの考え方も浸透しはじめ,新たな展開を見せはじめました。  上山市では,昨年度より,生ごみの分別収集を進め,有機肥料としての資源活用に利用する取り組みを始めましたし,山形県内では,こうした取り組みは長井市のレインボープランが全国的にも有名となっておりますが,全国あちこちの自治体で,こうしたごみを資源として活用する「循環型社会」形成への取り組みを始めてきています。これまでのごみに対する処理の考え方は,埋めるか焼却するかという選択がほとんどでありましたが,ここ数年来,その方向性が大きく変わろうとしているのです。  こうした中,国が示した「循環型社会基本計画」では,ごみの量をこの10年間で少なくとも2割減らし,最終処分量を5割減らすという方針としております。こうした指針を受け,全国的には脱焼却,脱大型,施設の分散化を進め,乾燥,固形化,たい肥,バイオ処理などの循環型技術を活用していく政策が次々と取り上げられてきています。加熱蒸気によって生ごみを炭化処理する装置なども開発され,できあがった炭化物は,建設業界をはじめ,電気メーカーなどにより催促が来るほどの需要が生まれているというような実例もあります。先程の質問の中で触れたコミュニティービジネスとして実験を始めているところも生まれました。山形市でも実験に取り組んでいる業者もおります。  地産地消という農業回帰運動ともいえる動きが進むこの時代,食の安全,安心が求められる時代にふさわしい循環型の取り組みを,この山形市がどうして政策として取り上げないのでしょうか。環境先進都市という山形市のうたい文句はいったい何のための言葉なのでしょうか。  今,都市の人々が求めてきているのは,すぐれた自然環境であり,その自然を損なうような開発は,土地価格などの利害の対立を生み,企業利益のみを追い求めることにより,次の世代の子供達の教育にもつながる,大切な地域コミュニティーを破壊しているのが現実であります。後戻りはできないということをもっと真剣に考えなければならない時なのです。行政の見栄やメンツなどという言葉で片付けるような取り組みであってはならないと思います。  そんな循環型社会構築の考え方が,全国的に主流となりつつあるときに,この山形市ではどうなのでしょうか。決定したという蔵王半郷の新清掃工場はどうなのでしょうか。2市2町の広域環境事務組合の議員としても私は再三申し上げてきましたが,合併を目の前にしている今,全国の流れに逆行するような一局大型化の焼却施設,余熱利用という観光重視と言いながら,東北でも人気の高いリナワールドや市民の憩いのゴルフ場の脇を1日に何百台というごみ運搬車が通る運搬道路。世界の蔵王山脈を一望できる正面に立つ大型の煙突付きのごみ焼却場という計画に対し,本当にそれで良いのかという思いは消えません。  まして,反対者はほとんどいないと言われていた中で,周辺の半数以上にのぼる反対の意思表明と2,000名を超える住民の署名が出ており,「蔵王の叫び」と題する新聞が多くの議員に配られ,その思いを訴えておりますが,用地選定委員会が答申した他の用地と比較しても,反対者の数はまさに無視できないものではないのでしょうか。  市長は,現地視察の際に,反対陳情が多ければ簡単には決められないといっておられたそうですが,この今の現状をどうお考えになっておられるのでしょうか。基本的に迷惑施設といわれる焼却場を喜んで誘致する住民など,全国どこに行ってもいるはずがありません。土地の利権があるのなら,その土地は土地で別途に購入すれば,地域に反対者は出ないと思われます。南地域にほとんどない,練習場不足に困っている公立高校の運動部が利用できるような多目的グラウンドや,移転を計画されている屋外スケート場として利用する方法などもあります。  ごみ処理の考え方が,この数年間の間にも大きく変わってきている現在,さまざまな事業と同様,大幅な見直しの必要を感じてやみません。200億円から300億円とも言われるような施設が,この厳しい行財政の中で本当に必要なのかも疑問です。分散型の処理で,循環型の社会形成にふさわしい,山形市独自の取り組みを早急に実行してできないことはないはずです。メンツにとらわれない,新しい時代の流れに即した,循環型社会形成に向けた市長の大いなる決断を仰ぎたいと思いますが,用地に対する考え方,施設に対する考え方,循環型社会に向けた多くの他自治体の取り組みの中での,合併を前にした当山形市のごみ処理に対する取り組み方について,市長の明快なご答弁をお願いいたしたいと思います。  次に,その他の項目として2点ほどお伺いいたします。  1つは,蔵王の診療所「蔵王温泉クリニック」に関してであります。  現診療所の老朽化が指摘され,今後の維持管理経費が増大することが見込まれることから,新たな施設をどう構築していくかという議論がなされておりますが,観光山形の目玉でもあり,冬期間のスキー客対応型の診療所という考え方だけでなく,通年型の観光地に変貌をしようとしている蔵王温泉地として不可欠なクリニックであるという認識が,まずは必要と考えます。地域住民のみならず,温泉観光客のための救急医療体制を,今後どう機能させていくのか。蔵王温泉地区まちづくりと連動した移設も含め,隣接する元べにばな荘跡地の効率的利用なども含めて総合的に,早急な検討が必要と考えますが,市長はどうお考えになっているのでしょうか。  また,単なる医療確保という観点から一歩進み,岐阜県の下呂温泉の温泉利用リハビリ施設や各温泉地で検討されている温泉地を有効活用した療養型のリハビリ施設など,蔵王温泉地を生かす1つの新しい考え方とも思いますが,市長はどのようにお考えでしょうか。  最後に,山形市の除排雪のあり方に関してお伺いいたします。  年々降雪量が減ってきているとはいえ,今年のように暖冬が予想されながらも,突然の寒波による大雪で,市民生活に大きな影響が出ることは,雪国にとっては当然のことであります。急きょ豪雪本部が設置され,補正の除雪予算が組まれましたが,いつものごとく,予算が組まれると雪は消えていくとやゆされております。  特に道路交通のみならず,歩行路の確保も大きな問題で,今年は痛ましい事故も起きてしまいました。路線により除雪のうまい下手も言われ,委託業者への指導が徹底していない問題もありますが,それよりも,重要なバスの幹線で道路幅が狭い路線に関し,ロータリー車で排雪を伴う作業を実施しているとはいえ,迅速な対応とは言いきれません。排雪の予算は必要な路線で約1億円ほどの増額となるようですが,少ない予算の中とはいえ,市民生活に大きな影響を与え,歩行路の確保が困難な路線の排雪は不可欠であり,迅速な対応をするためにも本予算で計上しておくべきではないでしょうか。  高齢者のみの世帯は,除雪の後始末に苦慮しております。老齢者のみの袋路地などはお願いだからそのままにして欲しいという声さえ聞こえてきます。大雪は,1つの災害であり,地域によって,特に道路幅の狭い旧市街地にとっては大変な問題を引き起こします。問題の多い地点を災害ポイントマップとして指定し,地域消防団を有効に活用していく方法とか,雇用の受け皿ともなる地域青年団を結成し,共同で高齢者世帯の除排雪を手伝うシステムを構築するとかの研究会を,早い時期から立ち上げ,山形市独自の新しい除排雪のシステムづくりを始めるべきと考えますが,いかがでしょうか。  また,今年より青森市で実施した,市街地における排雪で,民地を借り上げて,協力地の固定資産税の減免をしたり,市の遊休地をいち早く排雪場所として開放したりという方法をこの山形市でも考えられないものでしょうか。市長のご所見をお伺いいたしたいと思います。  以上,多岐にわたりましたが,市長の明快なご答弁を期待いたしまして,1回目の質問を終わらせていただきます。 ○議長(武田一夫君) 34番 大沢久議員。 ○34番(大沢久君) 議場は誠に神聖な所であります。議人の発言は,人をひぼうしたり,中傷したり,悪口を言ったり,雑言を言ったり,こういうことはできません。後藤議員に申し上げますが,この議場で発言してはなら ないような,―――――――――なんか私には聞こえましたけれども,議事録から抹消ないしは,自ら発言を訂正するとか,そのようなことがなければならないと思いますが,この件については,取り扱いを議長に一任いたします。以上。 ○議長(武田一夫君) ただいま,大沢議員の発言によりまして,後藤議員における発言の内容につきましては事後調査のうえ,議長において措置したいと思います。吉村市長。
    ○市長(吉村和夫君) おはようございます。通告がありました後藤議員の質問が非常に多岐にわたり,また,現在進行中のものもあるし,あるいは将来のこともあるし,そういうことを考えますと,時間内に答弁できるかどうかわかりませんけれども,一生懸命答弁しますので,1つご理解いただきたいと思います。したがいまして,私の考え方,あなたも考えていることとは思いますけれども,似通っているものもありますから,それから最初にご答弁申し上げたいと思います。  まず,最初の構造改革特区の問題。今日の新聞に出ていますから,このほうが一番簡単ですから,皆さん覚えているでしょうから,それから始めていきたいと思います。  私は常々思っているんですけれども,先程も後藤議員から出ましたが,いいかっこすると褒められるのです。後が続かないのです。だからそのことをはっきり申し上げますと,東京都なんですよ。東京都がそうでしょう。外形標準課税をつくった。900億円ですよ。1年間とった,裁判かけられた,負けた,返さなければならない。2,700億円の金を返さなくてはならないと。大変なことなんですよ。それもあの当時は石原知事が,地方自治体の長ですから,非常に良いことをしたなと私は思ったんですが,金がない時ですから,でも結局はその負荷が倍以上にきたということです。この中に特区のことがあります。特区というのは非常に良いことなんですよ。ただそれは私はいま少し時間をみて,そして落ち着いてからやっていかなくてはならないと考えております。その点のご理解をいただきたい。すぐ入りませんから,特に住基のことがあります。  また住基のあれは1時間遅れて山形市は入りました。それはなぜかというと,まだ1つ法律がでてないのですよ。それは小渕さんが国民の秘密を守る安全のあれをつくらなくてはならないと,それができて住基と一緒にぶつかるのです。それで1対1になって法律ができるのです。こっちだけが進んだってこっち進まない。この間も流れた。この前私は多分つくるんじゃないかなと思っていたが,結局流れてしまったんですよ。だからわれわれ地方自治体は,もはや中央の真似をすることではなくて,地元から1つ1つ固めていかなくてはならないということで,私も考えている次第でございます。それは特区のことですね。いずれまたいろいろご意見あるでしょうから,時間もありませんので,いろいろご意見を願いたいとこう思います。特区は非常にいいのだけれども,そういうふうなこともありますので,慎重にいきたいと思っております。  それから,傍聴者の方もおりますけれども,本当は言わないのですが,顔見知りの人がいますので,新清掃工場,私が前々に言っておりますけれども,新しい清掃工場を作ると。この間も委員会の方で,いわゆる今のごみ処理場のところに作るというようなことで一応場所も決定しているわけであります。これは避けて通れない問題であります。今から山形市がどんどん合併なんかなりますと,避けて通れないことであるということをご認識していただきたい。清掃問題ですね。どういう清掃工場を作るかというのは今からですから,私は環境アセスメントを頼んで今やっています。  その中で,今まで山形市でやらなかったことがあるんですよ。なぜ文句を言われるかと言うと,山形市で環境アセスメントによりまして,血液検査とか,身体に及ぼす影響とか,それから空気の問題とか,汚泥の問題とか,そういうものがいろいろあったんです。それを山形市の場合はやるやると言ってやっていなかったのです。それが皆おかしいのではないか,山形市は嘘を言っているのではないかというご批判をいただきました。そこで,それを始めました。現在,血液検査をしてくれという人が18名おります。1検体50万円かかります。約1,000万円かかるんです。それをやりなさいと,今やっています。それが全部出て,そして公害がないということになったら,初めて広域議会にも話をしたいと思っています。ただ広域議員の方々の,ここに議長もいますけれども,みんなが公害が出るような清掃工場ならば作る必要がないということを言っていますので,それは私は同感でありますから,いささかなりとも公害が出るようであれば,それはやらないと,私の代ではやらないと,このように考えておりますので,1つご理解をいただきたい。あまり細かくいうとまた批判ではないけれども,時間がありませんので,1つあの,モデルとして私の常識がおかしいのかも知れないけれども,東京の23区の中に墨田区があります。  これはものすごい環境に対しては,厳しいところなんです。そこが1日600tの消化の清掃工場を稼働している。私はびっくりしたのですよ。私も東京に住んでいましたが,東京というのは非常に公害には敏感なところです。その中で特にひどい墨田区の中で600tの現在の23区のごみを焼却している。そして周辺の方々が何も言わないということは不思議で仕方なかったんです。実際に聞きましたら,それは公害がないと,余熱を利用して温水プールとかクアハウスとか作っています。ですけれども,そんなことよりも公害があるということが一番大切ですから,ないということと思いまして,われわれも見てまいりました。どうぞ議員の方々も,あ,後藤議員は委員ですから当然行って見ていただきますとありがたいとこのように思います。  次に,蔵王クリニックの問題。これ蔵王クリニックの問題は私から言うとちょっと批判を受けるかもしれませんが,私は宝の持ち腐れと思っているのです。もう少し蔵王クリニックを利用して,医療でもいいし,会合でもいいし,そういうものでやはり宝物をちゃんとすべきでないかというようなことで,これは部長会議でも何か,ご承知のとおり老朽化していますので,これを基地にして例えば鳴子の厚生省の温泉治療とか,そういうものがあるわけですから,それを見て少々金かかっても私はいいと思うんですよ。そしてそこに新しい名所をつくるということになれば,近村の方々がみなまいりますから,そうすると蔵王温泉も賑やかになるのではないのかなとこのように考えております。  地域経済の問題でありますけれども,それは前から私言っているとおり,山形の場合,今一生懸命企業でやっています。やっていますけれども,これは命がけでやっているわけです。だから私は地場産業育成ということを今までの為政者は口では言った。だけど,いざ入札となると県外から大手を呼んできてやってきたというのが,山形市のこれまでの実態です。私は,絶対に県外から大手は呼ぶなと,ものによりますが,やれるものはやれと。ほとんど山形県内で土木工事,あるいは建築工事をやれるわけですから,それで競い合いなさいと,大いに競って仲良くやりなさいということを絶えず言っております。部長にもそういうことを言っております。おかげさまで大手の企業から誰もきません。現金なものでね,一人も来ないから。俺の顔を見ると逃げていくんだ。それでねいいと思います。私はあくまでも地場産業育成といったら徹底して地場産業の育成をやっていくと。ただ県内の業者,市内の業者でできないものがあります。それはやむを得ないから,その機械をもっている,今の下水道なんかそうですね,ありませんからそういう機械をもっているところで話をしてそして組んでやってくれということでやっております。おかげさまで山形の土建土木関係のあれでは,他の県と違って倒産があまり多くないということでありますので,喜んでいる次第であります。  それから雪の問題で,排雪場の問題で免税してはどうかというふうなお考えのようでありますけれども,何か恩典を考えていかなくてはならないなという気持ちは持っております。ただ,今非常に悪い時期ですから,今少し頑張ってもらってやってもらいたいと。それからご参考のために申し上げますけれども,雪掃きの機械をもっているのはだいたい200社いるんです。200社が登録しているんです。だから4億円の除雪費があれば,それを200で割ると,200社に臨時収入にはいるわけです。だからそれは景気浮揚に影響があるのですよ。ただ10㎝くらい降ってくれれば,出動ということも出せますけれども,10㎝以下では出動出せないのですよ。私ははなはだ雪あって迷惑な人には申し訳ないけれども,雪降るなら,どうせなら10㎝降ってくれというふうに願っています。そうすると喜ぶのは企業ですから,しかも土建業者ですから。山形の場合は参考に申し上げますと,土建業者の方々はいわゆる雪の除雪,それから下水道,おかげさまでこの2つがある限りは年がら年中稼働というふうになっています。だから相当景気にも影響していると考えておりますので,今日あたり降るのではないかと思っておりますが,まだだめなんだなこれ,残念でしょうがないけれども。  それから,けがのこともありました。これは見直しをします。蔵王のけがですね。あれはちょうど同じところにラインがなくて,そしてスキーのあれが滑ってきて子供さんをやったというやつですね。それを整理して,今,スキー連盟とも蔵王温泉の方々とも相談して,危なくないようにまん中に立てていくとか,そのようなことであります。  あと,市内の交通事故は,これはやはりドライバーがもう少しきちんとしてやっていかないと,だめではないかとそういうことも考えておりますが,環境整備として道路をきちんとやっていくべきだとこのように考えております。  最後になりますけれども,私の政治姿勢でございますけれども,大変お世話になりまして,これでやっと4年目に入りました。皆さん方からみると,その間約1年間寝ていたわけでありまして,市民各位に対して心からお詫びを申し上げたいと,このように思います。ただ,問題は,間違った市政はやらなかった。集まって皆で相談して,むしろワンマンであった私が部長会議で話を決めるとか,三役で話を決めるとか,そういう点では非常に私自身も勉強になったし,議員各位も満足したのではないかとこのように思っております。  以上,まずとりあえず,第1回目の質問に対して,なかなか難しいもので,頭整理できないので,どんどん言ってください。答弁漏れがあったらいつでもやりますから。 ○議長(武田一夫君) 7番 後藤誠一議員。 ○7番(後藤誠一君) 答弁漏れがあったらということですが,だいぶあったので,少しお聞きするにも時間がだいぶ経ちましたので,まず1つ大きい答弁漏れというか,1つは地域経済産学官共同コミュニティービジネスに対する取り組みに対して,全然お答えがなかったわけですけれども,例えば,今回のISO事業でも認証取得は大変素晴らしいことで努力されたのは認めたいと思います。そんなふうにやはり努力してでも,何でも取り組んでいくという姿勢が逆に,市長の方から出していただければ私はそれでいいと思うんです。例えば,どうやるという,これは細かい問題ですから,それぞれの部長さん,それぞれに考えておられると思います。ただそういう中で,先程の経済特区の話もそうですけれども,誰も慌ててやれとは言わないわけですよね。せっかくブレーンネットワークという,すばらしいシステムがあるわけですから,私はいいアイデアを生んでいくといった土壌をつくってほしいということが一番大事だと思うんですよ。今,本当にアイデアの時代といわれているわけで,せっかく山形市もどうしたらいいどうしたらいい,ただ同じ事業を踏襲していくということだけでなく,せっかくそういうものをどうでしょうというのが私は今回の経済構想だと思っているので,そういう意識を私は市長に持っていただきたいというのが第1点であります。  もう1つは,行政改革の問題でも,例えば,その給与体系,昨日の一般質問の中でもいろいろありましたけれども,公務員の給与体系そのものまで私は見直す時期にきているのではないかと思っているので,その辺のところのお考えを私は市長にお聞きしたかったんです。当然,仕事もいろいろ,峯田議員なんかもよく言いますけれども,仕事をしてもしなくても同じような形での給与体系にいったいどうなんだという,いろんな議論がなされています。そういった考えで市長のお考えをお伺いしたかったわけで,もしできたら一言ご意見を承りたいと思っています。  あともう1つは,実は蔵王の清掃工場の問題ですが,これはやっぱりね大変な問題なんですね。本当に200億円300億円,もちろんこれから基本構想がどんどん出てくる,用地取得出てくる,その中で私はね,市長自ら出かけていって,やはり地域の方々や,いろんなこれまでのことたくさんあったのではないかと,その経緯の中で。市長が自らね,出かけていって,その中で話を聞いて,それで進めていただきたいのですよ。それを市長に約束していただきたい。それを私は今ここでご答弁いただきたい。ここでね,今この場でどうのこうの言っても仕方ない問題だし,地域の方々もいらっしゃる,また全体構想もある。ぜひ市長がね,これは自ら出かけて行く問題だと思っているので,ぜひそうしていただきたいということを1つお答えいただきたい。  あともう1つは,蔵王のスキーのラインとか言いましたけれども,私が聞きたかったのは,蔵王の診療所の問題なんですね。あそこをどうするかなので,別に蔵王のスキーのラインがどうのこうのではなく,あそこの診療所が今隣のべにばな荘の問題もあるし,あそこを何とかしなくてはという意識が強いので,この診療所に対して市長はどうお考えか,これを聞かせて下さい。以上。 ○議長(武田一夫君) 吉村市長。 ○市長(吉村和夫君) あの診療所の問題は先程お答えしました。それは,診療所を中心として,これは社会福祉事業団が持っているものですから,隣の助役が理事長です。助役にしょっちゅう話しているのですよ。あそこを中心として開業でもいいし,病院でもいいからもっと大きいものをつくってやるべきだと。もったいない,先程宝の持ち腐れという表現をしました。それも全く同感です。あそこに新しい療養所,昔はあそこに療養所があったのですから,それをやれば非常にね,私は市民のためであり,また県民のためにではないかと思っていますので,その点は今後の課題として指示をしておりますので,どういうものがでてくるか。ただ金かかると言うのですよ。金かかってもね,やるものはやっていいのではないかというふうに思いますので,そういうことをお答えしておきたいとこのように思います。  それから給与体制ですけれども,私は今回は触りたくないのですよ。なぜかというと,他の町長なんかは皆自分でカットしていますね。給与カット。私ははっきり言うならば,人のことを言いたくないのですが,それはただ見せるためでないかと。ただかっこつけではないかと。本当にするなら,もっときちんとしたものをしなければならない。ただ給与減額するにはですね,職員のミスとか,あるいはまたふまじめ,あるいは市民から大変な苦情があってとか,そういう公務員らしからぬ公務員ということであれば,それはあえて給与削減というようなことをやってもいいけれども,山形市職員はおかげさまで非常に変わってきましたから,どこに行っても私に対しては,山形市役所は良くなったなと,こういうことを言われます。非常にうれしい限りでありまして,これも市会議員の方々のご指導というもの,やはり市会議員をおっかないのですよ,みんな。だから,そういうご指導を引き続きやっていただきたいと,こういうふうに思いますので,よろしくお願いいたしたいと思います。  ごみ処理場はだいたい年度内に場所を決めまして,そして議会がありますから,議会におろしまして,そしてそこできちんとしたものをやっていきたい。今だいぶ進んでいます,環境アセスメントのあれもですね。そこで公害の恐れがあるというようなことであれば,私はやめます。それは前からみんな知っていますから,公害は出ないと私は思っております。そういうようなことでしてますけれども,公害の出るようなものは作らないというようなことで頑張っていきますので,その点はご承知おき願いたいと思います。 ○議長(武田一夫君) 7番 後藤誠一議員。 ○7番(後藤誠一君) 行革の問題はね,やはり市長言うとおり難しい問題です。だからこそやはり今いろんな議員が言われるように,行政評価システムを早く導入してと,いうふうにやっぱり意識改革をどんどん進めると,昨日の総務部長からのご答弁がありましたけれども,やはり早急に進めて,そういった中から直していただきたいというふうに,これは私の要望でしかないのですが,ぜひ市長にもそういう意識をもっていただきたいというふうに申し上げたいと思います。  蔵王の方で,私が先程申し上げたのは,市長自ら行ってそういった説明の場で,いろいろと話を聞いたり,そういう担当の中で行っていただきたいということを,市長からここでお聞きして,ぜひ大変なお体ですけれども,そういう1つの場をつくっていただきたいというふうに思ったので,私は申し上げたので,そういう中ではぜひご検討をいただきたいと思います。時間が時間ですからこの辺で終わりますけれども,ぜひそういう意識改革という昨日,総務部長がいみじくもおっしゃられましたが,そういうことを私の方から強く申し上げて,私の質問を終わります。 ○議長(武田一夫君) 以上をもって,後藤誠一議員の質問を終わります。   ~~~~~~~~~~~~~~ ◎竹田和義君 質問 ○議長(武田一夫君) 次に,「清掃事業について」ほか2項目について,26番 竹田和義議員。 〔26番 竹田和義君 登壇〕 ○26番(竹田和義君) おはようございます。私ども,現職議員にとりましては任期最後の当3月議会におきまして,順番とはいえ一般質問の機会を与えていただきましたことに,御礼と感謝を申し上げ,通告にしたがい質問をさせていただきます。私にとりましては,再びこの演台に立つことのない,正に最後の質問であります。市長におかれましてはその意を汲んでいただき,サービス精神を大いに発揮していただき,よりよい答弁をいただきたいというふうに思いますので,よろしくお願いを申し上げます。  まず最初に,先程の後藤議員とだぶりますが,清掃事業に関連してであります。私は,議員各位の温かいご配慮により平成13年7月より,山形市・上山市・山辺町・中山町で構成される山形広域環境事務組合議会の議長という要職を承り,1年8カ月その任に当たってまいりました。その間,立谷川リサイクルセンターの火災事故とその対応,ダイオキシン対策が困難なことからくる上山市ごみ焼却施設の運転停止,また本市の立谷川・半郷清掃工場の老朽化に伴う新清掃工場の建設等々から,市民生活ならびに地方自治体にとっては避けては通ることのできない廃棄物処理やリサイクルの重要性を痛感してきました。  今,社会はこのごみ等を積極的に再利用する循環型社会形成を目指すべく,さまざまな努力がなされている最中でありますが,環境先進都市を目指すわが山形市においても,よその市町村よりも先んじて,循環型社会形成を目指した環境施策の取り組みが求められていると思います。そのような観点から,4点ほど質問をさせていただきます。  1点目は,2市2町は今,各々ごみの減量やリサイクル事業に積極的に取り組んでおり,一定の効果を収めているところであります。本市におきましても,平成13年度は対前年比で8%の処理減量が図られており,このことは関係者の努力と市民のご協力の賜物と高く評価できるものと思います。しかしながら,国・県のごみ減量に関しての長期計画目標は,さらに20%減量となっており,さらなる減量化が求められております。また,資源化率では,県は平成17年の目標を30%と掲げておりますが,本市の平成13年の資源化率は17%にとどまっているのが実情であります。これらの目標を達成するには,現在行っている古紙や段ボール・ペットボトル・ビン・缶等の回収だけでは,到底達成できる数値目標ではないと言えます。  循環型社会形成のための法制定がなされ,バイオマス系循環資源の活用など,いろいろ提案されておりますが,わが山形市においてもこれらの採用や,山形に適した新たな技術の研究開発などに官民をあげて,積極的に取り組み循環型社会の形成を目指すとともに,ごみの減量化・再資源化に一層の努力をすべきと考えますが,この循環型社会の形成および更なるごみの減量化・再資源化についての市長の基本的なお考えをお聞かせいただきたいと思います。  2点目としては,バイオマスについてであります。今般,横須賀市では生ごみバイオガス化システムの実証実験を開始したと伺っております。これは,家庭から出される生ごみを微生物分解し,そこで発生したメタンガスをごみ収集車の燃料として供給しようという国内では初めてのものであります。これをすることにより,ごみ焼却量を約40%減少させることができ,焼却炉の負担軽減はもとより,車からの排出ガスも低排出ガスとなり,環境負荷低減効果も期待できると言われております。また,京都では同じような効果が得られることから,生ごみから油を取り出し,その油でごみ収集車の運転を行っているのであります。  わが山形市においても新しく建設される清掃工場敷地内に,このような施設を設置し,循環型社会の形成に積極的に取り組むべきと思います。またそうすることによって,焼却炉も大きなものは必要ではなくなりますし,市長の目指す,環境先進都市がますます生きて輝いてくるものと思いますが,循環型社会形成のための手段として,このようなバイオマスの導入について,市長のご見解をお伺いいたします。  3点目であります。2市2町の広域合併が平成17年3月の実現を目指して,合併協議会が設置されるなど,急速に進展しておりますが,この合併に伴い広域環境事務組合は当然廃止になる運命と思われます。合併が行われる平成17年度は,新清掃工場建設に係わるスケジュールでは,国への補助金の申請が行われ,それが許可になれば,いよいよ新工場建設が着工されるという非常に重要な時期に当たります。広域合併の繁忙に振り回されて,新清掃工場建設が停滞することは,現焼却炉の耐用年数のことから考えても,決して許されるものではありません。そこで早い時期から山形市がリーダーシップをとり,2市2町からなる建設プロジェクトなどを設置し,広域環境事務組合が廃止になっても,整然と建設作業が進められるように体制を整備しておくべきと考えますが,広域環境事務組合の管理者でもあられる山形市長のお考えをお聞かせ願いたいと思います。  4点目として,現在,山形・上山・山辺・中山の2市2町で広域環境事務組合を設立・運営しているとはいえ,各自治体が個別にリサイクルや施設の運営を行っているのが実態であります。また,ごみの分別や収集なども各自治体ごとにだいぶ異なっております。これらを早期に統一し,ごみ減量やリサイクルなどをより効果のあるものにすべきと思います。広域環境事務組合構成市町のリーダーとして,他の構成市町に働きかけ,ごみの分別収集等を統一すべきと思いますが,市長のお考えをお伺いいたします。  次の質問に移ります。私は昨年,山形市北欧福祉行政視察団の一員として参加させていただき,12名の団員の皆さんと福祉先進国の実態をつぶさに見聞させていただきました。その詳細については,まもなく「北欧福祉行政研修視察報告書」として発行される予定になっておりますが,その中から山形市の福祉施策への視点という点で述べさせていただきます。北欧の高齢者福祉を簡単に紹介すれば,次のようにまとめられると思います。まずは,徹底して在宅ケアが主であること。次に,在宅ケアが難しくなった人に対する,中間型福祉(サービスハウス)の提供,さらにその上の段階としての24時間介護施設(特別養護老人ホーム)の3段階に分かれており,その1つ1つが充実しておりました。また,さらにこれらを支えるために,リハビリテーション機能の充実,医療と福祉の緊密な連携,福祉施設と地域住民の活発な交流などの施策が展開されており,その中身と支える環境が日本とは随分違うものだなと感心させられたところであります。  そこでまず在宅ケアについてであります。自分の家で,また地域で生活をするのは当たり前のこととして,高齢者は可能な限り在宅を前提とする施策が展開されておりました。高齢者自身が望んでいることや,福祉施設よりも財政面でも効率が良いことなどのためでもあります。山形市の介護保険の基本理念も在宅介護がメインになっているのでありますが,居宅サービスの利用率は実際には低いのが現実であります。他人を自宅へ入れることの抵抗感や,高齢者本人と家族の意識の違い等々がその理由として挙げられており,急速に改善される性格のものではないと思いますが,可能な限り在宅で過ごせるような在宅ケアおよび在宅ケアを支援する各種施策の一層の充実を図るべきと思いますが,今後どのように推進していかれるのかをまずお伺いいたします。  今回視察した国においても,在宅が困難になった高齢者は日本と同じように施設入所に移行するわけでありますが,その施設はサービスハウス(ケア付き住宅)と,24時間介護施設(特別養護老人ホーム)に大別されておりました。サービスハウスは,在宅は困難であっても,24時間介護の必要のない高齢者が入居できる施設で,アパートメント形式の独立した住居にケアがついているものであります。ケアはおしめ替えや投薬,洗濯,掃除,買い物など,入居者が必要とするものに応じて提供されているのであります。山形市の場合,このような施設がないために,在宅が困難な場合は,特別養護老人ホームしか選択肢がないのであります。そのために,最重度とはいえない高齢者も特別養護老人ホームに入所することになり,入所者は67歳~100歳(平均86歳),平均入所年数は6年と,長期の入所になっているのであります。ちなみにフィンランドでは,入所者の年齢は80~84歳,平均入所年数は2年程度とのことでありました。老齢化したから,あるいは痴呆になったから,即施設に収容するという考え方ではなく,北欧のように特別養護老人ホームは,在宅でも中間施設でもケアができなくなった人が,残された人生の終末をゆったりと過ごしてもらう施設と位置付けるべきと思います。  そのためにも,在宅ケアを受けていても在宅で過ごすことが難しくなった比較的重度な高齢者などが,できる限り在宅に近い形で手厚い介護を受けることのできる施設の充実を図るべきと思います。それには,ケア付きのシルバーハウジングの拡大や,民活による有料老人ホーム,高齢者用マンション等々多様な施策を計画的に推進すべきと思いますが,いかがでしょうか。市長のご見解をお伺いいたします。そうすることによって,今一番問題となっている施設入所の待機者解消にもつながると思います。  また,北欧2カ国においては,医療と福祉は常に連動・連携するシステムになっておりました。介護を要する高齢者は,また医療の提供を日常的に必要としており,言うまでもなく医療と福祉の連携は極めて重要であると言えます。しかしながら,わが国においても,医療と福祉は密接につながりを持つとして,連携が叫ばれておりますが,縦割り行政が大きな壁を作っているのが実態であります。山形市においては,市医師会との連携を一部で行っているものの,まだまだ不十分と言える状況下にありますが,本市の場合,幸いなことに福祉と医療の一端を担う病院の経営主体が市長で一致しており,市立病院と市の福祉部門が北欧に見られるような緊密な連携が十分に図られる環境にあります。医療従事者と福祉行政担当者との定期的な意見交換や,情報交換などができるような機関の創設をすることなどを手始めに,医療と福祉の連携強化策を進める必要があると思われますが,いかがでしょうか。  そのほかに,高齢者などが普通の生活を健康に,そして快適に過ごすためには,身体的機能および社会生活能力の維持・回復は欠かすことのできない施策であります。そのような観点から公民館あるいは東西南北の老人福祉センター等を活用しながら,専門の職員・設備を配置し,医療,保健および福祉の両面から,リハビリテーション機能の充実を目指すことも重要と思われます。  また,北欧2カ国ではデイケア施設を併設し,リハビリ施設やレストランを地域住民に開放しておりました。施設が地域福祉の拠点として存在し,地域住民も気軽に施設を利用することにより,施設が持つ隔離性を薄め,入所者も地域住民の一人であるという環境づくりがなされておりました。山形市の施設も地域との交流にもっともっと積極的に取り組むべきと思います。  今まで申し上げましたことや,そのほかいろいろ見聞してきた北欧の福祉行政の内容については,参加者全員がそれぞれに感心して帰ってきたところであります。また感心すると同時に,福祉に対する基本的な考え方や,歴史・国民性・風土そして政治,という全ての土台が日本とは異なっているわけですので,北欧の福祉施策をすべて,今の日本・今の山形に当てはめるのは,大変難しいということを実感したことも事実であると思います。  しかしながら,医療と福祉の連携強化などのように,部分的には取り入れられる施策も数多くあると思います。北欧の福祉行政を山形市の福祉行政のあるべき姿と位置付け,まもなく発行される「北欧福祉行政研修視察報告書」の提言から,取り入れられるものは積極的に取り入れていただき,一歩でも二歩でも北欧の福祉に近づけていただきたいということを,参加者の総意としてお願いを申し上げたいと思いますが,市長の所見をお伺いいたします。  最後に,大規模果樹公園構想についてであります。私事で大変恐縮ではありますが,毎年九州と大阪から知人夫妻が春と秋に山形へやってまいります。その際にいろいろな場所を案内するのでありますが,その中でも彼らが一番感動するのは,蔵王でもなく山寺でもなく,ただのリンゴ畑でありサクランボ畑であります。赤く色づいたサクランボやリンゴがたわわにそれぞれの木に実っているのを見て彼らは,「リンゴやサクランボが木になっているのを初めて見た。見事だ。あれを今すぐ食べたらさぞかしおいしいだろうな」ということで,うらやましそうに何度も話したのであります。  それを聞いて思ったことは,われわれが見慣れている何気ない風景も,よそから来た人には随分と物珍しく見えるのだなあと感心させられたこと。また見慣れている風景も活用次第では,人を引きつせる観光資源にもなるのではないかと思ったところであります。そこからでありますが,山形で採れる果物の木を一カ所に集めて,大規模果樹公園を作ってはいかがかと提言するものであります。その骨格は,春にはサクランボ,夏にはブドウ・ナシ・モモ,秋にはリンゴやラフランスといった山形で採れる果物の木を,数十本ずつ植えておき,山形で採れる果物の生きた展示を行うとともに,取れたての味を,また収穫の味を観光客に思う存分味わってもらうのであります。  そして近くには,駐車場・トイレ・売店,さらには,ゆっくりと手足を伸ばしてくつろぐことのできる憩いの広場などの公園を併設するのであります。市外県外の観光客には,観光果樹園プラス休憩の場としての公園プラス産地直売所として,市民にとっては,市民憩いの場としての市民公園プラス果物直売所と,付加価値は大いにあるものと思いますし,果樹王国・山形のPRにも大きく寄与するものと思います。  また,果樹王国・山形とは言うもののそれにふさわしいシンボルが今あるかといえば,NOと言わざるを得ないのが現状であると思いますので,果樹王国・山形のシンボルとしてぜひ整備すべきと思います。  また,現在農業委員会の中におきましても,農業の将来に明るい展望を見出すべく課題を絞って小委員会を設置し,いろいろ協議を行っていると伺っております。その小委員会の1つに観光農業を進めようというテーマで,観光農業小委員会があるとも伺っております。その農業委員会と農協とそして行政とが力を合わせて一体となり,取り組んでみるいいチャンスだとも思います。こんな話をしましたら何十年先だ,そんなことという話がされたことがございます。それぞれの果樹の木を今植えてもそれを活用できるのは,確かに10年あるいはもっと先のことかも知れません。  そこで,良く考えていただきたいと思うのは,政治と行政の違いは何か,と問われたときに,当面のことを処理するのが行政だが,政治とは長期的な視野に立って,総合的なスタンスから1つの見方を示し,それを実行することだと言われていることであります。また,限られた予算・時間の中で,何から手をつけていくかという,優先順位付けが政治の政治たるゆえんであるとも言われていることでもあります。  この構想を今すぐの行政という面からだけでなく,長い目で見た政治という観点からもぜひご検討をしていただきたいと思うところであります。さらには,現在の農業にとって,将来の明るさがあるかと問われれば残念ながらこれもNOと言わざるを得ない状況と思います。将来の暗さを放逐し,明るさを期待させることもまた政治の要ていとも言われております。農業の将来へ明るさを灯すという意味からも,この大規模果樹公園の設立を望むところでありますが,市長のお考えをお聞かせいただきたいと存じます。  以上で質問は終りましたが,冒頭にも申し上げましたとおり,私は,次期市議会議員選挙には立候補せず,今期限りで勇退させていただくことにいたしました。今まで4期16年間務めさせていただきましたが,この間,市長はじめ市職員の皆様,さらには,先輩・同僚議員の皆様には大変お世話になり,誠にありがとうございました。この場をお借りしまして,心から御礼と感謝を申し上げる次第でございます。またこの間,いろいろとご迷惑をおかけしたこともありましたし,不愉快な思いをさせたことも多々あったものと思いますが,その点につきましても,この場をお借りして心からお詫びを申し上げさせていただきます。  今後は一市民として,山形市の発展に微力ではありますが,ご協力をさせていただきたいと思っております。市長におかれましては,健康には十分留意され,環境先進都市の実現に向けてなお一層頑張っていただきますように,また次期選挙に立候補される議員皆様には,全員のご当選を心からご祈念申し上げ,第1回目の質問といたします。ご答弁をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 ○議長(武田一夫君) 吉村市長。 〔市長 吉村和夫君 登壇〕 ○市長(吉村和夫君) 答弁する前に市民を代表して御礼を申し上げたいと思います。竹田和義議員には4期16年間,市会議員として山形市発展のためにご協力,またご研さんしていただきました。本当にありがたい極みでありまして,特にこの16年間というのは,山形が大きく変わった時であります。その中で1つの筋を通しまして,今日の山形市をつくっていただいたと,改めて御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。  それでは,竹田議員の質問に対してお答えを申し上げます。  何回も申しておりますが,広域事務組合の議長としてご活躍をいただきまして,これからなわけでありますけれども,どうぞよろしくご指導ごべんたつのほどをお願いいたしたいとこのように思います。ごみの問題がありますけれども,このごみの問題はなるだけ時間をかけてやっていこうという気持ちでありますし,またそうしてきたわけであります。そして,公害があったものは1つ1つ消していく。公害がなくなれば反対の人も賛成してくれると,このような私は考えを持っております。それはもしも公害がなくて反対するならば,あるいはまた地域的に反対するならば,それは吉村和夫が憎らしいのだというふうなことであるかも知れません。だからそれも含めまして,そういうことのないように,今一生懸命意見を聞きながら現在も来ておるということだけは,ご承知おきを願いたいと思います。  ただ,竹田議員も言っているとおり,この新清掃工場は作ることについて避けて通れない山形市の問題であります。例えば,市町合併になります。それでも山形の規模は最高でございますから,山形が責任を取りながら,他の1市2町に対して話をしながら,公害のない,しかも余熱を利用した1つのものが脇にできれば幸いだなということを考えながら,今一生懸命勉強しながらやっているところであります。  それからヨーロッパ視察,大変ありがとうございました。山形市の市会議員の方々が行政とともに,県外に視察行ったのは数々あります。けれども帰ってきて言われたことは,もうヨーロッパは福祉に対しては大変な進歩だと。ちょうど三浦先生と会った時だと思うのですが,私は送っていって出てきて会った時は,もうヨーロッパは車イスのものがバスの真ん中に6台くらい入るバスがあるんだと,やはり市長の言うとおりだ,北欧は進んでいると。だからいいものは真似た方がいいと言われたことを,今思い出しております。やはり,いいものは真似ていかなければならない。なぜかというと,もはや山形市も介護だけで済まなくなったのです。入居者の年齢が100歳以上がもう100人います。そうしますと,老後施設だけではもう間に合わない。いわゆる医療というものが入らないとどうにもならないということ。私は前から言っておりますけれども,一生の中のたった一度ですから,自分の生きているのは一度でありますから,せめて亡くなる時くらいは,安楽死みたいなので逝ってもらえればありがたいなと。これは笑い話ではなくて,そういうふうなものを常々考えておった時でありますので,そういう点で,いろいろお年寄りに対して,あたご院でしたか,浜田さんのところにお願いしたり,そのようなことをしていたのですが,これは絶対に私だけの考えではないと思います。  いずれ,先程後藤議員から指摘ありましたけれども,私わりと行っているんです。養護ホームには必ず行っています。1年に1回。ただ病気で寝たからだめだけれども,これがなかったらずっと行ってものすごくモテるんです。100歳の人が寄ってきます。まあ市長だからでしょうね,寄ってくるのは。ただ,その格好を見るとわれわれも人と会っているものだから分かるんですが,目が完全に空虚です。私の顔を見ていません。どこの施設でも100歳以上がおります。考えると,もはや介護では済まないなと,やはり医療と一緒にしなくてはだめだということで鋭意検討いたしております。  ちょうど西川町の横山万蔵さんが作った町役場があって,隣が病院でこっちが介護しているところですね。つながっているんです,廊下で。その時,なかなか派手なことをやっているなと思ったのですが,今それが望まれているわけです。山形の場合も今10なんぼあるわけですから,そういう施設に対してどこかで病院とつながるようなものがあれば,済生館もありますし,だからこれは人をちょっと増やさなくてはならないと思うけれども,これはあとは機械はいらないわけですから,そういうことで1つの来年度の課題というようなことで考えておりますので,よろしくご指導のほどをお願いいたしたいと思います。  それから,今朝の問題ですけれども,この建造物もパイプが出ています。それから下水道のパイプも全部洗わなくてはいけない時期に入りました。たまたま今日テレビで見ていたら名前を言ってはいけないのですけれども,大林道路でやっているやり方が非常に良いというようなNHKのテレビでありました。ポンプ小僧ですね。入れてそして洗っているのがポンプ小僧の役目です。それをポンプ小僧を使わないで,そして鉄管を使わないで,そして掃除をしてきちんとして出すというふうな,食事の時だったけれども,食事をやめて見て勉強になったなと思います。こういうことも指示をしながら,もう山形も30年経っていますので,あらゆるものが耐震の調査でもあらゆるもので問題になっております。やはり,もうそろそろ金さえあれば改築していかなくてはならないという時期に入ったものですから,そういうことを考えております。  それから,果樹王国を作れということで,これは大賛成であります。お恥ずかしい話でありますけれども,私の女房が山形に来た時に,ナスがなっているのでびっくりしたのですよ。ナスが下がっていたということで。宮城県はナスは寝せておくんです,柵を作らないで。サクランボだってびっくりしたのです。柿とかですね。宮城県の方々は非常にそういうもの見るのが好きですから,たまたまうちの女房も「お父さん,なんで下がってるんだ」と,向こうの方はナスを地べたにはっているんですよ。だからこんなに大きくなって,これは冗談でございますけれども,だからそういうふうな果樹王国というものを作るためには,頑張っていかなくてはならない。その前にやらなくてはならない仕事があります。それは,消毒剤の公害がないということを出しておかないと,これは行政の責任だと思いますので,今それに取りかかっております。ちょうどきゅうりのやつが今25軒ですから山形市は,もっと他はいろいろありますけれども。全部で40軒くらいのリンゴを混ぜまして,40軒くらいの耕作した方々にきちんと指示をして,そして視察をすれば,山形は完全な安全・安心して食べられる野菜というものが出てくると思います。それはわれわれの責任だと思っています。したがって新年度から,そういう作業に入るということを,農林部長は東奔西走動いております。幸いに山形農協・山形市農協・それから中央市場加えて丸勘青果市場が一緒になって今やっておりますので,50軒の生産農家をきちんとすれば山形は安全宣言がいつでもできるというような体制を作りながら,果樹王国というものを目指してやっていかなくてはならないと。わりと天童がありますから,簡単でありますけれども,果たして天童が全然公害がないと言いきれないものですから,したがいまして私たちは,私たちで山形というものを再確認しながら,お説のとおり,果樹王国というものをつくりながら,1つの目玉にしていきたいとこう思いますので,よろしくご指導のほどをお願いいたしたいと思います。果樹公園,果樹公園と果樹王国は同じだ。どうぞ1つよろしく。いや,規模だから。公園と王国は規模が違う。規模をもっと,どっと大きくして。 ○議長(武田一夫君) 26番 竹田和義議員。 ○26番(竹田和義君) ただいま答弁をいただきまして,ありがとうございました。あまりサービスになってなかったなと。  まず言いたいことだけ,まず言わせていただきます。清掃事業に関してでございますが,2市2町の合併とだぶるわけでございますので,絶対それに惑わされないでというと言葉は悪いですけれども,影響を受けないで,きちんとした新工場が予定通りにできるような体制をぜひ検討をお願いしたい。でないと,今の焼却炉の耐用年数は,もう20年できれるわけでございますので,大きな影響を与えますので,ぜひきちんとした体制を組んでやっていただきたいというふうに思います。また,バイオマスということですね,今年は県がだいぶ力を入れているのですね。生ごみから,先程言いましたように燃料を取り出して車の燃料に使うとか,余った木をペーストにし,それをストーブに使うとか,県の方でもだいぶ今年は力を入れてやるというようなことでございますので,県がやっているから良いということではなくて,山形市のごみは山形市で処理しなくてはならないわけでございますので,ぜひこのバイオマス,ごみを再利用するということを真剣に考えていただきたいというふうに思います。そうすることによって,ごみの焼却炉もどんどん減ってきます。そうすることによって,焼却炉も少なくて済むわけでございますので,大きな負担にはならないと思います。バイオマスにつきましても,ぜひご検討いただきたいというふうに思います。  北欧福祉視察結果からにつきましては,医療と福祉の連携については,検討中であるということでございました。けれども,その他の在宅介護をアップさせる方法,あるいは中間施設の充実,それからリハビリ機能の充実,福祉施設と地域の交流という大変重要なことが,報告書の中に記載されているはずでございますので,ぜひ取り入れられるものから積極的に取り入れていただくという姿勢だけを今後とも堅持していただきたいというふうに思います。そして,やはり福祉は山形だと言われるような福祉王国山形を目指していただきたいというふうに思います。  大規模果樹公園構想につきましては,大賛成だということでございますので,ぜひその実現に向けて努力をしていただきたいというふうに思います。消毒が気になるということでございますけれども,1番目の清掃事業でのバイオマスを利用して肥料を作るということになれば,消毒の面でも非常に有効なお互いに活用できるのではないかというふうに思いますので,お互いに連携を図りながら,ぜひ山形のシンボルということで,果樹公園の実現を図っていただきたいというふうに思います。  そんなことで,最後でございますので,くどくどと質問をいたしません。質問はこれで終わらせていただきます。先程も言いましたように,長い間皆様に大変お世話になりましたことを,重ねて御礼を申し上げさせていただきますとともに,山形市の発展と皆様のご健康とご活躍,そしてまた,選挙に出られる皆様の全員のご当選を重ねてご祈念を申し上げまして,私の一般質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 ○議長(武田一夫君) 以上をもって,竹田和義議員の質問を終わります。この際,午後1時まで休憩といたします。     午前11時31分 休 憩  ――――――――――――――――――     午後1時     再 開 ○議長(武田一夫君) 休憩前に引き続き会議を開き,一般質問を続けます。   ~~~~~~~~~~~~~~ ◎大沢久君 質問 ○議長(武田一夫君) 「吉村市長の政治信条,政治姿勢について」ほか4項目について,34番 大沢久議員。 〔34番 大沢久君 登壇〕 ○34番(大沢久君) 久しぶりに壇上に上がらせていただきました。大変緊張をいたしております。私が議長時代,私を本当に支えてがんばってくれた中村議員が今日欠席,姿を見せておりません。私は1日も早く治して,再びこの議場でお会いしたいことを最初に申し上げておきます。  思えば,昭和42年4月の第6回統一自治体選挙で,山形市議会議員に立候補,初当選して以来,9期連続の当選,4月の任期満了をもって,勇退することを決意させていただきました。  これまで,一般質問の機会を数多くもたせてもらい,さまざまな分野で私の政治信条を申し述べながら,政策について,そのつどまじめに提案してまいりました。  今,9期36年間,最後をしめくくる質問とあれば緊張するのは至極当然であり,これまでの活動,山形市政,そして地方自治の変遷など,思いを馳せ,感無量のものがございます。  金澤忠雄市長,佐藤幸次郎市長,今の吉村和夫市長,市議会では17代議長の本田權之助さんから35代の現武田一夫議長まで,多くの先輩,同僚議員に温かくご指導をいただきながら,1日も休まずに働き抜くことができ,支えていただいた多くの市民の方々にも,この壇上から改めて厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。  さて,私が当選をしてきた昭和42年の本市の人口は,約19万人でした。今は,25万5,000人を超えるまでに伸びております。昭和42年の当初予算と平成15年度の当初予算を比較してみれば,昭和42年は,一般会計,特別会計,企業会計を合わせて55億4,800万円,吉村市長がこのたび提案した今年度の当初予算は1,763億5,100余万円,30倍の規模にふくれあがっております。  山形市民一人当たりの所得を見ましても,昭和42年には,30万6,000円でございましたが,今では319万9,000円となり,なんと約10倍にも伸びてきております。  「山形に生まれて良かった,住んで良かった」そのことを目指して今,県都の山形は市街地も,周辺の農村地区も,都市化が進み,様相は一変してまいりました。  奥羽本線には新幹線が走り,中央高速道の建設が進み,高層マンションが次から次へと建ち並び,駅西の霞城セントラルビルは24階,ひときわ目立っております。  その他,公共的な建設物としては,市庁舎が新しく建て替えられ,市立病院済生館も近代的な医療機器設備を充実したものに生まれ変わり,教育関連施設も次々に新しくなってまいりました。私が議員になった以降をひろいあげれば,昭和49年には南小学校が,52年に西小学校,続いて宮浦小学校,桜田小学校と新しくつくられ,中学校も八中,九中,十中と建てられ,また八小の全面改築,山寺小中学校の新築,私の地元第六小学校は,エレベーター付きの新校舎に生まれ変わり,今子供たちは楽しく学校生活を送っております。  その他,教育委員会が管理しているものといたしましては,市民会館,図書館,少年自然の家,総合スポーツセンター,山寺芭蕉記念館,最上義光歴史館,総合学習センター,さらに市街地公民館,地区公民館と莫大な費用を投じながら市民のための施設が,次々と着工され,整備され,県都としての中枢機能が大きく充実しながら,今山形市は未来に向けて,力強く発展を続けていると言えましょう。  9期,36年間に及ぶ,議会内外での,忘れられない出来事,喜び,悲しみ,苦しみ,悩み,たくさんの思い出の中から,執行部の皆様方に,そして,ご一緒いただいた議員の皆様方に,さらには市民の皆様に訴えたいことなどを,いくつかご紹介申し上げながら,私の質問と言うよりも,お礼の言葉を申し上げて,一般質問を締めたいものと思っております。
     最初に取り上げるのは,吉村市長さんの市政運営に対しての政治信条,政治姿勢についてであります。ぜひお聞きしておきたいと思います。  吉村市長さん,あなたは今から3年前,21世紀の初頭に,25万市民の市長に就任しました。  この3月議会には,提出議案説明の冒頭に,世紀の変わり目,歴史の節目において,1期目の市政を預かることができたことを無上の喜びとし,さらに身を引き締めて,その集大成を図る決意で,市政運営に取り組む所存でございます,と述べられました。  吉村さん,あなたが最初に市長に挑戦したときは,今から16年前です。金澤市長が6期目を目指したとき,ここに,そのときの選挙公報がございます。あなたは「県都にみなぎる市民の危機感に,何としても応えなければと決意し,20年の革新市政の流れを変え,保守本流の市政を実現させることが,県都山形の復活につながるもの」と,こう述べて立候補いたしてきたのであります。  2度目の挑戦となった12年前の選挙では「24年は,長すぎる。今交代のとき」のビラ,看板が町中に立ち並び,保守本流の政治をつくるという訴えは,どこかに消えてしまい,あなたは他の市長さんのように,国会や省庁に,積極的に陳情し,実効をあげることが大切です,と述べ,市民の皆様のためならば,どこへでも,飛んでいき体当たりで頑張る決意ですと,公約してまいりました。そしてこの選挙の開票では,一時,金澤市長をリードいたしました。このとき私は,金澤市政はやっぱり長すぎたのか,負けてしまったのかと,思わず頭を抱え,選挙事務所の中には,深い深い溜息が流れたことを覚えております。  最終の集計,得票では1,394票の僅差で,金澤市長の勝利となりましたが,実質的には金澤さんの負け,吉村さん,あなたの勝ちだと私はそのとき思いました。そして,8年前の3度目の挑戦は佐藤幸次郎さんとの戦いでした。そのときの選挙公報では,「これまで,私は強さだけを追い求めて来ました。強いものほど優しくなれると信じていたからです。今は違います。真に優しいものだけが,本当の強さを身につけられるということに気がついたからです。市民の皆さん,山形の未来のために,私を使ってください。語り続けたこの8年,人の心と街を知る」と,こう選挙広報で述べております。  そして,佐藤幸次郎市長の辞任による選挙では,県会議員を辞しての立候補でした。このときの公約では,長年培った政治経験と即決即断の実行力を発揮し,私の人生の集大成として命がけで働く覚悟でございます。市民本位の開かれた市政をともに築いてまいりましょうと,この選挙公報では述べております。この選挙公報,市民本位の開かれた市政を市民とともに築いてまいりましょうと,あなたは力強く述べられました。  初めての市長選では,保守本流の政治をめざす,とこう言い,3年前の市長選挙では,市民本位の市政をめざすと,あなたの政治姿勢は,大きく転換してきた感じでございます。  今,「県民こそ主役」をスローガンとする髙橋県政と県都山形の吉村市長が,何事につけ,緊密に連携し,協調しつつ,市政のかじとりをやっていることを,私は嬉しく思い,そのことを高く評価をいたしております。  ところで,吉村市長さん,これまでも私はこの議場で,話をしたことがありますが,知事,あるいは市長,こういった自治体の首長にふさわしい人とは,どういう人かと。知事や市長にふさわしい人とは,まず豊かな人間性を持った人。約束は必ず守る人。決断と実行,努力と信念の人でなければなりません。それだけではだめなんです。まちづくりのリーダーといたしまして,先見性と創造性を持つこと,そしてまた現実的な処理に当たっては,優れた政治力,指導力を発揮する人でございます。私は私のこの定規で知事や市長を測っております。吉村市長さん,あなたは,この私の定規に,どうでしょう,ぴったりだとは申しませんが,3回,4回と市長選挙を戦う中で,人間吉村和夫は,ひとまわりもふたまわりも大きくなってきたと私は思っております。  市長就任後,2つの国政選挙がありましたね。市長になったばかりの6月,私は鹿野代議士をサポートする市会議員団の責任者として,毎晩個人演説会に出ました。吉村市長もまた,5時を過ぎれば議員の皆さん,鹿野の選挙に行ってまいりますと,こう言って,毎晩のように個人演説会に出ましたね。  市民の皆さん,皆さんの願い,要望は,どんどん出してください。できないものは,できない。なぜできないか,とはっきり答えます。やれるものはすぐやります。検討のうえ,後日返答をいたします。こういうことは私は言いません。即断即決をいたします。鹿野代議士を先頭に高橋知事とも連携し,明るい山形をつくっていくのが,私の仕事,私におまかせください。まったく力強い演説に私もたじたじでございました。  そして,13年7月の参議院選挙です。  あなたの古くからの盟友,木村完爾さんが敢然と立候補いたしましたが,そのとき市長は身体をこわし,市立病院済生館に入院中でした。ビッグウイング前の広場で開かれた出陣式では,高橋知事も応援の挨拶をやり,私も県会議員団,市会議員団を代表して,壇上から訴えました。地方分権の確立,地方をよく知っているこの木村完爾を,何としても,ぜひ当選させてください。強きを助け,弱きをくじく小泉の行革に,地方から反撃していきましょう。木村完爾候補の当選は,今入院中の山形市長吉村さんに対しては,最大の良薬,良い薬になるはずです。声を高くして訴えたことを覚えております。大合併が進められようとしている今,任期最後の年をしっかりと締めくくっていただきたいというのが,私の市長に対する願いでございます。これから1年,市政担当の決意,あなたの持つ政治信条,こういったものをぜひお聞かせくださるようにお願いしたい。これが最初の質問であります。  次は,伊藤水道事業管理者に質問いたします。管理者室の壁には,木彫りの書がかかっております。大きく水と彫られた字の下に,太田道灌が詠んだという「水五訓」,すなわち五つの教えが書かれております。1つ,自ら活動して他を動かしむるは水なり,1つ,常に己の進路を求めてやまざるは水なり,1つ,障害にあって激しく,その勢力を倍加するは水なり,1つ,自ら潔くして,他の汚れを洗い,清濁併せ容るるは水なり,1つ,洋々として大海を充たし,発しては雲となり雨と変じ,凍っては玲瓏たる氷雪と化して,その性を失わざるは水なりと書かれております。人間のあり方を水の性質に置き換えての教え,この言葉の意味を市長はじめ執行部の皆さん,そして,私どもも良く味わっていきたいものです。ところで,わが街山形の歴史はまさに水との闘いだったと言えます。  大雨ともなれば,馬見ヶ崎川や須川が氾濫し町も田畑も濁流に埋まる。逆に,渇水期には田畑はカラカラに渇き,田植えができない,野菜も枯れる,飲み水にも足りない。こいう有様で,先人がいかに苦労したかは,よく,この歴史が物語っているところであります。  昭和45年には上宝沢地区に,飲料と農業用水確保のための蔵王ダムが完成し,また堤防も整備され,洪水の心配はほとんどなくなりました。しかし,水需要は,ますます増大する中で計画され,実施されたものに,最上川中流農業水利事業がありました。西村山郡朝日町四の沢地区から山辺町根際まで,ざっと9㎞に及ぶトンネルで,最上川の水をひいてくるという大事業は,昭和47年に国営事業として着工,昭和61年に完成,総工費は実に255億円,9㎞のトンネルといえば,笹谷トンネルの3本分に当たります。毎秒4tの水が,山形,天童,上山,山辺の3市1町の田んぼ4,000余haを潤すことになりましたが,後世に残る大事業として忘れるわけにはいきません。また,この工事施工の中で,18人もの尊い犠牲者があったことを思い出しております。  市の上水道は,見崎浄水場,松原浄水場,それに村山広域水道寒河江ダムからと給水をいたしておりますが,生活用水も農業用水も当分不足する心配はなくなってきておりますけれども,安くて安全な水をどう確保していくのか。須川の浄水など,きれいな水をどうつくり出すのか。市水道部のこれからの政策展開に期待するところ,誠に大であります。生物は水がなければ生きていけません。その水が年々少なくなり,汚れていくのは由々しいこと。今の世の中,「湯水の如く」水を使ってはなりません。空気と水は,ただといったのは,明治時代のこと。水は貴重で高価なものと肝に銘じたいものであります。環境先進都市を目指しての水道行政の今日的課題,管理者の水に対する考えをお聞きしておきます。  さて,次は,私が議員活動を行ってきた中で,どうしても忘れられないことなど,いくつか事例をあげて紹介してまいりたいと存じます。ぜひともこれからの市政運営に活かしてもらいたいことなどを申し上げます。  最初に,1市2町の衛生処理場建設の問題,すなわち,矢口クリーンセンターのことでございます。  7期28年間に渡った山形市政を担当してきた金澤忠雄市長が,市民の前でハラハラハラと大粒の涙を流し,深々と頭を下げたことでございます。  都市化が進む,人口が増える中で,ゴミ,し尿の処理が大きな問題,沼木処理場の処理能力が限界,どうしても新しい処理場の建設に迫られておりました。  1市2町の中で話が進んで,金澤市長が管理者,共立衛生処理組合の設立,用地の選定,処理場の規模など,費用,諸準備が進み,用地は山辺町矢口地区と決まりました。地権者からは売り渡しの承諾を得,組合議会も用地の取得を議決したことで,工事はスムーズに進むかにみられたのでありましたが,山辺や船町地区の人々が美田を潰すな,よそに持っていけとばかりに,反対同盟が結成され,態度を硬化させた農民は,全面対決の構えを見せ,建設予定地の田んぼには,田植えを強行,耕作権を盾に,建設予定地への立ち入り禁止の仮処分を申請するなど,反対運動は先鋭化しておりました。衛生組合としても,事ここに至っては止むを得ず,建設工事妨害排除の仮処分を申請して対応,結局,裁判所は衛生組合側の申請を認め,同時に反対同盟からの申請は却下されました。  その後反対同盟側からは,何回となく交渉も持たれたのでしたけれども,ついに不調となって決裂。反対同盟は盆の8月17日から現場に座り込み,バリケードを張ったり,夜にはあかあかと焚火を燃やしたりして気勢をあげて,工事を妨害する手段に出てまいりました。  誠心誠意の話し合いも,納得してもらえず,このままでは工事は遅れるばかりと判断した管理者金澤忠雄山形市長は,ついに警察機動隊の出動を要請しました。  道路に座り込んだ農民は,歯をくいしばって,スクラムを組んでの抵抗です。警察機動隊を見ては,「帰れ帰れ」の大合唱がわきおこる中,泣き出す女性,機動隊指揮官の「かかれ」の命令とともに,座り込んだ農民は,次から次へとゴボウ抜きにされ,排除されていったのであります。静かな農村は一時修羅場と化しました。その後は,警察隊の排除によって一段落したのでありますが,なかなか話し合いが進みませんでした。何とか話し合いがついて,昭和45年10月,処理場が完成して操業を開始したのであります。この3月末には業務を終えて閉鎖となりますが,この事業の責任者は,根っからの農民である金澤市長でした。同じ仲間である農民を向こうに回して強行手段を取らざるを得なかった。まさに断腸の思い。機動隊に排除される光景を目の前にして,心の乱れるのは当然。「自分も土に生きる農民。皆さんの気持ちはよく分かります。しかし,行政執行者として止むを得ませんでした。」と涙を流しながらこう語ったことが忘れられません。  機動隊に出動を要請したことは,後にも先にも初めてのこと。私にとっては最大の痛恨事であり,議員一人ひとりが市長と同様に悩み,苦しみ,泣いたことが,きのうのように思い出されます。  吉村市長さん,2市2町立の新しい立派な清掃工場を半郷に建設するための事業が今,着々と進められようとしておりますけれども,地域住民の声をよく聞いたうえで,本当に慎重に事を進め,絶対にこのようなことがないように,執行部も議会も努力してほしいと念願するものでございます。  今,警察機動隊の出動を要請した矢口クリーンセンターの話をしましたが,残念でならない,あってはならないものに,業者などから不正に金を受けとっての贈収賄事件の発生がございました。  昭和55年11月,旧庁舎3階にあった建設部営繕課への家宅捜査。もう1つは,佐藤幸次郎市長が,辞職せざるを得ないところまで追い込まれた3年前の不祥事件。現職の常勤監査委員の逮捕にまで発展,再三にわたっての捜査は秘書課にまで及ぶ有様。今の市川助役が総務部長のときです。毎晩遅くまで,対応に追われ,部長室の灯りは,こうこうと夜遅くまでついていたのも,きのうのことのようです。  このような不祥事の発生は,市政に対する信頼をいっぺんで失墜させてしまいます。  市長以下,全職員は襟を正し,常に身辺をきれいにして,市民に奉仕し,絶対にこのような事件を再び起こすことのないようにお願いしておきます。  次は,金澤忠雄市長が提案した補正予算を議会が否決した案件を話してみましょう。  それは,昭和52年12月の定例市議会での出来事。市水道部関係職員の人勧に基づく給与改定補正予算が,ばっさりと議会で削られ,否決されました。黒木好太郎さんが議長のときです。今は亡き石山孫六議員が提案された補正予算に反対の討論を行い,私が原案賛成の立場から賛成討論を行いました。  そのとき,傍聴席は超満員でございました。石山議員の反対討論が先で,極めて短い討論でしたけれども,「石山まごまごすんな」こういった野次などが飛び交いました。私は一晩一睡もせずに書き上げた討論の原稿に目を向けながら,約1時間にわたって,その不当を論破いたしました。討論ののち,黒木議長は声高に「会議規則第71条第1項の規定によって,ただ今から記名投票で行います。」,こうわれわれに告げました。  そのときの議事録を持ってきておりますけれども,黒木議長は声高に,会議規則第71条第1項の規定により記名投票で行うことを告げたのであります。そして次のように続けました。  「それでは,議場の閉鎖を命じます。出席議員は37人であります。白票,青票を配布いたさせます」と,白票,青票というのはこれです。菊池君,菊池君,白票,青票というのはこれだよ。面白くないんだな。私は辞めていく議員です。最後まで聞いてください。青票,白票という札はこれです,これ。青票,白票を配布させます,各議員は,この青票,白票の2枚が,机の上に渡されました。  そして,黒木議長は一段と声高に,「それでは念のため申し上げます。議第156号昭和52年度山形市水道事業会計補正予算を可とする諸君は白票を,否とする諸君は青票を事務局職員の点呼にしたがって順次投票してください。」,こういうふうに告げられました。「投票総数は,34票,賛成15票,反対19票,棄権3票。反対は多数であり,本件は否決されました」と,議長が告げたのです。  反対の青票を投じた議員は,現在この議場には1人もおりませんが,賛成の白票を投じた議員は6人います。高橋嘉一郎君,枝松昭雄君,武田一夫君,佐藤稔君,浅野泰孳君とそしてこの私です。  自分の信ずるところによって,議員は堂々と自らの態度,表明を明確にして論戦を行っていかなければなりません。議会活性化のためには必要なことでございます。このことが思い出されてなりません。  水道部職員だけ,年末に差額がもらえませんでした。議会は職員を差別したことになります。そしてこの案件は翌年2月,臨時議会が開かれ,満場一致で結末がつきましたけれども,年末,差額のもらえなかった職員の家族,子供たちの気持ちを思うとき,本当に申しわけない気持ちで私はいっぱいでございました。議員のみなさん,市長が提案する案件については,それぞれがよく勉強し,精査して,明確に態度を市民の前で明らかにしていくこと,そのことによって市政は発展していくものと確信するから,申し上げたのであります。  ところで,私は9期36年の議会活動の中で,そのほとんどが総務委員会所属でした。建設,厚生,産文の委員会は2年ずつの6年で,30年間は総務委員でありました。市の総合開発計画,財政,監査,選挙管理委員会,広報,公聴などのほか,税金の課税,収納などを所管する委員会ですね。この中で特に市税の問題について,公正,公平な課税であること。収納率を高めることなどについて,いつも意見を述べてまいりました。市政がしっかりと市民から信頼され,そこではじめて税金は納まってくるからであります。市政を市民が信頼しない限り,なかなか税金は納まってこないと,そう実感いたしております。私は県職員時代,県税の徴収に大変な苦労をしたことを,一時も忘れずにきました。総務委員会の中で,何度か税務職員を激励する発言をしていまいりました。「あの税,この税,役場の税,してまた消費税,ああ息つく暇がない。それを思えばあるものぶつ売って,飲んで食って,死んだほええ」といった秋田音頭の替え歌などを知っております。いいですか,「あの税,この税,役場の税,してまた消費税,ああ息つく暇がない。それを思えばあるものぶつ売って,飲んで食って,死んだほええ」と,こういうこの秋田音頭の替え歌なんです。こんなことも教えられました。そしてまた皆さん,百姓と菜種油はしぼればしぼるほど採れるといった徳川時代の悪代官を思い出したりしておりました。月曜日に放映されるテレビ,水戸黄門の「この紋どころが目に入らぬか」といった,あの助さん,格さんの大活躍を見ては,公平公正な行政,額に汗して働く農民やサラリーマン,あるいはまた障害を持つ人々などに対する温かい行政をやらなければならない,いつも提言したことを忘れはいたしません。本市の市税収納率は類似都市では最高です。全国類似都市のトップにあって,絶えずよそからは,うらやましがられていることを知っております。市民が市政を信頼しているからこそ,この収納率と私は思います。道路について,側溝について,下水道について,注文をつけ,要求をしてきたこともありましたし,少子,高齢化の時代に入っては,暖かい温もりのある福祉施策のより充実を要求してきたこともありましたが,縁の下の力持ちといった,このような存在の,ほかにもたくさんいる市関係職員を,声を大にして激励してきたことを忘れるわけにはまいりませんし,それに応えてくれた関係職員に,私はこの壇上から改めてお礼を申し上げなければならないと思っております。どうぞみなさん,これからも一層の努力をしてください。  ところで,市の税金には電気ガス税なるものもありました。私は昭和48年に市税になった特別土地保有税に関連して,議会の中で,徹底的に追及したことを忘れられません。  金澤市長が提案した決算認定の議案の中に,滞納し,繰越しとなっていた200万円余の特別土地保有税が,突然に不納欠損額として提案されてきたときのことでございます。この件に関しては,絶対に納得できないと,頑強に抵抗したことなどが今,思い出されます。公平で公正な課税,そして税収の確保,どうぞこれからも努力してくださるように願ってやみません。そして,税財源を中央から地方に移譲させてこそ,地方自治,地方分権が実現することを,市民の方々に訴えたいのでございます。  私は私の悲願といたしまして,3割自治の打破,それは分権の時代に即した地方税財源の充実と強化でありました。私どもの長年の要求運動にも,小泉内閣は耳を貸そうといたしておりません。明確な返事を出してきておりません。この4月の市議選を戦う皆さん,市民とともに,市長とともに,地方6団体と一緒になって,街頭から個人演説会でも,お茶の間の話し合いでも,この地方税財政問題を取り上げて,訴えていただくことを,私とどうか約束をしてほしいと思います。  ずいぶんと長々,話をしてまいりました。私に与えられた時間はあとわずかですが,大丈夫ですね。  私の議会議員としての活動の中で,残念だったこと,市民に対して,申しわけなかったこと,こういう出来事を2つほど申し上げましょう。  1つは,1998年に冬季オリンピックが日本で開催されるとあって,長野,盛岡,旭川,そしてわが山形市も,その誘致に手をあげました。市長,議会,市民あげて,誘致運動を展開しました。昭和63年2月には議長でありました古瀬半十郎さんを先頭に,32名の市民を代表する視察団が,カナダのカルガリーにまいりまして,いろいろ視察をして帰りました。その後,議会報にはきちんとそのことが報告されて,カルガリー冬季オリンピックを視察,山形での開催に自信を深める,こういうふうに議会報では市民に明らかにしました。ところがどうです皆さん,活発な活発な運動を展開したと言いました。議会からは5名が参加したとこう思っておりますが,最終的にはJOCの委員による投票で決められることになったわけですけれども,わが山形にはたったの1票も入らない,ゼロ。34票ということで長野市に決まりました。旭川,盛岡にも少しは入りましたけれども,1票も入らないのが山形だったんです。あ然といたしました。市民に対し誠に申し訳なく思って,深く反省させられたものであります。  また,平成4年の国民体育大会が本県で開催されることが決定され,主会場をどこに決めるかが大きな問題となったとき,市長以下執行部,議会あげて,猛烈な運動を展開しました。蔵王地区,現在の蔵王工業団地,黒沢,一部金瓶を含む地区でございますが,そこにぜひとも主会場を山形にと,こういうことで運動を展開いたしましたが,当時,県の決定権を握っておりました,荒木副知事からは天童市の荒谷に決めましたと,こういう発表がなされ,悔し涙を流したことを覚えております。  市長,議長をはじめ,各界あげての努力が足りなかったのではないかと,これまた今,思い出されて仕方ありません。  吉村さん,いいですか。市長以下執行部,やろうと決めたことは,議会や関係団体が本当に真剣に努力していかなければ絶対に成功しない。単にこの手をあげると,そんなことではですね,棚からぼたもちなどということは絶対にあり得ないことを今,痛切に知らされております。  最後になりましょうか。峯田済生館長,相田教育長にお尋ねをしてまいります。答弁は簡単で結構です。  ここに,済生館が出した「患者権章」持ってまいりました。これですね,「患者権章」。済生館と連携をとってくださる「診ます会」の先生のご紹介。こういう2つのパンフを持ってきました。このように書かれています。「済生館では,患者様の権利を守るために,「患者権利章典」を策定しました。今後とも医療の安全管理に取り組み,患者様に喜ばれる良質な医療環境とサービスの提供に努めてまいります」と書いています。もう1つのリーフでは,「済生館は地域で診療に当たってくださっている診療所等の先生方と互いに手を携えて,今後とも地域医療を支えていくお手伝いをさせていただきます。厚生労働省の掲げる「かかりつけ医」の先生方とともに,皆さんの健康を守る使命を果たしていこうと考えております。どうぞ今後とも,済生館と「診ます会」の先生方をよろしくお願いします」こういうリーフです。「医は仁術なり」これは昔の言葉,今は「医は算術」と,こう呼ぶ人が多くなってきております。医療を取り巻く環境は,まさに厳しさを加えています。どのような病院を目指し,どこに重点をおいて,事業の経営に当たろうとしているかを,お聞かせいただければ幸いです。  最後は,相田教育長です。  私が小学校に入り最初に習った国語の教科書では,「ススメ,ススメ,ヘイタイ,ススメ,サイタ,サイタ,サクラガサイタ」でした。そして,「朕惟フニ我カ皇祖皇宗…」からはじまる教育勅語を何回も繰り返し繰り返し読まされ,暗唱させられてまいりました。  昭和15年は,日中戦争の最中でしたが,紀元2,600年の意義ある年として,祝賀行事が,大々的に行われたこの年に,山形中学校に入学しました。1年から5年まで,各学年4組の編成。1年は1組,1年2組,こういうこと1,2,などとは呼ばずに,1組は順組,良組,正組,直組,順,良,正,直ですね。2組は敏組,勤組,剛組,毅組,敏,勤,剛,毅です。3年は恭,険,敬,譲。4年生になりますと組の名前は礼,信,智,勇。5年は忠,孝,仁,義でした。忠組,孝組,先に申し上げました教育勅語では,君に忠に,親に孝にと,こう書いておりますし,学校には配属将校がいて,歩兵銃を持っての軍事教練,国のため,天皇のためと,徹底的にたたきこまれる毎日でございました。  そして,昭和18年,東大,早稲田,慶応,明治などの各大学生も,ペンを捨て,歩兵銃を肩に,神宮外苑から雨の中,戦場へと狩り出されていったのでした。すべてが天皇のため,国のために,一身を捧げるという軍国化の教育であり,私も海軍少年飛行兵を志願し,七つ釦は桜に錨の軍服に身を包み,特別攻撃隊,その訓練の最中に中国は青島で敗戦を迎え,捕虜となって日本に帰ってまいりました。早いもので戦後50数年が経ちました。  鈴木茂三郎先生の「青年よ銃をとるな,教師よ教え子を再び戦場に送るな」この呼びかけに共鳴し,基本的人権の尊重,戦争の放棄などを規定した日本国憲法が,生き生きといかされる山形市政,教育行政をと要望してまいりました。今,教育基本法の見直しが,盛んに叫ばれ,全児童,生徒に配布された心のノートの内容等に表現されている,心のノートとはこういうものですが,国を愛する心,伝統文化の尊重などをことさらに強調しております最近のこの風潮が,どうしても気にかかってなりません。戦前を思い出させるわけであります。  これまでの教育行政を総括し,今何に力を入れて,現場を指導していこうとしているのかを教育長に尋ねます。  最後の最後です。  吉村市長さん,今全世界にイラクに対するアメリカの軍事力行使に反対するデモが燎原の火のごとく広がっております。有事立法の制定をはじめ,アメリカべったりの小泉内閣の姿勢には我慢がなりません。すべての紛争を平和的に解決するためにこそ,日本は貢献しなければならないと思います。一人ひとりが安心して暮らせる平和で自由な社会を求めて,力を合わせて一歩一歩前進していこうではありませんか。  老兵は死なず消え去るのみ,と言った人を知っております。私は現役除隊をいたしますが,4月の市議選を戦う仲間の皆さん,元気な環境都市山形を築きあげるために,全力をあげて必勝を期して頑張ってくださることを祈念をしながら,一般質問を閉じさせていただきます。本当にありがとうございました。 ○議長(武田一夫君) 吉村市長。 〔市長 吉村和夫君 登壇〕 ○市長(吉村和夫君) 大沢議員の質問にお答えする前に,9期36年間,市勢発展のためにご活躍をいただきましたこと,市民に代わりまして,厚く御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。  先程来,友情あふれる話や,あるいはこれまでの山形市の歴史,それから前市長,前々市長がやった仕事について回顧録のような話をしていただきました。非常に私自身も勉強になりました。したがいまして私としましては,申し上げることは,なぜ山形市長として立候補したのかと,この政治姿勢は今でも持っております。それはちょうど平成元年4月1日から,仙台市が政令都市になると,こういうように決まったときからであります。このままでいくと金澤市政と仙台の市政というのはあまりにもひどいのではないかと,したがってずんずんずんずん遅れていくと,誰かここで変わった目線で行くような市長でなくてはだめだと,いうようなことであえて立候補した次第でございます。それが私の信念でありますので,現在もそうでございます。したがって,私の姿勢というのは市民の目線と同じような高さで市政をやるべきであると,いうようなことが私の鉄則であります。そして,けんかをしないで仲良くやるべきだと。これは私の選挙の経験から,そういうことを申し上げたんです。負けた経験です。負ければいじめられます。だから,そういうことは止めるべきだと,あくまでも仲良くすべきだと,そしてその中で頑張っていくべきだと,というようなことが今の姿勢であります。ちょうど警察官導入の話がありました。警察官の導入というのは,これは自治体としてはまったく外聞の悪い話でありますけれども,やはり警察官導入というのは何かがあったのではないかと,いうふうなことを今話を聞きながら,そういう歴史があったのかなと,こういうふうに思っている次第でございます。  それから,中村議員の話が出ましたけれども,今朝6時頃,朝電話がありまして,病院から,今歩いているそうです。元気になっているそうでございますので,やっぱり議長同士なかなか思いやりがあるんだなと,いうふうな気持ちで聞いておりましたので,ご報告申し上げたいと。間もなく元気になって来るのではないかと,こう思っております。  それから今からの問題でありますけれども,大変仕事が多くて,たくさんの仕事が出てまいります。それに対して,1つ1つアカウンタビリティーの,市民の方々が,目でわかるような仕事をやっていきたいと。そのためには議員の皆様方から強力なご支援がほしいと,このように思いますので,改めてお願いをいたしたいと思います。  そして,環境先進都市,生まれて良かった,住んで良かった,そして来てみて良かったと,いうふうな本当に皆から愛される市政というものを実現していきたいと。そのためには命を張っていきたいと,命などという言葉は使いませんけれども,頑張っていきたいと,このように考えておりますので,よろしくご指導のほどをお願いいたしたいと思います。  たくさん私の考え方もありまして,言いたいこともありますけれども,この後済生館長と,それから教育長からの答弁がありますので,第1回目の私の市政に取り組む姿勢について申し上げまして,また時間があればご答弁いたしたいと思いますので,よろしくお願いいたしたいと思います。 ○議長(武田一夫君) 峯田済生館長。 ○済生館長(峯田武興君) 済生館,自治体病院の設立の趣旨とは,救急医療あるいは不採算医療を担当して,地域住民の健康を守ることでありますから,地域の医療機関と相互に連携して地域医療の発展と維持を図ることが必要と考え,昨年4月に地域医療連携室を設置して,急性期の病院として,十分な機能を発揮できるようにいたしました。また,高度で良質な医療を提供するために,最新の医療機器の導入をはじめ,診療科の特化,専門化および看護体制の充実を進めながら,健全な医療経営と住民の健康の確保へと,職員一丸となって努める所存でございます。 ○議長(武田一夫君) 伊藤水道事業管理者。 ○水道事業管理者(伊藤光一郎君) 私には水道に対する考え方だと思いますけれども,水道事業につきましては平成24年を目標年度として,山形市第2次水道事業基本計画を策定いたしましたことはご存知のとおりでございます。この基本計画をもとに,安心と信頼に基づく,環境にやさしい水道づくりを推進してまいりたいと考えております。拡張の時代から維持管理の時代を迎えた現在,安全で良質な水道水を安定的に供給するという水道事業の使命を常に心がけ,適正な再投資や環境負荷の軽減,より高水準の水道など,市民の暮らしと健康を守る施策を展開してまいりたいと存じます。  それから先生から,先程,水五訓についてご披露がありましたけれども,本当にありがとうございました。この水五訓を座右の銘とし,水五訓に学び,水に感謝しながら水道事業を経営してまいりたいと考えております。以上でございます。 ○議長(武田一夫君) 相田教育長。 ○教育長(相田良一君) 私への質問は教育行政への取り組む姿勢ということでありますが,私も忘れることができないのでありますが,平成11年の12月,私が就任してはじめての議会のときにですね,大沢先生から本市における21世紀の教育のあり方という,大変記念すべき,身の引き締まる質問をいただきました。その課題を念頭に置き,これまで取り組んでいるところであります。今後も個々一人ひとりの特性を伸ばして,そして平和を愛して,思いやりのある人になるように,豊かな山形の教育,それから文化,自然を継承・発展させる,地域に根ざす,山形らしい,そういう教育を推進する所存であります。以上であります。 ○議長(武田一夫君) 34番 大沢久議員。 ○34番(大沢久君) それぞれ,市長から,ほかにご答弁をいただいたのですが,ちょっと市長さん,市長さんの政治信条というか姿勢というか,さっきの私に対する答弁ではすとんと来ませんね。正直,すとんと来ません。私が言ったのは,最初はね,保守本流の政治を目指すと言ったんです,あなたは最初。保守本流の政治を目指すと。私たちがそのとき言ったのは,金澤さんの指し示す,市民直結の市政でがんばるんだと。それで今度,この前の選挙のときは,保守本流などというのはどこかにいなくなってしまって,市民本位の市政をやりますと,私に言わせると市民直結でいきますと,こういうふうにも取れるのですね。だから,あなたのこの政治姿勢,政治信条というのは,私の政治信条だったら,戦争の体験からですね,日本を平和な国に,そしてまた県庁で20年働いてきましたし,地方自治を本当に民主化して,住民のための地方の政治にしたいと,こういうのが私の政治信条,姿勢なんですよ。そういう意味で私はお聞きしたかったんです。お答えいただければありがたいのですけれども,お答えなかったらそれでも仕方ありません。  それから,ぜひお願いしたいのは市長以下,市民の皆さん,議員の皆様方も,これから本当に地方政治曲がり角に来ているわけなんですから,今私の耳に聞こえるのはですね,なんだこの不況,何とかしてくれと,また国保税も上がるのではないか,介護保険料も上がるのではないか,そして年寄りの人からはですね,来年4月から年金まで下げられると,明るいことさっぱりないですね。明るいのはたった1つ,加藤条治君がですね山形を代表して,世界にね,山形の名前を広げてくれたことぐらいですよ。ぜひ,そういう意味では市民との対話をもっともっと数多くもって,何だかこの沈みかけている,沈滞した空気を市長を先頭にぶち破っていただきたいと,ぶち破ってほしいと,このことを最後に申し上げて,私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。 ○議長(武田一夫君) 吉村市長。 ○市長(吉村和夫君) 私の公約ですけども,はじめは保守本流,保守本流にならなければ山形市の発展はないと,こういうふうに信じていたし,考えております。2回目の場合は目線でいこうと。ということは,こんなことを言っては甚だ失礼ではありますが,中央の政治が信用できないんです,はっきり言うなら。だから私は方向を転換したと,だからこの立場では言えないからだまっているのであって,私が辞めるときはまだまだ言いますよ。そういうふうなことでありますから,決して私は自分の約束を破ったわけではありません。あくまでも私は保守で行くと。保守の中でも,悪いものは悪い,良いものは良いと決めていくと。私は第1回目のときは保守本流でいこうと。その次の,あれは長すぎると,いうようなことで,私の考え方を変えたわけではないのです。変えたわけではなくて,アピールして選挙をうったと,いうのが私の市長選に対するからみであります。ご理解をいただきたいとこう思います。 ○議長(武田一夫君) 34番 大沢久議員。 ○34番(大沢久君) このたび,市長は県の市長会長になりましたね。今まで以上に責任がどしっと大きくなったと思います。ぜひですね,市長を先頭に,執行部,しっかりと市長を支えてがんばっていただくことをお願いして,終わります。 ○議長(武田一夫君) 以上をもって,大沢久議員の質問を終わります。   ~~~~~~~~~~~~~~ ◎浅野泰孳君 質問 ○議長(武田一夫君) 次に,「山寺観光開発について」ほか2項目について,35番 浅野泰孳議員。 〔35番 浅野泰孳君 登壇〕 ○35番(浅野泰孳君) ただ今,同僚議員の大沢議員の方から,格調の高い一般質問がございまして,本当に傍聴席には大沢夫人をはじめ,多くの友人の皆さんがお見えになったと思いまして,本当に私も同僚議員という立場に立って,感無量の感じで聞いておりました。  さて,皆さん,私は昭和38年,38歳でございました。うちの家内は35歳。そのときにはじめて立候補したわけでありますが,その当時を振り返って考えてみますと,やはりまだ若さがありましたから,何とかして山形市政をもっともっと活力のある,りっぱな市政に変えていきたいと,こういう情熱に駆られまして立候補いたしました。そのとき感じるのは,うちの女房がマイクを持って,城南の地区で住民に訴えたことを思い出しております。  当時は大久保さんが市長でありましたけれども,大久保さんは,なかなか弁舌がさわやかでございまして,なかなかの政治家でありますから。しかし大久保さんがやりましたことについては,1つ1つ取り上げまして,これを直させていかなければならないという1つの決意をいたしました。例をあげますと,例えば都市計画税で,これは山形県内の一番高い税率を賦課しておりました。これを直さなければいけないと。それから,もう1つは消防後援会費というものを各家庭の資産,それから所得,これに応じまして賦課していた。これは人の財産というものを,例えばいくら市の職員であっても,調べて,それを消防後援会の方に流しまして,そして1軒1軒に賦課をするということは,これは越権行為ではないかと。これをやめさせようということになりまして,これも全面的に私どもの主張が正しいということになりまして,これも標準税率に直りました。こんな思い出がたくさんありますが,この今回の議会でちょうど40年,40年,連続10回の当選を果たさせてもらいました。これは本当に長いようで短い期間であったと思いますが,この私を支える家族というものは,本当に並大抵ではない苦労があるわけです。あえて今日はこのことに触れましたけれども,これは会議録に残るわけでありますから,これをぜひ私の子供や,あるいは孫にぜひ読んでほしいと,こういう感じで申し上げるわけでございます。  さて今,大沢議員も触れておりましたけれども,今回の平成15年度の国の予算,この予算をめぐりまして,大変なことを小泉内閣総理大臣は触れられておりまして,国民からは非常に大きなショックと言いますか,大変な憤激をかっております。それは今,わが日本がはじめて経験したことのない,「デフレスパイラル」。これは本当に大変なことでありまして,これから脱却できないということ。そして経済関係では閉そくした経済環境をどう直していくのかと,どう景気を回復して,そして中小零細企業や働く皆さん方の生活に光が当てられるような方向を見出すと,こう思っていたのでありますけれども,その不況克服の方向性,こういうものを見出していくのか。あるいはまた,国際的にちょっと考えてみますと,皆さんすでにご案内のように,北朝鮮はますます態度を硬化をして,そしてミサイルをぶっ放すと,こう出ておりますし,拉致事件はますますエスカレートしていると,こういう,常識では考えられないことについても触れられておりますが,しかし,何ら制裁のあるものではなくて,精彩を欠いているというように思っております。加えて平和的な解決を望む日本の国民はもちろんでありますけれども,世界の国民が今日ほど,ベトナム戦争以上にこの戦争は回避しなくてはならないと,こういうことで本当に燎原の火のごとくという言葉の例えでありますけれども,そのように燃え盛ってきております。そういう中で,国連の安全保障理事会の方向性を見定めるというようなことで,曖昧な態度をとって国際的に臨んでいるようでありまして,まさに一触即発の極めて危険な状態に今,置かれていることはご案内のとおりであります。  そうこうしているうちに,ただ今の大沢議員の発言と重複しますので,割愛しますけれども,やっぱり今,日本の場合には少子高齢化と言っていますけれども,まさに高齢化が,この平成の20年には最高のピークを迎えると,間もなくそのピークが来ると,こう言われておりますけれども,医者代は上がった,あるいは年金が切り下げられると,まったく年寄りに対して冷たい政治が行われているということで,大きな不満が今,寄せられております。公約に掲げております構造改革の問題につきましても,改革は半ばにあるのだということを理解してほしいし,これを容認しなさいということで,まさに精神論を自分の言っていることは精神論だということで,額に汗して働く人々にとっては,そのこと自体が若い人の夢であります,マイホームの建設,これに対するローンの返済というものにも困り果てる,こういう状態でありまして,それに介護保険なども,また引き上げられると,こういうことでありますので,年寄りも若い人も,まったく今の政治ではまさに信頼できないと,こういう状態にあるということを今,言われております。それに同調しまして,与党3党も数の力にものを言わせて,強行しているのが,現実の,今の日本の政治であります。加えてそのことが地方政治を預かっている,われわれ自治体にも大きくのしかかりまして,きのう,おとといの吉村市長の提案理由の中でも触れられておりますように,誠にもって危険な,しかも綱渡り的な市の行政をせざるを得ないと,こういうふうになっておりまして,また,それに関係して小泉首相は自分が総理をやっている間は消費税を上げませんと,そんなことを言ったって,それは一時の人気取りであって,例えば今,周囲は経済界の大御所は,消費税は15%ぐらいに上げなくてはならないと,こういうことを言っておりますので,果たしてそういったその抵抗勢力を乗り切ることができるのかどうかと。こういうことを考えてみますと,極めて大変でありまして,そういうことを言えば,ますます政治不信というものが高まってくるのではないかと,心配をしているところでございます。  後ろ聞こえますか。声が低いもので聞こえますか。ボリュームを上げてもらったのですけれどもね。  そこで私は大沢議員の話と重複する点はちょっと除きますが,吉村市長に特に考え方をお聞きしたいのですけれども,今,まったく安保理の結論がどう出るか,これは誠に重大関心を持たざるを得ないと思うんですけれども,例えばアメリカにしましても,イギリスにしましても,あのように大きな国民の反対の動きが出ておりますけれども,わが日本もそろそろ態度を明確にしなくてはならないと,こういう瀬戸際にありますので,せっかくつくりました平和の鐘ですね,ちょうど玄関の前にありますけれども,あの平和の鐘「千年和鐘」とこう言っておりますけれども,これの魂を継承する意味でも,山形市民に呼びかけをしまして,ぜひこの危機的な状況にあります,イラクの問題を中心とした戦争への危機というものから回避するための施策と言いますか,こういうものをぜひ盛り上げる必要があるのではないかと,こう思っていますけれども,吉村市長のお考えをお聞きしたいと思います。  その次に,今,議長の方から言われました,山寺の問題について,触れてみたいと思います。この山寺の問題というのは,私も40年間,委員会や何かでだいぶ問題を提起したわけでございますけれども,俳聖芭蕉が言った,「閑かさや 巖にしみ入 蝉の声」,というこの句がありますけれども,それにふさわしいような状態ではなくて,中身はお寺の住職対とりわけ観光協会,これの対立関係というものが本当に目に見えないほど,し烈な状況に置かれております。ですから,例えば観光客が車で山寺に入るということになりますと,先を競って自分の駐車場にこれを誘導すると。誘導されるがままに入って見ますと,自分が買いたいものがそこにあると。で,買ってきたと。そして帰って来ると思ったら,うちの方から買物をしてくれないとするならば,駐車料金を納めてほしいと。しゃくに障ると思って1万円を出したところが,釣り銭をよこせと,返してくれと言ったところが,返さない。領収書をください,これも書かないということで,ついにいらない,結構ですと言って帰ってきたと,大変な憤激をかっているわけですね。こういうことは,やっぱり行政がいったい何をしているんだと,こういうような言葉で市民から返ってくるわけですね。まあ,この議員の仲間の中でも,山寺に行って体験されたと思うのですけれども,そういうことが,多くの人が体験しております。あるいはあの橋をわたって,芭蕉記念館まで行きますと,あそこは無料駐車場があるんです。隣りに行きますと,風雅の国があります。あそこの無料駐車場,これに駐車をして,そして山寺の町を見ながら,上の寺の方に登っていくという人がいるようでございます。ですから何と言っても,これはやっぱり駐車場が足りないということなんですね。私も産業文教委員会にいた当時に,私と枝松君と2人が担当になりましたが,あの観光協会と大きな議論をしたことがあります。そしたら向こうの言い分は,これは行政で大きな駐車場をつくってもらわなければ困ると。ぜひしてくれと。こういうものですから,やっぱりそういう他力本願ではなくて,自らそういうことに対する取り組み,姿勢というものを明確にしてもらわないと困るんだと。例えばちょうど隣りの高瀬,高瀬には風立寺という寺がありますけれども,この風立寺は同じ天台宗であって,立石寺よりも古い歴史があるのです。そこの場合は,東北の岩手,宮城,それから青森ですね。それからこっちへ飛んできて米沢,福島,こういう方面からだいぶお参りにくるのです。そのPR,宣伝というものは自前でもってつくってあげていると,こういうことでありますけれども,そういう気持ちが全然ないです。頭から行政でつくってくれる,それではいかんと,言ってあったのですけれども。それから間もなく,当時,立石寺前のトイレが汚いというので,行政であのトイレをつくったという過去の経過がございます。私はそういう意味で議会の中から大きな反対が出てくるのではないかと,つまりあそこは宗教でありますから,そういう意味で行政がそういうふうに自ら金を出してやるということは問題があると,必ず出てくるのではないかと思って心配していたのですけれども,その人は立場があっても,反対をしないままに現在残されておりますけれども,そういうようなことはたくさんあるんですね。ですから,いろいろ関係する人と話し合いをしてきましたけれども,寺と住職と住民,観光協会,これの考え方がどうも違っていると。寺のお坊さんは,われわれがあるからこそあなたの商売はなっていると。お店の方はわれわれがむしろ皆さん方に協力をしているんだと。こうお互いの言い分がかみ合わないと,こういう状態があるんです。ですから,これはもう行政がいったってだめなんです。だから,何といったってやっぱり行動力を持っている,吉村市長が先頭に乗り出して,この諸問題について和解する方向でぜひ努力をしてもらって,解決をしてもらいたいと。  その駐車場の問題でもう1つありますが,あそこのちょうど立谷川の橋がありますけれども,その上にバスが停車しているんですね,バスが。これはもう明確に法律違反でありますから,そんなこともうへっちゃらなんですね。そういうその法外なことを平気でやる住民ですから,これはぜひ吉村市長が乗り込んでいって,話し合いをする中でお話をつけてもらいたいと。
     それともう1つには,あそこには温泉が出ると,こう言われております。既に市長も耳に入っていると思いますが,その湯権について持っている人も,やっぱり行政がもっとバックアップしてもらえれば,われわれもやる気があるんだよと,こう言っております。ですから,ぜひあそこにボーリングをしてもらって,そして観光客があそこを通過しないように,あそこに泊まってゆっくり山寺を回遊してもらうと。そういう意味での宿泊施設をつくってもらったらどうかということを考えておりまして,そして,あそこから今後はずっと面白山方面に行きますと,ここにはご案内のように現在の交通アクセスとしては,JRの電車が,われわれ停留所と言っておりましたけれども,今は高原駅となりまして,各列車が全部止まってくれるので,観光客は非常に助かったと言っておりますけれども,もう1本,これは今度直接行政の仕事になるのだけれども,山寺から所部を経て,そして面白山のトンネルまでの間に,あのとおり狭い道路があるわけですけれども,あの道路が,もし57年に蔵王温泉であのような大火がございました。十何人か亡くなったわけなんですけれども,あのような状態になったときに,いったいどうなるんだと,考えただけでも身の毛がよだつような状況に置かれます。ですから,せめてものあそこ紅葉川線を全面的に拡幅するということが,山形市にとっては本当に大きな課題ではないかなと,こう思うわけです。しかし財政が伴う問題でありますから,これは全面的にやれないとすれば,ぜひ,途中に退避する所,行き違いが可能になるような所の場所を数カ所つくってもらって,対応してもらったらどうかと,こんなことを考えているところでございます。  次に,国も非常にこの観光客,観光の問題について力を入れてきております。国土交通省としましても,日本の場合は海外に出て行く人が,入ってくる人よりも多いと。むしろそれだけの客を日本で呼ぶと,そういう体制をつくってほしいと。こういうことで全面的に国の方で金を出してPRをしていこうと。こういう今,動きになってきております。そこで,私が申し上げたいことでありますが,それをやるために当然,国の方におんぶするわけではないんですけれども,今年の正月ですか,県内の各市町村で自分の自慢できるものをPRしてほしいということで,PRしたのはありますが,しかし山形市の場合は,もっとそういうことをやるときに,自分のお金でやらないにしても,やはりプロジェクトをつくって,本当にすばらしい,ぜひ行ってみたくなると,こういうようなテレビを通しての宣伝というものを考えてみたらどうかと,こう思っているわけです。幸いにして,このたび今度,飯豊町を中心とした映画が出たようでありますけれども,飯豊町の場合などはトップで,県内ではトップまでに評価をされているようでありますけれども,ぜひ,そういうように図っていくべきではないかとこう思います。もちろんこういう宣伝のためには,今ちょうど今年10年になりますけれども,コンベンションビューローがありますけれども,コンベンションビューローも,もっともっとあそこに働く人々がノウハウを持って,そして観光宣伝,あるいはそういう意味で多くの人を誘客してくると,こういう仕事が本務でありますので,国際的会議やあるいは各種学会,展示会,全国的な大会などを誘致して,そして地域の経済の活性化を図っていくというのが,1つの目的でありますので,今日まで先般新聞にも報道されておりますように,波及効果として約25億円くらいの,波及効果を生み出したと,こう言われておりますので,そういう意味ではただ単なる数合わせではなくて,例えば行政から派遣するにしましても,これは私は北九州に行って勉強してきたんですが,あそこのビューローの場合は,行政の本当に造詣の深い人,あるいはその中でも銀行であるとか,あるいは交通会社であるとか,そういうところから人間を抜いてきまして,そしてスタッフに入れているんですね。そういうように行政から実際,人を入れてもらうということをやれば,もう少しうまくいくのではないかなと,こんなことを考えておりますので,そういうコンベンションの機能を十二分に発揮されるように,1つ,市長はあそこの理事長でもありますので,そういう立場でぜひ努力してもらったらどうだろうかと,こういうように申し上げる次第でございます。  それから,先程も除雪の問題が出ましたけれども,私も今年の除雪の問題を通じまして,感じたのでありますが,やっぱり追加補正をしましたのが3億5,000万円,当初予算が約7億円ですね。7億円のお金が今年の除雪,あるいは排雪にかかった経費なんです。ですから,これをただ単にお金を払って除雪すればいいと,こういうものではなくて,やっぱり雪に克つと言いますか,克雪と言いますかね。こういうことをこれからは,この雪国の場合には考える必要があるのではないかなと,こんなことを考えているわけです。と言いますのは,例えば今,山形市の市道が総延長が1,900何㎞ありますから,約2,000㎞ですね。その2,000㎞に近い市道がありますが,各住民から要望が来ておりますのが,ちょっと調べてみますと700件ぐらいある。700件。700件のほとんど,これが側溝なんですね。側溝をやるとしましても,新設の場合はそれの倍。そうでない改良ですと,片側となりますけれども,これをやるためには大変なお金がかかると。そうしますと,全部終わらないうちにまた出てしまうと。こういうことでイタチごっこみたいな格好になりますので,そういうことのないようにするために,ぜひ考えてほしいと思うのが,降った雪を,克雪ですから,降った雪をいかにして自然の力を借りて排雪するかという考えを,この際持つべきではないかと,こう思うわけであります。それはいったいどういうことかということですと,これはやっぱり今税収が非常に落ち込んでおりますので,何とかしてその市の財政そのものを潤すと,そういうことを考えてみますと,今全国的に各市町村でやっておりまして,効果を上げておりますことには,いわゆる公募債ですね。公募債を考えてみたらどうかと。公募債でもって,しかもそれは年数を短期間にして,そして金利も普通の銀行の利子よりも若干色をつけて,そのかわりいつでもおろすことが可能だと,こういう方法で公募債を募って,財政の体制を整えたらどうかと,こう思うんです。ぜひ,そういうふうなことを研究をしてもらってもらいたいと思います。  それから,3つ目は山形市は5つの国際的に友好都市があるんですね。姉妹都市があるわけです。1つにはオーストリアのキッツビューエル。キッツビューエルには,われわれも100周年記念のときに大挙してあそこを訪ねましたけれども,あの有名なトニー・ザイラーと会ってまいりましたが,そのトニー・ザイラーが山形の蔵王に来まして,新潟県の長岡市出身の鰐淵晴子さんと蔵王でクランクインしたと。それも非常にヒットしまして,あれがきっかけになって蔵王が世界的に有名になった。あれが,最高,蔵王に来る観光客が増えたわけなんですけれども,だんだんと減っていってる。当時からみると,今,年間にして約9万か10万くらい少なくなってきておりますから,そういうことで,もっと姉妹都市をこっち山形に誘致して,そしてどこに行っても花笠踊りは有名になっていますので,ぜひそれに,キッツビューエル,あるいはロシアのウランウデとかですね。あるいは私も行きましたけれども,オーストラリアのスワンヒルと。それから中国の吉林ですね。去年,一昨年,私も吉林まではじめておじゃましましたが,あそこに行きましても,教育長も一緒に行きまして,一緒にあそこで花笠パレードをやったんですけれども,非常にどこに行っても好評なんですから,そういう人方を呼んでね,代表団ということでなくて,もっとツアーでもって来てもらえると,いう体制をすればもっともっと交流が深まるし,それを1つの契機に経済交流まで発展していくと,いうことにしていく必要があるのではないかと,こう思っているわけです。  それから蔵王の話が今なりましたので,蔵王のスキーでこの間ちょっと新聞報道されましたけれども,せっかく宣伝しましても,この間のようなあのゲレンデで事故が出ますと,これが1つのダメージになりまして,せっかく蔵王の人気を取り戻したみたいになっているのですけれども,この間の事故にあいまして,幼稚園の子供が重症を負ったと。その重症を与えた人がどこかに逃げてしまって,出頭もしてこないと。こういうことでは非常にそのイメージが悪くなるんですね。ですからああいったようなことについては,ひとつ市の観光行政の方としても,ぜひ二度とそういう事故がないようにと,手を打っておく必要があるのではないかとこう思います。報道によりますと,翌々日あたりまたああいう事故が発生したように聞いておりますけれども,そういう点がまた出ないように,新聞沙汰にならないように,ぜひ,ひとつ取り組んでほしいと思います。そして,温泉が非常に多いので,温泉に来る人も楽しみにして来ると。しかし,その温泉も,これもテレビで放送されまして,イメージダウンになったことには,村山市のあの温泉を利用した人が,いわゆる大変な菌に侵されまして,主として年寄りにおいてですね,レジオネラ菌というんですか,その菌が出ると。そういうことでは困るので,これは山形市で直接関係している温泉もありますから,そういったところは二度とないように,やはり行政できちんと指導をしてもらいたいと思っております。  それから,もう1つ,蔵王で気がついていたことなんですけれども,このイメージが落ちた割には,前の若人の祭典ですね。これはインターハイかな,インターハイですね。インターハイのときに,若い人が泊まったときに,山形の米がうまいということで,おかわりする子供が非常に多かったようなんですけれども,それを求めたお客に対して,ずいぶん嫌みをこう言ったと。これがばっと広がってしまって,なんだ,けちくさい考えだと。こういうことでお客さんに対して失礼ではないかと。こういうことがあったんですけれども,そういうことはやっぱりあってはならないことなんで,ぜひ,そういう点も接客態度として,マナーとして指導というものをもっとやってもらう必要があるんではないかと思っております。  それから,私がちょうど平成7年ですか,そのときに問題提起いたしました,環境問題ですね。環境問題について提起したことがあった。当時は金澤さんが市長でありました。助役が佐藤幸次郎さん,この人でありましたけれども,私は東大のゼミでもって参考書にしてやったのを中心に,いろいろ議論を展開したわけなんですけれども,まったくその勉強が不足といいますかね。そういうことからして完全な答弁ができなかったことがあるんですけど,特にそれから,ちょうどあれはリオデジャネイロですからね,この京都の前は。それ以来,ずっとこの環境問題についてはあまり関心がないと言いますか,そういう状態が続いてきたと。そして一番問題になるのは学校給食,いわゆる直営ですから,あそこでつくって学校に配給するに,いわゆるその容器そのものが悪いというので,これは教育委員会で大変苦労して全部取り替えたということを聞いておりまして,大変喜んでおりますけれども。あと二酸化炭素ですね,CO2。これの関係のことも前に触れているんですが,このたびCO2を削減しなくてはならないということで,メーカーでは電気自動車ですね,これを今度開発したようでありますけれども,しかし値段が非常に張っておりますので,全面的に庁用車をこれに切り換えろと言ってもこれは大変だと思いますので,そうは言いませんけれども,順次この電気自動車に切り換えていくと。こういうことが非常に,つまり役所としても大事なことではないかと,こう思いますので,今後この二酸化炭素を具体的に減らしていく方策,これを1つお尋ねしたいと思います。  それから,もう1つは交通問題ですね。交通問題で非常に今,困っているのは交通渋滞がある。交通渋滞の解消の問題で,いろいろ私も研究してきたんですが,1つには石川県の金沢市ですね。あそこの場合のあれは,パークアンドライドと言いまして,これは自分で自家用車で来ましても,車で街へくると非常に混むと,それでは困るというので,終点まで行ってそこで車を置いて,そこから公共機関,輸送機関としてのバスへ乗り換えて近くまで出て行って,そこから進めると。こういう方法でいるようですけれども,そういう方法を考えれば,よほどその交通渋滞というものは緩和するのではないかと,こう考えるんです。今度,バスもだいぶやり方が変わってきたようでありますけれども,ぜひそういうことを交通行政として,ぜひやってほしいと思います。  それから,最後になりますが,先程言った水の関係ですね。これは除雪にも関係しますけれども,これは水を必要としますので,つまり,それには五堰の水をまず使うと。清流を利用するということはちょっと問題があるのではないかと思うのですが,全面的に出るところから須川の川に入るまでのところ,全部を利用するのではなくて,やっぱりこれはあとは技術的なことになりますけれども,五堰の水を一部使って,一部を還元すると。あるいは各企業から出る水,排水,これを利用する。あるいは市で言えば温泉が今,市営のやつがあるのですけれども,そういう温泉の排水を利用する。こういうことにしていけば先程も言った,どなたか言ったんですが,排雪するには非常に困るので,消防団に,消防団にそんなことをやれと言っても反発するのが関の山ですからね,そうではなくて,やっぱりそういう行政で努力をしていくということが私は大事だと,こう思いますので,それをパイプを,ビニールで良いと思うのですけれども,蛇行型に入れまして,そしてこれはつぶれるということがないわけですね,ビニールパイプですから。そうしてやっていけば,大変,温度差を利用して雪がと融けると,こういうふうになることと思います。今,日本地下水の桂木さんのところでは温度差が1℃あれば大丈夫だというようなことで今,研究しているようですけれども,なかなかまだ,実際市販までしていないようですが,そういうことを行政でも1つ考えてみる必要があると。一例を言えばですね,ちょうどあそこ,元の刑務所の跡からずっと西へ下がって行くと,奥羽本線をまたいでいる橋がありますけれども,あそこのところに下にくぐっているのは御殿堰ですか,八ヶ郷ですね。八ヶ郷のあれがかわるとですけど,あそこの川の水を利用しようというのが,かつての,今の中流ですね。中流の水はあそこを利用していたのですけれども,今はいらなくなった。したがってポンプが腐れてしまって使い物にならない。ポンプだけ買いまして,あのポンプで上げまして,あそこの下りの坂道にずっと,それパイプ,これビニールパイプではないのですけれども,あれ入れてもらったんですけど,これは本当に,嘘のようにきれいに融けるんですね。そういうことをちょっと知恵を働かせれば,そういうことになっていくので,ぜひそういうことで検討をしてもらってみたらと,こう思っております。  時間がなくなってきますので,先を急ぎますけれども,最後になりますけれども,連続10回,40年務めさせてもらってきたのですが,その間,大久保伝蔵さんを中心としまして,4人の市長とともに微力でありますけれども,議席を務めてまいりました。これも職員はじめ,同僚議員の皆さん方の温かい友情に支えられてこそ,今日までまいったと思っておりまして,おかげさまで健康に恵まれまして,大過なく,愉快に過ごしてまいることができました。思い出はたくさん,枚挙にいとまがないほどありますけれども,やはり何をやるにしましても,執行部と議会というものが,車の両輪のごとく一体となって取り組んでいくということが非常に大事だということを考えております。  山形市の玄関口となります,山形駅。昔の古い山形駅ですね。あれを民衆駅に,今の駅になる前の民衆駅にするために,どうしようかというようになったことがあるのですが,これも,それとあれは奥羽線の全線電化の問題。それから新幹線開業と,こう変わっていくんですけれども,これには私も国鉄マンとして,ずっと30何年間勤めた関係などもありまして,それに議会の,当時は山本さんが議長でありましたけれども,議長を先頭にして,当時は運輸省でありますけれども,そこの運輸省の中でもまあ営業局から施設局からたくさんありますので,マンモスみたいな機関であったのですが,そこに働きかけをすると。あるいは衆議院,参議院にたくさんの友人がいる関係で,そういう人も活用するというようなことの運動を展開したと,いうようなことが思い出として残っております。  それから,親にも子供にも責任がないんですけれども,子供の成長とともに,声が出るけれども言葉にならない声を出すと,いうことからしまして,その子供の前途を悲観して親子無理心中したという事件などもあったのですね。そこで,私もそういう意味で,ぜひそういう恵まれない子供のためにと思って,当時の県の教育庁に話をしたところが,ぜんぜん話にならないと,話がかみあわないと。そういう施設はありますと。どこにあるんだと,よくよく聞いてみますと,盲ろうあ学校なんですね。盲ろうあ学校ではないと言って,いくら話しても,話が通じないということで,その専門の,仙台からその先生を山形に呼びまして,説得して,そして今,第一小学校の中にあります,言葉の教室,これをちょうど昭和42年にあそこに開校させたのですが,ここに市長行ったことがありますか。この教室行ったことがありますか。ことばの教室,障害児学級ですよ。第一小学校にある。これに行っていないとすれば,ぜひ行ってみてください。これやっぱり言語障害の1つなんです。言語障害というのは人間に5%いるというんですね。例えばどもりであるとか,それから舌形態とかね,いろいろあるんですね,そういうのを治療によって直す。それからことばの教室では,今度先生方がいろいろ指導をすると。だから親子ともにそこに行って勉強をするわけですけれども,そういうところへ行ってもらって,そして卒業式のときに親が謝辞を述べるのですけれども,その謝辞のときに子供が教科書を読んでいるのを録音テープで流されるのですが,子供の場合は,言葉にならない言葉だったのですが,そこを終えて,そして立派に標準語で読むと。こういうものを目のあたりにしました親が,言葉にならないような,いわゆる涙でもって話にならないほどであったということも,私も体験しているのですけれども,ぜひそれは山形市立第一小学校の中にありますから。あなたは市長になって間もなく3年目ですね。来年の春,2月に改選を迎えるわけですから,市長としてまだ見ていないとすれば,ぜひとも,車椅子で行ってくれとは,私言いませんけれどもね,あそこの前まで車で行けば大丈夫なのでね,ぜひとも1つ見てもらいたいと思っております。  それから,先程も国鉄関係で言いましたことが,もう1つなんですが,第二公園の中に機関車があると,機関車が。これは昭和42年ころです。これもあそこにSL,子供の人気になっておりますSL,ちょうどD51とか,そういうのが非常に人気あるのですが,残念ながらD51はこっちにひっぱることができなかったので,そこに8600形式という機関車を以前ただでもらったんです,あれはね。山形市の方に貸与になったんです,貸与です。くれるというと問題が出てくると。無料で提供してもらったんですね。それは当時,山口さんという人が,ちょうど八幡出身の方ね,この人がおりまして,その人が秋田の管理局長で来たのを契機として,山形の奥羽線を走った機関車ではないとだめだと言うので,ここ走った機関車なんです,あれね。あれに親と一緒に行って子供たちが乗っかって,そして運転席に座って非常に喜んでいるんですけれども,そのちょうど傍の方にはD51,D51。これがあるもんですから,そのD51の動輪だけね,動輪だけあそこに飾ってありますけれども,二中のPTAもぜひほしいというので,ここにもC11形式の動輪,動輪は動く輪と書きますけれども,この動輪だけですけれどもね。そういうものを子供の教材にということで,PTAがそこに飾ってありますけれども,やっぱりあの教材は,できないことを言うならば,いわゆる粘着力と,レールを走るために,粘って着く粘着力とそれから引っ張る力,シリンダーで引っ張る牽引力と,これがかなりバランス良くて,はじめて走るわけですけれども,それがどっちかが狂ってしまえば空転すると,こういうふうになるんですから,そういうことで教材に学校では使っているんですけれども,小さい子供らには,いわゆる情操教育という意味であそこにありますので,これも1つぜひ,まだご覧にならないとすれば,いつかのついでにね,ぜひ見てもらいたいと思っております。  それから,最後になりますが,いやあの,思い出を語っているんですね。これにも吉村市長には大変心配をかけましたけれども,やっぱり県立病院が向こうに行ったものですから,その代わりということで,私が県知事から最初は西の方にと,こういうことであったので,われわれも西部議員団として一生懸命だったのですが,残念なことに向こうに行ったというので,だとするならば,ちょうど線路を中心として西の方というのは,ちょうど山形市人口のちょうど12万,半分,半分が向こうにいるんです。ところが今,県立病院に行くにはね,ちょうど私の家から行ったら3,000円もかかるんです。片道ね。非常に交通費がばかにならないということなんで,その運動をしてきたんですけれども,おかげさまでいわゆる昔のJTの跡,約8千坪近いところですけれども,ここをちょうど去年,一昨年の12月31日,土地代13億円の金を12月31日に払って,契約して,そして間もなくあそこで起工式をやると,いうことまでこぎつけました。そして当初は5千坪のところを買っていたのですけれども,それでは話にならないというので,今度は約8千坪使える場所ですから,そこに移るのですけれども,設計がまるっきり変わってきたので,私設計を見せてもらったのですが,今度は地下1階,地上9階,そして9階の頂上には,いわゆるヘリポート,これをつくってね,そして徳田虎雄理事長が山形は日本一の病院をつくると,こういうふうに私共に公言した関係などもあって,まだ全国では数台しかないそうですけれども,すばらしい優秀な機械を,3,000万円くらいする,いや,1,000万円くらいするそうですが,それをここに入れると,こういうことです。間もなく起工式がはじまりますので,これは竣工がだいたい17年に入るようです,できあがりが。そこに働く人が約300名,山形市民が増えるわけです。税金も入ってきます。山形では企業誘致と言ってもなかなか来る場所がないのですね。そういう意味で,せっかく市民の,済生館も県立もありますけれども,そういう意味で,やっぱり市民の命に関する問題について,医師会とも仲良くやっていけるというので,医師会の方も最近では何も言わなくなったようですけれども,途中は,去年,一昨年までに私の家には毎晩のように電話が来ました。脅迫電話に近い,あれなかなか知能犯ですね,相手は。そういう人があったんですが,そういうこと最近はぜんぜん出てきませんけれども,やっぱり4万名の人の署名を拝見して,佐藤幸次郎市長のときに,それに同意をしてもらって,それがきっかけでありますから,そういう意味では農林部長,それから,そういう人方の大変な力を借りました。  3時までだから,答弁はもらえないかな。答弁はいらないんだ。答弁はいりません。時間がまだ5,6分ほどありますから,だからこういうのにこたえないことにしているのですけれども,時間がないのであと止めますが,とにかくいずれにしましても,大変長い間お世話になりまして,今年退職される人も,執行部では,聞くところによりますと,7,8人辞められるということですが,大変ご苦労様です。本当に長い間,市政発展のために,ご努力願って衷心から感謝を申し上げたいと思います。そしてまた同僚の皆さん方にも,これが最後の壇上でございますので,皆さん方には,ぜひ当選をされまして,そして21世紀の本当の大事な年でありますから,ぜひ頑張って全員当選されるように心からお祈りしたいと,こう申し上げまして私のあれを終わりたいと思います。答弁は必要ありません。 ○議長(武田一夫君) 以上をもって,浅野泰孳議員の質問を終わります。  以上で,本日の日程は全部終了いたしました。  ―――――――――――――――――――― ◎休会 ○議長(武田一夫君) この際,お諮りいたします。委員会審査のため,明日から3月6日まで6日間,休会いたしたいと思います。これにご異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 ○議長(武田一夫君) ご異議なしと認めます。よって,会議は明日から3月6日まで6日間休会することに決しました。  ―――――――――――――――――――― ◎散会 ○議長(武田一夫君) 本日は,これをもって散会いたします。     午後2時50分 散 会...