和歌山市議会 2003-06-30 06月30日-04号
これは、御遺族の方々が命の尊さ、重さを伝えるため、声なき声を伝えるためアートとして行っているものであり、このパネルに張られているメッセージや遺品を見て受け手がどのように感じるか、受け手の感受性にゆだねるというやわらかさがアートとして全国の自治体や市民に理解されてきているものであります。
これは、御遺族の方々が命の尊さ、重さを伝えるため、声なき声を伝えるためアートとして行っているものであり、このパネルに張られているメッセージや遺品を見て受け手がどのように感じるか、受け手の感受性にゆだねるというやわらかさがアートとして全国の自治体や市民に理解されてきているものであります。
まず、委員から、今回、提案に至った経緯と予算の内容についてただしたところ、当局より、有吉佐和子氏の遺品等について、遺族の方から寄贈したい旨の申し出があり、昨年、県市共同で開催された「有吉佐和子特別展」の際、市長から県知事に対し、資料館設立に向けた協力の申し入れを行っており、当予算についてはそれに係る全体構想・基本構想策定のため、さまざまな調査研究を行う検討委員会の開催等に要する諸経費である旨の答弁がありました
重要文化財や、また遺品としてのこうした出土展というのは、整理、分類、保存されておりますけれども、残念ながら、こうして展示された古墳からの出土品とは別に、整理分類されていない、まだ保存状態が非常に悪いこういった出土品を和歌山市は多数持っております。 現在、古墳からの出土品の保管がどこにされているのか、また今後、保管、管理をどのようにされるのか、この点をお聞きしたいと思います。
そして、有吉さんのすべての遺品を寄贈したいという、そういうふうなお申し出がございました。 私は、そのお申し出につきまして、早速木村県知事と相談いたしまして、県市協調で有吉佐和子記念館をつくりたいという、そういうふうなことをただいま県知事と相談しているところでございます。ぜひとも将来実現したいと、そう考えております。
江戸時代、紀州藩の付家老で、田辺の領主であった安藤家にかかわりがある遺品は、田辺の歴史、文化を語る上で、大変貴重なものといえます。
それから、合気道大会の各種演武、講習会の誘致、それから、植芝盛平翁生家の保存、翁の足跡、功績、遺品、蔵書の調査及び保存、オーストラリアワイオン市や岩間町との合気道を通じての交流等が考えられますし、また、当面の調査活動としては県内、あるいは全国的に合気道道場の実情や大会、各種施設の状況等の調査等が、それから顕彰会の組織体制及び事務局体制の充実、こういうことが当面の考えているところであります。
舞鶴には、引揚の遺品のほかシベリア抑留の生活を実物大の人形などで展示しております。田辺は舞鶴と違って東南アジア中心の引揚港でありましたので、各収容所やインドネシア、ハルマヘラなどで果たした日本軍の役割など、一定の歴史観に基づいた展示をすれば、それなりの存在価値が生まれ、世界平和に向けての田辺市の持つ特殊性に対する役割も果たすことができるのではないかと考えます。
また、文化遺産としての価値につきましては、有吉氏の代表作「紀ノ川」の舞台となった文学上の価値はございますが、民有地であり、老朽がかなり進み、さらに有吉氏の遺品が残っていないなどの理由で、文化遺産としては難しいと判断した次第でございます。
このような現状を考えるとき、今こそ彼らに郷土の美しい自然や、すぐれた文化、芸能、そして先人の苦労や遺品等に触れ親しむ機会を、家庭や地域社会との協力を得ながら、意図的に、また計画的に用意してやらなければならないと、そんなに考えております。
特にあの方は晩年、東京の杉並に自宅を持っておられて、今、娘さんとお母さんが住んでおられるんですけれども、かつて教育長に、私お話伺ったんですけれども、遺品とかそういったものがかなりあるように伺っております。何か交渉の結果、余り芳しくない返事をいただいたようでございますが、私、何をするんでも情熱を持って当たればわかっていただけるんじゃないかと思うんです。